イスラム国人質事件と積極平和主義

朝日新聞は慰安婦報道の間違いを国内で「読者の皆様」に対して謝りながら、世界に向けて長年発信して来たことについて取り消しを一切していないと言われていますが、これも不思議です。
朝日の論理は、誤報は商品顧客である読者に対する陳謝であるべきであるから、読者以外には陳謝する余地がないと言うことらしいですが、国民は朝日新聞が日本を貶める報道を世界に広めて来たことを怒っているのですから、これではすれ違いです。
車や食品等の不良品を売った場合、被害者は購入客であって一般人ではありませんから、顧客にだけに陳謝すれば足りるでしょうが、(レストランで粗相があった場合、そのお客様だけにお詫びすれば良いことです)マスコミが日本批判の種を世界にバラまいた場合、被害者は日本国とその国民です。
名誉毀損事件で言えば被害者は週刊誌等の読者ではなく名誉を傷つけられたひとですから、別途一般紙等に謝罪広告を求められるべき事案です。
しかるに購読者(・・元々偏った報道を好んでいるシンパ・支持者中心でしょう?)だけに陳謝するのでは問題のすり替えです。
読者・購読者にだけ陳謝すると言う朝日の姿勢は、シンパに対して、虚偽報道がバレてしまった不手際を陳謝するつもりでしょうか?
大々的に記者会見まで開いて陳謝すると言いながら、このような厚かましい主張を繰り返して平然としていること自体で、朝日新聞の基礎体質が自浄不能の域に達している・・如何に脳汚染が進んでいる会社かが分ります。
本当の意味での反省をする気がないと宣言しているようなものですから、今後も同じような体質・角度でやって行きますと言う宣言でしょう。
左翼系では、以下に紹介するようにイスラム国による人質事件が起きると、すぐに集団自衛権・積極的平和主義とヒモ着けて主張する体質ですが、これでは脳力を疑う人の方が多いのではないでしょうか?
日本の集団自衛権に反発している国は中韓両国だけですが、日本と殆ど接点のないアラブのゲリラ勢力が、安倍政権の姿勢を敵視して人質殺害したと言うのには関係が遠過ぎる印象です。
テレビ系が圧倒的情報量で、安倍政権の姿勢がこう言う事件を生んだと批判していましたが、マスコミの現実離れした誘導に国民が直ぐに乗らなくなっているらしく、世論の支持が集まらずに次第に縮小して行きました。
普通に思い及ばない着想であるからこそ、これをマスコミで主張して普通の人を教えてやり指導したいと言う欲求があるのでしょうから、指導者の資質と言う点では一貫していることになるのでしょうか?
以下にみるように左翼系文化人の脳内は、中国の反日暴動を例にすると、石原都知事が原因を作ったから、(中国に文句言うのではなく)同人が損害賠償すべきと言い切るなど、何かあると中国が正しくて、日本の政治家が悪いと言う意見の持ち主のようです。
この論理で言えば安倍総理の一連の発言が悪いのであって、テロ組織が悪いのではないと言う結果を言いたいのでしょう。
こう言う人がマスコミを牛耳っている状態では、言論の自由があって健全な社会であると思う人の方が少ないのではないでしょうか?
個人意見なら勝手ですが、大量商品供給=マスコミの主流的見解として毎日流布される状態では、何らかの規制が・・昨日書いたように難しい問題ですが、必要な印象です。
テレビでは以下のような意見を基礎にした一方的発言が相次いでいてマスコミの激しい誘導があったようですが、その後の世論調査では安倍総理の対応を評価する意見が多数を占めたことや、いつもとちがってアメリカや中国が日本マスコミの後追いで日本批判をしなかったこともって急速に縮小して行きました。
朝日系テレビは、ねつ造ではないまでも、また大恥をかいた始末です。

以下は朝日の報道ではありませんが、http://igajin.blog.so-net.ne.jp「五十嵐仁の転成仁語 1月21日(水)
「 安倍首相の「積極的平和主義」が引き起こした日本人人質への殺人予告」 [国際]からの引用です。

 安倍首相は「飛んで火にいる夏の虫」ならぬ、「飛んで火にいる冬の安倍」になってしまいました。この時期に、このような形で中東諸国を訪問せず、エジプトであのような演説を行わなければ、今回のような事件は起きなった可能性が高いと思われます。
 もちろん、2億ドルの資金援助は非軍事的なもので、脅迫者の言うような「馬鹿げた決定」ではないと弁解することは可能です。その拠出自体は人道的なものだったとしても、それを中東歴訪と絡めて、あのような形で目立つように華々しく打ち出す必要があったのでしょうか。
今回、安倍首相がわざわざ中東に出かけて行って、「イスラム国」対策として2億ドルの支援を表明したのは、「積極的平和主義」の実績を示す絶好のチャンスだと考えたからではないでしょうか。そのようなパフォーマンスを見せつけることで、これから始まる通常国会での集団的自衛権行使容認に向けての安保法制の整備に有利な状況を作り出したいという思惑があったように思われます。
 中東での難民支援や非軍事的な資金を拠出するにしても、紛争当事国に大金を渡すのではなく、国連や赤十字などに粛々と支援金を送ればいいだけの話でしょう。それなら誰からも恨みを買うことはなかったはずです。財界人など46社約100人の幹部を引き連れた派手な訪問で2490億円もばらまいて日本企業を売り込み、多額の経済援助で「いい恰好」しようなどと考えたのが間違いの元でした。
 それが思わぬ形で裏目に出てしまったということになります。中東の情勢にも「イスラム国」の出方についても全く無知で、判断を大きく誤った結果だったと言って良いでしょう。
 ・・そればかりではありません。難民支援のための非軍事的な援助であるにもかかわらず、その2億ドル拠出が敵視されたことにも、この間の安倍首相の言動や日本の立ち位置の変化が微妙に反映しているように見えます。
 集団的自衛権の行使容認や改憲を目指すことによってアメリカとの同盟関係を強めようとしてきたからです。
そのための自衛隊の海外派遣など、中東への軍事的な関与を強めようとしてきたという経緯もあります。」

五十嵐仁氏に関する2月8日現在のウイキペデイア(正確かどうかの検証はしていません)によると、彼の政治的主張は以下の通りらしいです。

「外交・安全保障問題
自衛隊は違憲。縮小、撤廃し、災害の救援などの非軍事的な組織に改組すべき。防衛省は海外戦争省である
北朝鮮による核実験はアメリカ政府の軍事的対応にも責任がある
中国・韓国における“反日”デモは靖国参拝など日本側にも責任がある
2012年9月17日のブログでは、2012年9月に中国で起きた反日デモでの略奪や破壊行為について、「今回の事態の引き金を引いたのは石原都知事にほかならず、事態をここまで悪化させた全ての責任はこの人物にある」と前置きした上で、「日系企業は10億円以上の損害を出したと言われていますが、それは全て石原都知事に請求するべきでしょう」と述べた[2]。」

非武装平和論8と民族自決5

非武装論者=護憲論者が、後生大事にしている憲法は日本人の先祖がよく考えて作ったものでははなく、アメリカが占領政策の延長として強制したものです。
日本侵略希望を事実上表明しているのは、中韓両国ですが、非武装論は戦わずして(これが平和論の中核です)侵略して来る勢力・・中韓の支配に入った方が、民族が独立しているよりも国民は幸せと主張していることになるのでしょうか?
武装と同盟必要論は、異民族支配に入った場合の悲惨さを心配して民族の代表選手・・戦士が少し血を流してでも、背後の民族・家族の安全平和を守ろうとする考えです。
一定の防衛力を維持して戦うこの意気込みがあってこそ主権・民族自決を守ろうとしているのですが、これは国際的に普通に認められた心情です。
世界中で民族の独立など無駄なことだ・・戦うくらいならば異民族に支配された方が幸福と言う意見は聞いたことがありません。
そこそこの軍備を備えて、侵略を阻止する努力とこれをしない結果の違い・・どちらが本当に民族として幸せになれるかこそを、基礎から議論しておく必要があります。
どうやって平和を守るかの論争自体は空論であってあまり意味がありません。
戦わずして相手の支配下に入れば戦争を防げ・平和?を守れることは確かですが、戦ってでも民族独立を守り抜くのとどちらが日本民族にとって良いかの議論が先決的重要です。
平和を守るために中韓の主張する歴史観をそのまま受入れて、戦わずして中韓の支配下に入ったら戦争は起きないでしょうが、その結果どうなるでしょうか?
「お前らの先祖はこんな悪いことをした」と毎日でっち上げた事実?を強要されて認めさせられて、懺悔・謝罪するしかない生活が待っているのでしょうか?
仕方なしに認めるとそれを理由に更に酷い目に遭う・・地獄のような日々が待っている・・。
毎日責められて謝罪させられ続ける・・。
「お前らの先祖はこんな悪いことしたのだから、謝罪が足りない・・一日に何回か鞭で打たれても仕方が無い・・この程度のイジメや拷問を受けるのは当然」
だとする状態が、日常化することを想像するとぞっとしませんか?
普通、こう言う生活になること期待している人はいない筈ですから、こう言う結果を熱望している勢力とは、本当の日本人か?と誤解?したくなる人が増えるのが普通ではないでしょうか?
最近ヘイトスピーチ批判が起きていますが、根底に本当の日本人が日本の軍国主義化を心配しているのか、疑問に思う人が増えたからではないでしょうか?
マスコミや文化人は何かあると直ぐに「世界ではこうなっている・国連ではこうだ」と錦の御旗のように主張するのに、非武装が良いかどうか、特定秘密保護法や集団自衛権の議論になると「憲法に書いてある」「知る権利が侵される」」と言う一点張りで、特定秘密保護法は外国ではどうなっているのか、世界の中で軍備のない国があるのか、軍事同盟すれば軍国主義国家になると言う世界常識があるのかなどのテーマになると、外国でどうなっていると言う意見が全くなくなります。
「国民の理解を得られない」と勝手にマスコミが世論がこうだと決めてしまい、世論誘導をする傾向があります。
何が正しいか・何が日本民族にとって好ましいかの議論からそっくり逃げています。
政治運動である以上は憲法論ではなく、その意見を貫徹するとどの意見が日本民族・国家に好ましい結果をもたらすかの基準で議論すべきです。
以上書いて来たのは、私の個人意見・感想であって家の周りを泥棒が窺っていても、戸締まりしないで寝ていれば良いと言う人もいるかも知れません。
戸締まり不要論を実行してどうなることを期待しているのかを堂々
明白に主張して欲しいのです。
具体的結果になると、中韓との膨大複雑な貿易や政治文化的関係解決の思惑もあり、国際関係への波及効果等々があるので、どの程度まで対決すべきかについても複雑な利害考量の必要性があって、・・まさにその道の専門家である政治家の出番です。
国際関係は戸締まり論だけで決めて良い訳ではありませんから、警察関係やSECOM等の人だけが発言力がある訳でもありません。

非武装平和論8と民族自決4

非武装平和論・違憲論者も国家防衛・集団自衛権は主権国家に必須の権利であることを否定していないにも拘らず(世界でこれを全面否定する国や機関はどこにもありませんし、自衛権を否定する学者も知りません)日本に限って、「憲法で決めてあるから」これを認められないと言うのですから、論理も何もあったものではありません。
「悪法も法なり」と言う論法です。
悪法も、民主的手続で決めた以上は、法改正するまではこれに従うしかないと言う意味でしょうが、悪法か否かの議論すらしてはいけないというものではありません。
法改正の是非について議論さえ許されないのでは、法改正のチャンスさえなくなってしまいます・・。
国民が現行法に不満でも、法改正出来ない国では民主国家と言えないので、こういう国や社会の法は正当性がありません。
2014/09/13「国民主権と護憲論の矛盾2」前後の連載で憲法改正手続法の制定に長い間反対していた勢力は、実質的に国民主権否定論者であると言う意見を書きました。
非武装論者の理由とするところは、(占領軍が日本支配の恒久化のために作った)「憲法に書いてあるから」と言う以外の意見を聞いたことがありません。
日本を非武装非同盟・・世界でどこにも応援してくれる国がない孤立国家にしてしまって、どのように民族自立を守って行くかについての意見も、聞いたことすらありません。
占領軍が今の憲法を強制したものであれ、自主憲法であれ、今の周辺事情下で日本に適合した良い制度と言うならば、その政策効果として、如何に日本のために良い効果をもたらすことになるかの正当性を堂々と主張すべきです。
中韓による日本の軍国主義化の懸念に呼応して集団自衛権は「周辺国に警戒感を呼び起こす」からと言う程度の意見をたまに聞きますが、これも噴飯ものです。
アメリカの兵器供給に頼っている日本が独自に軍国主義化出来る訳がないのですから、に言わばこじつけ主張しているだけです。
日米安保や集団自衛権との関連で言えば、日本がアメリカとの条約で縛られている限り、日本は独自の兵器製造も出来ないし、一定期間分の兵器しかないので(戦闘機1機も作れないので、戦争で落としあいになると補給が続きません)補給がない限り戦争を継続出来ません。
アメリカの了解なしには日本独自の戦争など、どこの国とも出来ないように手足を縛られている関係ですから、アメリカとの同盟関係がある方が周辺国にとって安心な筈です。
非武装論者は、非武装で国・民族自決を守れるか否かに関しては(憲法に書いてあるから憲法を守れと言うだけで)沈黙を守ったままです。
彼ら非武装論者も非武装のままでは、国を守れないことを認めるしかないので、非武装政策の効果については何も言えないのではないでしょうか?
非武装では、民族を守れないことが世界の常識であるからこそ、14日に紹介したように国連憲章でも自衛権や共同防衛権を明記しているのです。
またこの国連憲章に対して「自衛権などなくても自国を守れる」「自衛権を主権国家が持つのはけしからん」と言う批判論の存在をついぞ聞いたことがありません。
とすると、非武装論者・集団自衛権否定論者は憲法に書いてある以上は、結果がどうなろうとも当否についての議論を一切する必要がない・・、何も考えずこれを守るべきだと言う無責任な意見になると思われますが如何でしょうか?
その落ち着く先は、
「日本に限って(アメリカに強制された)憲法がある以上は、(アメリカがいなくなれば)他国に侵略されても仕方がない。」
と言う結果を期待しているように見えます。
反米闘争は主権回復のためではなく、別の支配者を呼び込むためにやっていたとすれば、日本人のための政治運動なのかを問わればなりません。
左翼=反米→主権回復運動ではなかったのです。
日本民族を隷属化させたままの支配者変更運動でしかなかったとすれば、アメリカによる日本半永久的隷属化政策の遺鉢を継いでいることになります。
アメリカの作った戦後秩序(=日本隷属化固定政策)に挑戦しそうになると世界の孤児になるとか、ナチスの反省を見習えと猛然と反対するのはこの意味では一貫した流れです。

非武装平和論7と国連憲章の旧敵国条項

国連憲章(日本語版)を読んでいると日本は旧敵国条項の対象になっていて、旧敵国が「侵略政策の再現」→国連秩序・戦後秩序に挑戦しようとする場合には、安保理事決議がなくともどこの国でも単独軍事行動をすることが出来る・・違法な侵略にあたらないと言うお墨付き条項があります。
日本が竹島を奪還しようとしたり、もしも尖閣諸島が中国に占領されたときにこれの奪還作戦をしようとすると、中韓は安倍政権が戦後秩序違反・侵略を目論んでいると主張さえすれば、(戦争に際しての本当の正義は誰にも分らないので、主張だけで足りるのが怖いところです)いつイキナリ日本攻撃をしても安保理事決議のない違法な軍事行為の批判を受けないお墨付きになっています。
以下は、国連広報センターからの条文引用です。
http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/
「第53条

安全保障理事会は、その権威の下における強制行動のために、適当な場合には、前記の地域的取極または地域的機関を利用する。但し、いかなる強制行動も、安全保障理事会の許可がなければ、地域的取極に基いて又は地域的機関によってとられてはならない。もっとも、本条2に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条に従って規定されるもの又はこの敵国における侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは、関係政府の要請に基いてこの機構がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする。
本条1で用いる敵国という語は、第二次世界戦争中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される。」

日本が中韓による突然の攻撃・侵略を受けても、日本が侵略しようとしたからと言えば、安保理は違法と言えません。
安保理は当てに出来ないので、日本は実力で守るしかないのですが、それには、アメリカとの相互防衛協定が必須と言うか最有効です。
日米安保条約があると、中韓がイキナリ攻めて来てもアメリカが撃退してくれる・兵器供給などで応援してくれるので、安保理事の停戦命令決議がなくとも何とか守れるという歯止めが期待されています。
これまで何回も書いていますが、政治運動は机上の空論・学術論文ではなく、現実の効果を国民に及ぼすためにあるのですから、その意見どおりにしたらもたらす効果が何か、どんな効果を期待しているかこそが重要です。
政治運動する人は、すべからくどのような効果を期待しているかの立場を明らかにすべきです。
古来からの祖法と言われた鎖国制度でさえも、明治維新で必要に応じて開国に変更したように、非武装論者が有り難がって已まない日本国憲法が日本の先祖が作った祖法や家訓であっても時代に合わせて変えて行くべきです。
まして、日本国憲法はアメリカが仮に善意で強制して作ったとしても、その条項が現実世界で合理的かどうかの検証すること自体を忌避する理由がありません。
これを被支配者であった日本人が金科玉条にして、もたらす結果の合理性の有無よりはアメリカの強制した憲法に反するかどうばかりを基準にするのは、不合理です。
古代から異民族支配したときに、属国の武器まで全部取り上げてしまうような酷い支配をするのは、その民族を消滅させてしまう目的のときだけです。
民族自決。国民主権精神の発達した現在社会で、日本の降伏/占領と同時に全面武装解除してしかも、将来にわたって一切の軍備を持たせないようにする憲法を押し付けたアメリカの意図は、工業生産の全面禁止とあわせてみれば、推して知るべきです。
話が変わりますが、強制されたかどうかに関わらず米軍占領によって改善された男女平等や国民主権等の精神など良いところはそのまま取り入れて行くべきでしょうがから、誰が作ったかではなく、要は内容の合理性を基準にすべきです。
永久的に非武装化を目指した部分は、独立を保つべき国際基準(主権国家の尊重)から見ても非合理ですから、変更して行くべきです。
非武装論者と重なる左翼文化人は、何かにつけて「世界ではこうなっている」「国連人権規約ではこうだ」世界標準主張が大好きなのに、どうやって日本民族を守れるかの議論なると「憲法に書いてある」と言うばかりで議論から逃げているのは、非武装で自国を守れると実践している民族や学説は世界中探しても皆無だからではないでしょうか。

戦争と平和3(非武装平和論6と民族自決3)

EUのように相互に軍備を縮小し、国境の壁を低くして行く相互関係があるならば非武装論も意味がありますが、極東の場合そう言う環境にはありません。
(それでもEUにはナトーと言う軍事同盟があって現に活躍しています・・ロシアの脅威にさらされるウクライナがこの軍事同盟に入って保護を受けたがっていることは周知のとおりです)
日本への報復感情を植え付ける教育をしている中韓が存在する環境下で、日本だけが軍事同盟を断り、非武装化して行くべきと言う意見は、国・民族の安全をどう考えているかを明らかにする必要があるでしょう。
憲法に書いてあると言うだけでは必要な議論を避けて・・逃げているとしか言いようがありません。
憲法解釈を主張するだけならば、憲法学者や弁護士は一般人よりは詳しいかも知りませんが、その結果どうなるか・・それが日本民族にとって好ましい結果どうかについての判断能力が優れている訳ではありません。
(2014/09/07「弁護士会の政治活動1」前後で弁護士会や学者が政治運動することに対する批判を書き始めていますが、このコラムもそのシリーズの途中です)
周辺に日本侵略を狙い現に竹島を占領し、尖閣諸島で実力行使を始めている国があるのに、非武装・非同盟を選択すると、どう言う結果を招来するかこそが議論の対象となるべきです。
現実に危険が発生している状況下で、非武装で且つ集団自衛権反対論者は、祖国を守るために戦うよりは、一戦も交えずに平和裏・・無条件降伏に導き異民族支配を望んでいる勢力ではないかと疑う人が多いのではないでしょうか?
主権国家の基本的定義の問題ですが、自国防衛権は主権国家→民族自決の基本的要件です。
異民族の武力支配下に入るのでは、国民主権国家でなくなってしまうからです。
ですから国連憲章でもどんな学者でも、主権国家である以上は自国防衛のための軍備保有を否定する意見を見たことがありません。
国連憲章を見ておきましょう。
以下は10月12日現在のウイキペデイアからの引用です。

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。
この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。
また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」

— 国連憲章第51条

「常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された[4]。
このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った」

上記のとおり固有の自衛権も集団自衛権も国連憲章で保障されているし世界中で誰もこれに異論を唱えていないのに、日本だけが保障されていない・・その根拠は日本国憲法にあると言うのです。
ただ、非武装論者の拠り所は、その意見のもたらす結果を全く論じないで、日本に限っては「憲法で禁止しているから集団自衛権は、違憲だ」と言うに過ぎません。
日本の安全保障にとって集団自衛権行使は、国際法的にも死活的重要性があることは明らか・・不要とする意見は(日本左翼を除いて)世界中で皆無でしょう。

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