扶養義務法定の背景

明治以降居候・厄介をやめてムラから外に出て行っても行方不明扱い・・除籍せずに、飽くまで一家の構成員として相互扶助関係を法で強制するようになった背景を考えてみましょう。
明治政府が特別な人権思想で戸主の扶養義務を創設したものではあり得ないので、それなりの必要性があったことになります。
明治以降政府が富国強兵策・「生めよ増やせよ」政策をとる以上は、跡取り以外の人材に対して、失業して野たれ死にするのは本人の勝手だとする無責任な政府の姿勢では国民が子沢山政治に協力しません。
そこで、跡取り以外の郷里を出た国民に対する何らかの保障が必要になってきます。
子沢山政策を支えた背景としては、実体経済的には、江戸時代とは違い、男子には兵士や炭坑労働者・各種工場労働者等新規産業用の需要が多くあったし、女子にも製糸・繊維工場の工員等としての需要があった結果、跡取り以外の国民の受け入れ可能・需要が伸びたことが大きいのですが、近代産業の場合、一定周期の好不況の波があり、また労働者自身の傷病もあって、労働市場からの脱落が一定割合で発生します。
また女性の場合、一定割合の離婚も発生します。
江戸時代には離婚は稀ではなくむしろ頻繁・気楽に行われていたことをどこかに書いたことがありますが、これは1男一女で人手不足の時代であるからこそ可能だったのです。
(稲作農業は主として女性労働力で賄われていたので、働き者の女性の場合戻ってくれば引く手数多で、女性の方からの離婚要求が多く、男性は仕方なしに離縁状にサインするしかない状態が続いていたのです・・間引き社会では女性が不足気味に推移していたことも大きな原因だったでしょう)
ところが娘が2人も3人もいる時代になってもしもしょっ中離婚して帰ってくると、親元でも再就職・再婚先をそうは簡単に見つけられません。
農村同士の婚姻・離婚の場合には、これに対応する嫁不足もありますが、(例えば10%の確率で離婚があれば、10%の確率で再婚相手を探す需要も起きます)都会の嫁ぎ先から帰った娘に対応する農村での需要はあり得ません。
その上、都市労働の経験が中心ですと農家の働き手としての能力不足ですので、性質上都会での仕事・再婚を探すしかないのですが、郷里の跡取りにはそんな能力は原則としてありません。
私の子供の頃でも、都会に出たもの同士の結婚は郷里の人の口添えで(同郷同士の結婚)相手が決まることが多かったものです。
そこで明治以降「離婚はとんでもないこと」だとする意識教育が行われるようになって行き、出戻りとして蔑む風潮も生まれて(処女かどうかもその頃から発達した概念ですし、男性も離婚するような男は信用されないとする意識も生まれました)これがうまく定着したので、これらの意識が江戸時代からあったかのように今では誤解しているのです。
最近は離婚経験をタブー視する風潮が薄れましたが、これは、都会人は都会人同士自分で相手を捜すようになったことが大きいでしょう。
誰も世話してくれない点は初婚も再婚も同じ土俵になりました。
離婚の場合は意識教育・・締め付けで離婚率をある程度引き下げられるので何とかなりますが、景気の波によって失業したり一定率で発生する病気するのは個人の努力や意識教育だけではこれを減らすことが出来ません。
波の来る度に度に飢え死にしたり乞食になるのを、個人の責任として放置していたのでは社会が持ちません。
失業・解雇を個人レベルで見れば日頃の業績・勤務態度の悪い順に対象になるとすれば、日頃の仕事ぶりが重要・個人責任ですが、これを全体で観察すれば、仮に全員が同じくまじめに努力していても不況が来れば一定率で余剰人員が出るのは防げないので、全体としてはこの種の道徳教育によることは無理のある立論です。
病気も個人の健康管理が重要としても大量観察すれば、繊維系工場では肺結核が大量に発生するなど職業病も多くあり、個人の努力だけでは解決出来ないことが明らかです。
現在では、この受け皿として労災補償・失業保険などの社会保険、個人的には生命保険等で賄われて・・最後は生活保護があるのですが、当時はこうした受け皿がなかった(政府には力がなかった)ので、親元をその責任者にするしかなかったのです。
以上の次第で、明治民法の扶養義務法定は、ショックアブソーバーとして(何かあれば帰ってこいよ・・)の親元の受け入れ奨励・義務化が必須だった事によると思われます。
その見返りとして、それまで法定されていなかったものの事実上行われていた長男の家督相続制が法定されたのでしょうが、これは事実上のものを法律上の権利にしただけで、長男には新たな利益ではありません。
とは言え、大恐慌のように一斉に失業して帰郷しない限り・・偶発的に離婚その他で帰ってくる程度・失業して帰って来てもⅠ〜2ヶ月でまた出て行くような場合、一応の役割は果たせていたのです。
今でも義務かどうかは別として、都市近郊に親がいる場合、失業すると次の職が見つかるまで親の家に戻っている例をJanuary 31, 2011「都市住民内格差5」のコラムで紹介しました。
ちなみに居候と厄介の違いは、居候は長期間同居を意味していて厄介は短期・臨時の場合だったでしょう。

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