民度5(孔孟の教え3)

中国では儒学の良さをそれほど自覚していなかった・・そもそも実学理解でしかなく、この世をうまく立ち回る打算術程度にしか考えない国民性でしたので、これでは息苦しくて仕方がないことから、他方で浮き世・現実離れした老荘の思想が並立するようになったのです。
日本の儒教理解から見ると精神論中心ですので、老荘思想は浮き世から離れ過ぎて見えるのですが、あちらでは儒教理解があまりにもあくせくとした現実的打算ばかりだったから、現実にあり得ないような老荘思想や仙人願望が精神の均衡(少しはマトモな精神を持っている人がいるとした場合の話ですが・・・)を保つために必要になったのでしょう。
この傾向は、すでに竹林7賢人の時代から現れているのですから、彼の地の精神世界はずっと昔から中庸を欠いて(極端に走る国民性)いたことになります。
玄宗皇帝も晩年は儒学の息苦しさから逃れて道教に凝って政治混乱を引き起こしています。
中国の改革開放(これも極端なカジきりです)にあたって、日本がその主たる援助支援国でしたが、我が国は長年中国伝来の儒学の教えを大切にしてきた・中国を尊敬しているという姿勢でしたので、中国はこのときにこれは使えると感じたのでしょう。
この結果、中国政府は自分たちも誇りを持っても良い・・これは売り物になる・・利用出来ると分ったので、(それまでは共産主義に反する教えとして厳しく批判して来たのですが・・・)それ以来孔子を自分たちの誇りと言い出したに過ぎません。
尖閣諸島近辺に石油が埋蔵されていると分ってから、イキナリ領有を主張し始めたのと同じです。
この点は日本が統治をしたときに韓国民にも日本人同様の教育をするために各地に日本から費用持ち出しで学校を作りましたが、(世界中で植民地にこのような制度を普及させた国があるでしょうか?)そのときに漢字しかないのでは庶民に対する教育にならないので、勉強の手がかりを与えるために日本のひらがなみたいなものを必要としていました。
ひらがなを強制するよりは民族性を尊重した方が良いということで「韓国にもこう言う良いものがあるじゃない・・」と一般に使用されていなかったハングルの良さを強調して完成させて学ばせたのと似ています。
戦後、韓国/北朝鮮は日本の推奨でハングルの一般普及が始まったことなど国の恥だと隠蔽して自国の偉大な発明として満足していますが・・・。
現在もしも中国が本気で孔孟の教えを尊重しているならば、その教え・精神は日本人の築き上げた価値観を逆輸入して学んでいることになります。
最近の中国での近代漢字熟語は、約7割が日本からの逆輸入品であるのと根本が同じです。
中国地域では10月16日に書いたとおり、民族支配が交互にあったことから2千年単位で戦略的・打算的行動だけが主たる行動理念として身に付いてしまっています。
自国文明の偉大さを宣伝するのに利用出来ることが分ったから(それまでは文化大革命では、最重要排撃対象でした)手のひらを返したように「孔孟は偉い」と世界に宣伝し始めました。
(ノーベル賞に対抗して孔子賞まで始めたのは。韓国並みの精神構造ではないでしょうか?)
彼らは孔孟は偉かったと利用したいだけで、心から孔孟の教えを尊重する気持ちもないし、本当に良い部分を真摯に学ぶ気持ちのないひとが99、99%ではないでしょうか。
実際に日本で理解しているような「仁」を中心とする孔孟の教えを理解するようになれば、現在中国人のように、目先の私利私欲・打算による行動ばかりで、守銭奴のような行動(金のためなら知財盗用どころか本当の泥棒でも何でもする民族です)を恥ずかしくって出来ない筈です。
ちなみに中国何千年の歴史と世上(中国贔屓のマスコミ・文化人だけの言い方ですか?)言われますが、これは中国独特のプロパガンダに過ぎません。
嘘でも何でも現在の政権に都合の良い主張(プロパガンダ)を繰り返していれば、それが歴史になるというのが、韓国・中国の歴史に関する基本的思考方式です。
個々人で言えば自分が得だと思えば「明白な嘘」を言うのさえを恥ずかしく思わない道徳?の社会になっています。
順次地位が上って行って政権を取って行く我が国のような形式の場合、自分を引き立てくれた先の権力者やその周辺の価値観すべて否定することは出来ません。
これに対して流民が王朝をひっくり返して権力者になるか、異民族の侵入・占領による新王朝樹立を繰り返して来たこの地域では、前王朝に義理があるどころかむしろ全否定したくなるのでしょう。
この繰り返しの結果、現在の中国のある地域では前時代の全否定・・歴史は現王朝が嘘でも何でも都合よく創作して国民に強制すれば良いという習慣になってしまいました。
中国や朝鮮においては歴史とは客観的事実・我が国で考えている史実ではなく、現政権の都合を宣伝する道具・プロパガンダであるという意識ですから、我が国で考える歴史・「真実は1つ」を前提に話し合っても解決にはなりません。
中国や韓国、北朝鮮では歴史とは史実を明らかにすることではなく、明白な嘘・あり得ないことでも自国に都合の良いことを主張して相手に認めさせる行為であり、プロパガンダであるという割り切った社会です。
史実は1つ・正しいことは1つだから粘り強く話し合えば、必ず解決出来る筈という我が国流の思考方式では話がかみ合いません。
両国が日本に対して「正しい歴史認識を持て・・」と主張するのは、14日に趙高の故事を紹介しましたが、両国が「鹿を馬」と言えば、本当は鹿でも馬ですと言うしかない・・慰安婦問題や尖閣諸島の領有を主張しさえすれば「日本はツベコベ文句を言わずに合わせろ」という主張をしているに過ぎません。

民度4 (孔孟の教え2)

我が国は律令制を導入しながらも、科挙制度を採用しなかったことを以前書きましたが、儒教を統治道具としなかった・・必要がなかったことによります。
11/27/05「日本に科挙が導入されなかった理由4(律令体制と中央集権)」でも書きましたが、科挙制度は専制君主制に必然となる官僚機構維持のための選抜試験でした。
科挙制は人材登用に優れているだけではなく、優秀な人材を抜擢しても高級官僚が世襲出来ずにしょっ中入れ替わっていると、皇帝権力を脅かす何代にも続く名門・実力者が成立出来ないので、専制君主制の維持にとって有利でした。
杜甫のお父さんかお祖父さん「杜審言」は則天武后の宮廷私人の一人でしたが、杜甫は科挙試験に合格せずに貧窮を極めていたのを想起しても良いでしょう。
我が国の司法試験でも同じですが、難しくし過ぎることによって2代連続合格は滅多にないことから、科挙制によって仮に途中失脚せずに全うしても1代で没落する仕組みが出来上がってしまいました。
「皇帝権力を内部から脅かす勢力が生まれない仕組み」ということは、どんな内部矛盾が生じても改革勢力が内部から生まれて来ない仕組みにしたと言うことです。
内部が腐り切ってもそのままですから・・・最下層民が食えなくなるまで腐敗が進む一方となり、庶民がどうせ生きて行けないならと言う捨て鉢の気持ちになるところまで追いつめられて、命知らずの流民となったときに初めて権力崩壊が始まります。
(黄巾の乱等王朝の最後はいつも同じです)
あるいは内部から腐って来て脆くなっているので、外敵・・異民族の侵攻によって容易く滅亡することも多くありました。
現在中国では薄煕来事件を通じて報道される政府高官の巨額蓄財は目に余るものですが、これは現在共産党の1党独裁権力による特性ではなく、1500年に及ぶ科挙制のもたらした負の側面です。
専制君主制下では政府高官と言えども我が国のような封建領主的先祖伝来の領地がありませんので、科挙官僚制によって抜擢されるのは有り難いですが、皇帝のお咎めを受けて失業しても帰るべき領地もありません。
そこで、いつ失業しても良いように地方の大守に就任すると、その間に目一杯蓄財に励む・・賄賂政治が習慣・伝統になってしまいました。
・・この点はお互い様ですので高官同士大めに見る・・取り締まりしない暗黙のルールになっていたので、この伝統が今の共産党幹部による(失脚を恐れる)巨額蓄財に繋がっているのです。
現在の共産党幹部の巨額蓄財は歴史?伝統・・中国人の精神性に由来することが分ります。
「恒産ありて恒心あり」とも言われますが、生活不安定な社会では恒心を保てなくなる・・目先の利益におわれる打算的人格形成に励んで来たのがこの地域の人民でした。
我が国の場合、先祖代々同じ地域に住み続ける前提でしたから、5年や10年誤摩化せば良いのではなく、100年単位でも馬脚が現れないように心がける・・名誉を重んじる生活習慣になりました。
あるいは数百年後に子孫の財産になるように植林したりしてきましたが、中国では自分一代でさえ一貫しないで、利のある方に着いたり離れたりの社会ですから、禿げ山になる一方になっているはこうした伝統に由来します。
以上のように元々中国や朝鮮では科挙試験で儒学の理解を問うたのは統治道具としての能力・学問であって、道徳・モラル教育目的ではなかった上に皇帝の機嫌次第でいつ処刑されるか知れない不安定な地位になったことから、短期的蓄財・打算的行動が基本的行動指針になってしまいました。
我が国では豪族連合による大和朝廷成立→鎌倉以降の武家政権も地方領主の連合体でしたので選抜試験制に馴染まなかったので、科挙制を採用しませんでした。
孔孟の教えが入って来ても実用に使わなかった分、中国で試験しているくらいだから。何か良いところがあるだろうと必死に良いところを無理により出して勉強してきました。
外の世界から何かが来ると悪いところを見つけるのではなく、何か良いところを見つけ出して育てるのが我が国の国民性です。
その結果、「ひとの生き方」という精神性・・モラル的に有意義な部分「仁」などだけ抜粋して勉強して来たので、「有り難い教えである」とみんなが思ってきました。
他方、専制君主制の中国や朝鮮では、官僚登用目的・モラルよりは統治技術的・実利勉強に主眼を置いて学んで来たことになります。
儒教=「ひとは如何に生くべきか」と言う基本的モラル理解を中心とする我が国の理解では、科挙試験に合格すると直ぐに地方大守等実務責任者に抜擢される中国や朝鮮の運用が理解不能ですが、(私はずっと疑問に思っていました)統治技術中心の勉強・試験であったとすれば、合格後直ぐに使い物になるので理解可能です。
経済学を究めても商売が出来る訳がないのですが、そろばん勘定や会計帳簿の付け方を学べば直ぐに役に立ちます。
車の運転免許試験に合格したら直ぐに運転出来るのと似ています。
(一応車の原理も習いますが、運転免許試験に高尚な哲理は不要です)
日本の司法試験も同様で、法の精神も少しは必要ですが大方は、実務能力を試すものですから、まさに科挙制度の現在版です。
法の精神よりは実務の勉強ですから、合格したらある程度・・ちょっと訓練したら直ぐに使い物になります。
同じ儒教国と言っても、中国や朝鮮では儒学の低レベル部分を中心に勉強して来た社会ではないでしょうか?
ひとのアラばかり探すのがうまい人がいますが、アラを探すというよりは自分のみの丈にあった部分しか理解出来ないのが普通でしょう。
世界で先に活躍するようになった日本人が道徳律の基盤は儒教であると宣伝するので、欧米人は儒教は大したものだと誤解しているに過ぎません。
日本人も儒教の本場の中国ではさぞかし立派な人が多いと思ってきましたから、何かあると「さすがに本場のひとは違うものだ」と買いかぶって良い方に誤解して来たのが、改革解放までの理解でした。

民度3(孔孟の教え1)

民族の資質の違いを見るには、それぞれの歴史がどうであったかを知ることが重要です。
我が国と中韓両国の歴史の違いについて見て行きましょう。
日本では社会構造の変化に合わせて古代から次順位の階層が実権を握って順繰りに権力掌握をして来た繰り返しでしたので、徐々に支配に参加する数が広がり民主的運営の基礎が自然に広がってきました。
企業内で若手が経験を積んで順次、主任、係長、課長、部長、重役社長等になって行くのと同じです。
既成権力の下積み・実務官僚としての経験のある階層に順次権力移転して行くので、政治運営のノウハウが引き継がれ・文化の継続性・・順次的に安定成長してきたことが大きな特徴です。
今回民主党政権の実務能力不足は我が国の政権交代の歴史体験から言えば、異質なものだったことによります。
これに対して中国や韓国・朝鮮半島では専制君主制と異民族支配の繰り返しだったために文化の連続性が弱いというよりはむしろ、断絶が基本でした。
清朝では公文書は満州語と漢語の二重形式でしたが、最重要文書は満州語のみで書かれていて、漢人の中のホンの数人程度しか目に触れられない仕組みだったと言われます。
異民族侵入による王朝交代では王朝が代わる都度別の人種に政権が移るので、前時代の政治経験皆無の状態で新政権での政治が始まります。
比喩的に言えば中国では異民族交代の繰り返しのために前政権時代の文化のうち自分の統治に都合の良い(神髄のようなものは無理で外形的に理解し易い)ところだけをつまみ食い的に利用する戦略的選択が行われてきました。
この繰り返しの結果、被支配者も14日のコラムの最後に書いた「個人行動指針としては目先の打算・支配者の行動指針としては戦略的行動」がこの地域に住む人々の共通価値観・処世術となって来ました。
日本では孔孟の教えは道徳的価値のある良い部分だけ抜き取って国民の個々人の生き方の基本にして来ました。(何事も良い部分だけを学ぶ姿勢が顕著です)
これに対して現中国のある地域で興亡した歴代王朝では、漢の劉邦(高祖)が儒教道徳が統治に都合の良い面があったのでこれを抜き出して、世俗的利用し始めたのが始まりです。
最下層から身を起こした劉邦は儒教的道徳・礼儀に縁遠い人物でしたが、権力を獲得した後に礼儀作法や忠孝の秩序維持にうるさい儒教が統治道具として使えるという進言に応じて、先秦諸子百家のうち儒教を便利な統治道具として採用したものでした。
論語の全体をちょっと見れば分りますが、世俗的処世術問答が中心であって、日本のようにその中のエッセンスを抜き出して、しかも日本流に高尚な視点から解釈し直さない限り、悪く使えば単なるハウツー本でしかありません。
我が国は何事も世界中から輸入しては良いところだけ昇華して日本製にして行く国です。
(スペインのカステラと日本のカステラは内容がまるで違いますし、インドのカレーと日本のカレーも違います)
同じ牛肉を食べるのでも、日本に入ると和牛ステーキとなって高級化します。
仏教は我が国独自に発展を遂げたものですし、(空海以降は日本佛教です・・だからこそ定着出来たのです)孔孟の高度な教えも我が国独自の武士道の価値観を付与して存続して来たものです。
(ちなみに武士道の美学は源平の昔から基礎があって、これに儒教的骨組みを付与したものです)
これに対して中国大陸の人民は「孔孟の教え」など2000年間にわたって政府の統治の道具に都合の良いところだけ強制されて来たに過ぎないという受け取り方・・・支配される方からすれば支配される権力に都合の良い道具でしかありませんでした。
(中国人の多くは今回の激しい対日批判を見ても日本人の大好きな「仁」・・「巧言令色鮮なし仁」などは聞いたことがなかったかも?)
共産中国(伝統的被支配者が逆転して天下を取ったことになりますので)成立後の文化大革命では儒教が最重要な排撃対象になっていたことは記憶に新しいところです。
(後に書いて行きますが、文化大革命に限らず王朝が変わる都度前時代をいつも全面否定するのが中国民族の習性になっているのですから、否定するのを「歴史」と言うのは矛盾ですが・・・悲しい民族性になってしまいました。)

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