最低レベル競争の有用性4(民族のDNA1)

オーバードクターや理容美容師や1級建築士等の供給が増えたからと言って、受入れ業界で大学教授を倍増するなどの救済をしているでしょうか?
就職率アップ・救済に取り組む必要があるのは、その供給に関与している業界(資格付与機関・・各種学校や大学院等)が自己の業界維持のためにするべきことです。
(就職出来ないと理容師等になる人が減る・・専門学校や法科大学院を維持出来なくなります)
オーバードクターや司法試験合格者増による就職難は供給側(大学院等の応募者が減ることから)に責任のあることであって、受け入れ側で入会資格を何故レベルダウンせねならないのか不思議です。
2月10日に書き始めていた国家・社会の最低レベルに話題を戻します。
どこの社会でも最下位層がいて、しかも文字も読めない人や精薄レベルの人がいる点は同じですし、彼らに出て行ってくれとは言えないのですから最低ランク自体は同じと言えます。
ただ、民族の歴史によって、受け継いだ道徳的DNAが違いますので、知能指数等計測可能なレベルとは違ってイザというときの判断・行動基準の差が出てきます。
我が国の場合、東北大地震〜津波で治安を含めていろんなインフラが広域に100%機能不全を起こしても暴動略奪が全く起きなかったどころか、積極的な助け合いが起きたことに世界中が驚いていました。
戦前から路傍の乞食まで新聞を読んでいるのを見た来日した外国人が驚いている記事が一杯あったのを想起しても良いでしょうが、知能水準だけではなく、日本の最低生活者の道徳レベルが世界各国に比べてかなり高いことと、これまで書いて来たように同胞意識が強固ですが、危機時にこそ逆に同胞意識が表面化するので、我が国では非常事態に乗じて暴動や火事場泥棒を起こす人が殆どいないのです。
日頃から犯罪傾向の強いアウトロ−な人でも郷土や村落共同体の危機時には助け合いに精出す傾向があります。
国民の道義的最低レベルは、危機・困窮時にこそ明らかになります。
健康レベルも同じで、暖衣飽食・楽しているときには大差がありませんが、限界的挑戦・・登山その他危機時にこそ体力差が現れます。
東北大震災でも日本国民の行動は多分世界中でも希有の事例だったでしょうし、それだけ民度が高度・・構成員の最低レベルの水準が高いことを証明したのです。
わが国の基準・・・政府と国民が一体であると言う価値基準で言えば、中国での反日暴動・日本商店での略奪は国民全部の意識かと誤解し勝ちですが、2月10日に書いたように国民の0、1%にも満たない・・しかも最低レベルの人たちの支持で行われているに過ぎないと思った方が良いでしょう。
(13億の1%は1300万人ですから、2〜3〜10万の暴徒などは、その辺に目にもつかない程度の小さなゴミが風で散らばったくらいの数です。)
大多数の中国人(99・9%以上)は、恥ずかしいことだと内心眉をひそめていた可能性があります。
道路で痰を吐く習慣は解放直後は中国要人でさえそうだったようですが、(鄧小平などトップクラスが来日時に東京の一流ホテルの高級じゅうたんの上にところ構わず痰を吐くのでホテル側では困りきっていたようです)今では日本に来る旅行者がホテルや畳の上に痰を吐くようなことをしませんので、最低クラスだけがその習慣を維持しているだけでしょう。
今回中国ではげしい対日暴動が起きても日本国内で跳ねっ返り(短絡的行動を好む筈)の右翼でさえ、短絡的行動をする人がいなかったのは最低民度のレベル差によります。
民度差・・暴動等でその国の民度を決める基準として、学校やスポーツ団体等で上位者レベルの競争ならば簡単ですが、最下位者同士の競争をしてランク付けするのは、結構難しいことです。
日本とその他の国のように最下位者のレベルが格段に違っていない限り最低レベル差の判定は難しいことから、安直なトップクラスの差で国威発揚が試みられて来たのです。
しかし、最下位者のレベル差こそ、犯罪率の差になるし社会の安定・・住み易さにとって重要な要素になります。
ノーベル賞受賞者やオリンピック金メダリストがA国ではB国の10倍いても、その国が格差社会で最低生活者がB国の10倍いる社会であれば、A国の方が病んでいることになりますし、生活し難い社会です。

中国に歴史があるか3(民族の断絶性2)

中国や韓国の場合、歴史とは今の権力に都合の良いプロパガンダに過ぎない(嘘でも何でも主張していれば良い)と言うスタンスになったのは、(勝てば官軍という言葉が我が国にもありますが(・・薩長と徳川の入れ代わり程度では済まない)現地支配民族がしょっ中入れ替わって来た歴史があるからではないでしょうか。
我が国では焚書の習慣がありませんので、薩長が政権を取ったからと言って旧幕府の政治記録一切を抹殺することは出来ません。
焚書と言えば占領軍司令官としてマッカーサーが日本で君臨していたときに、占領政策に反する・気に入らない図書館中の本の廃棄を命じたという嘘か本当から分らない情報・・はっきり記憶していませんが日下公人氏が言っていたのかな?があります。
(ネットで調べると、きちんとした学者(電気通信大学名誉教授)である西尾幹二というひとが情報開示している様子ですので、アメリカによる占領政策・・日本を貶めるために行われていた歴史のねつ造作業を知りたい方はそちらをお読み下さい)
あいにく日本は庶民に至るまで・乞食までが路上で新聞や本を読んでいる社会ですから、図書館の本さえ廃棄すれば占領軍の意に沿う歴史を作り上げられると思ったマッカーサー指令は頓挫してしまったようです。
(アメリカでは当時庶民の家々にまで本が大量に行き渡っていなかったからこその失敗でしょう)
日本では江戸時代から木版刷りの印刷が普及していて書物が大量に出回る社会ですし、平安の昔からの史実が旧家の土蔵から出て来た書物によって明らかになることがしょっ中あります。
奈良時代のことでさえ、荷札として使われていた木簡や竹簡が出て来て長屋の王の食べていたアワビまで分る国です。
中国の歴史上有名な焚書と言い、アメリカの日本での思想統制・歴史の書き換え政策と言い庶民レベルの低い社会を前提にした政治のやり方です。
話を戻しますと、現在中国のある地域の場合、エジプト、インド等とは違い、そこに出入りした民族自体が王朝の交代の度に大幅に違っていたこと・・有名な所でも(中国が公式に認めている異民族支配)5胡16国や5代10国あるいは金やモンゴル、最後は後金=満州族による清朝による支配とめまぐるしかったことは誰でも知っているとおりです。
この外でも所謂隠れ異民族支配を挙げればキリがない程、異民族支配が多かった地域です。
史記によれば、殷を滅ぼして周を建国した武王は西伯の子(西伯とは西方の異民族の族長という意味です)です。
ですから、この時点で既に異民族支配が始まったことが分ります。
そもそもこの頃には、漢民族とはまだ言わなかったですから、何が異民族かも分りませんが、しょっ中異民族が入り変わって支配をしていた時代であったことが分ります。
この地域で興亡した諸民族は、漢民族系?王朝を名乗っている場合でも、秦の滅亡以来毎回最下位の流民(・・もちろん何の教養もない食うや食わずの連中です)が王朝を転覆させて流民・最下層の頭目が帝王になったり、異民族が侵入して王朝を建てることの繰り返しだったので文化の継承もなく、前時代よりも発展することもなく毎回ゼロからの繰り返しでやってきました。
歴代王朝の中で最高潮の文化レベルに達したのは唐王朝ですが、李氏自体漢民族とは言い切れないのではないかと私は個人的印象(学問的にどう言う説があるのかを知りません)を持っています。
唐時代に文化の花開いたのは、タマタマ、ササン朝ペルシャが滅亡してその王族や多くの人材・文化人が流れ込んで来たことによるものであって、地元漢民族があの絢爛豪華な文化生み出したものはありません。
この辺のいきさつについては、12/16/05「東西移動から南北移動へ4(ペルシャの影響)」のコラムで連載したことがあります。
ペルシャからの文化注入が途切れた後の中国地域ではマトモな文化発展を出来ないまま現在に至ったのです。
このときに唐ではペルシャ人が10万人単位で殺されたとも言われますが、何かあるといつも極端に走る民族性です。
日本のサービス業の進出がここ数年盛んですから中国のサービス業も少しは洗練されるでしょうが、今度の騒動で日本企業が潮を引くように引き上げるとペルシャが引き上げた後のようにまた1000年ほど停滞するかも知れません。

中国に歴史があるか2(民族の連続性1)

北アメリカ居住者のルーツ・・・何系民族かの調査研究をする意味があるのは民族としての共通体験から、一定の共通気質が導き出される傾向があるからです。
民族意識・価値観の過去からの継続性があってこそ、その民族の歴史を知る・学ぶ意味があります。
我が国の場合、縄文時代(1万1000年〜紀元前7000年前の縄文早期)からの研究に意味があるのは、その頃の日本列島人の生活習慣・・考え方が今の日本人の気質と繋がっているからです。
我が国の場合、日本列島での縄文時代の研究が進んで来て食べ物に関してみれば、既に煮炊きもの中心の文化・・今に繋がる根菜類重視の文化が見えます。
(だからこそ必需品としての縄文土器がまず発達したのです)
話がそれますが、根菜類のうまい所は土の良いところが多いのですが、日本列島は他の国と比べて土が肥えていたからでしょう。
あるいは、昔から知られていることですが、犬や身近な動物を自分たちと同じ生き物として大事にする価値観・文化が縄文時代の遺跡から数多く出てきます。
千葉にあるシーワールドの本家であるアメリカのシーワールドの映像をユーチューブで最近見ていたところ、気質の違いに驚きます。
アメリカでは飽くまで人間の演技が主役で、シャチやイルカはその合間に人間の手助け役として出演する趣向です。
スターらしき演技者が高所からつり下げられるロープやリングなど使ってプール上でサーカス的演技を繰り返した上で、彼らが水中にはいるとロープ等の動力の代わりにシャチが水中の推進力となってスピードを出して人間が猛スピードで移動し(あたかも水上スキーの動物版の印象です)、あるいはシャチのジャンプの推進力によってより高くジャンプするだけです。
あるいはどこか別のシーワールドを見るとコミック役者が出て来ていろいろ笑わせるのが主で、いつアシカが出てくるのかと待っているとちょこっとワンポイント出て来るだけです。
日本の場合、20年ほど前まであった行川アイランドのフラミンゴショー・行進であれ、鴨川シーワールドのアシカのショーであれ、べルーガであれ、シャチであれ、ペリカンの行進であれ、北海道の旭山動物園のペンギンの行進であれ、すべて動物が主役です。
「彼らもこんなことが出来るよ!」と観客が賛嘆するための行動展示であって、関与する人間はそのお世話係でしかありません。
この気質差が1万年も前から続いている我が国・・日本列島住民の特質です。
中国や朝鮮では最近のオリンピックで初めて猫や犬を食べるのを「みっともない」となって禁止したばかりですし、欧米の動物愛護運動と言っても、元々人間を特別なものとして動物を見下した上で根の浅い頭でっかちな運動に過ぎません。
(だからこそ捕鯨反対などの過激運動にも繋がるのでしょう。)
欧米の動物愛護運動は、飽くまで金持ちが貧しい人へ施しを与えるような上から目線です。
民主主義運動や革命をする必要のある西洋や中国等の社会と我が国のように民主主義などとことさらに主張しなくとも自然にボトムアップしかない社会(逆にリーダーシップがないと批判されます)とは基本構造が違うのと同じです。
日本人はずっと列島に住み続けて来て異民族と入れ替わったことがないので、欧米人あるいはその他世界中の人々と日本人の違いが今に始まるのではなく、縄文の昔(1万年以上も前から)から違っていたことが分ります。
要するに我が国こそ1万年前からの古い歴史を研究するに足る国・民族なのです。
北アメリカ大陸の発掘で1万年前どころか500年前の状態が分っても、今のアメリカ(USA)人やカナダ人の気質を理解出来ません。
古代ローマ帝国はゴート人の侵入によって崩壊したので、今のイタリア半島に居住する民族と同じはありません。
中国の場合も異民族が順次侵入しては交代的に支配して来たので、夏や殷や周の頃の気質が今の中国人の気質と同じではありません。
支配者が次々と入れ替わっても漢民族が続いて来たかの如き宣伝をしていますが、所謂漢民族とは黄河上流域・・中原に居住していたホンの僅かな数の種族に過ぎません。
漢族が異民族支配を受ける度に、異民族と混淆して来たミックス状態を言うに過ぎず、本来の漢民族は今で言えば数千人〜数万人いるかいないかでしょう。
そんなことを言い出したら古代ローマ人もゴート族の侵入によっても全員どこかへ行ってしまったのではなく、少しはローマに居残って来た筈ですから、イタリアは今も古代ローマから同じ民族であるということになります。
(ただし、ベネツィア人は、この侵入に抵抗して海上の砂州に逃れた人たちですから、ローマ時代人の生き残りです・・今のイタリア人とは人種が違います)
アメリカインディアンが少しばかりアメリカ合衆国に今も残っていますし、オーストラリアに原住民が今も少しいるからと言って、現在のアメリカ人やオーストラリア人の先祖であるとか同族とは言いません。
歴史上国名?を「漢」と称した王朝である劉邦自身・中原・漢民族から見れば異民族であった楚の支配地域・沛(現在の江蘇省徐州市沛県)の県令になったことから身を起こし(史記では沛公と書かれています)たもので、元は地元の侠客・ならず者でした。
我が国では項羽と沛公の覇権争いを「漢楚の興亡」として、あたかも「漢民族」が勝ったかのように何故か言われますが、異民族である楚地域の出身者同士の覇権争いだったことになります。
我が国では、古代からの先進国としての憧れがあったからか、漢民族を美化し誇大化し過ぎる傾向があります。
遣唐使を通じて唐詩など文献だけが入って来ていて、(これに憧れていたのですが・・・私もその一人です)中国地域の具体的な歴史がよく分っていなかったことにもよるでもあるでしょう。

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