不満社会7(IT化と生き甲斐)

明治維新では産業構造の変化で三菱等新興財閥勃興等の成功者が知られていますが、これを支える中間層の需要が広がったので、社会全体では幸福感を感じた人の方が多かったでしょう。
学校教育では劣悪な労働環境(女工哀史など)が教えられ、その結果工場労働法ができたと教えられますが、(その通りでしょうが)元々の貧民層・小作関係や下男下女等最末端では朝目が覚めたときから働いていた人たちにとっては決まった時間だけ働けばいいし、主人の顔色を窺う必要もない工場労働は天国だったかもしれません。
私は池袋で底辺的職種に揉まれて青少年時代を過ごしたのですが、当時の雰囲気では大手工場等に勤める人たちは高嶺の花的存在でした。
個人商店は夜遅くまで開き、朝9時始まりの勤め人などは羨ましいばかり、週休などもありませんでした。
この点は中国の農民工が低賃金など問題にしないで続々と深セン特区の大規模工場に吸い込まれて行ったのと同じです。
明治維新の近代化では中間層の拡大を伴ったので社会全体では幸せを感じる人の方が多かった・元士族でも一定の能力のある人は新政府や、各県政府の役人にそのまま横滑りしていましたので、役立たずの不平士族の方が少なかったので不平氏族の反乱は(薩摩を除けば?)それぞれの地元でもそれほどの支持を受けませんでした。
(明治初期司法制度の歴史のコラムで、いまのように司法試験制度もなかったので、廃藩置県当時各藩の家老や奉行等の経験者が地方判事の給源になっていたことを紹介しました)
今回のIT革命では人口の多くを占める中間層不要化トレンド・・近代産業革命以降増加した職場の縮小・・揺り戻しですから、安定していた生活基盤を切り崩される中間層は膨大で不平層の方が多くなっているのが特徴です。
今後IT時代だと分かっていても消費場面ではスマホの操作能力などで適応できても、生産参加に適応できるほどの人材は少ないのが明らかです。
そもそもIT化が進めば進むほど中間管理職や労働者が不要になるシステムですから、IT開発に関与できる人の数は極小数になる・・それ以外はいらない社会になればほとんどの人は不幸になっていくしかないように見えます。
この流れを防げないとすれば、何に対して幸福感を持てるか不幸とは何かの問題になります。
仕事はさせられるのではなく「仕事すること自体が幸せ」というのが我が国の国民性でしたので、高齢化しても元気である限り何か「仕事」をする・周りに役立ちたい気風が今も続いています。
メデイアは高齢化→現役の負担増ばかり強調して世代間対立を煽っていますが、国民多くの関心は社会に貢献できていない・幸福感喪失をどうやって穴埋めしていくかに関心を持ってきました。
高齢になっても健康な人は何か仕事を見つけて(朝の小学生登校時見守り活動や草刈り等のボランテイアなど)働けば(町内会活動でもいい・・お金の問題でない人が多い)社会が豊かになりその人も幸せではないかという気風です。
「働く」という言葉自体が、お金目的の「労働」ではなくお祭りの準備でも家の周りの掃除でも、何かの役に立てれば幸せという意識を示しています。
西欧的価値観・労働=搾取という発想では、GDPがどうなるか?保険料を如何に負担させるかという方向の論議しか生まれないでしょうが、西欧的教養のない?庶民はもっと高次元で「お金よりは生きがい」を基準に考えていることがわかります。
私の場合で言えば、だいぶ前から収入面での期待感はゼロまたはマイナスですが、高齢化が進むのに比例して・・趣味のためにお金を使うのと同じような感覚で・・事務所経費負担マイナスに耐えられる限度で生き甲斐のために現役弁護士をやっている面が強くなっています。
このコラムは約20年続いていますが、はじめっから収入に100%関係しない意見ばかり書いていますので、コスト的には100%マイナスでしたが、何か自己表現したいからかな?書いているだけです。
これまでのメデイアの議論・関心は、年金赤字解消策・GDP低下に対する処方箋・70歳まで働かせることができないか?という関心が中心議論であったように見えます。
高齢化問題は、高齢化しただけで「めでたい」と終わりにせずに健康寿命の必要性が言われるようになったのは少しでも金銭負担させたい面もあるでしょうが、これと並行して精神面でも健康な状態・・「生きがいを持った高齢者になるようにすべきことがわかります。
高齢世代が増えてすることがなくて幸福感喪失をさせないようにどうするかの視点に立てば、若年無職者(各種障害者)も(失業保険や親の援助などで)お金さえあればいいのではなく、「満たされない自己実現意欲」をどうすべきかの点で共通課題であることがわかります。
最近始まった「こと消費」の流れは、受け身鑑賞、受け身の消費だけではなく自分の体を動かして何かしたい欲求に応える流れが表面化してきたと理解すべきでしょう。
人のために「役立つ喜び」を伴わない自己実現?例えばそば打ちの体験?程度で、(自己満足で持ち帰っても家族が喜ばない?)満足するしかないのでは多分続かない・虚しくなるでしょう。
精神病者に対する作業療法を一般人に広げる試みのような印象ですが・・。
とはいうものの、役立たない自己実現でいえば、各種スポーツ自体がすでに実用性のなくなった格闘や乗馬、射撃、剣道、レスリング等の格闘技〜走る早さを競い、泳いだり過酷レースなどすべて現実世界でほとんど何の役にも立たない不要な競争ばかりです。
パラリンピックはその最たるものでしょう。
日本でのお祭りや少年の部活等のスポーツへの誘導による不満発散による成功を書いてきましたが、お祭り準備等での役割を果たし大勢の観客に喝采を浴びる達成感がありますが、そば打ち家庭菜園程度で(むすめの家に持って行っても嫌がられることが多い)はそういう達成感がありません。
従来は精神病者や障害者あるいは社会不適合者・・その最たるものは失業者群ですので、政策失費の指標や競争落伍者としてこれの増減が重視されてきました。
病気になって仕事ができなくなると収入保障だけで終わりにせずに、病気を治して社会復帰を助ける医療行為が必要なように、失業者に対しても失業保険で生活保証するだけでなく職業訓練による能力底上げが重視されるようになっています。
健康体でないから失業したのではなく健康体で、しかも労働能力があっても失業したのは景気対策や景気変動によると思われている時代には、好景気をもたらすべき政治責任という社会認識でした。

不満社会6(エネルギー2)

何かあるとすぐ不満が爆発する社会・暴動やテロ予備軍の大きさが、社会の安定度・治安の良さのランキングになるのでしょう。
世界中で国情・民度によって濃淡があるものの、IT化の進行によって中間層の脱落が起きて(貧しいからではなく取り残されている不満)ちょっとしたチャンスがあれば合法非合法の境界を乗り越えたい欲求を持つ不満層が広く静かに広がっているように見えます。
アメリカンドリームは皆貧しい時に、一握りの成功者の物語・白雪姫物語同様の夢物語でしたが、産業革命以降の工業生産拡大時代に多くの人が中間層経験者になっているので、一旦中間層生活経験者の最下層転落は精神的に耐え難いでしょう。
数十年前には、能力ランク4〜50点の人が年功で退職までに中間管理職程度までなれたのが、現在では4〜50点前後の中間層が中高年になってリストラされるのが普通になり、リストラされるとその大方が非正規に転落するようになっています。
せっかく中間管理職になれても、定年までいられない50代以降・・人生の果実を手にするべき時に非正規転落で悲しい人が増えたのです。
現在若手が50点前後レベルでは従来型中間管理職になれる可能性が低い・中間管理職になるには狭き門になりましたし、幹部候補生的な就職ができても途中リストラに遭わない保証もありません。
わが国では、正規化促進・・この1年程度では、人手不足解消のために従来のパートなどを正規化する動きが進んでいますが、職種が昔のように管理職に戻るわけではなく、呼称が正規というだけで(年金・社保加入義務化が進みますが)年功でベースアップし、一定年功で管理職になっていく我々旧?世代型雇用形態に戻るわけではありません。
IT化進行による中間管理職の絶対的不要・フラット化の流れは止めようがない・・(保険その他待遇面で)正規・非正規かの地位が変わるだけであって、スーパーやコンビニ店員としての現場労働の実質(「名だけ店長」という言葉が一般化してきましたが、店長等の名称だけ立派でも本社の統括支配力が強くなり、店長の裁量権の幅が極端に狭くなっています。
この端的な例がコンビニ経営者で、店長どころか数店〜10店舗以上を保有するフランチャイズオーナーでも本部の指令通りの商品配置、単価の決定、廃棄処分ルールまで、何から何まで決められたマニュアル通りロボットのように運営しているだけです。
今まで自動化やロボットに代替される能力が50点以下の人であったとすれば、今後AI発達によって70点前後の人まで「経験の重みを活かせる」職場がなくなっていくとすれば、その分それ以外の職場はフラット化するしかなくなります。
職業・生き甲斐の重要ステージの変化が目まぐるしく進む現在、次世代の若者の多くが夢を持てない状態で「子供を産みましょう」と言われても自分の子供が育つ時代の苦難を思う時に、子供を産み育てる意欲が萎えるのが普通です。
保育料無償とか授業料無償にしても・もっといえば祖父母から子供の学費を全額出してもらえても子供の進路等で苦労することを思えば、子宝を喜んでいいかを迷う人が増えているので、お金の多寡は子供を産むかかどうかの選択にあまり関係がないことです。
並みの能力でも大卒であれば企業の部課長や校長先生程度になっていた昭和50年頃の親世代に対して、昭和末頃から並みの能力で大企業に入っても、例えばコピー機交換などの御用聞きの営業程度しかなれない・将来に夢のない世代が始まっていました。
ホワイトカラーだけではなく工場では自動化が進むなどベテランの能力の重みが縮小する一方・・すべての分野で年功による給与アップが見込めない・・・非正規・正規雇用の形式の問題ではなく、フラット化時代が始まっていました。
バブル崩壊後何年間も就職氷河期とも言われていましたが、直前のバブル期に引く手あまたで有利な就職ができた年代も・中高年になってからリストラが待っている点では同じです。
・・単純な景気循環論の結果ではなく長期的社会構造の変化が始まったのです。
親世代から内心(息子は困ったものだ)思われ、・・自分の将来が心配・・この鬱憤や不安を内心抱えているのが、今の50代以下の世代です。
(将来幹部になれそうな)狭くなった就職戦線で勝者になっても、中高年になってからリストラ対象にならない保証のない社会です。
遅れてこの変化が始まっている弁護士業界も同じで、小泉政権時代の司法改革・・弁護士大増員政策以降弁護士になった今の若手中堅?の場合、「弁護士になりさえすれば豊かな生活が保障されている」ものではなくなりました。
大卒であれば部課長までいける時代でなくなった一般社会のパターンが数十年(ひと世代)遅れて弁護士業界にやってきたようです。
大量増員直前に弁護士になっていて短期間「いい思いをしたちょっと上の世代(今の50台前後?)」も大量増員後の若手による弱者寄り添い意識レベルアップ?(裏から見ればサービス過剰攻勢?)に負けて(ちょうど子供の進学等で出費の多い時期がきて)逆に苦しくなってきます。
企業で言えばバブル期に能力以上の優良企業に就職できた人材が中高年になって邪魔扱いされてリストラ対象になってきた悲哀?に似ています。
サラリーマンは割増退職金をもらって退職ですが、弁護士の場合自営なので、割増退職金も貰えないので廃業資金も出せない?ジリ貧で困っている人が多くなってくるように思われます。
弁護士業は経済単位で見れば家族営業の個人商店規模が中心の弱小単位が原則の業界ですが、(大量増員以降一部大規模化してきましたがまだ小規模が大半です)たまたま弁護士業界は資格=参入障壁で守られていた点で恵まれていたに過ぎません。
大量増員政策で参入障壁が低くなった以上、一般産業界同様に淘汰が始まるのは必然です。
受験者激減がこの兆候ですが、今後は弁護士の自主廃業増加にとどまらず、倒産が増えて行く可能性を否定できません。
日弁連や弁護士会の対外主張は、基本的に人権擁護のための法律面に限定する主張ですが、法律に関する以上は結果的に政治の重要争点に関係することがあります。
政治重要争点と関連する分野で弁護士会の主張を対外主張するには相応の慎重さが求められるはずですが、この10〜15年前後の政治に関する主張はなんとなく慎重さを欠いてきた(内部的には慎重審査しているのでしょうが・・)ような印象を受ける人が多くなったのではないでしょうか?
政治主張の多くが、旧社会党や民主党でさえ放棄した55年体制下の社共両党的主張と結果を同じくすることが多くなった印象が強くなったのは、業界不安(競争激化→2極分化)の高まりとどこかで関係しているかもしれません。

不満社会5(余剰エネルギー)

韓国では庶民一般が、何か「怒っても良い(メデイアによる公認?)対象」が見つかるとこの機会に!とばかりに「過激に反応する」事例・セウオール号事件被害者の特権的振る舞い・・被害者集団の過激行動の報道に驚かされます。
韓国による対日慰安婦攻勢以来、日本では「被害者ビジネス」表現が一般化しましたが、韓国の急成長による歪み・・ついていけない弱者の不満が積もり積もっている様子です。
メデイアで何か事件の被害者と公認されると小さな子供が駄駄を捏ねるみたいに暴れまくる気持ちは、一方でなけなしの金をつぎ込んで子供を留学させて国外脱出の夢を子供に托す人の多さにも、自殺率の高さにも現れている共通心理・・目の前の難局を自力解決するより外部環境に頼る国民性を表しています。
西欧列強が押し寄せた19世紀後半以降の国家存亡の危機に遭遇しても、清朝が頼りにならないとなると〜ロシア〜日本に頼り戦後はアメリカに頼っていましたが、中国の将来性が高まると?再び中国に擦り寄り始めるなど要は外部環境次第の国です。
もともと李氏朝鮮の国是を事大(大に事(つか)える主義といい、強大な隣国・宋〜明〜清歴代王朝に仕えて小国の統治権を保障してもらう代わりに朝貢して礼を尽くす」という自己体制保障の思想です。
これ自体戦国時代の地方豪族(小名)が地域覇者の傘下に組み入れられていくの(最後は幕藩体制成立)と、何ら変わらないことですが、事大主義の国として国際的評価として定着したのは19世紀後半以降の国家運営の処し方が右顧左眄しすぎ・主体性のなさがひどすぎたので、国際的に愛想をつかされてこのように言われるようになったのでしょう。
本来の意義は以下紹介の百科事典の意味だったでしょうが、19世紀末以降では大辞林の意味で理解する人の方が多いのではないでしょうか?
https://kotobank.jp/word/%E4%BA%8B%E5%A4%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9-520334

世界大百科事典 第2版の解説
じだいしゅぎ【事大主義】
小国が礼をもって大国に事(つか)えること,また転じて勢力の強いものにつき従う行動様式をさす。《孟子》梁恵王章句下に,斉の宣王が隣国と交わる道を問うたのに対し,孟子は〈大を以て小に事うる(以大事小)者は天下を保(やす)んじ,小を以て大に事うる(以小事大)者は其の国を保んず〉と答えた故事に由来している。 朝鮮史では,李朝の対中国外交政策を事大主義と称する。1392年,高麗王朝に代わって李成桂が創建した李朝は,その前期には明,後期には清に対する〈以小事大〉の礼をもって国号と王位の承認を得て国内の統治権を強化し,定例的な朝貢使(燕行使)の派遣にともなう官貿易によって経済的利益を得,1592‐98年に豊臣秀吉の侵略をうけたときは明軍の支援を得た。

大辞林 第三版の解説
① 勢力の強い者に追随して自己保身を図る態度・傾向。朝鮮史では朝鮮王朝のとった対中国従属政策をいう。 → 事大党
② 全体に対する見通しもなく瑣末さまつなことを誇大に騒ぎ立てる態度。

今回の文政権は、米国と北朝鮮の仲を取り持つという触れ込みですが、複雑な国際交渉の仲介役になるには相応の国際経験と裏付となる国力が必須です。
韓国にそんな能力がないのは明白ですので、取り持つのではなくむしろ点数稼ぎ目的が見え見えです。
文氏のお膳立てのごとく吹聴していた2月末頃の米朝会談があっという間の決裂に終わり、世界的恥をかいたのでその修復のためになんとかトランプ氏との会談を求めて4月11日の会談にこぎつけたようですが、反日の象徴的大行事を欠席してまでしてようやく実現したのになんとわずか2分しか会談時間がなかったと報じられています。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190412-00000012-ykf-int

文大統領“屈辱” 米韓首脳会談たった「2分」 北への制裁解除熱望も成果ゼロ
4/12(金) 16:56配信
ドナルド・トランプ米大統領が、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領との首脳会談で「冷淡」姿勢を貫いた。北朝鮮への制裁解除や、南北共同事業再開を熱望する文氏に対し、トランプ氏は否定的見解を示したのだ。金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との3回目の首脳会談についても、急がない方針を打ち出した。米韓首脳がサシで話した時間はわずか2分程度で、踏み込んだ交渉はできなかったとみられる。「大韓民国臨時政府発足100周年」という重要な記念日に、自国を留守にしてまで訪米した文氏だったが、ほぼ、「成果ゼロ」で終わったようだ。

パク前大統領の中国の対日勝利式典(西側諸国では韓国のみ)出席に始まる対中接近〜文政権の反日政策と米国への擦り寄り直しなど・・これこそが現在式「事大主義」の発露というべきでしょうか?
歴代政治家は日本非難ばかりで国民の不満を外らせようとするし、国民もみんなで難局打開へ努力する気持ちがない・・政治家も無理だと諦めているのでしょう。
日本が(江戸時代の経験を活かし)高度成長期の歪みをうまく切り抜けたような是正策がうまくいかない・・基本的な社会の脆弱性・・家庭崩壊?→親の愛情不足あるいは、社会全体の弱者包容力不足がもたらしたものでしょう。
米国(の場合、ホームレス問題を連載しました)も西欧(フランスの黄色いベスト運動やテロ続発)も中国も同様ですが、成長軌道に舵を切りすぎて競争激化による社会の分断・急激な変化についていけない階層の不満が積もり積もってその限界点がきている・・世界中で騒動が増えてきた原因になってきたように見えます。
成長から取り残されて不満蓄積している人たちは、(北朝鮮のように成長していない・取り残されることがない方が政情は安定します)日頃合法生活をしているがチャンスがあると合法非合法の境界をちょっとはみ出したい予備軍になっているというべきでしょうか?
アメリカなどで洪水被害等があると助け合うどころか、略奪等の違法行為蔓延が一般的であり、このためにまず軍が出動して治安維持する姿が普通の報道でした。
日本では自衛隊出動は(助け合いの延長)救護活動目的であって、治安目的ではないので軍の出動といっても意味が違います。

不満社会?4(統一地方選挙に見る民意)

もともと「全数検査や直接訪問など無駄なことだからやめよう」となった・・真面目な公務員が無駄を省くのを考えたが上(審査会の審議を経る必要あるのを気がつかなかった?)の許可を取っていなかっただけ?のような話です。
公務員がサボったのではなく・厚労省が直接する職務でなく「東京都が全数調査や会社訪問をしなくて良い」というお墨付きを与えただけ)国民のために無駄な調査コストをかけるのをやめようという動機こそ褒めるべきではないでしょうか?
うがった見方をすれば統計学者が擁護しないのは、自分らが気づかないで放置していた点に現場が気づいて自分らにお伺いなく実行してしまったことが腹立たしいからでしょうか?
世論調査や、消費者物価指数等調査手法でわかるように統計の基本はサンプル調査であって、全数調査などしていたらイクラ予算・税金を徴収しても足りません。
昨日見たところによれば、統計調査手抜き?(無駄な調査を省いたの)は1996年から始まっているのですが、統計不正?(結果が良くても上司の許可を得ずに簡略化した不正)?を追及している野党政治家が当時所属していた民主党政権時代(2009〜11年)にも気がつかなかったことでした。
(政治家が政党所属さえ変えれば、過去に属していた党の従来主張の責任を免れるかのテーマは別に書きます)
野党が自分らの政権時代に自民党同様に気がつかなかった責任に触れずに現政権の責任追及ばかりで、どうやってこれを防ぐべきかの提案がない野党の存在価値を国民は認めなくなっているのではないでしょうか?
国会論戦のあり方は与野党どちらの提案の方がいいかどうかの論戦であり、自分の政権時放置していたやり方を自分が野党になると、現政権の責任=「不正」と追及するのは論理矛盾と受けとめる国民の方が多いでしょう・・。
アラ探しといえば、今朝の日経新聞では桜田五輪担当大臣の失言による辞任が出ていました。
野党が色めき立つのは失言追及が目立ち、政策論争で野党の存在を示す場面がほとんどないのが不思議です。
こういうアラ探し中心の野党の存在意義を国民がどう受けて止めているかです。
4月7日の統一地方選での知事選結果発表を見ると11知事選で与党系が10道県知事で勝利し、負けたのは大阪府市だけでした。
特に革新系の強固な地盤とされていた北海道で与野党がっぷり四つの対決で、大差で自民党推薦の新人候補が圧勝したことが象徴的です。
a.wikipedia.org/wiki/2019年北海道知事選挙#選挙結果

候補者名 年齢  得票数  得票率  推薦・支持
鈴木直道 38 1,621,171票 62.7%  推薦:自民・公明・大地
石川知裕 45 963,942票 37.3% 推薦:立民・国民・共産・自由・社民

福岡や島根県では保守分裂選挙でしたが、分裂選挙は主に保守王国で起きている・・分裂しても保守が制しているなど、革新系野党は保守分裂でも勝てない惨状です。
自民党に勝った大阪維新は不満代弁・煽り型でなく、都構想など提案型政党のイメージです。
しかも維新と自民党は安保法など重要法案では事実上政策共有しているので、(党は別として内閣中枢とは緊密な関係・・二階幹事長が大阪維新と真っ向勝負しているのに菅官房長官が大阪に入らなかったことを二階氏がチクリと批判している・・事実上保守分裂型です)不満煽り型・革新系野党は全敗でした。
県議市議は多数ですので全敗はあり得ないのですが、概ね共産党と国民の市議が立憲民主に食われている印象で、トータルでは与党系増加で終わった印象です。
話題が年金記録消失や統計問題や統一地方選挙の結果に逸れましたが、不満暴発(不満を煽るメデイア?政治団体?)社会に戻ります。
日本の場合一時荒れる学校などが社会問題になりましたが、子育て環境整備・エネルギー発散受け皿整備に成功したことによって安定型社会に戻った印象ですが、内部処理に失敗して内向化している人も一定数いるでしょう。
その比率を如何に縮減していくかうまく社会で受け入れていくかの知恵が社会の能力・民度です。
江戸時代に入って戦国時代に必要であった粗暴系エネルギーを、各地のお祭りに昇華していったのと同じ工夫が必要です。
粗暴系縮小→学校現場では部活でくたびれさせ、一定レベル以上の場合、社会人野球やラグビー等々その他で官民共同でエネルギー吸収を図り、他方で世代交代によってソフト系進化が進みました。
日本の若者が草食系男子と言われるほどになりましたが、今ではソフト系の中で落ちこぼれる人の(内面)救済が必要な時代です。
多くの人は自分の内部でうまく処理して人間関係を円滑にし、お祭り参加・スポーツや趣味・草花や、ペット等への愛情等で幸せに生きるすべを身に付ける人と、内部処理に失敗して引きこもりその他家族のフォロー等で何とかなっている人、内部処理失敗でうつ病その他精神に病を持つ人まで色々います。
その中で活動的なタイプでは、内向している不満を合法的に発散できるチャンスがあると、このチャンスとばかりに付和雷同型・・不満を発散したい人が一定数でてきます。
ただし日本では活動的タイプでは自己実現のチャンスが多い・日常的には企業の運動会や地元のお祭り参加で主役を張れる機会が多いばかりか、災害現場に出かけて救援活動参加など陽のあたる活動のチャンスが多いので、粗暴系暴発エネルギーが溜まっていない社会です。
欧米で災害があると略奪や破壊に走るエネルギーを日本では救援活動のエネルギーに転化させて彼らを賞賛する社会です。
ただし、有名人や社会的成功者が何かのキッカケで槍玉に挙げられると、これに便乗していわゆる炎上を煽る人になるのでしょう。
この種の鬱憤ばらしには体力がいらず、しかも匿名参加のできるメリットを利用している(いわば卑怯者)のです。
日本にもはけ口を求めている一定の不満分子がいますが、ネット発信中心(同一人が別人を装った多数投稿可能)なので「炎上」といっても実数不明です。
西洋のフーリガンや略奪行動などは無意識のうちに溜まっている不満鬱屈のエネルギーを機会をみては本能に基づいてエネルギー発散している・・体力派の不満がなお大きいようです。

不満社会?3(年金記録消失〜統計不正?)

人名は一つの漢字で幾通りもの読み方があるのが普通ですから、ミスがなくとも入力するアルバイト?によってはいろんな読み方に転記されていったのは想像にかたくありません。
二重チェック体制にしても、何が誤転記かの判断は人によって違うので無理があります。
こういう誤転記を防ぐにはどうすればいいか?普通に考えても妙案はないでしょう。
目の前に保険加入者がいたり携帯電話番号を書いていれば聞けますが、当時は携帯も普及していない時代ですし、そもそも各人の電話番号を役所が記録していません。
まして送付された山積みの何千万に及ぶ年金加入者名簿・それも漢字の氏名をカタカナ入力変換作業を終日打ち込む作業に従事するアルバイト?にとっては、ありふれた漢字でさえ変換ミス皆無にはできませんし、もともと誤転記なしの作業など無理・・不可能だったのです。
交通事故を皆無にできないし、医療ミス皆無もない・要は不幸にして一定率で発生するミスが起きた場合のリスク最小化と保障問題でしょう。
リスク最小化対策としては一定期間紙資料を保存しておいて、年金記録に疑問を持つ人の照会に対応できるようにしておけばよかったと思います。
「疑問を持たない人は損をしっぱなし」というのはひどいということでしょうが、これはある程度仕方ない仕組みの応用です。
法律の世界では、時効という制度があるのはこういう時のためです。
自分の権利は自分で守るしかないのが原理であって、気がつかなくとも不法行為で言えば被害に気がつかなくとも20年で時効ですし、多くは10年とか3年とかの期間限定仕組みになっています。
例えば遺言があっても、遺留分減殺の権利がありますが、遺言で遺留分権を侵害されたことを知ってから1年、遺言があったのを知らなくとも10年で権利行使できなくなります。

民法
第千四十二条 減殺の請求権は、遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から一年間行使しないときは、時効によって消滅する。相続開始の時から十年を経過したときも、同様とする。

年金は超長期の掛け金で、もともとすぐに気がつかない制度(支給を受けるときに初めて気になるもの)ですから、5年や10年で記録廃棄されて復元不能では困りますが、コンピューター転記直後にコンピューター化した後の過去の年金加入履歴を全員に送って(コンピューター化したのちのプリントアウトコストはコピーする人件費その他に比べれば大したコストではないでしょう)、本人に転職歴など間違いないかの確認チャンスを与えておけば、かなりの人が自分の職歴の空白期間があれば気がついたはずです。
戦災等で焼失した戸籍の再記載作業や本籍展示の転記作業での、親や本人の氏名や生年月日の誤記載を昨日紹介しましたが、最近でも平成7年頃こら戸籍のコンピューター化が進んでいて、4〜5年前までには多くの自治体で完了しているようです。
このコンピューター化作業においても一定率の誤記が生じているはずですが、自分の戸籍など見るのは一生に何回もないので気づくのが遅れます。
生年月日や婚姻届出日に誤記があっても騒ぐほどのこともない(思い違いだったかな?程度で)ことが多いし文字が違っていても戸籍訂正の裁判までしないで終わるひとが多いのでしょう。
年金保険の事務作業のコンピューター記録への移記作業でミスをなくせないからといって永遠に手作業しているわけにいかないのですから、何100人という大量の作業員を集めて行う入力作業ではワクチン接種のリスク同様にミスが起きたら政府が手厚く保障する体制で臨むしかなかった・補償問題であって、責任追及の問題ではありません。
ソ連崩壊以降、野党による政権追及テーマは政権の不正というよりは、作業技術問題であったことが多い(今回も支払基金にマニュアル作りを委託していたらプログラムミスがおきたように)政府・政治家の責任追及ばかりにフォーカスしてきた印象です。
らい病関係の政府追及?補償請求も似たような攻め方です。
政治問題にするならば、年金コンピューター化事件や、今回で言えば支払基金にプログラム設定作業を外注するしかない実態(外注でなくすには公務員を増やすしかない・・後記引用論説はそういう主張のようですが、公務員の身分があれば、ミスがないと言えないでしょう)を前提にどうやって正確率をアップするかの課題解決・提案力で競争すべきでしょう。
今年の国会追求のテーになっていた統計不正?追及も、国民の多くは「不正」というよりは事務作業レベル問題であって、政治家の責任ではないという見方がほとんどのようです。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00006/?P=3

官僚叩きでは解決せず…統計不正の「悪の根源」論考
2019年1月29日
15年前に比べ、3分の1に減った統計担当公務員
野党は「アベノミクスほにゃらら」などと政権主導による恣意的な“捏造”と批判しているけど、さすがにそれはないと思う。全数調査をサンプル調査にしたからといって、期待する結果が出るとは限らない。それに、サンプル調査でも、適切な集計手法を施せば統計的には信頼がおける数字を得ることは可能だ。
ちろん、集計手法を間違えたり公表すべき事案を隠したりするなど、今回露呈した「初歩的な統計知識の欠如」や「モラルの欠如」は気が遠くなるほど深刻だが、よくよく考えてみると、もっと根深い問題が潜んでいるのではないか。
【事実関係】
・1996年以降、調査事業所数が公表より1割程度少なかった
・2004年1月以降、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査にしたが、年報には「全数調査」と記載
・2004年~2017年まで抽出調査するも、集計上必要な復元処理が行われなかった
・2011年に変更承認を受けた調査計画に記載された内容どおりに調査が行われなかった
・2015年調査の事務取扱要領から、東京都の規模500人以上の事業所を抽出調査とする旨が不記載
・2018年9月にサンプルの入れ替え方法の変更に伴う数値の上振れの指摘を受けた際、統計委員会に、「復元を行う」としたことを説明しなかった

ということで「根っこは公務員削減にある」という結論のようですが・・。

免責事項:

私は弁護士ですが、このコラムは帰宅後ちょっとした時間にニュース等に触発されて思いつくまま随想的に書いているだけで、「弁護士としての専門的見地からの意見」ではありません。

私がその時に知っている曖昧な知識を下に書いているだけで、それぞれのテーマについて裏付け的調査・判例や政省令〜規則ガイドライン等を調べる時間もないので、うろ覚えのまま書いていることがほとんどです。

引用データ等もネット検索で出たものを安易に引用することが多く、吟味検証されたものでないために一方の立場に偏っている場合もあり、記憶だけで書いたものはデータや指導的判例学説等と違っている場合もあります。

一言でいえば、ここで書いた意見は「仕事」として書いているのではありませんので、『責任』を持てません。

また、個別の法律相談の回答ではありませんので、具体的事件処理にあたってはこのコラムの意見がそのまま通用しませんので、必ず別の弁護士等に依頼してその弁護士の意見に従って処理されるようにしてください。

このコラムは法律家ではあるが私の主観的関心・印象をそのまま書いている程度・客観的裏付けに基づかない雑感に過ぎないレベルと理解してお読みください。