サムスン頼りで良いか?4

ここで、日本半導体産業が急速に凋落し韓国サムスンが半導体で躍進できた端緒?を少し紹介しておきます。
サムスン電子の大躍進は、それまで世界支配しかけていた日本の半導体生産を米欧バックにした半導体生産の韓国移転強制?による漁夫の利によるものという意見が多く見られます。
https://www.sankei.com/economy/news/130817/ecn1308170010-n1.html

2013.8.17 09:21
日の丸半導体(2)日米協定 圧力が生んだ“管理貿易”
昭和60年代に世界のトップに立った日の丸半導体。DRAMを中心に世界シェアの5割超を握り、日本の半導体産業は絶頂期を迎える。だが、国の根幹を担う半導体産業の凋落(ちょうらく)を、米国は黙ってみていたわけではなかった。米政府は政治の力で圧力をかける手段に出た。
・・・米政府は日本市場の「構造的な閉鎖性」を糾弾。そのうえで301条を盾に、日本側の輸出自主規制と日本市場での外国製半導体受け入れを迫ったのだ。
繊維や鉄鋼、テレビなど、それまでの日米貿易摩擦では、日本が輸出で手心を加えるか、米国からの輸入に配慮するという歴史が繰り返されてきた。だが、今回の半導体交渉で日本政府は、これまでの通商交渉とは米国のいらだちは次元が違うと感じていた。
・・・軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
軍需にも利用される半導体は経済だけではなく、国の安全保障上の問題となる基幹産業として米国が重要視しており、単なる工業製品ではなかったからだった。
協定締結後も、米国側の圧力は執拗(しつよう)だった。数値目標を「政府による約束」と解釈した米政府は62年には協定不履行を日本側に突きつけ、パソコンやテレビなどに100%の関税を課す対日制裁措置を発動する。
日本側は抵抗しつつも要求をのむしかなく、平成3年に改定された協定では外国製半導体について「日本市場のシェアを20%以上」とすることが明文化された。結果的に日米半導体協定という“不平等条約”は10年間続くことになる。

今の対中非難・・25%関税でも世界は大騒ぎですが、対日要求では応じなければ100%関税という無茶な要求・・日米開戦を事実上強制したハルノートの突きつけや終戦時のポツダム宣言を無条件で飲むかどうかの要求とほぼ同じ強引さです。
もっと遡れば、相手に対する強制力のない時点では、気に入らなければ、全面引きもり宣言をしたモンロー主義にも行き着く幼稚な姿勢です。
強引な交渉態度はアメリカの幼稚さによるものでしょうが、幼稚で無邪気なアメリカが力を持つようになると無邪気では済まされません。
世界が振り回されるようになった1929年頃からの大恐慌の対処の未熟さでしょう。
アメリカの対応が際立って悪かったので、今回同様に高関税連発に対して欧州も負けずに報復高関税をかけるエスカレートの繰り返しになったので、結果的にいわゆるブロック経済が生まれました。
世界中がブロック化すると囲い込む植民地を持たない新興の日独伊が不利な立場になったので独伊の場合には既存植民地の壁をこじ開ける→植民地の奪い合いに発展しました。
日本は欧州報復関税をかけることもなく、英米仏の植民地を奪おうとしたのではなく、どこの植民地になっていなかった・・手付かずに残されていた中国での日本の優先権を求めた・いわゆる対支21ヶ条の要求をしたのが始まりで、その後満州国建国へとなったのですが、元はと言えばアメリカの高関税政策によって始まった市場囲い込み競争が原因でした。
独伊のように米国市場を奪いに行ったわけではなかったのですが、米国も中国市場に野心を持っていたのに日本に先を越されたのが許せなかったので、「門戸開放・機会均等」を旗印にして猛烈に日本を敵視するようになっていきました。
自分たちは高関税で障壁を設けながら、日本には機会均等要求とは一方的主張です。
結果的に世界大戦に世界が引きずり込まれるようになったものです。
大恐慌勃発当時最も対処が良くて景気回復に成功していた日本が、最大の敵とされて最大の被害を受けた結果でした。
ここでは日米開戦原因論は主テーマでないのでこの辺で終わりにします。
こうしたDNAを受けているトランプ氏が、高関税の脅しでNAFTAや米韓FTAの一方的破棄の脅しで国際合意の事実上破棄を前提にした再交渉要求を求めたり、イラン核合意の一方的破棄など全て繋がっているものです。
アメリカはもまともな交渉能力がない・からか?モンロー宣言やまとまりかけたTPP一方的離脱か、過去の約束が不利となると強引すぎる要求でイエスかノーかを求めて「強迫」するしかない常習性が見られます。
日米半導体交渉では、結果的に数値目標と価格固定を決められたのですが、これではその後の技術革新による値下げ(半導体価格は一定頻度で4分の1の比率で値下がりするサイクルが知られています)が禁止→競合生産国より日本製だけ高くするしかないー日本からの輸出不能になり、韓国等第三国での生産しかなくなったという記憶(うろ覚えですので誤りがあるかもしれません)です。
この受け皿になって漁夫の利を得たのが韓国であり代表的企業がサムスンであり、車で言えば現代自動車・・日本の三菱自動車がエンジン等基幹部品を供給し技術支援して始まったものです。
ただし、サムスン電子飛躍に関する以下(明日)紹介する研究論文によれば、(上記のように政治の追い風があったとしても)キャッチアップ後のサムスン独自努力による研究開発の成果によるらしいです。
以下の論文によると従来は装置産業の提案力によっていたが、デバイス部門=加工組み立て部門・サムスン側の研究開発に基づく装置産業に対する協力要請に逆転・文字通理、下請け企業としてサムスンの研究成果に合わせた装置製造を要求されてこれに応じる関係になっているようです。
サムスンは下請けに価格競争させるために日欧企業に並行的に注文を出しているともかいています。
今でもサムスンは半導体製造装置を日本から買っているから(組み立てているだけだから)対韓輸出停止すれば良いという意見をたまに見かけますが、これらは表面を見ているだけ・・間違いのようです。

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