米国の高家賃4と路上生活者激増1

ここまで先走った意見を書いてきましたが、いよいよ本題の住宅価格上昇と家賃上昇のカラクリに入っていきます。
“https://gentosha-go.com/articles/-/3293”>https://gentosha-go.com/articles/-/3293によると以下の通りです。
国債金利と価格との差を説明した論説ですが、関心のある結論部分のみの引用です。

2019.2.12
全米アパート市場の特徴&米国国債と不動産の関係とは?
小川 謙治2016.6.1
サンフランシスコ・ベイエリアの家賃価格が上昇を続ける理由
小川 謙治2015.12.15
雇用成長はアパート賃貸マーケットに大きく影響を与えています。
日本ではごく一部のサブマーケットでしか経験できない家賃上昇について、ピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんが、米国不動産投資を語る場合、家賃上昇がキャピタルゲインの一部をなしていると言えるでしょう。つまり、経済成長率以上の家賃上昇があれば常に不動産価値が上昇し、さらに不動産価値上昇率は常に家賃上昇率を上回ることになるのです。
上記の通り、価格アップが賃料値上げに波及し、賃料上げが住宅価格上昇に跳ね返る悪(資本家にとっては好)循環が起きているようです。

花見酒の経済のようにキャッチボールを繰り返して一握りの高額所得者しか買えない天井に行き着くまで不動産相場を吊り上げて行くつもりなのでしょうか?
ここ数ヶ月の株式相場変調でも不動産リート系が底堅いといわれる根拠かもしれません。
住宅価格→家賃高騰によって路上生活者に転落したアメリカの労働者がなけなしの金で不動産系ファンドに投資して利回りアップを期待しているとしたら漫画のようです。
賃料値上げに対する歯止め制度が整備されていないこと(部分的値上げ規制があっても日本のように基礎法での整備不足)によるのではないか?というのがここ数日の意見です。
この結果、同じ地域に住むものでもシリコンバレーのように超高額所得者と普通の人が混在しています。
地域格差ではなく、同じ地域内格差が大きいと正社員でさえ家に住めない・・ホームレスがうまれ始めているようです。
地域格差・・モザイク国家どころか、砂つぶ社会・・合衆国社会の問題が噴出している様子です。
まず高額家賃の実情から見ていきます。
ちょっと古いですが、米国の家賃事情はhttp://www.apalog.com/maxre/archive/91によると以下の通りです。

米国の主要都市アパート家賃相場  2012/10/17 11:10
レントコントロールの無いアパートは1~2年置きに家賃が値上がり、お給料は上がらない、物価は上がるで、別のエリアへの引っ越しや、アパートのシェアをしている人達も多くいます。家賃はどこまで上がり続けるのでしょうか、TimeOut New Yorkに、家賃相場の記事が出ていたので抜粋しました。

スタジオタイプは、一つの部屋の中にキッチン、リビング、寝室が一緒になったワンルームマンションの様な部屋。 1ベッドルームは、寝室とリビングが別にあり、キッチンも別に付いているケースが多いと思います。 探せば、この相場よりも安いアパートもあるでしょうが、マンハッタンで一人暮らしをしようと思うと、最低でも2000㌦近く必要!? 普通に生活するには、収入の3分の1を家賃を当てるのがバランスが良いといいますが、こんなルールは全く適用できないことになります。

http://www.apalog.com/maxre/img/91/g1iDToOKgVuDk4NWg4eDYapngWkyMDEyLTEwLTE2IDYuMzguMzYgUE2Bamp-.png

上の表は、米国の主要都市の1ベッドルームの家賃相場をリストしたものですが、トップはニューヨークで、主要都市ベースでみると、ブルックリンが2番目に家賃が高いエリアという事になります。人気のブルックリンもどんどん家賃が高騰している様です。
こんなに高いと普通の正規社員でもちょっとしたことで路上生活者・ホームレスに転落し・路上から出勤という姿があるようです。

統計「不正?』騒ぎと性悪説の法家思想1

従業員500人以上の大企業調査手法の変更は今の内閣が始めたのではなく、04年から東京都調査分からはじまりその後大阪などに広がっているというのですから、現場工夫で合理化していった・・規則あるいは法改正かの必要性に気付かなかった可能性さえあります。
(私が知らないだけか不明ですが)全数調査や訪問方法などの末端ルールが法の定めになっているとは想定しにくいのですが、政令か省令か、あるいは細則?要綱?ガイドラインなのか主務官庁である総務省の通達に反していたのかさえメデイアははっきりさせていませんでしたが、2月14日日経新聞朝刊5p焦点②には、調査方法変更には総務省の承認を求める義務違反でないかの書き方が出てきました。
以下素人意見ですが、元々統計や世論調査はサンプル調査が原則と思われますが、全数調査ルールがいつ決まった手法かの報道がないのですが、例えば地方県で五百人以上の企業が2〜3社しかない場合に1社だけのサンプルで2〜3社平均を出すのでは統計的意味がないので全数調査にした意図がわかります。
例えば銀行とスターバックスの2社の場合、銀行員給与を調べて、スターバックス店員給与を同率で推計計算するのは無理があるでしょう。
ちなみに現時点の500人以上企業数の県別統計をネット検索するとデータが古いですが、以下の統計が出てきます。
http://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/kihon/kihon_eikyou/pdf/02_2_chosakai_todoufuken.pdf

図表13都道府県別従業者規模別企業数図表
(備考)総務省・経済産業省「平成24年経済センサス-活動調査(企業等に関する集計産業横断的集計)」より作成。

表が大きいので引用を省略しますが、東京神奈川大阪愛知福岡等を除くと千葉でも10社しかなく青森は1社しかなくその他は概ね2〜3社しかありません。
ところが経済成長によって世界企業(東京等の大都市集中)が数え切れないほどになっている現在全数調査は物理的に無理になってきたし、対象先が千社以上もあれば業種ごと(同業種の賃金傾向はほぼ横並びです)のサンプルを作れるので偏る不都合はありません。
報道によれば東京都だけで現在約1500企業もあるというのですから、全数や全戸戸別訪問(大手の場合訪問してお願いして(お茶を飲んで)帰るだけでその場で聞き取れる(一定期間経過後もらいに行くのかな?)ものではないし、本社担当者と面談しても、何(雰囲気?)が分かるか不明でその割に手間がかかり過ぎて非効率なのは誰の目にも明らかです。
ここで言いたいのは政争の是非ではなく、昔から日本社会は理念で一刀両断でビシッと末端まで貫徹していく怖い社会はなく、現場の必要に応じて緩やかななし崩し修正していく社会であったということです。
革新系の主張は秦始皇帝に始まる専制支配体制強化に役立った法家の主張のように理論だけで貫徹・解決しようとする傾向があり、(有名学者の動員大好きです)理論どおりでないのはどこかに邪(ヨコシマ)な癒着?「不正」があるはずというスタンスによる政権追求パターンですが、不正を前提にした観念的主張が日本の社会実態にあっていないので国民支持が広がらないのです。
メデイアは頻りに「統計不正は国家根幹の政策を誤らせるから大罪だ」という大上段議論を展開していますが、東京、大阪等のコスト削減策が統計を歪めたのか?の実態議論があまり見えません。
出回っている議論を見た印象では、サンプル調査した以上実数ではないから・・例えば3分の1しか調査しないならば、実数値に直すには3倍する必要があるのにそれを怠っていたから、(大手企業の賃金が高いのに「その人数がすくなく出ていた)平均賃金が実際より下がっていたので統計数値を歪めたということらしいですが、それは東京都が3割のサンプル調査に切り替えるのと同時にその計算方法をセットでしなかったミス(法理論ではミスも違法の一部ですが「不正」とは言いません。
あたかも政治が絡んだ不正であるかのような内閣追及騒ぎですが、どこの政府でも賃金が下がっていると発表したくないのが普通ですから、敢えて時の政権が賃金統計を低く出す奸計をめぐらしたと思う人は皆無に近いのではないでしょうか?
先秦時代の法家の思想・・元々性善説に対する性悪説から始まっているのが法家思想ですから(日本は財布を拾ったらほぼ90%以上の人が届ける性善説の社会とすれば、届けない10%の人ももちろんいます。
懐に入れてしまう少数派の人にとっては「庶民が自由な判断でやって正しいことなどあるはずがない」・「決裁なしにやること自体が不正」という思い込みがあるのは仕方がないのでしょうか?
高学歴の研究者意見に従うべきで現場工夫を敵視する傾向が見えます。
野党や文化人やマスメデイアは「良いことをしても役割外のことをすれば処罰する法家的思想」・・形式論・・その根底に性悪説に基礎を置いている印象です。
彼らは権力批判道具として民主主義や自由を主張しますが、内面では他人の自由を認める懐の深さがない人の集まりではないでしょうか。
中ソ等の専制的独裁制を尊崇する所以です。
米国の場合民主主義というものの、文化の底が浅いというか、エリートや強力なリーダー重視社会で基本的に庶民の知恵を尊重する歴史がありません。
権力構造は国民間の猜疑心・「性悪説」を前提にしていますし、国民も規制に違反さえしなければどんなに家賃を引きげようと金融でいくら儲けようと勝手」(暴利は許されない意識もない)という論理で突き進むようです。
この結果一握りが巨額収入を得て多くの人が路頭に迷おうとそんなことは法に触れない限り気にしない社会になっているようです。
アメリカは民主主義国家を標榜していますが、「人民による人民のための・・・」というリンカーン演説は政治的レトリックに過ぎないとみるべきでしょう。
その結果、ノーベル経済学賞をもらった?金融理論そのまま、シリコンバレー等で高額所得者が高額で住居を購入するとその取引事例を基礎にした高額値上げが従来の居住者に通告され、払いきれない古くからの居住者が路上生活者に転落していく流れが起きているように見えます。
日本のように「そうは言ってもね・・」という修正要素(日本の各種改正が遅々として進まない・民族社会に応じた進歩にはこれが一番必要)が働かない社会です。
私が常々批判している「秀才が国を滅ぼす論」の一場面です。

米国の高家賃(収益還元法に頼る危険)1

住宅価格が家賃収益還元の範囲内なら安泰か(理論整合性だけで良いか?)というとそうではないでしょう。
私は日本のバブルの頃から、こんなに上がれば家賃やローンを払えなくなる・支払い能力を超えているからそのうち収まるはずだという信念があり、(その頃バブルという流行語が出回る前で知りませんでしたが)ローンや家賃支払い能力が不動産価格の限界値という考え方で生きてきました。
住宅価格急低下を防ぐために・・例えば金利を5%から2、5%に下げると2000万円しかローンを組めない人が4000万円まで借りても月額支払額が同じになるという面を利用した住宅価格維持政策です。
厳密には元金返済分増額になりますが、バブル崩壊後返済開始後5年間は利息のみ支払い可のローンが一般化していた記憶です。
固定資産評価では基本的スタンスは収益還元を基本に取引価格等を副次的に見るべきという個人的意見です。
この観点から言えば、バブル的取引事例による固定資産評価をするのは高過ぎないか?という基本的スタンスでしたが、もちろん実務はいろんな価値観や過去の経緯等総合的落ち着き等の総合ですので、結果的にいろんな要素の複合結果・・不動産鑑定理論に収束して行く運用になっています・・・ご安心ください。
日本では借地借家契約は契約期間満了しても原則更新して続いていく仕組み(正当自由がないと解約申し入れが無効)ですから、アメリカのように数年置きの契約期限がきたら「契約終了しました。住み続けたいならば5万円アップの新契約しなさい・応じないなら新契約に応じないなら出て行け」という追い出し策が不可能です。
日本では契約中の地代家賃値上げは一方的に出来ない・・・借家人等が応じなければ追い出せるのではなく、(借家人は自分が正しいと思う金額を供託すれば家賃を払ったことにしてくれるので未払いになりません)訴訟手続きが必要なので多くの場合家主の方が諦めます。

借地借家法
(建物賃貸借契約の更新拒絶等の要件)
第二十八条 建物の賃貸人による第二十六条第一項の通知又は建物の賃貸借の解約の申入れは、建物の賃貸人及び賃借人(転借人を含む。以下この条において同じ。)が建物の使用を必要とする事情のほか、建物の賃貸借に関する従前の経過、建物の利用状況及び建物の現況並びに建物の賃貸人が建物の明渡しの条件として又は建物の明渡しと引換えに建物の賃借人に対して財産上の給付をする旨の申出をした場合におけるその申出を考慮して、正当の事由があると認められる場合でなければ、することができない。
(借賃増減請求権)
第三十二条 建物の借賃が、土地若しくは建物に対する租税その他の負担の増減により、土地若しくは建物の価格の上昇若しくは低下その他の経済事情の変動により、又は近傍同種の建物の借賃に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は、将来に向かって建物の借賃の額の増減を請求することができる。
2 建物の借賃の増額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、増額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の建物の借賃を支払うことをもって足りる。ただし、その裁判が確定した場合において、既に支払った額に不足があるときは、その不足額に年一割の割合による支払期後の利息を付してこれを支払わなければならない。

この手続きでは経済理論通りではなく過去の経緯や居住者の収入状況等を重視して土地価格が仮に2倍になっていても金利保証論だけで家賃や地代を2倍にするのではなくほんの微々たる値上げしか認めないのが原則的運用です。
こうした運用から一旦貸すと長期に渡って賃料が事実上固定される社会が出来上がっています。
地代家賃値上げに関する運用同様に、固定資産税の課税では激変緩和措置といって、評価が仮に2倍になってもすぐに税額も2倍にならない制度が用意されています。
雇用も事実上終身制になっている(よほどのことがないと解雇を認めない判例定着)のもこの一環です。
このように、日本社会は持続性を基本として運営されている・・その時々の経済成長などの勢いで全てやってしまわない・・支配者(権力)意見・理論や思想どおりに直ぐに決めつけていかない・・改革には時間のかかる社会ですが、その分手堅いしゴリ押しのない「納得」を前提として動く社会でやってきました。
社会制度を見ても律令制は日本社会に合わないと思っても直ぐに廃止するのではなく時間をかけて徐々になし崩しにして行ったし、武士の時代が来たからと言ってイキナリ貴族の荘園を取り上げるのではなく、なし崩し的に荘園管理に武士が浸透して行っただけで制度大変革をしてきませんでした。
神仏習合その他こういうやり方は、国内矛盾を温存する融通むげな社会です。
後白河院のよって立つ経済基盤であった八条院領が鎌倉時代が終わった建武の新政を始めた後醍醐天皇の経済基盤になっていたことを、皇室経費問題テーマで1月下旬頃紹介したばかりです。
日本人は懐が深いというか?幕府と朝廷の二重権力並存など矛盾関係でそのままやって行ける社会です。
この矛盾を主張したのが「隅々まで皇帝の威令を貫徹しないと気が済まない」・・専制支配を勉強した水戸学であり、明治維新の王政復古の号令であり廃仏毀釈でしょう。
そもそも専制支配は秦の始皇帝の始めたものですが、そのよって立つ支配原理は法家の思想でした。
法家の思想はいわゆる性悪説にたつ荀子等の思想を純化して行って、韓非子によって完成され秦の専制国家体制の支配理念を作ったものでした。
皇帝がうたた寝したので侍っていたものが、布団(漢文では御衣(おんぞ)と書いていますが・・私の日本語翻訳です)をかけたところ「役割外のことをした」という形式論で処罰されたという故事で有名です。
今の議論はこれに似ていないかの疑問です。
現在毎月勤労統計が(平均賃金データ)「不正問題」と銘打って政争テーマになっていますが、これは形式「論理を一貫しないと許せない」という偏狭な議論が基礎にあるように思われます。
報道によれば昔は五百人以上の大企業の全数調査が決まっていたのに、東京都は04年以来サンプル調査しかしていなかったという「不正」追求です。
「全数調査を続けるべきだったどうか」の本質的議論が全くなく、必要な変更手続きをしていなかったという「不正」追求です。
野党・メデイアと組んだ「不正」追求論は、法改正か規則改正で変更すべきだったという教条論のようですが、こういう形式論で国民の多く(庶民は知恵があるのです)が国会審議を止めて現在の内閣の政治責任を追求するべきと思っているかの疑問があります。

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