モラール破壊5(拝金主義1)

我が国では強者のアメリカによる不当な圧迫を70年以上(宣戦布告せざるを得ないように巧妙に仕向けらた圧迫から計算すれば90年くらいになるでしょう)に渡って受けているにもかかわらず、国民の道義心は微動だにしません。
我が国では縄文以来のなが〜い長い歴史を知っているので「不正・不当なものは、いつか神に罰せられる」と信じているから仕返しなどしなくとも良いし、自分もそのような悪どいことをしなければ損だという発想にならないからです。
一所懸命の熟語があるように、我が国では一カ所に半永久的に住み続ける思想ですので、郷土を愛し、ひいては公徳心も強くなる・・不正なことをして短期間で逃げることを予定していない・・いつかはバレルからアコギなことは出来ないと言う思想の民族です。
縄文の昔から定着性の高い民族であることが、子孫に先祖の恥を残さない・モラールの高い民族を形成して来たことを、2012/12/09「信義を守る世界7(名誉の重要性1)」前後のコラムで書いたことがあります。
テロなどで仕返しをしないだけではなく、回りがいくら悪かろうと自分はその仲間にならないという信念で大方の人は(物事には例外がありますが、犯罪率の低さ町の綺麗さが証明しています)生きて来たのですが、漸くこの我慢の結果が報われるような時代が巡ってき始めた印象です。
しかし悪人で鳴らして来た人はそれだけのことがある、米英の歴史を見ればその狡猾さは半端ではありませんから、彼らも旧悪が暴かれそうになるのに対して必死ですから、うっかりすると返り討ちに合って、また百年単位で隷従を余儀なくされるのかも知れません。
リスクが大きいので、米英批判の動きはここは慎重にする必要があるでしょう。
ところで道義の衰退した民族の特徴は、守銭奴的傾向・・何事も金次第と言う点で共通していると言えるでしょうか?
中国では金儲けにさえなれば、アカチャンの飲むミルクに毒になることが分っていてもその材料を混ぜるほどの道義なき社会犯罪多発社会になってしまっているのは、強者の論理をそのまま適用して来た論理帰結・・理の当然です。
(「バカ」の語源について、06/23/03「裁判所は独立しているか?3(馬と鹿の区別)」のコラムで詳しく書きましたが、秦の始皇帝死後権勢を振るった宦官の趙高が、権勢を示して皇帝に恥をかかせるために子どもじみたことをした故事が有名です。
趙高が皇帝が群臣居並ぶ前で「馬でございます」と鹿を献上したので、「バカな・・鹿であろうが」と皇帝が居並ぶ群臣に問いかけると、殆どの高官が「そのとおりです」(趙高が間違っています)と答えられなかった・・皇帝に合わせて本当の意見を述べたものは処罰されてしまった(敵をあぶり出した)という故事によると言い伝えられています。
紀元前数百年前から権力者の意向に反して真実を言えば,文字どおりにクビが飛ぶような社会が続いて来ました。
中国では紀元前から何千年も専制君主制で来ましたし、共産党政権になっても言論の自由のない独裁政治のママですから、思想表現の自由のない社会=自分の利益になれば嘘で塗り固めた主張をする・生き方が生活の知恵になる点では同じママです。
専制君主制の続いた国では、正義の基準は日本人が考えるような「正しいか否か」ではなく権力者・強いものの意向に合うかどうかしかない状態で来ました。
2000年以上にわたって、正義感がなくなっているので、権力者の意向に関係ないときには、(金さえあれば権力に取り入ることも可能ですから)「金儲けになるかどうか」が重要な基準になっている点は、アメリカ同様です。
アメリカでは金儲けをするには市場経済という名分のルールがあるものの、結果的に資金を持っているものが勝者の社会・資本主義社会である点は、中国現在社会と全く同じです。
むしろ中国と違ってルールによってお金持ちになるのが正当化されている分、市場経済の勝ち組になって何が悪い?と言う態度で、金儲けをするのに遠慮がなく、その結果成功すれば桁外れの豪奢な生活をするにも何の悪びれるところもありません。
(中国のように賄賂で私腹を肥やしたのではなく)「自由競争の結果だから・・」というお墨付きを得ているからです。
国際政治で言えば極東軍事裁判以降の政治・・でっち上げでも何でも公正な?多数決の手続きや裁判手続きあるいは国際会議・条約締結手続きを踏んでいるから、これが正しい・・今更文句言う方が不公正だと決め付けているのと同じです。

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