条約成立後の専門家の役割1

組織暴力団でさえなければ、(偶発的に集団化した場合・・または一旦解散して別組織にした場合や、本体そのままで別組織を立ち上げた場合などまだ組織暴力団の指定を受けていない状態)犯行計画が分って証拠まであっても、やられるまで放置すればいいと言う時代・・国民意識ではなくなっています。
暴力団だけではなく一般人でも、犯行グループをネット募集するようになった場合に、これが予め分っても彼らが誘拐や殺人を実行するまで放置しておいて良いという社会意識ではないでしょう。
共謀罪の立法化は組織暴力団・テロ集団ではなくとも、第三者と計画した段階に至れば、処罰が必要と言う世界全体の総意が成立した・これは政治決着であって法律家がどうのこうの言うのは範囲外の分野です。
どの集団階層の利益擁護であろうとも、利害集団のために運動するのは、その時点で政治運動分野です。
ですから、法律家である日弁連が組織暴力団をかばっているのではない・・個人犯罪まで処罰するのはおかしいと言う意見だとしても、こうした犯罪予備軍のために何故運動するのか理解不能です。
そんなバラバラの予備軍(予備軍の人はいまは幸せな恋人同士・・またはまだ恋人がいない状態ですから、自分が将来ストーカーになると予想はしないでしょうから、(この段階の人に聞いたらほぼ大多数がストーカーなんて悪いことだと言うでしょう)大した応援団になる筈がありません。
あるかないか分らない支持母体を当てにして熱心に反対運動しているとはとても思えません。
だから、バックの抽象的な人権擁護のために活動していると言うのでしょうが・・。
人権擁護の心配ならば近代刑法の理念に反すると言う抽象論ではなく、どう言う場合に侵害のリスクがあるかを具体的に主張すべきではないでしょうか?
共謀罪が法制化された場合の人権侵害が心配ならば、・・しかし、共謀罪制定は国際条約上避けられないとすれば、法律家は犯罪化の前倒しの必要性にあわせて、共謀の概念定義の緻密化や証拠法則の充実等を提案して行くべきです。
車は危険だとしても、社会に反対しないでガードレールを作れ、信号機を整備しろ、歩車道の区別をしろなど言うのと同じ方式で良いのではないでしょうか?
いわゆる公害企業も同じです。
石油製品生産に反対するのではなく、公害防止技術の発展を期すれば良いことです。
10月30日にちょっと書いたテロ組織「イスラム国」を支持するのかどうかの問題に戻します。
私自身もこれまで何回か書いていますが、西欧が中東やアフリカ地域で現地諸部族の居住地域に関係なく・・と言うよりお互いに反目するように民族を分断する形で勝手に引いた国境線を変更すべきと言う動き自体は当然だと思っています。
欧米が植民地支配に便利なように作った秩序否定の主張を支持したい気持ち・・日本で言えば戦後秩序の否定)とは別に、彼らテロ組織が支配下に入った少数民族を奴隷化すると言う宣言等を見ると、西欧の植民地支配の悪い点を拡大しようとしているようですから、これを支持したいと思う人が少ないのではないでしょうか?
仮にテロ組織「イスラム国」を全面的支持している人がいてもそれはそれで個人の勝手ですが、今この時点で、日本国がアメリカを中心とした世界秩序に反抗することが得策かは別問題です。
中国やロシアも国内異民族による激しい抵抗問題を抱えているので、反テロの動き自体は世界の強国に限らず、独立運動を抱えるインドネシアやフィリッピン、タイあるいはミャンマー等多くの国の一致した動きですから、日本がこの条約の履行を渋ることは、これら多くの国を敵に回すことになります。
国際条約に適合する国内法成立に反対していて、国際的に意見を通しきれるか・・日本が国際政治で孤立しないかのせめぎ合いが国際政治問題であって、日弁連はそう言う政治を決めるための集団ではないので、その判断は政治が決めるべきです。

共謀罪と犯意2

労働分野でいろんな働き方が増えているように社会全体で非定型化が進んでいますので、犯罪認定も定型行為をするまで放置しておけなくなります。
領土侵犯が漁船や不法移民の浸透によるように・・・数十年前から社会問題化しているイジメや虐待、スローカー等も非定型化繰り返しによる新たな分野で、定型行為発生まで放置することは許されません。
中国漁船が単なる密漁か侵犯のデモンストレーション行為かあるいは、避難を装って侵犯目的で上陸したのか、本当の避難行為か・・主観的意図を重視せざるを得なくなるのが現在です。
こうなると、昭和30年代まで一定の勢いを持っていた主観派刑法学の見直し・・復調が始まるし、その智恵を再活用する必要があるかも知れません。
この後で社会防衛思想の復活傾向を書いて行きますが、これも主観派刑法学基礎思想の復調に連なるように思われます。
私が大学の授業で習った刑法の先生は主観派刑法学の先生でしたが、司法試験では客観派の団藤教授の本を基本書にして勉強したので、主観派のことは授業で聞いた以外には詳しく分っていませんが、復活すれば懐かしいことです。
共謀罪法反対論の論拠になっている「近代刑法の理念に反する」と言う意見は、このような客観派と主観派で過去に争って来た論争の違いも下地になっていて、現在主流を占めている客観派から見れば、主観派刑法学・新派の復権が危険だというのが、反対論の論拠になっているのかも知れません。
(今の実務家は、殆どが客観派刑法学の経験しかないと思うので・・共謀罪は近代刑法原理に反するという主張は客観派刑法学の理念に反するという意味かもしません。)
これでまでの司法実務では、共謀罪が出来ても主観要件だけでは認定が困難過ぎることから、昨日まで書いたように実際には共謀罪で立件出来るのは、内通者から逐一の会話録音やメール情報等が入手出来たときなどに限定されてしまう結果、「1万件に1件も立件出来ないのではないか」と言う私のような意見の論拠にもなります。
要は、現行の殺人予備罪同様にもしも証拠のきちんとあるときでも実行するまで待つしかないのではなく、万1証拠のそろったときに適用出来るように法整備して準備しておくだけ・・備えあれば憂いなしと言うことではないでしょうか?
共謀罪は法律自体に危険性があると言うよりは、運用の問題・・実務で濫用が起きないようにする、健全な司法インフラ充実の有無や、弁護側の努力等にかかっていることになります。
個人的犯罪・・ストーカー等や秋葉原事件のような事件では共謀することは滅多にないでしょうが、共謀罪の客観証拠収集にひっかかりやすいのは組織暴力団やテロ組織です。
遠距離移動が多いので、組織人は毎回顔を突き合わせて相談出来ないので、ついメールや電子機器による連絡に頼り勝ちですし、組織多数者間の共謀になるとそのうちの一人でも、精巧な録音装置をポケットに忍ばせておくとこれが証拠になります。
録音機器や連絡メール等電子的記録等にどこまで犯意と言える事柄についての計画=特定犯罪実行の共謀と言える程度の痕跡が残っているかにかかって来ます。
共謀罪制定反対論者は、具体的な犯罪計画があって、その経緯に関する(15〜16日に書いたようにうまく検挙出来る事件が万に1つしかないとしても)客観証拠があっても、計画段階であるかぎり処罰すべきではないと運動していることになります。
犯罪を犯すのは社会弱者?であるから彼らが気持ちよく犯罪計画出来るように運動しているとでも言うのでしょうか?
ストーカーは一方的思い込みも含めて広くいえば恋に敗れた人ですから、一種の弱者に違いないですが、違法行為を個人で妄想する段階を越えて第3者と計画するようになった段階=共謀するようになれば、危険性が高まり、許された一線を越えていると思われます。
個人が思いつきでイキナリ反抗に及ぶのに比べて、他人と共同して行なうようになるとその危険性はより高まります。
組織暴力団員の組織としての犯罪も、社会的弱者が徒党を組んだ結果の一態様と言えます。
全て犯罪者は基本的に社会弱者ですが、(いじめっ子も家庭内不遇その他弱者であることが多いのですが・)原因究明は犯罪を減らすために必要と言う別次元の問題であって、弱者ならば、犯罪を犯しても良いと言う論理にはなりません。
犯罪=処罰と言う社会ルールが古代からどこの国にもあるのは、社会弱者であっても1線を越えれば処罰すべきだと言う世界全体に共通する古代からの合意です。
ストーカー犯罪が頻発している外、秋葉原事件等個人的大事件もたまに起きます。
組織暴力団ではなくとも共謀・・一定数以上の計画に発展した段階では、(秋葉原事件は個人犯罪ですから、共犯者の必要な共謀法では防げません)その計画が証拠によって裏付けられる場合に限って何らかの社会防衛行為の準備が必要です。

専門家集団と民主的コントロール

原発問題を見ても分るように高度な専門家しか分らない分野が増えて来ています。
政治家が何もかも意味も分からないで最終決断する仕組みに疑問が出て来るのは当然です。
東北大震災・原発事故当時の菅総理が口を出し過ぎたことが混乱を増幅したとして問題になっていますが、保元の乱で左大臣頼長が軍事戦略に口をはさんだのと同じです。
「餅は餅屋に任せろ」ということですが、他方で専門家集団に対する民主的コントロールをどうするかについて別途考察が必要です。
歴史上の専門家集団の最初は軍事組織であったことを01/09/07「世界平和11(戦争の原因5・・王様の戦争5)戦闘員の専門化1」以下で書いたことがありますが、軍人にもシビリアンコントロールが必要なように科学や経済などの専門的決定も国民生活に及ぼす影響が大きくなって来ると民主的コントロールが必要です。
専門家集団の中で誰を最終決定権のある10人(仮の数字です)として選ぶかという段階に民主的手続きを導入する必要性の方が高いかも知れません。
専門家の能力は専門家だけが分るからと言うことで、同じような意見の人たちばかりが専門家集団を牛耳って関係機関・学会で上へ上へと地位が上がって行くようになってしまうと、所謂原子力ムラのように原子力政策推進の一方向の学者ばかりでは「安全だ」ということが宗教みたいになって誰も根本的反対・疑問を言えなくなってしまいます。
専門機関でも軍の場合は一種のマシーンですから効率よく動ける一枚岩である必要があって、軍組織内にいろんな意見が必要ないでしょうが(船頭多くして船山に登るの喩えもあります・・)・・・戦争するかどうかの判断は多様な意見を総合出来る政治家が決める仕組みで良かったのですが、原子力政策その他になって来ると政策決定の専門的判断自体に多様な意見が反映される必要が出てきます。
審議会などは政府の方針に合う人から選ばれる傾向がありますが、選任手続きから民主的洗礼を受けるように手を付けて行く必要があるでしょう。
日銀その他重要機関に関する国会の同意人事制度の結果、与野党の対立で前に進まないことを如何にも悪いことのようにマスコミが書いていますが、これから実質的政策決定権限が専門機関に移って行く以上は、その点は別に工夫するとして民主的洗礼システムそのものをなお強化して行く必要があります。
アメリカ経済・・ひいてはアメリカ国民生活を決める重要決定は連銀の動き次第であり、欧州危機の処方箋決定は、今や政治家の意見によるのではなく欧州中央銀行の決定次第となって来ています。
しかも決定内容は従来の専門領域である金利政策の可否にあるのではなく、量的緩和・・Q2までの包括的緩和ではどうにもならないので的を絞った緩和=実質特定分野への補助金政策になって来たことから見ても、金利政策は意味がなくなっていることが確かです。
このシリーズは年金の前提としていた高金利時代が終わりを告げてるということから話題が横に入っていましたので、ここで再び低金利問題に戻って行きます。
今回の欧州危機の解決には資金注入をどこがいつ、いくらするかの議論が中心であって、金利をどうするべきかなどという議論はまるでニュースにもなっていませんし、いまさら金利の上げ下げを決めても危機解決に何ら意味がないことは誰の目にも明らかです。
投資用資金需要の強い社会・・資金不足時代が終われば、物の価値を化体したに過ぎない貨幣も、物と同様に保管料がかかる時代になるのは当然です。
高金利が妥当したのは、歴史上の一時期でしかありません。
・・・産業革命以降画期的生産性上昇効果があってこそ、機械設備等への投資が高収益を生むからその分配としての高金利が妥当していたことを2012/09/13「年金赤字6とマイナス金利7」でも書きました。
近代化投資が地球上を一巡するまでは、資金需要が旺盛であり、またこれに対応した新規投資がその国では高収益を期待出来たので、高金利で運用出来た期間があったに過ぎません。
近代化がインド・ブラジル、インドネシア等まで行き渡った後は、数百年単位で低成長=低金利時代が来る可能性があります。
年金制度は長期保管(積み立て)してそのお金を原資に分割払いして行く制度(世代間扶養と言うのは払えなくなったことによる言い逃れ)ですから、利回りについては安全を図って(保管料)マイナスくらいのコンセプトで募集すべきです。

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