豪華クルーズ船対応批判2

クルーズ船対応の批判論を公開して(批判を受けて?)削除してしまった人物が、翌月「クルーズ船での対応は失敗した」の表題でのメデイア記事発表に協力した以上は、一旦撤回削除した主張のどこが正しくどこが誤りだったかの釈明をしたものと読者が期待します。
ところが読み進んでもクルーズ船対応の何が失敗だったかの説明がないままです。
まともな批判論がないと書く場合、逐一引用しないと「ない」証明ができない不便さがありますが、全部引用は煩雑ですので、記事中のクルーズ船に関する小見出し部分だけ引用しておきます。
全文が気になる方はご自分で記事内容に入っていただくようにお願いします。https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=7

――岩田教授は2月18日、クルーズ船内部の状況についての動画をYouTubeで公開しました。ウイルスのない「グリーン・ゾーン」とウイルスが存在して感染の危険がある「レッド・ゾーン」が「ぐちゃぐちゃになっていた」と。改めて、課題は何だったのでしょうか。
クルーズ船というのは閉鎖的な空間にたくさんの人がいて、おまけに高齢者が多い。非常に感染しやすく、リスクも高い。感染症対策上は下船させることが正しくても、実際には周辺の医療機関にそれだけの受け入れキャパシティーがなければ、ただ下船させるというわけにはいかない。そこが最初のジレンマになる。
そのジレンマの中で、感染リスクが高いクルーズ船の中に14日間とどめ置いて検疫をするという判断を日本はした。その判断が間違っていたのかどうかわからないが、そういう選択をしたのであれば、船の中の感染対策は完璧にする必要があった。
しかし、感染症の専門家がしっかり入ってオペレーション(運営)をするのではなく、感染対策のプランは官僚主体でつくったものになっていた。専門家は結局、少し入っただけだった。日本環境感染学会の専門家も入ったが、結局はすぐ撤退してしまった。
入れ替わり立ち替わり専門家が入っているが、専門家がリーダーシップをとった対策づくりができていなかった。
――下船した乗客の感染が後になって判明したり、作業に当たっていた厚生労働省の職員や検疫官に感染者が出たりしました。

「下船した乗客の感染が後になって判明した」点については、検査の正確度が低いことが知られている通りです。
https://www.asahi.com/articles/ASN3M7G1XN3MULBJ01C.html

新型コロナ検査、どれくらい正確? 感度と特異度の意味

酒井健司 2020年3月23日 9時00分
日本プライマリ・ケア連合学会の診療の手引きによれば、「PCR検査はウイルスゲノムを検出するという原理から、一般論として感度は低く、特異度が高いと考えられます。初期のPCR検査で陰性だが後日陽性となった患者等の検討により、感度は30~70%程度、特異度は99%以上と推定されています」とあります。ほかの専門家のコメントでもだいたい同じぐらいです。

わずか30〜70%ですから、陽性判定された人の陽性率は99%ですが陽性判定されなかった人も7〜3割が再検査すれば陽性になる可能性があるのです。
この比率は現在も変わっていないようです。
陰性2回の退院ルール下でも退院後陽性になることもあると言われ、(1回の検査で最大7割が漏れるとすれば、2回検査後でも35%が漏れている計算です)もう一度感染したのか(免疫にならないのか?)検査の正確度が低い問題なのかすらわかっていないのが現状です。
下船後の陽性反応が出た人が数名?程度出たとしても、感染防御体制不備の主張とどう関係するか不明の主張です。
現在と違いまだ大量の検査治療経験のない試行錯誤的段階の検査能力レベル批判とクルーズ船受け入れ体制不備批判とは次元の異なる議論です。
以下対応に当たった人員に二次感染が起きた等の結果責任に議論がすり替わって行き受け入れ体制批判の具体的説明がありません。
岩田氏の基本主張は、キャパが足りないという(船内のほうが、検査環境が良い)理由で、下船させないで船での検査を選択したのであれば「船の中の感染対策は完璧にする必要があった。」という立論のようです。
船内検査の場合、下船後検査よりも「完璧」であるべきかの前提事実が意味不明です。
そもそも完璧とは?
研究所の化学実験でも100%の成功に漕ぎつけるには膨大な反復実験が必須です。
実験がなく、いきなり3750人にのぼる乗員乗客のいるクルーズ船での感染問題が起き上がったのが現実でした。
一斉検査を密室状態のクルーズ船内でどうやって実施するか、検査機器や検査熟練者を全国から短期間に呼びあつめ、その船に乗ったこともない感染症専門家?が狭い船内配置図とにらめっこで、検査採取空間や事務部門の後方配置(記録化や、ネット空間の設営)とのレイアウト、動線確保・・検査機器や事務処理用機器の搬入、交代要員の人繰り等々を、全世界未経験対応で緊急出動が要請されてまず活動開始するしかない段階で「完璧」対応が可能だったかの説明こそが重要です。
岩田氏の主張は、下船させて検査するのを原則とし、原則的方法を取らない以上は上陸後の検査よりも「完璧でなければならない」という主義主張を前提にする思考法のように見えます。
ただし、彼は冒頭に重要論点を不明化する発言をしています。
その部分を再引用しておきます。

「感染症対策上は下船させることが正しくても、実際には周辺の医療機関にそれだけの受け入れキャパシティーがなければ、ただ下船させるというわけにはいかない。そこが最初のジレンマになる。」として
「そのジレンマの中で・・・感染リスクが高いクルーズ船の中に14日間とどめ置いて検疫をするという判断を日本はした。その判断が間違っていたのかどうかわからないが、そういう選択をしたのであれば、船の中の感染対策は完璧にする必要があった。」

以上によれば「選択をしたのであれば」の単語には選択関係という前提があり、その選択判断のジレンマ?をキャパシティの問題に微妙に矮小化?しています。
キャパだけの問題であれば分散受け入れや、3700人全員一斉下船でなく3分の1〜半分だけ下船させ残りは船内待機またはその一部(一定の症状が出ている人優先に)を検査にするなど工夫の余地があるので両立可能・・二律背反の関係ではありません。
周到に「最初のジレンマ」と言っていて、本来のジレンマを伏せたまま議論が進んでいくようです。
本来のジレンマでないことを論争点に持ち出して、その議論は乗客のためにより良い医療サービスを目指すものだという前提を置く結果、
「その判断が間違っていたのかどうかわからないが」と言いながら「そういう選択をしたのであれば、船の中の感染対策は完璧にする必要があった。」と言い切ってその後の論理を進めています。
「最初のジレンマ」と言いながら次のジレンマを説明しないまま最初のジレンマだけを前提にした対応批判するのは「そんなテーマの議論でなかった」虚偽説明という批判からの逃げ場を用意したものでしょうか?

暫定的隔離の必要性2(岩田氏の豪華クルーズ船対応批判1)

話がそれましたが、社会防衛の必要性から一定の合理的疑念があれば、検査に必要な期間の拘束(ゆるい隔離)も許されるという法律ができても憲法違反ではないでしょう。
隣で咳をすれば、嫌な顔をして席を移ったり避けるだけなら社会問題ですみますが、精神病や法定伝染病の場合強制隔離する点で国家強制になるのでその折り合いが難しいところです。
今回のクルーズ船対応でも、感染しているか不明の人(潜伏期間とされる2週間経過まで)を下船させない政府対応を非難していた専門家やメデイアが主流?・・批判論が具体的でなく外国で評判が悪いというだけだったようですが、すでに書いた様に日本は入国を認める前に検査をしていただけで、入国後法的根拠なく拘束していたのではありません。
何事も批判さえすれば解決できるものではありません。
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2020-02-19/Q5XSCEDWLU6Q01

2020年2月19日 18:17 JST
「船内な悲惨な状態」と国内専門家
国内の専門家からも批判
船内の感染拡大防止に向けた政府の対応については、日本国内の感染症対策の専門家からも疑問の声が上がっている。
神戸大学の岩田健太郎教授(感染治療学)は医療従事者らへの二次感染を防ぐ管理が不十分だったと18日に公開した動画の中で批判。専門家の視点から見ると「超非常識なことを平気でやっている」と述べた。
厚生労働省は14日間の健康観察を終えたとして症状がなく、陰性が確認された乗客の下船を認め、19日は約500人が下船。共同通信によると、下船した乗客はバスで横浜駅など複数のターミナル駅に移動、帰宅の途に就いた。感染者と同室だった人などは、健康観察期間が継続する。

日本メデイアはNHK初め先ずは、政府批判・・いかにブザマな対応かの材料探し一色だったのかな?
日本では上記のような引用を見るだけでは、何が批判されているかの事実指摘がなく抽象的批判ばかりで、NHKやライブドアーを見ても以下のとおり何が後手なのかの具体的事実記載がなく誰それが批判しているという誹謗中傷に類する引用だけの記事です。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/31092.html

政府の対応が「後手」に回ったと、国内外から厳しい批判にさらされている。
クルーズ船で何が起きていたのか。政府関係者や専門家に取材した。

https://news.livedoor.com/article/detail/17832997/

海外の複数のメディアが日本政府のクルーズ船対応を痛烈に批判している
一連の報道からは、日本政府に対する不信感が伝わってくると筆者は綴った
危機管理能力のない政府の対応に乗客や乗務員も苦しんでいるという
今、アメリカのメディアは、こんな見出しで、ダイヤモンド・プリンセス号の感染の惨状を報じている。
日本政府にはいったい危機管理能力があるのだろうか? アメリカのメディアはそんな疑問を抱いているに違いない。彼らの報道からは、日本政府に対する不信感がありありと伝わってくる。

と、いかにも日本政府のブザマな対応といわんかのような政府批判を海外報道引用の形式で日本のメデイアは散々批判してきました。
しかし後講釈は誰でもできると言われますが、批判論を見る限り日本政府はどうすべきであったという後講釈さえ紹介がないまま、国外批判があるという根拠だけでメデイアは煽りに煽っている様子です。
こんな主張方式が許されるならば、メデイア界でタッグを組み、1社が根拠ない批判をすると他社が、X社でこう言う批判がしていると大々的に報道し、これをさらに他社が報じる連鎖で世界世論?なっていく仕組みになります。
これを狙ったのが韓国による慰安婦騒動の手口でした。
朝日新聞の検証委員会報告書は、朝日新聞を引用したメデイアの数は少ないという証拠に基づいて責任はそれほど重くないかのような結論だった記憶(正確な記憶ないので誤解のないように読者の方でご確認お願い)ですが、お互い順次引用して行けば良いので噂の大モトの直接引用数を問題にすること自体、当初から朝日の責任を小さく見せようとする調査方法であったとの批判がありうるでしょう。
批判論の大元として報道されている上記岩田氏が誰かの説得を受けてブログか?ツイッターを消してしまったので本当にどういう不手際があったのか不明でしたが、約1ヶ月後のインタビュー?記事が出ていることが分かりましたので「見出し」につられてクルーズ船の何が問題だったかを知りたくて読んで見ました。
読むとクルーズ船のことはお義理にちょっと(具体論がなく)触れるのみで?全般的に抑制されているというか、当たり障りのない意見中心で何が問題であり約1ヶ月経過して時点で彼の批判が正しかったと言えるかの論証が一切ありません。
メデイア界としては、「クルーズ船対応が失敗だった」と既成事実化したい意図が先走って以下の見出しになったのでしょうか。
https://toyokeizai.net/articles/-/335971?page=7

岩田健太郎「非科学的なコロナ対策が危ない」
クルーズ船の失敗を繰り返してはならない  2020/03/12 5:30
クルーズ船での対応は失敗した
――日本政府は3月9日から、中国と韓国からの入国者に対する入国制限を強化し、2週間の検疫を開始しました。
流行している国からの入国を拒むというのは現段階でも有効だ。ただ、流行していない地域や、流行が終わりつつある地域からの入国も拒むのは有効性としてどうかと思う。現段階では、対象の国や地域に合理的な整合性がとれているのか、それとも政治的な思惑で入国制限が決まっているかが不明確だ。

表題「クルーズ船の失敗を繰り返してはならない」は、クルーズ船対策失敗論の説明ではなく、自分のした批判がメデイア界で流布したので、それの立証をする必要がないと既成事実化した上で?さらにこういう不手際があるという上乗せ主張のようです。

グローバル化→名誉・信用最大化(気配り社会化進展)

グローバル化あるいは都市化現象は、活動領域が線で広がっただけ・・村社会が大きくなっただけのことで、日本列島全体が一つの村社会・定住社会・市場になったとして見直せば、全国を足場にする有名人や、全国展開の業界では列島内のどこか一部でも、信用を落とす行動をすれば列島全体の営業成績に響きます。
このように見れば名誉を重んじる日本人の気風は、グローバル化していくと世界規模の標準道徳になると思われます。
グローバル展開している企業にとってはグローバルな市場相手なので、旅の恥はかき捨て並みにある地域で強引なことをしても、よその世界に行けば良いとは言えなくなってきた時代です。
ある県一円で展開する地元老舗は地元のどこでも手抜き・悪い評判が立つのは困りますし、関東1円を商圏にする場合は関東1円での評判、グローバル展開企業にとっては、グローバルな評価が重要です。
地域限定の零細企業や個々人にとっては、自分の活動エリアが狭いから気楽というよりは勤務先や取引先や友人と線(電話「線」やネット「回線」あるいは通勤電車の沿「線」)でつながるだけで
面的感覚がなくなっているので「名誉・信用などどうってことがない」と思うかも知れませんが、そのエリア(線でつながる特定企業やサークル内等々)においては、やはり「仕事」やサークルへの貢献度に対する評価や名誉・信用が大切な点は同じです。
住居地町内での関係は希薄化していてもその代わり、勤務先や取引先や友人と線(ネット回線や電話線や通勤電車の総武線や常磐線)が違うイメージで勤務先に着くと狭い室内・・かつての村社会よりもっと密集した狭い部屋でデスクを並べる濃密な関係です。
帰りで赤提灯で付き合いが必要な濃密な関係で江戸時代までの農村での人間関係より濃密でしょう。
勤務先や通学先友人等が優先交際先になった分、地域住民と関係を持つ時間が減っただけ・・これを人間関係希薄化と言っているに過ぎません。
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住・職業エリアを変えられないから住んでいる世界・・線でしか繋がっていないとしてもその仲間内の評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族といっても執務場所が変わるだけで属する企業・組織社会が一定のまま移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。
今後在宅勤務が、主流になると勤務先や学校友人関係も毎日顔を合わせない・・線=ネット関係中心になるのかな?
地域的関係・・面的感覚がなくなっているので面としての地域束縛・・駅から何分というだけの基準でマンション選択するように、駅までの通勤経路から一歩外れた道路に何があるのかの関心が低くなります。
セカンド拠点というべき勤務先周辺に対する関心も同様でよくいくお店以外には、隣近所のビル内の従業員がどういう人か全く知らないのも同じです。
こういう表面の変化を見て、「都市生活は気楽だ、名誉信用・わずらわしい人間関係がない」と一般に言われているようですが、それは一生のほとんどをその村から出ないで生活する自給自足型農村社会を基本型として、隣近所に気を使わなくて良くなったという一面だけをいうものです。
その人の属するエリア(線でつながる特定企業内やサークル内等々ネットを含めた線で頻繁につながる関係)においては、その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
高層マンション居住幼児の母親で言えば、隣近所に気を使わない代わり、保育所のママ友に除け者にされる苦痛は大変なものでしょう。
勤務先その他では農村社会以上に濃密な関係が生じているから、(農村社会では共同作業が滅多にないのに対し、組織内従業員の場合毎日毎分毎秒が共同作業のすり合わせですので、前近代の農村社会以上に気配りが求められます)都市住民の方がストレスが大きくなります。
そこでのストレスを子供のいる家庭に持ち込めないので、同僚と共通のストレスは同僚と赤提灯で(上司の陰口程度)晴らせるが、同僚と共有しない個人的鬱屈については、聞き役になってくれる勤務先近くのバーのママさんが必要になるのでしょう。
その狭い世界では、名誉信用・他人の自分に対する評価が大切な点は同じです。
最近女性プロレスラーだったかが、ネットでの批判記事殺到?を苦にして自殺したか?と報じられているのは、昔で言えば村社会で非難轟々になったのと本質が似ています。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/05/24/kiji/20200524s00041000022000c.html

テラハ出演レスラー・木村花さん、自殺か…ネットで誹謗中傷受け、SNSに「愛されたかった人生でした」
[ 2020年5月24日 05:30 ]

高齢者から見れば「ネットなど気にしなくて良いのに!」と思うのは、若者から見れば、地域社会の評判を気にする親世代の気持ちがわからないと言うことになるのでしょう。
共通項はそれぞれ自分の生活基盤として重きを置く社会から離れて生きられないと言うことではないでしょうか?
人は一定のエリア(組織)内で生きている→頻繁に居住.職業エリアを変えられないから住んでいる世界(ネット空間も含め)での評価は重要です。
長期間定住・一定の組織やグループ、エリアの住人になっていると何かと情報の厚みがあって便利ですし、(若い時は別として)しょっちゅうエリアを変えて、その都度新規蒔き直し・・新参者の繰り返しでは豊かな人生が送れません。
転勤族は地元に居着かないと言っても属する企業・組織社会が一定のまま執務先を移動している(団体旅行のような感覚)だけで、住んでいる共同社会は同じで年功を積んでいける社会です。

暫定的隔離の必要性1(武漢チャーター帰国者の検査拒否)

弁護士の場合いかに急ぐ事件でも、例えば急ぐので仮処分申請してくれと言われても事件内容の説明がないと申請理由・ストーリーも不明ですしストーリーに合わせた証拠集めの指示すらできません。
以上のように弁護士と医師では日常的事実確認の必要性が違うとはいえ、現在の精神障害に対する医師の診断や社会対応を私のような素人から見れば、電車の中で不審な行動をする人がいれば原因究明よりは、先ずは距離を置くのと同じレベルの対応に見えます。
この一例で重大な人権侵害を引き起こしたのがいわゆるライ予防法でした。
らい病の場合、その後の科学発展の成果で伝染性がないとわかったのでそれまでの隔離は、犯罪で言えば、濡れ衣・・無実の罪で牢獄に入れられていたようなものです。
まして学問的に伝染性がないと決まってからも長年にわたって国家が隔離を続けたのは、無罪の証拠が出ていたのにそれを隠して拘束していたようなもので、犯罪行為そのものでないでしょうか?
容疑だけでの逮捕勾留が許されているように、伝染性があるかどうか不明の段階では国民不安次第で大事をとって隔離することが許されるかの問題です。
検査に必要な合理的期間の隔離は、法で決めれば許されると見るべきでしょう。
今回のコロナ対応でも、偽陽性で強制入院させて良いかの問題が起きれば同じ問題になります。
いわゆる法定伝染病だけ一定の疑いがあれば強制検査できるという法があった場合、新型ウイルス蔓延開始時には機動的に政省令等で指定できる場合と法改正・国会審議が必要な場合とでは、機動力に差が出ます。
武漢からの政府提供のチャーター機で羽田到着後の検査拒否?あるいは勝浦の三日月ホテルへの2週間隔離を「拒否して自宅に帰ってしまった人が出た」と報道されていたところを見ると、拒否されると強制する法令がなかったということでしょうか?
法の強制力がなくとも武漢の完全封鎖後帰国できなくなった邦人救援のために日本政府が中国政府との交渉の結果、特別救援機を飛ばして閉鎖中の武漢空港(全面閉鎖中なので空港管制機能も全面閉鎖中ですし、武漢市内外交通機関も全面停止プラス個人外出禁止=厳重検問中に武漢市内外に散在する邦人を一定日時にあわせて空港に集める工夫・公安関係の通行許可手続きなど膨大な事務的すり合わせをへて)に武漢空港に救援機が着陸し時刻通りに出発できて、帰国できたものです。
大方の日本人は帰国できた人らは税を使って自分らを救援してくれたことに感謝する気持ちいっぱいで帰国の喜びを噛み締めるものと期待しているので、入国時の検査拒否する行動自体思いもつかなかったから大ニュースになったのでしょう。
私の関心はこれだけ国際的大騒ぎになっているのに、強制検査システムがこの間に用意できなかった=国会審議が必要な仕組みになっていたらしいことに対する驚きでした。
記憶がはっきりしないので過去記事の引用です。
https://www.asahi.com/articles/ASN1Z6HWJN1ZULBJ017.html

検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出
新型コロナウイルス
2020年1月30日 19時48分
中国・武漢市(湖北省)で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が広がっている問題で、厚生労働省は30日、チャーター機の第1便で29日に武漢市から帰国した日本人のうち、ウイルス検査に同意しなかった2人が、検査を受けたいと申し出たことを明らかにした。現在、検査を受ける医療機関を調整中という。
第1便では206人が帰国。204人がウイルス検査を受けたが、2人は検査に同意せず、帰宅していた。

強制さえなければ周囲に迷惑をかけても何をやっても良い?検査に応じなくとも良いという考えの人は、日本人では稀でしょう。
まして法令になれば守るのは当たり前すぎる・これが法令遵守意識強固な民族性の基礎になっているのでしょう。
日本列島在住の多くはそういう民族意識ですので、自粛要請程度で刑罰を伴う外出禁止令がなくともコロナ禍の蔓延を最少に凌げた要因でしょう。
(もちろん大方の意識という意味で例外がありますので、非協力者は日本人でない・非国民という結論付は性急すぎ・「逆は真なラズ」の原理どおり(大規模災害時に警察力が弱っても、その隙に略奪等に走る民族との違いです)
コロナでの自粛要請に対して、埼玉のアリーナであったか?で格闘技のイベントを強行したり、都内だったかでいくつかのパチンコ店が強行営業するなど世間を騒がせました。
その日の(目先)興行収入を得られたとしても長期的な業界支持を失う・今後格闘技ファン→迷惑者のイメージが広がると格闘技ファンの肩身が狭くなる・・ファンが減るのかな?
民族一致して災害に備えているときに自分勝手なことをすると長期的に見て大きなリスクがあるので、仮に協力によって倒産したとしても多くの企業や個々人が民族防衛のための呼び掛けには自己犠牲を厭わず応じる社会になっています。
パチンコ入り浸り客自体がすでに日陰者的になっているのでパチンコ店の強行開店で今更イメージダウンしても困らない・開き直りだったかも知れませんが、あとで見ればより一層のイメージダウン・イメージ悪化に止まらず現実の客足急落のエポックになったかも知れません。
ただし当該パチンコ店はコロナ対策を一生懸命にやっての開店だったのに、(その他業界もポツポツと開業を始めていたのに・・)パチンコ業界だけ標的に騒ぐのは偏りがあるという意見もあるようです。
日本の武士道・・価値観は、自分の命を捨てても子々孫々のための名誉を重んじてきました。
 「虎は死して皮を残し人は死んで名を残す」
上記は定住社会で生き残る知恵だったでしょうが、グローバル化で人の移動が激しいので刹那利益に走った方が有利だと思う人が増えているかも知れません。

説明責任2(弁護士と医師の違い?)

間に入る人は、聞いて来た以外の事実は知らないので、弁護士の立場で気になる要点を質問してもそれを聞いていない人が普通で質問しても時間の無駄になります。
中には「要点を書いてください聞いて来ますから・・」という人もいますが、ある質問に対する答えがABC3通りあり得る場合、Aならばさらにabcdの4通りの質問がありうるし、その中のaの場合にはさらに①②③④のどれかについて突っ込んだ事実確認が必要な場合があります。
第一の設問でAか Bかすら記憶がないとか曖昧な答えの場合、「アイウエオのどれがありましたか」などの質問が必要なこともあります。
当事者から弁護士が聞きたいのは事実であって意見ではないのですが、事実と意見の区別がつかない人がほとんどです。
「こう言うことがあった」と言う場合、その結論自体その人の経験した生の事実を自分の知っている単語に言い換え要約した意見でしかなく事実そのものを語れる人は滅多にいません。
事実は自ら語るより聞かれる順に逐一語っていくものかもしれません。
訴訟の証人尋問では「質問されないことを話さないでください」と言う説明を裁判長が最初にするようになっているのはこの意味でしょう。
言いたいことをなぜ言わせないのか?と不満に思う人がいるでしょうが、言いたいことは証人尋問でなく「主張」として弁護士が整理して書いて出していますので、証人尋問では主張を聞く場でなく、主張した事実があったかの裏付けになるべき事実を聞く場です。
証人尋問の場で当事者の解釈した意見を聞くのではなく、そう思い込むに至った根拠として、裁判所はどういう事実があってそう思い込むに至ったかを聞きたいのです。
聞いてみたらABDの事実をABCの事実と誤解していた場合があります。
何故DをCと思ったかをさらに聞くと、イロの事実があればDと思うのが当たり前ではないですか!という人が結構います。
イとロの事実からCにはなるが、Dにはならない場合もあるし、証人の思う通りのこともありますが、それは意見主張であって自分の考えが正しいとは限らないので意見の押しつけは危険です。
パワハラ相談も同様でパワハラ被害という説明だけでは一応言いたいことがわかるだけであって、それが事実を表す単語ではありません。
弁護士にとって知りたいのは、どういう前後事情があって何を言われたりされたのか、どの程度の繰り返しがあったかなど具体的事実次第です。
その内容程度によっては、パワハラとは言えないことがありますし、立証できるかになるともっと周辺事情・誰と誰がいる前でこう言われたとかその人が証言してくれそうか?録音があるか?などが必要です。
診断書にパワハラで不眠症になったと書いてあっても医師は事実確認する方法がないので、その人の説明を記録しただけですので、その頃パワハラ被害を受けているという理由で診察を受けていた事実・・その頃第三者にパワハラ被害を訴えていた事実は証明できますが、事実の有無に関してはパワハラ被害者の主張のコピーにすぎません。
その場に居合わせた友人でさえも細部については記憶していない・前後何があったか知らないがいきなり大きな怒鳴り声がしたので振り向いて見たという程度の場合、上司が怒鳴ることがあった事実の証明が部分的に出来ることがありますが、(事実の再現はこういう部分証言のつなぎ合わせで成り立っていることが多い)このように目撃者とか同席者の場合でも知っていることは部分的なことが多いものです。
交渉ごとを客観化するためにわざわざ複数同席で出向いた場合でも、それぞれに事情聴取すると、片方は相方(同僚)が何を言い交渉相手が何を言ったか、細部の記憶がないか結論として違った印象を語ることが結構あります。
会話は複雑なもので、一直線に一貫した主張ばかりでなく、相手をおだてて見たり自己を卑下したり「硬軟両用」のモザイク的単語の組み合わせで成り立っているので、トータルで再現しないと真意が掴み難いものです。
極端な例で言えば、一人は相手が交渉をまとめる気がなく言いがかりをいってるから交渉を打ち切った方が良いと受け取り、他方はこの不満をうまく受けとめて改善すれば却って喜んでもらえるチャンスと受け取るような違いです。
単語の確認の場合、1方が、「自分がこう言ったら相手がこう言ったのをお前も聞いていただろう!と何回言っても、同席者が申し訳ないけど思い出せないということがあるものです。
人によって関心の持ちようが違うので、面談相手の説明の力点がどこにあるかの理解・記憶の要点が違うことが原因でしょう。
同じ経験をしていても記憶に残らない部分と残る部分が違います。
この端的な例が、高校時代の友人から、自分の言ったりやった古い記憶を持ち出されても、自分のことなのにまるで覚えがないことが多いことでわかります。
自分にとっては自然に出た言葉や行動であれば記憶対象でないが、驚いて見たり聞いたりした相手には新鮮だったりするから記憶に残るのでしょう。
一方でこちらの記憶に残っていること・一緒に〇〇の映画を観に行ったことなどについて相手の方が一緒に行ったことすら全く記憶していないことがあります。
アイウエオどれもなかったとなると、そもそもこういうことがあったという事実認識自体に誤解や記憶違いがないかの問題に発展することがあります。
持参した写真をいつ撮影したか、横から見たらどういう形の家かが問題になる場合もあり事案により色々です。
弁護士が聞きたい・必要なことを全部聞いてくる能力があると自信を持つ人がたまにいること自体不思議ですが、そういう人が間に入って本人を連れて来るのをいやがる?相談が来ると厄介です。
医療行為の場合、数日前からの容体変化について患者本人は痛みの始まり等の印象的説明は出来るものの・・いつ頃から声に元気がなくなったとか粗相が増えたなどの外形事実や体温脈拍変化等の説明は奥さんの方が詳しく説明できることが多い(というか自己認識とハタ目の認識のズレ)し、要介護になると介護者の説明や介護記録が必要な場合が多くなる点で患者本人説明に頼る要素の比重が弁護士受任と大幅に違うのがわかります。
また交通事故等の救急搬送や入院患者の容体急変など緊急事態など本人から聞く余地のない事例が多いことも大きな違いです。
寸秒を争って処置する必要がある時には、まずその手配を周りに指示し自分もその準備にかかりたいときに、事前説明の余地がない場合が多いのもわかります。
弁護士の場合いかに急ぐ事件でも、例えば急ぐので仮処分申請してくれと言われても事件内容の説明がないと申請理由・ストーリーも不明ですしストーリーに合わせた証拠集めの指示すらできません。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。