地方自治とその濫用1

政府や東電は「完全安全」と言っていたしそれを信じていたのに・・と言うならば、そもそも不安料の支払い不要だったことになります。
現実の事故発生によって新たに原発不安が増えた面があるとしても、11年3月の原発事故は電源喪失によって冷却出来なくなったことによって生じたものです。
(それ以外の事由は知られていません)
燃料棒の絶え間ない冷却の必要性は稼働中でも停止中でも、もっと言えば、何十年も前に終わった保管中の燃料棒でも皆同じであることについてはだいぶ前にこのコラムで書きました。
今回の原発大事故で新たに分かったことは「冷却装置が停電等で働かないと大変なことになる」ということだけですから、稼働停止することによっても冷却不要になりません。
原発を停止しても既に使い終わった燃料棒がある限り冷やし続けねば危険がある・冷やし続けねばならない点は同じとすれば、電源喪失の心配があることを理由に定期点検のために一旦休止した原発の再稼働反対するのは理不尽な印象です。
再稼働停止を求める意味・合理性がない・・嫌がらせ・ひいては好条件獲得の思惑以外に合理的想定が不可能です。
電力業界にとって、稼働していなくともコストがほぼ同じで莫大となれば、理不尽な条件・本来県に関係のない・県の同意を要することでない些細なことでも今後同意事項にしないと稼働に同意しないなど要求されると・・理不尽な条件でも受け入れるしかない・まるで奴隷になったような関係が形成されてしまう印象です。
・・次々と不利な条件が追加され増えて行き、将来県知事の政治姿勢次第でどんな難題でも飲まざるを得ないことになっていく・・そのツケは国民全部に回ってくるとなれば、おかしな地域エゴになります。
沖縄基地問題を見ていると地元のご機嫌を取るためにいろんな(不合理な)約束をさせる・次にはこの約束を盾にゴネル・その繰り返しが今日の収拾のつかないを引き起こした原因のような印象(素人なので詳細を知りません)を受けます。
沖縄知事の無茶な要求や態度・・統治機構の一員である県知事ともあろうものが外国に行って沖縄県民が日本で迫害されている少数民族であるかのような主張をするのを見れば・・腹の立つ人が多いでしょうが、そうすると本土と沖縄の離間感情が余計広がる・・沖縄を分離させたい中国の思うツボですから自重するしかありません。
沖縄知事の対外宣伝運動は以下の通りです。
基地移設問題・しかも知事の主張は単純な海岸埋立許可問題→国内問題であるのに、日本統治機構の一部でしかない知事が政府を通り越してアメリカに3回も行き、直接基地問題を訴えること自体が異常・統治機構のルール違反で非礼でしたが、アメリカでも「政府間で決めること」だと相手にされませんでした。
そこで、ついに民族自決権のような主張・沖縄人は先住民族で日本と別民族というかのような主張?をして1線を超えた行動に出てしまいました。
これを応援してオナガ氏に演説時間を提供したのは、国連で活動している日本のNGO「市民外交センター」ですが、以前少女売買春の国連報告で話題になったNGOヒューマンライツナウとは違います。
ただし、背後の応援団が同じ系統かどうかわかりません。
「先住民迫害は欧米だけではない・日本もやっている」という宣伝を世界に広める目的ではなく、NGOは先住民の人権救済が目的というのでしょうが、アメリカインデアンのジェノサイド・抹殺と同列に論じられても日本人にとっては、沖縄県民の何を救済したいのか理解不能です。
よほど丁寧に自己の運動を説明してくれないとNGOとは日本の悪口を(捏造して?)世界に広めるための組織なのかと誤解する人が多くなるでしょう。
慰安婦・売春婦を性奴隷とすり替えて世界に広めた日本人がいるらしいですが、沖縄人を追い出してもいないし本土の人がわがもの顔で沖縄で生活し現地沖縄県民を圧迫している訳でもないのに、先住民性を強調するのはアメリカの先住民迫害と同じようなイメージで世界に印象づけようとする一種のすり替え論です。
慰安婦を性奴隷と言い換えるなどの言語すり替えも言論/表現の自由や編集権の範囲なのか、虚偽主張なのか?歴史が裁くしかないのでしょうか。
彼らNGOは少数民族の人権擁護のために正義を主張しているということでしょうが、どういう根拠で沖縄県民を少数民族と決めているのかも(私の勉強不足だけか?)不明で(特定国におどらされ?)思い込みだけで運動している可能性もあリます。
伊達政宗が地域覇権を握ったときには、すでに天下の帰趨が決まっていた・・支配地で見れば少数でしかないので秀吉に従うしかなかったのですが、彼の支配地民族を少数民族とは言わないし侵略を受けたとは言わないでしょう。
彼ら海外活動家の行う日本批判の主張がまちがっていたときに、どのような責任を取る覚悟・体制があるのか不明です。
朝日新聞は慰安婦報道を世界に拡散することで日本民族の名誉をいたく傷つけましたが、結局なんの責任をとったか不明ですが、メデイア界での地位は急低下しました。
オナガ知事の先住民族演説の報道あるまで、ほとんど誰も知らなかったNGO「市民外交センター」の地位低下(元々どういう地位があったかすら知らない人が多い)など誰も気にしていません。
国外で日本の評判を落とす結果になる活動していてその汚名払拭に莫大な国費のかかる反日運動をしておいて、(慰安婦騒動では現地日本人がいじめにあうなどの被害が起きていると言われます)間違っていれば「忘れ去られる」だけのペナルティーでいいのでしょうか?
心底「日本のために良かれと思って行動している」と言う場合もあるでしょうから、一概に意見相違を理由に非難するのは行きすぎですが、その代わり間違っていた時に責任をどう取るべきかも考えるべきではないでしょうか。
個人で言えばどのような生きかたをするかは個人の勝手ですが、(読書ばかりでスポーツをしないで虚弱な人、スポーツばかりで読書しなかった人など「人それぞれ」です)その代わりその結果の集大成である自分の人生を引き受けることになっています。
個人で引き受けられる範囲ならばそれでいいでしょうが、他人に影響を及ぼす行為・・暴力を振るったり名誉毀損を繰り返す行為はその損害を言ったりやったりした本人でなく多くの他人が引き受けるのではバランスが取れていません。
他人に危害を及ぼす行為は自己責任の範疇を超えています。
現在社会では、言論・表現の自由といえば原則として免責される傾向・いかに多くの被害を引き起こそうとも物理的行為による被害に比べて問題にされないのでよほどの逸脱がないと自己責任の範囲にとどまっています。
慰安婦騒動の元になった吉田氏は、事実に反することを指摘されるようになると「作品」であって事実と一致する必要がないという主張で終わりでした。
以下は、ウィキペデアからの引用です。
「吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めた[47]。
1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューで吉田は以下のように語った。
まあ、本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もある。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしようがない。-週刊新潮1996年5月2/9号
と語り、自らの証言を創作(フィクション)を含むものであることをあらためて発言した[83][76]。
1998年9月2日に秦郁彦は、吉田に電話で「著書は小説だった」という声明を出したらどうかと勧めたら、「人権屋に利用された私が悪かった」とは述べたが、「私にもプライドはあるし、八十五歳にもなって今さら……このままにしておきましょう」との返事だったという[84]。」

仮処分制度と領域設定2

小さな裁判所で司法機関において利害調整を経た政府の高度な政治判断を覆すような事件について仮処分が出るようになると、これを是正するシステムが機能していないことも大きな問題です。
個人の問題ではなく組織対応・・制度の改正・そもそも即時効力の出る仮処分に馴染むのか?がテーマになってくるでしょう。
政治決定のように多様な利害参加のない司法システムでは、万に1つでも過ちが起きるリスクを修正するための上訴制度があります。
重厚な手続きをする本案訴訟の結果出た判決でさえ控訴されると直ぐには効力が出ない仕組みです。
(例外的に仮執行宣言制度がありますがこれも保証金を積んで停止することが出来ます)
仮処分は、緊急性を前提に証拠も証明ではなく疎明で足りるし、手続的にも簡単な審理ですぐに決定が出る仮処分の方がすぐに100%の効力が出ます。
しかも、これが不都合な場合に異議申し立てしても効力が停止しない(単独判事の仮処分とは違い合議の仮処分の場合、異議審も同じ裁判長なので100%停止が認められません)・・大きな事件では異議申し立ての結果が出るまで長期間かかってしまいます。
即時抗告して上級審で(あるいは別の裁判体でちがった視点から再考)緊急停止出来る制度がないのは,簡易迅速性重視の仮の裁判(誤りが多くなります)システムとしてはバランスが悪く感じられます。
これが地方などの貧弱な裁判体などで仮処分がされて仮にこれがおかしいとした場合でも、(繰り返し書くように本件仮処分内容をまだ知らないのでこの仮処分がおかしいと言っているのではありません)事実上長期間救済の方法がないので、不都合が顕在化します。
たとえば解雇無効の裁判の場合、裁判期間中労働者に給与がないのでは生活に困る・・対等に戦えないので、平等に戦えるように裁判終結までの間、賃金の仮払を命じる必要が高いし、支払う方もその間に仮に支払っても代替性のあるお金で済むので(どうせ給与を払い続けるしかないならば解雇もむやみにし難い・・抑制効果も期待出来ます)無理がありません。
また最終的裁判の結果仮に労働者が勝訴して職場復帰しても、居辛くて無理があるので金銭解決で終わるの一般的です。
これが最近簡易即決的・・スピーディーな労働審判事件が(何でも安易に金で解決しようとする点に批判がありますが)隆盛になっている所以です。
このように仮に金銭を支払えと言う場合には,代替性のあるものの供給ですから本裁判の結果覆っても大した損害がありませんが、(仮に払った賃金は事実上回収出来ないのですが、その点は解雇を仕掛けるときに数年分無駄金払ってもやめてもらう方が企業にとって得かどうかの計算をしておけばいいことです・・。
ここ1〜2年解雇を検討した事件では、毎日出勤するものの、まともに仕事しない労働者がいて「解雇するならしてくれ、裁判すると言い張っている」事件がありました。
聞いてみると網膜何とか症になったのは労災だと言って、全く仕事しないで机に座っているだけの状態が何と4〜5年経過していると言うのです。
医学的に調べても職務と関係がないようなので「裁判するしかないでしょう」と言うことで準備に入ったのですが、このとき仮に一定期間解決金支払になって元々過去何年も無駄に払って来たし今後も裁判しないと定年まで払って行くしかない以上は同じことだと言う説明をしたことがあります。
この事件は弁護士が準備に入ったことが漏れたのか、イキナリ自発退職申し出があって、事件にならずに終わりましたが・・。
このように金銭解決の場合には取り返しのつかない事態はありません。
仮に命じられた内容が代替性のない損害の場合は後で裁判に勝っても、甚大な被害が生じます。
労働や結婚・養子などの有効性などの紛争で裁判が決まるまで仮に働け・一緒住めとか、明け渡し訴訟で仮に家を壊せと言うのは、性質上おかしいことは誰でも分ります。
金銭支払その他大量供給製品に関する仮処分は、本案裁判の結果間違っていることが決まってから後で返してもらえば元に戻ります。
その間にお金がなくなって、倒産するような場合は例外中の例外です。
(個人零細企業は人間関係があるので解雇などの乱暴な事件は皆無に近いでしょうから裁判になる労働事件では大企業が普通ですので労働者一人分くらい仮に払っても倒産することは滅多に考えられません。)
これに対して「仮に働かせろ」と言う場合、職務遂行にミスばかりするような場合(修理がずさんで使いものにならないで苦情ばかり来るとか、顧客訪問約束や修理に伺う約束を忘れてしまい苦情が来て困っている社員など)企業損害が拡大します。
顧客に迷惑をかけて事業損失が拡大したり遅刻頻発、勤務時間中に抜け出すなどの規律乱れの場合、他の社員への影響・・・)裁判で勝ってからの金銭賠償と言う訳には行きません。
建物が仮処分で壊されてしまった後、数年経って裁判に勝った場合元に戻れるにしてもその間に新たな場所での生活が出来てしまうので引っ越し費用や新築費用だけの問題ではなくなります。
こう言う仮処分はもしも本裁判で覆った場合に回復不能な面があるので実害が大き過ぎるので原則として認められていませんが、これは法の縛りではなく裁判官の裁量で決めているだけです。

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