外見有用性と責任2(宇都宮病院事件1)

3月4日に紹介した宇都宮病院事件は、ちょっとずれて牽強付会の疑問がありますが?外見の一種・・あえて言えば医師資格・・あるいは資格信用失墜事例といえるでしょうか?
ちょっと長くなりますが引用して事件概要を紹介して起きます。
ウイキペデイア宇都宮病院事件

私立精神科病院の乱立[編集]
高度経済成長期には、精神科病床は1年間に1万床ずつ増加し続け、1950年(昭和25年)の1万8千床が1955年(昭和30年)には4万床、1965年(昭和40年)には17万床、そして1969年(昭和44年)には約25万床となった。この時期に開院した精神科病院は私立病院である。
1958年(昭和33年)10月2日には厚生省事務次官通知により、精神科の人員は一般診療科に対して、医師数は約3分の1、看護師数は約3分の2を基準とする特例基準が認められ、更に同年10月6日の医務局長通知で、事情によっては『その特例基準の人員数を満たさなくともよい』ことになったために、一般診療科の病院よりも人件費を抑えることができ、そして、措置入院の国庫負担も5割から8割に引き上げられたことで、一般診療科と比較して精神科病院の経営が容易となった。また、病院建設費用にも便宜が図られ、特殊法人医療金融公庫から長期低利融資を受けることができるようになり、病院建設自体も容易になった[4
精神科医の人数は病床の増加に見合ったものではなく、実際のところ増加した精神科病院に勤務する医師の殆どは、内科医や産婦人科医からの転進であった。精神科病院は内科や産婦人科よりも利益率のよい事業のため、医師たちは診療科を精神科に変更したのである。宇都宮病院もこの時期(1961年)に内科から精神科へ事業を変更している[6]。
クロルプロマジンなどの処方箋医薬品で、患者の興奮状態を抑制することができるようになると、少ない病院職員で多数の患者の管理が可能となり、病院の運営経費が少なくて済むとともに、病床数が多い(患者の処遇がベッドも無く『うなぎの寝床』になる状態)ほど、利益を上げられる構造になったのである[8]。
当時の日本の精神科病院の状況を、日本医師会の武見太郎会長は以下のように述べている。
精神医療は牧畜業だ
— 武見太郎、『爆弾精神科医』(p.143)
1983年4月、食事の内容に不満を漏らした入院患者が看護職員に金属パイプで約20分にわたって乱打され、約4時間後に死亡した。また同年12月にも、見舞いに来た知人に病院の現状を訴えた別の患者が、職員らに殴られ翌日に急死した[2]。
1983年(昭和58年)、宇都宮病院に不法収容されていたA氏が、東京大学医学部附属病院精神科病棟を訪れ、宇都宮病院の内情を暴露し、告発する意志があることを伝えると、東大病院精神病棟内に「宇都宮病院問題担当班」を設置し、弁護士や日本社会党と協力し、朝日新聞社宇都宮支部とも情報交換を行う[23]。A氏の証言がきっかけとなり、入院患者2人について、殺人事件が立証されることになる
精神科病院ゆえの閉鎖病棟や閉鎖性により、上記の実態や患者死亡事件は公にならなかったが、事件の翌年1984年3月14日に、朝日新聞朝刊によって報道され、日本の世論の大きな注目を集め、国会でも精神障害者の人権保障の面から、日本国政府の対応が糾された[3]。
地方公共団体の行政(都道府県)による病院監査も不十分であったため、実態の把握ができなかったこと、精神科病院の管理者を筆頭に、病院職員には倫理的な思考能力が欠落していたこと、日本社会の精神科医療に対する理解が、著しく不足していたことも背景としてある[34]。さらに、宇都宮病院には「必要悪」としての社会的存在意義が生じていた。
宇都宮病院では、対応困難と見なされた患者を積極的に受け入れ、収容施設の様相を呈していた[37]。
家族間の人間関係の悪化により、措置入院させられてしまう場合もある。前述したA氏は、兄B氏によって措置入院させられてしまった[38]。
A氏は、宇都宮病院を告発して民事訴訟を起こしており、1998年10月時点で第1審裁判が続いていた[39]が、2013年11月に死去した
A氏は晩年まで宇都宮病院の廃院を訴えて活動していた。

当時も人権侵害防止のために院内に公衆電話を設置するルールがあったのか?公衆電話を設置していたらしいのですが、宇都宮病院は患者に小銭を持たせなかったので、外部通報できなかったとも書いています。
宇都宮精神病院事件以降、精神病棟の閉鎖性が改善され、先進的医療を進めていた千葉県内の病院見学を千葉県弁護士会では司法修習生対象に長年継続してきました。
現在はその延長で、研修先病院を医療観察法制定後千葉県で受け皿主力になっている病院に変え(選択科目制ですが)研修を継続しています。
この事件は大々的報道があったことから結果的に医師の信用をいたく傷つけましたが、結果から見ると最大の進展は病院の閉鎖性を改善する・・誤った強制拘束を事後的に露見し易くする工夫・・程度にとどまったように見えます。
認定基準の客観性を担保する科学技術の進歩がない限り、精神病の認定データを周辺関係者による「これまでこういうことがあった」などの経過説明に頼る限り人権侵害リスクを防止するのは困難です。
医師の鑑定書だったか介護関係者の記述だったかの区別記憶が(実務上次々と読んだ記憶でしかないので)今になるとはっきりしないのですが、エピソードと称して親族による説明・・家庭内で起きた非合理な行いを細かく書いて判断基準にしている様子が見えるのですが、親族は他人に比べれば信用できるということでしょうが、今と違って数十年前には家族の関係が濃密でしたので、その分遺産分けの利害もあれば、長年我慢してきた怨念もあるなど逆に利害関係が複雑ですので家族の言い分だけでは危険です。
法律家から見ればこう言うエピソードを主要な間接事実として判断するのでは科学的判定と言えるのか疑問です。
こう言うエピソードがあればこの病気を疑える・診断して良いと言う診断基準の場合、診断が正しいかどうかの判定には、判断の材料にしたエピソードが本当にあったのか?その当てはめにミスがあるかどうかで決まるべきですが、判断の前提にしたエピソードが本当にあったかの検証方法が用意されていないようです。

資格の発達(外見有用性と責任)1

精神科医の精神病認定の恐ろしさから、被後見人等に偏ってしまいましたが、行為能力制度=能力制限制度全般と外見規制時代に戻します。
生まれ育った郷里で一生を終え見知らぬ人と会うことの稀な時代と違い、1日の内に早朝の満員電車に始まり見知らぬ人と遭遇し続けて何かしらの関係を大量に持つのが日常になると、チラッとも見ただけで駅員かその店の店員か救急車かなど即断できないと世の中がスムースに行きません。
初対面の人でも相手がどういうことを出来る人かすぐに分かり迷わずに対応できるためには、一定の資格制度やユニホームがあれば見知らぬ人でも一定の技術やノウハウを持っていると分かり、一定の仕事を委ねられるようになるのでスムースです。
初対面の人に名刺を先ず出すのも、その人がどこの会社の人でどういう職種かが即時に判明することによって、その人に何を頼んで良いかがわかって無駄な時間が省けます。
昨年夏ころ都内大病院の病室に見舞いのために繰り替えし通っていたところ、医師がジーンズにTシャツ姿でしたが、男性の場合作業員が立ち入って病状説明するわけがないので「あ、医師がきたんだ」とわかりましたが、話を始めて内容から判断しないと判断がつかないシステムになっているのには驚きました。
女性医師が来た場合、当初看護師さんが様子を見に来たのかとばかり思っていたら、看護師さんの説明とちょっとレベルが違う・付き添いしている身内の質問内容接し方等からもしかしたら医師かな?とこれも総合判断した次第です。
看護師の場合も昔のイメージ白衣の天使ではなくブルーの作業着式衣服で、いろんなことをするのでベッドメーキング的清拭作業する職種?の人と洋服だけでは区別がつかなくなっているのには驚きました。
たまに来る人には職種区別が分からなくとも良いというのが、大病院の主流的考え方なのでしょうか?
コンビニやスーパー、デパートやデイズニーランド、ファミレス、交通機関など今流行りの「濃厚接触」を前提にしない業態では店員・施設職員と客の違いが外見ですぐわかる方が客にはあり難いものです。
工事現場付近の誘導員もユニフォームと警棒式の赤い?棒を振り回しているので一々何してるんですか?と聞かなくとも、その指示に従って迂回歩行すると安全なのだと瞬時判断ができ、迂回路誘導がスムースに行われます。
対面相手の能力内容が初対面の人にも一定水準の能力保障をしてくれるのが資格制度やユニフォーム着用や名刺であり、〇〇銀行や弁護士等の名称を使用できる許可?制であり、(銀行の看板だけでビル内に入る用事があるかどうかも判断可能)近代社会をスムースに動かせる必須のアイテムです。
こうして交流拡大に応じて各種職業の資格制度・外見の統一が発達してきました。
江戸時代までは武士と町人では衣服や髪形や会話形式からして違う・・家に門構えが許されるか土塀か生垣かなどあらゆる方面で格式が分かる仕組みでした。
京都に行くと土塀でも門跡寺院には、線が入っているなど外観で判断できるのはそれなりに便利です。
外見判断の合理化という意味で見れば、江戸時代の士農工商の区別は身分というより職業分類であったと見るべきでしょう。
(世襲といっても当時も大名家自身の改易や家臣の家禄召し上げ等が結構あったので、大名家家老等の名門でも盤石ではありませんでしたので、本来身分と言えないと思われます)
大手銀行(大大名)でない地方銀行(10万石内外の大名)や相互銀行(3〜5万石の大名)信用金庫(戦国レベルの上流武士・多くは旗本クラス)でも銀行員(金融機関・武士)であれば一生食いはぐれがないという1世代前までの職業観と似ていたように見えます。
身分でなくとも従業員としての雇用安定程度?や格式重視制度はそれなりに意味があったというべきでしょう。
現在に戻りますと一定の規格基準に合致して初めて医師、建築士であり理髪師、調理師、代議士であるし、政党と言えるし、大手企業従業員であれば(せっかく得た地位を安易に棒に触れないので)一定の信用ができるという意味で所属が重視されます。
信用力の高さを求めればその維持のために期待外れのことができない不自由度は表裏の関係です。
外見でまず判断できる社会は省エネ・・効率の良い社会ですが、これを悪用する人がもちろん出てきます。
「看板にいつわりあり」ということですが、〇〇職員を名乗るオレオレ詐欺などもこの一種です。
商人や法人がある人に対して名目だけの外見的資格使用を許している場合、その責任を負う制度を法人制度と同時に採用しています。
法人制度の骨格を決めた基本法であった民法旧規定(公益法人3法成立と同時に削除される前の規定)は以下の通りです。
http://www.pref.osaka.lg.jp/houbun/koueki/kyuminpou.html

(名称の使用制限)
第三十五条 社団法人又は財団法人でない者は、その名称中に社団法人若しくは財団法人という文字又はこれらと誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。
(法人の代表)
第五十三条 理事は、法人のすべての事務について、法人を代表する。ただし、定款の規定又は寄附行為の趣旨に反することはできず、また、社団法人にあっては総会の決議に従わなければならない。
(理事の代理権の制限)
第五十四条 理事の代理権に加えた制限は、善意の第三者に対抗することができない。
上記条文は、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成十八年法律第四十八号)
77条にそのまま引き継がれています。

商法

(明治三十二年法律第四十八号)
第九条
2 故意又は過失によって不実の事項を登記した者は、その事項が不実であることをもって善意の第三者に対抗することができない。

会社法(平成十七年法律第八十六号)

第七条 会社でない者は、その名称又は商号中に、会社であると誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。
(表見支配人)
第十三条 会社の本店又は支店の事業の主任者であることを示す名称を付した使用人は、当該本店又は支店の事業に関し、一切の裁判外の行為をする権限を有するものとみなす。ただし、相手方が悪意であったときは、この限りでない。
(表見代表取締役)
第三百五十四条 株式会社は、代表取締役以外の取締役に社長、副社長その他株式会社を代表する権限を有するものと認められる名称を付した場合には、当該取締役がした行為について、善意の第三者に対してその責任を負う。

工事現場付近の誘導員もユニフォームと警棒式の赤い?棒を振り回しているので一々何してるんですか?と聞かなくとも、その指示に従って迂回歩行すると安全なのだと瞬時判断ができ、迂回路誘導がスムースに行われます。
対面相手の能力内容が初対面の人にも一定水準の能力保障をしてくれるのが資格制度やユニフォーム着用や名刺であり、〇〇銀行や弁護士等の名称を使用できる許可?制であり、(銀行の看板だけでビル内に入る用事があるかどうかも判断可能)近代社会をスムースに動かせる必須のアイテムです。
こうして交流拡大に応じて各種職業の資格制度・外見の統一が発達してきました。
江戸時代までは武士と町人では衣服や髪形や会話形式からして違う・・家に門構えが許されるか土塀か生垣かなどあらゆる方面で格式が分かる仕組みでした。
京都に行くと土塀でも門跡寺院には、線が入っているなど外観で判断できるのはそれなりに便利です。
そういう意味で見れば、江戸時代の身分というより(当時も大名家自身の改易や家臣の家禄召し上げ等が結構あったので家老等の名門でも盤石ではありませんでした)今で言えば大企業従業員としての雇用安定程度)?や格式重視制度はそれなりに意味があったというべきでしょう。
現在に戻りますと一定の規格基準に合致して初めて医師、建築士であり理髪師、調理師、代議士であるし、政党と言えるし、大手企業従業員であれば(せっかく得た地位を安易に棒に触れないので)一定の信用ができるという意味で所属が重視されます。
信用と不自由は表裏の関係です。
外見でまず判断できる社会は省エネ・・効率の良い社会ですが、これを悪用する人がもちろん出てきます。
「看板にいつわりあり」ということですが、〇〇職員を名乗るオレオレ詐欺などもこの一種です。
商人や法人がある人に対して名目だけの外見的資格使用を許している場合、その責任を負う制度を法人制度と同時に採用しています。
法人制度の骨格を決めた基本法であった民法旧規定(公益法人3法成立と同時に削除される前の規定)は以下の通りです。
http://www.pref.osaka.lg.jp/houbun/koueki/kyuminpou.html

(名称の使用制限)
第三十五条 社団法人又は財団法人でない者は、その名称中に社団法人若しくは財団法人という文字又はこれらと誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。
(法人の代表)
第五十三条 理事は、法人のすべての事務について、法人を代表する。ただし、定款の規定又は寄附行為の趣旨に反することはできず、また、社団法人にあっては総会の決議に従わなければならない。
(理事の代理権の制限)
第五十四条 理事の代理権に加えた制限は、善意の第三者に対抗することができない。
上記条文は、一般社団法人及び一般財団法人に関する法律(平成十八年法律第四十八号)
77条にそのまま引き継がれています。

商法

(明治三十二年法律第四十八号)
第九条
2 故意又は過失によって不実の事項を登記した者は、その事項が不実であることをもって善意の第三者に対抗することができない。

会社法(平成十七年法律第八十六号)

第七条 会社でない者は、その名称又は商号中に、会社であると誤認されるおそれのある文字を用いてはならない。
(表見支配人)
第十三条 会社の本店又は支店の事業の主任者であることを示す名称を付した使用人は、当該本店又は支店の事業に関し、一切の裁判外の行為をする権限を有するものとみなす。ただし、相手方が悪意であったときは、この限りでない。
(表見代表取締役)
第三百五十四条 株式会社は、代表取締役以外の取締役に社長、副社長その他株式会社を代表する権限を有するものと認められる名称を付した場合には、当該取締役がした行為について、善意の第三者に対してその責任を負う。

メデイアの中立報道責任2(朝日慰安婦騒動の検証報告書)

慰安婦騒動について朝日新聞がフィクションにすぎない吉田調書記載事実の裏付けを何故かしないまま、これを事実であるかのように大規模報道をはじめた(朝日なら手堅く事実の裏を取っただろうとの信用を利用した)ことにより、他紙も追随報道競争に入ったことから日本でフィーバーしてしまい、韓国でも大問題になってきた経過と記憶しています。
その点ズバリの根拠を今探せませんが、検証委員会報告書を見ると朝日の報道を起点に韓国が追いかける状況が出ています。
朝日新聞に対する独立検証委員会報告の一部です。
朝日報道後これにショックを受け?世界的に慰安婦=性奴隷理解を前提にした国際世論が形成され常識化していった経緯が報告書の10p前後に書かれていますので、その一部と韓国の部分のみ一部引用します。
http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219-C20150227.pdf

米国紙の分析の結果、朝日と第三者委員会が認めていない以下の重要な事実が判明した。①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、間違いなく米国紙に多大な影響を与えた。なぜなら、主要3紙が慰安婦に関するまとまった記事を書くのはすべて、その直後からだからだ。言い換えると、米国主要3紙は朝日が「92年1月強制連行プロパガンダ」を行う以前は、慰安婦問題をほぼ無視し、取り上げていなかった。

・・以下国際影響部分省略

主要韓国紙分析で明らかになった朝日の責任

また、韓国紙の分析の結果、やはり以下の事実が判明した。
①「92年1月強制連行プロパガンダ」は、韓国にも影響を及ぼした。韓国では慰安婦問題は日本から提起された、と捉えられていた。
韓国紙が慰安婦問題を集中的に取り上げるのは、92年1月からだ。
1月11日付朝日の「軍関与」資料発見記事と、それに触発された韓国紙が同年1月14日に「12歳の小学生まで慰安婦にした」という誤報をしたことが契機になった。
②92年1月当時、韓国紙は「強制連行」の根拠として吉田清治証言、金学順証言などを挙げていた。
③韓国において慰安婦問題の根拠とされた事柄は、未だに生きている。2012年8月30日付朝鮮日報社説は、朝日が報じた軍関与資料や吉田証言を、強制連行の根拠として挙げている。
④朝日が大々的に報じ、2014年まで取り消さなかった吉田清治氏の数々の「証言」は、韓国人に慰安婦について一定のイメージを植え付け、慰安婦強制連行を裏付ける重要根拠となった。⑤韓国の国定歴史教科書が慰安婦を「挺身隊の名で連行された・・・

(反日に偏った報道?で味噌をつけたメデイアに代わって)最近流行っているのは日本に籍を置くNGOが人権擁護のため?日本企業の海外工場批判等のキャンペインを張る→その国では無視できなくなる構図ですが、いわば慰安婦報道や、中間批判発言を「失言」などとして厳しく批判してきたのと根が同じ・・心情的別働隊みたいなものでしょうか?
ところで、(まだ3週間前後しかたっていないと思いますが)どういう意図か不明ですが?日経新聞で、元ジャイアンツのオーナーだったか?いわゆるナベツネ氏発言「選手の分際で・・」という趣旨の発言の流れが紹介されていました。
当時何気無く読んだので、何月何日の記事か正確な流れを思い出せませんので以下は当時受けた印象を書いています・・。
どこかの記者が球団再編問題が大騒ぎになっていた時期に、そうした業界再編のテーマは重大な影響を受けるが当事者でない選手にとっては蚊帳の外の関係でした。
各種企業の工場や支店の売却問題では、所属従業員には重大な関心のあることですから、節目節目で社内説明会などするでしょうが、交渉当事者でないのが普通です。
いわゆる終身雇用の正規従業員ですらないのですが、国民観衆から見ればなんとなく球団主役のような印象を与える点で外形と実質的地位の乖離の激しい分野です。
昔で言えば、映画会社とスター俳優の関係・現在のテレビ局と常連コメンテーターのような関係ですから、テレビ局同士の合併や買収交渉の当事者でないのと同じでしょう。
多分球団再編に批判的立場の報道機関があって、選手会会長に(野球界で絶大な発言権を誇っていたオーナー・ナベツネに)直接面会希望されますか?というような質問を向けたところ、選手会長が「お会いいただければありがたい」という程度の応答をしたらしいのですが、これを引き継いだ別の記者がナベツネに対し記者会見のような公式の場ではなく何かの時(ぶら下がり取材?)に「選手会会長が、面会要求しているが応じますか!」という趣旨の質問をしたので、(むつとして)「何さまと思ってる!という意味で、不快感を示したのが顛末のようです。
企業で言えば労働組合委員長がM&A問題に関して社長に直接会談要求するような関係ですから、イレギュラーな要求となります。
実務上、労組が交渉当事者になる労働条件交渉であっても、いきなりトップ会談を要求するのはよほどのことがない限り異例のことですから、一瞬「手順が違いすぎるだろう」という反応自体おかしなことではなかったのでしょう。
その記事によると選手は実際交渉当事者ではないものの、内部関係ルートでそれぞれ情報を説明していたようです。
その発言に続いて言いすぎたと気がついて?ナベツネが、選手にも立派な人もるもいるから・・と即時修正したらしいのですが、報道ではそうした部分は出なかったということらしいです。
この騒動で確定寸前であった球団再編成のテーマが横に飛んでしまい、ウヤムヤになって現在に至っているようです。
当時球団再編成した方が良かったかどうかは別として、メデイアが持って行きたい方向へ編集報道するのが当時も常態化していたことがこの例でもわかります。
今になって経緯・真相を書いても、一旦しぼんでしまった球団再編の機運は元に戻らない・・今の基準で言えば一種のフェイク報道だったでしょうか?
慰安婦騒動は時流?を読んだ各メデイアが、競って日本政府の責任になるような情報を探し、根拠のない情報でも新事実発見のようなセンセーショナルな、報道競争にうつつを抜かし、他方で否定的証拠には見向きもしない報道傾向があのような狂想曲状態になってしまったようです。
メデイアは韓国贔屓報道が批判されると、今度は掌返しで、嫌韓方向ならいいだろうと、また偏った報道に精出しているように危惧されます。
戦前好戦的主張してきたメデイア界が戦後GHQのお先棒担ぎに転じ、その延長で日本批判(の地位低下を目指し)ばかりの角度での報道に徹して慰安婦騒動のタネをまいてきたように思えます。
親中韓報道を批判されると今度は嫌韓?というトレンドで一方的報道をしているように見えるのは、トレンドの読み違いの反省に過ぎず、「報道の中立客観性の重要性に思いをいたすべき」という真の反省を欠いている・・反省する方向が間違っているように思われます。
報道傾向が一方に偏っていないかの私の意見は、埋もれている事実があるかないかすら報道がないので分からない=危惧にすぎませんが、なんとなく嫌韓感情を刺激する方向の一方的報道が多すぎる印象の危うさを書いています。

韓国政治家の表向き主張と本音の違い2(メデイアの中立報道責任1)

貴賓の訪問を求める意識の続き・・対トランプ関係の日韓比較です。https://www.asahi.com/articles/ASM4M3CF0M4MUTFK007.html

岡村夏樹 2019年4月19日11時33分
トランプ夫妻、5月に来日 異例の3カ月連続の首脳会談
政府は19日午前の閣議で、トランプ米大統領とメラニア夫人を5月25~28日に国賓として迎えることを決めた。5月1日に即位する皇太子さまが新天皇として初めて会見する国賓となる。トランプ氏は安倍晋三首相と会談し、北朝鮮問題などについて意見を交わす予定だ。
一方、首相は今月26、27日の日程で米国を訪問し、トランプ氏と会談する。トランプ氏は6月28、29日にも大阪での主要20カ国・地域(G20)首脳会議のため来日予定で、異例の3カ月連続の首脳会談となる。

トランプ氏は翌6月にまた大阪に来る予定ですから、そのうち1回くらい韓国へ行くしかないか?という外交儀礼のようです。
さすがにそこまで断れないだろうという安全パイで、韓国はたった2分しかなかたっと報道されているトランプ氏との首脳会談で要請したのでしょう。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000018-yonh-kr

4/12(金) 4:57配信
文大統領 トランプ氏に訪韓要請

その成果かどうか不明ですが、トランプ氏も外交儀礼上あまりコケにできないので以下の通り日本へ来たついでによりましょうとなったようです。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190516/k10011917701000.html

2019年5月16日 9時06分
ホワイトハウスは15日、声明で、トランプ大統領が来月下旬に開かれるG20大阪サミットに参加するため日本を訪問するのに合わせ、韓国にも訪問すると発表しました。

江戸時代で言えば将軍家が大名の屋敷を訪問するとなれば、御成門(東大の赤門は、加賀前田家が将軍家を迎えた時の御成門です)を造営するなど、一世一代の栄誉でした。
天皇制度は敗戦によって神格を否定したとはいえ、世界に冠たる日本の伝統文化に根ざした日本の文化価値を象徴する至宝中の至宝です。
日本文化が憧れを持って受け入れられるレベルに応じて天皇訪問あるいは拝謁できる価値が上下する関係でしょう。
このように日本の天皇陛下が訪問するということは、国内であればその地域、外国であればその国にとって、名誉なことあるいは国際的地位向上に大きな誉れになる大イベントです。
天皇陛下の政治効用が大きいからといって、軽々に天皇陛下がナーバスな政治問題の取引に天皇陛下を利用すべきかは日本国民が慎重判断すべきことで、外国からの要求、仮に要請であってもそれに反応して決めるべきことでないでしょう。
韓国国会議長の発言が仮に全体として、あるいは本音で日韓友好のためにしたものであったとしても、日本人は天皇陛下を利用するなど恐れ多いこととして、おくびにも出せないほど神経を使うものです。
この辺の機微を弁えない・日本統治下にいたはずなのに・わずか40年の経験では韓国人には理解できない?意見となるのでしょう。
日本における天皇の地位は微妙な理解のもとに成り立っている・・・微妙な間合いを図りながら運営してきたからこそ、時代の変化に揉まれながらも天皇制度が古代から連綿と続いてきたのです。
「機微を弁えないから・・話にならない」と否定するならば・天皇利用などの議論にのれないという正面の議論をすべきであって、片言隻句を捉えて嫌韓感情を煽るのは良くないでしょう。
天安門事件後国際孤立した中国からの天皇陛下訪中(必死の)要請に、日本政府が、戦争で迷惑をかけたことを踏まえて?応じた例もあります。
天皇訪中により名誉回復できて、国際社会復帰の糸口を見いだしたのが中国でした。
とはいえ、どういう場合であっても天皇陛下がお出ましになるのはあくまで親善を固める目的であって相手国の対日要求を取り下げてもらうような政治取引に天皇陛下を利用するようなことは、日本国憲法の精神のみならず国民感情に適合しないことは明らかです。
韓国国会議長の発言前後の文脈・本音発言が翻訳されてきませんが、日本メデイア界が、最近韓国で「またこういう暴言が出た」という(嫌韓感情を煽る)刺激的方向での報道に特化してきたように見えます。
昭和50年代に日本政治家が本音を語ると日本メデイアが「また妄言・失言と騒ぎ立てるので、それに対し中韓が日本で反中韓発言・あるいは靖国参拝や教科書の記述が国内問題になっているのに、被害国の中韓メデイアや政府が問題視しないのはおかしい!と国内問題に波及して追っかけて中韓のメデイアが取り上げ、政府間のトゲになってきた経過が知られています。
慰安婦騒動も靖国参拝の政治問題化まず日本国内で火をつけて、中韓メデイアや政府がやむなく追いかけたものです。
例えば、靖国神社に関するウイキペデイア中の中国関係の記事です。

中華人民共和国政府は、1979年4月にA級戦犯合祀が公になった時から1985年7月までの6年4月間、3人の首相が計21回参拝したことに対しては何の反応も示さなかったが、1985年8月の中曽根首相の参拝以後は、「A級戦犯が合祀されている靖国神社に首相が参拝すること」は、中国に対する日本の侵略戦争を正当化することであり、絶対に容認しないという見解を表明し続けている。

中国は合祀後6年模型化してから苦し紛れに戦犯合祀を批判名目にしていますが、上記引用の通り合祀したのは6年前のことです。
慰安婦騒動も、日本のメデイアが始めたものですが。当時の事実を知っている韓国人の多くが相手にしなかった・最初韓国ではそんな夢物語など相手にしていなかったと言われます。
外国・特に中韓の国民感情を刺激するテーマで日本政府批判のキャンペインを日本国内で張る→自国民の被害がひどいと加害国で問題になっているのに自国政府が無関心で良いのか!の被害国とされている国の報道が過熱する・その国の政府が反応せざるを得なくなる関係悪化を煽る・悪習が批判されたことによって、逆方向で嫌韓感情に便乗して復活して来たようです。
反省の方向が違っていないか?
反省すべきは角度をつける報道をしたことの反省であって、客観事実を中立報道する精神を大事にすることでしょう。

各種反対政治運動背後の利害

政治とはその政策実現によって受益するグループと損するグループのせめぎ合いです。
非合理な扇動にすぐに乗るレベル・・付和雷同型もいますが、扇動する側の人材は一応憲法学者や弁護士ジャーナリスト等ある程度の知識人が多いことから見ると、それぞれがなんらかの利害関係者の意向を受けて動いていたと見るのが合理的です。
芦部理論・自己実現自己統治論を理解して「これは使える」と図式化して中レベル階層へのセールストークに書き換えていく知恵者が、低レベルとは思えません。
集団自衛権論を「戦争法」と言い換える(浅?)知恵者と同じです。
背後の利害当事者を見ると、日本の再軍備反対〜独立反対〜反安保運動〜沖縄基地を残す返還反対は、(密約騒ぎはその亜流です)日本対旧ソ連系諸国の利害であり、公害・・工場立地や高速道路、空港開設などありとあらゆるイノベーション反対(パソコンやレンジの害を強調し防犯カメラ反対など)運動は日本台頭を抑え込みたい国際競争上の利害国全部による対日包囲網であり、尖閣諸島問題は、日中であり、慰安婦騒動で言えば韓国による日本の国際的地位低下を目指す運動です。
それぞれに呼応する国内運動体・支持層がいつも共通して(何々を守る会などと名称こそ違いますが、概ね同じような構成員がダブっているイメージです)いるところが不思議です。
ずべての事件で日本支持層は日本人である限り重複しているのは当たり前ですが、片面講和反対に始まり、相手がソ連であれ中国であれ韓国であれ、日本民族弱体化したい勢力といつも利害共通の運動に精出すのを見れば、理解力の低い単純思考グループとバカにするのは間違いです。
単純図式に反応する人材を表面に出して敵を欺く・「バカの集まりだから相手にする必要がない」と油断させる高等戦術だったとも言えます。
慰安婦騒動ではこの戦術に乗せられて「ばかのいうことはほっておけばいい」と放置していたツケが回ったのです。
例えば集団自衛権立法反対運動の檄文の一例は以下の通りです。
https://shikyoso.blog.so-net.ne.jp/archive/c2305081007-1

こんにちは!静岡市教組です。

・・・この一年余、「戦争法案絶対反対」「9条壊すな」の声は全国津々浦々にひろがり、老若男女がこぞって行動し手を結ぶ歴史的なうねりとなってきた。最高裁長官や内閣法制局長官の職にあった人びとをはじめ、学者、法律家、宗教者、芸能人などを含むあらゆる分野で「戦争法案廃案」の声が湧きあがり、大学生や高校生、若い母親たちの主体的な行動とも響きあい、違いを超えた広範な共同行動が生み出された。私たち「総がかり行動実行委員会」は、このような運動の発展に一定の役割を果たすことができたことを誇りに思う。
この間、全国数千か所での人びとの行動を背景にして国会正門前を連日埋めつくし、国会を何度も包囲した人びとの波は、暴走する政府・与党に立ちふさがる巨大な壁となり、政府・与党を大きく揺さぶり、窮地に追い込んだ。この広範な人びとの声と行動こそが、民主・共産・社民・生活の連携を支え、野党の闘いを強めるという画期的な状況をつくりだした。

この種のネット記事は巷に溢れています。
1億数千万の人口のうち非武装平和論や戦争になると信じるレベルの人が総人口の1%でも百数十万ですし、国会周辺への日帰り圏人口は2千万を超えていますので、その1%でも20万人もいるのです。
こらの人たちは「自己実現・自己統治はいいことだ」という応援に力を得て政治活動に関する活動力が上がっている上にお祭り騒ぎでテンションが上がっているのもわかります。
彼らが繰り返しデモに参加すれば国会周辺で2〜3万前後集まってもそれが国民大方の意思とは関係がありません。
数万のサッカーファンが暴徒化しても、それが国民意思と関係ないのと同じです。
選挙でも自己実現・自己統治理論によって投票率や活動力が一般の人より高いとすれば、4〜50%の投票率の場合、得票率1%の支持を得ているとしても投票しなかった人を含めた実態はもっと支持率が低いことになります。
悪天候等で投票率が下がると組織票に頼る共産党や公明党の得票率が上がると一般的に言われていることを想起してもいいでしょう。
逆からいえば、投票率30%でも60〜65%でも凝り固まった組織票の場合得票数が変わらないので65%になれば投票率が極端に下がる政党となります。
意見が違うから議論するために会議や議会があるのですが、どの政策を採用するかが決まった後は前向きに実現に協力しその過程で運用によって判明した不都合の修正を提案するのが政治家の仕事でしょうが、今までの野党のやり方はそれを怠りせっかくの権限を政権批判に利用するばかりです。
企業内や同好会その他あらゆる組織でこういうことをする人が、その組織内で一定の居場所があるのか?を考えれば、日本の野党の政治活動のあり方が如何に異常であるかが分かるでしょう。
団体や組織とまでいかない友人関係でも・気に入らないとプイッと横を向いて協力しないどころか妨害に精出すような人は、その集団内での居場所をなくすのが普通です。
これが政治問題になると芦部憲法によれば、自己実現・自己統治の崇高さを解くので、これを図式的理解する人たちは、違法でない限り何(妨害行為?)をしても許されると誤解しているようですし、国民も何%かの人が誤解しているのが不思議です。
日本では欧米よりも数千年以上も前から進んだ社会合意のあり方が確立していたことを繰り返し書いてきましたが、欧米がフランス革命で初めて手に入れた民意重視政治の理想(まだ経験不足で観念の先走りです)伝播は、多くの国では新しい統治形態の新知識でしょうが、数千年以上前から衆議で決めていく伝統のある我が国にとっては、小さな子供が生煮えの知識を学校で習ってきた料理の仕方などを両親に自慢しているような姿です。
これを象徴するのが絵画の世界で、幕末欧米の新技術・遠近法あるいはブルーの顔料はそのまま部分的に取り入れたものの北斎に象徴されるように「美意識」そのものは日本の方が優れていたので、ジャポニズムとして西洋文化に影響を与えてきました。
輸入された民主主義は児童の料理自慢同様で、まだ生煮え的歴史段階ですので、落ち着いた結論を出す様式を確立できていないので、人材次第で「自己実現はいいことだ」式の乱用的に利用すると文字通り衆愚政治になってしまいます。

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