原発のコスト13(安全基準1)

原発の被害はひとたび起きれば天文学的被害・・少なくとも兆単位ですから、政治・法で決めるのではなく、よく分らないならば市場経済に委ねる・・・引当金が少なすぎれば株式市場の信任を受けられないので結果的に無制限保険方式採用しかないでしょうが、これを採用すれば保険業界・市場が決めてくれます。
市場に委ねずに政府が決めると安全基準自体が怪しくなります。
政治で決めると、原子力発電事業を増やして行くことを既定の路線とした上で、原子力事業が維持出来る範囲で損害引当金額を決めて行く・・被害総額予測によって決めるのではなく、経営が成り立つ限度で安全対策をして行くことになりがちです。
今回の事故後明るみに出たいろんな事実によると、経営が成り立つ限度で安全対策も講じるし、賠償引当金も考えて行くという本末転倒の議論が普通に行われていたことが分りましたが、これは関係者個々人の責任というよりは、原子力政策の根幹・・先ずやることが政治的に決まっていて、それに抵触しない限度で危険を考え・安全対策をして行く予定だったからでしょう。
いみじくも事故当初東電側では「政府の基準に従ってやっていたので、自分たちは文句言われる筋合いではない」という言い訳をしていましたが、(世論受けしないので直ぐにこの主張を引っ込めましたが、)元々自民党・原発族議員を中心とする政府の立場は、本気で危険度を検討するのではなく、先ず原子力発電をやることに主眼があったのです。
先ず第一に巨額交付金をバラまき、利益誘導型地元政治家を巻き込んで行き、土地買収で大金が入る人に始まり、原発関連の仕事に関係する地元民も賛成派に巻き込んで行きます。
こうして地元政治家や地元民の多くは目もくらむ巨額交付金や補償金欲しさに、建前上安全対策を求めながらも「形さえ付けてくれれば良い」というなれ合い的チェック体制が構築されて行きました。
今回の原発近辺からの避難民の多くの元勤務先が原発関連事業が多いとも言われています。
これが再開是非を問う公聴会でのやらせメール事件の背景でもあり、今回の大事故後でも、ともかく何らかのテストして格好が付き次第再開したいという伝統的支配勢力の立場に繋がっています。
ストレステストは再開の道具であり、再開することが目的のようなマスコミ報道で、テストしても反対するような輩は非国民と言わんばかりです。
しかし、事故処理費用や賠償金のコストを含めたら火力発電よりも何倍もの高額コストがかかるなら、何のために伝統的支配勢力がヤミクモに原発を再開したいのかの合理的理由が見えてきません。
コスト計算を公開しない・・合理的論争を封じられたままで根拠不明ですがともかく「大変なことになる」とヤミクモに再開を急かされると、巨額の利権が裏で動いているのかな?と勘ぐりたくなる人が増えるでしょう。
いまはやりの風評被害の一種です。
風評被害はキッチリしたデータを隠すから起きるのですが、原発再開も何故必要かの根拠を示さずに「大変なことになる」というばかりでその先の議論をさせない不思議な風潮ですから、裏で何かあるのかな?と痛くない腹を探られることになります。

原発のコスト12(備えなければ憂いあり2)

8月8日の日経新聞朝刊第5面「リーマンショック第2幕」と題する紙面に(根拠を書いていませんが、)今後「廃炉や放射性物質除染費用に数十兆円必要との見方もある」と書かれていました。
8月10日に紹介したように何しろ使用済み燃料棒のウラン235だけで約130トンもあり、上記のように今後の除染や廃炉費用だけで数十兆円必要の見方が出ているというのに、8月18日に紹介した原発賠償法第7条では1基当たり1200億円以内の供託で足りるようになっています。
これですべての被害を賄えるような印象・・・政府の政策・・法律がそうなっているのは、この法律を造った当時の政権の責任です。
これは一種の営業保証金であって総損害がこれで足りるという性質のものではなかったでしょうが、供託金がこのように低いと関係者は何となくこれさえ用意しておけばいいような気持ちになりがちですし、実際そのように運用して来たのでしょう。
この辺は、August 23, 2011「損害賠償金の引き当て1(保険1)」以下で賠償引当金を会計処理上要求していなかった監査法人・会計事務所にも責任があるのではないかと書きました。
民間の自主的な会計処理に委ねないで、(充分な引当金を会計上要求していたら、大赤字で経営が成り立たなかった筈ですから、そこまで会計士が要求しきれなかったのでしょう)今後は原子力施設一基当たり数十兆円の基金積み立てがなければ設置を認めないくらいの厳格な設置基準が必要です。
事故が起きたらその企業どころか業界全部束になっても損害を賄えない・・・・政府すら全部賄う資金がなくて国債に頼るしかない・・結局は国民の懐を当てにしているのでは、国民は安心していられません。
原子力発電に関しては、東電や原子力安全・保安院など多くの官僚や学者がチェックしているので、五重の安全網などと豪語していながら、もしも事故が起きたときに備えた手順をまるで用意していなかったことが明らかになっていますが、これと同じように、イザというときの避難マニュアルもなければ賠償システムもなかったし、賠償資金の準備も全くしていなかったことになります。
政府(これを決めたのは自民党政権時代ですが・・・)は何を根拠に1200億円以内で充分と考えていたのでしょうか?
原子力の安全基準・・その先は分らないから安全ということにしておこうとするのと同様に、1200億以上ではなく「1200億もあれば充分」というとんでもない基準で運用していたことが、この法律とこれを受けた業界の会計処理・・それ以上の引当金処理しなくとも適正だとする会計処理がまかり通っていたとすれば・・会計事務所の責任というよりは、原発推進派の政府関係者の暗黙の合意であったことが明らかになります。
事故がなくても、いつか莫大な廃炉費用は必要なことですが、これについても経理処理上どうなっていたのか心もとない感じです。
法律上全面的賠償責任が明記されている以上は、これに対応する適正な損害引当金が準備されていなければ法の要求するコスト計上不足なのに、(法律を無視しようとする暗黙の政治的合意が仮にあったとしても法律違反の談合に過ぎませんから、これに従って)法の要求を無視して適正意見を書いていたとすれば、会計監査法人の責任は免責される余地がありません。
とすれば、適正意見を信じて株式を保有していた株主から株暴落によって損を被ったことによる損害賠償請求の対象になる可能性は否定出来ません。
もしも適正な引当金処理をしていななかったにも拘らず会計士が適正意見を歴年書いて来たとすれば、(支配層の暗黙の合意があったとして)法を守るべき国の支配層が法律違反を推進していたことを明らかにするためにも、損害賠償請求を株主が提起すべきかも知れません。

原発のコスト11(備えなければ憂いあり!)

最近は原発のコストが安いと言う正面からの解説が減りましたが、その代わり、脱原発を言うとヒステリック・パニック的反応だとして議論をしないで問答無用的に切り捨てる論調が増えてきました。
論争に負けると、社会勢力の強い立場の勢力にとっては、いつもお決まりの方法ですが、戦前では非国民のレッテル、戦後から昭和年代末までは「あいつは赤だから・・」等の言論封殺方式がいつも出て来ます。
コスト論を言うならば、今回の大事故の損害を全部自己費用で賠償をしても(政府保障なしでも)東電は儲かっているという計算を示してからにすべきです。
電源喪失は想定外という言い訳自体が怪しいことが分ってきましたが、今になると「従来通りの安全基準でこれからも原発は絶対安全です」とはいくら厚顔な人でも言えなくなっていますが、コスト論だけはどうして従来コスト計算のままでで「安い」と言い張っているのでしょうか?
業界一丸になっても東電の一事業所に過ぎない福島原発の起こした損害賠償資金を準備していなかったし、賠償資金を市場で借りることすら出来ないほど賠償能力がない・・これをきちんとコストに含めていたら原発コストはいくらになったのかの計算を示してから安いか高いかの主張をすべきです。
日通でもヤマト運輸でも、日本航空でも一事業所で起きた事故の賠償金ぐらい現金または手元流動資金で用意して持っているのが普通の経営と言うものでしょう。
今回の大震災で言えば、千葉でも化学工場が爆発炎上して燃え尽きるまで燃え続けましたが、その爆発でその会社の経営がどうなったという話を聞きません。
あらゆる企業にとって、もしも事故があったらどうするかのマニュアルを用意しているのが普通です。
「当社は充分な安全対策を施しているので、保険も何も要りません・・まして爆発炎上などまるで予定していないので消防に連絡したり避難したり周辺住民への連絡体制もマニュアルにありません」という大手の会社はないでしょう。
万全の安全対策をしていても事故はあり得るのでもしも事故になった場合のために、それなりの備えをしておくべきことは産業人の常識ですが、東電にはその常識がなかったから、イザというときの資金備えもなければ対応マニュアル・・電源喪失時の手動マニュアルがなくて泥縄式に対処して時間を食ったなど・・もなくてオタオタしてしまったのです。
「安全です」の呪文に酔い痴れていて何も準備しておらず、結果が出てみると業界束になっても払えない・・事故が起きてから、賠償資金を捻出するために世間から借金するための社債発行の仕組みを漸く整えたところですから、(泥縄式どころの話ではありません・・)事前に賠償基金を東電だけではなく業界全体で合計しても充分に積み立てていなかったことが証明されました。
電源喪失自体については日本のような地震の心配のないアメリカでさえも、30年前から検討すべきテーマになっていてこれが日本でも指摘されていたのに、そんなことまで一々し心配してたらコストがいくらあっても足りない・・割り切るしかないという論法(班目原子力委員長の浜岡原発訴訟での証言です)で無視して来た結果がこれです。
電源喪失は想定外の津波よる被害だけではなく、その後の余震程度でさえも電源喪失があちこちの原発で起きてギリギリのところで回復した事故が起きているのですから、身近にいつでも起こりうる事故だったことが分っています。

原発のコスト10(損害賠償リスク)

賠償責任限定にこだわる産業界の動きを見ると、賠償責任を限定しないと株式・社債市場で信任を受けられない・業界そろって株式も社債も暴落する業界って、本当に経済的に成り立っているの?と言う疑問に戻ってしまいます。
航空会社や運送業界で「事故が起きた場合の責任は取りません」という仕組みでないと儲からない責任限定したときだけ「儲かっている」と言われても、それって優良企業って言うのでしょうか?
「業者の責任を限定してそれ以上の損害があっても国民・被害者は泣き寝入りしろ」という法律は無理ですから、仮に総損害の5分の1あるいは一定額・1〜5兆円限定とした場合、それ以上の損害は国が面倒見るしかないでしょう。
政府が払うとすれば、その負担は国民全員の負担ですから、結果的に普段安いと言われている電気料金の代わりに税で負担することになります。
June 11, 2011「巨額交付金と事前準備3」前後で連載したように、巨額の税を立地市町村に交付金として投入しているのですが、それをマスコミがまるで報じません。
税で見る分はコスト計算しなくとも良い・・会社ごとの会計原則上はそうでしょうが、税を負担する国民の立場から見れば税による負担分を含めて総損害額を原発のコストに上乗せしないと原発が安いかどうか分らないことには変わりがありません。
これらの一連の動きを見れば、政府保証であれ何であれ、一旦事故が起きればどんな優良企業が束(業界一丸)になっても、(借り換えするばかりで返済しきれそうもない)社債を発行(借金)しない限り、発生してしまった損害を賠償しきれないという現実を経済界全員で認めているということです。
事故が起きたら賠償しきれない・・これをコストに含めれば経営が成り立たないことを前提にしながら、産業界やマスコミによる「原発のコストの方が安い」という主張は論理矛盾しているのではないでしょうか?
イザとなれば政府保証による社債発行で資金を集めなければ事故の賠償を充分には出来ない会計基準で東電が経営していたとすれば、原子力は安いとは言うものの充分な賠償基金を積み立てないでコスト計算していたと断定するしかありません。
と言うことは、従来の基準によるコスト計算は何の役にも立っていないのですから、従来のコスト計算に基づく意見を恥ずかしくて言えないのが普通の心理です。
今でも原発の方がコストが安い、あるいはやめたら電気代が上がって大変なことになると宣伝するならば、従来の予測コストを大幅に越える大きな被害が現実に起きているのですから、これを集計し、あるいは今回の被害総額を基礎に将来の被害総額を予測計算した上でなければ誰もコストに関する責任ある意見(・・安いという方の意見)を言えない筈です。
にも拘らず経済界やマスコミが(根拠もなく・・賠償コストを計算しないまま従来コスト計算に基づき)「原発をやめるとコスト増になる」とするキャンペインをはっているのは、論理的なルール違反です。

損害賠償支援法3

原発事故以降の市場の動きや経済界の動きとこれを受けた賠償支援法の成立は、少なくとも東電自体には十分な事故賠償能力がないことを前提にしていることになります。
一旦原子力事故が起きたときに業界あげても賠償資金を捻出出来ないような業界が、それでも原発の方がコストが安いと何故言えるのか不思議です。
原発賠償支援法では、東電自体に十分な支払能力がないことを前提に業界一丸となった機構を設立しますが、その機構も賠償に足りるだけの基金を集められず、自己資金では支払能力がないことを前提に機構が新たに社債を発行してその借金で支払う仕組みです。
しかし機構自体は何も生み出さない単なるトンネル会社ですから、東電から返済を受けない限りその借金を返すめどはありません。
結局は東電の支払能力にかかっているのですが、東電は巨額賠償能力がないことを市場は見越して東電株や社債の大暴落になっているのですから、東電から元利がきちんと帰って来て利息を付けて払えるから大丈夫ということでは新機構の社債は売れません。
そこで発行社債に対する政府保証をすることによって社債の発行をスムースにしようとするのがその中心的仕組みですが、1年後には原子力損害賠償法を改正して国の責任を引き上げて行く方針・・すなわち東電自体の責任を一部国が肩代わりすることかな?も付則に決まっているとマスコミで報じられていました。
前回紹介した条文によると「賠償法を改正する」検討課題になっているだけで、責任限定する方向性まで書いていませんし、一年とも書いていませんが、法案作成段階の議論ではそう言う含みだったのでしょうか?
賠償責任の限定をする付帯決議に反対する日弁連意見書が出てますので、条文ではない付帯決議にあるのかも知れません。
1年くらいでは、国民の怒りが収まるとは思えませんが、マスコミに騒がれなくなればこっそりと東電の責任を限定する方向へ改正するつもりなのでしょうか。
政府としては、全部東電・原子力発電業者の責任のままにしておいて、保証だけしている方が外形的には、政府支出が抑えられて、赤字国債の外形も増えなくて済むので本当は有り難いのですが、付則で(1年経過後に)事業者の責任限定する法の改正を予定しているのは、今回の東電の責任を免責するためでだけではなく、将来の原発事故による損害賠償リスクを見据えたもの・・・と言うことは再発がかなりの確度で予想されてるということでしょうか?
このまま無限責任・・加害者が発生した損害を100%賠償するのは当然だと言う当たり前のことを決めたままでは、今後事故があるたびに倒産の危機・・(関西電力中部電力その他すべてが)機構のお世話になり、政府管理される会社のようになってしまうのですから、どこの会社でもそれはいやでしょう。
国民には「事故など起きる筈がない・絶対安全だ」と宣伝しているものの、自分の会社が事故を起こす場合が一応想定されるので、その場合、全面的な損害賠償責任を負う・国の管理になってしまうのがイヤだと言うことでしょうか?
国債の場合は行く行くはデフォルトになるだろうとは言っても大分先であることは間違いないのですが、原子力発電の場合「いつか事故が起きるがずっと先のことだから・・」と言っている場合ではありません。
この原稿を書いている瞬間にも再び大地震・・事故が起きないとは限りません。
このままにしておくと、そんなリスクの大きい原子力事業から撤退したくなる業者が出かねないし、市場から見れば原子力業界の株式を持っていると東電の株みたいにある日突然数%まで下落するリスクがあるのですから、今から東電に限らず電力業界の株式や債券を誰も買う人がいない・・売りたい人ばかりで総崩れになってしまいます。
これを宥めて何とか原子力業界を存続させるためには、国民の怒り・・不安のホトボリがさめたら責任限定の法改正をするからという暗黙の了解ですが・・そこまで行かないと市場不安が収まらないから、付則(あるいは付帯決議で)に賠償法の改正と明記して成立したものと思われます。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。