中国の脅威3(監視・粛清国家2)

中国政府も何のための統計か不明の統計数字の疑惑に応えるべく、本腰を入れ始めたという前向き宣伝・少しは統計数字を修正する姿勢を示さないと世界で信用されないと中国政府自身が感じ始めたということでしょうか?
中国もソ連のように政権が崩壊するまで本当のところはわかりません。
張子の虎・・監視強化・恐怖政治の結果、国民は何も言えないどころか、政府官僚自身も本当のことを言えないし報告できないので、却って経済実態その他で何から何まで不明・・国民不満が表に出ない結果、支配者にとっても国民の気持ちがわかり難くなっています。
専制独裁・監視社会で党大会をひらけば一糸乱れぬ全員一致の決議ばかりで、外見的には異論の一つもないまとまった?理想的社会に見えますが、内容実質は何もわからない・・混沌を絵にしたような社会になって行くのでしょう。
不満が表に出た時には、すでに遅し・・まさに末期症状・大暴動に発展するリスクがあります。
同じ専制支配体制の民族でも朝鮮民族と違って中国の場合、数百年に1回の頻度で大暴動が起きて政権を倒して来た歴史があります。
ただし、中国歴代の暴動は人民が本当に食えなくなってから・・政治がひどいとか、個人や集団が不公平な扱いを受けたという程度の不満では暴動が起きていません。
天安門事件ではデモ学生を戦車部隊がそのままためらいなく轢き殺して行く状態が報道されましたが、中国あるいはロシアなど政敵を遠慮容赦なく殺して行く社会では「このまま飢え死にするならば、殺されても元々」と人民が捨て鉢になってから初めて動きだす社会です。
ただソ連の場合、「収容所列島」と言われたように国民は簡単に国外に逃げられませんでしたが、解放後の中国人民は政府高官のように巨額裏資金がなくとも海外旅行する程度の一定の金さえあれば(中国人の日本旅行客だけでも年間6百万人もいます・・今朝の日経新聞によれば昨年中国人の国外旅行者数は1億2200万人とのことです)誰でも国外脱出できる時代です。
中国政府は不満分子を閉じ込めるより異分子は国内にいない方が良いという方向のようですから、不満なら出て行ったらそのまま帰ってこないほうが良いという姿勢でしょう。
企業で言えば建設的異論は多いほうが良いが、企業を潰す目的のような反対のための反対ばかりするようない人は企業活動を妨害するので出て行ってくれたほうが良いう意見があるのと同じです。
ですから、今の中国では命がけで反政府運動をする人など滅多にいない・・そこまでするくらいならば、国外へ逃げるというほど敵対する前に移住してしまったほうがいいという人が大半でしょう。
このように見ると平和的であろうとなかろうと、ある国の国民の国外移住頻度・希望率及び国外留学者の帰国率は国民の自国政府・政治に対する評価を表しているというべきです。
中国の1流大学では、国外1流大学等での実績・ポジションがないと採用されないという記事が今朝の日経新聞4p「ノーベル賞日本から出なくなる」という記事の中に出ていますが、その採用・還流のために破格の巨額報酬が誘因になっていると書いています。
日本では遣唐使の古代から報酬目当てに戻って来るのではなく、もともと愛国心・先進国技術文明を一刻も早く吸収して祖国の水準を引き上げたいという目的の留学でしたから留学しない同胞のために翻訳本(漢文のままの読み下し方式の発明・・明治期留学生は西洋文物の翻訳書発行)の普及拡大に努め技術摂取の場合にはすぐに帰国しては、国内後進の指導に努めるのが普通でした。
新知識を自分が一人占めして大儲けしようとする人は稀です。
司馬遼太郎作品「花神」では幕末に長州藩の危機に際して蕃書調所(ウィキペデイアによると、「蛮書調所 / ばんしょしらべしょ)は、1856年(安政3年)に発足した江戸幕府直轄の洋学研究教育機関。開成所の前身で東京大学の源流諸機関の一つ。)教授として赫赫たる名声を博していた後の大村益次郎が、藩から帰国命令が来ると名誉ある幕臣の地位を捨てて何十分の1かの低報酬の役職につくために何の疑問もなく?戻ってきて藩のために尽くす様子が描かれています。
小説ですので誇張が当然あるし記憶も定かないので実際はわかりません・・。
今で言えば、ハーバード大学等名門大学の有名教授の地位を捨てて、田舎の高校教師になるような展開です。
中国人の場合、金の力でしか呼び戻せないのですから、中国人というものはいないというべきか・・元々愛国心などないというのが一般的理解でしょう。
愛国心と言うのは同胞意識・民族国家に固有の概念でしょうから、異民族支配の時の方が長い上に異民族の方が遠慮があるからか、過酷な支配がなくうまく行っていた感のある中国大陸の歴史から見ると助け合いのために「宗族意識」はあっても民族同胞意識は育たなかった・・無理な感じがします。
これが祖国を捨ててと言うか祖国意識すらない・・世界に散らばっている華僑の基礎思考です。
こうした常識からすれば、ガンとして海外脱出を拒否して最近中国で獄死したノーベル賞受賞者劉 暁波氏の強い信念・・中国人とは思えない愛国心の強さに驚いた人が多いと思います。
劉 暁波に関するウィキペデイアの引用です。
「1989年に中国で民主化運動が勃発すると、コロンビア大学の客員研究者として米国滞在中に即座に帰国を決め、運動に身を投じる。六四天安門事件直前、他の知識人3名(侯徳健、高新、周舵)と共に、学生たちの断食抗議に参加した。人民解放軍が天安門広場に突入する寸前、4人は学生たちに武器を捨てるよう説得する一方、軍と交渉し、「四君子(4人の指導的知識人)」と呼ばれた[1「六四天安門事件の他のリーダーの多くが欧米からの圧力もあり「病気療養」の名目で出国許可される中で、1991年の釈放後も出国せずに引き続き文章を発表し、六四天安門事件の殉難者の名誉回復と人権保障などの民主化を呼びかけ、更に2度の投獄や強制労働を受けた。」
「2008年、「世界人権宣言」発表60周年を画期として発表された、中国の大幅な民主化を求める「零八憲章」の主な起草者となり、再び中国当局に身柄を拘束された[3]。以後は外国要人訪中や人民代表大会会期中は自由を失い、電話・インターネットによる交信が遮断された[要出典]。
2010年2月に「国家政権転覆扇動罪」[4]による懲役11年および政治的権利剥奪2年の判決が下され[5]、4度目の投獄となり遼寧省錦州市の錦州監獄で服役した。
7月10日、当局は 劉暁波が危篤状態に陥ったと発表し[19][20]、中国標準時の7月13日午後5時35分、妻・劉霞ら家族に看取られ、肝臓癌による多臓器不全のため逝去。 61歳没[21]。 当局によれば、最期の言葉は、妻にかけた「あなたはしっかり生きなさい」「幸せに暮らして」だったと伝えられているが[22][23]、妻は北京当局による隔離措置の下に置かれたままである[24][25][26]。 なお、訃報を受けノルウェー・ノーベル委員会は直ちに北京当局のずさんな治療責任に対して非難声明を公表した[27]。
なお、投獄中にノーベル賞平和賞を贈られ、獄中で死去したのは、1935年に受賞したカール・フォン・オシエツキーに次いで2人目である[28]。」
中国人にも国外逃亡せずに祖国のために戦う人が出て来るようになったことを、注視する必要があるでしょう。
全て金次第の民族とバカにしていると将来を誤ります・・中国ではその比率が高いと言うだけでまともな人材もいるのです。
恐怖政治に戻りますと、スターリンの粛清政治の恐怖は我々世代では誰もが実感していると思いますが、未だにこのようなおぞましいことが世界注視のテレビ放映の前で公然と行われているのが中国・・恐ろしい中国の実態です。
政府に歯向かえばこんな目にあうぞ!と言う見せしめになると思ってやったところ、逆に世界の反発を受けて驚いたのが実態でしょう。
世界との価値観のギャップに中国政府自身が驚いたでしょうが、それでも獄中の劉 暁波氏に対してノーベル賞決定したノルウエーに対して直ちに輸入規制をかけて報復しました。
すぐに目に見える報復をしないと政権が持たない苦しさですし、何か気に入らないことがあると「全て責任は〇〇にある」と言う声明を出す北朝鮮そっくりです。
北朝鮮は国力がないので独りよがりの声明を出すしかありませんが、中国の場合「市場」と言う国力があるので問答無用の腕力行使が世界の迷惑です。

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