夫の養育義務1

女性の経済力低下に比例して、好き勝手に男が家に帰って来なくなると女性が生活出来ませんし、女性が働くようになっても子育て中の女性の収入が少なくなることから、男性の責任を強化する方向へ進みました。
これからは男性個々人の責任と言うよりは社会全体で、子育て支援して行こう・・すなわち子供手当・教育費手当の増額方向にあるのは明らかです。
身分保障される役人はあまり働かない、あるいはどの商売でもリスクのない方式を採用すると発展が停まるように、夫婦関係も法で生活保障されると安心した妻によるサービス意欲が低下するのは必然です。
September 22, 2010「家庭サービスと外注」前後で連載しましたが、妻のサービスが低下すると雄・夫は家に帰る楽しみがなくなって外注に頼るようになって行きがちです。
これが進めば進むほど逆に夫の家庭離れを防ぐために、婚姻費用分担義務と言う法整備・社会思想が確立(教育の成果)され、これに合わせて、今では殆どの夫がそう言うものだと思って良いお父さんに変身して毎月給与を持って帰るので、相互にそれなりの不満があっても何とかなっているのが現状でしょう。
夫になった以上は家庭を大事にしなければならないと教育されて育つと、そういうものだと思って素直にそうする人が増えてはいますが、妻のサービスが低下してくると何のために家庭が必要か疑問に思う男も増えて来る筈です。
これが独身率上昇に繋がって来ている筈です。
現在の法的経済保障は婚姻中に限られているので、婚姻解消にならないように妻もある程度は婚姻継続に努力はしますが、夫の経済力に何らかの危機が発生すると日頃の不満とのバランスが崩れて簡単に離婚に発展するようです。
この危機に際して、封印されていた母子一体感が復活して来ます。
母子一体感は総ての動物にとって子育てに必要な原理ですが、(鳥はつがいで結構やっていますが鳥は鳥類であって動物ではない?)どうして男親も育児に参加する必要性が強調されるようになったのでしょうか?
母子一体感については、04/07/10「母子一体感6(父子の絆2)」間で連載していますので今回はその続きとなります。
文明らしきものが始まって以来近代に入るまでは、遊牧民や地中海世界を除けば世界中が農業社会(小さな島を除けば漁民は主役ではありません)でしたから、基本的には大家族あるいは小家族であっても周辺の親類縁者・一族が小家族・核家族で手に負えない事柄・・冠婚葬祭、家の普請等に限らず灌漑農業では共同作業が結構ありますので、これらについては外延の共同体で助け合う社会でした。
子育てに関しては、地域の女性同士の助け合いが成り立つ社会でした。
この外延関係が次第に縮小し、外延どころか、親兄弟も離ればなれに住むことが多くなって、親族間の助け合いさえ消滅し、核家族化して来たのが近代社会・・都市住民ですが、こうなると子育て中の女性が頼りになるのは夫しかいません。
ですから、夫の役割重視の流れになって来たのは当然です。
農村社会の夫の役割は、村落共同体の共同労働に参加したりする程度でしたから、その役割を果たす夫がいないと肩身が狭いことはありましたが、夫が家出したからと言って食うに困ることはなかったのです。
子育てに関しても近くに親類縁者が一杯いて相互扶助関係が濃密でしたから、夫の手助けなど殆ど要らない社会でした。
ついでに村八分について書いておくと、外延に頼る従来の農業社会では村八分になると、核家族の一家の労力だけでは処理しきれないことが多かったので、死活問題だったのです。
朝早く起きて電車に乗って出勤し夜中に帰って来る今の都市住民場合、町内から爪弾きになっても日常生活に何ら痛痒を感じないのとは訳が違います。
ちなみに村八分の「むら」とは明治以降の行政単位の村ではなく、群れる・群がるのムラのことでしょう。
ライオンその他の動物には適正な数のグループがあるように、我が国水田農業をやって行くのに必要で最小規模のグループ単位・・たぶん灌漑設備維持管理に必要な人数で決まっていた可能性があって、それ以下ではムラの公共財を維持出来ないのでこれ以上(と言っても大きければ良いのではなく集落から歩いて物を運べる・・農地と往復出来る程度の距離の範囲の内の地域の耕作地で養える人口規模に限定されます)の集落をむらとかムレとか言っていたのでしょう。
本来我が国のムラとは共同作業の必要な範囲の集落と言う意味になります。
村落共同体は共同作業に必要なムレから始まっている以上、そのムレから村八分にされると生きて行くのが大変になるのは、ライオンでも何でも必要に応じて群れができている以上は・・ムラ=ムレからはずれると生存が脅かされるのはその成り立ちからして当然です。
団体で旅行したがる人は「個」としての旅行能力がないからでしょうし、大きな集団生活しか出来ない動物は少数では生き残れないからでしょう。
と言うことは、今の都市社会でもなお群れたがる習性の強い人は、過去の習慣から抜け出せないのか集団に頼らねば何も出来ない・・心が弱いだけのことでしょうか?
ところが個体としては弱い・旧来型種族人の方が、群れたがる弱者の集団の力を利用して、群れたくない本来強い筈の人をいじめるのですから、個体としては強い猛獣が集団の威力を利用する弱い人間に負けているのと同じです。
ところで、中国で言う「邑」にもムラと訓を当てますが、その違いは何でしょうか?

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