高度化社会と雇傭吸収力2

知財ではなくブランド戦略も同じで、フランスのエルメスその他ブランド品はイタリアやアジアの工場で造らせていたので、国内産業空洞化防止にはなりませんでした。
ブランド戦略は品質の高度化ではなく、有名品であることのお墨付きでしかないので、どこで造っても構わなかったのでしょう。
日本にブランドが浸透して一般化した20年くらい前からは、逆に日本の縫製が一番ものが良かったので、どこで造ったかが消費者にとっては重要になっていました。
ここ10数年前から同じトヨタ自動車でもどこの国で製造したかが一定の選別要素になって来ているようです。
とは言え、車の場合大量生産品の宿命でその差は微々たるものであって、日本が新興国の10倍以上の人件費で造るほどの価格差にはなりません。
イタリアは、今でこそ経済危機のサナカですが、最近のイタリアブーム(食事・デザインものでも)は、長年の歴史とフランスブランド品の下請け工場に甘んじて頑張って来た歴史、ひいてはフェラーリに象徴されるように、日本同様になお自国職人技術にこだわって来たところが、長期的には(自国の高度技術が少ない)英仏よりは強みだと思われます。
イタリアは1つの国と言えるかどうかの議論が元々ありますが、技術職人の雇用にこだわっていたイタリアでは大量雇用に向かなかったので、アメリカ・フォードに始まる大量生産・大量雇用時代(イタリアを除いた先進国はこれに組み入れられて来たのですが・・)にはパッとしなかったと思われます。
手仕事・技術力にこだわる雇用形態では、大量の労働力を吸収出来ませんので北部だけで1つの国にするのがやっとであって、技術蓄積のない南部やシシリー島等を抱える・・面倒を見るには力不足・・無理が来ているのではないでしょうか?
EUがついて来られないギリシャを切り離すかが問題になっているように、イタリアも南部を切り離して別の国とし、北イタリアだけならば、充分黒字国となって町の掃除もきれいに出来るでしょう。
ドイツだって東ドイツの吸収後は大変でしたし、韓国が北朝鮮が崩壊して合併することになるのを内心怖がってるのは、同じ考え方が基礎にあるからです。
企業でも赤字企業を救済するために合併したい企業はないでしょうが、国であっても同じことなのに国になると何故か非合理な選択・・領土の拡張(後進地域を抱えれば損ですが・・)にこだわる人が多くなります。
欧州の中でドイツだけが未だに元気なのは、国を(東西共に)挙げて技術・職人技にこだわる点が日本と似ているからでしょう。
第二次世界大戦時の枢軸国・日独伊が、今も立国の基礎が共通しているのは不思議な巡り合わせです。

高度化社会と雇傭吸収力1

知財やブランドと違い、高級部品輸出は最終製品の組み立て産業よりは雇用吸収力が少ないけれども、ある程度の職人とその関連産業を養える・・一定の雇用吸収力がある点がアメリカの知財やフランス等欧州諸国のブランド化による生き残り戦略よりも有利です。
20年ほど前に金沢に家族で旅行したときに、近くの丘に登ってから下り道にあった博物館or工芸館だったかで3〜4時間かけてビデオを見たことがあります。
余り時間をかけているうちに、途中でお腹がすいて来たので出て来たのですが、そこで、鍍金金箔等の工芸品製作の流れを見ていると、多くの関連職種があって成り立っているのに感銘を受けました。
知財等はそれを育てる産業・・大学等を必要としますが、完成した後の知財そのものが雇用吸収力がある訳ではありません。
伝統工芸や調理士も一流になるまでの修練が必要ですが、その弟子入り・門下生をその町で受け入れることをもって(名人が内弟子として受入れるのはホンの数人しかないとしても)産業と言えないこともありません。
大学都市と言う呼称がありますが、それは、国内の別の場所から学生を呼び込むことによって観光やコンベンション産業のように成り立っていることになります。
留学生を国外から呼び込めば、国家的産業になります。
オーストリア等への音楽家の留学は、同国にとって貴重な産業の一種となっていることでしょう。
アメリカは英語圏を広げることによって、英語を身につけるために多くの国からどうってことのない田舎の大学でも留学生を多く受入れています。
観光客はそのときに訪問地で食事したり宿泊費を消費するだけですから、私の意見では公共インフラ維持費を負担しないのでトータルとしてマイナスですが、留学生は滞在期間が長い上に自分の宿泊費と食事だけではなく衣類その他すべての生活費の支出をする外、高額な学費まで支払ってくれるので大きな利益が出ます。
これはアメリカに対する理解を深める文化政策であると同時に一種の産業政策でしょう。
留学生受入れには上記のようなメリットもありますが、我が国のように、アフリカや中国等後進国からの留学生を受入れるために奨学金を交付して(あるいは日本でのアルバイトで自活させるのでは、日本人の雇用を奪っているだけですから、)受入れているのでは蛸足配当でしかなく、雇用の受け皿としての産業にはなっていません。
ただし、例えば500人の留学生のために大学教員の雇用が一定数・・例えば10人確保されるので、留学生500人が底辺労働500人分を奪っても、ペイするという見方もあるでしょう。
日本の文化力に引かれて自費で留学して来るなら別ですが、日本政府の留学補助金を使っていると、結果的に補助金を使った高級労務向けの失業対策事業になってしまいます。
観光事業も同じで、観光向けに広大な駐車場や道路拡幅工事をしたり立派な欄干を造ったり公共工事に巨額の税を投入して外国から呼び込んでいると外国人に補助金を払って来てもらっているようなもので、実質赤字になります。
話を知財・高級部材や伝統工芸品製作による雇用吸収力に戻しましょう。
これらを育てるためのコストの方が、知財等で儲ける額よりも大きいとなれば、本来的な意味の産業とは言えません。
バイオリニストを養成した費用で、その人が仮に一流奏者になったとしてもその人の演奏収入だけでは元を取れないでしょう。
このように元を取れない職種であるからこそ、芸術系はペイしなくとも資金をつぎ込める豊かな・余裕のある社会でないと育たないとも言えます。
結局・雇用吸収力として重要なのは、育てるのに金がかかる産業ではなく、裾野産業があるかどうかでしょう。

社会構造変化と非正規雇傭の増加2

非正規労働者の増加原因の分析については、製造業等のオートメ化・電子化等の合理化による雇用減少や産業の海外移転による労働者の受け皿削減分がどのくらいで=本来新たな受け皿がなければ職からあぶれるべき人の受け皿になった分がどのくらいあったかを数字で明らかに出来る筈です。
内訳を明らかにした上で論じないと、ムード的なスケープゴート探しの主張に過ぎず説得力がありません。
非正規が増えたので正規職員が減ったのではなく、正規職場の減った分に近い非正規の受け皿を何とか用意出来たので、わが国では欧米のように失業率(欧米では10%前後が普通です)が上昇しないで済んでいると言えます。
ちなみにギリシャの失業率を見ると、調査機関ELSTATによると今年の第2・四半期で16、%の失業率と言われ、15─29歳の若年層で、失業率は32.9%だった報じられています。
ちなみに、平成バブル崩壊後増えた職場は殆どが内需振興型・・公共工事や医療・福祉関連等のサービス業・・一種の失業対策事業であって、対外的収入を獲得出来るものではないので、これは膨大な貿易黒字の蓄積があってこそ可能になったものです。
ちなみに、製造業や公共工事が駄目なら医療・福祉へシフトすべきだ・・その分野ではまだまだ人手が足りないという主張が多いのですが、一家の働き手が失業して遊んでいるならば家の掃除やお婆さんの病院への送り迎えや介護を手伝うべきだというのと同じで、一家(国家)の総収入が減ったままであることは同じです。
本来収入減に合わせて支出を抑えるのが本則ですが、景気対策としてこの逆ばりで内需拡大・・支出を増やす政策を世界中でとってきました。
この方面へのシフトは必然的に一家・国家の貯蓄食いつぶし・・フロー収支で見れば赤字政策ですから、このシフトが始まった平成のバブル崩壊以降財政赤字の拡大・・年金や医療保険の赤字が始まったのは当然です。
(年金や保険の赤字原因は、少子高齢化だけの問題ではありません)
・・ですから、対外純債権(日本国の対外貯蓄)のあるうちにこの余剰人員・失業者を減少させて労働市場の需給を均衡させてしまう必要・・・・人口減少政策を促進すべきと言うのが年来の私の意見です。
純債務国になってもまだ過剰労働力を抱えてままで失業対策的内需拡大=赤字政策を続けていると、アメリカやギリシャの二の舞になってしまうでしょう。
世界の工場として輸出していた時期に需給が均衡していた労働力は海外輸出の減少・・貿易収支の均衡化=国内需要分を越える生産力不要化に合わせて労働力過剰が生じますから、これに合わせて労働力を減少させて行かないと失業者が溢れてしまいます。
急激な労働需要の縮小に対応する人口減は(30年以上かかるので)直ぐには間に合わないのでその間の緩和策として内需振興・失業対策事業があるのですから、対外純債権国である間は貯蓄を使ってやって行けるとしてもいつまでも続けていて、その内貯蓄(対外純債権)を食いつぶしてしまうと大変なことになります。
対外純債権・貯蓄のあるうちに早期に財政赤字政策を打ち切るためには一刻も早く過剰労働力解消・・人口減を急ぐしかありません。
国際競争に不適合を起こしていた農村人口は幸い、高度成長期の余録をつぎ込んでいるうちに何とか人口縮小に成功しました。
今後は、対外純債権国であるうちに下層単純労働人口の縮小に成功出来るかが、我が国の将来を決めることになります。
この種の意見は、February 1, 2011「非正規雇用と高齢者雇用」その他で繰り返し書いてきました。

社会構造変化と非正規雇傭の増加1

パート出現のときには、人手不足時代であったために正社員もパートも双方とも増えたので社会問題にならなかったのですが、派遣制度が始まった頃にはグローバル化進展によって、海外進出→逆輸入の進展などで、日本国内生産の停滞縮小時期に重なるのでこの間正規社員が平行して減っていきました。
(あるいは、後期のとおり、正規社員を減らさないと国際競争上やって行けなくなって国内雇用を守るために非正規雇用制度が産まれたとも言えます。)
統計数字の結果だけ見ると、この間に例えば正規労働者が1千万人減って、非正規雇傭が1千万人増えたとすると、如何にも正規社員がクビになってパートや派遣に入れ替わったような印象となります。
しかし、生産工場の方で海外生産移行などを原因として国内正規社員を減らすしかない趨勢が先にあって、その受け皿として、彼等の失業を防ぐために公共工事拡大やサービス業などで短時間労働職場を増やした結果・彼等の受け皿を作れた面もあります。
非正規のシステムがあろうがなかろうが、企業は世界政治・経済の動向に合わせて海外進出し、その分国内生産を縮小してくしかない以上、これに合わせて人員削減するしかないのですから,リストラ実施の必要性が先に存在していたのです。
元々輸出産業の乏しい地域では、受け皿=失業対策としての税を使う公共事業が隆盛を極めていましたが、輸出産業のあった都会地でも必要になったところが大きな違いです、
公共工事は言うまでもなく100%税を使うし、都会地の労働力の受け皿として新たに始まったサービス関連職種の内医療福祉関連は、100%ではないまでも巨額の財政支出を伴います。
バブル崩壊後のわが国財政赤字が累増し、年金や医療の赤字が問題になって来たのは、この結果です。
リーマンショックは、赤字分を借金で賄う強いアメリカの虚構性を白日の下に曝したものですが、借金体質・借金で贅沢している虚構性が衝かれた以上借金=財政赤字の増額による内需拡大は、基本的に無理があります。
そこで我が国でも赤字削減が過大になってきましたが、福祉と公共工事の赤字のうち医療・福祉はやめられないので、公共工事激減策に進むようになりました。
リーマンショック以前から進んでいる製造現場・公共工事その他旧来産業の人減らし分の受け皿として、リーマンショック以降介護・福祉現場や観光産業の振興を宣伝してこれら分野への労働者の転換の必要性がしきりに叫ばれています。(この記事の原稿はその頃書いていたので現在形です)
これを後から見るとそんな職業を作り出すから、非正規労働者が増えたと批判をしているようなもので、内容を見ない合計の統計だけで議論すると滑稽なことになります。
これでは、せっかく失業者を減らすために国民みんなで苦労して新たな受け皿を作ったことが、却って非難の対象になってしまいます。
もしも半端な就業形態の職場を作らなかったら、行き場を失う労働者のために政府は、企業のリストラを制限する事になるのでもっと多くの正規社員が残れたと言うことになるのでしょうか?
リーマンショックによる売り上げ激減後も「労働者を一人も減らすな」と叫ぶのは勝手ですが、それを政府が強制していたのでは、トヨタもホンダも新日鉄もつぶれてしまいます(その前に海外に逃げるでしょう)から、もっと大きな失業がその次に来るだけです。
(この辺の意見は2008年秋のリーマンショック直後の年越し派遣ムラが世間を賑わしていた頃に書いておいたものです)

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