内需拡大と所得再分配(非民主国と対外冒険主義)

貧しい国では、庶民にお金が行き渡らなくとも、先ずは国家規模の黒字を大きくしたい気持ちも必要性も理解出来ます。
その段階では威張るのは早過ぎるのですが、すぐに威張り散らしたくなるところが中韓両国民の底が浅いところなのか、あるいは成果が国民に行き渡らない不満が嵩じて来た結果も知れませんが、不満そらしに対外威嚇を始めたのではうまく行く訳がありません。
難しい対外交渉は本来「満を持して」行なうべきなのに、苦し紛れに言いがかり的に打って出るのでは、名分がない分だけでもマイナスから始まるので多くは失敗します。
昨日からネットニュースになっていて今朝の日経朝刊に出ていますが、昨年習近平の英国訪問についてエリザベス女王が「中国は無礼」だったと言う発言がカメラに拾われていたことが大ニュースになっています。
AIIBへのイギリス参加など英中蜜月演出のための訪問でしたが、イギリスの足下を見た習近平の横柄な態度にイギリスが内心怒っていることが表面化したものです。
札ビラに頼る外交は不満をその分高めている・・本当の敵を作っていることに気が付いていない・・札ビラ外交の場合、内心反感を持たれている関係で札ビラの威力がなくなるとすぐに力を失います。
中国の横暴な発言力・行動力の源泉が札ビラ・力ずくしかないから、中国の購買力持続性に関するテーマでこのシリーズを書いています。
我が国は戦後70年間道義に基づく外交をして来たので、日本をけなすことに存在価値を置いている中韓政府を除けば世界中が信頼してくれています。
信頼に基づいて発言を求められてから遠慮ガチにする発言と誰も聞きたくないのに、金や軍事力を背景に偉そうに言うのとでは、影響力がまるで違います。
中国は黒字蓄積・・大盤振る舞いによる強引な対外威嚇が効かなくなって来たので、今度は内需拡大による輸入拡大→発言力維持策に移行していますが、内需重視政策こそは民主政治化・・国民を大切にしないとうまく行かないので共産党独裁政治に対する試金石です。
内需拡大のためには国民を豊かに・・政府と国民、あるいは共産党幹部や財閥と国民間の所得分配公平化への改革が先決・・待ったなしになって来る筈です。
内需拡大→所得分配公平化のためには、既得権益層に切り込む必要があるのにそれが出来ない場合、国民に金を貸して誤摩化す道を選んで来たのが韓国ですしアメリカのサブプライムローンでした。
言わば先進国がアフリカなど最貧国相手にODAでお金を貸して(貸し主としての事実上の支配継続)製品輸出市場にして来たことを国内でやって来た状態です。
時々最貧国への債務免除がテーマになりますが、韓国でも過去に何回も徳政令が出されて来たと言われます。
韓国の場合大手企業の大半が欧米に買収されて支配されている・・経済植民地支配を受けている状態ですから、正に形を変えた経済支配を甘受している状態です。
中国の場合、資源等の爆買いをテコにした発言力誇示に無理が来たので、貧しくとも人口さえ増やせば人口比で消費が増える→発言力が上がるという倒錯した発想・・折角鄧小平の始めた人口抑制策緩和・人口増に先祖帰りして来たようです。
国民のための政府であれば、指導者の?発言力アップよりは国民の生活水準アップが先決でしょうが、そうはならないところが国民のための政権ではない共産党政権の本質を表しています。
トランプ氏の主張は、海外駐留軍経費を減らす・移民禁止など言い方が乱暴なために批判があるものの、為政者が外国で威張ったり国際会議等でチヤホヤ・よい待遇を受けるために国費を使うのに反対と言うもので、国民のための主張・・民主国家の本質に合っています。
中国政府も国外で威張っても意味がないことは分ってはいるが、経済実態が悪過ぎて、きれいごとを言ってられない・・仕方がないから対外成果を強調するしかない状態なのかも知れません。
ロシアだって経済がうまく行っていたら、ウクライナ侵攻・クリミヤ併合事件は起きなかったと思われます。
経済の苦しいときにシリアまで出て行って空爆する巨額経費を何のために掛けていたかです。
経済的には何のメリットもないどころか大損でしょう。
損をしてでも対外威力を示せば国民が喜ぶ?非合理な国民性があるからです。
そんな火遊びばかりでは国民が余計窮乏化して行きます。
ところで、経済が最悪であっても必ずしも対外冒険主義に走るとは限りません。
ソ連崩壊時・中国の改革開放時には今よりももっと酷い状態でしたが、酷い状態にした責任者がいれ変わっていたことが大きな違いです。
鄧小平にしろエリツイン→プーチンにしろ酷い状態は前時代の責任であって、「これからどん底から這い上がるぞ!」と国民に夢を持たせられたので我慢を強いられたのです。
現在のプーチンは自分の長期政権の結果ですから、責任転嫁出来ませんから対外冒険主義に出ていると解釈出来ます。
習近平の場合、彼の就任前から実体的には経済悪化が始まっていた・・リーマンショック後の約50兆円の財政資金投入による過剰投資・・その後始末に困った反日暴動も彼の就任前から始まっていたし・・本来彼個人責任の問題ではありません。
彼にはゴルパチョフのように過去の政体を破壊し、新体制を標榜するほどの勇気も力量もないので、(安心して選ばれたと思われます)ずるずると共産党政権延命のために前政権が始めた対外膨張活動の延長政策をしているに過ぎないように見えます。
円満退陣して行く仕組みがないと(独裁者失脚の末路は悲惨ですから)為政者が簡単に引き下がれない・・悪あがきするようになるようです。
こうして見ると政治家は(大規模天災や日本政府に責任のないリーマンショックや原油下落など外的要因によるとしても)結果が悪ければ円満退陣する仕組み(選挙)の必要性が分ります。

格差29と所得再分配2(新自由主義3)

蓄積(海外投資収益))の有無にかかわらず各企業に対して「月額40万円前後を払え」となると海外投資収益で補填出来ない企業では、そんな高額賃金を前提に製品価格を設定したのでは国際競争から脱落して行くしかありません。
本来2〜3万円で出来る製品に(中国で車や家電製品を組み立てるのと日本で組み立てるのとでそんなに品質差がないでしょう・・)40万円のコストをかけていることになります。
3月9日に書いたラーメン屋の例で言えば、従業員の息子が学費を払えるように時給を1200円から1万円に上げて、その経費を賄うためにラーメン一杯5000円くらいに値上げするとした場合・・やって行けないでしょう。
格差問題と新自由主義経済学のテーマに戻りますと経済のグローバル化によって、それまでの高所得を維持出来なくなった汎用品向け国内人材に対する所得保障の必要から生じていることが明らかです。
政府は金利や財政出動や補助金等で一時的にいろいろな経済現象を補正出来るとしても長期的には市場原理に原則として従うしかないと唱える・・新自由主義経済学・・は至極当然のことであり、この学問によって格差が生じているのではなく、格差修正はその後の政策選択の問題です。
経済学者の考え方で経済の原理がどうなるのものではなく、経済学に限らずむしろすべての分野で学者はその時代精神を表す学説を作り出して一世を風靡しているに過ぎません。
レッセフェールであれケインズ革命であれ、あるいは系列の違うマルクス経済学であれその時代の社会構造の変化を正当化する理論として見ることが可能ですし、各種芸術も後から見ればその時代精神を表現したものであることと同じで、彼らがその時代を作ったものではありません。
新自由主義経済論を批判している勢力は、何か難しいことを言えば素人には分らないだろう式の意見(私もよく理解していませんが・・)と、従来の共産主義的意見・・・個人に責任がなく環境が悪いという意見の焼き直しの組み合わせではないでしょうか?
新自由主義を批判している意見の殆どは、政治に経済の流れを変える役割を求めているように見えます。
経済学者間では違った学説・意見がいくつもあって違った立場から批判するのは当然で、ここで言う批判者とは経済学者間の学問的批判ではなく、政治利用している勢力のことです。
政治は経済の流れを前提に政策展開して行くしかないのであって、政治がグローバル化という経済現象を止めることは出来ません。
政治の力でグローバル化に参加しないでいられるのは、今では国民の苦しみを気にしない北朝鮮くらいでしょう。

グローバル化と格差28(所得再分配1)

中国での工場労働者の賃金との差額(約400万円超)は、高度技術者(研究者やソフト関連・金融所得その他汎用品製造以外をまとめてこのコラムでは書いています)の働きによる収入を召し上げて再分配していることになります。
1つの企業で言えば、海外の儲けを本国還流することによって、本国の労働者は自分の働きに関係ない収入分配を受けていることになります。
これを国単位で見れば法人税その他公的負担で集めた資金で各種インフラを整備し社会保障を充実させて再分配していることになります。
月収40万円の内数万円補助ならばまだやって行けるでしょうが、中国では月収数万円できる仕事を日本国内でしている人に対して38万円前後も補助して40万円も払って行くのでは国際競争上無理があります。
地域的に見れば地方交付金で所得の低い地方への資金再分配を通じて地方での公共工事を地方の経済実力以上で高額発注させているのは、地方の公共工事関連者の高度な生活保障をしていることになります。
地域で経済が完結している場合、産業のない地方の役人や裁判官、教員等は近代産業の少ない後進国並みの給与水準・・月額数万円で良い筈ですが、それが全国一律高賃金(だから地方ほど役人の就職人気が高いのです)になっていること自体が、補助金の結果です。
本来地方に仕事がなければ需要供給の関係で公共工事の単価も安くなる筈なのに都会並みの高い相場になるのはこのメカニズムによるものです。
所得再分配用に召し上げる資金が多いとその分、公租公課負担が諸外国よりも高すぎる結果になるのは当然です。
これが企業・稼げる人の負担増(国際的に見て累進税率や高過ぎる法人税等の高負担社会)となり、高負担を逃れるために富裕層や企業本社の海外移転を促進していることにもなります。
所得再分配は民族同質性・・一体意識による助け合い精神の発露であってそれ自体尊いことですが、行き過ぎると労働意欲を殺ぐだけではなく閉鎖社会ではない現在では、国際競争力にも関係するので1国内だけで完結する時代の道徳をそのまま良しとするのは間違いです。
どの程度の格差修正が妥当かについては、グロ−バル化の進んでいる現在では国際競争力との比較で決めて行くのが合理的でしょう。
格差修正は国力次第であるのは、一般家庭でも同じことです。
失業した息子夫婦あるいは貧窮で困っている親戚がある場合、その一家・親戚全体の収入の範囲内で助け合うしかないのは当然です。
過去の蓄積の範囲で援助する場合は競争力には関係しませんが、日々の収入に上乗せして援助しようとすると、国際競争力に目を配らざるを得ません。
(ラーメン屋が親戚を援助したり息子の学費捻出のために過去の貯蓄から出すなら問題がありませんが、ラーメンの単価を上げて対処するとしたら・・近隣の単価を無視出来ません。)
現在の日本は、3月8日に紹介した平均賃金の例で言えば、工場労働者の賃金を月額2〜3万円が国際水準であるとしたら40万円との差額約37〜38万円を過去の貯蓄・・投資収益から援助するならば問題がないでしょうが、これを製品単価に反映すると問題が起きます。

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