沽券・メンツにこだわる文化(韓国の戦後貧窮)4

昨日紹介したhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/4shou.html
の引用の続きです
「韓国のように資源のない国で、国を興すには貿易に頼るしかないはずである。しかし李承晩は独立前最大の貿易国であった日本との国交回復を拒否し、物乞いと強請に徹したのである。
今では信じ難いことだが、昭和三六年朴大統領が政権を取ったとき、韓国は北朝鮮やフィリピンより貧しかったのである。一人当たり国民所得の推移を下に示す。(単位 ドル)
 韓国は日本の搾取を非難するが、搾取した日本が去った後、所得格差は縮まる所か、逆に拡大したのである。勿論朝鮮戦争で国土が荒廃したことが大きいが、これとて朝鮮人同士の勢力争いが原因である。国内でも李承晩は派閥抗争に明け暮れ、ライバルを次々暗殺することに熱心であり、国民のことは全く考えなかったように思える。アメリカが統治能力なしと考え、国連統治を目指したが、その心配通りとなった。

昭和年   33    40     45     50     55
日本   320   760    1920   4450   9020
韓国   121   120     250    580   1450
北朝鮮  190   330     450
フィリピン  198   150     210     380   710
韓国の発展は昭和四〇年以降である。従って韓国の発展は明らかに彼ら自身の懸命な努力の成果である。昭和四〇年は韓国がベトナム戦争に参戦した年である。そして日韓基本条約を締結した年である。ベトナム特需により韓国経済は急激に進展した。しかし何故その時、フィリピン経済は韓国経済のように伸びなかったのであろうか。フィリピンはかってのアメリカの植民地であり、ベトナムには韓国より近い。フィリピンはベトナム特需の受注にはより有利な状況にあった。しかし韓国はこのチャンスを生かし、フィリピンは活かせなかった。この理由は韓国とフィリピンの潜在能力の差(工業の発展、インフラ整備の度合い、教育の欠陥等)である。
と同時に日本とアメリカの植民地政策の差である。」
オランダのインドネシア支配によって、飢饉発生の繰り返しによる人口激減が知られていますし、欧米による食糧援助という名の市場支配がアフリカ諸国部族の現地循環的生産システムを破壊してしまったことも知られています。
日本の朝鮮支配のゆるやかさは日本統治時代に入って朝鮮民族の人口が急膨張した結果から見てみ明らかですが、欧米植民地支配下では人口減少の一途だった点でも支配の実態・内実の差が明らかです。
欧米がアジ〜アフリカ〜中南米を何百年も支配している間に現地人は貧窮化する一方で同時に文化レベルが下がる一方だったのに対して、日本支配下ではすぐに現地人向けの学校を作ったりして民度向上策に務めて来ました。
戦後でも、日本が関わった韓国台湾アジア中国等では、例外なく短期間に目覚ましい発展を遂げています。
韓国は、天皇の表記が気にいらなかったのか?戦後頑固に日韓国交を拒否してきましたが、貧窮からはいあがれずに頼みのアメリカも昨日紹介した解説にあるように「これ以上面倒見きれない」となって、止む無く「日王」の主張を取り下げての国交回復ですから韓国民にとっては、「仕方なし条約」である点では、江華島事件後の修好条約と同じです。
その結果、屈辱外交の恨みが千年残っていることになります。
日本では、「日本の巨額経済技術援助で成長できたのに今になって不満を言うとは・・今になって次々といちゃもんをつけるとは・・」と憤っていますが、立場が変われば言い分が違います。
韓国にすれば悔しいけれども仕方なしに援助を受けたのだ・やっと一人前になったから言いたいことを言わせてもらうと言う立場なのでしょう。
敗戦でもう「終わってしまった」はずの日本にまた援助を受けてようやく成長できたと認めたくない気持ちです。
話し合ってわかる民度ではない・・かと言って、諸般の事情から仕方なしの和解をするようになっても心から納得出来ていないので、内心では恨みは連綿と一千年続くというのが朝鮮民族ののわがままな主張です。
こういう民族と何回「不可逆的和解」をしても意味がありません。
仕方ないから何でもいう事を聞いてやっていると(自分が圧倒的優勢な立場にたったと誤解して?)際限ない要求が出てくるので無理があります。
あまり執拗に言いがかりをつけてくるヤクザに「いい加減しろ」と警察を呼ぶのと似た状態です。
中国も日本から受けた経済プラス技術援助を国民にはひた隠しにしている理由が韓国同様ですから、日本の論理による恩知らずという単純批判では解決できません。
韓国は日本の経済・技術援助で実力以上の地位・・今では先進国クラブに入っていますが、成長したものの内実が伴わない・・一人前に振る舞うには背伸びし過ぎのストレスに押し潰されそうになっている印象です。
とはいえ、今の便利な生活も捨てがたいし・・という矛盾した心境でストレスに苛まれている・・会社務めの個人で言えば、療養休暇に入っていてもおかしくない状態です。
セウオール号事件での騒動や反朴運動も度を越した盛り上がり振り・24日紹介した文大統領の性急な施策を見れば、韓国では民主主義といえば、むちゃくちゃな要求を通すことが民主主義と思い違いしている様子です。
慰安婦騒動を大きくした張本人パク大統領に好感情を持っていない日本人が大多数と思いますが、彼女が自己の政治的立場を守るために始めたこととはいえ、「千年の恨み」と言うように近代社会化に心が対応できない国民感情を無視できないからはじめたことでしょう。
李明博〜パク前大統領が国民のストレス発散のために対日要求拡大を始めたのに、それがうまくいかないで逆に慰安婦合意(韓国民は千年でも日韓合意をしたくないのです)になってしまったフラストストレーションが大きく鬱積していたのは当然です。
1965年の日韓国交回復?は、その結果高度成長できたので釣り合いが取れていましたが、1昨年の慰安婦合意は韓国にとってわずか10億円でしかなく、メリットがありませんでした。
この鬱積の結果些細な不満でも爆発的になる下地があって朴前大統領を追い詰める原動力になったのですが、それにしても同大統領追い落とし感情の激しさ・・苟も自分達で一旦選んでおきながら、こんなに 悪しざまに扱う非道さに驚いている日本人の方が多いでしょう。
中国では戦争に勝つと負けた武将をいかにして辱めるかに精出してきた仁義のかけらもない国であると繰り返し書いてきましたが、韓国では今もその心情がすぐに息を吹き返すようです。
哀れな民族です。

沽券・メンツにこだわる文化(韓国の戦後貧窮)3

日本人学者にも「天皇と言うべきではなく日王」とお呼びすべきだという意見があるのかも知れませんが、これは憲法で決まっていることであるから、学問の自由の問題ではないでしょう。
憲法で「天皇」の」呼称が決まっている以上国家組織の一部である文科省が、どんな学説があろうと「日王」と言う学説を採用して教科書指導するのは憲法違反です。
ですから、「そういう主張があるから・・」という言い訳自体がおかしなことになります。
日王説が仮にあるとしても、天皇の呼称がどうあるべきと言う憲法改正論であって国家機関である文科省が、「日王の 呼称が正しいとする教育行政」をする余地がないのですから、そういう主張と天皇の呼称を天秤にかけること自体が許されません。
朝鮮民族にとっては、「日王」の蔑称こそは、どんなことがあっても取り下げられないということでしょうし、古代から日本には立派な人がいたと言う聖徳太子の存在は許せないことになっているようです。
何事でも穏便に話せばわかる相手ばかりではありません・・この話はどこまでいってもだから円満解決は無理でしょう。
どこまでいっても話し合い解決のつかないことがあるからこそ、最後は警察を呼び、裁判で決着し強制執行する制度がどこの国でもあるのです。
ましてパク前大統領自身が民族を代表して「千年でも・・」円満解決は受け入れないと断言してしまう民族です。
こういう民族と礼儀に乗っ取って話し合っても解決になりません・・相手自体が平和裡の話し合いでは「千年」譲ることが出来ないという立場を予め表明しているのですから・・。
相手の代表を蛮族の酋長よばわりして礼儀に反しないかを合理的に考える能力がないのです。
幼児や馬鹿が大人に向かってバカと言っても笑って受ければいいことですが・・。
相手にしないで放置しているとこの後で紹介する韓国起源説のように慰安婦その他デマ情報がいつの間にか世界の常識になってしまいます。
ところで、明治維新当初の国書中の「天皇」「勅令」等の文字が李氏朝鮮政府の気に障っての受領拒否になっていたのですが、これが江華島事件の後に朝鮮側がその非を認めて謝罪した上で日朝修好条約締結になったのですが、日本敗戦後再び天皇を国内では「日王」と言うようになったようですが、内外使い分けの矛盾・・大使公使の信任状授受をどうしているのでしょうか?
日本国憲法
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六  大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七  栄典を授与すること。
八  批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九  外国の大使及び公使を接受すること。
十  儀式を行ふこと。
憲法では全権委任状大使公使信任状に天皇の認証が要求されています。
天皇の御名御璽のある信任状を韓国では明治維新当時と同様に「おもて向き」受領拒否しているのでしょうか?
江戸時代当初の通信使に対する日本側返書を 間に入った宗氏が改ざんした国書改ざん事件同様に・・と韓国政府の誰かが「日王」に改ざんして国内記録化しているのでしょうか?
維新当時天皇の文字のある国書の受領拒否していたように、日本敗戦に乗じて天皇の文字を消さない限り国書を受けとれないと言い張っていたのでしょうか?
敗戦後とは言え、韓国も事実上アメリカ保護下で独立した以上、アメリカの意向を無視できません。
アメリカの意向は現憲法にあらわれています。
日本国憲法の米語訳は以下のとおりで、第一条以下「エンペラー」なっていてキングとはなっていません。
CHAPTER I
THE EMPEROR
Article 1. The Emperor shall be the symbol of the State and of the unity of the People, deriving his position from the will of the people with whom resides sovereign power.
Article 2. The Imperial Throne shall be dynastic and succeeded to in accordance with the Imperial House Law passed by the Diet.
韓国が戦勝国一員としての地位を要求してダレスに拒否されたように韓国の要求はすべてアメリカ次第でした。
天皇の呼称を国王にしろと言う変更要求が韓国からあったとしてもアメリカが受付けなかったものと思われます。
こうした色々な不満の結果、戦後1965年の日韓条約にいたるまで、韓国は断固日韓国交を拒んでいました。
貧窮のどん底の韓国に対して、これ以上援助を続けられなくなったアメリカの後押しでやむなく日韓交渉に入ったために、日本の高度成長に対して貧窮のどん底にあった韓国は、天皇の呼称を日王に変えない限り条約締結できないとは言えなかったのでしょう。
戦後韓国経済の状態は以下のとおりで、生活費のすべてをアメリカに頼る状態で自力による生活能力のない・・国を挙げての生活保護受給者のような状態が続いていました。
以下はちょっと長いので2回に分けて引用しますが、日本支配が終わった時の自力能力・日韓条約時の韓国の民度・欧米の援助・植民地支配の特徴がよく現れていて面白い分析です。http://www5b.biglobe.ne.jp/~korea-su/korea-su/jkorea/shazai/4shou.html
・・頼みの農業も日本、満州から大量の人が引き揚げてきたこと、肥料工場が北にしか無かったことから肥料不足になり、食料品まで不足した。日本統治時代は日本に農産物を売り、そのお金で、消費材を買っていたのが、その農産物すら不足する事態となったのである。更には北朝鮮からの送電を絶たれ、韓国の国民の命を守ったのは、一にも二にもアメリカの援助であった。
アメリカが軍政期三年間に行った援助総額は四億一千万ドルに達した。又昭和二〇年から朴正煕による五カ年計画が始まる前年の三六年までの援助総額は三一億ドルに達する。年平均二億ドルに及ぶ。それが借款ではなく、無償援助であった。そのアメリカも昭和三五年近くになると国際収支が悪化し、援助が苦しくなった。昭和三二年の三億七千万ドルをピークに昭和三四年には二億二千万ドル昭和三五年には二億五千万ドルに低下し、無償援助から借款への変更を予告されるようになっていたのである。これに比べれば日韓基本条約で日本が供与した一〇年間均等払いでの無償援助三億ドルは期待に外れたものであった。なおこのアメリカからの援助は国家予算の三割から五割強に達した。
当初の援助は四〇%以上がアメリカの余剰農産物であり、通算でも二五%は小麦・トウモロコシ等の農産物であった。これを国民に売り、その売ったお金で軍事費その他諸費用をまかなった。その為農産物の価格は抑えられ、農業は衰微した。通算で四二%が原材料・中間製品であるが、その中には原綿が含まれており、この結果日本時代かなり生産された原綿も激減した。」
以下明日のコラムに続きます

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