南原繁氏の超国家・普遍思想4と現実との乖離1

南原氏にとっては戦前の方が現実世界と折り合えず観念論で呻吟していたはずなのに、戦後実務で大きな力を振るえるようになっていた結果、現実対応能力が逆に下がったとすれば不思議です。
わたし的にうがった見方をすれば、敗戦直後から米軍の覚え目出たく南原氏が鍛え抜いたプロテスタント的価値観で思った通りの理想的発言をし会議を主導すれば、そのまま米国の意向に合致するという気楽な立場が続いていたからと思われます。
現憲法制定経過を正月明けから紹介してきましたが、松本案をホイットニーに突き返されると、後はGHQ草案通りの内容に合うように日本側は、いかに日本語で憲法条項を作るかに忙殺されていったのですが、神道指令にもとずく日本側うけいれ方針・教育〜思想改革案も背後のGHQの意向を前提した南原氏の提案が何らの抵抗もなく字句修正程度の応答でどん決まって行ったであろうことは想像に難くありません。
軍政をバックにしているので米国の意向にさえ合えば政治につきものの複雑な利害調整不要・・押し通せたので、サンフランシスコ講和条約・・全面講和か片面講和の論争は、アメリカのお墨付意見ではどうにもならなくなった・・彼初めての現実経験だったからかも知れません。
彼にとっては占領政策に迎合していたのではなく、かねてからの自己理論通りの発言をしたら次々とその通りになっただけですから、実務とのハザマで苦しんだ経験がなかったし政治力もなかったのでしょう。(哲学者と政治力には親和性がないのが普通です)
現実と理念の相克についての厳しい議論がなくなったという昨日紹介した西田論文の批判もその通りだったかもしれません。
米ソ対決が起きると理想論通り(国際平和・みんなが一致して平和を祝うに越したことがない)に行かない事態出現で、理想論通りの全面講和論を主張した結果「曲学阿世の徒」という名指し批判を受けたことになります。
非武装平和論も、理想国家は現実に存在しないので戸締りが必要という実際を無視した意見の始まりです。
実態無視といえば晢学者の常と言えるでしょうが、具体的政治決定に反対すれば、その決定がない場合に生じる現実・・どこか勢力の損得・利害があります。
本人としては純粋な哲理に基づいているつもりでも、社会的地位に基づいて発言する以上はその発言の結果生じる利害のために意見を言っていると見られるのが普通です。
以後南原氏は歴史の表舞台から消えていき、門下生の丸山真男氏らがなおその余韻で頑張りますが、60年安保を境に影響力を失い・「過去のバイブル化」していきます。
そして19日紹介したように、近年では南原氏の愛弟子丸山眞男の「神格化」した「超国家主義」という流行語自体GHQの神道指令を鸚鵡返しに言っただけのことで学問とは言えない・・何らの事実根拠もなかったという趣旨の批判論文がネット上で公開される(思想の自由市場が始まった結果?)ようになっています。
出版界で絶大な威力を持つ丸山真男批判を発行できる書店がないのかもしれませんし、19日紹介したネットはどこの誰が書いているのか見てみると匿名になっている・内容的には素人とは思えませんが、その道の専門家と言えるかまではわかりません。
専門的緻密な論証では一般読者にとっつきにくいので、あえてラフに書いているのかも知れませんし、
専門家として名前を出すほどの自信がないから匿名なのか?もわかりません。
そもそも基礎的前提としている「しらす」という概念は魅力的(日本人の心に親和的)ではあるものの(私の勉強不足が原因でしょうが)根拠がはっきりしませんし、それに基づいて教育勅語が出来ているという根拠(井上氏がそういう思想で起草したか?起草者にそういう具体的意識がなかったが、そう読むべきというのかも)も不明です。
そういう疑問を持ってみるとその他事実関係についてもきっちりした論証を経たものかどうか不安になってきます。
歴史小説を書くにはある程度までは歴史事実を調査して書くものでしょうが、その先は想像をふくらませて家康や秀吉の人物像を描くものであって、いわば史実の断片を利用して創作しているにすぎません。
ド素人の私には歴史小説を読むとこれだけ調査して書けるものだと感心し、小説の描く信長像や秀吉、家康像をそのまま純朴に史実のように信じ込みますが、実は小説家は断片を都合よくつないでいるだけで専門家の批判に耐えるかどうかは不明です。
専門家から小説を見ればいわば事実認識についてはアマチュアの域を出ていないことが多いのです。
ネット時代になって素人と言うか専門外の玄人ばりの思いつき意見を簡単に発表できるようになりましたが、それを「百花繚乱」というのか「徒花ばかり」(言い方によればフェイクでしょう)というかの時代が来ています。
素人のフィクションに反論する必要もないので、小説家の文章を歴史家が放置しているだけのことで、専門家の反論がないのが正しい証拠にはなりません。
塩野七生の「〇〇人の物語」シリーズが有名ですが、専門家から見ると「いいとこどりに資料を利用したフィクション」を本当の歴史のように「変な誤解が広まって困る」という歴史家の意見(文書ではなく講演など)がありますが、私の例で言えば、吉川英治の宮本武蔵や山岡荘八や海音寺潮五郎の家康や武将像・・藤沢周平の描く江戸時代の武士像等によって、当時の思考回路をイメージ的に理解したり、横山光暉の三国志で中国人の国民性を理解する傾向があります。
はっきりしたフィクションでさえも上記のようにじんわりした国民に対する洗脳効果があるのでバカになりませんが、現実政治に絡んだフィクションを事実のように主張しておいてあとであれは「フィクション」と言われても困ります。
これが国家間大事件になったのが慰安婦騒動の元を作った「吉田調書」でしょう。
以上の点を割り引いてこのコラム読者には理解して欲しいのですが、19日紹介した丸山真男批判記事は、ド素人の私のレベルから見れば、概ね論理的に見えますが前提事実の論証がその道の専門家から見てどうなっているのか(論証済みだから省略しているのか?)不明を前提にした上で、こういう批判がネット上で公になっているという程度の紹介になります。
戦後思想界の寵児でベストセラーにさえなっていた清水幾太郎氏が、安保騒動にたいする批判意見を書くようになると仲間外れにされ出版界から干されていた事実は日本における「思想の自由市場」ってどんな程度の自由があるかの参考になります。
ウイキペデイアで清水幾太郎を見ると以下の通りです。

富永健一は、清水の『社会学講義』こそが戦後日本の最初の体系的社会学書と評している[3]。
「私は学生時代に、清水幾太郎のこの本(『社会学講義』)を何度くりかえし読んだかわからない。じっさい1950年代において、清水ほど社会学の戦後世代に強い印象を与えた社会学者は他にいなかった。この世代には、清水の『社会学講義』をむさぼり読んだ経験をもつものが多いのではないか。それほど、この本が戦後日本の社会学の形成に果たした役割は大きかった。 — 『戦後日本の社会学』」
林達夫とならぶ優れた日本語の書き手としても評価され、清水自身も『論文の書き方』(岩波新書)をはじめ、文章の書き方を論じた著書を執筆している。
1959年3月に刊行した『論文の書き方』は、初版3万部が即日完売、2刷3万部、3刷3万部も完売、1959年のベストセラー第2位、1987年までの累計130万部。2008年時点でも、永六輔『大往生』、大野晋『日本語練習帳』に次いで、岩波新書の売り上げベスト3に入っている[4]。
昭和30年代半ばころまでは、清水の文章は中学校や高校の国語の教科書にもよく掲載されていた[5]。
・・・
『日本よ 国家たれ:核の選択』では反米という観点から平和運動を批判、平和運動からの振幅の大きさが論議を呼ぶと共に、核武装の主張をめぐって猪木正道らと論争。・・・・
60年安保時に丸山真男は、強行採決は議会政治の破壊だとして反安保改定阻止運動を、反安保から民主主義擁護に目標転換するが、清水は1960年5月23日日本ジャーナリスト会議の事務所に翌日の教育会館の会合の打ち合わせに行った際に、「日高六郎etcみんな小生を警戒している。(中略)この打ち合わせの会で私は、『民主主義擁護』という話を初めて聞いた。・・・・
進歩的文化人の目標転換に水をかける内容であり、吉野源三郎を含む『世界』編集部から原稿の掲載を断られる。
『世界』常連執筆者の清水は、以後「最も遠い雑誌になった」と述懐しており、『世界』(1966年9月号)に、「安倍能成学習院院長追悼の辞」を寄稿した以外は、『世界』に執筆していない[1
・・・『諸君!』に自伝「わが人生の断片」を連載(1973年7月号から1975年7月号まで)、平和問題談話会と60年安保改定阻止運動の内幕や、丸山真男など60年安保を共に戦った人々への反感などが書かれており、後年この自伝により多くの友人を失ったと述懐している

 

憲法と国家6(南原繁氏の超国家・普遍思想3)

教育勅語廃止に関する昨日紹介した記事によれば、南原繁氏の言う世界市民への参加資格・普遍的価値→「古今東西に通用するもの」「日本国憲法の人類普遍の原理に則り・」と言うことで、すべて普遍原理=国家や民族を超越した上位の価値観を基本とする前提です。
民族や地域ごとの価値観・意識をローカルなものとして否定し、上位のグローバル価値観(南原氏にとってはプロテスタント的価値観)を子供の頃から脳に植え付けていく戦略がそのまま出ています。
ドイツ宗教戦争のコラムで紹介しましたが、西洋では戦争に勝って地域領主さえカトリックに変えれば、その地域住民はカトリックになったり、新教になったりする仕組みです。
このやり方でアメリカの支配地たとえばフィリッピンではキリスト教徒になっていますし、本来儒教国家の韓国でも戦後キリスト教徒が急激に増えた原因です。
このやり方でアメリカの支配地たとえばフィリッピンではキリスト教徒になっていますし、本来儒教国家(私の個人的印象です)の韓国でもキリスト教徒が急激に増えた原因です。
以下は、「韓国のキリスト教徒」で見た本日現在のウイキペデイアの記事からです。

韓国統計庁が2005年発表したところによると韓国の宗教人口は総人口の53.1%を占め、非宗教人口は46.9%である。すなわち総人口のうち、仏教が22.8%、プロテスタントが18.3%、カトリックが10.9%、儒教0.2%となっている。プロテスタントとカトリックを合わせたキリスト教全体では29.2%となっていて仏教より信者の数が多い。キリスト教信者数は約1376万人となり、韓国は東アジアおよび東南アジアでの信者絶対数では中華人民共和国、フィリピン、インド、インドネシアに次ぎ5位である。国民全体に占めるキリスト教信者の割合ではフィリピンと東ティモールに次ぐ東アジアおよび東南アジア第3のキリスト教国である・・・
海外に対する宣教活動が活発なことも韓国キリスト教の特徴で、2000年にはプロテスタントだけでも10,646人の宣教師が156カ国で活動していた
福音派は極めて積極的な布教活動をする為、近年では世界各地(特にイスラム教諸国)においてトラブルに巻込まれている。アフガニスタンにおける布教活動ではモスクの前でキリスト教の賛美歌を歌うなど、過激な布教活動が見られたと報道されている。2007年ターリバーン韓国人拉致事件のような事件が発生した背景には、こういった刺激的かつ攻撃的な布教活動があったのではないかとの指摘もある。
韓国国内では1970年代から80年代の民主化運動の原動力となる一方、同じ時期には仏教寺院や仏像に対する破壊活動を行う牧師や信徒が出るなど、他宗教への攻撃も積極的に行った。

福音協会といえば南原氏の無教会的福音主義に似た名称ですが・・米軍政の韓国キリスト教に対する影響についてのウイキペデイアの記述は以下の通りです。

司令官のダグラス・マッカーサーは太平洋米国陸軍最高司令部布告第1号で「占領目的が日本の降伏文書の条項の移行と朝鮮人の人権及び宗教上の権利を保証する事にある」と布告し、韓国人に対して信教の自由を認めた。また、連合軍法令第11号により「神社法」を廃止して皇民化政策の残滓となる神道を排斥し、また、朝鮮伝統の巫俗信仰等の宗教に対しても規制政策を行った。これに対して、キリスト教は、ソウル放送で福音放送を流すことや刑務所に牧師を置くことが認められるなど優遇された。この厚遇について、柳東植は「キリスト教は仏教と違って日本帝国主義の強圧の対象であり、それゆえ日本帝国主義からの解放はすなわちキリスト教の解放と同じように感じていた。そして、解放を招いたのは西欧勢力であり、彼らの背後にはキリスト教が控えていた。さらに、指導層が直接キリスト教を庇護していた」と説明している

日本は文字通り民草の力が強いので戦国大名が何宗であろうと庶民に関係のない社会構造ですので、アメリカはキリスト教の浸透作戦に慎重でさしあたり「信教の自由」を謳って確固たる日本古来から信仰心の解体から入っていった・目立たないように日本人シンパを利用したということでしょう。
教育勅語排除に関するhttp://kivitasu.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-60de.html引用の続きです。

社会学者の清水幾太郎は、「戦後の教育について」と題した論文の中で、勅語は二つの部分からなっている。
一つが最初と最後で修飾的・形式的な部分で、もう一つが道徳的行為規則のシステムを記述した中間の部分である。
「額縁」と「絵」の関係で、「両親に対する孝行、兄弟姉妹の愛、夫婦の調和、忠実な友情、節約、博愛、学問や技術のための努力、知的練磨、道徳的完成、公益や産業のための献身、憲法及び法律の遵守、勇敢。これらの徳目は、『之ヲ古今ニ通シテ謬ラス、之ヲ中外ニ施シテ悖ラス』とあります通り、すべての時代のすべての社会に通用する一般的なルールなのです。私たちがどんな徳目を挙げても、恐らく、それは既に教育勅語に含まれているでしょう」
(1974)と述べ、戦後日本は額縁といっしょに絵そのものまで全面否定したのだから、いかなる道徳も成り立ちようがないとあきれている。
たしかに、人格の完成を教育の目的に掲げながらその道筋を示さず、一方教育勅語に示していた徳目を捨てたのだから、教育が崩壊していくのは当然であった。

上記最後の数行は南原氏が肝腎の価値そのものを西洋価値観(プロテスタント)に丸投げしていたのではないかという18日から紹介している西田氏の以下の批判に通じます。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf

研究ノート〉立命館大学人文科学研究所紀要(97号)

宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
一体化の代償
南原は、国民共同体にかえて内部としての象徴天皇制を民族共同体としての日本の本質とみなすことで、外部としての西洋世界と世界観を統一することができるようになった。
・・・・・日本の普遍史への参与が説かれる当時物議を醸した両面講和論を説いたのも、 「国際連合の本来の理想にかなったもの」という、 西洋の普遍的価値への参与という前提が存在したからである。
南原にとって国家の問題は「本来のヨーロッパ精神から離反の方向を指し示して」いたナチスドイツが崩壊したことや日本の超国家主義論が失敗したことを受けて、 「わが国にはルネッサンスと同時に宗教改革が必至である」と単にヨーロッパ文化に追いつくことだけが目的とされ理想として西洋が説かれ、日本はただ改変される主体となるばかりであった5。
南原が東大総長として活躍した戦後の議論からは、現実問題と対峙することによって戦前期には維持していた緊張感が失われてしまったのである。
戦後の南原の政治哲学の問題点とは、国民共同体を維持するために、理想として目指されるべき秩序のあり方が、常に国民共同体や民族共同体の「外部」から移入されなければならないにも拘らず、共同体の「外部」=絶対的理想の性質が問われることなく、つねに共同体の秩序の枠組みの維持と、共同体の理想実現に向けた永続的運動のみが目的とされたことに問題があると言えるのではないだろうか。

南原氏の論文紹介は、民族と国民共同体に関する南原氏の変遷批判など哲学用語が多く素人には分かりにくいですが、教育勅語排除に関する清水幾太郎氏の上記意見をここに当てはめると何となく明らかになります。
「曲学阿世の徒」の名指し非難を受けたことで有名なサンフランシスコ講和条約・・全面講和か片面講和の論争では、南原氏が全面講和論をとった経緯も出ていますが、戦後現実国家と理想社会の峻別をしなくなったという上記研究の一断面かもしれません。

憲法と国家4(南原繁氏の普遍価値論1)

南原氏は、戦後教育改革の中心人物として戦後教育政策に対して絶大な影響を及ぼしたし、思想界でも丸山眞男その他戦後の支配思想を形成した一流人材を門下生に擁するなど、戦後育った我々世代が無意識のうちに「日本ってこんな国」という刷り込みをしてきた張本人または大恩人です。
この重要な人物の思想について、私の能力では難解すぎて無理を承知で以下の論文を引きながらラフな紹介をしておきましょう。
まず結論から入ります。
高齢化すると、順を追った克明な説明を理解する能力が下がり、話を遮って「要するにこう言うことか!と聴きたくなりますが、この応用です。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no97_05.pdf

(研究ノート〉
宗教ナショナリズムと南原繁
西 田 彰 一
おわりに
本稿において、筆者は南原繁の政治哲学を題材に政治と宗教の問題を検討してきた。
・・・南原は侵略を否定した内向きの議論であることも多いため、これまで侵略主義的な超国家主義論者たちに抵抗した人物として扱われることは多かったものの、その共通性については十分に検討されてはこなかった。
しかし、そこをあえて超国家主義論者たちとも共通する地平の問題として扱うことで、あらたな論点を発見できると考えたのである。
その結果、南原の宗教理解とは政治と宗教を分離して扱うものの、それは人格をもった個人が宗教を求めるのと同様に、政治共同体もまた宗教を求めるのであるとする議論であったことを発見した。そのために、宗教は永遠の理想として目指されなければならないものとなり、理想と現実の峻別が強調されるようになった。
しかし、その理想と現実の峻別は理想を固定的にとらえるために、理想そのものの正しさについては検討されることがない。そのため、英米のプロテスタント信仰の在り方が現実の問題として理想化され、理想そのものの妥当性について検討されることは生じなかった。そのために、南原は戦後はアメリカの占領政策を実質的に批判的にとらえることはできず、国民を民族に横滑りさせて、それに追従していくことになった。また、理想を問えなかったことは、共同性の問題を単に文化の練達という相互理解の問題に落とし込むものであった。

上記を見ると南原氏は、現実国家の上に超国家思想を持つ点で戦前右翼・超国家主義者と同根でないかと上記執筆者は見ているようです。
そもそもそも丸山眞男がCHQの神道指令に呼応して言い始めた「超国家主義」とは何か?その前提たる「国家神道」とは何かの定義すらはっきりしていないようですが、この点については、以下に詳しい批判がありますので関心のある方はお読みください。
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kokkas.htm
以下飛び飛びの引用ですのでそのつもりで読みください

丸山真男・超国家主義論のカラクリ
丸山論文のポイント
『現代政治の思想と行動』にあるこの短い論文が、永い間重要視されてきたことは事実である。さらに今日では、著者本人とともに「神格化」されているとまで言われている。なぜこうなったのか、以下で検証する。

まず第一に、丸山論文にある超国家主義は、GHQ神道指令において定義されたものである。
また第二に、同論文が雑誌『世界』の昭和21年5月号に発表されたことを確認する必要がある。
第三として、この論文の構造が教育勅語の構造を基礎に書かれたという事実がある。

神道指令の超国家主義
神道指令は国家と神道を分離せしめる指令である。GHQは、我が国の昭和戦前における軍国主義の基礎が神道、なかでも彼らのいう国家神道にあると断定した。
神道指令は具体的な国家と神道の分離政策、そして大東亜戦争や八紘一宇などの用語、文部省『国体の本義』や『臣民の道』などの頒布を禁止したものである。
なかでも大事なことは国家神道が含む「過激なる国家主義」「超国家主義」(ultra-nationalistic ideology)の定義である。
神道指令によれば、天皇・国民、そして国土が特殊なる起源を持ち、それらが他国に優るという理由から日本の支配を他国・他民族に及ぼすという信仰あるいは理論、これが過激なる国家主義あるいは超国家主義である。
・・・ポツダム宣言から公職追放令まで一貫しているのは「世界征服思想」である。これこそ彼らが日本から排除したかった「精神的武装解除」の最たるものであったと考えて自然である。

以下略・上記論文?主張によれば丸山眞男は教育勅語を誤読した上で、神道指令の単語を言い換えただけで、事実にもとずく定義ができていないと批判されるようです。
ついでに国家神道についての上記著者によれば以下の通りですから、これも関心のある方はお読みください。
http://www.zb.em-net.ne.jp/~pheasants/kokkas.htm国家神道研究

国家神道というものの正体が分からないままに今日に至っている。その国家神道とは、あくまで昭和20年12月15日のGHQ神道指令にある国家神道である。つまりGHQの定義による。
ポツダム宣言・神道指令を経て日本国憲法第20条そして第89条が制定された。なかでも神道指令は国家神道というものを定義して国家行政と神道を厳格に分離させようとしたものである。
しかしこの国家神道なるものの正体はあいまいであり、国家の神社行政の中には、つまり神社関係法令のなかには神社は非宗教とするものしか見当たらない。むろん教義もない。法令をあげると次のようなものである。
明治15年   神官教導職の兼補廃止 (神官は非宗教家、府県社以下は別途)
明治33年   神社局設置        (神社非宗教、神社のみ担当)
昭和15年   神祇院官制        (神祇院の設置、神官職督励)
教義がなく法令上も国家神道を特定できるものがない状態で、国家神道という言葉のみが様々に用いられている。
以下略

以上の点は措くとしても、南原繁氏は宗教的理想と政治的理想を区分けし、宗教的理想をプロテスタントに見ていたようです。
上記によれば、南原氏の基本思想はこのシリーズの関心・憲法で保障する平和論や人権論が国家存立を超越するか?「国家が滅びても守るべきテーゼがあるか」の関心にまともに関係する政治思想家であったことが分かります。
国家を超えた普遍的価値を主張する点で現在主流あるいは100%を占める憲法論(侵略されたらどうするかの問いに答えない非武装論や天賦人権論)の基礎を形成した人物になります。
※普遍的価値観共有といえば、安倍政権の価値観外交が想起されますが、もちろん彼も同じ日本社会の戦後空気の中で育っていますので、私(多分大多数の日本人が)同様に洗脳されて育っています。

思想の自由市場論4(中国の挑戦)

小川榮太郎氏の朝日新聞への挑戦は、ネット社会でなければ朝日新聞に有利な報道の洪水で小川氏の言い分が世間に知られないまま収束し、報道界で抹殺され彼の仕事がなくなっていたと思われます。
フリージャーナリストとすれば、大手の意見に楯突くのは元はと言えば死活問題でした。
大手メデイア4〜5社の寡占市場では、寡占意見に逆らえる自由な市場でなかったのです。
小川氏の行動を見ればいろんな意見が飛び交う・・文字通り思想の自由市場が始まったようです。
素人が参加するようになると慣れていない分当面マナー違反が増えるでしょうが、それは別に事案に応じて対処して行けば済むことで先ずは自由な市場が開かれていることが重要です。
ネット社会の今では彼の言い分がネットに出回っているのに、何故か言論市場支配者とも言うべき朝日の主張がネット上で見当たらないことを2月13日に書きました。
「自由市場」で根拠のない誹謗中傷に開かれた反論しているとかえって話題性が高まり拡散するのを嫌ったのでしょうか。
市場は「事実無根の批判」かどうかを知りたいのですが、訴訟は法的には公開の口頭弁論で行うのですが、実務運用は密室での弁論準備手続で進む・・・部外者は入れません・・のが普通ですので、詳細が公開されるのは準備手続きが終わってから口頭弁論に移りそこで法的には公開されますが、そこで一般人が期待する口頭弁論→演説をするのではなく、「準備手続きで提出済みの準備書面1〜5記載の通り陳述」するという数秒〜1分以内の発言で終わるのが普通です。
ですから、一般傍聴人は判決時に判決文を関係者からもらうまでお互いどういう主張をしてきたのか内容不明・・本来の意味の公開討論が先送りになります。
13日に省略して引用しませんでしたが、小川氏の主張では事件が終わるのは5年くらい先になると書いていた記憶ですが、その間に森カケ騒動が終わってしまえば、朝日の煽りが仮に事実無根であっても世論への影響力で政治が決まってしまった後では取り返しがつきません。
朝日新聞は「訴訟にしたので一々私的(訴訟外)反論の必要がない」と言うスタンスなのでしょうが、いかにも「臭いものにフタ式」の行動です。
一般言論市場で支持者が多い自信があれば、訴訟をするのとは別に言論市場で公開討論に応じればいいことでしょうが・・。.
13日に一部引用した小川氏の他の部分では裁判があるとそのつどその進行状況・朝日の具体的主張をネット公開すると書いていますので、これを実行すればこの戦略が通用しなくなりました。
逆に小川氏がこの公開約束を怠るようになれば、小川氏が追い込まれている・みっともないので公開したくないのかな?と外野は推測することになります。
言論の自由・思想の自由市場論を主張してきたアメリカの場合、中国のように首脳の意向に反すると言う単純基準で即時削除や報道規制できません。
中国では政府トップの意向が瞬時に変わっても構わないので・・昨日紹介したように末端が昨日までの基準で発表すると「今朝の意見は違うんだ」とお叱りを受けて大変です・・そこで上の意向を汲むために汲々とする・・社会が生まれます。
中国の皇帝・今で言えば習近平氏が昨日までの意見と違うことを言えば、昨日までの意見と矛盾しようがしまいが、官僚→人民は即時に従うしかない仕組みです。
また話題が逸れますが、韓国では気楽に日韓合意破棄する傾向があって「1人前の人間のすることではない」と思う日本人が多いと思いますが、中韓では古代から権力者になれば昨日までの命令・・「国民はその命令に従っている限り処罰されない」という意味で一種の契約ですが、これを根拠なく(国民の知らぬ間に)瞬時に変更できる社会を日本統治下に入るまで続けてきた経験によるものです。
国民間では昨日の約束は今日も有効でなければ社会生活がなりたたないでしょうが、権力者になれば無茶が通る社会だったことになります。
この伝統意識が最高権力者・大統領になると何でもできるかのような振る舞いをし国民もそれを今でも期待している社会です。
例えば文政権の政権公約・公務員を増やして失業問題を解決する、あるいは最低賃金引き上げ約束などに期待しますが、現実政治経済はそんな甘いものではないので選挙時の大きな期待がすぐにしぼむことの繰り返しでした。
歴代大統領就任後公約で煽った期待を実現できないことへの失望が、大統領退任後例外なく刑事責任追及に発展する・・極端に振れる原因です。
非常識な期待をする選挙民のレベルが問題ですが、千年単位で培った専制権力への憧れがあるからでしょう。
これが国際関係でも最高権力者は国際合意をいつでも破棄変更できるかのように国民が期待する体質につながります。
対等相手国が、韓国の新権力者の意向に迎合する余地がないので、(朴槿恵の慰安婦騒動拡大が期待を裏切って)ここでも国民期待を裏切ります。
欧米的学問ではこのような思いつき的政治を東洋的専制支配.家産官僚制と表現してきましたが、中国的ルールを世界に広げると昨秋の党大会で習近平が開き直り公言したのは「このやり方の方が良い」という開き直り主張でしょう。
表現の自由に関しては、この規制のために人海戦術に頼ってきたモグラ叩き方式でも、コンピューターの高度化で政府方針に反する・キーワード入力すれば、反政府傾向の発信を瞬時に検索できるソフトが発達してきたようです。
思想教育を欧米と違い露骨に厳しくやる上に、それプラスモグラ叩き方式との両面作戦が効果的・・優勢になったと言うのが、中国の主張でしょう。
現在の国際戦争は裸の武力を滅多に使えないので、戦争の前哨戦・・最前線が思想攻勢やサイバー空間の浸透競争に移っているのですが、中国はもともと言論の自由など認めていないので侵入防壁が鉄壁の備えなのに、自由主義国では(時代遅れの?)言論の自由原則のために自国への浸透に対する防護壁がないままとなっています。
これを経済面でいえば、先進国の解放主義に乗じて中国は自由奔放に欧米や日本に進出する一方で、自国への進出には合弁しか認めず、その合弁比率規制をもうけるのみならず、進出企業には高度知財提供を義務つけるなど一方的な関係になっていることに対する(先進国共通の怒りが蓄積してきた・)これをアメリカが端的に表明したのがトランプ氏のちゃぶ台返し的発言です。
トランプ氏は過激に国益重視と言いますが、要はこれまでの国際合意は守らない国相手に自分だけルールを守る仕組みだから公正なルールではないからゼロベースで見直したいということでしょう。
2月4日からのフェイクシリーズで書いてきたように、日本を含むアメリカ陣営ではフェイクか否かのまどろっこしい議論をしている内にアメリカ支配下の言論界は中国やロシアの工作員に乗っ取られてしまうかもしれません。
ところで憲法その他の学問は、何のためにあるでしょうか?
とりわけ憲法は「その国家」のあり方を決めるものであり、その方向性を決めるものです。
「その国家」とは憲法を制定した国家のことであり、外国・異民族のための制度ではありません。
そう言うと偏頗な「民族主義者」とか時代錯誤という批判が普通に想定されること自体が、わが国思想市場の異常性を示しています。

表現の自由と思想の自由市場論3

ネットの発達によって中国ロシアなどの思想統制に無理がきて早晩破綻するはずと西側諸国が見ていたのは、実は欧米自身の世界メデイア支配の将来であり、中国の独裁制ではなかったことになります。
中韓の日本慰安婦騒動や南京虐殺などやアメリカによる東京裁判のストーリーの酷さを見ると、彼ら自分たちが戦争で勝ち進めばこう言う戦争犯罪を実行するレベルを前提で高潔な日本軍に無理に当てはめたものです。
彼らのでっち上げ主張自体が米中韓の残虐卑劣な民族本性を自己表明していることになっていることに気がついていないのです。
ネット発達によって欧米は自分のやっている間接的思想支配の限界がくるのを無意識のうちに中露の独裁制に当てはめて推論していたことになります。
ネット発達による思想統制破綻効果が、中国よりアメリカの間接支配の破綻に先に出てきていると言う意見を2013/10/07/「非賢人政治2」にも書きました。
中国の場合公然と言論規制を行っているので、政府に都合の悪い発信はハッキングされたか名誉毀損か事実無根かのまどろっこしい認定(あまりにも困難なのでフェイスブックが昨年末に自己規制放棄を発表したこと紹介しましたが)不要で、政府首脳の意向に反するか否かの基準で瞬時に問答無用で堂々と発禁・削除変更を命じられます。
例えば2週間ほど前の出来事ですが、以下のように官制メデイアが中国政府方針に反するとして瞬時に従来の報道方向を180度変更できる即時性のある社会です。
https://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20180210.html

(3)「日本の成田空港で1月24日夜、格安航空会社(LCC)の上海行の便が欠航になり、一部の中国人乗客がLCC側の『対応不備』に強く抗議し、逮捕者の出る騒動を起こした。中国国内では反日ムードが一気に高まったが、『火消し』に奔走したのは中国政府だった。素早い鎮静化への動きには、中国主導の大規模経済圏構想『一帯一路』において、日本政府の協力を引き出すことを見越した、北京の懐柔戦略がちらつく」
(4)「この成田空港騒動は中国国内で大きく取り上げられた。『参考消息』や『新京報』、『環球時報』など官製メディアが1月26日、相次いで中国人客の言い分を引用した記事を掲載した。報道に煽られ、ネットの書き込みからは反日感情の高まりが見られた。
しかし、この反日モードは一日足らずで終了。
中国当局が『火消し』に乗り出したのだ。ほぼ同時にメディアも速やかに方向転換し、批判の矛先を中国人客の身に向けた。中国外交部(外務省)は1月31日、格安航空会社(LCC)を利用して海外旅行する中国人観光客に対し、契約内容を確認し、航空会社に過度な要求をしないよう注意喚起した。在日中国大使館の王軍・参事官兼総領事はメディアの取材で、騒動の発生は日本側には中国語通訳を適時に用意しなかったのが『妥当性を欠く』とする以外、規則違反とみられる行為が一切なかったと話した」
こうなると、哀れな存在が「反日」を煽った官製メディアである。規定方針通りの「反日」記事を書いたら、たったの一日で方向転換を余儀なくされたのだ。官製メディアのメンツは丸つぶれである。日本の『レコードチャイナ』も、この官製メディアの記事を流して、さも日本側の対応が悪いという印象を植え付けた。
(5)「日中両国は過去数年、靖国神社の参拝や慰安婦問題、尖閣諸島(中国名:釣魚島)、東シナ海などで双方の国民感情が揺さぶられる事案は絶えない。
しかし、今回の異例の鎮静化対応は、2016年12月に起きた北海道の新千歳空港でのトラブルでは、大雪による欠航に中国人乗客約100人が抗議し、騒動が起きたが、今回のような早期の火消しが行なわれなかった。今回は、北京政府は成田空港騒動の後、直ちに外交部と宣伝部と協調をとり、高まる反日世論を鎮めた」
(8)「メディアやネットに厳しい規制が敷かれている中国では、いかなる『世論』の背後にも複雑な政治事情が絡んでいる。成田空港騒動の翌日、中国政府のネット管理部門である国家インターネット情報弁公室(網信弁)が中国版ツイッター『新浪微博(ウェイボー)』に対し、『誤った方向性をもつ情報を継続的に伝播した』とし、『全面的かつ完全な』是正を要求した」
驚くのは、今回の騒動で中国メディアが訓戒されている点だ。「誤った方向性をもつ情報を継続的に伝播したから、全面的かつ完全な是正をせよ」と政府から要求されている。かつての「反日騒動」では、政府が先頭をきって煽ってきた。それが、逆の動きである。この一事を以てしても、中国政府が日本に対して腫れ物に触るような報道規制をしていることが分る。」

ネット発信・草の根の意見発信・拡散が可能になってくるとヒエラルキー的社会構造・上層部・教育界等網の目の要所要所を裏で押さえて支配するアメリカ・ユダヤ資本によるソフト?間接支配が不可能・・困難になりました。
道徳教育や思想教育をして教育効果・・自発性に委ねて10万人に1人〜2人のルール違反・・思想・道徳教育に馴染まない例外は、事後処罰で処理して行くのが効率的社会運営方法でした。
表向き表現の自由を保障しても、事実上個人にはデモ等を行う以外公的発信手段がなく多くはそれぞれが属している集団を通してしか意見発信出来ない社会でしたので、個人意見が表面化するまでに相応の整理がされてくるし、最後まで政府トップと意見が合わなくともそれなりの整理がしやすい・・最後はトップ交渉でまとまる社会を前提にしていました。
ネットによるフラットな言論空間になると組織意見や大手メデイアを頂点とするパイプを(修正)通さずにイキナリ我々素人でも全国民宛に発信できるようになります。
内容次第で全国的インパクトが生じる場合もあります。
昨日紹介したように、小川栄太郎という1フリージャーナリストが1冊の本を刊行するのにどこの組織決定・協賛を得なくとも出せる社会になっています。
こうなってくると、支配階層を形成しても「隠然たる睨みを効かせる」ことによる思想・行動支配が効かなくなります。
そして1ジャーナリストがたった1冊の本を刊行しただけで毎日何百万部という発行部数を誇る大手新聞社が言論空間で反論して抑え込めなくなった・(社会への影響力では勝ち目がないと思ったのかな?)訴訟に持ち込む事態になりました。
発信者が(政府あるは国外勢力の工作の及ぶ)大手かどうかではなく論旨が合理的か否かで勝負がつく、文字通りの「思想の自由市場」ができて来たことになります。
ネットの発達によって大手メデイアが「よいしょ」してくれなくとも、敵に回しても・大手取次店を通さなくとも出版できるようになったなど全ての分野でヒエラルキーが崩壊してきた事情が大きいですが、その基礎にはネット広告が広がったことが大きいでしょう。
大手メディアの報道や大手取次店が無視してもネット人気だけで出版してペイする社会が少数意見どころか個人意見の発表を可能にしています。
欧米先進国がこれを「素晴らしいことだ」と放置できるのか、それともソフトコントロールは無理だから中国が人海戦術でやっているモグラ叩きのように・・出る杭をどんどん打つ戦術に頼るのがい良いかの選択を迫られているように思われます。
さしあたり朝日新聞は訴訟戦術で行く・・その一つの「解」を出したということでしょうか?
「言論の自由市場」が機能するには、論旨が合理的であっても引用している前提事実が虚偽であれば読者が誤解してしまいますので、事実適示の真実性をどうやって担保するかにかかって来ます。
これがフェイク論争の基礎的関心です。
事実適示に虚偽がなく同じ事実に対する評価解釈の違いについては、まさに言論の自由市場で勝敗を決めるべきであり、同じ事実についての評価意見の優劣を司法が判断するのは行き過ぎです。
私には事実の真実性についてはどちらに分があるのか全く不明ですが、朝日は事実論争で自信があるからでしょうか?

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