人工授精と養育義務論理の破綻

縄文から弥生時代にかけての女性は種付けに生身の雄が必要だったので放浪しているオスを集落に取り込む必要がありましたが、これからは人工授精で超優良精子だけ選択出来る・・・・・科学的に可能な時代が既に来ていますから、男が狩り・・放浪の旅から帰ってくるのを待つ・・家に毎日帰るように飼い馴らす必要がありません。
(宗教的・政治的にこれが公認されるようになるのは、ずっと先のことでしょうが・・・。)
ただし、超優良精子に需要が集中すると遺伝子が偏り過ぎて気候その他環境変動に弱くなるリスクがあります。
そのためには、正直な遺伝子、嘘つきの遺伝子とか狡い遺伝子、頭は悪くとも胃袋の丈夫な遺伝子、政治家向け+文科系または理科系、芸術系でも稼ぎの良いのと悪いのと、運動神経が良いのと悪いのと知能指数の組み合わせ、数学系の強いまたは弱い遺伝子、音感の優れた人や音痴系の人、太め細め、骨の丈夫なタイプ、しわがれ声または美声を聞かせてくれるサービスも生まれるでしょうし、若ハゲタイプや白髪タイプなど多種多様な遺伝子を取り揃えて多種多様な人材の再生産が必要です。
極端なことを言えば、短命な遺伝子も環境激変時代には最も優れた遺伝子と言えるかもしれません。
多種多様なメニュウが用意されても、これを選ぶのは女性の好みによるでしょうから、時代の風潮によって女性の選ぶ傾向に偏りが生じてくるのは防げません。
そこで、特定性能別の遺伝子の販売供給ではなくプライバシーを気にしない政治家や芸能人などに限らず、各分野で一定以上の地位に就いた人は、公益上プライバシー権を返上させて、その遺伝子・・精子を個人氏名ではなくミックスして販売するようになれば、いろんな才能の遺伝子が継承されることになります。
野球・相撲・スケート・サッカーその他各種スポーツで上位100人、落語家や喜劇系で100人、学問の世界でも専門別に上位100人、芸術の分野でも部門別に上位100人、政治家は国会議員・知事以上になれば全員を次世代向け供給すべき遺伝子として・提供を強制してストックし、これのミックスをして行けば、その中の人柄その他を研究して選べばいいのです。
ただ、これでも遺伝子のある程度の単純化が避けられませんので、上位1000人単位にすべきでしょうか?
高齢化してからの精子では大方駄目ですから、20〜30代に採取しておいて、後に一定の成果が上がった人の分だけ市場に出す仕組みが必要でしょう。
この辺はこのテーマから外れるので措くとして、血のつながり・・遺伝を理由とする養育料負担の法思想は科学的には・・養育責任を精子提供者に負担させる社会思想の非合理性・・一定の社会システム・歴史的段階に妥当する思想に過ぎなかったのではないかのテーマに戻ります。
遺伝子売買によって超有名人にだけ養育料請求が集中することになると、如何に理屈付けしても遺伝子の連続を理由に子育ての責任を個人に持たせる・・道義的・法的に求めるのは無理が出ます。
一人で1万人分以上も子育て費用を負担出来る筈がありません。
その頃には精子提供者の匿名化が進むでしょうが、それにしてもここまで進めば、親子である(血縁・遺伝子が連続する)以上子育ては当然の義務だとして、個人責任を強調する近代以降発達した論理・・養育料負担義務づけの法思想・理論自体が破綻している・・おかしいものだと分るでしょう。
遺伝子売買が普通に行われ、性行為が生殖と関係のない社会が到来するのはかなり先の話でしょうが、現在の人工授精による出産の場合でも、精子提供者は匿名化していて何ら親の責任を負わないことは、当然の前提になっています。
このことは、今でも遺伝子の継承・連続と親の責任とは関係がないことを、例外的な場合に限定しているとは言え社会が承認していることになります。
November 5, 2010「再婚7と養育費支払1」前後で、児童手当の受給権との関係で妻が再婚したら再婚相手が連れ子の生活費を負担すべきだと書いていたことがありますが、血のつながりを基礎にするのは間違いです。

夫の養育義務1

女性の経済力低下に比例して、好き勝手に男が家に帰って来なくなると女性が生活出来ませんし、女性が働くようになっても子育て中の女性の収入が少なくなることから、男性の責任を強化する方向へ進みました。
これからは男性個々人の責任と言うよりは社会全体で、子育て支援して行こう・・すなわち子供手当・教育費手当の増額方向にあるのは明らかです。
身分保障される役人はあまり働かない、あるいはどの商売でもリスクのない方式を採用すると発展が停まるように、夫婦関係も法で生活保障されると安心した妻によるサービス意欲が低下するのは必然です。
September 22, 2010「家庭サービスと外注」前後で連載しましたが、妻のサービスが低下すると雄・夫は家に帰る楽しみがなくなって外注に頼るようになって行きがちです。
これが進めば進むほど逆に夫の家庭離れを防ぐために、婚姻費用分担義務と言う法整備・社会思想が確立(教育の成果)され、これに合わせて、今では殆どの夫がそう言うものだと思って良いお父さんに変身して毎月給与を持って帰るので、相互にそれなりの不満があっても何とかなっているのが現状でしょう。
夫になった以上は家庭を大事にしなければならないと教育されて育つと、そういうものだと思って素直にそうする人が増えてはいますが、妻のサービスが低下してくると何のために家庭が必要か疑問に思う男も増えて来る筈です。
これが独身率上昇に繋がって来ている筈です。
現在の法的経済保障は婚姻中に限られているので、婚姻解消にならないように妻もある程度は婚姻継続に努力はしますが、夫の経済力に何らかの危機が発生すると日頃の不満とのバランスが崩れて簡単に離婚に発展するようです。
この危機に際して、封印されていた母子一体感が復活して来ます。
母子一体感は総ての動物にとって子育てに必要な原理ですが、(鳥はつがいで結構やっていますが鳥は鳥類であって動物ではない?)どうして男親も育児に参加する必要性が強調されるようになったのでしょうか?
母子一体感については、04/07/10「母子一体感6(父子の絆2)」間で連載していますので今回はその続きとなります。
文明らしきものが始まって以来近代に入るまでは、遊牧民や地中海世界を除けば世界中が農業社会(小さな島を除けば漁民は主役ではありません)でしたから、基本的には大家族あるいは小家族であっても周辺の親類縁者・一族が小家族・核家族で手に負えない事柄・・冠婚葬祭、家の普請等に限らず灌漑農業では共同作業が結構ありますので、これらについては外延の共同体で助け合う社会でした。
子育てに関しては、地域の女性同士の助け合いが成り立つ社会でした。
この外延関係が次第に縮小し、外延どころか、親兄弟も離ればなれに住むことが多くなって、親族間の助け合いさえ消滅し、核家族化して来たのが近代社会・・都市住民ですが、こうなると子育て中の女性が頼りになるのは夫しかいません。
ですから、夫の役割重視の流れになって来たのは当然です。
農村社会の夫の役割は、村落共同体の共同労働に参加したりする程度でしたから、その役割を果たす夫がいないと肩身が狭いことはありましたが、夫が家出したからと言って食うに困ることはなかったのです。
子育てに関しても近くに親類縁者が一杯いて相互扶助関係が濃密でしたから、夫の手助けなど殆ど要らない社会でした。
ついでに村八分について書いておくと、外延に頼る従来の農業社会では村八分になると、核家族の一家の労力だけでは処理しきれないことが多かったので、死活問題だったのです。
朝早く起きて電車に乗って出勤し夜中に帰って来る今の都市住民場合、町内から爪弾きになっても日常生活に何ら痛痒を感じないのとは訳が違います。
ちなみに村八分の「むら」とは明治以降の行政単位の村ではなく、群れる・群がるのムラのことでしょう。
ライオンその他の動物には適正な数のグループがあるように、我が国水田農業をやって行くのに必要で最小規模のグループ単位・・たぶん灌漑設備維持管理に必要な人数で決まっていた可能性があって、それ以下ではムラの公共財を維持出来ないのでこれ以上(と言っても大きければ良いのではなく集落から歩いて物を運べる・・農地と往復出来る程度の距離の範囲の内の地域の耕作地で養える人口規模に限定されます)の集落をむらとかムレとか言っていたのでしょう。
本来我が国のムラとは共同作業の必要な範囲の集落と言う意味になります。
村落共同体は共同作業に必要なムレから始まっている以上、そのムレから村八分にされると生きて行くのが大変になるのは、ライオンでも何でも必要に応じて群れができている以上は・・ムラ=ムレからはずれると生存が脅かされるのはその成り立ちからして当然です。
団体で旅行したがる人は「個」としての旅行能力がないからでしょうし、大きな集団生活しか出来ない動物は少数では生き残れないからでしょう。
と言うことは、今の都市社会でもなお群れたがる習性の強い人は、過去の習慣から抜け出せないのか集団に頼らねば何も出来ない・・心が弱いだけのことでしょうか?
ところが個体としては弱い・旧来型種族人の方が、群れたがる弱者の集団の力を利用して、群れたくない本来強い筈の人をいじめるのですから、個体としては強い猛獣が集団の威力を利用する弱い人間に負けているのと同じです。
ところで、中国で言う「邑」にもムラと訓を当てますが、その違いは何でしょうか?

親世代の関与と養育料

 
  

若年離婚の場合、若年者には分与すべき財産蓄積が少ないのは昔から同じですが、昭和50年代中頃までは、離婚に際してたとえば私が解決した事例では将来の養育料の前払いとして800万円を払って貰い、今後一切関係なくする和解をしたことがありますが、このような事例・・親が解決金を出すことが多かったのです。
養育料請求も将来の夫の収入だけが頼りでは、不安定になるのは昔から同じで、そのために夫の実家から一時金で、前払いして貰って解決していたのです。
若年者に不祥事(刑事事件や借金)があると親世代がまとまった資金を出して解決することが多かったので一時金の財産分与に将来の扶養料を含ませる余地のある時代でした。
今でも夫の親が資産家の場合、離婚請求する奥さんから、親に出してもらえないのかと言う人が結構多いのはこうした習慣のDNAによるのでしょう。
実際今年の春に離婚した夫婦の場合、夫が離婚後もマンションローンを支払い続ける約束をしましたが、これは表面上夫の親は出て来ませんが、親の援助がバックにあることが前提でしたから、法的には請求こそ出来ませんが、実際的には結婚相手の実家の経済力は今でも無視出来ません。
親世代にとって子供夫婦がは離婚しても自分の孫ですから、孫のためにいろいろしてやりたいのは人情です。
親世代がいろんな分野で解決金を出す習慣がなくなったのは、サラ金事件が多くなった頃から親と子は経済的には関係がないとする法律通りの解決が(弁護士の主導によるものですが・・・)多くなったことに由来します。
その頃には親や伯父さんが子供(と言っても成人ですが・・・)を連れて来て弁護士相談に来るのが普通でした。
心配している両親や叔父・叔母に対して、弁護士の方はサラ金支払金までは出さなくとも良いと説明するのが普通でしたが、それでも弁護士費用程度までは出したのですが、今では親がお金を持っていても若夫婦にお金がなければ弁護士費用に関しても知らん顔の時代です。
弁護士がそのように長年かけて社会教育して来た結果ですから、仕方がないでしょう。

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