神は民族利益を超越したか?

法律相談者が、裁判の「勝ち負けに関係なく相手を裁判の場に引きずり出したい」と言い張る人がたまにいますが、こういう人は、神の審判・・御稜威をもらいたいという自然の声に導かれているのかもしれません。
あるいは野党系弁護士が、政治主張が通らない分野で、何かと訴訟を仕掛けるのは同じような信念があるのかもしれません。
しかし彼らは、負けると決まったように「不当判決」の看板を用意しているのはツヤ消しです。
神の意を求めたならば、勝った時だけ神の意を得たかのように騒ぎ、負けると判決をこき下ろすのではなく潔く結果を受け入れるべきでしょう。
孝謙天皇と弓削道鏡の世俗権力の結束がいかに強かろうとも、一たび宇佐八幡の御神託が降ればこれに従うしかない・・権力構造をひっくり返したのが民族精神です。
グローバル化しても異邦人(根っからの日本文化に浸った人以外)にはこうした精神土壌は理解不能でしょうし、これがゴーン氏の日本脱出劇につながったかもしれません。
彼にしてみればイスラム法で裁かれるなら結果を受け入れられるが、日本の「神」に裁かれるのは嫌だということでしょうが、「自民族の法が優れている」という理由で特定国に対する治外法権主張が許されないのが、国際社会の常識です。
「郷に入りては郷に従え」という日本古来の法が現在国際法の基本原理です。
この程度のことは高校生でも大方知っている法原理でしょうが、ゴーン氏が日本の法制度に従いたくなければ日本に入国しなければいいのであって、日本で経済活動しながら日本法を批判さえすれば日本法の適用を免れられると思い込んでいるとすれば、子供レベルの法常識もないことを満天下に晒したことになるでしょう。
フランスやレバノン政府が、日本の法制度は野蛮であるから自国民が日本で法を犯しても日本の裁判制度によって裁くのを許さないと言えるのでしょうか?
大和朝廷の神(天照大神系)は当初侵略者であり征服者の正当性を主張する一方的論理だったかもしれませんが、多数の土着神を抱え込んで行くうちにいつのまにか日本列島の支配的精神である「天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ」神の御心のままに行動すれば自ずと神の道に連なるというモラルを体得し得た神に昇華できたようです。

大日本帝国憲法
告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ神霊ニ誥ケ白サク皇朕レ天壌無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟神ノ宝祚ヲ承継シ旧図ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ発達ニ随ヒ宜ク
皇祖・・・以下略

以上は大日本帝国憲法の告文の精神であり、独りよがりに過ぎないと冷笑する方もいるでしょう。
これは日本書紀に始まる神話の継承をことさら強調している大日本帝国憲法の絵空事に過ぎないとも言えますが、日本民族が連綿と継承してきた精神の文字による再確認だったとも言えます。
どちらが正しいかは不明ですが、私個人の印象的意見では日本の神様は各地土着の神を大事にしてきた歴史によって結果的に特定部族宗派の利害に偏らず公平無私の神様に昇華してきたように見えます。
この点キリスト教であれイスラム教であれ、存立基盤民族の生存をかけた戦いの旗印的役割が今尚強すぎることから、(キリストやイスラム教徒には不愉快な意見かもしれませんが・・)異教徒排撃精神が強いすぎる?点で真のグローバル宗教に昇華・脱皮できていないように見えます。
我々弁護士は一方の立場での勝利を目指して依頼者のために戦うのですが、それでも背後にある正義の基準を背負ってその限度で戦う精神が濃厚ですし、その点で弁護「士」であってアメリカ的弁護「屋」ではないという誇りを持って生きてきました。
最近、この基準に反するのではないかが弁護士倫理として厳しく問われるようになりつつあります。
アメリカでは民族人種対立的事件の裁判では、各民族から日系裁判官の裁判を希望する比率が高いと言われるようです。(正確な統計に基づくは不明)
そして「官」とは、この正義感に裏打ちされた職責・・「職を賭しても正義を守る気概を保持する人」をいうように精神面からは考えられます。
ちょっと横にそれましたが、大臣と官と一般公務員との関係に戻します。
日本国憲法は国民主権を謳っているものの一方では、各省大臣は天皇に「任命」された総理大臣(太政官)が任命し、その認証を天皇から受けた大臣が補助者・官僚を任命するという天皇の臣下系列の一貫的残存です。
平安時代にも摂関家・太政大臣の意向で左右大臣以下の人事(叙任)は決まっていたので、(平安末期に清盛が太政大臣になっていた時に源頼政の嘆きの歌を知って、官位をすぐに従三位に引きあげた故事を紹介しました)総理が各大臣を任命できて天皇がそれを認証するだけになったと言っても古代の天皇と実質はほぼ同じです。
現憲法と蘇我氏や摂関時代との違いは、太政大臣に当たる総理を民意で決めるところだけでしょうが、国民主権国家かどうかの原理では、そこにこそ重大な意味があり、それさえしっかり決まっていれば問題がないと言うことで、妥協が成立し日本国憲法は成立したと見るべきでしょうか。
今の日本では神の声=民意でしょう。
神の声=人類共通の人倫とすれば即ち法であり、世俗的表現をすれば価値観共有外交となるのでしょうか?
世界中で子供の頃から日本価値観を基本とするアニメ等に親しんで育ってきた世代が3〜40歳台になろうとしている状態です。
世界的に見れば世界で日本価値観を全面否定したい勢力は、国家民族的には韓国政府と韓国国民に限定されているようですし、ゴーン氏はこれに乗っかって日本の法制度=価値観を正面切って否定しようとしているようですが、上記国際的信用を背景に安倍政権が国際政治上築きあげた日本の国際的地位を理解できない無謀な主張のように見えますが・・。
さて、どこかの政府がゴーン氏の主張に理解を示すことができるのでしょうか?
と書いていたところ、フランス大統領マクロン氏が、ついに〇〇の突き上げに我慢しきれなくなくなったのか?日本の拘留や取り調べについて安倍総理との会談の際に?苦言を述べたことがあるとの言い訳がニュースに出てきました。
今は裁判中で拘留されていないし、取り調べも受けていないので、拘留が長く自白強要の危険があるとしても、それとゴーン氏が自白していないならば、今になって逃亡する必要がないし、拘留中にもしも自白していたとすればその効力を裁判で否定すればいいことで、国外に逃げだす必要がないので国外逃亡の正当化と関係ないことです。
論理関係のないことをマスメデイアは大きく報じていますが、流石に自国と制度が違うからといって日本での裁きを受けなくても良いとまでマクロン氏は言えないようです。

安倍首相に改善要請「何度も」=ゴーン被告処遇めぐり―仏大統領


【パリ時事】フランスのマクロン大統領は15日、レバノンへ逃亡中の日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告に関し、「勾留や取り調べ中の状況は満足できるものではないと思うと安倍(晋三)首相に何度も伝えた」と語り、処遇の改善を要請していたことを明らかにした。新年の記者会見で質問に答えた。
マクロン氏は「全てのフランス国民が、彼らの享受すべき公平さをもって扱われることを願う」と強調。一方でゴーン被告の逃亡については「コメントすることはない」と述べるにとどめた。

民族益とは?3

メデイアや学者は時流に合わせて平和愛好家のようなスタンスを宣伝しますが、我が国過去の例によれば報道機関が被害感情を煽る結果、弱腰批判を受ける政府や軍部が戦争への道を突き進むしかないように引き摺られていったことを以前から書いてきました。
日露戦争当時「もっとやれ!満州まで侵攻しろ」という帝大教授やメデイアの無責任運動とこれに煽られた民衆が日比谷焼き討ち事件などを起こしましたが、当時の政府は強かったので、これを相手にせずに講和交渉を押し進められたのですが、昭和に入ると政府や軍部の力が弱まり、メデイアの煽る方向に動くしかなくなっていった経緯を日露講和会議の顛末や天皇機関説事件等のシリーズで紹介しました。
※  日露戦争以降の政治とメデイア2April 9, 2018
※  学問の自由安売り2→天皇機関説事件へApr 11, 2018 12:00 am
外国メデイアの実態を知りませんが、日本メデイアは明治以来外国情勢の皮相な受け売りが多い結果、(日露戦争時のメデイア対応のお粗末さを上記で紹介しましたが・・)彼我の戦力、国際情勢の動き、国情に合わせてじっくり考えて行動する実業界や政府要人の深い読みに比べて4〜5段以上劣る主張が中心でした。
過去のメデイア・メデイアに利用される文化人の主張・・・これに煽られて思慮の浅い若者のデモ等の活動が、日本社会を前向きに変える起爆剤になった事例が一回でもあったでしょうか?
千葉市美術館で数年前に全共闘時代の回顧展?(名称を忘れました)があり、全共闘時代とほぼ並行する当時の前衛芸術家の卵?・・街角で白衣をきて何か消毒でもしているかのようなフリをして歩行者を驚かせる企画や1万円札の巨大版を持ち歩く・・芸術家の卵?が苦闘していたのはよくわかりますが、卵は卵に過ぎずまだ何らの実績ない状態です。
あたかも社会の将来を照らしているかのような主張はおこがましい限りの印象を受けました。
60年安保騒動であれ、全共闘であれ浅間山荘事件であれ、時代に取り残されつつあった敗者の暴発・高校の授業についていけない不良が暴走族になり、デモ隊になった程度のイメージではないでしょうか。
ソ連の抑圧に苦しみソ連のくびきからの解放を求めるプラハのは春やポーランドの連帯運動、天安門事件の学生や今回の香港のようにデモが人の尊厳を守るための運動の場合、・香港デモがどういう結果になろうとも歴史に残る偉業の一つとなるでしょう。
日本の場合日露講和に反対する日比谷焼き討ち事件に始まり、美濃部達吉批判運動や60年安保騒動などをのちに振り返れば、(明治初年の不平士族の欄に始まり)時代錯誤の運動が中心です。
60年安保を見れば米ソ2大陣営のどちらにつくべきかの政治選択問題について、政治のイロハもわからない高校生や大学生が(大人・自分の親世代を牽引するべきなんらの見識もないのに)メデイアを利用した一方の政治勢力に扇動されて中ソ陣営の方が良いという政治運動に引き込まれたものでしかなかったことが明白でした。
ソ連支配下に組み込まれた東欧諸国や北朝鮮の悲惨な実態〜ポルポト政権のおぞましい殺戮、ソ連崩壊後明らかになった内実によれば、どちらの選択が正しかったかは争いの余地のない歴史事実です。
昭和40年代の全共闘運動に至っては、大卒一般化→大衆化によって将来の展望を失った底辺?大学中心に発生した暴発であり、不良の暴走族化対策対象同様の反面教師的役割でしかなかった?(平成のオーム真理教事件の教訓程度)・今後の前向きの展望を主張する運動どころではありませんでした。
芸術家ブル昭和40年代前半芸術家の卵たちの運動は、この全共闘時代の産物ですが、不良少年が落書きして歩いていたのが大人になった程度のイメージ?に過ぎなかったと見るのが実態に合っているでしょう。
大型の万札の模造品を持ち歩くなど・ただ奇抜なだけ・子供の遊びを大人になってもやっているに過ぎないにもかかわらず、メデイアは大大的に取り上げていたようですが、こんなの芸術というのかな?と思われる内容でした。
こんな低レベルな?(個人感想ですし自分がもっと内容の高いものを創作できるという意味ではありません)内容で、時代になんらか前向きの影響を与えたのか?と考えてみると・・一時的に世間の話題になっただけのように見えます。
ノスタルジアで訪れる中年世代が多く見られましたが、このころ夢破れた連中でしょうか?「夢破れた世代」といえば反日系の運動であればなんでも参加したがる中高年が多いと言われますが、こういう運動経験のある連中でしょうか?
奇抜アイデアに頼った時代が続くわけもなく万博を契機に一斉に姿を消した流れはまさに泡が泡と消えた結果に見えます。
高度成長期が終わりを告げ、安定成長への軌道修正の不安が就職機にある学生を大騒ぎさせたが、就職できるようになって沈静したと見ることが可能です。
要するに将来展望があって展望のない社会を指導するのではなく、自分の展望がないのを不安に思って騒いでいただけのことです。
学生と言っても世の中のことを何もまだわからない年代ですから、青二才が社会の指導をするためのデモなどをするなどは、おこがましいにも程があるということでした。
報道機関が物事をよくわからないのに、一方的的立場で扇情的に煽る傾向に戻ります。
近年では慰安婦報道の経緯を見ても、朝日を初め報道界は、客観事実分析をおろそかにして韓国のありえない主張を増幅しました。
韓国では当初半信半疑・韓国人自身が一番よく知っているのでそんなバカなことはないと相手にしていなかったようですが、日本でフィーバーが起きたので韓国でも報道するしかなくなり、韓国政府も主張せざるを得なくなった経緯があります。
靖国参拝問題も(南京大虐殺もそうだったかな?)日本メデイアが執拗に問題しているのに中国が無視できなくなり控えめに報道するようになり、一旦火がつくと政府はこれを問題視せざるを得なくなって現在に至っているようです。
このようにメデイアの動きが日韓関係や対中関係悪化増幅させるばかりで、現在後戻りできないほどの日韓関係悪化を演出してきた罪が大きいものがあります。
中国は反日感情を煽るメデイアの誘惑に簡単に便乗せずに慎重でしたので、いつでも修復可能領域にあるのと大違いです。
中韓との関係悪化を結果的に誘導してきたメデイア・文化人?が、過去の煽り行為の責任を取らず、この段階になって「隣国と仲良くした方が良い」という意見をそれとなく述べ、報道をしても国民の多くは「今更何を言ってるの!という受け止め方が多いでしょう。
隣国関係は引っ越す訳に行かないので、波風立てないほうがいいのは確かですが、相手国が一定限度を超えて図々しくなると少し不便・損しても付き合わない方がいいとなります。
そこまで関係悪化させてしまったのは誰だ!
という不満です。

民族益とは?2

過去100年〜千年かかって築き上げたインフラを後から来たものによる無償使用に対する民族益の保護の精神の外延・外国投資した民族資産や在外邦人保護はどうなるのでしょうか?
経済進出されている方の対応策はスエズ動乱のように露骨な接収・国有化はできないで、今は最大でも反日運動やボイコット運動くらいですので、国外進出企業はその程度のリスク覚悟で進出すべきというのが国民・国際合意であり、軍を動員して自国企業を守るなどの報復などは想定できません。
外国で日本人標的の犯罪名目の検挙が続けば、どのように現地法人や在外法人を保護するかですが、今の国際常識では軍の進出は認められず、他の政治上の駆け引き・・援助停止〜工場進出計画実施の先送り〜企業進出にブレーキがかかるなどや輸出入実務のサボタージュ程度しかできないのが原則です。
現在の韓国による反日不買運動に対しては、日本も紳士的にお返しをする程度のことで国民もそれ以上望んでいません。
「この機会に却ってどんどん疎遠になればいい」という受け止め方の人が多い印象です。
中国企業ファーウエイ幹部が米政府の要請でカナダで逮捕されたときのカナダ政府と中国の綱引き(中国政府はすかさず、在中国のカナダ人を何かの容疑で拘束しました)や、イアラン向けタンカーをジブラルたる政府が拿捕?したことに対してイランが英国籍タンカーを報復的に拿捕しましたが、こういうやり方が現在社会における最強行策の限界です。
この場合の民族精神はどうなるのかが数日前から気になっていましたが、歴博から送付されたばかりのNO216号、「異郷で暮らす日本人」をたまたま数日前の土曜日に自宅で読んでいると偶然?私の関心のあるテーマの研究資料でしたので、以下それを読んだ受け売りも含んで書いて行きます。
上記資料では境界人?だったかの表現ですが、遺伝子的には混血したハーフとは違うとしても、経済利害・これを受けた心情的にはハーフ的立場になるようです。
12年頃の中国の反日運動時には、日系製品不買運動が盛んでしたしトヨタ車に乗っているだけで民衆に襲撃される報道もありましたし、今回の嫌韓騒動では韓国のユニクロなど真っ先に不買運動の標的になっています。
こういう場合に境界人ともいうべき関係者(在中日本人と日系企業従業員である中国人等)の意識はどういうものかの研究のようです。
マイナスを懸念する企業の声が本国政治に影響するものの、実際に本国国民感情に影響を与えていたのはメデイアの報道であり、その企業の現地駐在員の方は本国ほど反中意識が強くなかったとの報告です。
ただし、上記歴博文書を見るときっちりした論文形式でないからかもしれませんが、客観調査したのか?しないでちょっとした聞き取り調査しただけか不明ですが、質問された方は綺麗事を語った可能性もあるので、事実かどうかは歴史評価によるでしょう。
民俗学的フィールドワーク手法・・原住民部落に一定期間住み着いての民俗学的報告では、生活スタイル等の客観的報告は報告者の調査能力を信用するかどうかだけとしても、日本と利害のある内面的聴き取り調査では仮にロコンが残っていて事実としての信用力があっても聴く方に迎合する傾向が生じるバイアスを否定できないでしょう。
反日暴動時の心理調査をするならば、質問する内容は反日運動に率先して参加した中国人従業員が何%いたのかいないか?
工場内備品が何者かに荒らされたことがあるかなどの客観調査をすべきでしょう。
当時のサボタージュの有無程度などの客観資料調査を十分した上での補充的質問であるべきでしょう。
この種の客観調査をすること自体、現地従業員に対しては社内極秘事項でしょうし、日本人駐在員に心理状態を質問しても本心では中国人従業員に対して不信感や不快感を持っていて、「現地人はいざとなれば信用できない」と思っても、今後も現地生産を続ける以上は企業人がそんなことを口外するわけがないでしょう。
100人に一人でも健気に企業のために尽くした人がいたら、その人を思い出して中国人の良い面ばかり説明するのが普通ではないでしょうか?
以上のような疑問がある点を前提に歴博文書の紹介や感想書きますので、以下そのつもりでお読みください。
上記資料では日系企業に勤める店員や工場勤務者も、日本語学校に通う生徒も反日運動が激しくなると中国社会で肩身がせまいので早く終息してほしいし、教えている日本人教師も中国人生徒(多くは10台でしょう?)の困惑した気持ちに寄り添いケアーして面倒見てきたようで、相互に日本人でも中国人でもない境界的共同体意識が形成される印象の記述です。
残留孤児が帰国した当時中国との親和性からか(今ならそういう報道が洪水のように出ないでしょうが)敗戦時満州にソ連軍が侵入した時に多くの日本人が現地中国人に匿ってもらったり(学校の先生の家族が、教え子の家に匿ってもらうなど)乳幼児を育ててもらった残留孤児の物語が報道されていましたが・・。
上記歴博の冊子の中でハワイ移民に関する研究資料部分によると日米戦争時の教訓からして戦後日系人は各地で民族色をできるだけ表にださない方向で身を守っているようです。
現在トヨタなど日系企業が多く進出している米国中西部では、親日機運が強いとも言われますが、日系企業人は多分露骨な日本色を出さないように控えめな存在になっているのでしょう。
現地でイデオロギー的運動をしようとしまいと現地で日系人が信頼されていればその効果があるし、移住先や企業進出先で現地人に嫌われていると却って民族色強調・・本国擁護の運動をしたくなるのでしょうが、そういう場合普通は逆効果です。
実際私自身、韓国籍とみられる人と職業上関係しますが、要は「人格的にいい奴かどうか」であって日常的に国籍や出身地などを全く気にしていません。
交流が多くなると在外邦人も在日外国人も皆一人一人が民族代表であって、その人らが気持ち良い人であるかどうかで出身国への好感度や悪感情も影響します。
この点は現在中国や韓国進出企業も現地では同じような関係でしょう。
国民同士の直(ジカ)の交流と関係のないメデイア報道が対立を煽る傾向が強いのは彼らが「嘘つき」というのではなく表面上に出ない相手国の本音を掴み取る能力が高いからそうなり易いかもしれません。
(悪気はないとしても)結果的に、その国や国民と直接関係を持たない人がメデイアの特定国に対する鋭い批判?に煽られて国際紛争を激化させるリスクを高くしているように見えます。

民族益とは?1

強国といえども、戦前のように自国民・企業保護のためとしての出兵はできませんが、経済制裁と言う名の経済戦に転じているのが現在の姿です。
外国投資が増えると投資拡大に比例して人的交流も広がり関係が深くなるのが一般的です。
本国と進出先の国との関係が悪化するとその国での商品等が売れなくなるし、一方で交流促進が国際紛争のブレーキ役になると言われていますが、関係が複雑・深くなればなるほど紛争のタネも増えることも確かです。
どちらに重点を置くかによって、排外主義とグローバリストとの対立が生じます。
個人で言えば数年に一回会う友人より日々会う関係の方が情報交流が密→関係複雑ですし、朝寝坊しているか?「箸の上げ下ろし」まで気になり紛争の種になるのが、夫婦であり親子でしょう。
国際交流推進論者は、関係が深ければ深いほど相互理解が深まるほか関係断絶には多くのマイナス効果が生じエネルギーがいるので、よほどのことがない限り相互に自己抑制するようになり、結果的に波風をたてない国際関係が育成されると言うもののようです。
これは仲違いに発展する確率が上がるとしても抑制力の方が、うわ回るという我慢哲学重視の考え方でしょうか?
英国のEU離脱交渉が混迷しているのを見ても一旦出来上がった複雑な関係断絶の困難さがわかります。
これが国際交流推進論・・民族混住を進める意見の根拠でしょうか?
しかし、複雑な関係になっても夫婦関係が破綻する例が多いように、円満交流を永続するのは難しいものです。
しかも我慢の哲学の場合、図々しい方がそれを標準関係と誤解して?余計厚かましくなるし、我慢する方は我慢しっぱなしという不公平な関係のアリ地獄関係になりがちです。
多くは職場の上下関係、男女の社会的地位など背景にした強い者勝ちの意見ではないでしょうか?
離婚事件の経験から言えることは離婚すると困難なことが多いから耐え忍ぶべきという論理は家庭内で図々しい方が得をする・・我慢する方は我慢しっぱなしという構図になるので、むしろ離婚をする負担を軽くする方向・・女性の経済自立を図り子育て支援等々を充実させ離婚抑止力の低下に向かっているしそれが正しいことだと思います。
離婚の結果が重たすぎる結果、結婚→出産を忌避する方向に進みかけている、世の中あげて婚姻に伴う親族かの義理の関係に始まり、中核的効果である子育負担すら社会で引き受ける分野を増やして夫婦の負担を軽くする方向に進んでいるのです。
夫婦関係は、元はといえば好きで一緒になったものですが、それでも一緒に住むようになるとあれこれ気になって破綻になるkとが多いのですが、隣国等の関係は夫婦のように気が合うから隣国同士になったのではないので、どこまで複雑な関係を築いても関係がややこしくなり、気分を損ねる接点が増えるばかりでプラス面が比例的に増える率が低いはずです。
その地域に人類が住み着いてから何千年も別集団として障壁を設けて民族代表を通してしか交流しないでやってきたのには、それ相応の(気性が合わない)理由があったと見るべきでしょう。
都会では隣人と深入りすると、意見相違が生じると気まずくなるだけなので、出会えば「おはよう」と挨拶する程度にとどめて、深入りしないのが近所づき合いのコツと心得ている人が多いと思います。
この数十年では子供世代が結婚しても親世代同士は滅多に関係しないし、それぞれの実家とは濃密な付き合いをしないように心がけるのが普通です。
国際交流のメリットを熱心に主張するメデイア関係者や文化人?自身、自宅に帰れば近所の人と家族ぐるみで食事かをしたり旅行するなど深入りしない・あっさりした近所づき合いをしているのではないでしょうか?
同一民族どころか、もともとの古い集落で生まれ育った人でさえ旧来型の濃密な付き合いを嫌って故郷を捨てる人が多いし、昭和40年代ころに農家に嫁がこないと騒いでいた頃に農家自身が自分の娘を農家に嫁がせたくない矛盾が報道されていました。
外国と縁が深まればお互いブレーキ役になり戦争抑止力になるという主張は、関係が深まるほど不協和感が強くなるリスクの方が大きい現実を見ない空論ではないでしょうか。
この良き?事例がバルカン半島で繰り広げられたクロアチア紛争、ボスニアヘルツゴビナ紛争ではないでしょうか?
この紛争の困難さは、小さな街区ごとに異民族〜異宗教関係者がモザイク状に入り乱れて居住してきた長い歴史によると言われていました。
異民族異宗教者が入り乱れて何世紀も住む内に気が合わないので今の中華街のように小さなゲットーをお互いに居住区域を分けてきたようです。
適地生産・交易の必要性により商人が代表して異民族と接触する場合、プロ同士・商人なので相手を立てるのに慣れているので人間的トラブルには滅多になりません。
国内でも庶民であっても店員となれば、別人格者に変わり客との感情的トラブルを店員の方から起こすことは皆無に近いでしょう。
異民族との接触が商人や外交官等プロの独占から近代に入って一般官僚や企業人〜鉱工業関係者(中堅層)に広がり、家族帯同も増えていくとマトモに文化生活習慣の違いがぶつかり合う時代に入りました。
異郷で子育てするようになるとこの違いのショックは強烈だったでしょう。
この後で紹介する歴博資料によると戦前東南アジアへの移住者が一定規模になると地域でお寺を営み日本式の葬式→戒名を付けてもらう・墓石を建てるなどしていたと(墓地の写真)紹介されています。
規模の小さい場合にはお寺まで維持できないが、お寺のない坊さんが住んでいた例も紹介されています。
さらに広域でみれば日本人子供向け教育施設(今の日本人学校)もできたのでしょうか?

守るべき民族利益とは?(国外投資)1

生活習慣によって民族意識が培われるのでしょうから、日々の生活習慣の変化は重要です。
民族とは遺伝子によるのではなく同一生活習慣ひいては生活習慣に根ざした共通価値観で行動する人々のことでしょう。
もちろん業種や年齢、貧富差などによって細かく生活習慣・価値観も違いますが、その時代ごとの変化をほぼ共通に受けている人々・結局同一地域で長期間(1世代でいいのか数世代必要か?)生活している人ということでしょうか?
対外区別の標識としては、第一義的にはインフラ整備等による利害の共通性が標識になりますし、これまでその意味で書いてきました。
他県等からの移住者が移住直後(何年間居住者をいうかは別です)に住民税も払っている以上は平等投票を認めろ!という主張に反対する理由はそこにあります。
まして外国人労働者が数年いる程度で、国防に関係する自衛隊基地等の配備反対運をし、住民投票や自治体選挙権を持たせるのは行き過ぎです。
インフラは何十年もかかって積み上げた先祖の資産(お祭りを継続するかどうかも含めて)運用ですから、数〜5年前に引っ越してきたばかりの人がその運用に平等の口出しをするのは遠慮すべきでしょう。
有益な意見を言うのは勝手ですが、決定権を持たせろというのは行きすぎです。
民族利益に戻しますとこれを突き詰めると自国権益擁護のための国外出兵に繋がりますので、国内にある限度の利益共同体を守るという程度の意味になります。
この数十年外国への投資も盛んですので、民族利益には国外投資もはいるという方向性が強くなると「国外投資や国外在留邦人を守れ」ということになり満州事変や支那事変のようにいよいよ対決が激しくなります。
戦後では米軍駐留の場合もその国の防衛協力のためであって、その地にいる米国民保護目的に軍を駐留することはなくなったので・露骨な軍事介入はなくなりました。
多分・・1956年のナセルによるスエズ運河国有化に対する英仏の軍事介入が史上最後でしょう?
民族の守るべき民族益をインフラ等の投資残→民族文化とすれば外国に投資した民族益はどうなるかの問題が生じます。
外国投資が増えると本国と進出先の国との関係が悪化するとその国での商品等が売れなくなるし、投資拡大に比例して人的交流も広がり関係が深くなるのが一般的です。
交流促進が国際紛争のブレーキ役になると言われていますが、関係が複雑・深くなればなるほど紛争のタネも増えることも確かです。
個人で言えば数年に一回会う友人より日々会う関係の方が情報交流が密ですし、この最たる関係が夫婦であり親子でしょう。
関係が深ければ深いほど関係断絶には多くのマイナス効果が生じエネルギーがいるので、よほどのことがない限り相互に自己抑制するようになります。
それでも破綻する例が多いように、円満交流を永続するのは難しいものです。
国際交流を奨励する立場の人は、この抑制効果に期待しているのでしょうが、隣国等の関係は夫婦のように気が合うから隣国同士になったのではないので、どこまで複雑な関係を築いても関係がややこしくなり、気分を損ねる接点が増えるばかりでプラス面が比例的に増える率が低いはずです。
その地域に人類が住み着いてから何千年も別集団として障壁を設けて民族代表を通してしか交流しないでやってきたのには、それ相応の(気性が合わない)理由があったと見るべきでしょう。
都会人は隣人とは深入りして意見相違があると気まずくなるだけなので、出会えば「おはよう」と挨拶する程度にとどめて、深入りしないのが近所づき合いのコツと心得ている人が多いと思いますが、国際交流も同じではないでしょうか?
子供世代が結婚しても親世代同士は滅多に関係しないし、それぞれの実家とは濃密な付き合いをしないように心がけるのが普通です。
国際交流のメリットを熱心に主張する文化人?自身、自宅に帰れば近所の人と家族ぐるみで旅行したり、深入りしない近所づき合いをしているのではないでしょうか?
同一民族どころか、もともとの古い集落で生まれ育った人でさえ旧来型の濃密な付き合いを嫌って故郷を捨てる人が多いし、昭和40年代ころに農家に嫁がこないという時に農家自身が自分の娘を農家に嫁がせたくない矛盾が報道されていましたが、外国と縁が深まればお互いブレーキ役になり戦争抑止力になるという主張は、関係が深まるほど不協和感が強くなる現実を見ない空論ではないでしょうか。
民族益・外国投資の保護という点ではどうなるのでしょうか?
スエズ動乱のように露骨な接収はないでしょうから、今は最大でも反日運動やボイコット運動くらいですので、国外進出企業亜hその程度のリスク覚悟で進出すべきというのが国民合意であり、軍を動員して自国企業を守るなどの報復などは想定できません。
現在の韓国による反日不買運動に対しては、日本も紳士的にお返しをする程度のことでしょう。
この場合の民族精神はどうなるのかが数日前から気になっていましたが、たまたな歴博から送付してきたNO216号、「異郷で暮らす日本人」を読んでいると偶然?私の関心のあるテーマの研究資料が出ていたので、以下それを読んだ受け売りも含んで書いて行きます。
上記資料では境界人?だったかの表現ですが、遺伝子的には混血したハーフとは違うとしても、経済利害的にはハーフ的立場になるようです。
12年頃の中国の反日運動では日系製品不買運動が盛んでしたし、今回の嫌韓騒動では韓国のユニクロなど真っ先に不買運動の標的になっています)マイナスを懸念する企業の声が本国政治に影響するし、他方その企業の現地駐在員の方は本国ほど反中意識が強くなかったのも現実らしいです。
上記資料では日系企業に勤める店員や工場勤務者も、日本語学校に通う生徒も反日運動が激しくなると肩身がせまいので早く終息してほしいし、教えている日本人教師も中国人生徒(多くは10台でしょう?)の困惑した気持ちに寄り添いケアーして面倒見てきたようで、相互に日本人でも中国人でもない境界的共同体意識が形成される印象の記述です。

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