大アジア主義から三民主義→排日(光復)思想6)

以下は孫文が神戸で行なって大人気を博した大アジア主義の演説の要約ですが、これが排日運動に中心に変わって行った結果・・内政を怠っていた国民党が共産党に食い荒らされてしまった経過を見て行きます。
「孫文の講演の内容を次のように伝えています。孫文は、ヨーロッパの侵略によって衰退を続けたアジアが、日本による不平等条約の撤廃をきっかけに復興へと向かったこと、アジアの諸民族は日露戦争の日本の勝利によって勇気づけられ、独立運動を起こしたことを指摘します。その上で欧米の文化を物質的且つ武力的とし、東洋の文化を精神的道徳的であるとの対比を行い、東洋民族が一致団結して欧米と対抗することを呼びかけたと書かれています。」
マサに幕末から欧米的道義に対する日本の基本思想そのものを孫文が表向き?主張していたコトが分ります。
中国の現場から離れた日本での蹶起集会では高尚な議論が受けるでしょうが、清朝が現実に倒れてしまい、現実政治・・国内での支持者獲得競争が現実に始まると、大きな標語だけでは支持されません・要は実利・・支持者向けスローガンが必要です。
日本でも外交は票になり難いと言われる所以です。
上記孫文の演説によれば、アジア人の自立思想で革命?清朝打倒運動が始まった筈なのにいつの間にかアジア人同士争わせる欧米の術中にはまり、欧米の手先となって日本排撃が優先課題になってしまい、日中対立が基礎的目標になって行った原因を考えておきましょう。
孫文は世界国家論では国内の支持勢力を増やせないので、その後人民向けに三民主義・官吏の清廉性・農地分配・主権重視を発表して支持獲得競争に乗り出しましたが、国内勢力争いを繰り返しているうちにこれがいつの間にか後継者蒋介石によって反日闘争中心にすり替わって排日にのめり込んで行きます。
これまで書いて来たように蒋介石が北伐成功で支配地を獲得してみるとどうやって農地を地主から取り上げて分配するの?実現性がなかった・・実行出来なかったから,外に目を向けて一致団結を強調するしかなかったからでしょう。
元々蒋介石あるいは孫文らを支えて来た各地軍閥は各地の有産階層を支持基盤にしていますから、地主から農地を取り上げるのは無理があったのです。
ソ連でも農地の取り上げには農民の抵抗がありましたが、元々大領主・大貴族の元で農奴として働いていた人が多いのに比べて中国の場合細分化された地主層相手ですからこれを取り上げるのは簡単には行きません。
そこで地域大国のメンツを潰されたことに対する心情・・「日本のハナをアカしたい」と言う心情に訴えるのは、国内で反対勢力がいない・・利害対立する各派の支持を得るのに好都合で支持者獲得に大きな効果が期待出来たし、頭角を顕して来た日本叩き気分・・排日機運が充満している欧米(ドイツも日独同盟までは蒋介石に軍事援助していました)の絶大な応援が期待出来たからでしょう。
以上は一面的見方で書けば・・と言うだけで、日本が対支21か条要求など・・過剰要求?して行ったことも関係しますので日本を頼っていた蒋介石など親日派もドンドン反日に傾いて行った・・・(逆の立場から言えば、対支21か条要求も人によっては解釈の違いがあるでしょう)何事も一面だけでは判断出来ませんが、ある一面の見方を紹介しているだけです。
内政より外敵ばかり目標にしていた・・そうすれば米国から援助が来るし・・と言うことで国内の利害調整能力を磨く努力を怠っていたのですが、外敵日本がアメリカに敗戦してしまうと国民の目を向ける相手が国内の共産党しかなくなりました。
この最終戦・優勝決定戦で、蔣介石軍は対日戦の正面の戦いにうつつを抜かしていた国民党は、同党を日本の正面に据えて消耗させる戦術をとり、地道に国民の支持を増やしていた共産党に完敗してしまいました。
https://ja.wikipedia.org/wiki毛沢東によれば以下のとおりです。
「1937年7月7日に始まった日中戦争では抗日戦線を展開、国民党軍とともに、アメリカやソビエト連邦などの連合国から得た軍事援助を元に日本軍と対峙する。しかし、日中戦争において日本軍と交戦したのは主に国民党軍であった。共産党側は、朱徳率いる八路軍が日本軍へのゲリラ戦を行う以外は日本軍と国民党軍の交戦を傍観し、戦力を温存して、共産党支配地域の拡大に傾注したのである。この時期、毛沢東は「力の70%は勢力拡大、20%は妥協、10%は日本と戦うこと」という指令を発している[14]。なお毛がまとめた『持久戦論』では日本軍の戦略を「包囲は多いが殲滅が少ない」と批判している。毛沢東は延安で、日本軍が南京を陥落させたニュースを聞いて大喜びし、祝杯をあげ大酒を飲んだ。
毛沢東は裏で日本軍と手を結び、蒋介石と日本を戦わせて漁夫の利を得ていた。延安で八路軍が栽培していたアヘンの販売で日本軍と結託していた。また積極的に占領区内の日本軍と商売を行い、晋西北の各県は日本製品であふれていた。中共指導者と日本派遣軍最高司令部の間で長期間連携を保っていた。毛沢東の代理人は、南京の岡村寧次大将総本部隷属の人物であった[15]。」
英雄視されていたチャーチルも戦争が終われば用済みとなって、次の選挙で負けましたた。
パク大統領も対日悪宣伝外交に専念していたので、日韓合意の後でイザ内政に戻ると惨憺たる有様です。
共産党政権が農地分配を実行・・強制出来たのは、競争相手がいなくなった・・独占勢力になったので政敵の動向を気にする必要がなくなったので、強引なことが出来た・スターリンが国営農場化反対農民をドンドンシベリアに送ったように、中国共産党の強権・・地主や自作農が土地を取り上げられても抵抗出来なかったからです。
中共政権も権謀術数で国民党の支配を切り崩して来ただけで,戦後直ぐの片山内閣や日本の民主党同様に政権を取ると具体的内政能力がないので大変です。
三民主義の思想継承で、分配実行までは強権支配の良い面・・実行力を示せたのですが、分配が終わってみると、(有産階層を追放すると実務能力がさらになくなります)生産性低下のマイナス効果に脅かされて行きます。
どうして良いか分らないので、スターリンの場合粛清に続く粛清で政敵を倒して来たことが有名ですが、毛沢東の人生を見るとほぼスターリンの踏襲で頭角を現し、最後まで粛清(文化大革命も大掛かりなだけでその一種です)によって地位を維持して来たといえるでしょう。
中ソ対決はフルシチョフが粛清に継ぐ粛清をして来たスターリン批判をしたことを、修正主義と毛沢東が批判して、中ソ対立が始まったものです。
政敵を黙らせる道具として修正主義批判・レッテル貼りが便利なツールとなり、以後共産主義独裁国家に於いては粛清の道具・・民主国家に於いては左翼系が支配するマスコミ界・・言論空間で盛んに歴史修正主義者と言うレッテル張りが行なわれるようになりました。
蒋介石同様にアメリカの後ろ盾があってのことですが、これさえ言えば政敵や意見の違う言論人をマスコミ等言論空間から全面的シャットアウト出来る便利なツールになります。
毛沢東のフルシチョフ批判は、ちょうど明治日本が開国したのを朝鮮が批判してバカにしていた(これに対して征韓論が起きました)のに似ています。
鄧小平の改革開放を北朝鮮が「裏切り者」と批判するような超反動的レッテル貼りになります。

中華(光復)思想5(地域大国の復活2)

国民党を追い出した後の共産党政権はさすがに時代が変わったので、政権樹立後別の王朝を樹立出来ない(毛沢東王朝には出来ない)で、集団指導制になったものの・・共産党独裁=専制支配本質は変わりませんので、国民が世界と自由に交流出来るようになると国民のための政府ではなく共産党支配のための政府である矛盾をどうするかです。
共産主義思想・・本来は、人民に政策の成果を還元することを表向き主目的にする主張ですが、共産党幹部が太子党を結成してうまい汁を吸っている状態・ソ連共産党も幹部が特権階級になっていた点は同じです。
国内では、人海戦術で、瞬時に不都合なネット書き込みを消しまくっていても、物流自由化が進みこれに比例して国外旅行自由化している以国民の情報入手度が格段に上がっています。
反日教育を子供の頃から刷り込んでいても、実際に日本に来る人が増えると「見ると聞くは大違い」・・と驚く中国人が増えてきます。
政権樹立段階で対立軍閥との支持獲得闘争中においしいコトを言って来たこと(今の公約)を守ってくれない矛盾がすぐに起きますが、従来の王朝・あるいは竹のカーテンのあった時期には、どんな不満があっても弾圧で凌げていました。
改革開放後はある程度(国外の文物流入の激しい沿海部に比べて内陸部では、政府情報意識のママであると言われています)開かれた社会になったので、全面的な閉鎖空間ではありません。
今では外国情報がいくら規制しても入り易い上にこれを検閲遮断しても外国への人の出入りが自由ですので、ザルの底から水が漏れるように情報が行き来しています。
このリスクが分っていても「ソ連に占領されてしまうよりマシ」だし、解放すれば世界の工場として高度成長が期待出来、所得が増えるので何とか国民のガス抜きになると言う期待があり、それが成功していました。
政権樹立後70年経過〜解放後3〜40年経過で解放による高度成長の終わりが始まると、不満爆発時期もそろそろ迫って来ると見るのが普通でしょう。
・・これを回避するために何をすべきか?
1つには政府・共産党幹部が巨額賄賂で私腹を肥やしている・その分国民への分配が減っている不満を緩和すること・・これが「トラも蠅も退治する」と言う習近平氏の汚職退治のキャンペインです。
これは三国志の時代からスケープゴートとして政府高官を不正摘発して処刑するやり方の延長です。
これが汚職を減らす本来の目的ではなく、・・単なる政敵粛清の手段ではないかと問題視されているので、最近習近平派と言われている天津市の実力者が取り調べを受けた報道が重要視されています。
https://docs.google.com/document/d/1B_k-2lcstvNhZWWRqkWpEo0Evf1mJlU7NLjlDEZOEak/edit
中国共産党は歴代の最高指導者を「核心」と呼んできたが、胡錦濤前総書記の時代は集団指導体制を唱え、この呼び方をやめており、習指導体制も当初は、これに倣っていた。しかし、2016年1月8日の会議で、習近平総書記との関係が近いとされる天津市の代理書記である黄興国が「習総書記という核心を守らなければならない」と会議で発言した[4]。これに続き同月11日から15日にかけて、安徽省、湖北省、四川省の各省指導者がそれぞれ同様の表現の演説を発表した[4]。浙江省での勤務の際に当時省党書記であった習総書記との接点があり、習派グループのひとつ之江新軍の一員とされる[5]。
2016年9月10日、党規律検査委員会は黄を規律違反の疑いで調査をしていると発表した[6]。更に2015年天津浜海新区倉庫爆発事故の責任が問われる模様。
これを習近平派の足下が揺らいだと言う見方が多い印象ですが、逆に元々の習近平はに対しても忠勤の程度によって強弱をつける・・手を着けられるほど政権基盤が強くなったとも読めます。
タマタマ勝又氏の記事を見ると同様の見方が出ていました。
(http://ameblo.jp/katsumatahisayoshi/day-20160925.html9月25日)
この記事では私が22日頃から書いている「権謀術数」中心の専制社会の描写・速やかな習近平派への乗り換えに必死になっている官僚の生々しい行動様式も書かれています。
王朝時代・静的な時代には汚職のない清潔な政治の主張だけで良かったですが、国際政治・経済状況が激動している現在では、日々的確な政治経済運営による、富みの拡大と公平な再分配が求められています。
「汚職・・悪いことさえしなければいい」と言うのは最低の資格であって、その先の政策をどうするかが求められています。
「クリーン政治しか掲げない公明党の存在意義がどうなっているの?」と言う意見をDecember 1, 2012に書いたことがあります。
就職試験の面接で「私は不正・使い込みをしません」と言う意見を学生から聞いても採用する企業はないでしょう。
汚職摘発が如何に本気だと宣伝してもそれだけでは、国民はしらけています。
これまではキャッチアップ型だったのでやることが単純・・強気投資で行け行けドンドンでうまく行きましたが、中進国の罠をどうやって逃れるか・経済政策をどうして良いか不明・・さしあたり時間稼ぎに国威発揚を強調するしかなくなって来た印象です。
国威発揚・軍事挑発はいつの時代にも時間稼ぎでしかない・・本質的不満解消に役立ちません。
(お腹がすいて泣いている赤ちゃんにミルクをやるのが惜しくて「ガラガラっ」と音を立てて誤摩化しているようなものですが、この程度のことで国民が誤摩化される程度の民度と言うことでしょうか?)
国威発揚政策は何年も同じことをしているのではインパクトがない・・徐々にエスカレートして行かないと国民に対するアッピール力が薄れるので大変です。
次々とエスカレートして行く・・領海侵犯する漁船や戦闘機数を増やして行くにはコスト・・国力・軍事力拡大が続かないので、決着をつけるために冒険主義に走るのが普通ですが、核大国同士ではそうも行かないので、実態と乖離した国威発揚・データ改ざん・ドーピングなどあるいはソ連の人工衛生競争や北朝鮮の核兵器開発など一点豪華主義に走って誤摩化すようになります。
中国と日本の場合には、こちらが核を持っていないので中国がどこまでエスカレートするか・・核の脅しを使うかが微妙で,この微妙さの間に日米安保の信用性も入っているので複雑です。

中華(光復)思想4(地域大国の復活1)

中国人民の腐敗体質〜栄華復活論に戻します。
蒋介石の率いる軍はアメリカからは、「腐敗した国民党軍の崩壊を恐れ」られる状態になっていて、いくら物資をつぎ込んでも無理と分ったアメリカが遂に手を引くようになり、まだ腐敗するほど権力のなかった若き共産軍に圧倒されていく状態が昨日紹介したウイキペデイアに出ています。
共産党も政権を取ればすぐに腐敗が始まっている点は同じ・・今の賄賂体質は国際的に知られています。
この辺は中国贔屓の文化人も否定しないでしょう・・マスコミがなるべく不都合なことは、報道しないようにするていどです。
国民の腐敗体質は政府が号令すれば解決するものではない・・政府が樹立されて腐敗根絶を号令さえすればなくなるものではない・・、これを実行するべき役人や受入れる国民各層にしみ込んだ腐敗体質ですからどうなるものでもありません。
ただ共産党政権は、最後に政権を取った・・「あとだし」じゃんけん的有利さがあります。
国民党を追い出した後は、対抗勢力がないので、汚職のやり放題あるいは何千万人も餓死させた大躍進運動でも責任を全く取らなくとも済んでいます。
これは国民の支持があるからではなく、王朝末期の騒乱時の群雄並び立つ競争勢力が皆無になった後になると後はスキなようにしてよい状態・・国民には選択権がなくなっているからです。
中国の場合空間地域としては大きいものの実は蒸気機関発明前には、物流・人材交流も微々たるもので域外勢力が攻め込んだり大量の人民逃亡があり得ない閉鎖空間でしたので、この地域内で一旦支配が成立すると人民はとらわれの状態・何をされても抵抗出来ない・・もの凄い残虐な弾圧が待っているので、王朝末期の騒乱が始まるまでは黙って耐えて行くしかなかったことが前提です。
過去の歴史を見ると数百年単位の専制的縛りのガタが来て・・王朝末期の騒乱が起きると100年前後の騒乱〜小国乱立(五胡十国や五代十国など)を経過すると、たまっていた不満のエネルギーを使い果たしてしまうので、最後に天下を取った政権をもう一度騒乱で倒すほどのエネルギーが民衆には残っていません。
次にもう一度騒乱を起こすエネルギーが溜まるには、中国地域の場合専制支配体制が強固なために、強固さに比例して約300年周期・・エネルギーの蓄積を待つ必要があったようです。
中国地域動乱の最後を締めくくる政権が再び前王朝と同じ政体・・専制体制でやって来られたのは、長い騒乱で民が疲れ切ってしまい、最後の政権に異議を唱え続けるエネルギーがなくなったのを利用している・・だからいつも同じ政体の繰り返しで(前王朝と比べて何らの改善もないままで)もやってこられたのです。
9月22日以来、中韓社会の権謀術数重視社会を書いてきましたが、この基礎にはどんな悪どいことをしても相手を倒せば良いと言う思想・・今風に言えば国際受注態度・・受注さえしてしまえば後は契約違反(赤字なので契約金を上げてくれなど)でも何でもやり放題意識も、こうした王朝交代・・「政権さえとれば後はやり放題」の経験しかないからです。 
王朝末期の騒乱・競争社会を勝ち抜きさえすれば、後は何をしても良い「栄耀栄華が待っていた」王朝成立前後の経験・政敵を完全に葬ってしまえば後で何も言わせない経験・・が彼らの行動原理になっています。
経済ルールで言えば、競争力ある企業が無茶な競争を仕掛けて、同業者を全部をなぎ倒して独占企業になってから法外な高額でないと売ってやらないと言うような悪ドイことを中国歴代王朝がやって来たのを見ているからです。
最近で言えば、レアアース市場で法外な安値受注を仕掛けたので、世界中のレアアース産地が殆どつぶれた後で、イキナリ反日暴動に絡めて「日本に売ってやらない」と言い出して、国際相場が何倍にも急上昇したことがあります。
これが失敗したのは、今の世界は中国型型閉鎖空間でなくなっているコトを理解出来なかったこと・・中国が法外な値段を付けると世界中のレアアース埋蔵地域の生産がすぐに始まったからです。
これには一定期間のタイムラグがありますが、日本企業がこのタイムラグ・中国に頼るリスクを考えて在庫を大量に確保していたことから、日本企業が全然焦らなかったことが大きな保険になりました。
今朝の日経朝刊私の履歴書を見ると、牛丼の吉野家が、米国産牛肉だけに頼るリスク回避のために何年もかけて中南米等から分散輸入が出来ないか試行錯誤していたことが出ています。
政府に限らず、企業経営者と言うものはこうしたリスク回避をいつも考えて行動していることが分ります。
現在の中国による鉄鋼ダンピング輸出も国内不景気を表向きの理由にしていますが、中国人の内心では世界中の製鐵会社を潰してしまう時代遅れの策略が裏にあることは間違いないでしょう。
レアアースのように鉄鋼製品は何年分も在庫を持てませんが、ダンピング輸出では、資金が続かないので世界中の製鉄所を一時休止に追い込むのがやっと(中国はどうなるかと聞かれると資金がその内尽きるから終わるでしょうと答えています・・中国の外貨準備が実際にどうなっているかが重要と考えてこのコラムはその視点で書いています)で競争相手を皆無に出来ませんので、中国が大幅値上げに切り替えれば世界中ですぐに再稼働が始まるでしょう。
共産党政権の腐敗に戻しますと、最後に天下をとった共産党は過去の新成立王朝同様に、後は「煮て食おうと焼いて食おうと勝手」だと言わんばかりに民の意向など問題にしないで・・・・無茶苦茶し放題をして来た点は周知のとおりです。
このやり方が通用したのはいわゆる竹のカーテン効果によります。
近代以前の閉鎖社会に戻すことが中国の安定に繋がる智恵ですが、その代わり経済発展がもの凄く遅れてしまいましたが、民の幸福より政権維持が主目的ですから発展の遅れを気にしません・・自由主義国から交流制限されて来たのは、もっけの幸いだったでしょう。
・・北朝鮮が無茶出来ているのは経済制裁・・鎖国状態のおかげです。
この辺はSeptember 18, 2016前後で経済制裁は逆効果であると書いて来ました。
中国が民に対する圧迫力が尻抜けになるリスクがあってもついに解放せざるを得なくなったのは、中ソ対立が深刻化してソ連戦車群が押し寄せるリスクが切迫して来て、アメリカに身を寄せるしか政権維持が出来なくなったからです。
今直ぐソ連による侵攻が迫っていたのに比べれば、(当時ソ連圏であったモンゴルから戦車隊がなだれ込めばホンの何時間で北京に到達することが日本でも盛んに報道されていました)背に腹は代えられない・・国民の自由度が少しくらい増したとしてもそれらは締め付け強化で何とかなる・・時間稼ぎになると言う決断だったでしょう。
日米では中国社会が世界に開かれれば民主化が進むと期待していましたが、それは間違いであることが分ってきました・・この辺は逆効果である・・公式検閲出来ない・・マスコミによる垂れ流し的印象操作に頼る先進国の方が既存権威崩壊を早めるが、公式検閲・不利益処分・処罰出来る独裁政権の方が情報統制が簡単です。
スマホその他情報機器の発達が独裁国家・中国共産党政府の弱体化に繋がるというマスコミ意見は誤りで、逆に先進民主主義国で先に効果を現すだろうという意見を2012年12月20日「米英系マスコミ支配2とマスコミの限界」あたりから正月のコラムまで連載しました。

核家族化と子育て

ここからは、養育料支払義務の前提となる婚姻費用分担義務制度が生まれて来た時代背景は何かの関心で書いて行きます。
養育料支払義務の法的構成は2010-4-6−1「母子一体感3(養育料3)」前後で書いたように、元々子育ては未熟な期間が長い人類では母親独りの手に終えないことに起源があることが明らかです。
これを人類は女性集団で面倒を見る古代社会から、氏族社会・大家族制での大家族内での女性集団あるいは親族共同体が近接して何世代にもわたって重層的に住む社会を順次構成して、冠婚葬祭・出産・介護その他夫婦あるいは親世代の援助だけでは間に合わないときには女性同士で助け合う(これは古代からの基本的インフラです)社会を経験して来ました。
ところが産業革命後都市への人口移動が始まると当然のことながら、上京した若夫婦には近くに親戚がいない(身寄りや同郷人を頼って行くものでしたが・・・それにしても糸一本わずかに繋がっている感じです)上に核・小家族化の進行ですから、(親世代は田舎に残っているので、都市住民1世は当然核家族になります)親族や親世代の助け合い関係が消滅して行き母親の孤立化が進行します。
社会の近代化=都市生活化に連れて小家族または核家族化が進行し、大家族制あるいは地域社会の崩壊による子育ての外延的枠組み崩壊が進行するのは必然です。
ちなみに、地域社会崩壊が言われて久しいですが、何世代にもわたって同一地域に住んで来たことによって親族関係の入り組んだ関係や仕事での共同関係があってこそ、地域社会が機能するのです。
赤の他人ばかりでしかも遠くに働きに出ていて地域内で共同して働いていない・仕事その他お互いに何ら接点のない人が砂粒のように住んでいるだけで、同じ地域に住んでいると言うだけでは昔のような一体感を期待するのは無理があります。
現在地域活動を担っているのは地域内で営業している業者が中心になっているのは彼らが金儲けのためと言うだけではなく日頃から地元で働いていて共同体意識が育まれているからです。
近くに親族もいないで、隣人同士無関心のママ放っておくと子育ては母親独りに委ねることになってしまいますが、それが無理であるからこそ古代から女性同士の助け合いが発達して来たのですから、その補充のためには社会・政府による責任制度へ移行するしかなかったのです。
近代国家・・流入都市住民の増加が大家族・親族共同体による母子支援を不可能にした以上は、母子の(経済だけではなく子育て支援を含む)生活保障に関する社会制度整備が完成するまでは、その担い手として当面身近にいる父親(血統重視)の責任とする前々近代的手法による思想教育に求めるしかなかったと考えられます。
November 8, 2010「子育ての意味」 のコラムで 里子制度を少し書きましたが、本来血縁に関係なく博愛精神?で社会的に子育てに協力すべき方向へ行くしかないのに、その思想を含めたインフラ準備が間に合わないので、(今のペットブームはその代替・補償作用です)その逆に血縁重視に舵を切っていたと言えます。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC