韓国民の行動様式6(紛争解決発展段階6)

前回まで引用してきた「韓国における医療紛争の動向と問題状況(二・完)」 李庸吉氏の論文の続きを紹介します。
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/438/1/r-ho_041_04_006.pdf

「・・・医療訴訟第1審新受件数は、増加の一途を辿っており、しかも近年においては爆発的な増加率となっており、事態は日本以上に深刻といえよう。
医療訴訟に関しては、世界的に増加趨勢にあるのは確かであるが、しかしそれを勘案しでも、近年においては、その増加率が50%近くに至る状況で、これは日本におけるそれ(約15%) をはるかに凌いでおり、他に類を見ない非尋常的な現象としかいいようがない。
・・・・中略・・」
「訴えの取下げも2001年以降は減少が見られるものの、日本のそれが4〜5%97)であることからすると、韓国における特徴的な現象とも見て取れる。
これは、既に述べたように、韓国においては、民事訴訟よりも先行してまず刑事告発に向かう傾向があることからすると、訴訟の目的が賠償よりも医療者に対する怒りや恨みといった感情面が先行するがゆえの「制裁Jという問題が第一儀的な場合、仮に刑事責任が問われる結果なり、あるいはそれにはいたらなくとも刑事裁判に付されることそのものがいわば社会的制裁であるとの認識を有しているとすると、その後の時間をかけた民事での争いに関しては放棄するといった行動を示すのか、或いは診療債務が治癒という絶対的な結果を保証するといった性格のものではなく、「手段債務であるということが理解できず、医師に必ず自分たちが期待した『完全な効果』すなわち完治のみを期待し、医師が医療行為の過程で最善の努力を果たしたか否かといったことには全く関心が向かないJ98) といった患者側の日常抱いている考え方ないしは感情面が先行した行動との議論があり、請求の根拠が充分にないがゆえのことなのか、はたまた立証責任の壁等によるものなのか定かではないが、日本とは違う韓国における特徴的な社会的背景が影響しているようにも感じられる。
・・・・・・・中略・・・
小括
上述の如く、韓国の医療現場においては、「医療紛争の日常化J135) とそれに伴う被害者側の集団的物理力の行使が絶え間なく起こっており136)、このため医療側は防御診療、過剰診療、診療忌避等に逃避しようとする傾向を示すことになる。
これは医療紛争を解決する既存の法制度が被害者救済に関しては無力であったり、非効率的であったためである・・・・・中略・・
注135)大韓医師協会医療政策研究所が行った実態調査0998年1月-2002年12月までの5年間)によれば、患者又は患者家族との医療紛争を経験の有無に対し、経験を有する者が44.4%(回答者1117名中496名)にもおよび、これはまさに、医療紛争が身近で日常化された現象であることを物語っている(医療政策研究所・前掲注128・43頁)。
注・・136) 医師が患者や家族から暴行や暴言を浴びることはすでに日常茶飯事で、医師自身も医療事故の後遺症や経営悪化に苦しみ、自殺にまで及ぶケースも稀ではないようである(2007年9月15日付朝鮮日報〔インターネット版J
・・・・・・・・中略
冒頭に示した医療訴訟が急増している現象も、国民の意識水準向上により、かつての「物理力による私的な解決よりも法的枠組み内において合法的な手段を通じて医療紛争を解決しようとする傾向が漸次埼加しているという現象」とも見ることができることから、これを「否定的側面としてではなく、肯定的に解析J140)することも可能であろう。・・・・・・



韓国民の行動様式5(紛争解決発展段階4)

8月20日に紹介した日韓の統計では、訴訟提起後の和解成立率の日韓格差は厳然としています。
ただし1992年から韓国では訴訟事件に対する調停回付が始まっていてその結果が出始めていることが上記統計でも分りますが、その成立分をプラスすると訴訟提起後話し合い解決に至った分は2倍ほどに増えている印象です。
上記論文の注を引用ししておきます。

「87)韓国民事調停法(1990年制定)第6条は、「第l審受訴裁判所は、必要があると認める
場合は、訴訟の係属している事件を決定でもって調停に回付することができる。」と規
定する。元来、当事者双方の合意のある場合にのみ調停悶付を認めていたが、1992年
の同法改正により、職権調停を認めたものである(金祥沫・前掲注85・255頁)。
(龍法’09)41 .4, 1 79」

客観資料が出そろっても簡単に和解しない国民体質に合わせて強制的?に調停に回付して裁判手続きから一旦外して、じっくり話し合いしてもらうことにした成果が出たと見るべきでしょう。
それでも統計最終の2006年でも、併せて漸く合計約30%です。(日本は和解成立だけで「60%)
日本の場合、訴訟前の調停解決あるいは訴訟前示談解決が多いので、(当事務所でも訴訟前の弁護士間交渉による和解解決が殆どです)訴訟提起率が人口比で韓国の半分以下になっていて,しかも訴訟になってからでも和解率が(韓国の調停成立分を合わせても)2倍以上ありますから、実際には統計以上に円満解決が多い社会です。
日本では、理論やケース上の当てはめで訴訟前の交渉が成立する場合の外に、訴訟になるのは以下のような場合です。
① 双方代理人のスタンス・・(先端医療技術等で判例がまだ未成熟な場合や)法的見解が違い過ぎる場合、裁判所の判断を貰わないと前に進まないとき
② ルールに関して意見が一致しているが、第三者を証人尋問してみないと実態が分らないケースでは、一応証人尋問までやってから和解交渉しましょうというケース
上記①の場合、裁判所の主張整理段階でケリがついて、裁判所の整理を前提に和解交渉になる場合が殆どですが、この整理に納得しない弁護士が飽くまで上級審の法的見解を求めたい場合、判決になります。
イ・・裁判所の法的整理には双方納得したものの、その当てはめの事実関係が微妙で、証人尋問してみないと結果が見えないとき。
ロ・・証人尋問の結果どちらかがはっきりするとそれを前提とした和解交渉となり和解成立率が高くなります。
ハ・・証人尋問したが結果が見えない微妙な言い回しで終わった場合、双方判決待ちになり、証言の微妙な言い回しの評価次第で勝敗が決まるので負けた方が高裁の判断を仰ぎたくなります。
この場合でも当事者は事実を1番良く知っているので、「先生モウ良いです」と言って控訴しないこともあります。
日本の弁護士は当事者がいくら興奮していても、筋の通らない主張に応じてそのまま提訴することは滅多にありません。
「お金がいくらかかっても良い、相手に払うくらいならば先生に払った方が良い」と言う人は要注意です。
こう言う人は無茶苦茶で合理的な意見を聞く耳がないので、このような人の事件をうっかり受任すると裁判が進んでもまるで話にならずに進退に窮している弁護士を見かけます。
韓国では弁護士自身が、依頼者の非合理な主張を法的チェックもせずに提訴してしまい和解も出来ず、収拾がつかなくなっている事件が多いのかも知れません。
国民の民度だけではなく、弁護士・・法律家のレベルも訴訟前解決や和解成立率に関係します。
ところで、何かの被害を受けたと思い込むと、韓国では訴訟以前にまず、医療施設等の破壊や集団暴力・抗議事件による施設ぶちこわしなど・・刑事告訴等が先行するのが一般的らしいです。
7月6日にサンフランシスコ空港で起きたアシアナ航空の着陸失敗事故では、無事であった?乗客が機長を取り囲んでボコボコに暴力を振るっていたとネットで報道されていましたが、他所の国でしかも報道陣注視の中でもこういうことを恥ずかしげもなくやらずにいられない民族性を白日の下に曝しました。

韓国民の行動様式2(紛争解決発展段階2)

韓国で2000年ころから訴訟提起率が急上昇して来たのは、暴力・破壊行動に訴えるばかりではなく、法的解決の自覚(制度整備も貢献しているでしょう)が出て来たことによって、(私流の読後感・印象・解釈ですから正確には 李庸吉氏の論文全文にあたって下さい)訴訟提起率が上がって来たらしいと解釈出来ます。
(みんなが暴力行為をしなくなったと言うのではなく、今も集団暴力から始まる傾向がありますし、裁判しながらもなお押し掛ける人もいます)
次回以降で同論文の一部を引用して書きますが、韓国では患者側で医療ミスがあると思う(被害感情で)と医療施設破壊や暴力事件が先行するのが常態であったと上記論文で明記されています。
当たり前のことですが、私の書きたい・都合の良いところだけの抜粋(大方の論説はそう言う傾向があります)ですから、読み間違いもあるので時間のある方は引用先を書いていますので全文を原典に当たってお読み下さい。
訴訟提起率が高いのは自主的話し合い解決能力の低さを意味しているのですが、訴訟提起率急上昇前の社会では、日本のように静かな話し合い解決が出来ていたのが出来なくなったからではありません。
その前には集団的押し掛けによる医療施設破壊や暴力事件などの暴力的解決に訴える人が多かったから、訴訟提起率が低かったとすれば統計も意味が違って来ます。
訴訟社会と言われるアメリカも西部劇/荒野の決闘その他で有名なようにアメリカでは集団抗議活動ではなく個人が銃で勝負する社会か訴訟で勝負するかの点は違うとしても、話し合いなどその前になかった点では同じです。
世界中で日本以外では皆同じでしょう。
17日に書いたように韓国では医療訴訟提起率が急激にアップして日本の人口比で二倍以上にのぼっていますが、短絡的暴力・破壊行為に走っていた中で一定割合の人が訴訟での解決を選択するようになったのは、一定の社会進歩の段階にあると評価出来ます。
専制君主制→軍事政権下で古代から最近まで自分の意見を何も言えなかった民衆が、漸く集団の力を借りて不満を表現出来るようになったのが集団暴力・破壊行為時代です。
これは中国で頻発する集団抗議事件発生の背景・・発展段階です。
韓国で強圧的軍事政権から民選大統領への移行後、徐々に人心が民主政治=言論で勝負する社会基準に慣れて来て漸く法治国家らしい外見が2000年ころから出来つつあると評価出来ます。
訴訟社会化・・合理的解決志向社会に入ったとしても、その段階では自発的解決を放棄した・自分や集団行動による腕力だけ(と言う意味は暴力との並行的社会になっただけです)に頼らない代わりに第三者の強制権力頼みである本質が変わりません。
裁判さえすれば良いのではなく、訴訟に出て来た客観資料に基づいて言論・理性で解決するようになる・・合理的説得を受入れる意識の成立には、さらに時間がかかります。
この段階でとどまっている韓国社会の場合・・どちらの主張が合理的か否かではなく権威者がどちらの見方をするかに中心関心があるので、合理的資料に基づいてせっかく裁判結果が出ても「不当判決」という決まりきった怒号しかありません。
我が国でも左翼系運動家の裁判対応には同様なことが多いのですが、(「不当判決」と大書した大きなプラカードみたいなものを持って裁判所から出て来る報道を良く見かけます)暴力的右翼街宣活動家構成員同様に左翼活動家にも朝鮮系の人が多いのかも知れません。
同論文には上訴率の統計表が別に出ていますが、和解に滅多に応じない体質は勢い上訴率の増加に繋がると読めば良いのでしょうか?
このような精神土壌にある韓国人との関係・・日韓の政治懸案は、合理的話し合い解決が元来不能・不向きで、(相手が合理的に決める気持ちがないのですから・・)裁判や軍事政権に匹敵する更に上位者の(今はアメリカ)の裁定・お墨付きが必要な社会と言えます。
日本は古代から連綿と続く合理的話し合い文化ですから、アメリカの裁定次第で道義に反した決定でも黙っているしかないのでは、日本国民が納得出来ません。

韓国民の行動様式1(紛争解決発展段階1)

在日〜帰化した元在日も日本社会にうまく同化していて優しくなっているとした場合=元からの日本人同様の犯罪率であると仮定すれば、遺伝子の問題ではなくなります。
韓国・朝鮮社会では、何故直情的行動が常態化していて日本に対してだけ言いがかり社会になっているのか・・それがいつからかの疑問に戻ります。
韓国では国民同士でも何かある都度ヤクザみたいに言いがかりばかり付け合っていて、その内気に入らないと直ぐに暴力をふるっているのでしょうか?
そんなことみんなでしていたら,話し合いではなく言い合い・罵り合いばかりで日常生活が成り立たないでしょう。
やはり日本に対する場合だけ甘えがあるのか、背後でアメリカがお墨付きを与えているので心配なく力んでいるのではないでしょうか?
韓国では現在でも労働争議になると(日本で言えばヤクザ同士の果たし合いのように暴力剥き出しで)激しいし、強姦その他暴力的事件発生率は日本の比ではないと一応聞きますが・・・・。
韓国でもそのとき以外は一応真面目に働いているのですし、商店でもどこでも従業員同士や客と店員間で喧嘩ばかりしている訳ではありません。
日本のヤクザも毎日喧嘩しているのではなく、回数にしたら地域で時々行われるお祭り程度の頻度で揉めているに過ぎません。
しかし、ヤクザでも日常生活で統制が取れているのは、組織の論理に従わないと鉄拳制裁が待っているからです。
その他の日には一応まじめにおしぼりを配って歩いたりしてそれなりに生活しています。
何かあるとこじれ易い・・こじれると際限がない次々と言いがかりをつけて来るのがヤクザということです。
こう言う社会では、いくら根気よく話し合ってもキリがないので、強権的政治・・上位者による権力的抑え付けが必要になるでしょう。
古くはユーゴスラビアで、カリスマ的権威を持っていたチトー大統領の没後大分裂して、クロアチア戦争に発展したものですし、最近ではエジプト等の騒乱その他後進国では頭から押さえつけていた独裁権力が崩壊すると、直ぐに騒乱になって収拾がつかなくなるのが普通です。
話し合い解決する社会的能力のない社会では、市民間の争いをいくら当事者間で揉んでいてもケリがつかない・・腕力の強い方が勝ち→暴力化する一方ですから、軍事力や裁判で決着を付けるなどの強制力による早めの解決が合理的です。
私の今日の意見骨子は、暴力解決傾向の高さが、次の時代に訴訟提起率の高さになって行く段階発展論と言うべきでしょうか?
権力介入率・韓国の訴訟提起率が分れば簡単ですが、今のところ全般の司法統計が日本語では見つからないので、

「韓国における医療紛争の動向と問題状況(二・完)」 李庸吉氏

と言う題で医療訴訟に特化した龍谷大学の論文があって、そこ医療訴訟の日韓別の統計が出ていますので、この部分を次回以下で紹介します。
これによると訴訟提起数の比率自体は分りませんが、絶対数値を人口比で比較すれば提起率が大方分ります。
20日に紹介する統計表のとおり韓国では、2000年代に入ってからの年間提起数が900〜1000件で推移していて日本とほぼ同じですから、韓国の人口が日本の約半分(約四割)で、医療水準が仮にほぼ同じ・・医療ミス比率も同比率と仮定すれば日本の2倍以上の比率で訴訟提起されていることが分ります。
2000年以降の比率をこのコラムで何故取り上げるかと言うと、そのころまでは暴力・破壊行為に訴える解決が主流であったことが、上記論文に書かれていますので、当時の提起率を見てもが話し合い解決能力を見るこのコラムの関心では意味がないからです。

 

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC