ハングルの普及と漢字放棄

高度な熟語は専門家だけがけ分かればいいという政治姿勢について続けます。
政治は政治家だけで通じる専門用語で議論すれば良い・素人・国民は議論に使われている言葉すら知る必要がないと言うのは、いわばヤンパン・エリート支配の復活を目指したものというべきでしょう。
専門用語は専門家だけが知ればいいという思想によれば、例えば国会論争は政治家同士が素人には分からない専門用語を駆使して論争しているのだからプロの政治家に任せておけばいい・・という方向になります。
民主国家ではそうも行かないのでメデイアには報道する必要がありますが、メデイアはそのまま伝えてもどうせ素人には分からないという圧倒的世論の社会ではどうなるでしょうか?
・・我が国の例・・例えばTPP交渉であれば、どう言う論争があって、A論B論C論のそれぞれの意見によればこのようになるとか、どう言う利害があるかの具体的報道を怠り(あえてしないで)「農業を守れ」とか「売国奴」とかの感情論の報道で一定方向へ世論誘導するのが簡単になります。
我が国の知識人?はエリート意識が拠り所ですから、素人は文化人?の主張を感心して聞いてればいいという図式を重んじています。
なにかあると「文化人?」多数の署名意見発表とか、共謀罪法や集団自衛権論では「危険だ」「近代法に反する」とか「戦争法案」という抽象論(アジテート)ばかりで、具体論を一切言わない奇妙さを何回も書いてきました。
メデイアも法案の具体的内容を一切あるいは殆ど報道しないで、いつも審議時間が少ない、議論が足りないと強行採決はどうのというムード的批判報道ばかりです。
憲法学者や法律家の声明ですら殆ど内容に触れないで戦争法案反対というばかりです。
権威主義社会の韓国では大学教授という肩書きの威力がすごいと言われますが、日本でも革新?系はこれが好きで憲法学者連名の声明文発表など肩書き重視です。
文化人?やメデイアでは、「安倍政権を倒す」という目標では一致していますが、そのために政策論争を挑まずスキャンダル探しに狂奔しているのは、(レベルの低い)国民には政治論など分かるはずがない」という一方的決め込みが前提らしく、答弁が下手だと言っては政治責任を問い、スキャンダルや癒着ならば愚昧な庶民でも分かるという仕掛け・・森友・加計学園などムード報道ばかりで政権を追い込んでいます。
メデイア合作の強みで安倍政権と自民党支持率が激減したと報道されましたが、国会追及で頑張ったはずの民進党支持率はさらに下がって党存亡の危機になっている結果を見れば、国民は本当の政治論争を望んでいることが見て取れます。
日本国民はレベルが高いので、政治家には日本がどうあるべきかの政治論を戦わせているところを聞かせて欲しいのですが、メデイアと民進党はこれを一切しません。
国会中継でも大事な政策論議を一切報道しない偏り方です・・獣医学部新設の必要性に関して今回の癒着報道の10年以上前から岩盤で進まなかったというのですが、どこのメデイアがスキャンダルと関係のない段階で純粋な政策論として報道していたのでしょうか?
大臣の答弁が下手だとか、揚げ足取りになるとすぐに過熱するするメデイアのあり方・・これが政治・国会論戦の主要テーマであるかのようなメデイアのムードづくりに多くの国民は誘導されて(テレビ等のコメンテーターが「こんなのおかしいよね」という話題を垂れ流している・・これがトレンドならば、自己保身上「先ずは同調しておこう」という空気で政権支持率が下がっていますが、それと政治家に求めるものは別・・国民を馬鹿にしている本質を国民に知られてしまったのです。
支持率低下と言ってかけ学園問題の政府説明に納得しますか?と聞かれた後で政権支持の有無を聞かれると政府説明に納得しない人は支持しない方向へ答えが来るような仕掛けになります。
説明不十分と思っているが、それと政権支持と関係ない・自分は政策本位で決めると言い難い流れを作って強引に支持率を決めつけていく流れです。
こんなまやかしの加工報道をアテにしているから、旧社会党は消滅し民進党は無くなりそうになっているのです。
政権を競うならば政策論争で国民の審判を仰ぐべきです。
スポーツその他すべて競技(五輪競技場の設計審査も)の勝敗(芸能人は人気で生きている以上別ですが・・)はその競技で勝敗を決めるべきであって、その選手の家柄や私生活によって勝敗を決めるのは邪道です。
スキャンダル探しに熱を上げて練習を怠って本番で負け続けるスポーツマンみたいになっているのが、旧社会党であり民主党〜民進党です。
メデイアは初の女性〇〇などと、能力外のことを過大に報道し過ぎです。
メデイアや文化人はエリート意識の強い高学歴者人が多いので、「レベルの低い国民相手に合理的議論を紹介しても意味がない」という上から目線で政治動向を興味本位?で報道しているように見えます。
国家の重要な法律案などを審議する姿よりは、スキャンダル探しの議論の方がテレビの脚光をあびる・まさに衆愚政治に陥るようにメデイアが煽っているとしか思えません。
メデイアは政治論の甲論乙駁を紹介するよりは、スキャンダル探ししかしなくなった結果、この十数年間ではいわゆる「身体検査」と称するものが政治資質の有無よりも最優先事項になってしまっています。
この結果、政治家任用もその人の政策実現能力よりは、スキャンンダルで集中砲火を浴びないような人材・・官僚のようにソツなく答弁する能力優先で枢要な役職が決まって行くのでは、国家の不幸です。
こんなことでは、真面目に天下国家のあるべき姿を考え努力するよりも、ソツなく生きる器用な人だけが政治指導者になる社会が来てしまいます。
政治家はどうあるべきかの基準をメデイアが事実上作って、「ツノを矯めて牛を殺す」ようなケチな基準を報道して日本社会を腐らせてしまう・・衆愚政治に誘導している面があります。
日本民族を腐らせてしまうためにどこかの手先になって運動しているのではないかの疑いをいう意見が出て来る所以です。
専門用語を庶民もよく知っているわが国ですら、(本当に国民が知るべきことをあえて報道しない)メデイアによる一種のフェイクニュースの氾濫でこういう状態になっています。
たまたま8月4日事務所でちょっと手の空いたスキにMSNニュースを見ると、マサに私の関心と関連する・・事実報道しないNHK批判記事が出ていました。
この引用は自宅に帰ってからこの文章を書いたのが昨日20時33分ですから、14時間前の発信記事となります。
JBpress
森 清勇14 時間前
  加計選定「一点の曇りもない」証言を報道しないNHK
 問題の本質は、(1)獣医学部新設の必要性と規制の現実、(2)認可に至る手続きは公正に行われたかの2点である。
与党委員は岩盤規制で必要性が阻害されているのではないかとの視点から首相や官房・内閣府、そして民間の参考人に問い糾した。
 他方、野党はもっぱら「総理のご意向」や「官邸の最高レベル」という文科省内に見つかった文書から読み取れる首相の圧力があったのではないかとみて質問した。
 この過程で、獣医学部新設に当っては関係する省と団体の圧力は相当なもので、首相のリーダーシップをもってしても容易に崩せない実態が浮き彫りになった。
24・25両日のNHK「ニュース・ウォッチ9」は、首相と加計氏の会食が異常に多かった、加計学園が申請したのを首相が知ったのは今年1月20日かなど、決定過程に疑惑があるとみる野党委員の質問や、「加計ありき」とする前川喜平参考人の発言などを中心に報じたが、問題の本質である必要性や半世紀も正されずに来た岩盤規制、そして正当な手続きで加計学園に決ったとする参考人の発言はほとんど報道しなかった。」恐るべき偏向報道ではなかろうか。NHKの報道姿勢が偏向していると指摘されて久しい。しかし、一向に改まる気配は見られない。
 「7月10日の閉会中審査を終えて、筆者はJBpressで、「加計学園問題の審議はもう不要、安全保障論議を! 行政は歪められたのではなく正された、前川喜平氏こそ問題の中心」として取り上げた。
しかし、国民の多くはニュース番組としてのNHKを視聴して、政党主張の是非や政治の正邪を判断するに違いない。それ故にNHKには民放と異なる要求が放送法で課されている。」

日本統治・義務教育化によるハングルの普及

ただし世宗がハングルを導入するためには「表音文字に過ぎない」と言い訳するしかなかったほど周辺支配層の反対が強かったことから分かるように・・・支配層は欧米の異民族支配と同じで既得権益死守のために・庶民のレベルアップを阻止するためにハングル普及を極力妨害して1900年ころまで成功してきたようです。
この結果、朝鮮ではハングル文字が「ある」というだけで、日常的利用に発展できていませんでした。
日常利用されていなかった結果・・・ハングル表記ルールさえ決まっていなかったのですが、文字利用のルールがないと混乱しますので、後記のとおり日本政府がハングル文字の教育を始めるにあたって1912年に日本政府が制定した「諺文綴字法」によります。
それまでは「いろは」のようなルールすらない状態でしたが、日韓併合後朝鮮人民レベル底上げのためには、日本同様の教育制度化を必要として学校制度の構築に力を注ぎましたが、文字を見たこともないような人を相手に漢文の授業では無理があるので、漢文読解力及び漢文での文字表現を庶民全部に求めるのは無理があることから、日本のような漢字仮名交じり文の発想・・朝鮮には古くからハングル文字があることに目をつけてこれを整理しルール化(諺文綴字法)してハングル教育を強力に推し進めたのでこれが庶民に普及するようになりました。
朝鮮民族の言語は古代からあるのですが、考えを文字表現できるようになるとならないのではその後の文化発展には大違いです。
思考の途中で文字化するとその先に思考が進みやすくなるだけはなく脳内概念での整理も進みますので、文字を持つ民族と持たない民族とでは人間とその他の動物との分化に匹敵する・・人類が言語会話能力を持ったことによって、その他動物との知能格差が生じたほどの格差が生まれます。
朝鮮で庶民向けハングル文字の教育システム化によって庶民に文字文化の普及が始まるとすぐに庶民向けの流行本・いわゆるタクチ本が発行されるようになった結果がこれを示しています。
日本では古代から庶民向けの絵草紙や歌舞伎,浮世絵〜落語その他多くの文化が発達したのは、庶民向け文字の発達によるところが大きかったと思われます。
西欧ルネッサンスの始まりとなるダンテの神曲は、ラテン語ではなく地方言語であるトスカナ語で書いたことが重視されるのはこの点にあり、・.これを中学生の時に習ったときに自国の文字文化に慣れ親しんでいた私はこの事自体・自民族の文字表現がなかったことに驚きました。
・・西欧は、以後ラテン語の呪縛から逃れて身近な言語文字を介して日常の事象を浅く広くあるいは深く思考するチャンスを得られることによってその後約4〜500年後に宗教への懐疑〜モンテスキューなどの思想家を生み、市民革命やイギリスの産業革命につながったことになります。
8月2日現在のウイキペデイアの記事からです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE
「李氏朝鮮は清国の従属下にあり漢字が重視される一方、ハングルは軽視され、公文書でも採用されることもなかったが、李朝末期(1886年)になって開化派と井上角五郎の協力により朝鮮で初のハングル使用の新聞・公文書(官報)である『漢城周報』(1886年創刊)が発行された[37]。また、一般人(特に女子)のための教育機関は皆無で、大多数の朝鮮人は読み書きができない状況だった[38][39]。
日本統治下になると学校教育における科目の一つとしてハングルと漢字の混用による朝鮮語が導入されたため、朝鮮語の識字率は一定の上昇をみた[40]。1911年に朝鮮総督府は、第一次教育令を公布し、朝鮮語は必修科目としてハングルが教えられることとなった[41]。朝鮮語の時間以外の教授言語としては日本語が使用された。総督府は1912年に、近代において初めて作成された朝鮮語の正書法である普通学校用諺文綴字法を作成し、1930年には児童の学習能率の向上、朝鮮語の綴字法の整理・統一のための新正書法である諺文綴字法を作成し、それを用いた。識字率の上昇によってハングルで書かれたタクチ本が1920年代から1930年代にかけて流行した[42]。
いわば庶民ほぼ100%の文盲状態脱皮は、日本政府によるハングル教育開始・強制によるものでした。
この成果で、以下に紹介するタクチ本の大ヒットでもわかるように、庶民の思考力や表現力が急速にレベルアップして行きました。
政治的方便としての公式意見としてはハングルはまさに発音記号でしかないのですが、ハングルが日常的に使われるようになれば、表音のみでは不便なのでなんらかの意味が入ってくるのは、自然のなり行きでしょう。
他方でハングルには同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。
上記タクチ本とは、恋愛小説どのジャンルがあるようですから、相応の内面表現ができることになります。
タクチ本に関するhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%AF%E3%83%81%E6%9C%ACによれば、『洪吉童伝』『沈清伝』『春香伝』といった古典小説[1]のみならず、『長恨夢』などの新小説[1]、『金庾信実記』など歴史上の人物を扱った小説[1]、1923年に悲恋の果ての自殺(情死)事件 (ko:강명화 자살 사건) を起こして話題となった平壌の妓生・康明花(カン・ミョンファ)を題材にした小説[3]などがある。このほか、ジョーク集[1]や、さまざまな歌を載せた雑歌集[1]、『怪傑張作霖』(1929年初版)など同時代の人物を扱った評伝[1]も出版された。」
というのですから、結構高度複雑な内面の葛藤などを表現出来ることが分かります。
考えてみれば、源氏物語などの古典を我々多くは漢字仮名交じり文の印刷で読んでいますが、平安女流文学の数々の原典は(特に百人一首で知られる和歌など)平仮名で出来ているのではなかったでしょうか?
どの程度の漢字が混じっていたかについては、古代には今のように印刷技術がないので、写本を繰り返す都度、文意がわかり良いように漢字が増えて来る傾向があるらしく、元々「薫」大将などの人名や官名などは漢字中心だったとも言われますし、全部ひらかなだったのかすらちょっとネットで原典を探した程度では分かりません。
それまで漢字ばかりだったのが、せいぜい漢字仮名混じり文が正々堂と発表された程度だったのかもしれません。
枕草子をネット見ると原文とは書いてあるものの(「〇〇本」ということで文字どおり作者が書いた原本ではありません)漢字が結構使われています。
上記の通り情感表現程度は表音文字で何とかなるとしても、現在の各分野の専門用語・・術語になってくると簡潔な熟語が必須ですから、漢字放棄の不都合が顕在化するはずです。
ちなみにパソコン用の文字数で言えば以下のようです。
例えば我々の法律用語でいうと一々ひらかなで書いているとまどろっこしくていけません。
それならば、専門家同士でだけ分かれば良いじゃないかと思うでしょうが、・韓国ではこの考え方で庶民には必要がないという公式立場です・・消費者に対する説明が必要な時代です。
医師や弁護士が説明する場合、専門的用語またはその周辺言語を客がある程度理解している・・専門用語の説明をするには周辺用語の理解能力の高い人の方が説明の正確性が得られます。
感情的な結論の報道しかできません・これでは民主政治の本来の意義が実現できません。
MRIを撮る説明でもその仕組みをコマゴマと説明せずとも、レントゲンを知っていれば、それとの違い程度の説明だけですぐに患者が必要性・高度性を理解出来ます。
このように周辺専門言語理解があってこそ先端言語も理解し易いのです。

外からの民主化と自力発展能力1(民度)

昨日紹介したとおり、何百年も水車作りに挑戦しても実用品を作れない結果を見ると本当のことを言えない社会体制ばかりが原因ではなさそうです。
ものづくりができない・・民度レベルが数千年遅れている可能性もあります。
日本では種子島の鉄砲であれ、いろんな新製品が入ると既存技術の応用ですぐに作ってしまうレベルでしたし、思想や文化も入ってくると、そのものも受容するだけではなく日本式により良いものに仕上げていく社会でした。
朝鮮通信使がこっそりと水車その他日本の優れたものを絵にして持ち帰っても複雑な部品・曲げもの作りの技術を含めて受容レベルに達していないから、いわゆるパチモノ→パチモンづくりが限度であって本物を作れない民度レベルだったことがここに現れています。
日韓併合後日本の技術指導が始まってようやくまともなものを作れるようになったように見えます。
朝鮮から日本への定期的通信来訪は、日本古代の遣隋使・遣唐使の中世版ですが、日本の場合空海が仏像や曼荼羅・土木技術その他を持ち帰れば、すぐに仏像や仏画ため池など実現できたのが我が国です。
朝鮮族では、文字情報で持ち帰ってもそれを実現する総合的な技術が育っていなかったので何回日本に来ても意味がなかったということでしょう。
古代から朝鮮半島は漢の時代から直接支配地であって、漢王朝〜後継王朝の盛衰に伴って波が広がったり引いたり(支配力が落ちると地元に委ねたり)の繰り返しでしたが、元がモンゴルに引き上げた結果中原に生じた権力空白(明王朝が1368年に成立しましたが当初数十年は内部統一にエネルギーが取られます)に乗じて独立したのが李氏朝鮮ですが、1368年に成立していた明王朝に対しては、朝貢して属国の体裁を取りながらも一応独立した王朝になった歴史です。
漢民族直接支配の時代には、帝国の最東端であって文化伝播が遅いもののその時々の中国の文化支配が細々と及んでいた時には、20世紀に入って上記日韓併合によって直接技術指導を受けられるようになったのと同様でその時々の社会進歩にある程度ついて行けていたのでしょう。
李氏朝鮮成立後は朝貢すればいいだけで事実上没交渉(再び直接支配されないように最も警戒すべき相手国です)で直接支配を受けなくなると独自発展能力次第の社会に陥ります。
日本の場合これを利用して平安時代に独自の文化が花開き、鎌倉から〜室町安土桃山江戸時代へと順次の発展が続くのですが、朝鮮の場合そのまま停滞してしまったように見えます。
第4代世宗の時代になって周辺との格差に気づいたものの、宗主国明に行くのは介入を受けるリスクがあることから圧倒的な国力差のない比較的安全な日本から文化(特にひらがなに象徴される独自文化)や技術導入しようとしたように見えます。
第四代と言えば、日本の江戸時代で言えば綱吉が5代ですから(政変や病気等で1代の長さに差があるのですが概ね)ほぼ政権基盤が固まりその政権の独自性がようやく出てくるときです。
アメリカで言えば、大統領就任後100日は批判しないというのも、今では戦乱を統一するのではなく、整った官僚機構を引き継ぐので100日で足りるという考えなのでしょう。
日本ではこの時期に上方に頼っていた文化基盤が江戸に移り元禄文化になるのですが、李氏朝鮮では四代目になっても独自文化を育てられなかったので、焦って?日本への通信使派遣になったものでしょう。
李氏朝鮮に関するウイキペデイアの記事です。
「1392年に高麗の武将李成桂太祖(女真族ともいわれる[1])が恭譲王を廃して、自ら高麗王に即位したことで成立した。李成桂は翌1393年に中国の明から権知朝鮮国事(朝鮮王代理、実質的な朝鮮王の意味)に封ぜられた。朝鮮という国号は李成桂が明の皇帝朱元璋から下賜されたものであり、明から正式に朝鮮国王として冊封を受けたのは太宗の治世の1401年であった。中国の王朝が明から清に変わった17世紀以降も、引き続き李氏朝鮮は中国王朝の冊封体制下にあった。」
昨日紹介した通信使の記事では、1443年(正長元年・世宗25年)であり目的は「通信使の目的には日本の国情視察もあり、1428年(応永35年・世宗10年)の正使だった朴端生は、科学技術に関心の高かった世宗から日本の技術の調査を命じられていた」というのです。
国家樹立後約50年経過しても独自に発展する能力がないので、情報収集の必要性に気付いたものの、持ち帰った情報を活かす基盤がなかったので水車や荷車ひとつまとも作れなかったのです。
世界には独自に文化発展させる能力のある民族とない民族があって、朝鮮や中国人は自力で何もできない民族らしいのです。
明治維新当時の日本から見れば、古代社会がそのままあるような朝鮮の情景を写真等で今見るとに多くの人がその停滞ぶりに驚くでしょう。
米ソ冷戦時で言えば、ソ連や中国ではその間約40年間何の発展もなくて、自由主義諸国とは巨大な格差が生じてしまったことを想起して下さい。
中国が鄧小平によって解放されてみると戦争前の情景のまま(・・車が出始めたばかりの戦前に日本で走っていたようなゴツイ板張りのトラックがそのまま走っているなど)広がっているのに多くの日本人が驚きました・・中ソの偉大な発展を褒めそやしていた左翼文化人の虚偽性が白日の下に晒されたことになります。
中国は西域からの文物流入が止まると発展性がなくなったと何回も書いてきましたが、最近でもこういうことが起きていたのです。
もちろん道義も停滞どころか退化している状態で、日本ではまず泥棒から始まり生活態度が汚すぎるなど・・世界中で虚偽表示その他違法行為やり放題の印象をバラまいたので、・・南シナ海での不法占拠もその1態様です・・これが世界中で中国人の信用をなくしている原因です。
朝鮮通信使に戻りますと周辺国ではどんどん社会が進んで行くのが分かり、焦って日本へ通信使を派遣して日本で発展しているひらがなの実情や社会生活に必要な技術動向を探ることにしたものの、持ち帰った情報だけでは何をどうして良いか分からなかったのです。
自分が何もできない劣等意識を何とかするしかない・・結果的に根拠なく相手をバカにする知恵が付いたように見えます。
原発事故があるともう日本はダメだとむちゃくちゃな言説がそのまま流布する社会・・これを受け入れるレベルの社会です。
文大統領の原発中止に対する朝鮮日報の記事が・全くの虚偽主張に国民が簡単に踊ってしまう現状批判している状況を勝又氏のブログに引用されています。
朝鮮日報自身が、レベルの低い話だと認めて批判しているだけまだマシですが??
ともかく根拠のない扇動に簡単に乗ってしまう民度であることは間違いないでしょう。
こういう国で民主主義ってまだ無理じゃないの!というのが、最近の日本人大方の感想ではないでしょうか?

自民族言語表現の重要性4(ハングル2)

通信使の日本蔑視態度に戻ります。
通信使がはじまった元はと言えば倭寇取り締まり期待と進んだ日本文化・技術導入期待にあったことによります。
ひらがなという民族固有文字普及による文化底上げ・進歩を自国に取り入れる目的(この結果ハングル文字準備機運が盛り上がりました)で始まったものですし、江戸時代の再開は、日本の再攻撃が怖いので「よしみ」を通じておくとも日本再朝鮮攻撃準備を探る目的でした。
本音を知られたくない・・「ペコペコしにきた」と思われたくないから余計尊大にしているしかなかったのでしょうが、日本から見ると尊大なばかりでバカな連中だくらいで見世物的に思われてきたようです。
日本での絵画表現は異国からカッコウの見世物が来たという扱いです。
朝鮮聘礼使淀城着来図の一部『鶏を盗んで町人と喧嘩する朝鮮通信使』

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a8/Chosenjintsushinshi.png

 

 

この辺は今になると否定的研究をする人は少ないし、朝鮮に関しては本当のことが書けない・・(否定的意見を書くと反ヘイトスピーチ攻撃に引っかかる?自制)があって表面には出てきませんが、日本の実用的文物(水車等の動力利用や荷車その他)が日韓併合のころまで全く導入されていなかった結果から見て明らかでしょう。
韓国では独自の歴史教育がされていて反論が許されない状態で結果的に世界的に通用しない荒唐無稽な歴史教育が行われていると言われますが、そのやり方を日本国内教育に強制させようとする動きが急です。
上記図の解説も韓国寄り学者?によると肉食を知らない日本人が驚いたに過ぎない・・日本の方が遅れていたと言うすり替え解説になっていますが、絵の題名を見れば紛れもなく庭先に放し飼いしている鶏(犯罪の少ない日本社会の基礎レベル)を白昼公然と盗む公式使節のレベルの低さに驚く民衆の驚き・文化レベル差を表現したものというべきでしょう。
https://matome.naver.jp/odai/2136687169645192101による記事引用です。
学術論文ではなく、出典不明ですが一応の情報です。
「朝鮮半島の水車の歴史
1429 世宗11年12月3日 日本の水車が凄いと報告
1430 世宗12年9月27日 水車を造ろうとする
1431 世宗13年5月17日 「中国も日本も水車の利を得ているが我が朝鮮にはそれがない」
1431 世宗13年11月18日 日本と中国の水車の研究の記述が散見
1431 世宗13年12月25日 水車導入を試みる
1451 文宗元年11月18日 20年かけて水車の導入失敗
1488 成宗19年6月24日 水車導入の試み(成否不明)
1502 燕山君8年3月4日 水車導入の試み(成否不明)
1546 明宗元年2月1日 水車導入の試み。琉球(沖縄)と中国から福建式水車輸入
以後百年間水車の記述無し。
一方お隣り日本では、鉄砲伝来後3年目にはすでに量産体制。
1583 一方お隣り日本では、口径80㍉のファルコン砲を量産開始(大友宗麟)
1650 孝宗元年5月15日 水車導入の試み 30年記述無し。
一方お隣りの日本では、鉄砲量産10万丁
1679 肅宗5年3月3日 水車を造らせたと記述。そして70年記述無し
1740 英祖16年4月5日 水車など無くなりました『孝宗大王嘗頒遼瀋水車之制於外方, 今無見存者』
1740 英祖16年11月20日 水車を造らせたと記述(18世紀時点でわざわざ記録に残す程?)
1764 1763-64年の朝鮮通信使「日東壮遊歌」(淀城の水汲み水車の感想)
「その仕組みの巧妙さ見習って作りたいくらいだ」と記述
1781 一方お隣り日本では、水車があまりにも増えすぎて治水工事のジャマなので、水車税を導入(田沼意次)
1795 正祖19年2月18日 水車之制について盛んに出てくる。つまりまだ試作中
1811 純祖11年3月30日 ここの記述で水車なんか必要なのか?と書かれており全く普及していない」
ところで、朝鮮通信使は、室町時代足利義満の時から始まっていて、秀吉の頃にもきています。
この後で紹介するハングル整備に精出した李氏朝鮮第4代世宗は技術面でも上記のとおり関心が高かったようです。
ウイキペデイアでは通信使について以下の通り紹介されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
「朝鮮通信使のそもそもの趣旨は、室町幕府の将軍からの使者と国書に対する高麗王朝の返礼であった。1375年(永和元年)に足利義満によって派遣された日本国王使に対して信(よしみ)を通わす使者として派遣されたのが始まりである。」
室町時代の朝鮮通信使は、倭寇への禁圧対策を日本に要請することが当初の目的だった。
通信使の目的には日本の国情視察も含まれており、この時代のもっとも著名な記録は、1443年(正長元年・世宗25年)の使節で書状官をつとめた申叔舟が編纂した『海東諸国紀』である。この書は朝鮮の日本や琉球に対する外交の基礎情報となった
「文化面では、室町時代には平仮名、片仮名といった固有文字の存在に、江戸時代には京都、大坂、江戸といった都市の絢爛豪華さに驚いた。通信使の目的には日本の国情視察もあり、1428年(応永35年・世宗10年)の正使だった朴端生は、科学技術に関心の高かった世宗から日本の技術の調査を命じられていた。1471年(文明3年・成宗2年)に刊行された申叔舟の『海東諸国紀』によると、調査項目として倭寇の根拠地の特定、倭寇と守護大名、有力国人、土豪との関係、都市の状況、通貨政策など国力の観察、水車などの技術、仏典の扱いなど仏教の状況、交通事情をはじめ15項目があったという。『海東諸国紀』には日本の地図も収められており、江戸時代には日本でも同書の写本が流通した[38]。
以上のとおり通信使の記録による立派な本ができているのに、朝鮮社会でこれを活かせなかったのは何故でしょうか?

上記紹介したとおり、何百年も水車作りに挑戦しても実用品を作れない結果を見ると民度レベルが数千年遅れている可能性もあります。
本当のことを報告できない社会体制・・本当のことをいうと失脚のリスクが高いので気心の知れた仲間内でしか話せない窒息社会は・・英邁な君主・世宗の次の時代あたりから出来上がっていたのでしょう。
今の韓国政治家が表向き大言壮語しながら、裏で国内事情を説明して「何とかしてくれ」と頼む常套手段が昔から行われていたのです。
韓国は通貨危機再来を恐れて、日本に必死になってスワップ協定を頼みながら、国内では「日本が困っているから助けてやった」と説明していたらしいですから、日本は朴政権による慰安婦攻撃以来、表面で日本攻撃しながら裏でこっそり頼んでくるずるいやりかたに応じない姿勢に変わりました。
麻生副総理・財務大臣は再三「韓国が協定して欲しいならば検討する」という態度を明らかにした結果、韓国政府が日本を助けるためにスワップ協定をしてやったと国民に威張っていた手前、今更公式に日本に「お願い」できずに困っている状態です。
世界最大純債権国日本が何の必要があって韓国に相保証を求める必要があるのか・・世界中の人が聞けば呆れるような論理で自己満足して来たのが韓国政府であr民族レベルです。
慰安婦 や徴用工の問題も日韓条約で解決したのに、国民に説明・分配せずに日本から得た資金を政府の懐に入れてしまったことが基本的原因です。
このように韓国・朝鮮人は歴史が始まって以来、実際と天地逆転の政治行動をすることに日本人からすれば明々白々なことでも嘘を言い張ってシラを切り通す・「恥を知らない」民族です。
今年5月就任した文大統領は、日韓慰安婦合意を無効化するとは言えないまでも、「国民感情が・・」と「政府合意と国民は別」という二枚舌を使おうとしているのはその1変形です。
外来文化を受け入れて消化できるほどの独自文化がない民族では、外来文化そのものを丸ごと受け入れて自国文化のように思い込むしかない・・自国独自文化をモテない悲哀というべきでしょう。
韓国では孔子に始まって色々な中国や日本起源のものを何でも自国起源だと言い募る不思議さの基礎がここにあります。
日本が幕末から明治にかけて欧米の近代用語をすべて自国の漢字熟語に変換して置いたので、中国や韓国は(他民族言語を自民族語に変換した歴史経験がないので中韓民族には無理)そのまま利用出来たのでその流用で間に合う・自分で努力・創作する必要がなかったので英語圏に入らなくともなんとか現在社会がなり立っている状態です。
ただし韓国に限っては日本語のヒラカナに相当するハングルしかないので抽象的概念を利用した思考訓練には不向きといわれていますが、ハングルはひらがなのような完全な表音文字に過ぎないといえるか気になります。
韓国人の多くがひらがな思考で生きているって言われますが、ノー(脳)タリンは別として普通の知能の人がひらがなのようなもので表現した幼児が理解する程度の熟語レベルで物事を考える社会・・単純思考で現在の高度社会が成り立つのか?そんなことが可能かな?と言う疑問でしょう。
ハングルとはなにか?ですが、私は現在流通しているハングル自体を知りません。
李氏朝鮮第4代王の世宗の推進した「訓民正音」は(漢字の素養がないものに発音を教える記号)」「民を訓(おし)える正しい音」と言う意味らしいですから、これを元にして表音記号に過ぎないという説が普通に流布されているのかもしれません。
しかし、これは独自文字を持つことに反対する昨日紹介した諮問機関の反対を押し切るための政治的方便だったとも言えます。
そうとすれば、表面の公式意見としてはまさに発音記号でしかないのですが、他方で同音でいくつもの意味を持つので間違いやすいとも言われている実態とも合います。
上記政治的解決のための公式意見は政府を縛るかも知れませんが、言語は生きものですから、実態に合わせて解釈すべきで、額面通りに受けとると間違いのもとです。
漢字とひらかなの中間的なものであった上に、表音文字にしては、ハングルの文字数が多すぎるのはこのような背景がある結果でしょうか?
ちなみにパソコン用の文字数で言えば以下のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB#.E3.83.8F.E3.83.B3.E3.82.B0.E3.83.AB.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E8.AA.A4.E8.A7.A3
「字母を組み合わせて作られる文字の理論上の組み合わせは11,172文字だが、実際に使用されるのはその半分以下である(1987年に韓国の国家標準となったコンピュータ用の文字セット(KS完成型、KS C 5601-1987)には日常の99%が表記できる範囲として2,350字しか含まれなかった)。」
上記を見るとひらがなの50音やアルファベットの数に比べ多すぎる・・そんなに多くの音の種類が世の中にあるのか不思議ですが、音をあらわすに過ぎないと言いながら実際にはある程度の意味も含んでいる(ひらがな文に漢字が少し入っているイメージ?)のではないでしょうか?
世宗の言った「訓民正音」論は反対派をおもんばかった政治的発言に過ぎないと見るべきでしょう。

自民族言語表現の重要性3(ハングル1)

李氏朝鮮第4代の世宗がハングル文字を整理し普及させようとした事跡をこの後で紹介しますが、そのトキ自前の言語文字を持つのは、漢文化の及ばない化外の地・非文化圏だと言う学者層による反論があったくらいです。
いわば、「自国文字を持たない方が文化度が進んでいる証(あかし」と言うのが朝鮮人知識層の基礎意識だったらしいです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%ABによれば以下の通りです。
「李氏朝鮮第4代王の世宗は、朝鮮固有の文字の創製を積極的に推し進めた。しかし、その事業は当初から事大主義的な保守派の反発を受けた。世宗が設立した諮問機関の集賢殿副提学だった崔萬理は1444年に上疏文で、「昔から中国の諸地は風土が異なっても方言に基づいて文字を作った例はない。ただモンゴル・西夏・女真・日本・チベットのみが文字を持つが、これらはみな夷狄(野蛮人・未開人)のなすことであり、言うに足るものではない」「漢字(中国文字)こそ文字であり、民族固有の文字など有り得ない」と反対した。」
確かに中央文化から離れれば離れるほど、方言など独自性が強くなり固有文化色が強まる傾向があるのは事実ですが、そこには中央の文化をそのまま真似するのがの正しいとする確固とした思想があります。
日本でも、地方の駅ビル内店舗では首都圏と同じチエーン店が出店しているので興ざめすることがありますが、地元にとっては首都圏と同じ店があるのが自慢でしょう。
韓国では真似ばかりでは恥ずかしいという少しのテライもない・いわば開き直り文化が昔から定着していたというべきでしょう。
朝鮮通信使が江戸時代だけでも12回も日本に来ていて、日本の社会の実情を見て自国より進んだ社会生活のあり方を見ても全くこれを報告しないで逆に明や清朝の文化をそのまま受け入れている自分たちに比べて日本が如何に文化の遅れた国か!という報告や吹聴ばかりしていたと言われています。
以下のように室町時代の使節には、立派な報告書があるようですが、侮蔑意識が先にたって社会全般で学ぶ気持ちがなかったから宗主国清朝等にないものは(顔色を伺うのに汲々としていた結果)取り入れられない・・活かせなかったのでしょう。
この辺は明治維新当時、政権交代の連絡今後の徳川政権同様の国交を求める「国書」に「天皇」その他の文言があることを理由に受け取れないとスッタ揉んだの末に江華島沖事件に発展してようやく決着したのも、宗主国清朝に必死に義理立てしていた結果によるものでした。
冊封を受けている朝鮮としては、宗主国以外は全て「王」であるべきあって皇帝を意味する天皇という肩書きそのまま受け取れば宗主国清朝からどのような問責を受けるかも知れないという必死の立場があったからです。
この主張は戦後復活していて、今なお、天皇をあえて「日王」侮蔑的表現に固執しているのは、この歴史に由来します。
ましてその中にこれまで多数回の朝貢を受けてきたが・・今回幕府に変わって天皇の政府に変わったので今後も・・という案内が入っていたのですから、宗主国の目を盗んで2重外交をして来た疑いを受ける…・・一種の謀反の嫌疑ということで、李氏朝鮮としては必死だったのです。
日本としては琉球の朝貢と朝鮮の朝貢を同一視していた歴史があるし、実質的立場から見ても、秀吉による朝鮮征伐の後で(北方民族の圧力もあって)本国を守るために明軍が引き上げてしまった結果、後ろだてのいなくなった日本軍の再来襲を恐れていた朝鮮では、おりから北方から女真族・後の清朝が勢力を広げて来て、日本と挟み撃ちにあうのを極度に恐れていたこともあって、徳川時代に復活した通信使は主に日本の報復的再来襲を防ぐための敵情視察と懐柔にあったので外形上はご機嫌うかがい・内容実質は朝貢に似ていたことがあります。
日本からは1度も行かない仕組も朝貢の形式です。
冊封された王か天皇かの問題では、聖徳太子以来、「日出るところの天子」と自称して来た独立国としての長い歴史があり、これも日本は譲れません。
こんな訳でこじれにこじれて日本では征韓論が吹き出した原因です。
こじれにこじれていた結果、起きたのが江華島事件です。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E8%8F%AF%E5%B3%B6%E4%BA%8B%E4%BB%B6
江華島事件 年月日:1875年9月20日から同22日 場所:江華島(朝鮮西部、黄海)
結果:永宗城砲台等の破壊の後、雲揚号の戦域離脱による戦闘終了。
日朝修好条規の締結。
戦力  日本                    李氏朝鮮
砲艦1隻                      陸上砲台
海兵隊
(士官・海兵・水夫あわせて約22名が上陸)      (約500名)
損害  戦死 1
戦傷 1                      戦死 35
捕虜 16
大小砲36門鹵獲
明治8年はまだ日本軍の近代化が始まったばかりのころでそれほど火砲系(大砲威力)の差がなかったと思われる上に、すぐに上陸作戦に移行→肉薄戦になると火力の近代化はほとんど意味をなさず兵士の気力と数の差が重要になるはずです。
ところが、水夫を含めてたったの22名の日本兵の上陸攻撃に対して500人の圧倒的兵力と自国民応援のある有利な状況下で迎え撃ちながら、自分からあっさりと負けてしまう朝鮮兵の弱さが不思議です。
しかも戦利品を確保するために4〜5名程度の水夫・兵などが翌日再上陸して大砲などを持ち帰ったというのですから、朝鮮兵が何をしていたのか?不思議な民族です。
上記数字を見ても分かるように22名が上陸して16名の捕虜を連れて船に戻っています。
時系列記録は 以下のとおりです。
午前07時43分 端艇二艘で乗り出し、同島に上陸しようとした時、第一砲台から発砲がある。上陸後八分間の激戦の後、東西北3方向から放火しながら急攻したため、城内守備兵は逃げ去り、同砲台を占拠する。
午前08時20分 喇叭にて退軍を命じ、総員東門の前に集合させ、人員を点検する。井上艦長も兵士の慰労のため上陸する。(日本側/負傷2名但し後に1名死亡)(朝鮮側/死者35名、捕虜16名、その他日本側にて、敵の負傷者及び婦人等の身柄を保護し、安全な場所へ誘導して解放する)
午前09時07分 城内に遺棄した大砲等の武器を戦利品として捕獲し、城内を焼き払う。
午後09時59分 戦利品の雲揚への積込みが完了する。
午後10時30分 島に上陸していた全兵士が雲揚に帰る。
【9月23日】 ─ 戦域の離脱 ─
午前11時00分 昨日積み残しの大砲を積み込み、同所を発艦する。
日支事変・中国大陸での陸戦でも日本の何十倍もの兵力の国府軍が開戦すると潰走するばかりで、日本軍は局地戦では最後まで負けてはいませんでした。
攻城戦を制するには城門・城壁を突破するには籠城軍の何倍もの兵力がないとむりと言われていますが・・。
秀吉軍が朝鮮半島ほぼ全土をあっという間に攻略できたことや、戦後北朝鮮軍が38度線を絵超えると抵抗らしい抵抗もなく短期間で半島ほぼ全域を占領できたことなどを見ると、中国や朝鮮では元々戦わずして逃げる民族です。
以下の絵が実際の砦と同じとは限りませんが、一応城塞になっているのに、誰も城門を守らずに逃げてしまったから船を漕ぐ?水夫を含めたたったの22名で攻略できたと思われます。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f5/Soldiers_from_the_Un%27y%C5%8D_attacking_the_Yeongjong_castle_on_a_Korean_island_%28woodblock_print%2C_1876%29.jpg

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