オスの定着1(不安定収入)

 
話を少し戻しますと、子育てによる労働からの阻害が何十年も続くと女性は子を産むと退職してしまうから、企業の方でも大金をかけて高度な生産技能を養成するのは無駄だと言う論調が幅を利かしてお茶汲みなど下働きばかりになり(女子大生亡国論以前の議論)、親もお金があっても実務教育よりは良妻賢母教育(女子大進学)をしてワンランク上の階層の(奥方としての生活を)との結婚を期待しがちです。
子を産まなくとも女性である限り経済的弱者として決めつけてしまう・・働きたくとも仕事場が用意されていない社会が出来上がると、成人しても結婚出来ないと(親の保護を離れると)自立出来なくなります。
子を産まないのに遊んでいる(3食昼寝付き)のはずるいと言う女性仲間からの批判も起きるので、結婚しても子供の生まれない女性は肩身が狭いし、他方で、何らかの事情で結婚出来なかった女性や意識的に結婚しないで生涯働き続けたい人がいても、そのための職業教育が社会的に用意されないので結婚しないで生涯働き続ける選択肢が狭くなります。
実学系に進学すると白い目で見られ・たとえばせっかく弁護士になっても女性では独立が難しい時代が続くなど、職業能力を苦労して身に付けても仕事がない事態になります。
こうした1種の迫害・女子大亡国論などにめげずに実学系高学歴に挑戦して自分で生き方を選択出来るようにする女性が増えて来た結果、女性の高学歴職場も開拓されて行きますので、先ず挑戦して来た先人の努力を多とするべきです。
女性弁護士が最近増えたことによって、女性の得意分野(少年事件や修復司法や離婚事件など・・7月12〜13日に紹介したハーグ条約・子供の連れ去りに取り組んでいるのも主として女性弁護士です)の職域開拓が急速に進んでいます。
古代以来明治まで国の基幹産業である農業収入(明治以降輸出産業として活躍したお蚕さんも同じです)を支える主役は女性でありながら、何千年単位で経済主権を男に乗っ取られていたとは言え、我が国では家庭内での実質的地位が強かったのは、実際に働いて家計を支えて来たのが女性だったし、家庭自体が女性のものであって家庭内の切り盛り運営が女性によって今でもなされていることによるでしょう。
夫はいくら頑張って、家庭ではお客様使いですし、今でも妻が家庭の主役で夫がこれをどの程度「手伝う」かで良い夫かどうかの評価(妻がお礼を言う関係)になるに過ぎません。
元は放浪していたオスが定着するようになり、定着先の家庭をどのようにして牛耳るようになったかを見て行きましょう。
オスから見れば、最初はドングリの実を拾って集めるなど(ミレーの「落ち穂拾い」の絵を見ても分るように、男の私ではとても落ち穂など拾う気持ちが理解出来ませんが・・)かったるい仕事には違いなかったでしょう。
稲の場合を考えても(何十何百回も重ねて来た品種改良後の今とは違い実のつき方も少しだったでしょう)あの小さなモミを少しずつ集めてこれを食べるなどの細かい作業はオスには気が遠くなるようなことです。
オスはまじめにドングリや稲モミの採集作業に参加せずに一攫千金・・ネズミでもウサギでもとって食べた方が早いとしてウロウロ放浪していたのですが、実際にはウロウロ放浪していると食いはぐれてしまうことが多かったのです。
今でも女性の仕事は1つ何銭というような安いものを大量に作り上げて行く作業が得意ですが、男の方は1000万円単位の不動産取引などに精を出したがります。
やらずぶったくりのヤクザ商法や小さなことに因縁を付けて法外な金を脅し取るヒトなどを見るとぼろ儲けのような気がしましたが、事件を担当してみるとそういうヒトには、滅多にヒトが寄り付かないので年に何回もウマい汁を吸えず結局は生活保護すれすれの生活です。
ヤクザはいつも恐喝などしているかと言うと滅多にチャンスがなくて食えないので、ミカジメ料や覚せい剤などその他フロント企業など事件になり難い安定収入に依存しているのです。
古代の学習漫画などでは鹿やイノシシ・・うっかりするとマンモス象の捕獲場面まで絵になって書かれますが、実際には大物を仕留めることが出来るのは稀なことで、普段はネズミなどの小動物をとって食べるのがやっとで何時も腹をすかしていたのが実態です。
バカにしていた細々した仕事でも徐々に生産性が上がって来て、安定食料になってくるとメスの採集・農耕集団の仲間入りさせてもらうようになったのが始まりだと思います。
戦後何十年ぶりでフィリッピンから帰った小野田元少尉だったか横井さんだったか忘れましたが、主に小さなトカゲやネズミを捕まえて食料にしていたと報道されていました。
偶然に委ねる狩りだけで生きるのは、今でも大変なことであることが分るでしょう。

ジェンダー論4(近代産業と子育て)

明治以降貨幣経済化が進んでも・・明治維新後最初に工業化に成功したのは繊維系工業・・すなわち女工さん主役の働き場でしたから女性が生産活動から阻害されたのではありません。
八幡製鉄所などが大々的に教科書で取り上げられますが、やっと日本で初めての製鉄所が出来たというだけのことで、重工業が輸出産業に(多くの労働者を雇用するように)なったのは戦後大分経ってからのことでした。
東京オリンピックで東洋の魔女として活躍したのは日紡貝塚・・紡績系の女子バレーチームでしたし、輸出産業の主役として日米繊維交渉が問題になったのは漸く昭和40年代中頃・佐藤総理の頃に自主制限が決まったのです。
(日米繊維交渉は1955年から1972年まで・・すなわちピークは1970年代に入ったときでした。)
日米繊維交渉の結果糸偏が輸出産業の主役から退いた後に輸出産業の主役になった電気・電子産業系でしたがその労働者も女性が中心でしたし、今でも半導体その他電子系は女性労働者比率が高いままです。
社会構造が繊維系から自動車製造系(製鉄/造船等)重工業系に大きく変わった昭和40年代後半から、女性の正規職場が大幅に減少して女性の実質的地位がさらに低下したように思われます。
経済大国化して豊かになったこともあって、職域の狭まった女性が専業主婦・女性の失業状態が一般化してしまいました。
(女性の閉塞状態が極限に達して中ピ連が活躍しだしたのもこの頃からです)
他方で、女性の軽工業関連職場が減って来るのに連れて、女性労働の受け皿としてサービス業が増えるようになってパート・非正規雇用が発達し、非正規なので働いていても以前より立場が弱くなりました。
反面これが出産後の職場確保にも繋がり、出産後の永久的失業状態からの抜け出す突破口になって来たのですから歴史の歩みは難しいものです。
「家貧しゅうして孝子あらわる」ともいいますが、貧しけれみんな野口英世みたいになる訳でありませんので、(不良になるのも多い)ので物事を良い方に導くか否かはその人の素質によることになります。
日本の女性は何万年も前から働き者の素質を持っているから良い方に働いたのでしょう。
都市に出た女性は働かなかったのではなく、日本近代化、明治から戦後高度成長の基礎をなす軽工業製品輸出段階までは、女性がその殆どを担ってきたのに地位が低下したのは、出産による退職が原因でした。
労働の場が子育てしながら働ける自宅周辺の農業から遠くへの通勤に変わり、且つ子供を見ながらできる仕事が減ったことが、妊娠後の労働を困難にさせて女性の地位を激変させたことが分ります。
妊娠以降家庭に入る(あるいは早めの結婚退職)しかないこと・・失業することが一般化してから、小鳥に喩える説明が一般化したと(タカダカ80年前後の期間でした)言えるでしょう。
平塚雷鳥の「元始女性は太陽であった」と言う有名なフレーズがありますが、実は太陽でなくなったのは近代産業の発達による賃労働者化後のことに過ぎなかったのです。
(何事も数十年も続くと古代からあるように誤解する傾向があることを繰り返し書いてきました)
女性の地位向上は男女平等の理念の強調さえしていれば成るものではなく、女性の地位低下の原因を探求してその原因を取り除くことが肝要です。
子を産む産まないの自由を主張していた中ピ連のように要求して成るものではありません。
結婚して子を産まねばならないプレッシャーをなくすためには結婚しなくとも生きて行ける状態・・経済力の確保によってのみ、女性に自主的選択権が手に入るのです。
すなわち、子育て中の労働中断期間を短縮化し、またはなくして、貨幣獲得活動が出来る状態にすることこそが女性の地位回復の実体的基礎ですから、労働形態の変化等を利用しつつ育児の社会化を図り労働期間の中断を少しでも少なくすることが肝要です。
ここ数十年来パート・派遣その他短時間労働での貨幣獲得活動へ復帰・・このためには家の近くで働くなどの外に零歳児からの保育所、学童保育などの充実を進めて来たのは、女性の復権(経済力再獲得)のために正しい方向であったと言えます。
また男性の家事・育児参加を求めて行くのも家事・子育てに縛られる女性の負担を軽減し、ひいては貨幣獲得活動時間を増やすためのインフラ整備としての意味があるでしょう。

ジェンダー論3(軍事政権化と男子支配)

超古代・・縄文時代から稲作開始にかけての有史以前の集団生活は、もともとは女性集団が築いた生活基盤であるのにオスが次第に常駐するようになってこれを乗っ取ってしまったのではないかと考えられます。
古代から続く軍事政権・・軍事統制権に基づいて女性集団の支配権を獲得した構造・・これを大は王朝から豪族・地域小権力→小さな武士の集団→庶民の男子が家の諸権利の形式的主宰者になってしまっている後ろめたさ(・・実際に集団を担って働いているのは女性集団なのに)に対する正当化の論理として、「女性が子を産み育てる間働けないから、男子の稼ぎに頼るようなった」と言うフィクションが造られてまことしやかな説明が一般化して来たのだと思われます。
しかし、農村社会では女性グループの助け合いで十分機能するので、一人の女性が一定期間働けなくともどうってことはありません。
このことは集団内で一定期間誰かが病気しても集団(男がいなくとも)で管理している限り農作物を育てることが可能なことから見ても明らかです。
後にグループ生活・ルームシェアーなど書いて行きますが、産院や保育所や幼稚園は女性が主として担っていることから見ても、女性グループだけで維持出来ないことはあり得ません。
 (園長さんや理事長さんだけが男性である意味がないでしょう)
元々男集団が時々狩り(放浪の旅)から帰って来て種付けに来るだけで、その他の期間は女性集団の労働だけでなり立っていたのが漁労採集の時代でした。
出産育児中の生活も(昔も当然女性は子供を産みましたよ!)男が定着する前から女性同士の助け合いで成り立っていたのですから、妊娠出産育児中に身動き出来ないメスのために小鳥のようにオスが餌を運ぶような現在の擬制(フィクション)は誤りです。
その内日本列島も中国の商業社会に組み込まれて行くと縄ばり争いが始まり、稲作適地が減って来るとその分捕りあいが始まりますし、農耕も空き地を利用して始まったうちは良いのですが、(卑弥呼の時代には)集団間の抗争が頻発するようになり、用心棒として臨時的に採用した男がトキの経過で継続的に駐留するようになります。
緊張状態の継続で一種の軍事政権が成立し、継続的にその集団内の指揮命令権を掌握し、ひいては食料その他財物の分配権も掌握し乗っ取ってしまったものと思われます。
国難に際して外敵撃退のために一時的に軍政権を委ねた男が掌握した軍事力を利用して、(古代ローマのカイザルの例や、フランス革命時のナポレオンが有名です)そのまま支配者に居座ってしまったようなことが規模の大小の違いはあれ、小さな集落にも発生していたことになります。
江戸時代の庶民の例で言えば、生産に従事しない(勿論タマに手伝うでしょうが・・・)農村の男はすることがなくてお祭りの準備や博打にうつつを抜かしていて、生産活動の多くは実際には女性が担っていたのが実情でした。
それでも男名義ですべて経営される仕組みでしたが、働き手の女性の地位は実質的に高かったのです。
(これに対して遊牧・長距離交易社会では女性の地位が名実ともに低いのは、生産活動の主役ではなかったからです)
明治以降賃労働(給与所得)に変化すると、農業と違って寝ている間にも稲が育つ関係ではなく、出産前後・子育て期間(農業の場合、野口英世の例にあるように)母親は子供をおんぶして家事労働したり畑の近くに転がしておいて農作業していたものでしたが、賃労働ではそうはいきません・・仕事に出られなければ直ちに収入がなくなります。
今でも自営以外で子供をおんぶしながらできる仕事は、滅多にありません。
賃労働→結婚退職・・子を産んだ女性の恒常的失業状態が一般化してしまったのです。
農業社会では、男が家出してしまっても残った家族の農業収入に殆ど変化がありませんが、給与所得社会では女性が子育て中で失業状態下ですから、給与収入を得ている夫が帰って来なくなるとたちまち家族が飢えてしまいます。

ジェンダー論2

以下ジェンダー論の基礎になっている男子が経済支配権を牛耳るようになった経緯を推論して行きます。
女性だけの古代集落・ドングリなど採集段階では女性だけで間に合っていたのでしょうが、集団間の争いが起きて来ると臨時に用心棒が必要になったものと思われます。
映画「7人の侍」(この場合は男がいたのですが戦闘力がないので武士が雇われたのですが・・・)のように頼んだところ、オスが常駐するようになって居座ってしまった・乗っ取ってしまった結果の正当化論だと言うのが私の推論です。
ドングリを拾って生活する時代から稲作の始まり頃までは女性集団でまにあっていたのですが、その内集団間の争いが起きると戦闘員としての男子が必要になり、戒厳令下に似た軍事緊張状態が続いているうちに軍事支配権・内部統制権を獲得して行きます。
現在のように民主化が進んでも、イザ戦争になれば軍事戦略優先ですから、すべての内政に優先して執行される・・軍事政権化することを防げません。
この期間が50年も100年も続けば、一時的に政権運営を任されていたに過ぎない軍事政権の司令官が、国主のように振る舞うようになるのは洋の東西を問わないところです。
軍政府は本来は一時的なもので平和になれば戒厳令を解除して軍政を返上すべきですが、これが恒常化して幕府政治になってしまったのが鎌倉以来の政治でした。
幕府政治が確立して天皇権力が名目的になって行ったようなことが古代卑弥呼(例えばこの頃という意味で代表名詞に使っているだけです)の時代に起きたように思われます。
象徴的な国家の大事については卑弥呼に伺いをたてるとは言え、実務権力は次第に弟の男子に移って行った流れが見えます。
(地域小集団であるムラでも存亡に拘る重要事項では巫女のお告げが重視されましたし、国難に遭遇した幕末に朝廷に裁可を求めたのは同じ流れです。)
これを小型化した家庭で言えば、奥さんを「おカミさん」と言い・・我が国では重要な決断をしなければならないとき(転勤や「次、君が社長を引き受けてくれないか」と言われたときなど・・)には、「妻と相談して返事します」と応えるのが一般的慣習です)この歴史があるからでしょう。
我が国では「家は女性のもの」という牢固とした観念があって、男が威張っていてもどんなに立派な人物であっても、奥様に家に置いてもらっているような居候的性格をもっているのはこうした歴史・・オスが後からやって来て乗っ取った歴史があるからです。
どこの世界でも王権の樹立・集団統制には軍事力が必要ですし、軍政権を握る男が経済運営権をも牛耳るようになっていた事実の辻褄合わせ・正当化論を庶民に及ぼしているに過ぎないでしょう。
言わば、集団・民族の危機に際して活躍した将軍・軍事政権がいつまでも民主政権(元は女性集団の自治でした・ローマで言えば共和制)に権力を返還しないで来たことの正当化論を、小型化して庶民の夫による家政掌握権に及ぼしたものです。
ちなみに平安朝は軍事政権でないかのように誤解しがちですが、元はと言えば大和王権は軍事力で成立したことについて誰も争わない事実でしょう。
これを取り巻く大貴族も元はと言えば王権成立時に功のあった諸豪族(これも同じくその地域を軍事力で統一していた軍事政権)が後に爵位(これは現在用語であって当時は官位)を貰って貴族(当時は公卿)と言うようになっただけです。
代を重ねて行くうちに自らの武力がなくなって行ったので貴族は軍人ではないかのような印象で語られていますが、これは武門の棟梁であるべき足利氏が北山文化や東山文化を生み出し、戦国大名の勝ち組が徳川将軍家となりこれに功のあった地域軍事政権の子孫の大名や上級武士層が実質武士性を失って貴族化(インテリ化?松平不昧公など)して行き、明治維新は下級武士の活躍に譲ったのと同じです。

 ジェンダー論 1

雌が子を産む性であることから、子育て中経済活動・・餌の獲得能力が低下することから、オスによる生活費負担が歴史上形成されて来たと思われています。
(この点はこの後で批判します)
この考え方が定着すると、女性は生活費獲得能力を身につけても子を生んで家庭に入れば無駄になるから、上流階級では家政学を身につけ、中産階級以下では栄養師、子を育てる能力や、夫が逃げ出さないようにする文化能力形成に注いだ方が良いとするジェンダーが幅を利かしていました。
(お茶の水女子大などはこういう思想で出来たものでしょう)
ジェンダーについてはNovember 19, 2010「ジェンダー解消」前後で連載しましたので今回はその続きになります。
法経商を含めた4年制大学への進学が一般的になっても、実際には明治中期以降の女工さんの例同様に結婚退職・・家庭に入るのが圧倒的多数でした。
(現在でも女性医師の場合、家庭に入ってしまう医師が多くて大幅な医師不足になっています)
最近は専門職に限らず末端工場労働者・店員に至るまで結婚後も働き続ける人の方が多くなっています。
(4年制卒女子の方が比較エリートとの結婚が多くて、専業主婦の比率が短大卒・高卒女子よりは高いでしょうが・・・)
殆どの女子が社会に働きに出る現在では、高学歴取得や女性の社会的能力向上への投資は社会的ロスにはなっていないのですが、実学系高学歴者でも結婚する女性が普通になって来ると(男子に比べて特段の文化力差がないので)元々放浪したい本能のあるオスを引き止めるための文化力の方は、どうなるかの関心です。
このコラムは、女性に文化力がないと大変なことになるから昔に戻れと言う主張をするためのものではなく、ジェンダーに基づく文化力は不要で良いのではないか・・無理に男女一緒にいる必要がない・・男女一緒にいる現状の家庭形態解体方向で書いています。
この後に書いて行きますが、グループがないと子育てが出来ないとしても、それは女性同士のグループで何故いけないかという視点です。
ところで、「子育てのために女性が働けないから・・・」と言うジェンダー論・価値観が歴史上太古から妥当する原理であったかと言うとそうではなさそうです。
有史以来の上流階級で見ると女性が奥方として澄ましていられる古代豪族〜公卿や上級武士層以上は別として一般庶民にまで浸透したのは、貨幣経済の発達した明治中期以降の現象と思われます。
庶民・その大部分を占める農民の女性は、貴重な働き手として重宝されていたことをApril 23, 2011「婚姻費用分担義務5(持参金2)」その他でこれまで書いてきました。
私の母の世代(明治生まれ)では、自分が如何に働き者であったかを自慢していたものです。
女性は生活費を稼ぐよりも女らしさを磨くことに価値があるとする価値観が国民一般の価値観になったのは、貨幣経済が一般化して来た都市労働者時代・結婚退職による専業主婦層の出現以降のことになります。
貨幣経済化の進展が女性の地位を低下させてしまったことについても、December 18, 2010「貨幣経済化と扶養義務2(明治民法3)」その他のコラムで書きました。
農業の場合、赤ちゃんを背負って家事をしたり畑にでたり、ときには畦畔に赤ちゃんを寝かせて母親が農作業するなど出来ましたので働けない時期は僅かでした。
明治以降も庶民の娘は女工さんとして重宝されましたが、結婚・出産退職が普通でしたので、ここから既婚・子持ち女性の無収入が始まったと言えます。
では上流階級の道徳・価値観として現在流布しているジェンダー論が貨幣経済化以前から何故妥当していたのでしょうか。
古代の豪族〜平安朝の公卿や鎌倉以来の武士層では、女性が子育てに忙しいから働けないのではなく、そもそも上流階級では、不労所得階層ですから、子育て中に働けないから経済力がないと言う関係はあり得ません。
ですから、上流階級で女性の地位が低いのは子育て中に働けない弱点によるものではなかったことになります。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。