構造変化と緩和策2(日本企業の利益率)

高度化努力だけではなく痛みの分かち合い方面でも日本企業がよく頑張っていると思います。
欧州危機や地震によって売れ行きが落ち込んでも直ぐに解雇せずに社内失業を抱え込んだりしている御陰で、アメリカその他の先進国に比べて失業率が低く留まっています。
海外投資収益を還元して国内労働者の高賃金を維持しているのも企業努力の御陰です。
このため海外に比べて企業収益が低くなっていて株式相場もずっとさえないままですが、それは痛みの分かち合い国家である以上甘受すべきです。
海外投資家にとっては、せっかく儲けても国内高賃金の穴埋めに使われて配当率が低いのでは、魅力がないのは当然です・・。
企業にとっては市場での資金調達力に影響するので株式相場は重要ですが、我が国の金利は世界一低いので社債等での調達に支障を来す心配がありません。
日本は中国や韓国等のように外資の導入で回っている経済ではなく、長期間蓄積した自前の資金が豊富であって、国債の引き受け手に困っていないのと同様に企業も資金が潤沢で外資の導入を必要とはしていないので、株式相場をそれほど気にしなくて良いから儲けを国民に還元し続けられるのでしょう。
(株が下がれば自社株買いなどでそれなり努力していますが・・・下がったところで買い戻すのはいい方法です)
高賃金・高コストの国内工場をドンドン閉鎖して海外展開を進めれば利益率は上がるでしょうが、それではアメリカ並みに高失業社会・高格差社会となってしまいます。
ユニクロが衣料品市場を機能性と廉価品で席巻し始めたのは、(製品に工夫があった点が単なる海外生産移行企業とは違っていますが)ほぼ全量中国生産でコストが安くなっている(国内に高賃金工場を殆ど抱えていない)面とのダブル効果があった点を無視出来ません。
日産のように国内工場を閉鎖して思い切ってタイ王国へマーチの全生産工程を移管した例もありますが、その他の企業は、国内労働者を安易に切り捨てる訳に行かないので国内高賃金従業員を大量に残しながらの海外進出ですから、海外の儲けを国内の高賃金支払原資に投入せざるを得ないことから、国内雇用維持にこだわるトヨタその他の企業は利益率が下がって苦労することになります。
この苦労の部分を見ないで、日本企業はもう駄目だなどと言い、国内雇用に大して貢献しないユニクロを賞賛しているのは誤りです。
外国人投資家にとっては、儲けを利益配当するよりも労働者保護に回している企業の株は魅力がないのは当然・・もう日本は駄目だと見放すのは立場上当然ですが、これを受け売りして日本人まで「日本企業は海外企業に比べて利益率が低すぎる」と批判しているのは馬鹿げた話です。
バブル崩壊後華々しいユニクロがいくら儲けても本社が日本にあり、販売店の多くが日本にあるだけで、それ以上のことはありません。
今、日本で必要なのは国内(高賃金)雇用を如何に守るかの問題です。
日本発の企業であれば本社部門その他比較的多くの日本人雇用が生まれていることは確かですが、国内工場中心の企業に比べて雇用比率が少ない筈です。
ユニクロが拡大して採用した国内店舗での採用従業員は、ユニクロが成功していなければ他所の販売店が残っていた筈ですので、差引増えた訳ではないでしょう。
この点は海外デパートが大量出店して国内デパートが廃業した場合雇用が拡大したと言えるかと同じ問題です。

構造変化と緩和策1(ストレスとその対処)

バブル崩壊以降の我が国の苦境は、汎用品製造に関しては、低賃金国とのコスト競争に無理があることによるのですから、汎用品製造向け人材は徐々に低賃金国の水準に生活水準を合わせて行くしかないことにあります。
最近、今後4〜5年もすれば中国の人件費の上昇によって、日本国内生産の方がカントリーリスクを加味すると安くなると言う願望的意見が出始めています。
こうした願望が繰り返されること自体、人件費格差が我が国経済低迷の最大の原因であること・・結局は先進国の賃金が下落し新興国の水準が上昇して結果として生活水準の平準化の完成しかないことを物語っています。
そうとすれば、新興国の賃金上昇と日本国内の賃金水準のジリ貧・長期的下降が続くのは不可避です。
この現象はこれまで豊かな生活をして来た先進国国民にとっては大きなストレスであることは疑いのない事実ですが、このストレスの吐け口として特定政治家・政党の責任にしたり、今の若者がだらしないと言って世代問題や教育の所為にしても解決しませんし、特定のスケープゴート探しで解決出来るものではありません。
現下の閉塞感の根本は、グローバル化の進行・・構造問題・・結局は生活水準低下の見込みを国民が体感していることにあり、誰に文句言っても仕方がない・行き場のない不満・・これをストレスというのでしょうが、政治家や誰かの責任にしても意味がありません。
この苦境を乗り切るには国民みんな一人一人の智恵の結集しかないのですから、国難に「明るく」対処して行くしかないでしょう。
ただし、急激な国際平準化進行による痛み・・職場縮小の速度を落とし、失業の増加、生活保護の増加を緩和する必要があるのは確かですから、これをどのように実現するかが重要ですから政治家の役割がなくなったのではありません。
ただ・・・・誰がやっても後ろ向きの政策が中心ですので、国民にストレスが溜まるのは仕方がないでしょう。
破竹の勢いで進むときの大将は楽ですが、損害を少なくしながらの撤退作戦は難しいのです。
急激な失業や賃金下落に対する緩和策としては海外展開によって儲けを多くして国内に送金する穴埋めも1方法でしょうが、海外収益の送金に頼るのは日本の過疎地で言えば出稼ぎによる送金・仕送り頼みと同じですから先の展望がありません。
前向きの施策としては、正月以来東レなど高度化の成功例を紹介してきましたが、こうした成功事例を少しでも大きくして行く努力が政治であり経済人のつとめです。
こうした成功事例が少しくらいあっても、高度化対応出来る人材は限られていて大量生産職場縮小の穴埋め・・この種人材は大量にいます・・には追いつかない・・精々賃下げ圧力を少し押しとどめる程度に過ぎないのが実情です。
すなわち、努力がうまく行っても急激な落ち込みを緩和するくらいが関の山ですから、徐々に平均的人材の職場が減って行くのは防ぎようがない・・・国民は痛みを我慢するしかなくストレスを感じるのは仕方がないことです。
これが不満だからと言って政治家のクビのすげ替え・内部分裂・・何でも反対ばかりしていては、却って落ち着いて対処出来ず国力が低下するばかりです。
ここ数年千葉県弁護士会の総会では執行部提案が次々と否決される時代が続いています。
会の基本方針が何も決まらない状態・・ともかく反対が多いのですが、私はこれをストレス発散時代が来たのではないかと理解しています。

構造変化と格差30(苦しいときこそ結束を!)

新興国からの輸入増大で国内生産業が苦境に陥り、ひいては労働環境が悪くなり続けることに対する不満が積もり積もっていますので、政治家であれ誰かに不満をぶっつけたい気持ちがわからないでもありませんが、政治家はその責任逃れにそのスケープゴートとして新自由主義経済学・ひいては現実対応政治を推進した小泉元政権の責任にしたがっているだけではないでしょうか。
こうした風潮に呼応してストレスを発散の目標・標的を次々と定めて順次攻撃する政治家が現れました。
これが橋下大坂市長です。
グローバル化による地盤沈下の最も激しい大阪経済圏・・それだけにストレスも全国で一番強いと思われますが、橋下氏はスケープゴートを選び出す標的政治を続けていますが、このような政治で大阪の地盤沈下の進行を止められると言うのでしょうか?
大阪を本拠とする松下電気・改めパナソニックの凋落が著しいですが、パナソニックが立ち直るには社内の戦犯探しではなく、前向きのイノヴェーション能力発揮にかかっているのです。
橋下氏の政治手法では次々と標的の掘り出しに努めることになるのでしょうから、次の標的にされると大変なことになるので国民は疑心暗鬼になり萎縮するばかりではないでしょうか?
彼の政治手法は国民のストレスに反応してスケープゴートを探すものに過ぎず、第二次世界大戦の原因になったナチスやファッショ同様のやり方では危険であることについてFebruary 2, 2012「大阪の地盤沈下3とスケープゴート探しの危険性1」以下で連載しましたが、予想どおりり大阪市をどうするというビジョンすらないまま国政に対する大風呂敷だけ広げる方向に進んでいます。
ストレス発散のためのスケープゴート探しばかりでは、却って萎縮してしまい日本の元気を取り戻すことは不可能です。
こんなことでストレス発散していると我が国の強みである国民の信頼関係・絆を破壊してしまい、長期的には大きなマイナスですから、国民には煽動に踊らない冷静な反応が求められます。
ジリ貧のときには政治的不満のはけ口が欲しくなり指導力の欠如を言い立てて内部分裂を繰り返すことが多いのは歴史を見れば、滅亡した国の共通項です。
この不満分子の存在に外国がつけ込む隙を与え外国の介入を許し、ひいては弱小国が亡国の道を歩むことが多いのは、どこの国の歴史でも同じです。
弱小国では強い国に狙われるとどうにもならない閉塞感から内部分裂が始ります。
強国はその一方に肩入れすることによって軍を入れる口実を得て、侵略・その後の支配に成功するのが普通です。
歴史を見ると一致団結が必要な困難なときに限って、責任追及論が起きて内部分裂を誘発し、ひいては外部の介入を受けることになって滅亡するのが滅亡民族の殆どの行動パターンです。
困難なときには誰がやってもうまく行かないのですから、責任者を選んだ以上はその任期中は見守る度量が必要です。
度量のない国民・民族は一旦下り坂になると挽回するどころか、内部争いばかりに精出して却って何も有効な手が打てなくなり一方で虎視眈々と狙っている外国の侵略を招き寄せて滅亡を加速してしまいます。
近いところでは清朝末期の内部混乱がこれですし、他方明治維新は逸早く国論を統一して一致団結出来た成功例です。
我が国の場合、古代における白村江の敗戦でも敗戦責任論よりは、先ずは一致団結しての国防に邁進した結果この時点で強烈な民族意識が完成しましたし、(多分世界最古ではないでしょうか?それまで列島全体の統一した仲間意識は緩かったと思われます)蒙古襲来時でも戦っているときには国論の分裂はありませんでした。
(分裂・・鎌倉政権の崩壊はその後でした)
第二次世界大戦では、歴史始まって以来の大敗戦でしたが、戦争責任を追及したのは占領軍であり、日本国民は「ヒデー目にあった・・」という人はいても、仲間内の責任追及に精出さないでともかく復興一筋でやって来ました。
アメリカとしては火付け役として軍事裁判をしてやったので、後は日本人同士でいがみ合えば良いと思っていたでしょうが・・・。
日本人はいがみ合うどころか、アメリカに対して「アメリカの方こそ非戦闘員の日本人一般市民を何十万人と殺しながら、一方的なひどい裁判をされた」と恨んでいる人の方が多いのですから、今になるとアメリカは失敗したと思っているでしょう。
日本人はみんな同胞・・家族意識で生きている点を知らなかったのでしょう。
アメリカ主導の極東軍事裁判で処刑された人は、日本人にとっては家族同様の同胞が(言いがかりで)処刑された悲しみになります。
日本では、今でもインドに対する親愛感が強いのは、インド人判事がその裁判で正論を吐いてくれたし、苦しいときに象を送ってくれたりした恩義に感じる人が多いからです。
アメリカ(いじめっ子)の意向に便乗して日本叩きに精出している国は、その逆になっていることに気がつかないのしょう。

政治と経済1(権力政治と新自由主義4)

政治と経済に関しては米将軍と言われた吉宗の例、あるいは計画・強制経済であったソ連の破産状態を見るまでもなく、政治は経済に対して万能どころか振り回されて来たのが実情です。
振り回されないでいられた解放前の中国や北朝鮮の場合は、権力で押さえ込んで経済活動を麻痺させて来たことによるのであって、その分経済・・ひいては生活水準が停滞したままでした。
中国での解放前には、大躍進政策の赫々たる成果の発表の裏で何千万人にも及ぶ餓死者が発生していたことを想起すれば、経済活動を政治権力で抑圧した場合の効果は今の北朝鮮同様であったことが分ります。
いわゆる東洋的専制君主制である中国や朝鮮では、国民の苦しみなどよりも君主の絶対権力の強制が先ず第一の関心ですから、その系譜を引く中共や北朝鮮で権力意思が貫徹出来ていたのは当然でしょう。
市場経済化した筈の韓国やシンガポールでも権力が経済政策を市場経済化を進めると決めればどんな反対があっても粉砕して突き進める点はこうした歴史経緯から理解可能です。
韓国と北朝鮮との違いは、「市場経済化」で行くと権力が決めている点が違うだけで(決定過程が民主主義的であるかは別として決めてしまえば)権力政治である点は同じです。
ソ連の場合も共産主義革命を経たとは言ってもピョートル大帝以来、もっと遡ればイワン雷帝以来の専制的君主制・・西洋の絶対君主制とは違います・・で来た歴史が、経済の自然の流れを無視した強権政治を可能にしたと思われます。
生活水準の向上を図るには、経済の動きに政治が合わせて行くしかない・・・振り回される立場ですが、政治は金融調節や補助金、あるいは規制によって一定期間強制出来る関係があるので、相互作用関係にあると言うべきでしょう。
グローバル化自体は、貿易赤字の続くアメリカによる日本の貿易黒字に対する通商法などの乱発で保護主義を強めた結果、(日本は中国がやるようにWTOに訴えるなどしてアメリカには抵抗出来ないので・・なんたって敗戦国のままです)日本が韓国、台湾・・東南アジア等を迂回輸出先にしたことに始まります。
ちなみに韓国・台湾等の急激な経済成長は、アメリカ主導による日本に対する急激な円高要求・・プラザ合意以降のことです。
そのころはまだ自動化が進んでいなかったので日本企業が東南アジア等で現地人の訓練に(・・規則正しい労働にさえ馴れていないことも問題でした)苦労する姿がしょっ中報道されてました。
上記のように大変化は政治によってもたらされることがあるので、その意味では政治の影響力は大きいのですが、経済の個別内容自体に関して政治の決定が影響を与えるのは却って危険です。
迂回輸出が始まった結果、韓国、台湾・東南アジア諸国は雁行的発展・・工業製品輸出国になり、更には中国の改革開放政策により、それぞれが日本の競争相手になって来たのであって、(ブーメラン効果は早くから危惧されて来たことです・・)自由主義経済学者の意見によるものではありません。
中国や新興国の桁違いに安い人件費を基礎にして、世界中から新興国へ工場進出が殺到して最初は食料品・衣類等軽工業から始まりその後は車、半導体等先端技術に及んできました。
今では世界最先端を走るアップルの製品の大半が中国で生産されている時代です。
各種大量生産品目が雪崩のように逆輸入されるようになって、世界中の先進国では国内生産業が淘汰されるようになったのは、新自由主義経済学の結果ではありません。
これまで書いているように、海外生産移行拡大→大量の逆輸入が生じた結果国内大量生産業が順次淘汰されて行く過程で、大量生産に携わって来た中間層以下・工場労働者の職域が縮小されて行ったのは必然の結果でした。

グローバル化と格差25(新自由主義2)

話を2012/02/18「構造変化と格差23(新自由主義1)」の続き、グローバル化・国際平準化対応策→国内格差問題に戻します。
グローバル化(低賃金国の攻勢)に対応するには際限ない産業高度化しかないのですが、(対応に成功するとまた円高になりますが、この点はおくとしての話です)これが成功して仮に汎用品製造部門が縮小して行き、高度部品製造工程だけが企業に残った場合には、企業内に従来通りの給与水準で残れる人材は中間層以上の能力のある・高度技術対応人材に限られます。
国民個人も企業同様に国内に留まる限り中間層・・汎用性のある人向けの職場が減って行く以上は、元中間層は最底辺労働者としての収入を得るか失業者として高度技術者の稼いだ高収入のおこぼれを貰うしかないのは、仕方がないことです。
これを潔しとしないならば、企業のように海外脱出して低賃金国へ移住して行った先でその土地の相場の賃金で働くしかないでしょう。
生活水準低下拒否の先取りをして来たのが、(旧空間で格下げされて惨めな生活をするくらいならば知らない世界の路上生活の方がましと言う)昔からある蒸発者でしょうか?
とは言え、多くの人は生活レベルを下げるためにわざわざ行動するのは、イヤなものです。
サラ金等への支払に困っている人の相談(弁護士に相談にくるほど困っている人)でさえも、給与や収入が下がったのに合わせて安いアパートへ引っ越すのは、なかなか決断出来ない人が多いのが現実です。
高額ローンの高級マンションに居座ったままで、ローン支払用の政府補助金額が少ないと文句言っているイメ−ジになりつつあるのが現在社会でしょうか。
国内に留まって自分より稼ぎのいい人のおこぼれを貰おうとする以上は、稼ぎの多い人と彼からおこぼれを貰う人とは一定以上の格差が生じるのは当然のことであり、非難するべきことではありません。
乞食への施し・・最貧困国への援助でも何でもそうですが、「援助」というものは余程格差があってこそ行うもので、同じ会社員でも数千円や数万円の給与差程度では、援助までしないでしょう。
社会保障・・あるいは権利と名を変えても持てるものから持たざるものへの援助の本質は変わりませんから、他人の働き・援助に頼る以上は援助者と非援助者との間に一定の格差が生じるのは仕方のないことです。
より良く稼ぐ人に一定のインセンチィブを与えるために格差は必要なものですから、結局は実際の格差が合理的な許容範囲かどうかの問題です。
比喩的数字で言えば、5〜10点刻みに能力相応の小刻みな仕事があれば格差もわずかですし、誰も気にしないでしょう。
中間的仕事がなくなって60〜70点以下はみんな10〜20点(非正規雇用)の人と同じ仕事しか出来ない社会では、最低でも上記点数差だけの収入格差が生じます。
20点の仕事しか出来なくなった人はその水準の収入で良いとするならば、80点以上の人は自分の能力通り80点以上の能力に対応する収入で間に合いますので,格差はその数字差だけにで収まります。

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