サイレントマジョリティ23(保育所設置反対運動)

エゴ主張のテーマに戻ります。
MSNニュースによる世論調査結果を22日に紹介しましたが、ニッポン民族の中で我欲主張に固執する比率が大したことがなかったことが分りました。
マスコミの奨励によって(我欲を主張するのが恥ずかしい意識が薄れて)これがマスコミ表面に出る率が高まっていただけなのか?・・あるいはマスコミが日本の醜い姿を誇張して世界に宣伝していただけ?のように思えます。
マスコミの応援がなければ本来人前で言えないような恥ずかしい意見を(今でも日本では6%しかないないような少数意見が代表意見のように)堂々と言えるような恥知らずな時代が来ただけでしょうか。
東北震災以降マスコミの神通力が薄れて国民が本当の価値観に目覚めているのですが、70年にわたるエゴ主張を賞讃するマスコミ洗脳から抜け出せない人が恥ずかしいと思わずに保育所反対運動して来たのでしょうか?
昨日紹介した保育所問題の意識調査をみると、マスコミも従来のように「エゴ主張する人が権利意識に目覚めた素晴らしい人」のように大きく取り上げずに、念のためにサイレントマジョリテイの意識調査をする時代が始まったことが分ります。
(毎日新聞は長年右翼からの攻撃対象になっていますが、足下でこっそりと方向転換を始めていることが分ります。)
October 31, 2015 「サイレントマジョリティ22」の続きになります。
旧来型の民意把握方法は「マスコミさえ騒げばこれが民意」と言う一方的報道姿勢で、マスコミの意向に反する政策は国会の多数議決によっているのを無視して「多数国民の声を踏みにじる政治」と批判していましたが、このやり方が「マスコミは何様だ」と言う批判を受けるようになってきました。
(例えば今朝の日経朝刊10pにも「街頭デモ野党を動かす」大きく出ていて、「安保法反対」と表題をつけていて、でも活動活発「70年案安保匹敵」と囲み記事をつけています。いつものとおり若者の代表?としてシールズの参加・応援を大きく報道していますが、左翼系の若者離れが著しいと一般に言われますが、マスコミはこの種調査・・年齢別支持層分布調査を一切しない・あるいは公表しません)
「70年安保に匹敵」と言うとちらっと見ただけの人は、60年か70年か数字まで知っている人が少ないので一見岸政権時の大騒動・・総理辞任に至ったとき以来の大規模デモが起きているのか?と驚きますが、70年安保とは60年安保の期限到来による更新交渉でしたから大幅に規模の小さいデモでした。
このようにマスコミは思わせぶりな記事が多く、どちらかと言うと中立違反の疑い・・すれすれの書き方が殆どです。
この記事は例によって若者代表?のシールズの参加も宣伝していますが、若者の左翼離れが一般に言われていますが、若者対象にした支持層分布の世論調査を一切公表しないで僅かな?集団の参加ばかり宣伝するのでは客観性に欠けます。
February 15, 2016に山谷大臣の失言騒動で書きましたが、革新系に不利な本当のことを言うと何故失言と言って大騒ぎするのか?サイレンとマジョリテイーの意識調査したのかと言う疑問です。
「日本死ね」と言うそれこそニッポン民族に対する不謹慎な意見が批判されずに、(どぎつい表現にぞっとしますが・・)政府非難の大きなテーマとして逆に取り上げられているかと思えば、昨日だったかの報道によると寝食を惜しんで現地で奮闘努力している職員の食糧支援を副大臣が要請したら、(現地被災者の苦労を思えば?))それを不謹慎と言ってマスコミが大騒ぎしています。
「そう言えば応援に行った人だって疲れるよね・・それを応援したいな・・」と私は思う方ですが・・。
報道をみていると自宅に帰れない・体育館に寝泊まりしているのは大変だなとは思いますが、今回の騒動に関する国民意識として本当はどうなのか?・・「現地で頑張っている職員への差し入れお願い」のツイッターに対して非難ごうごう?騒いで陳謝させたり、吊るし上げしているよりも支援続行優先すべきと言う人の方が多いのではないでしょうか?
世論調査してないので本当のところが分りませんが、今はネット利用で簡易調査出来ますので、マスコミは逐次調査して発表すべきです。
タマタマ,熊本震災に対するミノモンタの発信が大問題になって謝罪したと言うネット報道が流れています。
上から目線でのマスコミ人による一方的従来型自衛隊批判・・東北大震災等で如何に働きが悪かったかの抽象的(根拠なく一方的決めつけ)批判した上で今回は「キチンと対応して貰いたい」と言い切っていた点が批判対象になったようです。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/04/22/mino-monta-twitter-kumamoto_n_9755894.htmlからの引用です。
「タレント、みのもんたさんが4月22日、自身のTwitterを更新して批判の声が寄せられていた過去のツイートについて謝罪、真意は違うと釈明した。20日に投稿したツイートでは、「自衛隊きちんとしてほしいね」と発言していた。みのさんは20日にTwitterの公式アカウントを開設したばかりで、問題視されたのは、わずか2度目の書き込みだった。

みのさんの20日の投稿は以下の通り。
「みのもんた ✔‎@_mino_monta
俺なんかの役目はね、広めること。今回の震災もね、熊本だけじゃなくて九州全体だから。支援のやり方も甘い。自衛隊きちんとして欲しいね。あと、過去の震災、阪神淡路、もっと遡れば関東大震災の教訓活かせてないでしょ?…みたいにTVではちょっと言いづらいことも、ここでは言いたいね。
2016年4月20日 15:33」

上記ネット上の騒動をみると政府・応援部隊へのあら探しの多いマスコミ報道とは違い、自衛隊その他応援に入っている人たちへの気遣い(感謝の心)をしている声の方が多い印象ですが・・・。
ミノモンタはマスコミ人の代表的意見公表のつもりとした場合・・マスコミの根拠なき各種パッシングは、国民意識とズレ過ぎて来たように思われますが・・。
(ただし炎上と言っても実数は1億以上の国民数からすれば僅かしかないので、それぞれ逆方向に向かってやりあっているだけのことを大げさに「炎上」と言うのかも知れません)

護憲運動3と愛国心2

憲法論に戻りますと、憲法の有効性は、日本国民のためになるように「修正」解釈すれば有効であるし、国民の利益に反する解釈すれば、憲法の存立意義がなくなり、異民族の制定した憲法として無効にする外ありません。
商品で言えば不具合が出たら改良すれば、商品寿命が延びますが、創業者の作ったものだから絶対に改良しないと言う「護憲・超保守」に徹すると、その商品寿命が短くなり、新商品開発の必要が出て来ます。
護憲勢力と言う熟語が本来意味するところは、憲法を時代の変化に対応させる・・有効化するために合理的解釈して、その存続を図るの(建物や遺跡が古くなれば補修するなど)に努力する勢力のことです。
ニッポンで護憲勢力と自称する勢力は、異民族支配のために作った不合理な憲法をそのまま押し通そうとする・・解釈の範囲が狭く柔軟性がない・有効期間の時間軸を短縮する方向に働く勢力ですから「護憲運動」の定義からズレています。
護憲と僭称する勢力は、日本民族維持の利益になるような修正解釈反対論=日本は非武装・・自衛のための軍備も持てないと主張していますので、結果的に国民主権の原理からして、憲法実質無効論を誘発するための勢力・・自主憲法推進論の範疇に入るべきです。
護憲勢力を僭称する立場は、早く憲法の寿命が来ること目的にしているように見えるので、その目標は反護憲勢力であるべきですが、逆に護憲派と僭称しているので、目くらまし・・ややこしくなっています。
新しい事象に対応することに何でも反対する超保守団体が革新系と僭称していたり、少数意見を通すために「市民の声を無視するな」と言う合唱も同じです。
小数意見を市民や国民の声と言うでしょうか・・ちょっと考えれば分りますが、民主国家においては国民の声とか市民の声と言う場合、選挙による民意・・多数意見を言うことになります。
文化人と言う自称もおかしな宣伝で、自分たち以外は野蛮人とでも言うことでしょうか?
前回から「護憲勢力は嫌らしい」と表現している所以です。
政治・外交評論家として活躍している元外交官「佐藤優氏」の解説を聞くとこんなに「イヤらしい・ひねくれた見方があるのか?」と言う意味で彼の意見が参考になりますが・・これを彷彿させる戦略です。
国際関係は狡猾な人の集まりでしょうから、佐藤氏のひねくれた?観察眼が役に立つ面があるでしょうから、一定の人気があるようですが、国内政治にこれを持ち込むと純朴な国民は簡単に惑わされてしまいます。
すなわち「民族の主権を守るための合理的解釈はイヤだ」しかし「国民主権の精神に合うように憲法を改正するのもイヤだ」アメリカの本心・日本の自衛権強化期待に反対するために「アメリカの作った憲法違反をアメリカに訴える」と言う意味の「護憲勢力」です。
これを「イヤらしい主張だ」と言わずに合理的に解釈するには、「憲法は異民族支配の道具で良い」「日本は永久に周辺国に隷従すべきだ」と言う立場と理解すれば一貫します。
先祖からの家を守るには、時代に適合した電気や暖房設備を入れたり五右衛門風呂をガス湯沸かし式風呂に変える・薪で炊いていたカマドから電気炊飯器に変える・・窓をサッシに変えたり・囲炉裏をストーブにしたりして、使い勝手よくしながら住み続けるのが本当に先祖の建てた家を大事にする姿勢です・・。
家が大切だからと言って、何の手入れもしないで「立派だけど寒くて使えないんだよね」と使わないで放置しておくのは、廃屋化を早める行為であって家を大事にしていることになりません。
右翼が伝統を強調する勢いで、全てにわたって、古来のママで修正をしない・・「女は男に従い家を守れ・・」とまでと言うと、却って日本の姿・・にっぽん民族の特徴・・外来文物を受入れて柔軟に変えて行くしなやかな能力が腐ってしまいます。
右翼も左翼も思想のあり方は同根で、実質硬直性が特徴で変化に対応出来ない点は同じです。
革新政党は実は「何でも反対」の超保守勢力を意味して来たのと同じで、彼らは逆の用語を「イヤらしく」利用する傾向があります。
日本人はアメリカに対する配慮から「異民族支配のための人道に反する憲法だから無効」と言い切れないのを悪用して「憲法を守れ」と言い張るのは、・・幕末に(神君の定めた)「祖法を守れ」と攘夷決行を幕府に迫ったのとおなじです。
当時・・幕末に幕府が攘夷決行して欧米諸国と正面から戦うと勝ち目がないのが明らかでした。
もしも幕府がマトモに「祖法」(憲法?)に従って戦えば、結果的に中国その他東南アジア諸国同様に・・日本が欧米の植民地になってしまうリスクがあって幕府が英仏蘭等の海軍と戦うことが出来なかったのを承知の上での無理強いだったでしょう。

護憲運動2と愛国心1

私が公害反対・・工場の操業停止仮処分申請運動に参加しなかった理由として、ソ連や中国のひどい公害には何も言わないで日本の進んだ公害防除装置の不備だけを強調して操業停止運動する偏頗性にあったと書いてきましたが、(核実験反対や原発反対も含めて中ソに関しては何も言わない)平和運動も同様の偏頗性が目につきました。
このため、一般の人権擁護活動と違う各種反対運動には参加したことがありません。
この辺のことは繰り返し書いて来ました。
アメリカ製憲法を賞讃しながら実質アメリカの推進する政策に反対する運動は、アメリカにとっては、苦々しい限りでしょう。
ベトナム戦争やイラク戦争への参加をしない理由として反戦運動の激しさ・・平和憲法を理由にして「日本は参加出来ない」で済ましてきました。
ここまでは左翼・文化人の主張は日本人(少なくとも私)の正義感(イラク戦争は対日開戦同様の言いがかり・・不正な戦争と思っています)正義に反する武力を用いないと言う国益・・正義感にもあっていました。
しかし、アメリカによる不正義な戦争に加担させられるのではなく、中国の不正義な膨張主義=日本の安全に直結する東シナ海や南シナ海の安全保障の維持努力にまで反対するようになって来ると、何のための政治運動か?・・護憲運動・平和運動は方便だったのではないかの疑念が生じます。
戦後の人権擁護活動や平和運動家の本音は・・日本の国益よりは、日本侵略目的の旧ソ連や中国の国益を守る目的でずっとやって来たのか?と言う疑念が出て来ました。
私が中国国内の反日暴動の煽動→尖閣諸島海域侵犯行動・韓国による慰安婦騒動以来、旧来の人権活動家・・日弁連等の意見と一線を画するようになった・・ついて行けなくなった理由です。
政治運動はどこかの勢力の利益のためにあるのですから、平和を愛し環境を大切にする気持ちは日本古来からの犬猫牛馬まで家族同様に愛する精神とは合っていますが、日本を侵略しようとする勢力をのさばらせるために利用するのでは本末転倒です。
アメリカに無理矢理戦争に引き込まれて酷い目に合った・・懲り懲りしていた日本人としては、敗戦後アメリカが平和を保障してくれるならば、無益な戦争を回避したいと言う日本人の心に合致していたので、押しつけではあっても内容的に憲法を受入れる心理的状態にあったことは事実でしょう。
その延長で起きたベトナム戦争やイラク戦争反対までは合理性がありましたが、アメリカの核の傘に象徴される安全保障が当てにならなくなって来て、日本が侵略されそうになっても非武装維持・・集団自衛権反対・・防衛機密のダダ漏れ運用容認の特定秘密保護法反対・・尖閣諸島侵犯行為にも黙っているべき(民主党政権ではビデオ公開を公務員法違反→刑事処罰と言う立場?)と言うようになって来ると私の平和論とは相容れません。
その気になって平和運動家の動きを戦後ずっと通してみると、日本侵略容認+反米勢力の利益になるように動いて来たと見れば、過去70年の動きが一貫します。
植民地現地部族間である程度紛争のタネを残しておくのは、欧米植民地本国にとっては支配の道具として利益であり常套手段ですから、日韓間に慰安婦問題の火種があって相互に反目しあっているのは、アメリカにとって望むところでしょう。
しかし、火種を越えてこれを煽りに煽って大火事にしてしまい、ここまで日韓紛争を激化させることまではやるのは、アメリカの利益ではありません。
アメリカが対共産圏向けに構築していた強力な同盟国(元は対ソ連で向けでしたが今や中共向けに変質しています)同士が仲良くなり過ぎるのは困るのでアメリカが火種を残ししておくだけあって、ここまで反目関係になるとアメリカにとっても不利益です。
世界中で小さな紛争を起こせては兵器を売り、或る程度以上紛争が大きくならないところでこれを仲裁することで、アメリカの権威を維持してきましたが、これがあちこちで火種が大きくなり過ぎてアメリカの手に負えなくなって来たのが中東その他でのアメリカの権威喪失の基礎です。
しかも中韓の反日行動が激しくなればなるほど日本国内では「アメリカが裏で糸を引いて来た」と言う疑念が渦巻いてきます・・。
護憲運動(非武装平和論や集団自衛権反対あるいは特定秘密保護法反対)と慰安婦騒動推進勢力はほぼ重なっていたように見えることからすると、かれらが何を目的に運動して来たのかの到達目標?が見えてきます。
古くはソ連を引き入れ共産化する目的のためだったでしょうし、・・今では日韓対立を煽りひいては日米離間のくさびを打ち込む結果も、すべてアジアで武力背景に横車を押し通したい中国の利益に結びつく構図です。
日本を愛すると言う目的が一切ない政治論のように見えますが、穿ち過ぎでしょうか?

憲法の本籍(国民主権)3と護憲運動1

国内政治論争は、日本国内問題解決にどうしたら良いかの議論であるべきなのに、護憲勢力は憲法内容の合理性如何に関わらず,内容の議論から逃げて護憲、護憲と言う形式論に固執し、しかも正当性の裏付けを海外・・国連での意見採択などに求める傾向があるのは、元々の成り立ちが背後のアメリカの意向を「イヤらしく」利用しようとする勢力だからです。
最近の例では集団自衛権必要性の議論を一切せずに「憲法違反を許さない」と言う合唱ばかりです。
彼らのよって立つ戦略は、「日本がアメリカの残した憲法を骨抜きにしょうとしていますよ!」とアメリカを中心とする外国勢力にアッピールすれば、アメリカを中心とする国際社会の支援を受けられる・日本人がヘコムしかないだろうという高度なイヤらしい意図が見え見えです。
この延長線上で、アメリカの支援に関係なく純粋国内問題でも、国内政治テーマにすべきことまで国内議論をしないまま先に国際問題に広げて国連でこういっていると言う動きが慰安婦騒動以来発達してきました。
慰安婦騒動のぱあい、朝日新聞の大誤報に端を発して国民的議論がないまま国連報告書が出されてしまい、こう言う報告があるから仕方が無いじゃないかと言う決め付けから始まっています。
NGOヒューマンライツナウに関して 年末に書きかけて先送りになっていますが、最近では、NGOと言うものを作って、児童保護など純粋の国内政治論を、国連へ出掛けて行ってロビー活動する・・その挙げ句に国連調査官と言う人物の招聘に成功して,実態調査もしないでNGO関係者からの聞き取りだけを元に、日本の性道徳の退廃は酷いものだと言う印象の記者会見をやらせるまで発展したのはこの一例です。
最近左翼が運動している憲法9条に対するノーベル平和賞運動もその一例でしょうか?
海外で日本の悪評・・ほめ殺しを広げてこれを利用する政治運動のあり方に関しては、後で上記NGO問題のシリーズの続きでもう一度書きます。
話がそれましたが、憲法論に戻ります。
新商品の例で言えば、事前にどんなに綿密なテストをしても・・実際に顧客が使い込む過程で想定外のトラブルが生じるのが普通で、使ってもらいながら商品の改良をして行くのが一般的です。
いろんな法律も・・日本国憲法も、運用して行くと、不都合が起きて来る点では、あらゆる商品と本質は同じです。
最近では、運用実績を見てから修正することを織り込んで施行後3〜5年経過後に見直す規定をおく法律が増えています。
李承晩ライン・竹島問題や朝鮮戦争が起きてみると理想論ではうまく行かない・・周囲には強盗国家がいるのにどう対処すべきか、非武装のままでは民族を守れないと言う問題意識が定着してきました。
これまで書いて来たようにソモソモ「国民主権に基づく憲法」としては自民族の生命を守るための自主防衛すら出来ない建て付けには無理があったことが、明白になったのです。
しかし、アメリカのメンツを潰さずに済ますための智恵として、特定条文が国民のためになる内容かどうか・・文字どおり読むと自民族のためにならないときには現憲法を生かしておくための智恵として「国民のためになるように」解釈して行く智恵が生まれました。
実はアメリカ自身、朝鮮戦争勃発以来日本を対共産圏向け軍事同盟国・・補完勢力として利用する必要が生じたのですが、憲法9条が矛盾するので重荷になっているのですが、自分の作った憲法が民族自立を妨害する・人道に反するもので無効だとは言えません。
ですから,護憲勢力・9条論者とは、実はアメリカによる日本に対する脅しを利用しているのではなく、アメリカが正面から反対出来ないことを悪用してアメリカの対日政策の変更を妨害している「イヤらしい」勢力になります。
集団自衛権論争も同じで、「日本がアメリカの作った憲法に違反しようとしている・アメリカの主導する戦後秩序を破壊しようとしている」とアメリカに訴えるのは一見アメリカに忠実なように見えて,実質はアジア安保維持のために日本のよりいっそうの協力を求めるアメリカの足を引っ張るためのイヤらしい行動になっています。
幕末に幕府に忠誠心を持たない薩長が、神君(家康)以来の「祖法」を守れ・・攘夷決行を主張→・・やれば欧米列強に対して勝ち目がないのが明らかで、結果的に欧米の植民地になってしまうリスクがあって幕府が実行出来ないことを知りながら、攘夷決行を幕府に迫ったのと同様の手法です。
これが狡い便法に過ぎなかったことは、自分たちが政権を取ったら,欧米に迎合して直ぐに開放政策に転じたことを見ても分ります。

サイレントマジョリティ22(運動不参加者の心理2)

町内会等の署名簿を見ると近所の小さな子供まで含めて書いて来ています(町内なので親の氏名に続いて書いている氏名を見ればあそこの小学生の子供と直ぐ分ります)ので、杉並ゴミ戦争の参加者数字には署名者中成人が何人いたかは不明です。
今千葉市では、放射能汚染廃棄物の保管場所候補になったことについてホットな論争と言うより、お決まりの反対運動が始まっていますが、一旦火がつくと「反対して現に集まっている放射性ゴミをどうしたいの?」と言う意見は誰も言い出せない状態です。
原発「反対だから反対」社会党の土井党首の「駄目な者は駄目!」と言うフレーズが一世を風靡したことがありますが・・・こう言う単純思考の人にとっては、論理的一貫した運動のつもりのようですが、原発事故後福島から風に乗って千葉県に飛んで来た放射性物質が実際に各自治体に降り注いでしまった結果、あちこちのゴミ集積所に臨時的分散保管されているのですが、これをある程度まとめて厳重保管に移行した方が良いに決まっています。
放射性物質を集めたゴミ袋が、集積している現実をどうするかの問題と原発反対とは関係ないように見えますが・・・。
町内会で回覧板を回して(・・町内会名で署名を求める回覧を回すのは、踏み絵を迫るようでそれ自体が問題ですが・・こう言う場合左翼系は文句言いません)署名活動を始めましたが、それでもホンの何割かしか署名が集まっていません。
ただ、反対や説明を求める集会では反対論の人ばかりが行く傾向がありますから、そこにいると市民全部が反対しているかのように誤解してしまいます。
この種実質的反対集会でこそ、マスコミの派手な報道に誤摩化されず、サイレントマジョリテイーをどう見るかが重要です。
説明会に50人〜100人集まって、発言者が反対論ばかりだったとしても100万住民(千葉市は100万人に若干不足しています)の何%が反対しているか賛成しているか分りません。
秘密投票の保障されている状態で投票に行く手間を惜しむ人は、文字どおり棄権・・権利行使を怠っていると見るべきですから、投票結果にお任せ・・信任票と見るべきですが、強力な運動体から勧誘を受けても、参加しない・・回って来た署名にも応じない人は逆に不信任・・その運動に賛同していない人と言うべきではないでしょうか。
他方こう言う反対をするために集まる集会に行かない人が、行った人の多数に結果を委ねているとは到底思えません。
マスコミはこう言う集会の場合、行かない人を行った人に委ねているかのように過大に報道し、選挙の場合は逆に投票参加しない人を当選者に対する批判者と断定し、多数得票者を全有権者の半分も支持を受けていないとこき下ろす傾向があります。
マスコミや左翼系主張・・宣伝は実態を逆に評価してるのではないでしょうか?
弁護士会でも、閉鎖系委員会(があるとした)場合、独りだけ変わった意見を述べると孤立し吊るし上げまではされないとしても、独り孤立しているのは居心地の悪いものですから、予想される意見と違う人は行きたくなくなりますから、欠席や委員会所属を希望しないこと自体がその委員会活動に対する不同意〜ボイコットの意思表示とみてよいでしょう。
公害対策員会があって公害追及を積極的に行なっている場合・・今は下火ですが・・・・対象となっている公害企業の顧問弁護士はそう言う委員会に近づけません。
単純な公害反対ではなく、企業活動と公害防止の関係をどうしたら良いのか?まじめに考えている会員も、そんな野暮なことを質問したらばかにされるので近づけません。
未だに死刑廃止が良いかどうか判断がつかないので、その委員会に出掛けて行って「よく分らないので教えてくれ」と行ったらバカにされるだけでしょう・・みんなはどうやって次の運動をするかのために委員会を開いているのですから・・・そんな意識の低い人?が来たら邪魔なだけです。
こうして一般会員はドンドン専門?委員会から遠ざかって行きます。
それほど政治的ではない委員会・・例えば消費者系委員会でも立場が決まっているので、訪問販売や先物業界を擁護する意見の弁護士が、反対意見陳述の討論のために招かれて行くなら別ですが、・・日常委員会活動に参加したいとは思わないでしょう。
生産者と消費者と言う立場が固定されて対立しているだけではなく、生産者と消費者の折り合いが必要ですが、公正に折り合いを付けると言う発想が乏しいように感じられます。
生産者や販売者は強いのだから、兎も角消費者に有利になるように要求して行けば良いと言う一方の立場性が強固な印象です。

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