南原繁氏の超国家・普遍思想5→福音派・米政府との人脈

ちょっとのつもりでだいぶ横にそれましたが、南原元東大総長の全面講和論に戻ります。
February 23, 2018,「超国家・普遍思想4と現実との乖離2(全面講和論と安保騒動)」の続きです。
実務というものは、100%思う通りに行かないネクスト〜サードの妥協で成り立っているのが普通ですが、思うように行かないからと完全反対していた場合、その結果どうなるかの視点が必要です。
全面講的には現実政治的には無理・・いつまででも米軍に占領されている方が良いのか?となります。
(南原氏にとっては異民族占領支配が続いた方が居心地がよかったのでしょうか?)
日本民族の独立が正しい選択とした場合・・当時の国際状況を客観的に見れば全面講和以外の講和条反対・・結果的に米軍占領政治がその後約40年以上も続いた方が良いと言う主張は、無い物ねだりの主張・現実無視論でした。
南原氏や革新系野党の全面講和論者の言う通りしていたら、日本は米ソ対立が続く限り独立できず、国連にも加入できず日本に利害のある各種の国際政治に独立の当事者としての参加資格がないまま・・自己主張する権利もないままに据え置かれていたことになります。
李承晩ライン設定や竹島占領と言う白昼公然の強盗行為にだって独立していなかったからなんら有効な対応できなかったのです。
歴史は後世の人が裁くものですが、ソ連崩壊時ですぐ独立できたとしても戦後約50年経過ですから、それまで日本は何をされても何らの当事者能力もないまま戦後50年間やられ放題で放置されていたことになります。
現在に至っても日露平和条約を結べないことから明らかなように、ソ連崩壊した時に(独立するためにはかなりの見返りを要求される)無償で全面講和できたと思う人はいないでしょう。
日中国交回復だって、日本が独立国として日本が中国を承認する方でしたが、これがもしも逆であれば大変な代償を要求されていた可能性が高かったでしょう。
日韓国交交渉も同様です。
これが「曲学阿世の徒」という批判を受けた原因でしょうか。
この機会に南原氏の9条論を紹介しておきます。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51954443.html
憲法制定議会で野坂参三と並んで2人だけ第9条に反対した南原繁の証言は貴重だ。彼は当時をこう回想している。
戦争放棄はもちろん当然なさるべきことですけれども、一兵ももたない完全な武装放棄ということは日本が本当に考えたことか、ということを私は質問したわけです。つまり私の考えでは、国家としては自衛権をもたなければならない。ことに国際連合に入った場合のことを考えるならば、加入国の義務として必ずある程度の武力を寄与する義務が将来、生じるのではないか(p.350)。
つまり南原は一国平和主義をとなえたのではなく、国連中心主義の立場で第9条に反対したのだ。したがって彼は、吉田茂がなし崩しに進めた再軍備には、強硬に反対した。それには憲法の改正が不可欠だと考えたからだ。
南原が理想としたのは、カントの提唱した常備軍の廃止だった。
彼はその代わり、国際機関による警察機能を考えた。将来も戦争が起こることは変わらないが、今のような主権国家の枠組ではなく、それを超える国連の警察機能で国際秩序を守ろうと考えたのだ。
南原氏の戦後教育に与えた影響力の強さに今更ながら驚きますが、私自身そういう教育方針にどっぷり浸かって感化されて育ったように思えます。
国連第一主義を教え込まれて育ちましたが、いつまでたっても国連が日本国内の警察のような役割を果たせない現実があります。
国際司法裁判所があっても独立国でないと訴える資格もないでしょうし、フィリッピンのように中国を訴えてせっかく完勝しても中国から「そんなのは紙切れだ」とと豪語されて逆に中国のごきげん伺いするしかない現実があります。
尖閣諸島に石油資源があるとなれば、いきなり自国領土と言い始め、実力行使に出てくる国があります。
そうなると日本も自衛手段が必要ではないかという現実論が起きてきます。
自衛が必要となれば、1国だけでは無理なので友好国が必要となり友好国であればいざという時には助け合いましょうとなるのが普通・・安保条約・集団自衛行動の必要性に繋がっていきます。
非武装論者は軍備より相手から攻撃されないようにする外交が重要というのですが、それは周辺諸国との友好善隣構築が基本です。
友好国に災害があったり、不当な攻撃を受けているときに黙って見ているのでは友好関係になり得ません。
ここでのテーマとズレますが、戦後思想教育の翁影響を与えた南原氏の論文はネットに出てこないので、ネットであんちょこ・直接読めませんが、南原氏の論文に対する研究論文がネットに出るようになったので、批判と擁護両面の論文を読むと当時の南原氏の思想・立ち位置が浮き彫りになる面があります。
南原氏はプロテスタントとは言っても福音派ですが、たまたま22日の日経新聞夕刊3pには、福音派が今でも政治中枢に絶大な影響力を持っている記事が出ていましたので紹介しておきます。
ネットでも大々的ニュースになっていたので以下引用しておきます。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018022200006&g=int
米国のキリスト教福音派伝道師で、保守派を中心に政界にも強い影響力を持ったビリー・グラハム師が21日、ノースカロライナ州モントリートの自宅で死去した。99歳だった
1949年にロサンゼルスで催した伝道集会に多数の信者が集結したことで、その影響力が注目を浴び、50年にBGEAを設立。同協会によれば、185以上の国・地域の計2億1500万人近くに福音を伝えた。
トルーマン政権(45~53年)以降、歴代大統領の多くと親交を持ち、ニクソン、レーガン、ブッシュ(父)、クリントンの各大統領の就任式で祈とうを行うなど「精神的導師」を務めた。米メディアによれば、冷戦期に当時のソ連や東欧諸国にも足を運んだほか、92年と94年には北朝鮮を訪れ、金日成主席とも会った。
トランプ大統領は声明で「(グラハム師は)その人生と指導力で真の『神の大使』の称号を手にした米国の英雄だ」と追悼。同師の埋葬の日には、ホワイトハウスなど国内外の連邦施設に半旗を掲げるよう命じた。オバマ前大統領、ブッシュ元大統領親子、カーター元大統領らも、それぞれ声明などで死を悼んだ。(2018/02/22-10:17)
過去の指導層からはみ出たイメージの強いトランプ氏までこのメンバーになっているのには驚きました。(日経夕刊にはトランプ氏との写真も出ています)
敗戦特需(を受けた人々?)という言葉がありますが、一般的に知られているキリスト教系人材が特需を受けただけでなく、キリスト教徒の中でも南原氏など敗戦時の日本の福音派思想家がいかに米政府からの恩恵を受けていたかが分かろうというものです。
南原氏らが恩師と仰ぐ新渡戸稲造氏(熱心なクエーカー教徒?)が特大的評価を受けて従来の5000円札・聖徳太子像に変わる表紙になった理由もわかります。
彼がアメリカで発行した「武士道」の本はアメリカで人気を博してから日本語版が出た程度であって、日本国内の国民的人気としてはマイナーな彼がいきなり昭和58年に紙幣の表紙になるのは唐突な印象です。
アメリカ人にとっては武士道精神は衝撃でも、日本人にとっては何の目新しさもありません。
国民文化の向上に何の役割があったかという視点では、評価がほぼゼロではないでしょうか。
ミスユニバースになっても、日本国内でほとんど評価も受けないのと同じです。
ミスユニバースやアメリカ受けの良い芸人を外交に利用するようなものでしょうか。

コミンテルンとユダヤ人脈2

欧米一丸で、対日戦開始を企図していた原因は、ヒットラーの言うとおり日本を除く欧米各国ではアメリカに限らず原則的にユダヤ系が政治経済を牛耳っていてユダヤ系一丸となって日本叩きを決めていたことによるのではないでしょうか?
西欧各地でユダヤ人排斥運動が広範に起きたのは、あまりにもユダヤ系がいろんな分野でのさばり過ぎたコトに対する反発があったからでしょう。
広範な不満が広がっていたからこそ、各地でユダヤ排撃運動が支持を受けたものと思われます。
広範な不満がなければアジテーターが勢いを持つことが不可能です。
確かに能力に応じた平等・人種差別出来ない・移民自由となれば、結果的に優秀なユダヤ系がのさばる傾向になるしかないのが西欧諸国なのでしょうが、あまりのさばらず目立たないように控えめに生きて行く智恵がないからこういうことになるのでしょうか。
日本人は大成功しても豪邸に住まず、質素な生活を心がけるのが普通です。
昨年ノーベル賞を受賞した大村氏の人生をみると・・特許料を利用して何百億と北里研究所につぎ込んでもり立てて来たこと・自分の生活は質素なままであることが分ります。
戦前のアメリカでもユダヤ系が支配層を形成していましたが、アメリカの場合、ユダヤ排斥どころか、迫害されるユダヤ人の受け皿になっていました。
西欧では人種差別というよりは具体的被害から「ゆだやじんは〇〇」と発展したのに対して、アメリカでは被害に対する防衛ではなく黒人差別正当化のために根源的人種差別思想があったからです。
19世紀から植民支配を正当化するために発達して来た「アーリアン人説」の直接的表現である「白人優越意識」がアメリカではびこっていましたが、これは黒人奴隷制〜根強い差別意識を説明するのに便利だったからでしょう。
ところが20世紀に入ってみると白人の優越性に挑戦して来る将来の敵・日本の台頭が身近になったことから、白人内のユダヤ人排斥・あるいは共産主義かどうかなど身内の対立などしていられない・・日本敵視政策・・純粋な人種差別意識と混合した・・排日差別法等日本叩きに集中したもの・・アメリカにすれば合理的選択ですし、ユダヤ系、コミンテルンにしてみれば自分らに対する標的を日本人へのすり替えに成功した大勝利です。
19世紀末〜20世紀代初頭からアメリカが成長途上だったので、アメリカ人にとって成長の先にある将来の敵は気になったでしょうが、そのとき現在の国民間での身内の争いには、あまり関心がなかったと面があります。
20世紀以降のアメリカは、いつも挑戦者になりそうな国を潰すのに熱心な動きをして来たことが特徴です。
2番手を潰すために3番手を応援・・3番手がのし上がって来るとその国を敵視する・・めまぐるしい友好国変更ですから世界中が遂にアメリカを信用しなくなってきました。
アフガンゲリラは対ソ戦略のためにアメリカが育成したものの、用済みになって冷遇したら今度は反米ゲリラ・・9.11として育ってしまったと言われています。
戦前には成長途上で国民には明日への夢があったので、「競争さえ平等ならば良い」と言う理念どおりでそれほどの痛みを感じていなかったから、自由競争の盟主を任じていたのです。
中国でもどこでも高度成長中には大成功者が出れば夢・アメリカンドリームが与えられるだけ・・貧しいムラから一攫千金の大富豪が出れば「自分も!」と夢を持ってムラを飛び出すのが普通で成功者への妬みは少ないのが普通です。
ところが成長が止まると他人との差が気になる・・目の前の格差が気になって来るし、不満が生じます。
19世紀末からの西欧をみると、産業革命で先行して先行者利益を得ていたものの、台頭して来た新興国アメリカやドイツ(普仏戦争・1870です)に19世紀末から追い上げられて来た→先行者利益を得ていた英仏蘭は低成長社会への移行が始まっていたことになります。
第一次世界大戦はお互いに破壊し尽くしただけで何も得るものがなかった・・戦後の苦境が始まると夢のない低成長社会で見渡してみると上層部や旨味のある仕事の多くがユダヤ人に取られていることに対する不満が出て来たものと思われます。
ドイツだけではなく西欧全土でユダヤ人に対する排斥が始まっていました。
ちなみにユダヤ人排斥で有名なドレフュス事件は、既に1894年に起きています。
ここから40年経過で欧州全域に不満が広がり、これを背景にした遂にナチスによる大迫害になるのですが、アメリカの退潮が明らかになった1971年8月15日のニクソンショックから既にほぼ同様の期間が経過しています。
その前・・日米繊維交渉に始まって、自由貿易の盟主どころか日本に対して次々と輸出自主規制の強要・・対日パッシングが常態化していました。
今回のアメリカから広がっている広範な格差拡大反対論、反グローバリズム運動・タクスヘイブン摘発の動き・金融資本に対する敵意・・ウネリには、表向きは反ユダヤ論やヘイトスピーチがありませんが、その奥底にはアメリカの政治経済を支配するユダヤ系に対する不満噴出気分が充満しています。
トランプ氏の売りの1つは自己資金であって巨大資本から資金を得ていないと言う宣伝で庶民の支持を受けて来た面があります・・本戦になると自己資金では間に合わなくなって今はその修正を含めた各分野での発言修正に追われて・・支持が逆に減る状態になっています。
こうした庶民の気持ちはアメリカンドリームの消滅・停滞社会化によるものとみるべきです。
今回も日本だけはユダヤの浸透を阻止しているので、反グローバリズムと言ってもあまり進み過ぎるのは困ると言う程度で、現状の外国人排斥するほど切迫感がありませんし、金融資本の強欲さもそれほどないので気になっていません。

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