離婚の自由度5

離婚請求の出来る事由を順次見て行くと、第2号の「遺棄」される・・妻が生活費を入れてくれずに男が生活に困るなんてことは法律が出来た明治・戦後から、最近までの経済状態(男だけが主たる貨幣獲得能力を持ち女性が扶養家族でしかなかった時代)では想像もつきません。
男を養うために結婚している女性は、08/30/10「(1)婚姻外性行為とヒモ」前後で紹介したヒモくらいで、今でも滅多にありません。
ヒモの場合女性が養ってくれなくなれば、離婚請求権があると言うよりは、女性の方が先に愛想をつかした場合でしょうから、ヒモの方から離婚の裁判までする必要は考えられません。
ところで最近担当した刑事事件で、男性の方が高齢化(67〜8歳)して来て、(若い頃から何の年金もかけて来なかった人です)今はまだ稼いでいるが数年後には内妻(保険外交をしていました)の方が養って行くようになる状態の夫婦がいたので、チャンスとばかりに「一緒になっているメリットは何か」と聞いてみたことがあります。
やはり、女性一人だと何か家の修理等頼むにしても心細い・・家にいなくとも夜になるとあるいは数日後でも帰ってくる男がいるといないでは大違いだと言っていました。
まだまだ女性だとバカにされると言う意識が強いようです。
第4号の精神病と言っても、病気の妻を追い出すなどは滅多に考えられませんが・・人道的に無理な感じです・・・男が精神病になって生活が出来なくなると直ぐに女性が逃げ出して離婚になります。
食えないんだから仕方がないと言うことでしょうか?
女性の場合、男がお金を持ち帰らない・・その理由が病気であれ何(遊び)であれ同じことで、経済事情は文句なしの理由になる印象です。
昔から男の価値は、子育て期間中餌の獲得に苦労する母子のために生活費を稼ぐことにあった歴史がそうさせるのでしょうか?
この後で破綻主義・・有責配偶者からの請求権について書きますが、判例の流れは結局は母子に対する経済保障の有無程度が離婚の可否を決めると言えるような感じです。
婚姻制度は母子の生活保障のために始まったとする私の意見からすれば、どこの国でも生活保障さえ出来れば一夫多妻でも良いとする時代があったのは当然です。

夫婦の力学3(離婚の自由度4)

明治の法律では、男性の一方的な離婚権を取り上げて裁判所への請求権に格下げしたのですが、10月31日に紹介した条文を見ると男からの請求はほとんど認められる事由がないので、どちらかと言えばこの法律は妻からの離婚請求権を(制限的ですが、)新たに明記・認める方向に重心がありました。
江戸時代まで女性は寺社奉行所や鎌倉の東慶寺等に駆け込む(その場合3年間経過が必要)しかなかったと言われるように、強制的離婚の方法が限られていたことから見れば、特定の場合には夫婦双方から離婚請求出来ると明記したことは大進歩だったのでしょう。
この条文では夫婦双方の裁判所へ訴え出ることが出来る権利ですから、逆に言えば男からの離婚請求はこの制限列挙にあたらない限り・・江戸時代に行われていた三行(みくだり)半・・気に入らない・・今で言えば破綻と言うだけでは認められないことが明記されたのです。
現行法(戦後・昭和22年に男女平等の精神で改正されたものを最近口語体にしたもの)でも同じように「次に掲げる場合に限り、」と制限列挙ですが、戦後は男からの申立制限が視野にはいって来ている点がポイントです。
その現行の第二項を見れば分るように、これらの要件があっても裁判所は(諸般の事情を考慮して)離婚請求を認めないことが出来る仕組みとなりました。
・・借地法では滅多に解約が認められないし、雇用契約では雇い主からの解雇は滅多に認められないのと同様の運用・法制度でしたから結婚のことを戦後永久就職と揶揄されるようになっていたのは正鵠を射ていたと言えます。
この法律が出来た当初は、男による不当な追い出し離婚を防止する・・・女性・母子の生活保障が制度目的でしたので、離婚請求を出来るだけ制限する方向でした。
これが時代の進展によって次第に厳しくされて行き、つい数十年前まで(最近では判例の変更によってほぼ完全な破綻主義に移行しています)は法定の離婚原因がないと事実上認められない運用でした。
以下の条文を見れば、男が主張出来る離婚理由は妻の不貞行為くらいでしょう。
妻が不貞行為をしている場合は妻の方から出て行って帰りませんし、(逃げた女房には未練はないが・・と言う歌の文句そのままです)妻の不貞を理由に夫が別れたければ男の方から裁判までする必要性がないのが普通です。

民法(現行規定)

(裁判上の離婚)
第770条 夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。
1.配偶者に不貞な行為があったとき。
2.配偶者から悪意で遺棄されたとき。
3.配偶者の生死が3年以上明らかでないとき。
4.配偶者が強度の精神病にかかり、回復の見込みがないとき。
5.その他婚姻を継続し難い重大な事由があるとき。
《改正》平16法147
2 裁判所は、前項第1号から第4号までに掲げる事由がある場合であっても、一切の事情を考慮して婚姻の継続を相当と認めるときは、離婚の請求を棄却することができる。

離婚の自由度1(貨幣経済)

奥さんが家計を切り盛りしている場合、建前は男上位でも(男の跡継ぎがいないと家禄は貰えない・・お家断絶です)女性が実際的力を握ることになります。
(現在でも大蔵省→財務省が事実上政権の中枢にあるのと同じで、家計を握る立場は強いのです。)
米中心経済では年一回の収入を一年間でうまく使わねばならないのですから、無計画に使う傾向のある男向きの仕事ではなく、大変な企画力が必要でした。
江戸時代までの農業社会では男女格差・男尊女卑思想と言っても上級武士だけに妥当する規範でしかなかったので、一般には男尊女卑は建前でしかなく家庭内の女性の実質的地位が高かったのは、女性が家計を握っていた結果です。
古くは05/28/03「男尊女卑の思想10(明治の思想と実際2)」前後や最近では04/10/10「妻の家庭内権力」以降にこの点を書いて来ましたが、今回は貨幣経済の進展との関連がテーマです。
アラブ諸国で女性の地位が今でも低いのは商業と言っても遊牧・行商が中心でしたから、これは男性の独占する仕事(店舗での販売ですと女性が中心になります)で貨幣収入が男性のものとなっていたからでしょう。
明治以降農業社会から商工鉱業社会へと舵が切られると、元農民の多くは(商人と言うよりは主として)都市労働者に変化します。
この場合、収入源は労働に対する対価・賃金ですから、外から貨幣で持ち帰るようになったのですが、これは概ね外に働きに出る夫の役割になるので夫の立場が強くなったのです。
家庭は子育てのためにある本質でしたから、子供を置いて外に出るとなれば男の役割でした・・この関係で女性の地位が下がってしまったことを、2010-9-3「(1)家庭外労働と男女格差、」以下で書きました。
貰った賃金を渡してしまえば、(江戸時代までの習慣で家計は女性がやるものと男は思っているからで、この点は諸外国とは違います)結局は奥さんの管理であることは江戸時代と同じでも、渡す回数(米売却金のように年1回ではありません)が違うし、給与をもらって家に帰る途中で自分で使うことも出来ます。
今でも月に一回の給料日やボーナス支給日に奥さんがニコニコして迎えてくれるのは、その名残です。
明治に入ってからの貨幣経済化・賃労働化の進行が、貨幣を持ち帰る男性の比較優位性が庶民にまで浸透して行き、男尊女卑社会を現実に作り出す原動力になったと言えるでしょう。
給与または日給が生活手段になってくるとその役割りをする男は、自宅でのサービスが悪いと帰り道で一杯飲んでしまったりパチンコして帰ることも可能になります。
縄文〜弥生時代の男が、狩りをしてもその場で大体食べてしまい、女性の待つ集落まで滅多に獲物を持ち帰らなかったのと似て來ます。
ただし・・04/10/10「酔っぱらいが手土産をぶら下げて帰る意味」で書いたように、実際には通い婚の一種で発情期だけ手土産として持って行く形態であったと私は思っていますが・・・。

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