第二次世界大戦後の経過から見た客観的検証2

果断な改革をするための力を付けるためには先ず組織内で出世する・・力を付けるためには旧体制で功績を上げる必要があるので、改革成功後に旧体制協力者だったと批判するのは間違いです。
危機に陥った企業立て直しも同じで次期社長が旧体制で出世したエリートだったと非難しても始まりません・・彼が社長就任後どのような手腕を発揮するかで評価すべきです。
日本の役割も途中経過よりは結果から見るべきでしょう。
韓国で好きな過去批判がまかり通っていて、過去を糾弾されていつでも失脚するのでは内部から改革に邁進し協力する軍人(一定の軍を動かせる地位に昇進していなければ何も出来ません)もいなくなってしまうでしょう。
近くはゴルバチョフやエリツイン、フランス大革命・ロシア革命であれ何であれ、改革功労者は全てその前の体制である程度地位を得ていた人ばかりですから、彼らを政権樹立後いつも抹殺する仕組みでは怖くて革命軍に呼応出来ません。
完全野党・・一回も政府機関で働いたこともないような人材ばかりで出来た政党に政権が移れば良いと言うは容易いですが、それでは実務能力がないので混乱してしまいます。
歴史を見れば、政権内にいた足利氏が実務能力があったのに対し、完全野党の楠氏や冷や飯食いだった新田氏が実務能力がなくて(勿論後醍醐帝自体政治の経験がありません)傍流に追いやられ、最後はジリ貧になった歴史を見ても分ります。
最近では日本の民主党が漸く政権を取った後のていたらくを見れば分ります。
韓国は5年に一回大統領が入れ替わり、しかもその都度前任者が追及を受ける社会ですが、これだからこそ、実務能力の継承が出来ないのでいつも(学者の意見による)短絡的政治しか出来ないのでしょう。
日本は明治維新後欧米に対抗するためには日本1国では無理なので共同で欧米に対抗しようと朝鮮に提案をしましたが、李氏朝鮮は当初は清朝保護下で充分と主張して近代化に応じず逆に開国したことを非難して来る始末でした。(これが征韓論になった背景です)
清朝が衰退すると今度は「ロシアの保護下に入る方が良い」と言って自国の近代化(専制体制の維持が目的で国民のことなど全く考えていなかった点は今の北朝鮮の将軍様体制維持が至上命題の思想と同じです)に反対したことから、韓国内の協力を得て併合に至ったものです。
そうしたいきさつから、日本の場合欧米の植民地支配方法とは違い、韓国や台湾の民力を如何に近代化して早く引き上げるかの方策・・・欧米植民地の愚昧化政策の逆・・現地人教育に精出したり現地での工業化を進めた点・・元々欧米によるアジア侵略に対して共同で戦おうとする目的からして当然です・・が根本から違っています。
第二次世界大戦後の経過とその前の日本の支配地政策の効果を見れば、欧米の植民地政策より良かったことは歴然です。
日本は当時主流の欧米的支配体制を真似したものの内実・目的が違っていたことは、戦後の東南アジアの開放・経済離陸が実現出来たことで明らかになっています。
中韓は今になって、日本のあら探しのために欧米型植民地概念を持ち込んで酷いことをしたと抽象的批判を繰り返しますが、事実を1つ1つ見ればどんな酷いことがあったか何も指摘出来ていません。
(韓国は慰安婦問題を言い募っていますが、これも事実に基づかない自国の売春婦問題のすり替えでしかないことが最近では分ってきましたし、中国の主張する南京虐殺も事実がはっきりしません)
中韓はありもしない史実をでっち上げては、欧米型植民地支配にすり替えて国内対策状スローガンとして叫んでいるだけです。
根拠のない誹謗中傷を叫べば叫ぶほど、内政の失敗を世界中に宣伝していることになるのを気づかないようです。

第二次世界大戦後の経過から見た客観的検証1

世界中が欧米の植民地化されて行く情勢下で、アジアの日本だけが唯一これに抗して近代化を遂げて世界初の欧米・・それも列強の1つに勝ったことになる日露戦争を経て欧米からの対日(アジア)警戒を呼びました。
それまでの日清戦争などはアジア人同士の仲間割れ・・欧米が侵略する糸口になるくらいで見られていたのです。
(実際日清戦争に負けた清の弱体化につけ込んで欧米の露骨な浸食が始まり・これを半植民地化と習いました)
日本が欧米にマトモに対抗するために更に力を付けるには、清朝支配地域からの欧米駆逐によって力を付けるしかなかった・・・これによる東南アジアを含めたアジア全域の植民地解放を目指すのは平将門などの例を見ても当然のことです。
アメリカは日本が清朝支配地域で地盤培養することに警戒を示して、清朝支配地域での機会均等・門戸開放要求を始めました。
この要求を日本が拒んだ結果、アメリカによる制裁を受けて、(中央に抵抗する平将門のようなものです)ついに刀尽き矢折れて屈服したものであって、第二次世界大戦は欧米の植民地化に抵抗するアジア勢力を根絶やしにした戦争であったとも言えます。
(以上は日本に最大有利に解釈した場合のことで、別のいろんな解釈が当然あり得ます)
言わば植民地支配維持勢力の完勝に終わったのですから、アメリカの南北戦争で言えば奴隷解放を主張した勢力が逆に負けた場合に似ています。
しかし、時代の趨勢は日本の主張に従って動いて行くしかない(日本は短い期間ではあったもののアジア地元民を教育し、武器訓練もしてしまった)ので、戦勝国は植民地維持に必死でした。
結局オランダ(インドネシア)やフランス(仏領インドシナ)イギリス(ミャンマーやマレーシア)の各植民地は次々と独立を果たして行く結果になりました。
欧米植民地支配諸国の必死さの裏返しで、如何に日本軍は支配地で残虐なことしたかの裁判や執拗な宣伝が行われました。
これに呼応して嘘八百を執拗に宣伝し続けているのがアジアでは中韓だけであり、その他のアジア諸国は欧米の嘘の宣伝に全く協力しなかったことを、2012/11/01「アメリカによる歴史ねつ造6と非協力国」前後のコラムで紹介しました。
台湾にいたっては、戦後新たな占領軍となった国府政府がこれをやろうとしたところ、実際に日本支配を受けて来た地元民の反対で撤回せざるを得なくなったこともそのコラムで紹介しました。
日本が明治維新以降、欧米の侵略に抵抗するために国力を付ける準備をして行く過程で、そのときの支配者である欧米の流儀で自分の力を付ける必要があったのは仕方のないことですから、それ自体非難するのは論理的はありません。
・・伊達政宗だって平将門だって、中央に抵抗するためには先ず当時の支配的流儀・・さしあたりその支配的思想に乗っかって周辺支配を増やして行くしかないし、そうして行かないと力を付ける前につぶされます。
ソ連のゴルバチョフでも誰でも改革の実行のためには、共産党内で力を付けておくことが重要でそのためには先ずは共産党の方針に忠実に職務をこなして出世し、内部に支持者を作っていなければ話になりません。
福田赳夫総理が日中条約の締結出来たのは、それまでの言動で「右翼に絶大な信頼があったから右翼を抑えられた」という意見が、日経新聞で連載中の森元総理の「私の履歴書(12月16日朝刊)」にあります。
フランスのアルジェリア独立承認も右翼に絶大な支持基盤のあったド・ゴールでこそ出来たことを09/01/04「社会党の経験2(政権獲得の王道2)」に書いたことがあります。
日本は欧米に対抗するためには、先ず地盤強化が必要なので欧米の流儀を真似して近代化し、市場を広げて国力増進という欧米の流儀から始めていたので、この中間地点・・植民地支配をしたと中韓に強調されて非難されていますが、こうした批判の仕方はそもそも間違いです。

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