選出母体の支持獲得3と政治資金1

我が国古来からの価値観による政治よりは、民主化進展の結果却って選挙資金次第で正義の基準が動くことになってしまった政治家が多くなっているのではないでしょうか?
我が国の場合元々「民のための政治」という・・日本教とも言うべき宗教的意識が古来からあるので、この辺の価値観はいくらお金が重要になっても表層は別として深層意識では動いていない筈です。
我が国では古代から宗教自体が、五穀豊穣・民の平安(蒙古退散)を祈るばかりでした。
小沢元民主党代表が嫌われるのは、(何でも陰謀説によれば・・・)アメリカによる陰の動きがあったかも知れないとは言え、「お金次第」と言う価値観が露骨に出過ぎること・・我が国古来からの価値観に合わないからではないでしょうか?
小沢氏が自民党を飛び出した若い頃にはそれなりの意見があって、期待している人が多かったのですが、残念なことです。
彼は自分の意見・信念を通すには、数の力が必要・・そのためには軍資金が必要という論理になったのでしょうが、残念なことにお金の論理が全面に出過ぎてしまった面が否定出来ないでしょ。
野田政権は選挙すれば負けるので、消費税に関して民意を問うべきときに問えずに解散をジリジリと先延ばししてきましたが、ついに11月16日に解散決意表明になりました。
これは、自己保身・民主党の命運よりは解散表明によって赤字国債関連法案を通さないと日本のためにならないという古来からの日本教・・最後の最後で日本的正義を無視出来なかったと見るべきでしょう。
この点で彼は最後の最後で偉かったと思います。
ただし増税の必要性については、そのときのコラムで書いたとおり私は否定的ですが、ここでは彼が自己保身よりも国家利益と信じることに邁進する正義感に敬意を表しています。
明治維新のときに国内戦争していると、西洋の餌食なる心配から徳川家が身を引いたのと同じです。
民主国家においては、代議士の関心は先ず選挙に当選することにあると言われます。
どんな立派な意見を持っていても当選しなければ何も出来ないのですから、政治家たらんとする者の関心の第一は、当選出来るかどうかになるのは当然です。
選挙の洗礼をくぐるためには代議士は自分の意見よりも民意を重視することになるので、選挙権者を有産階級に限定しない普通選挙時代になった民主国家としてはそれ自体は良いことです。
しかし、実際には選挙資金のあり方が最も重要です。
アメリカ大統領選挙のように巨額資金を必要とする場合、民意によると言っても実際には広報宣伝活動に民意が左右されるので、資金の多寡で結果が決まって来るとすれば、選挙の結果が民意だというのはほぼ茶番になります。

オバマ対ロムニー」を裏で操るフィクサーの正体
PRESIDENT 2012年6月4日号
著者
ジャーナリスト 堀田佳男=文 PANA=写真
によると
「08年の選挙でオバマ候補は、約7億5000万ドル(当時約710億円)を集めた。史上最高額である。一方の共和党マケイン候補は約3億7000万ドル(当時約350億円)で、オバマ氏のほぼ半額に甘んじた。」

とあります。
12年選挙では10億ドルが目標というのですから巨額過ぎます。
資金力の差がマスコミやネット動画等を動員したネガテイブキャンペインその他世論誘導に大きな威力を発揮します。

民主主義と正義10(選出母体の支持獲得2)

為政者や政党の行為限界を画するための絶対的な正義の観念がなくなったので、大枠で決めておくために生まれたのが憲法制度です。
アメリカで言えばfor the peopleとは言うものの、何をすればfor the peopleになるのかは、選挙結果次第・・自国民さえ選択すれば侵略戦争でも相手人種殲滅目的でも何でも良いという無定見な国になっています。
アメリカでは、自由主義の限界を画すのが唯一連邦憲法(人権に関しては修正第何条)なのでしょう。
しかし、これでは積極的に何をするかの基準ではなく、人権を侵害しては行けないという法律家的消極基準でしかありません。
結局アメリカでは国内で多数の支持さえ受ければ、戦争をしようと何をしようと、国内の人権侵害さえしなければ、(相手国で)何を(人権侵害)しても良いという正義基準のない国になっています。
自国内でも市民権のある人は保護されるが「市民権」のない人は保護されない・・これが修正憲法が出来るまで黒人奴隷が容認されて来た憲法的基礎でした。
ところで多数の支持と言えば立派な感じですが、実際には大統領選挙資金が天文学的数字になっていることから、資金の出し手次第で正義が変わる国になっていると言っても過言ではありません。
今回のオバマ再選にはユダヤ系の資金が大きく寄与したと言われていて、11月18日当たりから(正確には、オバマ再選直後からイスラエルが対シリアなどで積極化し始めています)激しくなったイスラエルのガザ攻撃に対して、間髪を入れずにオバマはイスラエル支持を打ち出していました。
(その後エジプトの仲介で幸い停戦協定になりましたが・・・23日の報道)
ユダヤとアラブ関係について長期的にアメリカにとってどうすべきかの視点・論理などよりも支持母体への忠誠を示すことの方が重要な様子です。
(アメリカでシェールガスなど採れるようになったので、アラブの石油の価値が下がったとは言え・・露骨過ぎませんか?)
我が国の場合、元々革命がなくとも(民選ではないものの)民のためにある政府でした。
(民のかまどの煙を心配していた仁徳天皇の故事は作り話としても、こうした作り話が必要な国民性・・政府の正当性の維持には国民生活をいつも心配している姿勢を示す必要性・・価値観が、支配的だからこうした神話が作られたのです。
蒙古その他外敵から守るのも為政者を守るためではなく、為政者/領主/武士が犠牲なっても背後の民を守るために戦うものでした。
明治維新も日本民族を守るためには、政治システムを一新しないとどうにもならないという意識から始まったものです。
(だから北朝鮮の将軍様のように、薩長の殿様は政権を手に入れていません)
第二次世界大戦末期の特攻隊員も、自分の利益基準で動く中国的打算社会ならばとっくに逃げてしまったでしょうが、特攻隊員は銃後の家族や一族・村落共同体のために自分の命を惜しまずに大空の彼方へ飛んで行きました。
西洋の近代化・民主主義政体化と言っても政治目的の変更ではなく、選出方法を民選にしたに過ぎませんが、我が国は民選以前にどの階層が政権をとっても民の平安を祈らねばならない社会でした。
何のために、政府があるかの視点が文字を知るもっと前の古代から我が国ではあったのです。
民主主義体制になったことで、信念に基づいて正しいことをやりたくても、却って次の選挙で落ちるのでは困るようになって、「民意」と言えば聞こえが良いものの実際には大衆におもねる政治しか出来なくなってきました。

 民主主義と正義9(選出母体の支持獲得1)

フランス革命以降の政治は王族の血統だけで自然に為政者になれる時代が終わり、(それまでの王位継承の争いは血統が正統であるかが大きなテーマでしたが・・)支持母体の支持によるしか為政者になれなくなった以上は、為政者になりたい人(立候補者)は自分が為政者になれば何が出来るか、何をしたいかをあらかじめ支持者に訴えて行く必要が生じてきます。
為政者になりたい人+その選出母体グループにとっては、「何をするか」よりは、次期選挙で他の支持母体との政権獲得競争に勝つことに主眼・目的があり・・そのための方便として有利そうな「何をする」という公約を発表するようになります。
民主政体になると本来の政治目的であるべき「何をするか」が政権獲得の手段になり、何かをするための手段であるべき政権獲得が「目的」になって政治活動の目的と手段が逆転してきました。
公約は政権獲得の方便ですから大した重みもないし、政権を取ったらそのとおり出来るとは限りません。
選挙権者が拡大して大衆化して来ると、大衆受けする公約と選挙資金を提供する層との意見の分離が生じてきます。
この辺はこの後でオバマ政権誕生(再選)と巨額資金の辺りで詳しく書いて行きます。
労働者代表の共産主義政権・・1党独裁政権(これも民主政体の一態様です)が生まれてくると、これに対してアメリカは差別化を図るために自由主義・陣営と言い出しました。
民主主義革命を経ているというだけでは、選出方法が民意(血縁世襲でないというだけです)によるというだけで、民選形態も共産主義独裁もナチス独裁もファシスト独裁もあるので(大分前に書きましたが、独裁も、選出法方法としては世襲ではなく民選ですから民主主義の一種です)価値観が何も決まらないことの証左です。
では自由主義と言えば価値=正義が決まるかと言えば、何を言っても、やっても自由というだけでは何も決まっていない・・逆に予め何も決めないことに価値を見いだす政体です。
そのときどきの多数決によると言っても、その時々の国際情勢等の流れ・風潮次第になるので、定まった価値・正義はありません。
(絶対主義王政に対する相対主義世界の出現と言われる所以です)
共産主義(これは唯一の価値である共産主義を強制するので絶対主義の一種でしょう)の浸透に配慮して、20世紀には完全な自由ではなく、修正資本主義・・社会的修正をする方法が流行りましたが、どこまで修正したとしても自由主義と言う以上は強い者の自由を保障する本質を否定することが出来ません。
社会主義的修正は、強い者が恩恵的に社会保障費用を負担するだけであって、本質は強者・拠出者の意向にかかっています。
強い者の自由が戦後世界秩序だった・・この反作用として核兵器拡散の必要性が現実化して来たことを2012年11月15〜16日頃から書いてきました。
ところで、ソ連崩壊・共産主義政体の失敗で、単一利益代表形態はうまく行かないことが分り、今では先進国の大政党は多くの利害関係者を包摂した政党になっています。
従来は社会党や共産党あるいは自民党と言えばそれぞれが利益代弁する階層が明らかでしたが、こうなると大政党は何を・誰の利益実現を目指すのかさっぱり分りません。
そこでマニフェストの事前公開が盛んになって来たのですが、経済現象は複雑ですし、予め金利を上げますとか下げますと公約出来る性質のものではないのと同様に、世界情勢の変化その他いろんな事象に対して、予め固定した約束をする事自体がナンセンスです。
予め言ったことに責任を持つとすれば「経済危機があれば臨機応変に対処します」「国民第一」などと言う精神論くらいが、関の山でしょう。
その意味では、公明党の「公明」清潔を売り物にするだけで何をするのか内容不明の政党名は時代に合致していたことになります。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC