ボイコットジャパン=日本文化否定2

朝鮮上層部は華夷秩序を万代不易の真理のごとく思い込んでいた(思い込んだら百年目という気質がありそう)ことから、その序列は韓国にとっては今も続く重要テーマと思われます。
何かというとあえて「日王明仁」とかわざわざ「日王裕仁」と翻訳し、個人名を肩書き表記後にして呼び付け表現につながっている歴史です。
肩書きと個人名の順序も意図的に無礼な表記です。
トランプ大統領、パク大統領、安倍総理あるいは田中社長とは言いますが、社長田中、部長森田と呼び付けにしないのが礼儀です。
自己紹介ではへりくだって「部長田中です」と言いますが・・韓国人は天皇を表示するときに限って名前を後にして呼び付けにする異常性です。
そもそも朝鮮族の信奉する華夷秩序・日本も含めて、天皇や皇帝に対して就任前の固有名詞・諱をわざわざ呼びません。
皇帝に限らず官位のある人には官位で呼ぶものであって、友人間でもいわゆる「諱」で呼びかけるのは失礼とされてきました。
まして上位者に対してオヤ!韓国では日本の天皇に対してだけ?ニュース等や発言であえて諱でしかも呼び付け表現すること自体が異例です。
朝鮮人は自国の過去の王族を諡号(例えば世宗など)で表現しているのであって一々実名で表現してはいないはずですが、日本の天皇に限って裕仁などとぶしつけに呼ぶのも、日本民族の象徴である天皇を小馬鹿にし日本人に不愉快な思いをさせたい意図がアリアリです。
日本は滅亡寸前の李氏朝鮮が「大韓帝国」と称しても「お前の国がなぜ大韓帝国だ」と文句を言わないできましたし、韓国が米国軍庇護の元にかろうじて国家の体裁を保っていた時にアメリカ並みの「大統領」と称してもそのま受け入れてきました・そういう称号は各国が勝手に決めるべき事項という意識です。

日王って何?日本人が知らない韓流呼称の始まりについて

日王って何?日本人が知らない韓流呼称の始まりについて
その朝鮮半島でも一瞬だが、皇帝を名乗った時期があった。1910年の日韓併合前に誕生した大韓帝国(1897年~1910年)の時代だ。しかし、13年ほどの大韓帝国の時代以外は王であったため天皇に対して、自分たちと同じ王扱いにするため日本国王と蔑む表記にして略して日王と呼んでいるのだ。
その朝鮮半島でも一瞬だが、皇帝を名乗った時期があった。1910年の日韓併合前に誕生した大韓帝国(1897年~1910年)の時代だ。しかし、13年ほどの大韓帝国の時代以外は王であったため天皇に対して、自分たちと同じ王扱いにするため日本国王と蔑む表記にして略して日王と呼んでいるのだ。
これが韓国建国当時から呼ばれていたのかと言えばそうではない。ジャーナリストの崔碩栄氏によれば、ソウルオリンピックが行われた1980年代後半までは天皇と表記され呼ばれていたのが、90年代に入ってから日王と呼ばれるようになり、今では、天皇がNGワード状態になっているという。

日本人から見れば、李氏朝鮮はどうでもいいようなことにこだわっていたように見えて、実はいわゆる華夷秩序を信奉しているからこそ「日王」と言い張り、華夷秩序では諱を呼び付けにすることほど非礼なことはないのに、これを天皇陛下の表記に限ってあえて諱を言い続けることで溜飲を下げている(いわゆる小児病的言動です)のでしょう。
華夷秩序外の(夷狄の日本?冊封されてさえいないので国王ですらない?)日本が皇帝を自称し、この国の音頭で対欧米共同歩調を取るなどとんでもない→清朝の専制支配体制こそ最高のものという自負あるいは必死のしがみつきかな?
日本最高権威は「日王」でしかないと言い張ることで朝鮮族の優位性?を保てるという自己満足・相手がどう思うかなど気にしないレベルになります。
この行動様式・精神世界を成り立たせるには、華夷秩序の尊崇こそが生命線です。
これが前パク政権が見せた中国詣でにつながる精神土壌です。
要するに鎖国を解いて文明開化に切り替えた日本が朝鮮に送った「一刻も早く開国し欧米文化を取り入れて近代化しましょう」という日本の提案には応じられない・「華夷秩序に対する裏切り者め!」という強固な意思表示だったのです。
ソ連崩壊後も北朝鮮だけが改革開放に切り替えないでいまだに世界孤立状態にあるのと同根でしょう。
李氏朝鮮が天皇表記の国書を飽くまで受け取れない・協議に応じられないという意固地な?交渉態度を変えないので、日本国内では無礼だと征韓論など盛り上がりましたが、この際戦争している場合ではないと日本が自重した結果、日本が朝鮮と共同歩調を取る国策は行き詰まり日本は逆に欧米と共同して(欧米をバックに)朝鮮政府に開国を迫る側に回りました。
その後江華島条約等を経て次第に日本の朝鮮半島における地歩が固まるようになり、朝鮮政府が清朝の保護を求めるようになったことから清朝軍閥が朝鮮半島に駐留する事態となり(大院君が中国本土に拉致抑留された事件を紹介しました)日清戦争〜日韓併合に至ります。
この辺の詳細は(June 20, 2013「日本対中朝対立の始まり2と根深さ」前後で)シリーズ連載しましたので、詳細はそのシリーズを参照してください。
文政権の標語・日本統治の残滓を除去し積弊の清算とは、日本統治の基本否定・・日本統治の基本特色は朝鮮族に限らず台湾や南洋諸島に至るまで学校制度を整備して人権のある「国民」教育して民度を底上げしたことですから、この全面否定=近代化教育否定論になります。
韓国・朝鮮民族以外の各地ではこの教育を受け入れて今も日本への感謝を忘れませんが、韓国に限ってなぜ過酷な植民地支配だったと虚偽を言いふらし恩知らずな?反日運動するかの解はここにあります。
彼らの精神レベルでは、人民は牛馬のごとく扱われる方が気楽なのでしょう。
奴隷労働の場合何も考えないで済むことを24日に書きましたが、・・・・自由とは意外にストレスが多いもので精神力の弱いものには耐え難い制度になります。

発光ダイオード特許事件8(日本文化批判はどうなる?6)

話題が逸れましたが、後先見ずの感情論にひた走るのは気持ちがいいでしょうが、言い足りない点は後でカバーし易いですが、後先見ずに言いすぎた点の取り消し不可能です。
中村氏にとっては、感情に走りすぎた点が大きな失点(立場によっては逆評価?)
だったでしょう。
ところで
「ノーベル賞学者が、日本企業と研究する機会が失われてしまったのも事実だ。」
という意味が不明ですが、日亜化学との真の和解ない限り日本社会が受け入れない・他企業も近づけないということでしょうか?
普通の事件ならば、事件に関係ない人には知らないことですが、自分からメデイア利用したのか利用されたのか不明ですが、少なくとも自分の意思で記者発表をした以上は、全国区の話題になってしまったことは確かです。
全国向けに司法批判、日本企業・文化批判・否定的意見を大量露出した以上は、これに不快感を持つ人も増えますので全国的居場所をなくすリスクを負うべきでしょう。
大久保利通が郷土鹿児島で受け入れられていない不遇を紹介しましたが、彼は薩摩藩という狭い枠を超えて統一した民族国家確立に奔走していたのですから、郷土の不満にあまり配慮しなかったのは理解可能です。
中村教授の批判は日本社会をもっと独創的意見を持つ人が優遇される社会にしたいという前向き批判だったのでしょうが、批判されるほうは全否定されるかのような印象を受けたのでしょう。
古来から何か大きなことをなした人は、他の批判しないで自分の生き方を貫いていくのが多くの日本偉人の生き方でした。
この例外は他宗を非難した日蓮聖人だったので弾圧も受けたし、その反動で不受不施派という極端な主義主張も生まれたのでしょうか。
現在日本では共産党だけが、政治資金を受けないし他政党との共同もしない唯我独尊的政党になっています。
現在でも日本ではヒト・他国の生き方を批判しないで自分の信念に従い黙々と刻苦勉励していつか国際社会でハエある地位を得られれば良いという生き方でやってきました。
中村氏は会社の開発打ち切り方針に反してなお一途に青色発光ダイオードの開発可能性を信じて黙々と?一筋に研究を続け、企業も企業方針に反する研究を続ける中村氏の研究を禁止しないどころか研究開発資金・人材をつぎ込んでくれた結果、遂に偉業を成し遂げたもののようです。
以下に紹介する森の生き物観察と違い、産業系研究を続けるには禁止されないだけではなく積極的に巨額資金人材応援がいります。
ようするに日本精神の統合結果がこの大成果を生み出した原動力です。
米国流の短期成果を求める民族性・ちょっとでも成果が出ないと資金が潮の引くように去ってしまう社会(ファンド市場評価で資金集まる社会は逃げ足も速い)と異なり、「長期間粘れる人が粘る」のを暖かく見守る風土・・研究開発部門で言えば、一つのことに取り組んだら一生涯成果がなくとも粘り続ける根性こそが日本民族の強みではないでしょうか?
9月23日の日経新聞朝刊最終ページ(文化28p)には31歳でテレビ局技術者をやめて北海道の森に住み着いてにシマフクロウの生態観測(生息環境作りしている人の手記が出ていましたが、日本にはこういう人が各地にいますし、周囲も成果の有無にかかわらずそれを立派なことだと応援する人が必ずいるのも強みです。
別に元勤務先のテレビ局が応援してくれないと不満を言わないし、政府に対する不満も言わずと自分ができる限りのことをしているだけの生き方です。
私はここ数十年朝起きるとまずは自宅周辺掃き掃除をするのが日課ですが、公共団体や近所の人も掃除すべきだと不満を持ったこともなく、ただ掃いているだけです。
「ひと様の悪口を言うのは浅ましい」という考えで韓国による長年にわたる反日告げ口外交に直接反論しないでいたところ、ありもしない日本軍による慰安婦強制連行論が国際社会に浸透してしまったのには日本人の多くが驚いたばかりです。
中期的には声の大きい方が勝っているように見えても長期的には「正しい方が認められる」というのが日本民族の価値観です。
日本列島では異民族の侵入がなく数百年以上定住社会でしたから50〜100年程度嘘でごまかせても仕方ないというのが大方の考え方です。
だから、神ならぬ身、何もわからないので自分はこの生き方が良いと思っても周囲に強制しないし、(行基も西行も良寛さんも自分の行き方を貫くだけでしょう)周囲の人もその変わった生き方を黙って見ているだけで嫌がらせもしません。
これが八百万信仰の基礎となる寛容な民族性を形成してきた基本精神と思われます。
こうしてみると、時流に流されず10年でも20年でも根気よくやれる人材豊富なのが日本の強みであり、それで良かったと思うのは私だけはないと思います。
それにしては報酬がすくなすぎるという個人的関心は訴訟限定でよかったのではないでしょうか?
なぜ訴訟外・・場外乱闘的行為をしたのでしょうか?
しかも運動の仕方がメデイアが煽りすぎて過激だったので、却って企業大方・日本人古き価値観に受け入れられなかったのでしょうか?
中村氏は黙って訴訟だけやってればどうだったのでしょうか?
訴訟で勝った内容が公表され、それがじわじわと社会を動かしていく・インパクトは少ないかもしれませんが、社会変悪に対する影響度はメデイアで騒がなとも結果は同じだったように見えるのですが・・.。
メデイアを通じて大騒ぎしたので日本社会に与えたインパクトが大きかった→「捨て石に徹する」気持ちでやったのであれば成功だったのかな・・・。
大方の受容態度は「そこまで言わなくとも良かったのに・・」と言う評価・言い過ぎた責任を取るしかないのでないか?
というのが、コンセンサスではないでしょうか?
江戸時代に直訴や一揆など起こした場合、主張は正しいとして幕府に採用されても、直訴などのルール違反の咎(御政道に楯突いた秩序違反)で処罰される伝統的価値観が現在社会に残っているからでしょうか?
佐倉義民伝や荘内藩転封に関して領民が反対運動を起こしたカゴ訴に対しては江戸町奉行の調べで水野忠邦の不正が背景と断定され、籠訴を企画した佐藤某氏の事件を9月6日に書き初めていましたが途中横道に逸れています。
民主政治社会では「お上に楯突く」のではなく国民こそが主人ですが、個々人が主人ではなく、国民総意が尊重されるのであって個々人の意見がストレートに尊重されることではないということでしょうか?
公務員は国民の公僕である・あるいは消費者は王様という言葉を自分が王様になったかのように誤解する人もいますが、こういう人はクレーマーになりやすいのでしょう。
消費動向に商人は従うしかないのですが、個々の消費者が消費動向を表しているとは限りません。
民意も同様で一人の意見が国民総意を代表することもあればその逆もあります。
そこで集団徒党を組めば目立って「自分一人ではないぞ!と威勢を示せるので集団行動が行われるのですが、命がけの一揆を起こすには、已むに已まれぬ民意が凝縮されていると見るのが普通です。
しかし「俺は王様だ」としょっちゅう威張り散らすようになると物分かりの悪い子供がしょっちゅう駄々を捏ねているのと何が違う?となります。
現在のデモ活動は参加したことで処罰や不利な処遇をされるリスク皆無でしかも特定集団内では「俺は昨日も言ってきたぞ!と自慢できる材料になっています。
いわばあるアイドルの追っかけをしている自慢と変わりません。
政治分野でもデモ参加は安全地帯にいてただ「憂さ晴らし」をいつでも行えるあんちょこな手段になっているでしょう。
現在社会は、じっくり吟味してからの消費では、量が増えないので衝動買いをさせる工夫が溢れていますが、政治主張したい組織では、政治参加の敷居を低くする工夫・如何にあんちょこにでも活動に参加させるの工夫を凝らしてきました。
私が大卒の頃には共産党系民青がの青年層への浸透作戦として、「歌って踊って民青」というフレーズが流行りました。
若者にとっては魅力的フレーズでしたので、いまでも耳に残っています。
こうい状況が続いてでデモの必死さが希釈されて「またやってる」という程度の印象になってきました。
そもそも民主的意見表明手段のない時には、デモや一揆は命がけの抵抗権的意義があったし現在でも中露など専制社会では必要なことでしょう。
赤ちゃんには表現力がないので、お腹がすけば泣いて危急を母に知らせる必要があるのと同じです。
電車など公共空間で大きくなっても駄々をコネ続けると「バカじゃないの!と思われるように、デモや大声を張り上げる行為の価値は必要性との兼ね合いです。

発光ダイオード特許事件7(日本文化批判はどうなる?5)

今の価値観では分が悪いから政治運動して新たな規則ルールに変えてもらおうと言うならば政治の場で決めるべきであって、訴訟の場はは現行ルールで勝敗を決する場です。
政治で勝つには数百マンの支持でも少数政党にすぎませんが、裁判所を取り巻くにはわずか数百人も集まれば大勢力です。
訴訟を、応援団の多い方が勝つ仕組みにしてしまうのは危険です。
国会周辺への動員も同様で、わずか1〜2万人(1億人とすれば0、01〜0、02%の勢力)でも大報道して国会議決に影響を与えようとするかのような報道姿勢が見られます。
代議制民主主義は代議員の討議の結果、多数決で決める制度であって国会周辺に集まる支持者の数で決めるものではありません。
こういう組織動員勢力を過大評価するためにメデイアは、国民大多数の集団であるかのようなすり替え報道しています。
ルールがどうあるべきかの政治問題は政治の場面で民主的に決めることであり、司法は政治問題で決まったルールに原被告どちらが適合しているかを最終決定する機関であって裁判所に集まる支持者の数で決める手続きではありまん。
9月20日日経新聞朝刊では、原発事故に関する東電経営陣の無罪判決が出ていますが、天災等の発生確率に対する判断が結果的に違った場合、(いまにも大雨が降りそうな時に雨具の用意をしないような一見明白な場合に備えを怠ったのとは違い、東北大地震は文字通りの天災です)100年一回の災害でも備えをどの程度すべきかの政治責任や経営責任を問うのは別として、司法で刑事責任まで追求するセンスを疑うの私だけでしょうか?
9月9日午前5時頃に千葉市を襲った台風15号による房総半島ほぼ全域にわたる停電〜水道供給停止〜自家発電装置の燃料切れなどの連鎖による広範な災害をみてもわかりますが、台風情報は前から出ていたし、台風の規模等事前情報がありました。
そういう強力な台風があれば倒木あること等を前提に電車等は計画的に運休して備えていたということは、東電も倒木被害による電線切断や電柱の倒壊なども予想可能であったこととになります。
そうするとこの台風→停電によって人身被害を受けた人に対する犯罪者として「刑事訴追すべき」という世論になるのでしょうか?
15号台風は日本列島全体で見れば、(昨年関空を襲った台風21号より風速が遅い)東北大震災ほど想定外の想定外台風ではありません。
民事責任あるいは補償は別として、刑事責任まで追及すべきという意見は滅多にいないのではないでしょうか?
(この辺は私の根拠なき推測ですが、論理的に言えばもしも民事上の過失責任があるならば、刑事上の過失責任も問うべきという論法では、体育その他全て萎縮してしまうからです。)
崖っぷちの危険道路や丸木橋も必要性との兼ね合いで通行禁止しない・事故が起きたらその限度で対応というのが世の中のあり様ではないでしょうか?
9月20日の日経新聞43pを見ると決まり文句の「検察官役『判決国に忖度と批判』と大きく出ています。
「国に忖度」という批判論(内容を読む気がしませんが、多分中村教授同様の定型的非論理的主観意見でしょう)メデイア界にはこういう主観的意見を持っている人が多いのでこういう具体性のない感情論を報道したくて仕方ないのでしょうか?
反政府運動的訴訟で負ければ「不当判決」などの感情論的決めつけ論が横行していま
す。
合理的批判は社会発展に必要ですが、事実適示のないまま、司法が政府を「忖度」しているとか「腐っている」という感情論を煽るだけでは合理的な批判精神も育ちません。
「何が腐っている」のか忖度の根拠等の具体論がないままでは、国に忖度というのでは、個人訴訟で裁判に負けた方が「裁判官と相手が癒着している」とひがみっぽくいうの同じレベルではないでしょうか?
検察官役と書いているので弁護士・それも腕利きの弁護士でしょうが、プロ中のプロが具体的論証なしにこう言う主観論を堂々と発表するとは驚きです。
発光ダイオード事件では、「司法が腐っている」という発言は弁護士から出たものではありませんでしたが・・。
もしかして具体的論証できる資料があってその説明をしたが、メデイアは長々と引用できないので結論だけを記事にした場合もあります。
とはいえ、「忖度」などという曖昧概念を証拠でどうやって論証できたのか、理解不能です。
「凡庸な弁護士に分かるはずがない」秘術がある点が、「やりて弁護士」という評判をとっている源泉かもしれません。
こんなことを弁護士が大手新聞の前で言うのでは、司法制度の存在を前提とする弁護士自身が司法制度を否定しているようなものです。
現行司法制度を変更したり、否定したいならば、政治の世界(その前提として、司法界の実務家意見が重視されるのでその協議会等で発言すべきもの)で運動をすべきでしょう。
市民感覚が・・(上記同日の日経社説にもこの種の表現がされています)と言う感情論で訴訟をやって来たのでしょうか?
誰が市民感覚を代弁する権利があるのか?民主国家においては代議士の集合体・国会意思ではないでしょうか?
弁護士や報道機関が何の根拠で市民感覚を代表しているつもりになれるのか不思議です。
もしかして、こういう主観論に秀でた人をメデイアで持ち上げているのかな?
市民感覚と言う感情論で刑事罰が決まるのでは恐るべき社会になります。

発光ダイオード特許事件6(日本文化批判はどうなる?4)

彼は韓国のように開き直る気持ちはない・・ノーベル賞もらった子供や親族が地元にいて肩身が狭い?ので不思議な関係になったのかな?・・日亜化学との修復を望んだようですが、日本人は相手が感情論を言い立てでも激しい反論をしない分そうは簡単に行かないのが日本社会です。
最後まで努力して郷里や日本全体に受け入れて貰うか、そこまでやる必要はないとアメリカに帰って日本批判に精出すしか活路がないのではないでしょうか?
今のところ、山崎氏の結論を意訳すれば、「さあどうぞ!気に入らない日本にいつまでも関わっていないで米国で頑張って下さい」と内心思っている人が多いような気がします。
2〜3年ほど前に歴博の企画展で大久保利通関連の展示がありましたが、そこで感じた印象では、大久保一族は今でも地元鹿児島では肩身が?広くないようですが・・。
彼の一族は故郷を捨てるしかなかったのでしょう。
ノーベル賞受賞で郷土の偉人と尊崇されるべき彼が郷土(物心着いてから育った地域)に足も踏み入れられないかのような表現(徳島には日亜の人がいっぱいてどこを歩いてもいきあうからと修復を求めた動機を説明しているようですが・・)というのですから、6億円獲得のために場外批判したのが高くつきすぎたのではないでしょうか?
ただし、生まれ故郷・・小学2年まで過ごした愛媛県伊方町では、顕彰碑が立てられているようです。
その程度で我慢するか?ですが、彼にすれば物心ついてから育った地域や大学や企業でその時の仲間(日本人は誘われれば公然と拒否しませんが、彼と会うのにコソコソ会うのはみんな嫌でしょう)から認めて欲しいのではないでしょうか?
16日紹介した山崎氏の記載では
「和解成立の時に「中村氏自身が、判決後の記者会見で、「100パーセント負けですよ」「日本の裁判制度は腐っていますよ」と興奮気味に怒りをぶちまけている」と言うのですから本当に公言したならば異常です。
https://biz-journal.jp/2014/10/post_6311_3.htmlに、以下のとおり紹介されているので事実だったのでしょう。

中村氏は最高裁まで争い200億円を勝ち取るつもりでいたが、升永英俊弁護士の説得に従い矛を収めた。当時会見で中村氏は「日本の司法は腐っている」と感情を露わにし日本を離れ、米国の市民権を得た。

以下によれば、和解内容が公開されていてこの筆者(個人名が出てこないのでどういう人か不明)自身和解前から寄与度5%くらいでないか・結局は5〜7、5億円の範囲内で地裁判決の200億は幾ら何でも法外すぎるという批判を発表していたようです。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~yamayosi/public_html/memo107.htm

「この和解案をしぶしぶ呑まされた感じの中村氏は「たったの8億円」と失望を隠さなかったと報じられ、低俗的な週刊誌では「日本の司法は腐っている」と言いたい放題の感じです。」
と書いているので、山崎氏のいう司法批判をしているという紹介は大方合っているのでしょう。
(ただし、紹介情報源は同じの場合もあります・・慰安婦問題での朝日の大規模報道により日本中の大手マスコミや世界メデイアが報じる結果、あたかも公知の事実のようになった印象ですが、検証委員会結論では朝日新聞の引用数は少ないと否定的評価をしていることに国民の不満がありましたが、証拠にもとずく判断とすればそうなるしかないでしょうが、上記の意人らは引用元を書いていないからです)
続けて
「中村氏を持ち上げ日亜化学をヒールに仕立てたのは、中村本(これは巧妙な升永弁護士の戦略であるとの見方は外れていない)に洗脳されたマスコミの仕業で、彼らの大いなる反省が求められます。
同じく朝日新聞の1月23日の科学劇場記者席なるコラムで、東京本社科学医療部次長の高橋真理子氏が「青色発光ダオード訴訟 和解額は安すぎる !?との記事を書いているが、感情的な内容で科学記者が書いた内容とは思えず、中村本の呪縛から逃れた様子は見られません。」

とも書いています。
あちこち検索すると当時明発見〜量産成功に至る流れに詳しい?業界常識として1審判決は非常識すぎるというコンセンサスができていたような気配です。
無茶すぎる請求を前提にした陽動戦略に地裁がまんまと乗ってしまったということでしょうか?
地裁の論理が批判的に紹介されているのを見るとこの発明がなければ現時点での売り上げがなかった→だから寄与率5割という論法らしいですが(そんな単純論理ではないと思いますが骨格を言えばそうなるという解説でしょうか?)論理の粗雑に驚きます。
車の場合で言えば、ブレーキやハンドルを構成する特定部品一つでもなかったら走れないから、その部品価値は「車一台の9割の価値がある」というような論法です。
この論法によれば500万の車の各部品1個が450万円となり、全部足したら車一台10〜20億円になり、それから逆算すると部品価値は9億円になる→循環計算を繰り返せば、部品の総合計が上がる一方で車の値段が1兆円〜2兆円と際限なくあがるので結論が永久に出ません。
私は中村氏の弁護士を知りませんが、もしもこういう論法で訴訟提起した弁護士が敏腕・辣腕と賞賛されているとすれば、おかしくないですか?
弁護士の仕事は、正しい利益を相手が侵害しているときに訴訟を通じてどちらの主張が正しいかを裁判所に判定してもらう代理職です。
10の権利を百と主張し実現することではありません。
現行ルールをどちらが守っているかの冷静な判断のために政治から切り離した司法権の必要性を世界中が認めているのですから、訴訟手続に政治圧力をかけるための大衆動員はメデイア動員→政治力圧力の必要がないばかりかそういう行為は憲法の精神を踏みにじる違法行為です。
裁判所前に支持者多数動員したり訴訟内容をメデイアで大規模報道するような法律家がいますが、司法手続きを政治の場に変えようとしている人たちのようです。
彼らの多くが「司法権の独立を守れ」と言う人たちでもあるのですが、何からの独立か?とすれば、政治権力からの独立しかないのですから、自己矛盾行動しているように見えます。

利害調整能力7(価値観激変時代1)

いざという時に真っ先にかけつけ「先陣をやらせてください」くらいの意気込みがないと、次に自分が困った時に応援を渋られます。
このために、いざという時に「着到」順の名簿書きに真っ先に駆けつけた(もちろん騎馬何名と動員戦力の書き込みも重要です)実績が重視されて皆一刻も早く旗幟鮮明にする努力を怠らなかったのです。
このように日頃恩義を感じている関係の場合には、武士団も無償奉仕を厭わないでしょうが、何の義理もない天下り着任したばかりの守護からの動員命令では、(前任守護には義理を受けている地元豪族がいても新任の守護になんの恩義も受けていない)無償奉仕の負担感は大きかったはずです。
恩賞にこだわるというと金に汚いようですが、日頃義理のない関係で物事を頼むには行動にはコストががかかるということです。
北条氏が各地守護に名を連ねても、私兵として本当に利用できる軍勢はすぐに増えるわけではありません。
吉良で言えば、足利家先祖伝来の領地ですから、北条家の誰かが仮に三河国の守護になっても吉良一党が従うかどうかは足利本家からの下知優先だったでしょうから、鎌倉幕府または三河守護が三河国で何かしようとする場合には、まずは幕府内で足利本家に「ご協力お願い」の根回しが必要になっていたでしょう。
鎌倉末期における足利家の強みは、つる草のように各地に一族の根を下ろしこれが、各地に土着して強力な血族集団を形成していたことでしょう。
全国展開・・軍の移動には、各地宿営を重ね進に連れていく先のより正確な情報・兵糧等の補給が必要ですが、2〜3日歩けば身内の村落があると安心です。
義朝が平治の乱で負けて東国の地盤に落ち延びていく途中、長田庄司に謀殺されますが、このように気心の知れた一族を頼りながら移動していくものです。
強固な信頼関係で結ばれた家人が、主君を裏切るとは当時としては驚天動地の出来事だったでしょう。
源氏が天下を握った後この長田の庄司の運命がどうなったのでしょうか?
蒙古襲来・防備目的で西国方面で北条一族が守護として名目地位を得たものの、私的な兵の動員力が高くなったのではなく逆に守護の地位を追われた元々の武士団や九州北部防備のために駆り出された不満をもたれたことになるでしょう。
竹崎季長のように奮戦して(もしかしてもらえるならば)近隣領地を少し広げる方が、5人でも10人でも農民を増やし一族郎党の拡大になると言えます。
足利直義は御成敗式目の思想を理想とする・正義一直線傾向があって(特定論文意見しか知らない・私は暇つぶしに読んでいるだけですから多くの論文を読んでいない・・受け売り意見です)あやふやな態度に終始した老獪な尊氏に負けてしまったように見えます。
あやふやといえば無能そうですが、価値観激変時代には硬直した価値観ではやっていけない時代であったといえます。
今の世界は19〜20世紀型価値観の再編成期ですから、柔軟対応能力が問われる時代に入ったというべきでしょう。
尊氏の政治的立場は、楠木正成討伐軍として出動しながら、京都郊外に布陣したまま動かず最後に反幕府を旗幟鮮明にしたために(・・応援にきた背後の大軍が敵方となれば前線は壊滅です)鎌倉幕府軍潰走の原因となり、観応の擾乱でも当初は高一族と行動を共にしながらも最後は直義と袂を分かつなど巧妙な動き方は、保元〜平治の乱で清盛がどちらつかずで有利な立場を築いていった点で似ています。
足利氏と新田氏は鎌倉幕府内で源氏直系高貴な血筋として同列競合関係にあったのですが、宮廷工作的能力に欠ける新田氏が長年冷や飯食い的立場に置かれてきたのと比べて官僚的立ち回りの巧妙さで鎌倉幕府内で重きをなすようになり、徐々に全国各地に飛び地的所領を獲得していき(吉良のように各地に勢力を扶植し各地の土着力となり)存在感を大きくして行ったものです。
ドチラつかずの宮廷官僚的生き残り能力は、官僚としては有効な能力ですが、トップの能力としては問題があります。
専制支配までは必要ないとしてもトップに立った以上は揉め事の採決や決断すべき時にはビシッと決める能力がトップには必要でしょう。
悪く言えば優柔不断の典型でしょうし、結果的に際限ない武力抗争を引き起こし、最後の応仁の乱で収拾不能な結果をきたして文字通り「天下が麻のごとく」乱れてしまい戦国時代に入って行き、将軍家権威が完全喪失してしまいます。
現在社会で言えば、オバマ政権の柔弱政治が中国による米国に対する「鼎の軽重を問う」動き(太平洋2分論〜一帯一路政策)につながり、現在の国際価値観混乱の元になっているのと同じです。
「まだまだ行ける、バカにするな!」と最後の力を振り絞って、強権政治に切り替えたのがトランプですが・・。オバマの柔弱政治は米国の力が弱ったことを前提に無理しない賢明な姿勢とも言えますが・・。

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