発光ダイオード特許事件5(日本文化批判はどうなる?3)

中村教授に批判攻撃された日亜化学と日本文化の修復可能性に戻します。
個人的事件でも同じですが、訴訟外で相手方の悪口雑言を口外した人とは、訴訟で形式上和解しても
「二度と付き合いたくない」
というのが普通の人の行動でしょう。
4〜5年前あるいは昨年扱った労働事件も、企業側はあいつは元々グータラで・・と言いたがるのですが、弁護士としては事情聴取で得た元従業員の良い点を最大限を活かした言い方で「期待していたのに残念なことになった・・」という態度で相手に接するし、相手弁護士も「本人は会社には感謝しているが残業手当不足分だけいただけたらいいのです」・というスタンスでお互い冷静にデータチェックを進め円満和解に至る例が多いのです。
お互い当事者の不満タラタラの主張を吐き出さないのが礼儀ですし、悪口を言いたいだけ言って恨みを残しても意味のないことです。
中村教授は感情に走って(弁護士のアドバイスを振り切って?あるいは知恵をつけといて弁護士は無関係を装っているのか不明ですが)独自記者会見を開いたのでしょうか?
ところで
「ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。」
と何か日本社会が失ったものがが大きいような記事の書き方です。
彼を支持して来たメデイアの発想でノーベル賞受賞でリベンジした・・この勢いで修復を申し出ればうまくいくのではないかと言う、あくまでパワーゲーム的思考だったのでしょうか?
3名ものノーベル賞同時受賞で沸く日本に帰れば、「屈辱的和解」を飲まざる得ず米国での研究生活に没頭すると言って日本から去らざるを得なかった彼にとっては、凱旋将軍のような気分になったでしょう。
修復を求めるとは言いながら同時に研究のエネルギーは(自分を正当に評価しないことに対する)「怒り」(日亜化学と日本社会?)だと明言している点を日亜化学が重視したような解説もありました。
日本では評価されず屈辱的結果になったが、ノーベル賞受賞出来たではないかというリベンジ論で帰ってきたことになります。
しかしこの論理には飛躍があります。
同時受賞の他の2人も同じダイオードの受賞者であり赤崎氏だったかはむしろ草分け的存在ですが、彼ら二人が高額報酬を得て中村氏だけが程評価されなかったというなら日本社会は偏っていることになるのでしょうが、彼ら2人は大学に残って組織内の名誉で満足して生きているのです。
ノーベル賞を受賞したと言っても200億円もくれるわけではなく名誉が主たるご褒美である日本の対応と変わりません。
勝者の気分で日本に帰ってみると、早速中村氏は米国人であって日本人ではないというネット批判の洗礼を受けました。
誰とでも仲良くできれば仲良くしたいのは人情ですが、一定限度を超えた人とは金輪際付き合いたくない」というのも一つの見識です。
隣国とは仲良い方がいいのですが、際限ない悪態には堪忍しきれない・・対韓関係では我慢の限界・「もう近所付き合いしたくない」というのが今の国民大方の意見でしょう。
企業側・日本全体にとっては、ノーベル賞受賞者は世界にゴマンといますので誰と付き合うかを選べますので、「こういう人柄の人と共同作業するのは金輪際はごめんだ」と事実上宣言されたということでしょうか。
日亜化学との真の和解ない限り日本社会が受け入れない・他企業も近づけないということでしょうか?
大々的メデイア露出を繰り返した結果、日亜化学・ひいては日本社会を足蹴にして出て行ったイメージ?(当時の論争・どういうやりとりがあったか報道の一部しか知らないので正確には不明ですが・・)が日本社会で定着しているようです。
中村氏が、日本など相手にできないと国を飛びだし米国籍をとってしまった反日?イメージ定着してしまったものを今更払拭するのは大変でしょう。
屈辱的和解を受け入れた時に「日本司法は腐っている」(・・日本など相手にしない・・)「研究に没頭する」と見栄を切った彼がノーベル掌受賞を機に、日亜化学との修復を何故望み、門前払いされて何故「落胆」するのでしょうか?
日本という信仰集団からの離脱効果・・今になって心に沁みているということでしょうか?
この辺は日本教ともいうべき宗教心みたいなものですから、外国人には理解し難いことでしょう。
外国人でも優秀ならば日本企業は付き合うのですが・・彼に限って付き合えないというのは、日本教・集団倫理を積極的に裏切った男としてのわだかまり・・軋轢があるのでしょう。
彼が日本国籍を喪失している場合、日本国籍を再取得したいといっても、「日亜化学との関係修復していただけませんか?」と暗黙のニュアンスが伝わっているのかもしれません。
外国人の国籍取得は一定の要件をクリアーした時に大臣が許可できるだけであって法律要件クリアー=許可ではありません。
許可は政治裁量によるので、政治的な反対が多いと簡単ではありません。
韓国は感情9割みたいなところがあって、「言い過ぎる不利」に気がつかないようで、・今の韓国に対する日本人多くの感情は、ついにもう付き合いきれない・ダメだという段階になってしまったのと似ています。
韓国国民は日本の怒りの深さに焦っているようですが、(日米から離反して、北朝鮮と中国につく戦略の文政権にとってはその方が好都合でしょうが・・)詫びを入れるどころか開きなおって日本非難を拡大する一方ですので、いよいよ相手にされなくなるでしょう。
中村教授は元日本人として「さあどうする?」というところです。

発光ダイオード特許事件4(日本文化批判はどうなる?2)

日本は大人の国ですから、表向きの祝賀と日本文化・日亜の企業批判を世界で展開したことに対する恨みとは別です。
韓国のように口を極めた批判や反論をしませんが、企業の反応が日本的です。
中村氏は、報酬分配率が低すぎるという争いは、それ自体プロ法律家に委ねて淡々と合理的に主張して行けば良かったことです。
彼は自分の正当性を主張するために日本文化批判をしていたのでしょう(批判内容を知りませんのでまた聞きです)が、教育制度や日本文化批判は訴訟の勝敗に関係ないことです。
我々一般事件でも、「相手方は日頃からこんなひどい人」だと頻りに言いたがる人がいますが、(そうですかと聞いていますが)我々プロとしては事件勝敗に関係ないことが多いのでそういうことには原則として取り合い(主張し)ません。
個人攻撃やメデイア発表や政治批判と結びつけたがる人は、自分の主張や証拠に自信がないときに「大手企業従業員や国家公務員がこういうことをして良いのか!社会問題化するぞ!という一種の脅迫的効果・相手が事件になるのを嫌がって有利な交渉ができるの?を期待していることが多いものです。
原発その他政治的訴訟の場合、やたらとメデイア露出が多いのは、この一種と言えるでしょう。
訴訟で勝ってから公表するのは合理的ですが、誰でもどんな言いがかり的訴訟でも訴えていき自体自由ですから、政府やだれそれを訴えたというだけでは本来報道価値がないはずです。
まともな根拠がある訴訟かすら分からないのに、訴え提起直後のの記者会見をそのまま報道するのは、一方の主張に偏し、報道の中立性違反報道というべきでしょう。
こういう場合、訴えられた企業の多くは、「訴状を見ていないのでコメントできない」という報道が普通です・・結果的に双方意見聴取したという外形的公平を確保している装いですが、被告とされた方は言い分を全く言えない仕組みが横行しています。
訴訟では基地の場合騒音程度、原発の場合地震の影響等々詳細な科学的知見にもとずく技術論が論争テーマですから、これについていきなりマイクを向けられても相手の訴状も見ていない段階で原告の主張・論建てに具体的反論をできるわけがありません。
こういうスタイルの大々的報道が多いのは、メデイアの期待する結果を求める(場合によっては事前打ち合わせ済み?)訴訟だからでしょう。
訴状提出直後に記者会見を開いて宣伝するパターンは、勘ぐれば?原告主張自体の弱さを補強するためにメデイアを利用しようとする人や勢力が訴訟外の効力・パッシングを期待する場合が多いように思われます。
一般事件では、弁護士が人格攻撃に参加するのは恥ずかしい(結果的に道義的・品位を害する?)事だという意識が普通です。
日本文化批判大好きメデイア界が中村氏が不用意に吐露する感情に飛びつき彼を煽りに煽った結果、訴訟外の発言が国際的フィーバーになった・彼は利用されたのでしょうか。
弁護士がその記者会見に同席していないとどこかで読んだ記憶ですが、訴訟に関係ない主張に関与したくないという意見相違があったからでしょう。
16日紹介した山崎氏の記載では
「和解成立の時に「中村氏自身が、判決後の記者会見で、「100パーセント負けだよ」「日本の裁判制度は腐っていますよ」と興奮気味に怒りをぶちまけている」
と言うのですから、上記発言が事実とすれば法律家でない素人としても異常です。
そもそも不満なら和解に応じなければいい・その上で判決を貰って判決内容を公開して世間の批判に晒せば良かったのに、これをしないであえて密室協議解決を受け入れてから司法制度批判するのはルール違反です。
非公開の和解で決まった以上、裁判所が勧告した背景説明・・論理を判決のように公開できません。
裁判所が弁解出来ないのをいいことに無茶な批判をしている・卑怯な争い方をする人だな!と受け取るのが常識人の受け取り方です。
弁護士の意見に従って裁判所の提示する計算式に応じたのですから、裁判所の提示した寄与率・成功率等の計算根拠等に反論できなかった・裁判所の提示を正しいと認めたからでしょう。
裁判所提案を合理的なもの・・自分らの従来主張が非合理な論理組み立てであったと認めて応諾しておきながら、こういう手前勝手な意見をメデイアで公表する人とは、まとも会話になりません。
一般的に不合理な主張や声明は報道価値がないのですから、これを大々的に公的メデイアが取り上げること自体、メデイアの見識が疑われます。
メデイアとしては、こういう非常識な主張をする人だと一般に知らしめる目的で反面教師的批判をすべく報道する場合もあります。
「韓国・中国でこういう反日批判がある」と報道するのは、中国、韓国の動きが正しいというのではなく、こういう非常識な主張をする国だと言う意味を含めて行っていることもあります。
ネットでは「A社は人民日報・新華社の日本支社だ」という批判すらありますが、中国で取材活動する限り中国批判は書けないが、その通り報道して日本国民に中国の動きを伝えるのは良いことです。
この点フリージャーナリストは、中国批判をジャンじゃんやっても、その後危険を避けるために中国へ行かないようにすれば済みますが、企業・大手メデイアは事業継続が基本ですから、明日から中国取材基地閉鎖する訳に行かない(日本にとっても現地取材基地を引き払うのは国益に反するでしょう)のでこういう報道方法になるのは合理的です。
しかし言論の自由がある国内報道ではそういう配慮不要です。
非常識意見を言う人はゴマンといますが、メデイアは個々人の非常識意見を一々報道する必要がありません。
政治家の意見ならば、馬鹿なこと言えばそれ自体を批判する公益性がありますが、個人の主観的意見はもともと公益性が低いので非常識意見は報道価値が低いものです。
にも拘わらず非常識な意見を大規模報道するのは、その編集発行者がその意見を支持しているからではないでしょうか?
発光ダイオード事件の結果は日本経済にとって重要関心事ですから報道価値がありますが、価値があるのは和解を含めた訴訟結果であって、個人コメントの価値ではありません。

発光ダイオード特許事件3(日本文化批判はどうなる?)

発光ダイオード訴訟で訴えた方は、自分一人の功績だと思い込んだわけではなく貢献度を高く見たのでしょうが、価値観的に見れば、将来名誉(現役集団参加者の水平分配だけでなく将来利益を温存し子孫段階での新たな挑戦資金にする)より現世利益という欧米型選択をしたのかもしれません。
結果的に山崎氏のいう集団成果がもっと大きいのでないかの指摘に合理性があって、1審判決から見れば雀の涙ほどの和解金で和解するしかなくなったように見えます。
発光ダイオード事件は集団と個との分配争いが争点だったように見えます。
山崎氏意見を再掲します
「中村氏が批判し罵倒してやまない日本の集団主義的研究生活よりも、アメリカの大学の個人主義的研究生活の方が、より豊かな研究成果をもたらすだろうとは、私は思わないからだ。
「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさに、中村修二氏が気付くのはそう遠い日ではあるまい。」
哲学者山崎氏とすれば文化の激突に関心があるのでしょうが、米国でも研究は一人で孤独に行うものではなく、巨大な研究組織・・チームで行なっている点は同じです。
問題は、組織内貢献度の測定方法でしょう
現代の研究開発は学者が書斎で考え抜いて鉛筆一本でできるものではなく、一定のコンセプトが決まってもそれの実験装置など巨大なコストがかかるので、米欧でも研究所と製造企業一体化した巨大組織が必須です。
研究と言えば大学が独占しているものではなく、製薬事業などでは研究開発費の負担に耐えかねて世界企業同士の合併が盛んです。
この点は16日紹介した実務家らしいhttps://system.jpaa.or.jp/patents_files_old/200408/jpaapatent200408_041-049.pdfの意見が妥当でしょう。
この4〜5年世界の大手自動車企業の合従連衡が進んでいるのも同じ原因です。
山崎氏の言う日本の強み?「集団主義」的、「協調主義」的な日本的システムの強さと豊かさ」といっても今や世界的に集団での研究開発が一般的です。
集団利用メリットとそのマイナス面を勘案するのがこれからの道でしょうから、集団であれば良いものでもありません。
日本の方が師弟関係に縛られて、縦系列に縛られた枠内研究・師の思想方向内の研究が多いのが現状です。
私の関係する法律学者もその傾向が顕著です・著名学者に関するウイキペデイア記事も「誰某に師事した」という紹介が多くを占めています・その人の基本的主張がそれでわかるからそういう紹介が主流になっているのでしょう。
医学界の白い巨塔だけではなく、ピラミッド型師弟関係に縛られている点はいろんな学界で似たり寄ったりでしょう。
昨日の日経新聞記載の履歴書には、経営学・文系でも恩師の系列を離れた共同研究の重要さを書いています。
世界中が集団・組織的成果を競うようになった現在、日本の方が集団行動の歴史経験が深いと言える程度の違い・系列集団知を超える発想を縛る傾向のマイナスの方が大きいか?・・でしょうか。
日本の過去の偉人・・日蓮等の出現は、叡山の集団知の束縛から飛び出す必要のある時に飛び出す人が多く出ていたことを現しています。
殻から飛び出すだけの、馬力や能力がないから、飛び出せない人が多いのも現実です。どちらの社会の方がいいか悪いかの単純区分け問題でないように見えますが・・。
起業しにくいから新規事業が出にくいとも言われますし、あんちょこに資金が集まるようになるとあんちょこ起業=あんちょこ倒産の多い社会になり、社会の安定を損なうでしょう。
アメリカの方が就職先を飛び出し起業するのにそれほどのエネルギーがいらない社会ということでしょうか?
集団知の必要な点はどこの社会でも同じですが、その拘束力の緩さをどうするかが時代に応じた知恵の出しどころでしょう。
山崎氏の意見は、素人の私がいうのはおこがましいですが、ちょっと言い過ぎの印象を受けます。
山崎氏の言う文化論の続きですが、もう一つの視点である日本文化訣別・企業文化批判?の後遺症がどうなるかです。
中村氏も言いすぎたように見えます。
この辺の中村氏による関係修復の動きが以下の通り出ています。
中村氏はノーベル賞受賞資金約半分を徳島大学に寄付するなど、ノーベル賞受賞による日本人全体の祝賀ムードをチャンスとして、日亜化学との復縁を目指したようです。
賞金一部を徳島学に寄付したという報道でした。
https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG06H5B_W5A200C1CR8000

中村教授が徳島大に寄付 ノーベル賞の賞金の一部
2015/2/6付

https://www.sankei.com/west/news/141126/wst1411260003-n2.html
2014.11.28 11:00

虫が良すぎる?ノーベル賞・中村氏の“復縁”申し出、“大人の対応”で拒絶した日亜化学…わだかまり示す証拠を発見
過去は忘れましょう-。ノーベル物理学賞に決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校の中村修二教授が、発明の対価をめぐり法廷闘争を繰り広げた元勤務先の日亜化学工業(徳島県)に関係修復を呼びかける一幕があった。両者の関係は歴史的な雪解けを迎えると思われたが、日亜化学側は中村氏との面談を“大人の対応”で拒否。和解から10年近く経てなお残る天才研究者と企業のしこりが浮き彫りになった。
・・・・日亜化学が発表した公式コメントは冷ややかだった。「貴重な時間を弊社へのあいさつなどに費やすことなく研究に打ち込み、物理学に大きく貢献する成果を生みだされるようにお祈りする」。
一見、やんわりと断っているように見えるが、日亜化学関係者は「社長を含め会社として中村氏と面会するつもりはない」と決意は固そうだ。
・・・今回の復縁が実現しなかったことで、ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。中村氏は11月5日、記者団の取材に対し、日亜化学が面会を拒んだことについて「非常に残念。これ以上の進展はない」と落胆した様子で語った。
関係改善への道は、これで完全に断たれた。

発展を急ぐ社会3と文化

欧米価値観では、在任期間が長かったことや、非合法に会社資金流用していたとすればそのことだけが批判対象でしょうが、日本価値観ではコストカット=容赦なく切り捨てる経営自体が上に立つ者がやってはいけない暗黙の合意のある社会です。
せいぜい許されるとすれば、日産の危機回避のためにやむなくとった非常手段としての位置付けですから、一段落したら整理の責任者が元社員を訪ねる陳謝の行脚をしなければ許されない・「辛い思いをさせましたが皆様の犠牲があって、今企業が立ち直れました」・・)風土です。
こういう風土ですから「身を引いた人たちの犠牲の上にある」という意識・・今の繁栄が自分の手柄のように自慢するようなことが許されない社会です。
(毛利や上杉が所領大幅減にも関わらず家臣団をそのまま維持し続けたことが美談として伝わる国がらです)
ゴーン氏が豪奢な生活をしていたとなれば国民感情として納得できない・・単なる義理も人情も弁えない「コストカッターだっただけでないのか?」
という激しい評価(日本人は慎み深いので表明されませんが・・)になりました。
欧米価値観からは、「いい事をしたのに日本人から感謝されていない」のは理解不能でしょう。
平成天皇がアジア各地の戦跡をめぐる鎮魂の旅も「今日本人の多くが豊か生活を謳歌できているのは戦陣に倒れた多くの御霊による」「安心してくだい」という報恩の旅でもあったでしょう。
粗放経済・・製造現場は流れ作業.小売業はスーパーやコンビニでは商品知識よりは陳列の合理化だけが重視されるようになると「非正規だから」技術の伝承が途絶えるのではなく、ちんれる作業やレジ打ち作業員を正社員にしても商品対するうんちくが高まることはありません。
アメリカでは もともと書店や喫茶店オーナーがうんちくを傾けるような新たな文化を発酵させていくような人材がいないからこそ、これが成り立ち誰も不満に思わないのでしょう。
発酵と腐敗とは違いますが・・・アメリカ人の多くは時間があれば「発酵」せずに「腐敗」方向に行くのかもしれません。
「小人閑居して不善をなす」と言います。(君子必慎其独也,小人閑居為不善)
日本人からアメリカ人を見れば凝ったものなど理解不能・・安もの好き国民性印象になる所以です。
流れ作業をこなす程度の仕事→全自動化が行き着くところ、アメリカが大量に抱える非熟練労働者レベル・・さしたる訓練のない新興国や消費地でも生産可能になったので、アップルに代表されるようにほぼ全て新興国へ生産移管してきたので米国が汎用品の世界生産基地でなくなりました。
低賃金あるいは工程簡略化に頼るビジネスモデルの場合、そのモデルさえ利用すれば(流れ作業の手順をこなせればいいのですから)ちょっとした訓練さえすれば、どこの国でも生産ができるようになります。
工程簡略化・・関与人員削減の場合、従来1000人で行っていた仕事を500人〜100人へと減らす工夫でしかないのですから、その結果余剰になった人員をどうするかの知恵がいります。
この工夫・受け皿なしに人員削減ばかりで切り捨てて行くと切り捨てられた人材がどうなるかです。
関ヶ原の結果、大規模に領地縮小した毛利や上杉家が、縮小した財政力で元の家臣を養ってきたことが知られています。
勝者となった徳川方の大名も戦闘員としての武士が不要になっても武士を放逐しませんでした。
武士自ら有能な官僚や文化人に変身していったし、(芭蕉も酒井抱一も元は武士で平賀源内は足軽です)農工商分野でも効率化によって生まれた余剰時間を精密農耕化していったし・・作庭〜盆栽その他手間暇かけた文化・・浄瑠璃〜歌舞伎〜俳句、狂歌/川柳への発達、大和絵から浮世絵〜工芸では漆器(手間のかかる蒔絵など)や細工物など衣類では、友禅染などを育てる歴史でした。
アメリカ人の多くは効率化一辺倒で、効率化によって浮いた時間を文化創造等に転化する能力がないように見えますがいかがでしょうか?
日本は過去の文物の修復技術に情熱を燃やすひとが多くそのレベルも世界一級ですが、アメリカでは用済みにならば「ぶっ壊す」ばかりのようです。
日本企業はアメリカのご機嫌をとるために現在アートを重宝がるしかないとしても、見に行くと着想(思いつき?)主義で修練というものを重視しない印象を受けます。
アメリカ流の品種改良・F1の草花は、いくら大事に育てても次世代の花は咲かないし改良にも適しません。
スクラップアンドビルドの精神・・・不要になった人員の解雇・切り捨て文化です。
日本では社内教育が盛んですが、底上げ努力しないで切り捨てに特化していると、新興国がローエンド製品を製造するようになると先進国の同レベル人材は製造現場から弾かれます。
新興国並みの生産性しかないローレベル人材をどうするか?・・過去大量に仕入れた?移民が重荷です。
アメリカはこの数年シェールガスで元気を取り戻したように、資源国としての生き残り程度が能力相応?になってきたのを見ると、建国約200年でメッキが剥げてきたようです。
生産基地の新興国展開が始まった結果、アップルで言えば全量中国生産になっているように国内ローエンド製造業が壊滅とまでは言わないまでもお荷物になったのは間違い無いでしょう。
腕力に任せて「米国内生産しないと許さない」というので、トヨタや日産など日本勢は米国内生産・旧来型労働者の雇用確保に協力していますが・・言わば第二次奴隷解放・低レベル労働者の放逐が始まったことの隠蔽・ごまかしでしかないでしょう。
米国に本籍のある企業の場合は、アメリカ社会の本質を知っているし、選挙権者でもあるので政権による脅しなど怖くないので、気楽に米国内生産に見切りをつけてさっさと国外生産移転を進めています。
自分らは安い賃金の国に進出して儲けられるだけ儲けるので、割高賃金雇用を任せるよ!・・トランプのババ抜きのババを「外国資本に引き受けさせれば良い」というのが、彼らの目先損得勘定でしょう。
その代わりゴツく儲けたお金(の大部分はタクスヘイブンに隠して?)の一部を寄付するから・・と言うのですが・・こんな身勝手な企業経営者を国民が許すしかないほど国民が弱いのです。
日本のような愛すべき国民はいない・搾取対象の人民しかないと言うことでしょうが・・・。

朝鮮民族の意識改革(宇垣総督の功績1)

昨日引用の続きです。
「当時の朝鮮農家の最大の問題は労働時間の少ないことであった。田の除草、施肥、更に堆肥作り等に、内地の農民並に働くことを求めたのである。更に冬作として麦、レンゲ草、菜の花等を奨励し、畜産、民芸品製作を奨励した。この方針の民間への徹底を図るため、青年団、婦人会を積極的に組織化したのである。ここで注目すべき事は、これらの団体は反日運動の温床になるとして、それまでは極めて抑制的な対応をしていたものを、積極的に活用を図ろうとしたことである。これらの会合は正規の会議も重要であるが、会議の前後に交わされるインフォーマルな会話、交際が極めて重要であり、反日運動に対する自信がなければ実施できない政策である。」
・・・・この宇垣時代に始まった農業の生産性の向上、工業の急激な発展は、第3表に示すような急激な社会変革を起こしたのである。強盗件数の減少、就学率の向上は生活レベルの向上を窺わせ、、電力消費量の急激な上昇は、今日の韓国発展の原動力と言えよう。」
「この農村振興運動が始まる数年前から自力更正が叫ばれ、京畿道を中心に普通学校(小学校)の卒業者に対し課外指導が行われていた。親から田の一部を借りさせ、先生と共に耕作法の研究が行われていたのである。彼らの熱心な農業への取り組みは周辺農家の2倍以上の収量を得たのである。最初馬鹿にしていた親もその成果に次第に脱帽し、彼らは若き農村指導者に育ちつつあったのである。この卒業生指導は1927年京畿道に始まり、1935年には普通学校の6割で13千人の卒業生を対象として、一人3年から5年間に亘り実施されていた。
 この卒業生指導をより組織的に実施するため、1933年京畿道に農事訓練所を設置したのを皮切りに、1935年以降全道に農村青年訓練所・女子訓練所が設置された。この運用は各道に任せられたため、名称・実施要項等、多少道により異なる。多くは1ヶ月の短期コースと1年間の長期コースに分かれ、長期コースでは寄宿舎に入れ、合宿訓練した。
道によっては卒業生指導を受けた者を入所資格としている所もあり、これにより卒業生指導が止められたわけではない。ここで重視されたのは農業実習と共に精神指導であった。この精神指導について日本への隷属意識を植え付けるものであったと非難されている。しかし私はここで植え付けられた「為せば成る」「協同の精神」と言ったものがセマウル運動の成功に繋がったのではなかろうかと考えている。日本の戦後成長もこの精神なしには考えられない。
 1938年になると内地との交流が始まった。岩手県の青年道場に50人派遣したのを皮切りに、1944年6月までに女子約3百人を含む約3千人が、約1ヶ月内地の訓練所や農家に派遣され、内地の農業技術を実習した。この中には内地の人手不足をカバーする目的のものもあったが、農具の違い等を身を以て体験した事は、速効性はなかったとしても、必ず得るものがあったと確信する。」
第3表 朝鮮産業革命の成果

昭和2年 昭和7年 昭和12年 昭和17年
農業生産高 千万円 86 86 122  
工業生産高 千万円 31 35 87
1人当り国民所得 89.9 78.1 110.7
発電量 百万KWH 2,698 (4,860)
就学率  %  17.4 18.2 30.7 49.6
強盗件数 1771 1261 727 394

農業・工業生産高:1934-1936年平均価格表示
1人当たり国内支出 単位 円 以上溝口他『旧植民地経済統計』
発電量:昭和17年記載数値は昭和16年分  朝鮮総督府殖産局『電気事業要覧』
就学率:正規学校就学率  古川宣子論文より作成
強盗件数: 朝鮮総督府『統計年報』
以上は本体のホームページが無くなっていて、トップに行けないので誰の論文かわかりませんが、きちんとした引用論文の明示もあって確かな数字に基づくようです。
欧米の植民地支配を受けた多くの民族は、朝鮮人に限らず現状を受け入れるだけで古代から生きてきた大まかな傾向があります。
しかも植民地支配に都合がいいので欧米による劣等民族意識の刷り込みによって、さらに前向きの気力を喪失させられていたように見えますが、李氏朝鮮では、同一民族でありながら、ヤンパン支配貫徹のためにヤンパン以外は「人」扱いされない状態で約600年も支配して来たので心底劣等意識に追い込まれ・・やる気を無くしてきたように見えます。
シンガポールのリークアンユー氏が日経の「私の履歴書」に書いていましたが、「自分たち現地人は欧米人にはとても叶わない別のもの」・・犬が人間を見るような見方?・・であったが、日本軍の来てあっという間に英軍を蹴散らしたのを見て受けた衝撃が書かれています。
その意識変革を図り成功体験を持たせ、これがようやく身についてきた結果めざましく農村の収穫が上がり、工業生産にも適応できるような人材が育ち始めた時に敗戦になったことがわかります。
このように、日本統治によって初めて庶民が前向き・・集団で考える経験を与えられた・・李氏朝鮮も欧米植民地支配政策では反抗のタネになるとして厳しく規制していたのですが、日本はこの習慣の大事さを積極的に教えたのです・・。
日本では昔から、小集落ごとの「寄り合い」で何ごとも決めていくのが普通ですから・・歴史以来朝鮮人が初めてこれらの経験をしたので、韓国独立後自立に向けた国づくりにこの経験が大きな効果をもたらしたようです。 
父親のパク大統領は戦前の日本のやり方が良かったことを知っていたので、日韓交渉がなると、農村近代化のためのセマウール運動を展開するに際して宇垣総督の片腕として実務をしていた人を韓国に招いて指導してもらっているようです。
こうした自信を持たせる・・努力すればなんとかなるという教育経験のない点が、アメリカ支配下にあったフィリッピンとの違いのようです。
文字教育に戻しますと、日本統治期間が短かったのでこのような影響を受けた人材の層が少なかったことと、特に文字その他の文化を身につけたとしても多くの庶民にとってはまだメッキ程度だったので漢字教育廃止がきまると、多くがハゲ落ちてしまった印象です。
日本でも・・明治3〜40年代生まれでは、尋常高等小学校卒程度が普通でしたが、それでも日常生活でいろんな漢字が出回っている結果、自然にいろんな漢字を理解して朝日や日経等の日々の新聞を読み、帳簿をつけて社長や課長その他の法律用語・日本で明治以降に作った漢字も理解し、英語もある程度カタカナ表記である限りラジオやテレビが何であるかを理解して生きてきました。
この辺は私の親世代ですので伯父など身辺で実例を見て育ちました。
我々も社会に出てから見聞きして習得したものが圧倒的多数ですから、社会生活上受ける影響力の大きさが分かります。
7月29日経朝刊の文化欄「傍にいた人」の連載シリーズには、小説家の大正生まれの叔父が学校に行けなかったが自学自習で資本論まで読破していた話が出てきます。
日本では学校で教えるか外国の強制があるかどうかではなく、・・宇垣総督が教え込んだ自発的動機がどこまで韓国に根付いているかです。
学校で教えなくとも目の前で漢字が氾濫しているかどうかは重要です。

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