マスコミ・大見出しと中身の齟齬(司法権の中立性)

金融政策の効果・限界に戻る予定でしたが、今朝の日経朝刊42pに昨日書いていた大卒の就職率が大きな記事になっていたので追加的に紹介しておきます。
74%と言う大見出しですが、これは就職希望の有無・事情に拘らず・・留学や大学院進学などいろんな事情(我々法律家の世界で言えば、5月に始まる司法試験受験予定者などは就職しません。)で就職希望のない人も含めて全卒業者に対する就職率は74%と言うことです。
マスコミはなるべく「日本経済はだめだ」と宣伝したいからか、事情如何にかからわず全卒業者に対する結果的な就職比率である74%を大見出しに据えているので「見出し」だけ流し読みする人にとっては、日本の学生の25%が失業しているのか?と錯覚させられる書き方です。
記事内部を読んで行くと終わりの方に4月1日現在の数字として97、3%の数字が出ていますが、ストレートな説明がないので、もう一度読み返してみて、これが就職希望者の就職率なのかな?(と私が鈍いだけかも知れませんが・・)漸く分る書き方です。
週刊誌の大見出しで如何にも大変なことが起きているかのような広告をして、買って読んでみると内容がほとんどないのと似ている・・マスコミが何を主張宣伝したいかの姿勢がよく分ります。
日本ダメ論者はこの大見出しだけコピぺして簡単に流布できるので、如何にも約25%の学卒が就職出来ずに困っているかのような宣伝に使えるのでしょう。
このようにネット上でマスコミの記事の一部をコピーして書いている意見の多くは、実は当てにならないつまみ食いの拡散行為であるリスクが多いことが分ります。
私自身も外国の記事については他人の引用記事に自分で原文に当たれないので、知らず知らずのうちに翻訳者の偏向した主張を事実と誤解して紹介していることが多い筈です・・国内記事でも忙しいと大見出しだけコピーしてしまうリスクがあります・・そのつもりでお読み下さい。
朝日新聞その他の慰安婦報道でもこうした手法を繰り返し使い・・内容を読めばキチンと書いていると言う言い訳を用意しています。
(週刊誌のセンーセーションな報道も99%の人は自分で買わないで電車内の吊り広告面や受け売りの洪水的メデイア報道に洗脳されるのが普通ですが、裁判所の・・「キチンと読めば誤解する筈がない」と言う判断でこのようなイメージ付け手法が容認されて来た点に問題がありそうです。
裁判所の認定方法は、通常人がじっくり読めば後ろの方にちょこっと書いているのに気が付きそれを総合すれば「見出しは大した意味がない」と分かると言う前提ですが、週刊誌を買って読む人だけならば、それでもある程度良いでしょうが、自分で買って読まないその他の大勢の印象だけで政治家その他がパッシングを受けて困るのですから架空の論理を展開していることになります。
週刊誌の発行部数を見れば分るでしょうが、購入者だけの意見であるならば国民の何%もいない筈です。
本日現在のウイキペデイアによれば以下のとおりです。
週刊文春
2007年上期には約52万部、2008年上期には約50万部に落ち込むものの、タブロイド化を目指したことで総合週刊誌の実売部数では2004年上期から(2008年下期現在まで)10期連続でトップに立っている[3]。

上記のとおり発行部数50万部とすれば人口の0、5%以下有権者の1%もありません。
・・まして発行したものが全店舗で売り切れることはあり得ないので、実売数はそのまた何割です。
しかも読んだ人の意見がみんな一致した意見である筈がない(記事を批判的に読む人も当然いる)とすれば、特定意見・・パッシング論が何故国民多くのうねりになるかと言えば、読みもしないで見出しで影響を受けてしまうムード的同調者が急激に増える現象があるからです。
裁判所は、実態(じっくり読む人など国民の1%もいないのに)を無視した判断を何故繰り返すのか?
見出しと内容が大きく違う場合それだけでも悪質ですが、これをみんなが良く読んで判断すると言う架空の認定を何故するのか?こんな無理を続けるにはなにか政治背景・・意図があるのかの疑いが生じます。
裁判所の偏頗な判例の集積によって、報道機関があることないこと大見出しでかき立てるとそれだけで政治家その他が参ってしまう・・マスコミに逆らえない・・第4の権力と言う風潮が生じてしまいました。
裁判所の実態無視判例の集積がマスコミを増長させ(占領軍支配下その系譜を引きずる)マスコミ支配強化を図る役割を果たして来たことと思われます。
今回の参議院選挙及び都知事選挙では、マスコミの独占報道を打ち破るネットの威力が白日の下に曝されました。
マスコミ関係者は話題にも出さない・黙殺方向が明白ですが情報独占の変化・・実態を隠し切るのは無理があるでしょう。
実質不公正なマスコミの「中立報道」がまかり通って来たのは、司法権の中立「良心」に従う裁判所への信頼によるものですが、この良心が揺らいで来たように思えます。
このテーマについてはApril 3, 2016,司法権の限界9(法と良心とは?1)以下で連載したことがあります。
実は「司法権の限界」はまだ連載中で先送りになっていますがその内に再開します

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