政治生命をかけるとは?3(禊)

今回の消費税問題以前から、今度選挙すれば民主党政権運営のお粗末さから、民主党が大敗するだろうと言うのがもっぱらの下馬評でしたが、消費税増税が成功したらそれを国民が評価して逆に大勝するという見通しなのでしょうか?
(マスコミによる野田内閣の勇断・・決められる政治と言う応援を計算に入れているのでしょう)
そうなれば公約違反の政治上の罪は選挙でみそぎが済んだ・・許されたことになると言う計算かも知れません。
いわゆる事後承認ですが、緊急事態に関しては国会の事後承認という制度がありますが、増税の場合選挙する暇がないことはあり得ないのに、(元々国王の求める増税の可否を議論することが議会の基本的機能でした)増税の可否までも事後承認で済ますのでは、選挙で信を問うことは何もなくなってしまいます。
ヤンバダムの例でも分るように一旦始めてしまうと元々はやるべきでなかった工事だったとしても、今更やめるともっと損害が大きくなってしまうのであれほど反対していた民主党でさえ中止し切れないことからも分るように、(原発だって作ってしまいこれに依存する体制を作ってしまっているのでイキナリ全廃出来ないのですが・・)既成事実を作った方が勝ちみたいな所があるのが政治です。
ですから、何もかも既成事実を後から判定する方式は民主政治向きではありません。
結果責任を負うだけであれば、(遠征の失敗などでその後王朝が倒れるのは)専制君主でも独裁政権でも古代からどんな政体でも皆同じで、民主主義制度とは無縁です。
他律的な疫病等のばい菌の穢れを払う禊の効用と意図的な公約違反の関係については後に書いて行きたいと思います。
消費税増税実行はマスコミの応援を受けられるので選挙で大量得票に繋がるという思惑からか、民主党執行部は離党者に対する意趣返しのつもりか、離党者の選挙区に対立候補を立てる方針とも言われています。
自民・公明との談合で消費税増税を実現するのですから、本来の対立政党である自民公明両党から公約違反の道義責任を厳しく追及される心配がありません。
民主政治の息の根を止めた戦時中の大政翼賛会選挙同様で「赤信号みんなで渡れば怖くない」ということでしょう。
談合3政党の共通の敵は、公約違反を追及する離党者グループですから、この共通の敵に向かってこれまた談合・共闘態勢が先ず構築される(マスコミは当然その応援をします)ことになるのでしょう。
離党者からは公約違反の追及が厳しいことが予想され、野田総理とその1党にとってはそれが怖いからその批判(歴史に残る批判です)さえ封じることが出来れば、仮に党が消滅しても良いくらいの判断なのでしょうか。
刺客と言えば郵政選挙の例が想起されますが、郵政選挙場合、テーマもはっきりしていたし、小泉政権の圧勝が予想されていたので、落下傘候補であるいわゆる刺客候補も一定の勝算があってのことでした。
(実際に落下傘候補もかなり当選して、保守系乱立による共倒れは殆どありませんでした)
今回は元々民主党が一丸になって戦っても大敗すると言われている状態でしたが、消費税増税が民主党にとって、公約違反問題もあり、どのような審判が下されるか分らないイチかバチかの大勝負です。
消費税増税がプラスに作用して圧倒的強い立場になれば良いですが、そうではない限り他人の選挙区に何の地盤もない新人が執行部の意を受けて立候補をしても当選出来る確率は殆どありませんから、圧勝の見込みもないのに送り込めば共倒れを前提にした作戦・・泥試合の開始となります。
立候補は本来当選を目的にあるものですが、相手を落とすことだけを目的に立候補するのはこれまた民主主義制度の本義に反しています。
当選目的ではない共倒れ目的での立候補者(刺客)を仕向けて来るならば、小沢派の方も(軍資金次第ですが・・)対抗上執行部寄りの当落線上の選挙区へ刺客を送り込む泥仕合となって、双方大敗を喫することになるでしょう。
自民・公明その他の政党が漁父の利を占めることになりますが、野田総理が政治生命をかけると言っていた意味が、自分を含めて民主党をそっくり滅ぼしてしまう・自壊させるつもりでやるとすれば潔い決断です。
信頼で成り立っている民主主義制度を根本から覆す大罪を犯した責任は、党首だけではなく党自体にあるので党自体が消滅するのは良いことです。
ちなみに「政治生命をかける」と言う従来の語義は、信念に基づき不利益を顧みずに自分より大きな権力・マスコミを敵に回す主張を敢然とするときにこそ、「正義のために頑張るぞ!」と使うものであって、「これから泥棒に入るぞ」とか、悪いことだけども断れないので「大きなものに巻かれるぞ!」「信念に反してマスコミ受けするように主張を変えるぞ!」と正義・信念に反する決意表明に使うべき言葉ではありません。
野田総理が「政治生命をかける」目標は、株屋で言えば、顧客からの特定銘柄買い付けの指示に反して、証券マンが別の銘柄の方が良いと思って勝手に別の銘柄の買いを入れてしまうなど悪事を働くときの決断に使っている感じです。
あるいはファンドの組み入れ比率を株屋が無断で変更するための決断みたいなものかな?
証券マンが顧客に説明しないで勝手に売買する以上は「地位・クビを掛ける」ことになるでしょうが、この場合結果的に儲けられさえすれば客は文句を言いません。
しかし政治の場合、結果が良いかどうか直ぐには誰も分かりません。
例えば石油ショックやプラザ合意による円高傾向が日本にとって国難だったのか、却って省エネ技術が発達したり生活ベル引き揚げの発火点になったのか、低金利が良かったのか悪かったのか増税せずに国債で賄って来たのが良かったのか悪かったのか(私に言わせれば国内から資金調達している限り金持ちからの所得再分配機能を果たしているという意見です)、一定の公共工事をするのと別のことに投資したのとどちらが良かったかが、20年経っても漸く分るかどうかと言う状態です。
外国の例でも・・アスワンハイダムは、今になるとナイルの肥沃な流域を駄目にしてしまったマイナス・失敗ではないかと言われているのを想起しても良いでしょうし、中国の山峡ダムも同じような運命のようです。
政治の世界では「結果さえ良ければ良いし、悪ければ責任を取る」と言っても事後判定は意味をなさないので、結果の如何(目的が善意であるか否か)に拘らず国民の信託に背くこと自体が絶対的に許されないのが、民主政治の原理であるべきでしょう。

政治生命をかけるとは?2

ところで、6月26日の衆議院での採決では、民主主義の正義を守るために「政治生命をかけた」のはわずかに57人しかいませんでした。
(棄権者はその他にいましたが・・意見を言わない人は、大勢の赴く所で良いということ=そのときそのときの強い者の味方・・本件では信託者である国民に対する裏切り行為の肯定・黙認に作用します)
ちなみに離党したのはそのまた一部37人(衆議院に限定すれば・・)だったことをどのように評価するかです。
正義に反する行為をする政党には居られない・・「義に反する周の粟(ぞく)を食らわない」と言って西山に入ってゼンマイやワラビを食っていて餓死した伯夷叔斉の故事が有名です。
以下史記列伝の(周の武王の出陣を止めて容れられなかったので)西山に隠遁していて、死に際しての辞世の句です。

登彼西山兮   彼の西山に登りて
采其薇矣     其の薇を采る
以暴易暴兮   暴を以て暴に易へ
不知其非矣   其の非を知らず
神農虞夏     神農虞夏
忽焉沒兮     忽焉として沒しぬ
吾適安歸矣   吾適(まさ)に安くにか歸せん
吁嗟徂兮     吁嗟(ああ)徂かん
命之衰矣     命の衰へたるかな

私は現在の代議「士」に餓死まで求めません・・離党すればいいだけ・国会議員の地位はそのままで歳費は従来通り受け取れますから・・餓死する心配すらないでしょう。
それだけ(次の選挙が怖いだけ)のことでも正義のために賊徒の中で反旗を翻すことの出来る気概のある国士が37人しかいなくって、あるいはそれだけ多くいたとしても、残りはやはり大きな所帯に居残りたい・・正義のために政治生命を掛けるより安泰な地位を求めたい人たちだったということになります。
(それまで小沢氏に恩顧を受けていたその数倍の人が目先の利に従ったことなります)
マスコミは小沢氏に付き従った人が僅か37人・・支持が少ない・誰も支持しない異端のグループであるかのような印象を強調するために宣伝していますが、逆に選挙に落ちる恐怖・・伯夷叔斉が西山に登るに匹敵する勇気のある人が37人もいたのかとも言えます。
この辺の解釈は読者が自分の身に置き換えて自分だったら、そんな思い切った決断が出来たかどうかを基準に判断することでしょう。
「政治生命をかける」と言うはたやすいですが、実際に大きな権力に刃向かうと悪事が露見しないように権力から口封じのための刺客も来るでしょうし、大きな権力に身を寄せていないと次の選挙で落ちる恐怖が大きいことは当然です。
(マスコミはいつも大きな権力寄りで、与党批判者には陰に陽に誹謗中傷が行われる傾向があります・・まして今回の増税路線はマスコミ推奨路線でもあるのでなおさらです)
伯夷叔斉は自分の意見が正しいことを訴えて周の武王やその部下全員を翻意させようと飽くまで努力したのではなく、こんな義に反する周の国にはいられないと身を引いて餓死したに過ぎません。
ナチスに対するレジスタンス・あるいは近年の民主運動家は、単に国から出て行くだけでは(亡命あるいは海外移住)潔しとせずに、国内に留まって命がけで民主化運動に取り組む人たちが普通です。
国を捨てて海外移住希望だけなら韓国・中国の庶民?(巨額資金を蓄財している共産党幹部など)はいくらでもしていますので、海外移住をしている庶民の多くがみんな古代の伯夷叔斉並みの「士」と言えるのでしょうか?
今では海外の方が住み易いので移住するだけですから、死を恐れずに西山に入った伯夷叔斉のような「士」ではなく、祖国を地盤にして金儲け(蓄財)してその資金を持って海外に逃げるのですから、祖国を裏切る不道徳な国民がこんなに多いのかと言う印象です。
37人の義士は、こんな不正義な政治の世界にはいられないと言って政治をやめるだけなら、中国・韓国人の海外移住・逃亡同様に何の苦労もないでしょう。
国会議員をやめても伯夷叔斉の時代と違い直ぐに餓死することはない・・別の仕事がいくらでもある時代です。
権力者にとっても政界から逃げ出してくれれば大した害がないので、放置すれば済むことですが、(平安時代にあった左遷・・中央からの放逐で足りたのと同じです)政治社会に留まって反対を唱えられるのが怖いので、刺客を向けたりして口封じに精出すことになります。
代議士を辞めずに自分たちの理想社会を作ろうと努力を続ける点では、その場から逃げてしまった古代の伯夷叔斉よりも偉いのかも知れませんが、その代わり(自分の権力欲を満たすためにやっているのと区別が難しいので)マスコミからは個利個略だと誹謗されるし、権力からは刺客に狙われるし、次の選挙も命がけです。

政治生命をかけるとは?1

「政治生命をかける」とは自分の政治信念を貫徹するためには有力者に嫌われ、政治上不利な立場になろうとも、正義のために節を曲げずに主張を通し、選挙でも堂々と主張してその結果、「選挙で負けても悔いがない」というのが本来の意味でしょう。
多数派が正義不正義に拘らずその主張を通すためには、政治生命をかける必要がありません。
消費税増税反対を主張して政権を取った(国民から信任を受けた)党が、方針変更に対する総選挙の洗礼(国民の信任)を受けるのを明白に嫌がりながら、「増税に政治生命をかける」というのは言葉のまやかしです。
(誰かの委託を受けた行為ではない・・純粋個人の利害だけの行動ならば、豹変するのは勝手・君子ですが・・・)
少数派が正義のために行動するときに不利な扱い・・除名や資格停止などの不利益処分を受けるのを覚悟の上で行動するときに使う言葉を、多数派が奪ってすり替えて使い国民を誤導しているのです。
公約違反推進に多数の力を恃んで政治生命?をかける党首・・これをマスコミが「本来の語義・用法と違う・・国民を欺くもの」だと批判しようとせずに、むしろそれとなく応援している様子です。
(・・民主党が実現したマニフェストは少ないのでマニフェスト重視を言うのはおかしいという変な擁護論さえありますが、実現に努力して出来なかったのと反対の政策を率先して実行するのとは本質が違います。
あるいは反対する勢力をおとしめるためにそこにあるのは「個利個略しかない(政治的識見がない)」と言い、「すべてが選挙対策だ」とも言います。
しかし公約違反の与党やマスコミの大勢に反対するのが何故(何の識見もない)個利個略なのか、(普通は個人にとっては不利な選択です)またせっかく作り上げた与党を飛び出して孤軍奮闘(マスコミからも集中砲火を受けながら)で戦おうとしている人が何故選挙対策で動いているというのか、論理が見えません。
むしろ公約違反はおかしいと思いながら執行部に反対意見を述べる勇気のない政治家の方が、個利個略・選挙対策(自己保身)だけの人ではないでしょうか?
選挙目当てと言いますが、与党から飛び出して国からの補助金もない(1月1日現在での政党にしか補助金が出ない・・途中で分裂するグループに不利な制度です)状態で選挙をやるのは極めて不利なことは常識でしょう。
増税するか否かこそは数ある政治案件の中では、政治意見の中核であることは公理とも言えるほど歴史上明らかなことですから、増税反対かどうかを軸に行動基準を決めることが何故に政治的識見がない行為と言えるのか不明です。
財政赤字解消のために増税の必要性があるかどうかの意見とそれぞれの根拠・理由はこれまで書いているとおりいろんな意見があるのですから、自分(マスコミ)と論拠が違う相手を「識見がない・・バカだ」というのでは、大人の議論・・マスコミが取り上げるべき公平な報道とは言えません。
どちらの論拠が正しいかは選挙で決めることです。
論理のない批判が横行しているのは言うならば、誹謗中傷のたぐいを天下のマスコミが垂れ流していることになります。
党は党でそんな党首に任せられないと解任するどころか、公約を守れと反対する少数議員・・彼らこそ正義のために政治生命をかけていると言えます・・を除名してしまうような政党・・マトモな政党が世界を見渡しても歴史上あったでしょうか?
時代劇で言えば、お家乗っ取りを策す悪家老一味に敢然と立ち向かう正義の「士」少数派を誹謗中傷しているようなものです。
幕藩体制下で幕藩体制を覆すような主張が公然とされた場合、そのグループは幕藩体制と食うか食われるかの戦いをしない限り存続出来ないのは当然です。
信長や秀吉の支配下で信長や秀吉の支配方法に異を唱える以上は、信長や秀吉の支配領地内で存続が許されません。
民主主義体制を良しとする現行法体系下で、(これを覆そうと主張するならば一貫していますが・・これをやめる展望もないまま)民主主義の根本原理に反する行為をしている以上は、一種の反逆罪を犯している状態で、現行秩序上存在自体が許されない状態です。
まさに野田総理とその1党は政治生命をかけて自ら政治家を辞めるべき主張になります。
民主主義に根底から反する行為を賞賛するマスコミその他の勢力は、民主主義制度を否定する勢力に加担・そそのかす勢力と言わざるを得ないのではないでしょうか?
アメリカは民主主義を守るための戦いだったと称して日本に原爆を落とし、その他何百万(大げさかな?)の一般人を焼夷弾で焼き殺し続けたのですが、日本のマスコミはアメリカでは野田総理が激励されているかのような(高官などとぼかした言い方)報道です。
アメリカは自分の都合に合わせてあちこちの軍事独裁政権を支援してきましたし、自分に都合の良いときだけ民主主義のための戦いと言い出す自分勝手な国ですが、・・いくらご都合主義のアメリカだとしても、民主主義制度の根幹を破壊する野田総理の暴挙をそこまで応援するかな?と疑っています。
元々野田総理は訪米直後から消費増税へのボルテージがイキナリ上がって来た傾向があって、アメリカに吹き込まれてやっているらしいとも言われていますし、反米的色彩の強かった鳩山・菅政権に比べてアメリカの覚えが目目出たいのは間違いがないでしょう。
ところで何故アメリカは日本の消費税率上げに熱心だと言われるのでしょうか?
(勿論正式表明をする訳がないので噂・憶測に過ぎませんが・・)
今までのアメリカの行動からして、日本を良くするために熱心になることは殆ど考え難いので、合理的な理由としては増税させて日本経済の停滞・駄目にしてしまうことを期待しているらしいことくらいしか推測できません。
増税=内需縮小という図式は間違い・・消費の増減には関係がない・・むしろ増税分を100%支出に使えば消費が上がるという意見を以前March 19, 2012税収2と国債1」以降書いています。
増税目的が赤字解消のための増税の場合、その分支出が増えないで資金を市場から引き上げるだけになるのでマイナス消費になりますが、国債=せっかくお金の使い道のない人が出してくれた資金で所得再分配しているのに、これを税で貧者からも徴収して金持ちに返してしまう・・金持ちからの所得再分配をやめるというのですから、財政赤字解消のための増税ほど馬鹿げた政策はありません。
財政赤字解消のために増税が必要という論理は、現在社会で必須の所得再分配機能を理解しない意見であって破綻していることになります。
国債保有者が外部にある場合、(他人からの借金で豊かな生活をしている場合)所得再分配資金を削って(外食を減らすなどして)でも赤字解消が必要になりますが、身内が持っている場合(家族の誰かが外食費を持ってくれている場合)赤字解消の必要性ががないばかりか、寄付同様の所得再分配機能があって、むしろプラス要因になっているのです。
約1000兆円の国債残高=同額の資金が、今まで余裕のある金持ちから所得分配金に使われて来たことになり目出たいことではありませんか?
綺麗な道路維持や保険の赤字も生活保護・子供手当もみんなこの資金があってこそ支給されて来たし、これが我が国の国民の同胞意識・一体感の基礎になっていることを上記コラム以降で連載しています)
世の中には間違った(私の意見とは違うと言うだけです)経済理論が横行しているので、アメリカもその気になっているのでしょうか?
しかし、日本経済が停滞し、ジリ貧になってもアメリカにとって何の得もないのですから、この種の議論(増税反対論者の流布するアメリカ陰謀説とも言うのかな?)も眉唾です。
せいぜいアメリカ主導のIMF官僚の好きなテーマ・・彼らはいつも、馬鹿の一つ覚えのように緊縮健全財政政策論であることは分りますが、学者というのは過去の事例研究しか知らないからそうなるのであってアメリカの陰謀でも何でもない・・智恵が足りないだけです。
ちょうどIMF専務理事が来ていて、増税による赤字解消努力を賞賛するような発言が新聞に載っています。
やはり、ここは外国の思惑(外国からの支援を受けているという議論も一方ではアメリカの後ろ盾があるという宣伝にもなるし、他方では本筋から離れた誹謗中傷の一種にもなります)を基準にせずに、純粋に我が国の民主主義制度を守るのに有益か否かの視点だけで考えるのが、賢い方法でしょう。

マニフェスト(選挙公約)の重み3

代議制民主主義・間接民主制は、専制君主制や絶対君主制とは違い国民は代議士に白紙委任しているのではありません。
間接民主制下の我が国で「代議士は国民の信託に反して何をしても良い」とする無茶な主張・行動がどこから出て来る論理か疑問です。
・・民主主義を絶賛していて民主化のためなら多少どころか国を傾けかねない大混乱でも賞賛しているマスコミが、どのような根拠で明白なマニフェスト違反を賞賛しているのか理解不能というべきではないでしょうか。
仮に結果さえ良ければ公約違反しても良いという議論・・そう言う方向へ誘導しようとしているように見えますが・・があるとしたら、誰が結果の善悪を決めるというのでしょうか?
(結果さえ良ければ民意に反してもいいと言うなら、専制君主でも北朝鮮のような軍事政権でも何でもいいという議論になり民主制を否定することになりますが、以下は、この点を措いてもと言う議論です)
国民の声を無視してマスコミが勝手に決めたら、それが「善だ」という主張になるのでしょうか?
民主主義社会では民意で決めたことを実行するのが「善」・正義であって、マスコミや官僚が勝手に決めたことを政治家が行うことを善とする仕組みではありません。
増税が必要なことは決まり切っているというのでしょうが、決まり切ってるかどうかを誰が決めるかとなれば選挙民でしかありません。
ちなみに我が国の財政赤字と言っても・・国債の95%(最近少し減っていますが・・)は国内保有ですから、国際収支赤字になるかどうかこそは重要ですが、国際収支黒字の範囲内で国内分配上その一部団体である政府に赤字があってもその対極に黒字の債権者・団体が国内にいるので、対外的には何の問題も起きないことを繰り返し書いてきました。
次世代に債務を残すのかという議論もインチキ(同額の債権者も9割以上が国民ですから同額の債権を次世代が相続をするから差引5%の債務でしかありませんし、それ以上に国民金融資産があればプラス超過の相続)であることを書いてきました。
このように財政赤字対策としての必要性でさえ意見が分かれるうえに、赤字対策としての増税を認める立場でも円高下での景気対策として、今増税するのは景気対策の点でもマイナスになるという意見も多く賛否の議論が分かれています。
財政赤字=増税の必要性論で仮に半々に分かれて、景気対策上時期が悪いという点で半々に分かれるとしたら、最後までの賛成は2分の1の2分の1で結局国民の4分の1しかいないことになります。
だから野田政権は民意が怖くて選挙で信を問えないのでしょう。
野田政権は民意に反していることを知っていて、悪意で国民に対する反逆行為をしていることになります。
増税期待のマスコミ界では、(小沢批判の根拠がはっきりしないのですが、ともかく小沢批判で凝り固まっています)どうせ民主党がマニフェストで実現出来たことは高校授業料無償化くらいだから、「何を今更マニフェスト違反だと騒ぐのか」という論調が目立ちます。
増税の必要性に比べれば、マニフェスト違反くらいは大した問題ではないという意識を国民に植え付けるのに躍起の模様ですが、増税の必要性があるかどうかこそ民意・・選挙で決めるべき最重要事項であって、マスコミや官僚が勝手に決めるべきものではありません。
議会制民主主義が国王による増税に対する反発・・抑制の必要性から始まっている歴史・・アメリカ独立革命もボストン茶条例と言う税に対する不満から始まったことを想起しても良いでしょう。
議会制民主主義の中でもっとも重要な決定事項が税のあり方であることは、歴史上明らかです。
この最も核心的テーマである増税の可否について公約・マニフェストでは4年間は増税しませんと明言して政権を獲得した政党が、政権獲得後真逆のことをしつつあるのですが、国民に対する反逆者グループがマスコミで賞賛されている日本の状況は、民主主義の価値観を西洋と共有する先進国の状況とは到底思えません。
政治生命をかけて戦っても力(実務能力)不足で実現出来なかったのと、公約に真っ向から違反した政策実現に執念を燃やすのとでは代議制民主制度に対する意味がまるで違います。
代議士個々人の約束の場合、個人的に約束していても(地元誘致案件など)党内勢力の兼ね合いで実現出来ないことは多くありますが、政党全体の公約となれば、党員一丸となってそれの実現に注力することを有権者に約束したものです。
党外との勢力関係で実現出来なくとも仕方がないですが、党自体が公約とは真逆の方針に転換するには改めて選挙で信を問うしかないことは民主制度・・国民の信頼・付託でなり立っている以上は当然の原理です。

マニフェスト(選挙公約)の重み2

公約違反と言っても選挙時に公約したことを実現すべく努力したが反対意見が多くて実現出来ないのなら、力及ばずということで民主主義制度の存続自体の問題ではありません。
普天間基地移転先として「少なくとも県外へ」と言った鳩山代表の主張が、巨大なアメリカの壁に弾き飛ばされて実現出来なかったのは、公約違反ではなく実現出来ないことを主張したという意味の失点・・政治能力がお粗末として評価されることでしかありません。
消費税増税の問題は、当時の鳩山民主党代表の選挙演説で4年間は消費税増税しないと明言しています。
(民主党のマニフェストでは消費税増税に全く触れておらず、財源は無駄の削除で捻出するという主張でした・・その結果政権を取ると事業仕分けなどに精出したのは記憶に新しい所です。)
事業仕分けの結果財源不足を全部賄うまでは行かなかったと批判されているとしても、ともかくこれは公約に従って精一杯頑張ったこと・・自民党では出来なかったことをやっているので国民の期待に応えことにはなっているでしょう。
野田総理に変わると「消費税増税に政治生命をかける」と公言したまでは良いとしても、増税の可否について選挙で「信」を問わないまま野党と談合して多数の力で法律化することが許されるのでしょうか?
自民党は時期をはっきりしないまでも、消費税増税路線を明示していましたが、民主党は4年間増税しないと選挙で主張して政権を取っているのであって、(そのために選挙戦では増税反対→財源論が大きな争点になっていて無駄の削除論・・事業仕分けに発展したのです)野田総理はその選挙の結果政権党になった党首に過ぎません。
「政治生命をかけるべき」ハードルは消費税増税の可否を問う選挙をしても敗戦を恐れないで敢然と正義のために向かって行くことこそ、政治生命をかけるに値する行動です。
選挙で負けるのを恐れて野党との談合で増税法案を通そうとするのでは、「政治生命をかける」と大見得を切ったことにはなりません。
政治生命をかけると言う言葉のまやかしです。
正義のために生命を失う危険を顧みないで危機に立ち向かうことこそ勇者であって、卑劣な手段で結果を求めるために政治生命をかける(歴史に汚名を残すために頑張る)のは、国語辞典にはない新しい用法でしょう。
マスコミは増税実現を賞賛している方向ですが・・(おだてて突っ走らせて民主党を駄目にするほめ殺し戦法かな?)もしもこういう政党(談合に応じた自民党・公明党も含めて)の存在が許されれば、信頼によって成り立っている代議制民主主義制度は崩壊してしまいます。
党として4年間は増税しないと約束して選挙に勝った以上は、野田総理が「消費税増税実現に政治生命をかける」と言ったとしてもその正しい意味はせいぜい
「消費税増税を目指して党内世論を変えて行きたい・・そのために党内で孤立して政治生命を失っても良いという第一弾の意味であり、党内世論変更に成功したらその時点で第二段階として党として正々堂々増税を公約に掲げて新たに選挙で「信」を問いたい」
「それで敗れても政治家の本望だ」
と言うところまでが、本来の代議制民主主義下での「政治生命をかける」べき行動原理です。
ところがこれらをすっ飛ばして・・選挙での主張を一回もせずに多数を握っている国会で野党と談合の上、多数決で増税法案を可決してしまうのは、数さえ多ければ何をしてもいいという最悪な政治行動となります。
こういう卑劣な行為結果に「政治生命をかける」と言うのは「政治生命をかける」意味に対する冒涜・おこがましいにも程があるし、代議制民主主義の原理を根本から覆す卑劣な行為です。
民主主義制度が現在社会では普遍的正義とされていて、これの不十分な中国や北朝鮮を常に批判しているのがマスコミですし、争乱=多数の殺傷事件が起きても(リビヤやチュ二ジュアやエジプトなど枚挙にイトマがありません)民主化運動であれば無制限に賞賛しているのが現在マスコミ界の現状です。
民主主義社会とは結果さえ良ければ手順がどうでもいい(軍事独裁でも何でもいい)のではなく、民意に添う手順・・選挙による民意に従う行為をしているか否かに最大の価値を置く社会です。
今回の公約違反と談合行為→民主主義の根本原理に反する行為を賞賛して、他方で「手順がおかしい」と批判する勢力を陰に陽におとしめる報道ばかりしているマスコミは、どのような価値基準を持っているのでしょうか?

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。