個人崇拝2(毛沢東語録)

芸術品でも〇〇会の創設者など業界の力関係で高値がついている場合もあるので、死後一定期間経過+そのグループがなくなった後の評価こそが本物と言われるのと同じでしょう。
このような価値観が一般的な日本にも現世利益優先価値観の人ももちろんいますので、チュチェ思想を信奉し研究?する組織が教職員組合を中心に多い?ようです。
毛沢東語録のご利益宣伝が一時1世を風靡しましたが、文化大革命の悲惨な実態が知られるようになると、毛沢東語録を勉強していますといっても本家中国で大事にされなくなったので流石にその種の本も売れず、勉強会も減ったようですが、当時毛沢東語録を推奨していた進歩的?学者が、学者をやめたとは聞きません。
当時の有名学者を思い出せませんが、毛沢東語録でウイキペデイアを見ると当時の有名翻訳者が出ています。
賞賛していた学者とは限りませんが・・以下の通りです。

和田武司他訳 『毛沢東語録』(河出書房新社 1966年)
社会主義研究所毛沢東語録研究会訳 『毛沢東語録』(宮川書房 1966年)
竹内実訳 『毛沢東語録』(角川文庫 1971年・平凡社ライブラリー 1995年)
中嶋嶺雄訳 『毛沢東語録』(講談社文庫 1973年)
林茉以子訳、WIPジャパン監修 『超訳・毛沢東語録』(ゴマブックス 2013年)

例えば、上記竹内実氏をウイキペデイアで見ると以下の通りです。

第二次世界大戦後、京都大学文学部中国語学文学科卒業、東京大学大学院修士課程修了と同時に社団法人中国研究所へ入所。東京都立大学助教授、1975年京都大学人文科学研究所教授、87年定年退官、名誉教授、立命館大学国際関係学部教授、北京日本学研究センター教授、杭州大学日本文化研究所、松阪大学教授[1]。
1960年(昭和35年)には野間宏などと共に中華人民共和国を訪問し、毛沢東と会見している[2]。
1992年(平成4年)に福岡アジア文化賞 学術研究賞を受賞。
1987年(昭和62年)から1994年(平成6年)まで現代中国研究会会長を務めた。2013年7月30日、京都市内の病院で死去[3]。90歳没。

毛沢東全盛時に会見したり、現代中国研究会の会長を長年やっていたようです。
中国進出企業が増えるのに比例して各種実務界で行なっている調査報告が百花繚乱状態になっていますが、目先の実務の指針のための調査と違い、本質を抉る学問的研究も必要でしょう。
「ヨイショ」するための研究会ではないとしても、研究?の成果を誰も読まない・・日本社会に還元できていないのではないでしょうか?
現代中国研究会でをイキペデイアで見るとこの約20年の業績として

1975年から1987年に竹内実が京都大学人文科学研究所において主催していた「共同研究会」を母体とする。
現代表の吉田富夫は、中国人作家の莫言とメールをやりとりしたり互いの自宅を訪問しあうなど親交が深く[1]、同会の「公開講演会」では、1999年[2]、2003年[3]、2006年[4]、2011年[5]の四回にわたり、莫言がメインゲストとして招かれ、講演を行っている

という程度ですが、この程度のために国立大学教授たちが麗々しく研究会を運営する意義があるのか不思議です。
現在中国では、主席の任期制撤廃だけではなく毛沢東以来の個人崇拝を盛り上げようとして習近平も毛沢東語録的な個人崇拝の二番煎じを画策・実行に移していますので、その思想?の勉強会が日本でもまた盛んになれるのでしょうか?
メデイアの情報独占がネットによって終わったのと同様に、中国事情も企業戦士に限らず多くの人々が自由に中国へ往来している時代に入って、中国政府お気に入りの学者による情報独占状態が終わった影響が出ているのではないでしょうか?
6月16日現在のウイキペデイアに出ている習近平氏の個人崇拝運動胎動の骨格です。

習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想
習近平による新時代の中国の特色ある社会主義思想(しゅうきんぺいによるしんじだいのちゅうごくのとくしょくあるしゃかいしゅぎしそう、中国語: 习近平新时代中国特色社会主义思想)は、中国共産党中央委員会総書記である習近平が2017年に打ち出した政治思想の通称である。海外メディアからは「習思想」もしくは「習近平思想」と呼ばれる。「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、3つの代表(重要思想)、科学的発展観」に続く、中国共産党の指導思想である。
新しい指導思想は、ゆとりある社会の全面的な実現から一歩進んで、建国100年を迎える2049年には社会主義の現代化強国を築く」と強調した。
「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、3つの代表(重要思想)、科学的発展観」に続き、中国共産党の党規約にも盛り込まれた[3]。そして、2018年1月18日、19日に開かれた中国共産党第19期中央委員会第2回全体会議(2中全会)で、憲法改正案が議論され、憲法に明記されることが明らかになった[4]。

https://www.bbc.com/japanese/41731590

中国共産党、「習氏思想」を党規約に盛り込む 毛沢東以来の権威
2017年10月24日
18日から北京で開催されていた第19回中国共産党大会は24日、習近平総書記(国家主席)の政治理念を党規約に盛り込む改正案を承認した。習氏は毛沢東以来の権威を手に入れた。

ウイキペデイアと違い、BBCは毛沢東以来の権威を入手したと明白に報道しています。
毛沢東と鄧小平以来の傑物と自己賛美し、国際社会では49年には世界の覇者になると宣言したもので漢文風に言えば「夜郎自大」の表現であり、日本風に言えば「おこがましいぞ!習近平」と言われるでしょう。
このおこがましさ(神の声?)を恐れて自粛するのが日本社会ですが、漢民族ではこのような自己規制が働かない社会・・強ければ何をしても(どんなに残酷なことでもし放題)良い社会でずっときました。

チュチェ・主体思想2と個人崇拝1

私は個人崇拝の好きな人たちは、芸能人などスターに熱を上げるファンと同じタイプか?と昨日最後に書いているときには思ったのですが、身近で知っている人たちの顔ぶれを思い浮かべるとそういうこと・・ミーハー的芸能人追っかけ系とは縁の薄そうな顔ぶればかりです。
そこで個人崇拝に関するウイキペデイアの解説に頼ります。

個人崇拝(こじんすうはい、英: Cult of personality)とは、個人を崇拝の対象に据える政治的行為、またはその様式である。ソビエト連邦指導者ニキータ・フルシチョフが1956年に「個人崇拝とその諸結果について」(ロシア語: О культе личности и его последствиях)と題された秘密演説で前指導者ヨシフ・スターリンの政治体制をこう定義したことで広く知られるようになった[1]。
一般的に革命を経験した体制下で起こりやすく、とりわけ共産主義が権力を握った国々で顕著に見られる[2]。共産主義の創始者であるカール・マルクスは生前に自身への「個人崇拝」を戒めており、政治的な意味合いで初めてこの言葉を使用した[3]。ソ連外の共産主義国・共産主義政党には特にコミンテルンを通じて拡散され、中国の毛沢東、フランス共産党のトレーズ、北朝鮮の金日成(北朝鮮の個人崇拝)などが代表的事例とされる[4]。第三世界におけるカリスマ的指導者や民族主義運動指導者たちへの英雄崇拝、ファシズム運動における指導者原理にも指導者崇拝の様式が見られる[2]。
上記ウイキペデイアの解説に行き当たって、芸能系スターに自己同一化するパターンとは何処か違う原因がようやく理解できました。

個人崇拝はスターリンの始めた支配道具であり、左翼系にこの種運動に熱を上げる人が多いことからもウイキペデイアの説明から納得できます。
スターリンに対する忠誠心を証明するためにこれに熱を上げていたところ、本家本元の個人崇拝が否定されたので、その穴埋めに北朝鮮の主体思想と言う名の将軍様崇拝運動が興り中国では毛沢東個人崇拝が起きた流れのようです。
毛沢東の個人衰廃運動が、大躍進政策失敗により本家の中国で色あせた反動で、紅衛兵運動〜文化大革命という時代錯誤運動が起きたのですが、大革命と名称だけ進歩を目指すかのように名乗りながらも、内容実質が古色蒼然たる超反動運動だったことが証明されました。
北の主体思想によって北朝鮮社会が、世界より進歩したでしょうか?
進歩という(左翼系をメデイアでは進歩派学者とか進歩的文化人と美称しますので)概念自体意味不明ですが、国民の生活が豊かになったかの基準で見れば、北朝鮮は世界の生活水準向上から取り残されて来たとは厳然たる事実ではないでしょうか?
この豊な時代に北朝鮮では餓死寸前の人々が何十マン人もいる現実を直視する必要があるでしょう。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019051300949&g=int

韓国大統領、緊急人道支援を支持=北朝鮮の食料難
2019年05月13日20時54分

個人崇拝に戻ります。
日本でも家康が死後に「神君」と言われる絶対的崇拝対象になりましたし、熊本に行けば、清正公神社があるし、東京にも乃木神社や東郷神社などいろんな人が神になって祀られていますが、(評価は死後に定まるというルールがありますので)全て死後のことですし日本では八百万の神の一人に過ぎず絶対的権威を持つものではありません。
地方旅行すると地元の発展に尽くした人の顕彰碑があり、展示施設があるので、こういうのを見学出来るのが楽しみですが、戦後は神社から顕彰碑に変わった程度の印象です。
日本では偉かった人も死亡してから評価が定まり尊崇の対象になるだけであって、権力者自身が権力を振るうために神様扱いを要求した人はないでしょう。
ところが左翼運動家になると生身の人間への忠誠心競争のために?崇拝が重要なようです。
個人崇拝・忠誠心の証のために毛沢東語録研修会や勉強会やチュチェ思想勉強会(何を勉強するのかな?・語録の端々を暗唱したり感激したりする発表会?)などの参加率が試されるのでしょうか?
死亡後に祀るのは、自己と権力との近さによって直接利益を求めるのでなく対価を求めない純粋な尊敬のイメージですが、現在権勢を振るう人物をこれ見よがしに崇めるのって、日本人の多くは(民族の振る舞いといっても大方をいうもので例外がいます)恥ずかしく感じるでしょう。
お墓まいりや病気お見舞いが重視されるのは、生きているときには頻繁に出入りし飲食を共にしていたのに病気してこの先がないとなれば疎遠になる人や死亡後は知らん顔をするのが嫌われるのは「利害で結びついていただけ」という露骨な態度に不快感を持つ人が多いからです。
この頃お墓不要論が出てきたのは、得るところがあるから交友していたのであって利を得られなくなれば、交友がなくなるのは当たり前!という功利主義が蔓延するようになった結果でしょうか?
死亡後のお墓まいりも真意を探れば「私は義理をきちんと果たす人物です」と周囲に宣伝する長期的効果を狙っている点では同じでしょうが、そうはいっても何事も婉曲的表現が尊ばれる社会です。
あまりにも直接的な表現・ゲンキンな接し方は今でも嫌われます。
崇拝される方も現役の時に部下から銅像など立てる話が来たらキマリが悪く辞退したいのが日本人多くの感覚でしょう。
ルーマニアのチャウセシスク大統領だったか?失脚と同時に銅像が引き倒される映像が出ていましたが、現世権力の力でおべっかを強制していただけ・民の自発的尊崇心ではないのでは浅ましすぎませんか?
現世権力が亡くなった死後の顕彰こそが本物です。
チャウセシスク大統領に関する本日現在のウイキペデイアの記事です。

1980年代末、一般市民がろくに商品が無い商店の前に長い行列を作っている中、チャウシェスクが商品でいっぱいの店に入り、大量の食べ物を抱えて芸術祭を訪問する対照的な姿が国営テレビで度々放映された。
食糧配給のための軍の派遣部隊は、チャウシェスクが訪問する店へ先回りし品物を補充して「チャウシェスク政権によって達成された高い生活水準」を演出し、またある時には、チャウシェスクが訪問する農場に国中から手配した栄養十分の畜牛を放ったりもした。
1989年当時、ルーマニア国内のテレビでは「記録的豊作である」と宣伝されたが、当時の平均的なルーマニア国民が経験した窮乏との落差・矛盾はどうやっても説明がつくものではなかった。
1985年、ソ連でミハイル・ゴルバチョフが推進するペレストロイカの影響で東欧でも自由化・民主化の機運が高まると、なおも個人独裁に固執するチャウシェスクは国際社会で一層孤立することになった。東西両陣営から欧州統合の障害とみなされ、第二次大戦後初となるGCBの剥奪にまで至っている
革命と最期

    略

なんとなく今の北朝鮮社会を彷彿させる情景で、周辺におべっかの得意なものを集める危険性です。
国民利益無視で一刻でも長く政権を維持したい・・私益を守るための政権と達観すれば、意味がありますが・・。

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