公約違反(無視)政党の存在意義2

増税の必要性に関する意見は人によっていろいろだとは思いますが、重要事項・・とりわけ増税の可否は最重要事項として歴史上選挙で決めることになっているのですが、ルール違反によって自派の期待する結果を不正な方法で実現するのは、民主主義ルールの中の最大ルール違反と言うべきです。
(政治・経済に関してはどんな立派な学者の意見でも別の角度から見れば欠点があり得ますし、私もいろんな意見を書きますが、1つの意見として参考にして欲しいと書いているだけで、最後は選挙で決めるべきことであって不正な方法を使ってまで持論を通したいと思ったことはありません。)
マスコミはこの重大な手続き違反行為に全く触れようともせず、もっぱら「小沢新党には国民の反応が冷ややか」など(小沢氏の動きは政局ばかりで識見がないかのごとき報道も一杯されていますが)マスコミに関心がある「政局」ばかり報道していて、実質的に公約違反を論じないで黙認している状況です。
マスコミは政局あるいは増税の可否について中立であるべきですから、結果の妥当性の議論よりは私同様に公約違反という手続きの瑕疵について、世間に浸透する程度に少しは論じておくべき立場ではないでしょうか?
重大な手続き瑕疵である公約違反の重大性を全体の論調として全く論じないで、(少しは書いているかも知れませんが関心を持つ私の目にさえ留まらないということは、殆ど報じていないのでしょう)消費税増税結果(如何にも必要なことであるかのような報道姿勢)や政局の動向ばかり論じるマスコミの姿勢は、中立性を欠いているようにも思われます。
「国民は馬鹿だから選挙で重要事項は明示せずに騙せば良いんだ」「結果さえければ良い」という基本的立場がその底流にあるように見えますが、そんなことを言い出したら(絶対的な価値をマスコミが決めることとなり)民意に基づく民主主義・選挙制度自体が成り立ちません。
日本は、庶民のレベルは低いからリーダが良い場所へ引っ張って行けば良いというのは、啓蒙的専制君主制あるいは後進国で効率の良いとされる開発型独裁国家の正当化理論です。
これらは民度が低くて国民にはマトモな判断力がないことを前提に白紙委任する政治形態で、結果が悪ければ独裁者を引きずりおろして責任を問う政治形態です。
実際には失政か否かの判定がこれまで書いている通り難しい・・殆ど不可能なこともあって、簡単に引きずりおろせないので、長期政権になるのが普通で何十年単位で国民が苦労してしまい、最後に大争乱(ソビエト崩壊やルーマニア・・最近ではリビやエジプト)で幕を閉じるのが普通です。
現在でも頑張っているのが中国や北朝鮮というところですが、独裁政権が頑張る期間が長ければ長くなるほど国民は大きな代償・・大争乱による苦しみを経験することになるでしょう。
中国では歴代の王朝末期にいつも100年前後の争乱期が存在するのはこの好例です。
先進国では民度が高いので、独裁者に一任せずに事前にマニフェストを明らかにして具体的にやるべき政策を公約して当選すれば任期中は選挙民の意見に従って政治運営する時代になっている・・この方が独裁・専制君主政権に一任して後で結果が悪いからと引きずりおろすよりも社会のリスク・コストが少なく済みます。
私は民主的に政権交代することに長年期待していましたが、せっかく期待していた政権交代が実現したばかりですが、それと民主党の犯した公約違反責任を不問にして良いかは別問題でと考えています。
民主党は実務経験がないどころか権力を持ったこともないので、これを持った場合の自己抑制・運用方法に関する最低のルールすら知らなかったということでしょうか?
民主主義を尊重すべき党名「民主党」を名乗っているのに、民主主義の最低ルールすら知らなかったとは驚きです。
国民の信頼によって成り立つ間接民主制・政党政治のよって立つべき原点を率先して民主党が崩壊させてしまったので、その罪・政治責任は重いと言うべきでこのようなことをする党の存在そのものが政治的に許されなくなるべきです。
これだけのことをやれば責任上、自ら解党して出直すべきです。
勿論野田総理とこれの推進に関与した一党は政治生命をかけると言明したのですから、この際責任を取って政治家を辞めることになってくれれば民主主義は信頼回復できてなお存続可能です。
株屋で言えばクビを賭けて悪事をやった以上は、解雇される前に自らクビを差し出すべき行為です。
客を裏切った営業マンを度胸があると言って出世させていたのでは、証券会社に対する信頼が地に落ちてしまいます。
選挙民の意向を気にする政治家を「選挙のことばかり気にしている」とバカにしますが、選挙民を無視した政治家を賞賛するのは、客の意向を無視する営業マンを勇気があると賞賛しているのと同じでその株屋に頼む人はいなくなるでしょう。
公約を正面から破って国民に陳謝しない・責任を取らない不正義な政党や政治家の存在が一人でも許されれば、(マスコミもこれ黙認して全く問題にしないならば)今後マニフェストや選挙公約は守らなくともよいとなって代議制民主主義制度が存続出来なくなってしまいます。

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