民主国家と人民論の矛盾3

一知半解というか青い主張に対する社会の支持が広がらない結果、唯我独占傾向が進むといよいよ社会の理解を得られなくなって孤立化する一方→唯我独尊的特殊集団になり、暴発集団化します。
共産党は視野狭窄.偏執狂に陥らないように自己抑制している様子ですが、そうすると弾き飛ばされる跳ねっ返りが行き場をなくします。
左翼からも阻害された超原理主義者の集団化は、精神病者の集団化現象に似ているともいえるでしょうか?
日本では連合赤軍・・浅間山荘事件やオーム真理教事件などがそれに当たる・・国際的に見ればいわゆるテロ組織でしょうか?
以上の次第で人民という用語が廃れるわけですし、現在民主国家における実力行使正当化論は時代遅れであり、アウトローの集まりでしかないというべきでしょう。
専制支配国家→正義に基づかない規制や処罰=恣意的処罰・権力行使が許される社会では、正義の裏付けのない強制となりますのでこれに抵抗するのが正義の実現行為である場合もあるでしょうが、民主主義のルールに従って制定された法秩序を自分や一定の党派が気に入らないからといって抵抗権があると主張してこれを実力行使で秩序破壊するのを許すならば、民主主義社会が成り立たない・裸の実力闘争社会になります。
民主主義社会においての人民論は、民意による政治に従わない→民主主義社会を否定する主張となります。
抵抗権行使によって実力闘争に勝ち抜けば支配者になり政府権力に抵抗すべき人民ではなくなるのですから、中国や北朝鮮政府が朝鮮民主主義人民共和国、中華人民共和国と名乗り人民解放軍、人民日報、人民銀行・人民元などというのは言語矛盾です。
政府は人民の代表だから、人民は政府に従うべきという意味でしょうか?
国内武力闘争に勝ち抜いた以外に、人民の代表という根拠が不明です。
内乱・反乱軍が政府転覆に成功して政権樹立後も反乱軍とか反乱政府と自称しているようなものです。
実際には、人民は権力闘争に庶民が利用されて捨て駒に使われるだけですので、政権獲得後、邪魔者扱いで反乱軍として弾圧される側に回ります。
いわゆる草莽崛起の末路です。
人民用語が一般化されていない江戸時代には草莽と呼ばれていたのですが、草莽に関するウイキペデイアの説明です。

幕藩体制が動揺をきたした18世紀後半以後、在野もしくはそれに準じた豪農・知識人層(江戸幕府に対して直接意見を進言できるルートのない人々)の中に、自らを「草莽」になぞらえ政治的主張をする者が出現した。それが19世紀に入ると尊王論や攘夷論と結びつき活発化する。
黒船来航など西洋からの圧力が大きくなった1850年代に入ると、吉田松陰らによって「草莽崛起」論が唱えられた。吉田らは武士以外の人々、すなわち豪農・豪商・郷士などの階層、そして武士としての社会的身分を捨てた脱藩浪士を「草莽」と称し、彼らが身分を越えて、国家を論じて変革に寄与して行くべきであると主張した。
これを受けて、1860年代にはこうした草莽が尊王攘夷運動や討幕運動に参加していくことになる(奇兵隊・天誅組・生野組・真忠組・花山院隊・赤報隊など)。しかし、攘夷という方便に利用されただけであったことに気づかなかった大多数の人々は、討幕がなると、討幕とは逆の「開国和親」というスローガンをかかげた政府によって手のひらを返され、反乱を起こすもののトカゲの尻尾切りよろしく大量に打ち捨て殺された(士族の反乱、奇兵隊の末路など)。結果的に、明治政府へ組み込まれた者は頭がよく使えるごく一部であり、大半は政治的敗者として姿を消すことになった

人民・・当時の用語でいう草莽に関するウイキペデイアの解説は、〇〇チルドレンや付和雷同型の本質がよく出ている印象です。
小池都知事の都民ファーストに共鳴して参集した多くのチルドレンが、当選してみると話が違うと不満を持つのと同じです。
すぐに運営方法に対する不満で都民ファーストを脱退したか?批判意見を展開していた都議がいた記憶です。
反NHKで昨年総選挙時に参加して東京都区議に当選したばかりのユーチューバーが、運営に不満で?離党したようですが、末端ほど純粋ですので実際に運営が始まると齟齬が生じます。
庶民は権力闘争に利用されるだけで権力闘争が終われば、ご用済みになってきたのが中国歴代王朝交代時に大動乱の結果でした。
「王候相なんぞ種アランや!」というスローガンを掲げていた育ちの悪さが売り物であった?漢の高祖であれ、朱元璋であれ、天下を取るまで付和雷同して付き従った多くの武将を粛清していきます。
武将の場合范蠡の有名な言葉・・・「飛鳥尽きて 良弓蔵れ 狡兎死して 走狗烹らる。」で表現される実態で誰もが知っている現実ですが、雑兵等に関しては、誰も気にしませんが、平和が来ると真っ先に無用になります。
秀吉の天下統一以来、武功を挙げた功臣・武将の出番がなくなった不満から家康についた豊臣恩顧の大名らは、徳川政権確立後次々と粛清・戦国大名の取りつぶしが行われたのも同じです。
徳川家だって政権を握ってみれば、無駄な兵力がいらない点は同じです。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、ただ日頃の不満のはけ口として?煽りに乗る時局便乗・付和雷同型の人材は政府転覆に成功すれば、今度は邪魔者になる運命です。
新政府構築・・真っ先に必要な政治は治安回復です・・小難しい細かな法の縛りを破って奔放に暴れ回る人材は真っ先に標的になります・・に向けて役に立つ能力がない大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
漢の高祖は庶民出身で最もバカにしていた儒教の礼式を彼が天下を取って真っ先に採用したと言われています。
権力を握ればルールに従わせる必要が生じるので、ルールになじまない彼らが真っ先に邪魔になる運命です。
社会のあり方を見通す眼力もないのに、煽りに乗る時局便乗・付和雷同して政府転覆に成功しても、新政府で役に立つ人以外の大多数は結局弾圧される方に回る仕組みです。
人民が人民(思慮不足)のまま権力を握れることはありえないのが現実でしょう。

民主国家と人民論の矛盾2

人によっては俺は生まれ付きの人民だという人もいるでしょうが、それは国民主権国家においては主観的思い込みであって、ありえない論法です。
日本で生活しながらこういう考えに凝り固まっている人たちは、現実社会のあり方を見ずに旧ソ連や北朝鮮、中共政府支配下の社会を前提に、悲惨な人民状態を日本現実社会と同視して政府の抑圧から人民開放をする必要があるという主張をしている矛盾がありそうです。
人道主義を標榜するならば一党独裁という現代的専制支配に苦しむ人民解放するために中国や北朝鮮人民のために運動するのが普通ですが、左翼系は文化大革命賛美に始まり中国政府等の厳しい言論弾圧や環境破壊を批判するのを寡聞にして聞いたことがありません。
これを日本政府否定に結びつけようとしているので(論理の倒錯が激しすぎて)訳が分かりにくくなるようです。
韓国の決まり文句「歴史を知らないものは・・」式の慰安婦・教科書その他批判は、自分の非(歴史無視の主張)を日本の非と置き換えているので、論理の無茶加減で国民が驚いて辟易します。
このような論理の倒錯は一瞬相手をたじろがす戦法・・「鬼面人を驚かす」論法と同じ戦法でしかなく、短時間しか効果を持ちません。
中国や北朝鮮のように、国民の声など問題にしないと公言する一党独裁体制の場合独裁機関幹部以外は皆人民でしょうが、民意による政治を行い民意の支持を失えば権力を失う仕組みになっている社会では、民意によって出来上がった法を民意による法改正でなく暴力で無力化する行動を正当化する余地がありません。
思想表現の自由がある社会で自分の主張がほとんど支持されないのを相手が悪い、国民レベルが低いから、言論によるよりは暴力革命が正しい式の論法では民主主義社会が成り立ちません。
政治は無数とも言える不確定要素の複合で成り立っているので、戦車一台戦闘機1機の費用で〇〇が出来る式の単純論理・・学校で習った程度の勉強成果を主張する程度では、大方の国民が納得する筈がないので支持されないと自己の不足を反省するのではなく、国民レベルが低いのだと開き直る方向に行くと大変です。
彼らの暴力革命が仮に成功すると、(本当は自分らの思考が硬直的すぎて無数にある変化係数を理解できないだけですが)人民は蒙昧だから政府が指導する・・1党独裁が正当化され、この完徹のための情報統制に走る宿命です。
中国が今回のコロナ型肺炎蔓延初期に「普通の肺炎ではないのじゃないか?と言う医師間のネット情報交換さえ禁止して彼らを犯罪者扱いで拘禁したのがその好例です。
政権獲得成功しない多くの国では、生き方に柔軟性のない者の集団が出来上がり、仲間内での傷の舐め合い現象が起こり、自分らの主張を理解しない庶民大衆の頭が悪い→議論では無理だから革命あるいはテロしかない!的発想に落ち込み謙虚な姿勢がなくなります。
これが戦後共産党の武力革命論だったように理解していますが、独りよがりが支持されず急速に国民大衆の支持がなくなりました。
警察庁かな?の意見は以下の通りです。
https://www.npa.go.jp/archive/keibi/syouten/syouten269/sec02/sec02_01.htm
警備警察50年  現行警察法施行50周年記念特集号
第2章 警備情勢の推移
1 暴力革命の方針を堅持する日本共産党

暴力的破壊活動展開(昭和20年代)

1 占領下での勢力拡大

第二次世界大戦終了後、公然活動を開始した日本共産党は、敗戦直後の国民生活の窮乏と社会不安を背景に党勢の拡大に努め、昭和24年1月の衆院選では35議席を獲得し、10数万人の党員を擁するようになりました。
2 「51年綱領」に基づく暴力的破壊活動を展開

日本共産党は、同党の革命路線についてコミンフォルムから批判を受け、昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を決定しました。
そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げました。しかし、こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、党候補は全員落選しました。

51年綱領廃止と現綱領
1 略
2 現綱領の採択
・・昭和36年7月、第8回党大会が開催されました。そして、同大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した現綱領を採択しました。
・・・両党大会や綱領論争の過程における党中央を代表して行われた様々な報告の中で、革命が「平和的となるか非平和的となるかは結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示されました。

日本共産党の現状
1 略
2 規約、綱領の改定
・・16年1月の第23回党大会で、昭和36年7月の第8回党大会で採択して以来5回目となる綱領改定を行いました。
改定の結果、マルクス・レーニン主義特有の用語や国民が警戒心を抱きそうな表現を削除、変更するなど、「革命」色を薄めソフトイメージを強調したものとなりました。しかし、二段階革命論、統一戦線戦術といった現綱領の基本路線に変更はなく、不破議長も、改定案提案時、「綱領の基本路線は、42年間の政治的実践によって試されずみ」として、路線の正しさを強調しました。
このことは、現綱領が討議され採択された第7回党大会から第8回党大会までの間に、党中央を代表して報告された「敵の出方」論に立つ同党の革命方針に変更がないことを示すものであり、警察としては、引き続き日本共産党の動向に重大な関心を払っています。

政府による共産党の戦後史を見てきましたが、私の体験では暴力革命論挫折後「自分たちが前衛であり蒙昧な労働者に権利要求権の自覚を植え付ける使命がある」とする姿勢が顕著でした。
平成初めころのことですが、いわゆるブル弁希望の司法修習生に労働系事務所の実習を経験させた方が良いと思って私の同期の労働系法律事務所に2〜3日実習を勧めて会内留学に出したことがあります。
その後報告を聞いたところ、ある日夜労組の集会に出かけていわゆるオルグをする状態を見学できたという報告を聞機、良い経験ができたね!と答えました。
最近日弁連や単位会で推進している法教育活動がいつからどういう経緯で始まったかよく分かりませんが、教育内容を見る限り従来のオルグ活動が難しくなった変形版ではなく推進している担当者も(私の知る限りですが・・)思想的偏りがなさそうですのでお間違いのないように。

民主国家と人民論の矛盾1

2月7日の公務員と労働法の続きですが、労使であれ夫婦(離婚騒動)であれ親子(意見相違)であれ兄弟(相続争い)であれ、上司と部下(パワハラ)であれ全て内部関係は対立をはらんでいます。
なぜ公務員に労働法規が不要か?別立てにする必要があるかの実質的説明が欲しいものです。
国民は全て同胞といっても、国民同士でも敵味方があり相争うことが多いから国民同士の争いを裁くシステムが発達してきたし、ルールが整備されてきたのです。
消費者を王様と持ち上げていても代金不払いや万引きがあれば、敵対関係になります。

憲法
第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

公務員と国民一般は原則として対立する機能を持っていませんし、逆に全体の奉仕者です。
ただし王様であるはずの顧客でもクレーマーや万引きに対しては、販売員が厳正対処する必要があるように国民全体に対するルール違反者=犯罪に対して公僕が国民を代表してルール違反者を検挙するなどの利害対立が生じますが、この場合はあくまで例外関係です。
民主国家においての公権力とは、国民の福利を守るために行使されるべく存在するものです。
警察権力は国内の国民間の利害対立を話し合いを経て最終的には裁判でケリをつけて、それでも守らない人に対して強制力を行使して実現するためにあります。
外国人の違法行為も個人実行場合には警察対応で間に合いますが、外国政府行為として集団で行われる場合には、警察には対応できないので軍の出動となります。
軍と警察の役割分担は、日常的個々人の違法行為・・原則凶器を保持していても小規模な場合を対象とし、警察が日常的に所持する拳銃程度では対応不能な大規模武装集団を相手にする時に国内でも軍隊の出動となるように大まかな分類ができます。
個人生活で言えば、軽トラや軽乗用車、普通車等に使い分け、引越しになると業者に頼むような感覚でしょうか。
歴史的に見れば、警察活動と軍事活動の未分化状態から、軍事と警察の分化が江戸時代に発達し、一種の軍事基地である大名屋敷自体が盗賊等の被害防止や検挙を町奉行所に頼り、付け届けする関係になっていたことをだいぶ前に紹介したことがあります。
いずれも国民福利を守るためにあるものですから、無政府主義とかその焼き直しの公権力と距離を置くという主張は現秩序維持による日常恩恵を享受しながら、その負担を否定する自分勝手な意見です。
公務員であろうと政府機関の中枢であろうと国内で法を破れば、一般国民同様に法の適用を受けます。
国民と公務員は、公職についたり退職によって時に入れ変わることを前提にしているので、原則として入れ替わることを予定していない身分ではありません。
しかし、人民と政府とは、相容れない恒常的対立関係概念を予定しています。
人民概念は人民と政府権力・支配層が原則的に対立関係にあることを前提にしていますので試験や選挙等で被支配者が支配者と入れ替わることを予定していない対立概念です。
明治憲法制定者の真意は、権力の手足である官だけでなくもっと遠い関係にある民を含めて臣民一丸となって迫り来る欧米諸国に対抗すべきという含意だったのでしょうか?
臣民とは臣と民があるという意味ではなく、臣民一体化の強調の趣旨だったとすれば合目的的ですし実際に成功していたように見えます。
今でも大災害がある都度同胞意識・絆意識の再生産が行われますし、明治憲法の前文にもこの趣旨がにじみ出ています。
明治憲法前文

朕祖宗ノ遺烈ヲ承ケ万世一系ノ帝位ヲ践ミ朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメムコトヲ願ヒ又其ノ翼賛ニ依リ与ニ倶ニ国家ノ進運ヲ扶持セムコトヲ望ミ・・・・。

「朕カ親愛スル所ノ臣民ハ即チ朕カ祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民ナルヲ念ヒ」といわゆる大御心を「朕カ親愛スル」と表現し「祖宗ノ恵撫慈養シタマヒシ所ノ臣民」と先祖代々大事にしてきたよ!という書き出しです。
平成天皇の被災地訪問の繰り返しは、まさに恵撫の実践でした。
国民全てが天皇の恵撫に感動して臣民一丸になれば、臣民以外の刃向かうべき人民はいないはず→明治憲法の臣民論は人民論を根こそぎ抹殺する含意だったことになるのでしょうか?
人民と官とは同じ国民であっても特定の機能側面に限定した概念です。
ある人が生産活動や販売に従事する場面では生産等の供給側ですが、自己の生産品や販売活動以外のその他大多数商品やサービスに対しては消費者であるように消費者概念はその時々における側面の分類です。
例えば反乱軍や反政府デモ隊員もこれの警備出動した政府軍兵士や警備中の機動隊員も、国民か否かのレベルでは双方とも国民です。
特に一般デモ行動は、政権支持者のデモもあるし、いろんな目的(同性愛の婚姻合法化、LGPTなど)のデモ行進があります。
警官が非番の日に何かのデモに参加すること自体は自由なはずですが、特定政党支持を明らかにするのは全体の奉仕者としての信用に関わるので(事実上かな)ダメとされているようです。
特定政党支持ではなく、保育所をもっと増やしましょうとか、わが町に美術館を!というようなデモに参加してはいけないとは思えませんが・・。
支配されていた国民が抵抗権行使する場合だけを人民と言うとすれば、日常的に国民性を否定するものではなさそうです。
国民か外国人かの定義のレベルではなく次の小分類・国民内のサラリーマンか経営者か、大企業従業員か中小企業従業員か、ある人がある時は消費者であり、ある時は供給者側の人間であるなど、その時々の行動によって立場の変わるレベルの分類でしょう。

エリートの決める政治と国民の決める政治 

いわゆる安保法は、自衛権を現実化するための法律か?
他国侵略目的の法案かは、安保関連法の歯止めの書き方の具体的条項次第であって、文字で書き切れない分は、(どんな法律でも全要件を書き切れないので具体化は政省令や通達〜ガイドライン、判例等で具体化していく仕組みです)法律成立後の日米交渉によってどこまで日本が協力するかによって決まっていくべきことです。
反対論者が反対するには、法案段階の「第何条の制限幅が広すぎて何処かの国を?を日本が侵略するための法律になる」だから「こういう表現にすべき」という具体的提案が必要です。
「わが党がこの条項に対する提案が否決されたことについて国民批判を求めたい」というのがまともな議論であるべきですが、内容紹介なしの「憲法違反」という抽象論ばかりで本気で納得している国民が何%いるか?です。
内容に触れないで「多くの憲法学者が反対している」とか憲法違反等(共謀罪法の時も近代法理違反という抽象論)の反対論を聞いていると、ともかく日本の自衛能力を少しでも弱めたい(共謀罪法は国内治安・・防衛能力の問題です)どこかの国の希望によって反対しているのかな?と想定してしまう人が多くなるのではないでしょうか?
「学者何名が反対している・弁護士何名が反対している」→「エリートの判断に任せろ!」式抽象的反対論は具体的内容を知った上で判断したい・・民度の高い我が国向きではありません。
いわゆる革新系は東大卒や弁護士や医師などエリートをかき集める傾向が強いことを、だいぶ前に紹介したことがあります。
例えば共産党のトップ志位氏は東大卒で、民主党政権獲得時のトップ鳩山氏も東大卒大学教授(または助教授)の経歴です。
旧社会党で有名な土井元党首は神戸大学だったかの教授でしたし、今の福島瑞穂氏も東大卒の弁護士・学習院女子学院だったかの教授経験者です。
立憲民主党首の枝野氏は東北大卒の弁護士です。
対する与党自民党の安倍総理は、成蹊大卒として学歴ですので、肩書き重視の野党からはバカ扱いされているようですが、その前は麻生氏で祖父の7光で入れたイメージの学習院大卒ですし、小泉氏は慶応卒で、福田康夫氏は早稲田卒でいずれも親の7光組の可能性があるなど、学歴重視でないことが明らかです。
党首に限らず一般的な候補者で見ても、いわゆるエリート系肩書の人が目立つのが革新系野党です。
革新系?(私の感想では超保守系集団ですが)庶民の味方を標榜しながら、自己の体質はエリート主義です。
自分はエリートだから良いが、貧乏人が可哀想でないか!という議論を好むようです。
庶民には難しいことがわかるはずがないのでトップ・エリート指導層の決めたことを中間組織に図式化・画一的理解を浸透させ彼らを前衛と名付け末端運動組織としてイデオロギーを拡散していく運動方式をいまでも踏襲しているイメージです。
彼らの運動方式は「トップの方針を図式化して教えてやるからそれを実行しろ!」という性質が濃厚で、いわゆる民主団体というイメージ主張とは真逆です。
芦部憲法論の図式理解で書きましたが、弁護士層は図式理解に得意な集団(かな?私は図式理解に不向きな不器用タイプですのでいわば少数派のよう)ですので、運動体として役立つグループでしょうが、公害でも高速道路反対等で説得に来た弁護士に物分かりの悪い疑問をぶつけると今までマトモに答えてくれた弁護士がいませんでした。
この数年の共謀罪反対や、集団自衛権反対論で言えば、具体的疑問をぶっつけると、図式的理解を前提にしていて「えっ図式を知らないのか」式のバカか?というような反応が普通です。
反対運動では国民大多数の反対を無視した法律であるという意味づけの報道やアジビラ等が目立ちました。
国民大多数の怒りをぶっつけるとか国民の平和願望無視とかいうものの、平和をどうやって守るかの意見がないのと同様に何をもって「大多数の声」を無視しているというのか不明のままでした。
総がかり運動とか1000人委員会とか威勢の良いスローガンばかり並ぶ反対運動でしたが、内容は今日どこそこで反対集会を開き何人集まった・・「平和をおもう熱い想いに感動した」とか、自分は昨日も東京まで行って集会に参加しているとか、いかに自分が運動熱心かの自慢的ネット投稿が目立ちました。
一見客観性のありそうな意見としては、メデイアの世論調査発表しかないのです。
内閣支持率激減の報道だったのに、その直後に行われた総選挙で与党が大勝したのは、事前の世論調査が国民意識とあっていなかったこと・どういう調査をしていたのか?メデイアの行う世論調査の正確性への疑問が高まったことになります。
解散・選挙機運が盛りあがると「世論が・・」国民の意思無視と先頭に立って主張していたように見えた朝日新聞が以下の主張を始めました。
https://webronza.asahi.com/politics/articles/2014113000005.html

解散・総選挙は、集団的自衛権論議には迷惑千万だ
各党の公約・主張に強いピンぼけ感

強行採決批判などで知られている朝日が国民の民意を聞く千載一隅のチャンスと大喜びするのではなく、上記の通り一転して解散総選挙批判に矛先が向きました。
その後も朝日に限らずいろんなメデイアで「総選挙は国費の無駄遣い」を匂わすような記事・・「選挙にはこれだけのお金がかかる」などのキャンペインがされていた記憶です。
国民多数の反対無視の国会議決と宣伝していた以上、自社の世論調査が色のついた世論調査ではないならば、国民の信を直接聞くことになる総選挙をなぜ喜ばないのか不思議です。
総選挙反対キャンペインは、「憲法学者やエリートの意見があれば国民は従うべき」とか「メデイアの決めた方向が国民意思である」かのような思い上がりが、国民批判を受けて全否定されるのが怖かったのでしょうか?
朝日新聞ほどはっきり言わないまでも、多くの反対運動団体も判で押したように解散総選挙批判に転じたのは同じ気持ちだったのでしょう。
「国民の信を問え」という運動から、解散反対への変化を見ると、民主主義勢力?がこれまで「国民に信を問わないのはけしからん」とか強行採決で「民主主義は死んだ」などと批判してきたのは、なんだったのか疑問に思う人が多かったでしょう。
合理的に理解すれば「自分らの主張は国民に支持されていない」と自覚したうえの街頭デモ活動だったことになるし、・・内閣支持率低下報道して政権批判一色だったメデイアが、政権が国民の審判を仰ごうとして解散方向に動くと今度は「解散に大義がない」批判するのは、自己矛盾でしょう。

内需拡大と所得再分配(非民主国と対外冒険主義)

貧しい国では、庶民にお金が行き渡らなくとも、先ずは国家規模の黒字を大きくしたい気持ちも必要性も理解出来ます。
その段階では威張るのは早過ぎるのですが、すぐに威張り散らしたくなるところが中韓両国民の底が浅いところなのか、あるいは成果が国民に行き渡らない不満が嵩じて来た結果も知れませんが、不満そらしに対外威嚇を始めたのではうまく行く訳がありません。
難しい対外交渉は本来「満を持して」行なうべきなのに、苦し紛れに言いがかり的に打って出るのでは、名分がない分だけでもマイナスから始まるので多くは失敗します。
昨日からネットニュースになっていて今朝の日経朝刊に出ていますが、昨年習近平の英国訪問についてエリザベス女王が「中国は無礼」だったと言う発言がカメラに拾われていたことが大ニュースになっています。
AIIBへのイギリス参加など英中蜜月演出のための訪問でしたが、イギリスの足下を見た習近平の横柄な態度にイギリスが内心怒っていることが表面化したものです。
札ビラに頼る外交は不満をその分高めている・・本当の敵を作っていることに気が付いていない・・札ビラ外交の場合、内心反感を持たれている関係で札ビラの威力がなくなるとすぐに力を失います。
中国の横暴な発言力・行動力の源泉が札ビラ・力ずくしかないから、中国の購買力持続性に関するテーマでこのシリーズを書いています。
我が国は戦後70年間道義に基づく外交をして来たので、日本をけなすことに存在価値を置いている中韓政府を除けば世界中が信頼してくれています。
信頼に基づいて発言を求められてから遠慮ガチにする発言と誰も聞きたくないのに、金や軍事力を背景に偉そうに言うのとでは、影響力がまるで違います。
中国は黒字蓄積・・大盤振る舞いによる強引な対外威嚇が効かなくなって来たので、今度は内需拡大による輸入拡大→発言力維持策に移行していますが、内需重視政策こそは民主政治化・・国民を大切にしないとうまく行かないので共産党独裁政治に対する試金石です。
内需拡大のためには国民を豊かに・・政府と国民、あるいは共産党幹部や財閥と国民間の所得分配公平化への改革が先決・・待ったなしになって来る筈です。
内需拡大→所得分配公平化のためには、既得権益層に切り込む必要があるのにそれが出来ない場合、国民に金を貸して誤摩化す道を選んで来たのが韓国ですしアメリカのサブプライムローンでした。
言わば先進国がアフリカなど最貧国相手にODAでお金を貸して(貸し主としての事実上の支配継続)製品輸出市場にして来たことを国内でやって来た状態です。
時々最貧国への債務免除がテーマになりますが、韓国でも過去に何回も徳政令が出されて来たと言われます。
韓国の場合大手企業の大半が欧米に買収されて支配されている・・経済植民地支配を受けている状態ですから、正に形を変えた経済支配を甘受している状態です。
中国の場合、資源等の爆買いをテコにした発言力誇示に無理が来たので、貧しくとも人口さえ増やせば人口比で消費が増える→発言力が上がるという倒錯した発想・・折角鄧小平の始めた人口抑制策緩和・人口増に先祖帰りして来たようです。
国民のための政府であれば、指導者の?発言力アップよりは国民の生活水準アップが先決でしょうが、そうはならないところが国民のための政権ではない共産党政権の本質を表しています。
トランプ氏の主張は、海外駐留軍経費を減らす・移民禁止など言い方が乱暴なために批判があるものの、為政者が外国で威張ったり国際会議等でチヤホヤ・よい待遇を受けるために国費を使うのに反対と言うもので、国民のための主張・・民主国家の本質に合っています。
中国政府も国外で威張っても意味がないことは分ってはいるが、経済実態が悪過ぎて、きれいごとを言ってられない・・仕方がないから対外成果を強調するしかない状態なのかも知れません。
ロシアだって経済がうまく行っていたら、ウクライナ侵攻・クリミヤ併合事件は起きなかったと思われます。
経済の苦しいときにシリアまで出て行って空爆する巨額経費を何のために掛けていたかです。
経済的には何のメリットもないどころか大損でしょう。
損をしてでも対外威力を示せば国民が喜ぶ?非合理な国民性があるからです。
そんな火遊びばかりでは国民が余計窮乏化して行きます。
ところで、経済が最悪であっても必ずしも対外冒険主義に走るとは限りません。
ソ連崩壊時・中国の改革開放時には今よりももっと酷い状態でしたが、酷い状態にした責任者がいれ変わっていたことが大きな違いです。
鄧小平にしろエリツイン→プーチンにしろ酷い状態は前時代の責任であって、「これからどん底から這い上がるぞ!」と国民に夢を持たせられたので我慢を強いられたのです。
現在のプーチンは自分の長期政権の結果ですから、責任転嫁出来ませんから対外冒険主義に出ていると解釈出来ます。
習近平の場合、彼の就任前から実体的には経済悪化が始まっていた・・リーマンショック後の約50兆円の財政資金投入による過剰投資・・その後始末に困った反日暴動も彼の就任前から始まっていたし・・本来彼個人責任の問題ではありません。
彼にはゴルパチョフのように過去の政体を破壊し、新体制を標榜するほどの勇気も力量もないので、(安心して選ばれたと思われます)ずるずると共産党政権延命のために前政権が始めた対外膨張活動の延長政策をしているに過ぎないように見えます。
円満退陣して行く仕組みがないと(独裁者失脚の末路は悲惨ですから)為政者が簡単に引き下がれない・・悪あがきするようになるようです。
こうして見ると政治家は(大規模天災や日本政府に責任のないリーマンショックや原油下落など外的要因によるとしても)結果が悪ければ円満退陣する仕組み(選挙)の必要性が分ります。