マスコミの中立性6(国籍要件1)

人材浸透作戦は日中国交回復後中国も加わり、ちょうど民主党政権時代にマスコミ支配が完成したので、日本マスコミ界はこぞって思い切った日本批判を始めたようです。
(今や内部の事務局やデイレクターなどに限らず、お笑いタレントなど多くは在日系の印象です)
真偽不明ですが、NHKや朝日新聞には新華社の記者が相互交流とか言う名目で?常駐していると言われています。
民主党政権時代のテレビ画面は、見るからに韓国系・中国系のどぎつい色彩感覚(パチンコ屋をイメージすれば分りよいでしょう)が溢れていました。
マスコミに関しては報道の中立性や国益に重要な影響がある関係で資本規制がありますが、内部で働く人材に関して国籍要件がありません。
中韓両国の国策的マスコミ浸透は、この隙をついているようです。
この延長として、地方自治体採用から国籍条項をなくせと言う運動が中韓系支持者の多い政党や人権?団体を通じて始まり、これが既に成功していることは周知のとおりです。
中韓は人材浸透作戦は日本に限らず、国際機関でも人材供給に熱心・・成功しているので→これがユネスコで簡単に南京虐殺が認定されてしまう原因です。
各種スポーツ組織にも浸透しているので、宮沢政権のとき日本開催に決まっていたワールドカップに対して直前に割り込んで来て結果的に共同開催になるなど何かと反日的韓国の意見が幅を利かす原因です。
資本だけ規制しても、働く人材の90%以上を本国の指令で動く中韓系が占めるようになると、各種資料作成での色付けや人材登用や採用などで事実上の政策決定に大きな影響を及ぼせます。
各種審議会などのテーマ選定や運用・・・・官僚や事務局の資料準備や方向付けが大きな影響を及ぼしていることを知らない人はないでしょう。
これを制度的に表していたのが、共産圏での政治制度・・本来の事務局トップでしかない筈の「書記長」が国政のトップにつく制度でした。
この本質を知り尽くしている中韓が世界中の国際組織事務局に人材を下から順に浸透させて行くやり方をしているのです。
ヤクザ組織もいつの間にか下から順に浸透して行き、今や在日系が殆どになっていると言われます。
日本マスコミ界に就職して順次出世して行き、今や中堅以上の人材を抑えている・・一旦出世すると同国人ばかりコネ重視する仕組みでがん細胞のように派閥を作って行く・・国連事務総長を押さえた韓国勢は自国出身者を重用していることが知られていますが、マスコミで言えば中堅以上を押さえるようになると取材対象選択や記事の書き方やコーデイネーターなどによる話題の運用の仕方が少しずつ偏っていくことについて、同じ空気の中にいるので、自覚出来なくなるようです。
過去4〜50年の社共両党とマスコミの運動を前提に、仮にこれらが実現する場合の結果を想定すると、出来るだけ日本経済発展に不利な方向を目指していたような印象を受けます。
この辺は、革新政党と称していたが、実際には何でも反対の反動勢力であったと言うシリーズで書いて来たことがあります。
弁護士になったばかりの頃に川鉄公害訴訟や成田空港や高速道路建設反対運動を共産党系弁護士から誘われたことがあることを、このコラムで紹介したことがあります。
共産主義だからと言ってソ連でも空港があり製鉄工場が煙を出しているのに、もっと公害防止技術の進んだ日本の工場や空港だと何故操業に反対するのかが分らなくて参加しませんでした。
アメリカの原水爆実験には大騒ぎでしたが、中ソの核実験には何の反応も示しません。
結論から見ると人権擁護が目的と言うよりは、人権と言う錦の御旗を唱えて反対し、規制を厳しくして、新たな産業発達を如何に妨害するかに熱心であるかのように見えました。
マスコミや人権団体が積極的な方向を見ると、保険適用の例で書いたように、財源破綻する方向への煽りに熱心です。
増税すれば、日本経済が悪化するのが見え見えなのに、庶民の味方を標榜している割には、衆愚・・大衆迎合主義は良くないと言う切り分けで、増税には熱心に官僚の応援をしています。
実は官僚自体が中韓のトラップに引っかかっていると言う噂が出回っていますが・・。
マスコミや人権派の推奨する方向で長期的に何を期待しているのかと言う点で見ると、全て日本経済の破綻か産業界が国際競争に負けてしまうような方向の推奨(新製品開発等反対のブレーキ提案)が多いのが特徴です。
最近ではこの意見を「憲法改正・変遷3(社会党の憲法解釈変更)」December 22, 2015で要約して書いています。

失言パッシングと言論の自由2

民間企業の場合、国民が見ない→広告を出さないとなれば、経営が成り立たないので自然に営業現場から顧客の好みに合わせるしかなくなりますが、公共放送には民意反映・・市場淘汰の手段がありません。
国民無視の赤字経営が続けば公的団体でもいつかは解体するしかなくなる・・中国もそうなるのかな?世界中注視の段階に入っているのですが、NHkの場合、強制徴収制度・・一種の税金で成り立っているので、顧客減少は経営に全く関係がありません。
国鉄その他いろんな分野での民営化が必要とされる所以です。
旧国鉄の例で言えば、民営化前には従業員がやりたい放題のストやサボタージュを出来ていたのは国民の迷惑など関係のない仕組みだったからです。
普通の国の場合、国営・国有企業と言えば国策を貫徹するためのものですが、日本の場合国有・公共事業体には(独占的事業が多く)市場競争がないマイナス面だけ取り入れて、怠け者や偏った人材が浸透してしまえば、外部チェックの聞かない変な仕組みです。
日弁連も法律業務の独占事業体になっている弊害が指摘されるようになっていますので,人ごとではありません・・心すべきです。
日教組の場合、公教育中心時代には一種の独占事業体でしたが、その代わり巷に私塾が発達して来ましたし、マスコミ界も同じ思想基準でしか報道しない独占業界類似の状態(中韓支配の完成)になっていましたが、ネット発信の発達によって風穴が空いてきました。
中立でもないし、国の方針に反することを目的にする国営放送などはあっても,諸外国は、日本の方針かと誤解してしまう・・害があるだけですから解体すべきです。
事実を言うと失言として大騒ぎして口封じをするようになった歴史背景を考えて行きましょう。
戦後70年間もの長きにわたって、アメリカのでっち上げ歴史観に日本人多くが疑問を抱かずに来たように見えた原因は、アメリカ占領中の教育界とマスメディア支配の徹底とその置き土産によるところが大きかったでしょう。
サンフランシスコ講和条約が1951年9月ですから敗戦後11年間も軍事支配していたのですから、この間にアメリカ賞讃型(非)国民への入れ替えが教育界やマスコミ界で完了した・・その完了を待って、日本独立を認めたのかも知れません。
独立直後には、なお実際の歴史を知る日本人が多かったので、「アメリカが正義である・・」と言う教育には内心不満な人の方が多かったでしょうが、なお日本はアメリカの庇護がなければ独り立ち出来ないひ弱な状態でしたから誰も「ウソッ八だ間違っている!」と声を上げることが出来ない自主規制状態が更に何十年も続いて来たことになります。
アメリカは日本独立後露骨な検閲が出来なくなったので、影響力を保持するために教育界やマスメデイア界に自主規制や内部チェックするべき人材を残しておくことに重きを置いていたと思われます。
直接の検閲の代わりに、アメリカによる戦後秩序・・価値観批判をすれば、現在の失言批判同様のパッシング様式を採用して言論弾圧に励んで来て,・・最近でも、安倍総理就任初期には歴史修正主義者と言うレッテル貼りが盛んに行なわれたことを記憶している人が多いでしょう。
20年ほど前に或る委員会の視察旅行で一緒になった高齢委員(私より20歳くらい年長者だったので当然戦争に行った人だったと思います)の人と一夜飲酒して話し合ったことがありますが、高齢委員の今の教育に対する悲憤慷慨・・アメリカの言いなりの世の中を嘆いていましたが、わたしが、「そんなことは若い人でもみんな知っていますよ!今はアメリカ一強だから何も言えないだけですから、心配しなくていいですよ」と言うと、その先生は「若い人はそう言う考えなのか!」と多いに感激して安心した様子でした。
その方は、当時若かった私からその言葉を聞いて日本の将来にすごく安心した様子を今でも鮮明に思い出します。
今思い出すと、その方は日本の誇りを取り戻すために何一つ本当のことを言えない日本の将来を心から心配していたのでしょう。
今回の安倍総理に対する修正主義者批判が奏功しなかったのは、アメリカ自身の基礎体力低下とこれに反比例した日本国力上昇関係があります・・アメリカ退潮の空白の穴を埋めたのが在日系人材浸透でしょう。
アメリカの締め付け縮小の穴を埋めるようにいつの間にか在日系がマスコミ界に浸透して来て、今度は韓国に不利なことは一切言えない・少しでも言うと失言として大騒ぎになる時代が続きました。

失言パッシングと言論の自由1

マスコミ界が特定事実に関して政治家が本当のことを言うと「失言とか妄言」とか大騒ぎして、パッシングする基準は何か?が気になりませんか?
子供が「王様が裸だ!」と叫んだのに対して、大慌てで周りの大人が口を塞いでいるような印象です。
あるいは宦官の趙高が「馬」を「鹿」といって、「あれは馬だ」と言う皇帝に恥をかかせても周りの群臣が誰も皇帝に合わせて「あれは馬だ」と言えなかった故事(バカの語源)がありますが、ここで独り真実に合わせて「あれは馬です」と言えば、直ちに処刑されるような雰囲気の再現です。
失言と言う変な用語が発達したのは事実を言われると困る勢力が、マスコミ支配している結果編み出した新語でしょう。
マスコミの存在伊意義は政府や力の強いものが不都合な事実を隠している場合、これを暴き国民に伝えるのが本来ですが、逆に誰かが不都合な事実を発言するのを封殺する役割を担うようになってしまっているのです。
マスコミが過去に失言・妄言と大騒ぎした結果、大臣が罷免か辞任に追い込まれた例が一杯ありますが、真実を言われると困る勢力はどこか?と言う基準で見ると共通項は中韓両国であった事例ばかりであることが分ります。
長年マスコミ界が一致してパッシングするとすぐに大臣罷免や陳謝に追い込める・・政界から抹殺出来るマスコミ界の力を誇示する風潮が言論を萎縮させ、慰安婦問題などを大きな事件に育てしまった反省が必要です。
マスコミ界に在日系や中国系人材を送り込んでマスコミ内の人的支配を目指す中韓両国の計画が事実上完成したのは、韓流報道がはびこったころでしょうか?
第二次世界大戦前後を通じてコミンテルンがアメリカでマスコミ界・政府機関に人材を浸透させてマスコミ支配を完成させていた・・アメリカでマッカ−シー旋風の元になったことの再現を無防備な日本でやっていたように見えます。
無防備とは憲法9条の軍事面のことだけではなく、思想的無防備に繋がっています・・あらゆる分野でアメリカによって武装解除された状態で・・知財であれ、先端技術技術であれ、盗み放題になっている・・この防衛方面・・制裁面が極端に弱くなっている・勢力拡大を図る外国勢力にとって、自由自在に浸透出来るのが我が国です。
対中対立状態になって初めて日本の無防備が気になり出したアメリカの要請で?最近次々と取り締まり法規化が動き出しました。
あらゆる面での非武装平和論・・いわゆる戸締まり不要論による外国人犯罪の拡大・行き過ぎ是正策が、特定秘密保護法やマイナンバー法制定・外国登録の改正(住民登録制度)アングラマネー規制への大きな動きです。
日本人の本音を無視したマスコミ表現ばかりが何十年もはびこっていて、中韓の虚偽首長を批判する意見をマスコミ界で全く言えなくなって久しいので、中韓両政府にとっては、日本のマスコミ支配が完成したと考えたようです。(中韓に不利な事実を言いそうな人はマスコミで採用されません)
親中韓の民主党政権誕生によってこの機会とばかりに、トドメになる、大攻勢を掛ければマスコミ界が応援して「今までの謝り方がぬる過ぎたからもっと誠意を持って謝るしかない」と言う世論を形成させて、より多くの慰安婦賠償金や技術移転等の約束を獲得出来ると誤解してしまったように見えます。
自民党時代も含めて民主党政権時代までには、政府自身も(反論するとマスコミの集中砲火を浴びるから?ウラで何かあるのか不明ですが)韓国や中国政府の言いなりになっていたので、押し殺されている日本人の国民感情を中韓両国では理解出来なくなっている様子です。
ほぼ属国にでもなってしまったかのような思い上がり・・機は熟したとばかりに大々的攻勢・・反日暴動や尖閣諸島海域審連続侵犯行為・・慰安婦問題の世界拡大行動等・・イザ決戦とばかりに最後の一斉攻撃に出たことによって、日本人の本音・・中韓支配勢力のマスコミ支配による噓八百の押し付けに対する不満が遂に爆発しました。
韓国びいきの報道ばかりしていたフジテレビが国民批判を受けてすぐに業績悪化したことから分るように、日本人が喜んでいないのに韓流ばかり報道していた実態がありました。
私の例で言えば、NHkラジオ深夜便を好んで聞いていましたが、10数年前ころから、途中で話題に関係なく「韓国が如何に素晴らしいかの話題」が挿入されるようになって来たのでその後我が家では、深夜便を聞かなくなっていました。
NHKラジオを聞かなくなって久しいので今の状況が分りませんが、NHKは広告収入に関係がない強みで視聴者がいくら減っても営業方針?に関係なく、今でも韓流や韓国料理などの賞讃報道を続けているのでしょうか?
安倍政権が躍起になってマスコミの中立化復活のために中立人材をトップに送り込んでも、昨日書いたように政府任命のトップ以外の従業員が皆、中韓関係・・本国の意を受けた人材で固められてしまっているとした場合、日常業務・日々の放送内容にトップが口出し出来ないので、どうにもなりません。

マスコミの中立性5(環境大臣発言1)

ここで、今回問題になった環境大臣発言叩き・・パッシングの問題に入って行きます。
環境大臣発言はマスコミによれば、放射能許容基準値は政治的に決まったものであって、科学的記事根拠で決まったものでないと言うことがマスコミの逆鱗に触れたようです。
科学根拠がないと言う大臣発言は事実にあっているのに、それが、マスコミ界挙げてのパッシング対象になり、何故陳謝しなければならないかの疑問です。
真実でも嫌がる人の前で公言して良いかは別次元ですから、事実を公言するのは、政治的に得策かは別物であるものの、それは自民党や当の本人が反省すべきことであり、選挙民が考えることです。
自民党内で謝った方が得策かの判断をして環境大臣にアドバイスするかは別としてマスコミから謝れと責め立てられるのは筋違いです。
報道界が一方的に決めた基準に合わないからと言って(マスコミが勝手に民意を代表して?)「◯◯の発言は許されない」「土下座して謝るべき」とパッシング・・言わば袋叩きする資格はありません。
報道界としては「そんな発言は許されない」」「吊るし上げ」に加担し、如何にも大臣不適格・・辞任すべきことのように煽るのは。仮に地元選挙民の一部から委任を受けているにしてもその行為は、選挙民内の特定勢力の応援をしていることになります。
100%の選挙民が謝るべきだと考えているとは到底思えません。
その発言が特定選挙民の気に触るどうかは別として、中立を守るならば、特定者の代表することは許されないので少なくとも、客観事実してはこう言う決まり方ですと言う並列・冷静報道に徹すべきでした。
失言非難ばかりで、客観事実に合っているが、それをどう受けとるかは人次第だと言う客観報道を見かけません。
ところで、過去にマスコミが煽って来た失言騒動を見ると、事実に合っているときに大騒ぎになるのが不思議です。
マスコミは自分が虚偽報道に慣れているから、事実を言われるのが困るのでしょうか?
ところで、大前提として放射能基準に客観性がないと言う事実に即した発言が福島の人を何故侮辱することになるのか・・私によれば、むしろ根拠のない厳格設定では、却って福島の人たちが(風評被害などで)いつまでも故郷に戻れないし生き辛いのではないかと言う逆の印象です。
政府の根拠のない厳格基準では、福島だけなく、諸外国でも該当する地域が一杯あるやに聞いています。
何のために民主党政権が自然界にあるのと大差ないような基準を居住基準に決めたのか・・半永久的に福島には人が住めないようにしてしまおうと言う意図があったのでしょうか?
放射能基準に関しては福島原発事故当時のコラム「放射能の危険性2(管理区域)」March 28, 2011に連載したことがありますから、再論しませんが、各種規制基準は政治的圧力で決まることが圧倒的多数です。
まして大事故があるとこれに便乗する反対勢力の動きで、必要以上に厳格基準に振れ過ぎ易いのが普通です。
私は、数年間フッ素化合物の含有した住宅地の裁判をやってきましたが、フッ素規制基準も科学的根拠とは関係のない・・運動体の圧力次第と言う如何にもいい加減なものでした。
原発関係者・放射能を出す方には大事を取って「厳格基準で行動して欲しい」と言う願いは分りますが、被害を受ける居住者がその程度の基準を超えると本当に健康被害に遭うリスクがあるとして、日常生活を禁止されなければならないかは別問題です。
実害がないのに厳格基準を居住基準を強要すると福島の復興が容易ではありませんし、復興に向けた作業を禁止する合理性もありません。
このように見て行くと、マスコミ界がこぞって「客観的事実としては正しいと言うコメントが一切なくて)事実を言うと失言として大臣に対する批判一色なのは、福島の復興を遅れさせる目的があるかのような印象を受けます。
福島原発事故に大はしゃぎしていた韓国の陰をここでも感じる人が多いでしょう。
韓国では、一旦弱者となれば、感情反発万能で何をしても許される式の過激な行動が多いですが、日本でも弱者・被害者になればどんな感情反発も許されるとするかのようなマスコミの助長・煽りが多過ぎます。
ここ何十年かはやっている言葉狩り・・めくら、オシ、ツンボの使用自粛程度はまだマシと思っていたら、最近はドンドン広がる一方でしかも自粛どころか禁止用語になっていすが、これらも行き過ぎです。
日本ではマスコミがいくら被害感情を煽っても肝腎の被害者らの感情発言は滅多に見られませんが、(日本人は韓国人と違って冷静です)マスコミが勝手に「被害者にそんな発言が許されるのか」・・と言うパッシング・・一方的陳謝要求がいろんな事件で目立ち過ぎます。
弱者の代弁と言う僭称によって、本当の弱者が望んでもいない過激な追及をしたり、記者会見で陳謝要求するのってどこかおかしいと思いませんか?
マスコミ界には韓国系の人材が多い・・韓国や中国系がマスコミ支配のために人材を送り込んでいると言う噂・・私には真偽不明ですが、もしかしてそのとおりとすればこう言うところに民族性がにじみ出ているのかも知れません。

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