江戸時代産業構造の変化3(GDP指標1)

昨日見たように大阪市場に出回る金額比率では1711年にコメ100対綿製品18だったのが、1804年以降100対105の関係に逆転しています。
しかも主力製品である縞木綿等が統計から抜けているというのです。
他の商品も同率変化かどうかまでは分かりませんが、綿に関しては大幅な比率変化です。
1800年代に入ると、(工業制手工業の発達によって)大口取引は大阪市場を通さない直接取引が一般化していったとも一般に解説されていますので、コメの経済比重は大幅低下していたことが明らかです。
今では、食品でさえもコンビニその他大手スーパーの食品工場化によって農産物や魚介類も公設市場経由はなく、大手の場合契約農家から直接仕入れが普通になっていますが、こうなってきたのはまだ数十年のことです。
魚貝類も同様です。
小池都知事就任以来、築地市場移転問題が一般の注目を浴びましたが、実はこの数十年で魚介類や、農産物の市場離れが激しく市場に頼る率が急激に減少しています。
(今でも市場経由で仕入れている業者は個人経営のレストランをちょっと大きくした程度で全国展開規模の企業で築地や太田市場購入を基本にしている企業は皆無に近いのではないでしょうか?)
千葉市中心部で見ると青果物や魚などの商店は、ほぼ壊滅状態です。
数十年前には、各地域には数店舗以上経営する個人的商売(地元スーパーや飲食店の成功者など)がありましたが、昭和末頃から平成に入った頃から大手に負けてあるいは吸収されて、地元地盤の百貨店やスーパーなど事業体の多くが姿を消しました。
領内から集めた年貢米換金の場合、今のような食品工場化=大規模購入先がないので、領内消費地の大部分を占める自分の城下町での換金だけでは外貨(幕府発行の貨幣)を稼げないので余剰分を従来通り大名は大阪市場で換金するしかなかったのでしょう。
戦国時代が終わると大名領国の一円支配確立・・農村地域内での自給自足分プラスアルファを残して徴税する関係上・領内の大規模米取引が原則として成立しません。
大大名であればあるほど、大規模に集まった米の換金には京大阪江戸三都での大消費地へ輸出するしかないのですが、そのためには直接個別大名が直接販路を求めて輸送するのは無理があるので自然発生的に大阪のコメ市場が成立したものでしょう。
江戸時代中期以降藩政改革の一環として、特産品開発→専売制は広がりますが、もともとコメを大名が年貢として取り立てた結果、(今の金曜市場で年金資金が大口運用者になっているような現象?)コメの出荷者として大名・旗本等の領主が大口市場参加者になったことから、結果的にコメの専売制度の基礎になっていたようなものです。
大阪市場に消費者(例えば江戸の町民が)が直接参加できないので、問屋が大量買い付けして各地の二次問屋〜三次問屋〜小売に分散していく・・結果的に問屋資本蓄積が発達し、問屋資本が、家内制手工業を組織化するまでの過渡期があったのです。
現在でも公設の魚市場や青果物では、セリ参加資格のある仲買人がセリを通じてまとめ買いして、その仲買人から各個人商店が買って帰る仕組みです。
このように家内制手工業を組織化したのが問屋資本でしたが、すぐにこれが直取引拡大によって問屋資本から離れて行きます。
家内制手工業の初期イメージは、今は姿を消しましたが、私の高校時代以降・・昭和3〜40年台に一般的であった家庭内内職が十数人規模の雇い人利用規模に変わった程度の光景でしょうか?
家内制手工業がさらに成長して工場制手工業に脱皮していくといわゆる産業資本家が勃興し、問屋資本による家内制手工業が淘汰されていきます。
これに比例して工業製品の直接取引が始まり、大阪市場を経由しなくなってきたのが天保の改革頃の経済状況でした。
製鉄や車造船テレビみんなそうですが、工業製品は市場での競りによる取引ではなく相対取引が原則です。
以上のように綿製品等の主要製品が大阪市場離れを起こしていたにも関わらず、大阪市場だけで見てもコメの比率が綿製品にくらべて大幅低下していたことがわかります。
徳川政権樹立当時コメ収益を基本(実は当時もコメだけを基準にしたのではないので厳密には複雑・・コメを基準値とした換算であったと思われます)として、幕府や大名家の格式・経済力差・軍役基準を決めていた物差しでは、1800年頃には対応できない時代が来ていたのです。
まして約100年前の1600年代初期との比較データが出ていませんが、幕府草創期に決めた石高との比較では、まるで基準になっていなかったと思われます。
9月4日に唐津藩の石高が表6万石に対して実高25万石と紹介しましたが、幕藩体制確立時の当初格付けは意味をなさなくなっていたことがわかるでしょう。
「鉄は国家なり」とか建艦競争の時代には「造船力」で国力を測る時代がありましたが今は違います。
200年前の大企業が200年間リーデングカンパニーであり続けているか・・仮にリーデイングカンパニーであり続けているとした場合、主力商品入れ変えに成功しているからこそ生き残っているのでしょう。
江戸時代270年間に主力商品産業が入れ替わっていたのです。
最近では旧来型GDP数値にこだわるのは意味がないのではないか?という印象を持つ人が増えていると思いますが・・。
そういうメデイアの意見を見かけませんが・・。
いわゆる失われた20年論では、GDPの上昇率が低いという主張ですが、個人の生き方で言えば、収入や売り上げ前年比なん%増で嬉しいのは青壮年期のことで、一定以上の年齢や年収になれば、これ以上売り上げ増や新店舗展開のために長時間働くよりは、この辺でスピードを緩めたいと考え若い頃の行動パターンを修正するのは不合理ではありません。
(個人で見れば、ある日救急車で運ばれるまで猛烈社員を続けるのは愚の骨頂です)
国家や社会も生き物?としては同様で、一定の高原状態に達すれば現状維持するのが合理的であり、ゴムが伸びきっている状態で際限のない成長を目指してある日突然ゴムが切れるような事態・・急激な国家破綻を招くより合理的です。

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