合計特殊出生率1と長寿化

 

人口問題では、合計特殊出生率が引き合いに出されますが、例えば飲食店等の客席10席で、1組の滞在時間が30分の場合には満席でも30分で全部出て行くので仮に順序良く入ってくると仮定すれば、3分に1組ずつ出ていって同じく3分に一組ずつの新たな来店客があると均衡します。
合計特殊出生率が2、08前後で(乳幼児や若年死亡率等の差があるので国によって違います)人口が均衡すると言う定説は、簡単に言えば上記出入条件・平均寿命が一定していることを前提にしているに過ぎません。
飢饉や戦乱・災害等でばたばたと人が死ぬと危機感をバネに出生率が上がり、(飢饉で有名なビアフラやインドではいわゆる貧乏人の子沢山が出現していました)平和で豊かな社会では出生率が下がるのは、こうした原理・・神の摂理によるのです。
戦後のベビーブーマ・・特殊出生率が4、54に上がったのは、復員兵があったからではなく、食糧難・民族消滅の危機感によるのです。
実際私の周りの伯父さん達は戦争に行っていませんが、子供が戦中までに4人もいるのに戦後更に2〜3人生んでいますし、復員とは関係がなかったのです。
江戸時代に少子で安定していたのは平和の持続による安心感によると見るのが妥当です。
前記の例で、ある時期に飲食店の客の滞在時間が(居心地が良くなって)50分に増えたばあい、同じ割合(3分にひと組)で客がやってくると入口で待ち時間が増える一方となるでしょう。
戦後復興が始まった頃からの日本は、平行して長寿化が始まり言わば、滞在期間の延びつつある食堂のようなものになったのですから、合計特殊出生率を2、08を維持していると、この世の滞在人口は増え続けたのは当然です。
このように人口が現状維持になるべき合計特殊出生率は、男女比や赤ちゃん等途中の死亡率だけではなく、長寿化も視野に入れないと意味のない数字になる筈ですが、これを全く無視して赤ちゃん等の死亡率と男女比ばかりで推計して何十年も同じような数字(2、08が良いか2、07が良いかなどを議論して)満足してるのですから不思議です。
飲食店の滞在時間が30分から50分になれば、客の来店頻度が5分に1組に減少すれば出て行く客と均衡するし、それ以下に減ったら店はがら空きになるのですから、長寿化の進んでいる現在では、人口論としては世上言われている合計特殊出生率の計算だけで、大変だと騒いでいるのは間違いです。
合計特殊出生率が1975年に2、0を切ってからも2005年まで約30年間もの長い間人口が増え続けていたのは、長寿化による滞在時間の延長が続いていた(上記飲食店の例で言えば、滞在時間が50分で安定せずに51分52分と延びる一方だった)からです。
仮に長寿化が年に1%進むとすれば、理論的均衡点の2、07から1%出生率が下がれば人口増がとまります。
ここで少し統計局のデータを紹介しますと、1950年(日本人の人口8262、7万人)1955年(8867、2万人)から、2005年(平成17年10月1日の確定人口=1億2612万人・総人口127,767,994人)まで増え続けていたことが分ります。
このことは、この長寿化のスピードに出生率の低下が追いついていなかったことになります。
ちなみに合計特殊出生率は、1947年の4、54から1950年の3、65に、1955年の2、35〜1960年の2、0(丙午の迷信による特殊性)〜1965年の2,14〜1975年の1、91に下がってから後は、毎年下がり続けて2005年頃からは1、198に下がっています。
(ここ数年僅かに持ち直していますが・・一直線の下降から安定しそうな雰囲気ですが・・これは長寿化の伸びが落ち着いて来たことによるでしょう。)

合計特殊出生率1と長寿化

  

人口問題では、合計特殊出生率が引き合いに出されますが、例えば飲食店等の客席10席で、1組の滞在時間が30分の場合には満席でも30分で全部出て行くので仮に順序良く入ってくると仮定すれば、3分に1組ずつ出ていって同じく3分に一組ずつの新たな来店客があると均衡します。
合計特殊出生率が2、08前後で(乳幼児や若年死亡率等の差があるので国によって違います)人口が均衡すると言う定説は、簡単に言えば上記出入条件・平均寿命が一定していることを前提にしているに過ぎません。
飢饉や戦乱・災害等でばたばたと人が死ぬと危機感をバネに出生率が上がり、(飢饉で有名なビアフラやインドではいわゆる貧乏人の子沢山が出現していました)平和で豊かな社会では出生率が下がるのは、こうした原理・・神の摂理によるのです。
戦後のベビーブーマー・・特殊出生率が4、54に上がったのは、復員兵があったからではなく、食糧難・民族消滅の危機感によるのです。
実際私の周りの伯父さん達は戦争に行っていませんが、子供が戦中までに4人もいるのに戦後更に2〜3人生んでいますし、復員とは関係がなかったのです。
江戸時代に少子で安定していたのは平和の持続による安心感によると見るのが妥当です。
若者の職が安定しないから、不景気だから出産が減っていると言う意見が殆どですが、生物本能としては安定しないときこそ、出産が増えるのが原則です。
前記の例で、ある時期に飲食店の客の滞在時間が(居心地が良くなって)50分に増えたばあい、同じ割合(3分にひと組)で客がやってくると入口で待ち時間が増える一方となるでしょう。
戦後復興が始まった頃からの日本は、平行して長寿化が始まり言わば、滞在期間の延びつつある食堂のようなものになったのですから、合計特殊出生率を2、08を維持していると、この世の滞在人口は増え続けたのは当然です。
このように人口が現状維持になるべき合計特殊出生率は、男女比や赤ちゃん等途中の死亡率だけではなく、長寿化も視野に入れないと意味のない数字になる筈ですが、これを全く無視して赤ちゃん等の死亡率と男女比ばかりで推計して何十年も同じような数字(2、08が良いか2、07が良いかなどを議論して)満足してるのですから不思議です。
飲食店の滞在時間が30分から50分になれば、客の来店頻度が5分に1組に減少すれば出て行く客と均衡するし、それ以下に減ったら店はがら空きになるのですから、長寿化の進んでいる現在では、人口論としては世上言われている合計特殊出生率の計算だけで、大変だと騒いでいるのは間違いです。
合計特殊出生率が1975年に2、0を切ってからも2005年まで約30年間もの長い間人口が増え続けていたのは、長寿化による滞在時間の延長が続いていた(上記飲食店の例で言えば、滞在時間が50分で安定せずに51分52分と延びる一方だった)からです。
仮に長寿化が年に1%進むとすれば、理論的均衡点の2、07から1%出生率が下がれば人口増がとまります。
ここで少し統計局のデータを紹介しますと、1950年(日本人の人口8262、7万人)1955年(8867、2万人)から、2005年(平成17年10月1日の確定人口=1億2612万人・総人口127,767,994人)まで増え続けていたことが分ります。
このことは、この長寿化のスピードに出生率の低下が追いついていなかったことになります。
ちなみに合計特殊出生率は、1947年の4、54から1950年の3、65に、1955年の2、35〜1960年の2、0(丙午の迷信による特殊性)〜1965年の2,14〜1975年の1、91に下がってから後は、毎年下がり続けて2005年頃からは1、198に下がっています。
(ここ数年僅かに持ち直していますが・・一直線の下降から安定しそうな雰囲気ですが・・これは長寿化の伸びが落ち着いて来たことによるでしょう。)

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