プロの判断と司法審査(伊方原発)1

昨日から書いてきたように一定の危険・可能性がある前提での漸次縮小が国民総意とすれば、可能性があるだけで停止を命じたとすれば司法権の乱用になります。
NHKニュースのまとめ方が正しいとすれば専門家で構成される委員会審査結果を素人の司法権が否定するもののようですが、その否定根拠がどうなっているのか具体的記述次第です。
まとめ方によっては誤報道の恐れがあるので、NHKが独自にまとめるのでなく、ニュースの方法としては、「停止仮処分が出た」程度の客観的事実報道にとどめ、解釈にわたる部分は解説・・NHKの意見として分けて書くべきでしょう。
裁判所の重要判断の場合決定要旨など文書配布が行われるのが一般的ですから、・・要旨が仮に10pあってもPDF等でそのまま配信公開が簡単ですので、NHKの解説・決定の読み方が正しいかどうかは読者の判断に委ねるべきではないでしょうか?
決定書が公開されていないのですが、昨日紹介したニュース記事では、NHKが鉤括弧付きで出している部分は決定書自体の引用でしょうから、この限度で推論が可能です。
「地震を引き起こす活断層がある可能性を否定できない」という文言を見ると可能性が否定できないだけで停止を命じることが許されるかの議論となります。
危険性には抽象的県と具体的危険の二種類がありますが、決定では「具体的な危険があるとして、」と具体的危険があると認定したとも紹介しています。
この紹介によれば、原発事故以降にできた新ルールは具体的危険があるかないかで停止するか否かの結論が決まることになっているように理解できます。
そうとすれば、具体的危険が認定されたので停止決定されたというニュースは、一見決定理由を紹介しているように見えて結論の言い換え・同義反復に過ぎないことになります。
新ルールは「具体的危険があれば運転を認めない」となっていたとすれば、規制委員会の運転開始判定は具体的危険がないとしていたはずですから、国民が知りたい点は、なぜ今回結論が変わったかの点でしょうから、具体的危険があると判定したというだけでは決定理由の紹介になっていないことになります。
新ルールで、「活断層から何キロ以内は具体的危険があることにする」と、画一的に決まっている場合そのルールを紹介し「活断層からの距離測定方法にこういうミスがあった」と指摘すれば済むことです。
2〜3キロの幅の誤差範囲は慎重審査という場合には、プロの経験的裁量の幅が広がり、プロの直感的判断を否定するのは司法権の行き過ぎとなります。
どういう場合に具体的危険があると言えるかの認定ルールが定まっていると仮定した場合・・例えば「活断層から何キロ以内」というルールが設定されていてそれに該当するのに〇〇の計測ミスで3キロあるとしていたのが2キロしかなかったというならそのルールと計測ミスの内容を紹介すればスッキリしますが、これらの説明がないので上記決定がどういう理由で規制委員会と結論が違ったの不明のままです。
ただし、続けて決定理由として「四国電力は十分な調査をせず、原子力規制委員会が問題ないと判断した過程には誤りや欠落があったと言わざるをえない」と指摘しました。
と引用しています。
ここで根拠を具体的に書いたつもりでしょうが、「十分な調査をしない」というだけでは、何をすれば「十分」なのか水掛け論的紹介にとどまっています。
一見決定根拠を書いているように見えるものの論証過程を省略しているので「結果」部分の引用に過ぎず、どういう論証がおこなわれた結果「十分な調査していない」と判断したのか、どういう「判断過程に誤りや欠落があった」かの事実紹介・掘り下げがありません。
「十分な調査していない」という根拠説明も、規制委調査が十分でなく裁判所決定の方が正しいという自己撞着の説明にすぎず、国民が知りたいのはどちらが十分でない調査をしたかの具体的根拠です。
いわゆる説明責任の問題ですが、一人二人のプロでなくプロ集団の決めた調査方法が、十分でないというにはそれを主張する方が言いっ放しでなくどこがおかしいかの説明責任があるというべきでしょう。
裁判所はその説明を書いていると思われますが、論証過程の短文要約は無理があるのでNHKはそのままの引用にとどめたのでしょうが、それでは決定根拠不明のままです。
決定には当然図面等利用の詳細検証過程が書かれているでしょうが、 NHKはこれの要約報道は要約ミス等のリスクがあると謙虚に考えて抑制したのであれば、ネット配信の場合紙幅制限がないので裁判所配布の決定要旨をそのままPDFで添付し、関心のある読者に直接読むチャンスを与えて自由な解釈に委ねるべきでしょう。
従来国民は難しいことは理解できないからと言う尊大な立場で事実そのものを報道しないで報道機関の解釈を事実のように報道する傾向が強すぎたのを、意見部分を抑制するようになっただけでも一歩前進です。
従来法律専門家しか判決や決定書書にあたれない状態でメデイアが一方的解説をする・素人は黙ってついてくれば良いというイメージでしたが、数ヶ月〜6ヶ月後に専門雑誌に印刷されて見られるよになって専門家が見れば約半年以上前の報道機関報道は判決内容を正確に伝えていなかったとしても、(日付や氏名などはすぐ訂正されますが)要約トーンが微妙にズレている程度では「人の噂も75日」でそのままでしたので世論に与える影響は甚大でした。
結論あるいは結論とほぼ同レベルの「言い換え根拠」紹介だけでは消化不良の感じを受けるひとが増えてきます。
例えば日経新聞朝刊最終裏面に何年か前から連載されている美術〇〇10選かな?例えばこの約1週間の連載は装束面からの、国宝級絵画の紹介ですが、聖徳太子像や伝頼朝像などを装束面からの掘り下げがあって面白く楽しみにしています。
このようにいろんな説のあることはすでに知っている読者にとってはその次の段階・どういう根拠でどういう違いがあるのかというところまで知りたい読者が増えています。
土曜の文化欄の連載これまでいろんな人が登場しましたが、本郷新氏や今は出久根氏かな?違った角度の堀下げが面白いのでこれも大いに楽しみにしています。
報道系の人も、読者レベルに合わせてもう一歩掘り下げた報道すべき時代が来ているし、PDF等でこれに応じられるようになっているのですから、適応すべきでしょう。

司法と政治の棲み分け2(対外約束と司法審査)

徴用工訴訟の論理構造がもう一つ不明なので、(情報不足が、感情論を拡幅する構造の一例)私自身憶測感情論に陥ったままですがこれを前提に書いていくと、古来から中国からいろんな文物が入ってきても、その基本原理を咀嚼できない民度がここに現れたように思われます。
我が国の場合、古代に律令制を入れても換骨奪胎して行き、硬直しそうになりがちな科挙の制度自体を入れませんでした。
これに対して朝鮮族の場合、中世に勃興した李氏朝鮮は、専制支配体制と科挙制を丸ごと導入して硬直的教条主義的民d属性の骨格を作ってしまい発展から取り残されてしまったのですが、戦後でいえば、北朝鮮は共産主義政権とは言うものの独裁・恐怖政治の副作用のみを取り入れている状態です。
そういう傾向の人も我が国にも一定割合でいますが、我が国の「何でも憲法違反」と言い募る勢力も同じ批判を受けるようになるでしょうが、今のところ思想界もこぞって小児病的傾向ですから、みんなで自己陶酔しているばかりのようで、当面救いがありません。
多分戦後教育で洗脳されて育った我々世代がこの世から卒業して、世代交代が進まない限り現実無視の「立憲」にこだわる古色蒼然たる傾向は変わらないと思われます。
ただ若手弁護士でも平和主義=非武装と図式的に信じ込んでいる人が一定数いるのに驚きますが、よほど育ちが良かったのでしょう。
民進党から希望の党への合流を弾かれそうになった枝野氏を中心にして結成した新党名が古色蒼然たる「立憲民主党」と言うのですから、「憲法違反を許すな」と言いさえすればなんとかなると信じている衆議院政治家がまだ約50名もいることになります。
選挙の洗礼でどのくらい伸びるか、生き残るかで、今の日本の思想状況がわかります。
この辺の原稿は昨年秋の総選挙直前頃に書いておいたものですが、昨秋には選挙結果が出て、さらにその後の支持率変動調査も出ています。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/09260640/?all=1
2018年9月26日掲載
・・・下落率が極めて激しいのは、ANN(テレビ朝日系列)・「報道ステーション」の世論調査だろう。立憲民主党は2017年の10月3日に結党されたが、11月4・5日の調査で支持率は19.9%に達した。
18年7月では13.1%を保持していたのだが、翌8月18・19日の調査で10.7%と1桁台転落の“崖っぷち”となる。その後も踏ん張れず、9月15・16日の調査では一気に4%を失い、6.7%と最低値を記録してしまった。
安定して12〜10%台をキープしてきた共同通信の世論調査でも、8月25・26日実施で8.8%と1桁台に突入。ちなみに7月は12.4%の支持率だったため、こちらもマイナス3.6%と激しい下落だった。
各社の世論調査で、軒並み急落を示している背景は何か、政治アナリストの伊藤惇夫氏(70)に訊いた。

「立憲民主党が失速した理由に、悪い意味でのリベラル臭が強くなってきたことが挙げられるでしょう。かつての自民党保守本流に存在したような良質なリベラリズムではなく、要するに社会党臭なんですね。立憲民主党には国会議員でも党スタッフでも旧社会党の関係者が散見されます。『民主党の失敗を超えられる新しい政党かと期待していたら、要するに昔の社会党じゃないか』と有権者が失望した可能性はあると思います」(同・伊藤氏)

11月分については以下の通りです。
毎月行っているNHKの世論調査結果です。
http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/

11月9日(金)~11日(日)実施
自民党 37.4  立憲民主党 6.2  国民民主党 1.5  公明党 3.7  共産党 2.9 日本維新の会 0.4  自由党 0.4  希望の党 0.1  社民党 0.7

野党あわせても合計10%前後しかありません。
https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_politics-support-politicalparty

【図解・政治】政党支持率の推移

政党支持率の推移

https://www.yomiuri.co.jp/politics/20181125-OYT1T50099.html

内閣支持率、4ポイント上昇53percent…読売調査/ar-BBQ4n3m読売新聞社が23~25日に実施した全国世論調査で、安倍内閣の支持率は53%となり、前回10月26~28日調査の49%から4ポイント上昇した。不支持率は36%(前回41%)。政党支持率は自民党41%(前回37%)、立憲民主党7%(同5%)などの順。無党派層は42%(同46%)となった

調査機関によって支持率が大幅に違っていますが、自民党と立憲民主の比率で見ると概ね6対1で同じです。
読売に限らず、NHKでも内閣支持率と自民党支持率を比較すると概ね内閣支持率が上回っているようです。(上記の通りNHKでも自民党支持率は37%ですから、)
http://www.nhk.or.jp/senkyo/shijiritsu/
2018年11月(11月13日更新)
安倍内閣 支持46% 不支持37%(NHK世論調査)

そうすると、日頃から喧伝されている法案や政策に対する世論調査?で、「法案や政策に反対ではないが、安倍内閣が嫌いだから・・信用できないから」とか、「安倍内閣での改憲反対」とかいう意味不明の報道が実態無視であったことがわかります。

 

スラップ訴訟と法原理4(議会と司法審査)

この機会に議会と司法の審査の関係を日本の判例の流れで見ておきます。
昨日苫米地事件を見ましたが、その前の米内山事件とその後・・現在の到達点を見ておくには、以下の論文が簡潔です。
https://www.westlawjapan.com/pdf/column_law/20180524.pdf

《W L J判例コラム臨時号》第133号
地方議会の内部規律と部分社会の法理~平成30年4月26日最高裁判決1~
文献番号2018WLJCC009桃山学院大学教授田中祥貴

以下要旨を紹介しますが、昨日書いたように、人権保障的分野の憲法問題を除いて議会の自主性が最大限尊重されるというのが大方の意見(学者の方は私がなんとなく理解していたのと詳細論拠は緻密ですが志向性はほぼ同じ)のように見えます。

1.判例の経緯
本判決で採用された判断枠組は、一般に、部分社会の法理と呼称される。すなわち、自律的な法規範をもつ社会ないし団体内部の紛争に関しては、その内部規律の問題にとどまる限りその自治的措置に任せ、それについては司法審査が及ばないという法理である。当該法理形成の嚆矢は、県議会での議員除名処分の取消しを争った昭和28年米内山事件最高裁決定で展開された田中耕太郎裁判官の少数意見に看取される4。すなわち、多元的社会の内部規律問題については、その社会の特殊的法秩序による自主的決定に委ね、司法権の埒外とする「法秩序の多元性」論である。
その後、かかる見解は、昭和35年村議会懲罰決議等取消請求事件最高裁判決で多数意見を形成する5。ここで最高裁は、「一切の法律上の争訟とはあらゆる法律上の係争という意味ではない」、「その中には事柄の特質上司法裁判権の対象の外におくを相当とするものがあ」り「自律的な法規範をもつ社会ないしは団体に在つては、当該規範の実現を内部規律の問題として自治的措置に任せ」るべきものとして、司法審査の対象を限界付けた。
さらに、昭和52年富山大学単位不認定等違法確認事件最高裁判決6では、昭和35年判決を踏襲しつつ、「一般市民社会の中にあつてこれとは別個に自律的な法規範を有する特殊な部分社会における法律上の係争ごときは、それが一般市民法秩序と直接の関係を有しない内部的な問題にとどまる限り、その自主的、自律的な解釈に委ねるのを適当とし、裁判所の司法審査の対象にはならない」と解し、部分社会の法理を判例理論として確立させた。
2.部分社会からの自由
従来、我が国の司法府が展開してきた当該法理は、重大な課題を抱えている。すなわち、部分社会の法理は、国民の裁判を受ける権利と高い緊張関係に立たざるを得ない。就中、裁判を受ける権利は「基本権を確保するための基本権7」であり、個人の人権保障という文脈において非常に重要な位置付けを有する。そして、裁判所はその権利を担保すべき憲法上の責務を負う。それにも拘わらず、特殊な部分社会内部の係争は司法的救済の外に放逐されるという論理は、最高裁が仮託する「法秩序の多元性」論のみで十分な理論的基礎を形成し得るものではない。
何より、部分社会の法理は、それが射程として内包する範囲及び外延の不明確性という致命的な問題に必然的に逢着する。この点、判例上、かかる境界の指標として「一般市民法秩序」との接点を手がかりに「除名処分」と「出席停止処分」の区別が提示されているが8、例えば、任期満了までの出席停止処分という可能性を想定すれば、判例のカテゴライズに基づいた峻別論は理論構成として十分ではないことは明らかである。
・・・結局、司法審査の可否は、団体自治の憲法的要請と裁判を受ける権利との調整をめぐる利益衡量に拠ることとなろう。
この点、昭和35年判決以来、我が国の司法では、部分社会の法理によって司法審査を回避する傾向が看取され、それは「部分社会の自由」に傾倒した感が否めなかった。しかし近年、かかる傾向をいわば「部分社会からの自由13」という視座から再考し、司法審査の対象の再構成を試みる下級審判例が注目される。
・・・従前の最高裁判例が指標とする「除名」等の身分喪失といった「重大事項」性で
はなく、一般市民法秩序において保障される権利への侵害状況が看取されるとき、一般市民法秩序との直接的関係性を認め、「法律上の争訟」性を肯定するのである。
・・・・「一般市民法秩序との直接的関係性」の内実を敷衍するに際して、「一般市民法秩序において保障されている権利利益を侵害する場合や明白な法令違反がある場合」を「法律上の争訟」に該当するとした高裁判決15等を挙げることができる。

3.本判決の妥当性
本判決は、明らかにかかる下級審判決とは異なるコンテクストを有する。
・・・かかる議員の発言が名誉毀損等の不法行為を構成する場合は別論であるが、そうではない場合に、少なくとも、憲法上の基本的人権に対する具体的侵害状況が看取されるにも拘わらず、地方議会の内部規律を優位させ、Xの請求に対して何らの司法審査すら行わず一蹴した本判決は、妥当性を有するとは言い難い。・・・

30年判決(県知事批判意見の議事録削除に対する司法審査拒否結論)の批判が結論されます。
たまたま私の価値観と同じ方向性のようです。
アメリカの判例法理の詳細を知りませんが、日本の法理で言ってもグレンデール市議会の決議内容の不当性を鳴らして訴訟することの無謀さ・非常識さが分かるでしょう。
アメリカでは、「猫を電子レンジで温めて死んだ」と損害賠償請求するなどなんでも訴訟する社会のように揶揄する報道が多いので日本では呆れている人が多い・・じゃ自分たちも訴訟してみようとするのは無謀です。
メデイアは一定の角度でアメリカ社会を揶揄しているだけで、(逆に「アメリカはすごい」と持ち上げる方向で特別な場合を一般化して報道する事例も多い)実はどこの国でも無茶なことはないのです・・アメリカはきちんとルールに基づいて訴訟していることを知るべきです。
グレンデール市の慰安婦像関連訴訟で完敗したのでアメリカでは韓国の主張が支持されているかのように誤解してがっかりしている人が多いでしょうが、司法審査に乗らないテーマで訴訟する方が間違っていたのです。
裁判するのは自由ですが、アメリカでもやりすぎると逆にスラップ訴訟として賠償金が課せられます。
自由には責任が伴うということでしょうか?

事後審査社会→訴訟と保険の発達2

入国審査その他行政の仕事は(ちょっとした届けで市役所に行ったら受け付けてくれないレベル)いい加減で良い・・不満な人は弁護士に頼んで裁判すればいいと言うのでは困ります。
現在の国際競争で言えば、製品不良率の多少・・歩留まり率こそが商品価値の差です。
発火事故のあったサムスン製スマホで言えば、「発火したら取り替えます」では誰も買わないでしょう。
アメリカ製造業衰退の基礎原因は相手国の不公正障壁によるのではなく、「後で司法救済を受ければ良い」と言う政治が象徴しているように良いものを努力して作る習慣がない・・「粗雑・粗悪品」で何が悪い・・クレームがあれば後で治せば良いと言う価値観・習慣によると見るべきです。
アメリカのベルトコンンベアー方式の発明は緻密作業に適応出来ない・民度レベルの開き直りであったことを書いて来ました。
この延長で、ドンドンと作業分化・簡略化が進み結果的に、未熟練工でも役に立つ・・新興国への工場移転に繋がったことも書いてきました。
これの道徳的裏付け・正義論が・・不良品前提の事後審査制度であり、この両輪が今のアメリカ経済斜陽化に繋がっていることを、Jan 22, 2017「新興国台頭と日本の進むべき道2」以来書いて来ました。
日本でも外車輸入が伸びているのにアメリカ車だけ負けている事実が国際競争力低下を物語っています。
大統領令が無茶苦茶でも兎も角出れば有効(ここではトランプ大統領令が無茶苦茶というのではなく一般の大統領令を書いています。)・・被害を受けた国民が後で裁判して救済を受けるしかない事後審査制度では、強い者勝ちの社会になります。
アメリカで警官による射殺事件が多いのは、犯罪者に射たれるのを待っていて、うたれたら相手を殺人犯で検挙してくれるのでは間に合わない・法の支配など待っていられない・・「早い者勝ち」の論理・・正義感があるからです。
アメリカ流の粗雑社会とセットの事後審査主義のあり方を世界が支持しているかと言えば、製品市場でアメリカ製品が負け続けている結果を見れば世界は粗悪品→事後審査よりは、事前に安全な検査したものを求めていることが分ります。
政府・大統領令が間違っていれば裁判すれば良いと言われても、戦時中に日系人は違法に?強制収用されても実際に裁判出来ませんでしたし、今回の入国禁止令でも対象になる7カ国出身米国人自身が抗議の動きすら(怖くて)出来ていません。
化粧品その他での被害者が1000人いても実際に裁判出来る人は滅多にいない・・この救済のために懲罰的損害賠償制度が発達しましたが、資力のない人が泣き寝入りするしかない現実を無視出来ません。
2月4日に移民概念の紹介でアメリカ法律事務所の移民制度の説明を紹介しましたが、その説明文には「移民手続に精通した弁護士に依頼しましょう」と言う案内が一杯出て来ます。
そうすれば「入国審査でのトラブルにすぐに対応します」と言う案内です。
と言うことは、弁護士次第で釈放されたり、されなかったりする社会・・日本では補助金その他いろんな申請するのに弁護士がついて行かなくとも、とおるべきものは通る・・間違いないのが前提です。
役所の窓口でダメだったものが弁護士を頼んでも、役所滅多にないミスがあったときだけですから、100に1も助からない・・99・9%の有罪率と同じ・・お上を信用している社会です。
アメリカでは弁護士を頼んでおけば、100のうち99助かる・・逆から言えば弁護士なしにうっかり空港にも行けない恐るべき社会です。
国民にとっては被害がしょっちゅうあって,その後に裁判出来るよりもお上にしっかりしてもらって、被害のない・少ない・・弁護士に頼む必要が少ない社会が良いのが日本人の意識・・正義感です。
日本では、訴えられるべき役所や企業の方が弁護士をつけて欲しいと言う逆の現象が起きています。
クレームを付けられている役所や企業の方が、正しいことをしている自信があるからです。
損害保険に弁護士保険が普及したのもこの延長で、業界として保険会社側だけ弁護士がつくよりは、被害者側にも弁護士がついた方が無茶言われないメリットがあります。
・・弁護士同士だと訴訟前の示談成立率が高くなるので、訴訟事件が減って却って保険会社の顧問弁護士に払うコストが低くなるメリットがある上に弁護士付き保険として割り増し保険料を取れるプラスがあります。
日本ではお上に対する不信感が低い上に役所や企業から説明されても理解し切れない人も、弁護士の論理的説明に納得する人が多いことにもよります。
ただ一定のモノ分りの悪い人、保険で弁護士料が出る・・お金の負担がないことから、「負けても良いから裁判してくれ」と言うモラルハザードもあって、これが最近弁護士にとって苦痛になっているようです(保険関係の弁護士の話)。
「お金が保険から出るから・・」と言われても、負けるに決まっている無茶な主張をしたくないので困るのです。
いくら保険が完備していても、強盗や殺人被害がない方が良い・・服部君事件でも分るように子供の訪問でも強盗と間違って銃で撃つような・不安に怯えて暮らしている・ピリピリした社会が理想ではありません。
自衛のために銃を所持なければならないとすれば、アメリカは法治国家ではあるが、法が行き渡らない・治安の悪いクニではないでしょうか?
道徳教育としては、何をしても後で捕まらなければ良い・・裁判で有罪にさえならなければ良いと言うことになりませんか?
裁判になっても腕利きの弁護士を頼めるかどうかによって結果も変わって来る社会って日本人からすれば不思議です。
賄賂や、コネで結果が変わるのとどう違うのか・・実質賭博行為でも公営競馬などなら犯罪ではないと言うのに似ています。
自助努力次第と言えば聞こえが良いですが、裁判する資力のない人には法が(あまねく)行き渡らない法治国家と言う表現は言語矛盾です。
日本は昔から厳しい法がなくとも、むやみに争わず自発的に道路や畑を綺麗にし,犯罪の少ない社会です。
アメリカの法治主義とは、法に頼るよりは各自が銃をもって自衛しろと言うことにつながります。
「法の支配」は権力から人民を守るためにあると言われて来ましたが、国民を守るための法秩序が実は頼りにならないとすれば,法制定権力・・政府への信頼が失われ・・ひいては共同体自体への信頼も失い・常時自分で銃を持っているしかなくなる・役所へ行くのに弁護士同行しないと不安な社会です。
どこの世界でも治安維持こそが権力維持の基礎と言われる所以で,治安を維持出来ない権力は国民の信を受けていないことと同義です。
屈強な護衛を連れて歩けば,目の見える範囲・・数十〜数百メートル四方に威令が行き届くでしょうが,見えないところであかんべエをされている人と,護衛が多くいらないし威張らないが,見えないところでも尊敬されている人ではどちらの方が威令が遠く,多くに届いているかの違いです。
この意味ではトランプ氏は何事もみんな自分でやらないと気が済まない・・一見華々しいですが,逆から見ると間接的に多くを動かす能力が不足している・・まだ組織化されていないだけか?ように見えます。
アメリカに限らず政府の仕事は多種多様・複雑ですから、目に見えないところで実直に働く人に支えられないと政治が回って行かなくなります。

事後審査社会→訴訟と保険の発達1

大統領令と民主主義のテーマに戻りますと、逮捕・拘束などの人権条項も仮に法で決められているルール無視で(日系人収容のように)大統領令だけで拘束出来るとすれば,法を作るべき議会の存在意義がありません。
罪刑法定主義など近代法の歴史は、法が国王(権力)からの人権侵害の防波堤・・人権を守るために出来たと習って来た(真実は支配の道具ですが・・)歴史から見てもおかしな制度です。
さすがに今回の入国申請者拘束には、直ぐに司法救済を求める人がいたらしく,米国時間2月3日に執行停止を命じる?決定が出て、日本時間2月5日付報道では、これが全国的執行停止効があると書いていましたので、個別審査妥当性ではなく命令そのものに対する違憲判断だったことになるのかな?
大統領が率先して法または憲法に違反行為をしていると言う司法判断となりますから、従来型価値観によれば政権のメンツ丸つぶれです。
これまで書いているように既存ルール破棄のための政権だと開き直れば別ですが・・・。
権力意思を遠くに及ぼすために法制度がある側面(これが本質でしょう)から見れば、権力中枢が法制度を自ら無視をしていることになると、国民は何に従って良いか分らなくなる・・社会が混乱して権力そのものの基礎が瓦解します。
これを防ぐために諸葛孔明は「泣いて馬謖を切」ったのです。
権力者は自らの権力貫徹手段である「法」を守らなくても良いと言うアナウンスを流すと自己矛盾に陥ります。
現在世界中が固唾をのんで見守らざるを得ないのは、世界覇者アメリカの最高権力者になったトランプ氏の構想する新たな世界秩序が不明であることによります。
クーデタや革命政権が権力掌握すると一刻も早く新秩序を宣言し、混乱を沈静化させるのに必死になる所以です。
革命政権の場合、日常的民事刑事手続きを除き一時的に革命の本質に関わる事項について司法機能の全面的ストップをかけるのが普通です。
トランプ政権は合法的政権獲得している関係で、既存ルールに従うしかないのが事態をややこしくしています。
そこで直ちに政権は異議申し立てすると報道されていましたが、2月6日の報道では控訴審で異議申し立てが通らなかったので、地裁の差し止め決定がそのままになったと報道されていましたが、7日の報道によると差し止めの取り消しが認めらなかっただけで本案の口頭弁論が開かれるようです。
どちらが負けても最高裁に訴えるでしょうから、最終的には最高裁の判断次第になります。
こうなると現在4対4の最高裁判事構成を覆すことになる欠員1名の判事任命がどうなるかが大きな争点になって来ます。
アメリカは日本と違い政治任命ですから、判事の政党色がはっきりしています。
だからこそオバマ政権時代には、共和党多数の議会承認を得られず約1年間も欠員のママだったのです。
トランプ政権としては議会多数派になっているので政権寄り判事任命に自信があるのでしょう。
これが出来上がると議会は共和党多数ですし、司法とのねじれも解消されることになります。
訴訟の帰趨は措くとしても、このシリーズの関心は大統領が議会の同意なしに大統領令に署名さえすれば、違憲判断が出るまで法に優先して有効になる・・これが日系人だけ強制収容出来た法原理です・・人権保障としては非常に怖いシステムであることの関心です。
大統領令が議会より優位の法を作れる・・次々と大統領令を出すと法制定の議会はいらない・・憲法違反まで主張しないと救済されないのでは,先進国の証しは三権分立制度が確立していることであると学校教育は噓を教えて来たのではないか?となりませんか。
現状を見ると司法権と大統領府との2権分立でしかありません。
その司法権も政党色で選ばれるのですから、日本とは大違いです。
大統領令の濫発で為政者が(自制心なく)法制度無視行為をドンドンやって、その都度司法権による差し止めが繰り返されるようになると、・そのうち国中で法を無視する行動が頻発するようになるのではないでしょうか?
ただし、元々革命は既存法の延長では出来ませんので、トランプ政権の政策が既存秩序に対する挑戦・一種の「革命」とすれば既存法に矛盾する政策を打ち出すのは当然のことですので、既存秩序に反することを非難論拠にするのは間違っています。
従来型革命は数週間の暴動等を経て短期間でぶちこわすものですが、今回は選挙を経ているので革命に見え難いだけ・新しい形式の革命?だったことに後でなるのかも知れません。
革命だったのか無茶苦茶だったのかは昨日書いたように時間をかけて分ることです。
このシリーズではトランプ政策の是非ではなく、戦時中の共産党親和政策や日系人強制収容や戦後の米中和解や戦後のスーパー301条などを軸にアメリカの民主主義・自由主義の主張は自国のヘゲモニー維持を主目的にした表向きの宣伝だけだったのはないかの関心で書いていますので元に戻ります。
司法の救済があっても,政府が率先して法(長年共同体意識を培って来た合意・人類が長年掛けて積み上げて来た歴史遺産)を無視してドンドン違法行為をしてこれを自慢しているようでは,個別救済の司法救済では間にあいません。
大災害が起きると既存のセーフテイーネットでは間に合わないのと同じで、司法救済制度も政府は滅多に違法行為をしない前提で成り立っているものです。
日本で違憲判断が出ると政府はこれを尊重してすぐに法改正しますが,トランプ大統領に限らず自分の意見に合わないと「受入れない」と宣言するのがアメリカのやり方です。
クリントン氏がオバマの移民に関する大統領令を違憲とする「最高裁判決を受入れがたい」と宣言していたことを2月3日に紹介しました。
・・我が国でも左翼系は自分の意に沿うと画期的判決と言い、主張が通らないと反動判決と批判しているのと同じです。
要するに相手の意見を受入れる許容性がない民度・社会・・元々違う意見を認め包み込んで行く能力がない民度では、民主主義の実践は無理です。
事後審査に戻しますと、刑事制度は犯罪を摘発して処罰することが直接の目的ですが,処罰することで犯罪が起きないようにすることが本来の目的です。
報復心だけを基準にすると刑罰重視を時代遅れだと非難し、被告人の人権ばかり・服役内容も快適なホテルみたいな方向へ進み過ぎます。
刑事政策は、本来の目的は治安維持ですが、これの協力を得るために被害者の報復心も利用していると言うべきです。
犯罪がいくら発生しても良い・・後で検挙するから・・と言うのでは,治安維持を目的とする刑事政策に反しています。
泥棒や無法者が町を闊歩する自由があって,一般人が被害にあえば訴えれば良いですよ・・と言うのでは国民は安心して生活出来ません。
大統領や役人が率先して実質違法行為をしていても、不満なら裁判すれば良い・・裁判制度が完備しているから間違っていれば違憲判断してくれるよ!これが法治国家だと言うのでしょうか?
裁判出来ないよりもマシですが・・。
日本の刑事裁判では99、何%の有罪率であることが有名ですが、文化人が「これでは裁判の意味がない」と嘆くのが普通ですが本当にそうでしょうか?
大分前に(小泉改革だったか?)我が国も、事前審査をやめてアメリカのように事後審査の社会になるべきだと言う論調が風靡して、その方向に舵を切り始めましたが民族意識・・常識と合わないらしく、あまり定着しているように見えません。
粗悪品でも何でも作って市場に出して「中毒事故が起きたら損害賠償して治せば良い」と言うのでは、国民が困ります。
犯罪検挙も確かな証拠もなくても、先ずは検挙して勝敗は裁判所が決めてくれたら良いと言う運用も同じ発想です。
これでは裁判の無罪率が上がるわけですが、大雑把な捜査ですぐに裁判される(・・その代わり原則として保釈を認めて長期勾留を防ぐ運用ですが・・)のでは国民は叶いません。
戦後は何でもアメリカ迎合・100%受入れている韓国では、最近も検察が証拠もないのにデモの勢いに圧されてサムスン副会長の逮捕請求して裁判所にはねられました。
数年前には、ソウル産經新聞支局長に対する名誉毀損罪の起訴でも分りますが、(仮に身柄拘束されなくとも)あとで裁判で無罪になってもその間の言論萎縮効果・・被告人にされた方の精神苦痛は絶大です。

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