集団自衛権4(予測の複雑さ)

過去にあった社会現象ならば認識が簡単かと言うと、慰安婦問題、太平洋戦争の原因は何かなど過去の歴史事実だっていろんな意見があるので簡単ではないと言えます。
ただ、歴史論争は、過去にあった大量の資料のうちどれを重視するかの問題ですが、将来の事象になると現存する客観資料の取捨選択だけではなく、将来が到来するまでの間に、相手方も日本の防衛準備を見て変更余地がある分、不確実性が増します)
一般に予測というものには、客観事実を前提にその先を予測するもの・・たとえば東京駅で何時何分発新幹線に乗れば大阪に何時に着くという予測は、いろんな人間の営みに支えられているとは言え関係者の自由意志によって遅れるようなことは滅多にないので、言わば自然現象の予測に似ています。
雨が降りそうだからと傘を持って出たら、雨雲が人間がカサを持っているから雨を降らすのやめようと変更しません。
ところが政治や経済現象の将来予測は、その間に自由な人間の意思力によって相手の出方によって途中の方向転換が可能なので、どんな風にも変わってしまいます。
選挙で優勢の予想が出れば支持者が安心してしまって運動エネルギーが弱まる外、双方から頼まれていた人は絶対優勢の方は大丈夫だろうからきわどい人に投票しようとなって最下位予想の人がトップ当選し、絶対優勢を予想された方が落選するようなことが起きます。
自衛力を充実すれば、相手は方向転換して日本より弱そうなところに勢力を伸ばそうとします。
その他の国も充実すると、どこにも攻めて行けずに平和国家のフリ(養光韜晦)に戻るかも知れません。
日本に攻めて来ずフィリッピン等にも攻めて行かなかったから、無駄な自衛力だったと言えるかと言う議論になります。
集団自衛権の是非の議論に戻りますと、国防に関しては、非嫡出子判例のように過去のある時点の社会実態調査ではなく、現時点の判断である分だけ(情報が充分に行き渡る期間がない結果、前提事実なしの「解釈変更は是か否かという単純質問の場合、)意見も分かれるし難しいところがあります。
国防に関しては、具体的危機が迫ってからの世論変化→与党内擦り合わせに半年〜1年→法改正→同盟国との協議開始→実戦配備の訓練等をやっていたのでは間に合いませんので、5〜10年先の動向を見据えて今から議論しておく必要があります。
そこで10年先の動向を踏まえた現状がどうかですが、2014/04/18「無防備平和論と周辺国の実情2」前後で書きましたが、今やアメリカに頼って無防備のままではどうにもならないほど危険な国際情勢になっています。
今朝の日経朝刊では、多数の中国漁船(多分漁船を偽装した軍関係者でしょう)がベトナム漁船を取り囲んで体当たりを繰り返した結果、ついにベトナム漁船が沈没した(別のベトナム漁船に救助された)と報じられています。
相手が抵抗できないとなればどこまでもエスカレートして行くのが中国のやり方です。
同じく日本の哨戒機の何十メートル近くまで中国戦闘機が接近したと1昨日から報道されていますが、日本の抗議に対して「撃墜されなかっただけ有り難いと思え」というのが中国の反応です。
現在〜近い将来はアメリカ一国による安全保障の提供では物足りなくなって来たことが背景にあって、「弱小国同士が相互に助け合いましょう」となって来たのは当然の議論です。
圧倒的武力をもっている国や組織が治安維持してくれるときには、個々人は丸腰・非武装でも安全です。
戦後アメリカが警察官役を果たして来たので、我が国に限らず東南アジア諸国・・フィリッピンあるいは島嶼諸国は、元々国境観念が少なく国単位で隣国と大規模に紛争して興亡した経験がなかったこともあって、国防意識が希薄だった結果外敵の侵攻に対する備えが足りない・・準備不足である分、余計に助け合いが必要になっています。
アフリカの国境線は植民地支配国の勢力範囲の線で決まったものであって、民族や部族の生活圏とは一致していないことが有名ですが、インドネシアやフリッピンも植民地支配の範囲を1つの国にしたと言う点では変わりません。
多数の島々が植民地になる前から一体感を持って行動して来たことがありません。
インドネシアでは島ごとに言語が違って大変だったらしいですが、日本支配のときに日本得意の教育制度を取り入れたことで急速に言語の統一化が進んだと言われています。
ただし、ウイグル人等に対して漢語を強制する中国のように日本語を強制したのではなく、日本のばあい、台湾やフィリッピン、インドネシア等では、現地の多数言語の教育システムを構築しただけです。

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