外国人参政権運動の主役?(中国駐在自衛官自殺事件)4

学者などが中国近現代史の研究等で便宜を図ってもらい、一定の人と親しく往来するうちに機密に近いことを教えてくれる・ある日いつもの気楽さで訪中するといきなりスパイ罪で脅迫されると、折れて言いなりになる人と頑張って本当に拘留される人の二種類がありそうです。
無事釈放されても本当は日本社会を欺くお芝居でスパイ協力約束で釈放になっているのかもしれません。
全ては闇の中・憶測の世界でしかありませんが、関係すると恐ろしい世界です。
この脅しに困った自衛官出向領事館員が10数年前に自殺したことがありました。
この種の罠が日本のメデイア界や研究機関に浸透・常態化していないかの不安が生じます。
自衛官自殺事件に関する19年11月26日現在ウイキペデイアの記事です。

彼は総領事館と外務省の間で公電通信事務を担当していた通信担当官(現在、電信官の名称はない)であり、機密性の高い公電文書を扱っていた。報道された杉本信行総領事宛の遺書[1]の内容によると経緯は次のようなものである。
2003年当時、この館員はある中国人女性と交際していた(交際の詳細不明)。彼女は6月に上海市長寧区の虹橋地区にあるカラオケ店において、中国の情報当局により売春容疑で拘束された。当局はこの女性を処罰せずに翌日釈放した。この女性を連絡役として、情報当局は館員と連絡をとるようになった。接触したのは40歳代の「公安の隊長」・唐(名前)と、20歳代の通訳・陸の二名である。
2004年2月20日に、館員の自宅にある文書[2]が配達された。国家安全部を名乗り、館員、総領事または首席領事のいずれかと連絡を取りたいと要求し、携帯電話の連絡先を記してあった。注として公衆電話を用いること、金曜か日曜の19時から20時の間に連絡することが記されていた。館員が上記の隊長にこの文書について相談すると、隊長は2週間後に、文書の作成者を逮捕したことを告げた。館員の遺書によると、これはすべて彼らが仕組んだことだとこのとき気付いた、とある。つまり「逮捕」は館員に恩を売るための芝居であった。
これを機にして、隊長は態度を急変させ、在ユジノサハリンスク日本国総領事館への異動が決定した館員に対し、5月2日に「なぜ黙っていたのだ」(中国語で書かれた総領事館の全館員の名簿を見せ)「出身官庁を教えろ」と詰め寄った。さらに「おまえが電信官であることも、その職務の内容も知っている」「館員が接触している中国人の名を言え」「我々が興味を持っていることがなんであるのか分かっているんだろう」「国と国との問題になる」「仕事を失い、家族はどうなるのだ」などと、3時間に渡り脅迫した。館員は一旦協力に同意し、隊長に対し同月6日の再会を約束した。
その後この館員は、中国側がさらに重要な情報である領事館の情報システムを要求することになるであろうと考えた。外交の世界では「公電」という暗号化した電報を使って本国とやり取りを行う。領事館の暗号システムが中国側に漏洩していれば、日本領事館(場合によっては他の在外公館も)の動きや外務省の意思は全て中国側に筒抜けになり、外交の上で決定的に不利な状況に置かれる恐れがあった。
結局、館員は同月5日に合計5通の遺書を綴り、6日午前4時頃、領事館内の宿直室で自殺した。総領事あての遺書には「一生あの中国人達に国を売って苦しまされることを考えると、こういう形しかありませんでした」「日本を売らない限り私は出国できそうにありませんので、この道を選びました」と記されていた。
総領事から事件の一報を受けた外務省においては、当日の内に北島真一官房長、竹内行夫事務次官、それに川口順子外務大臣へと順に報告が行われた。協議を経て、数日後には伊原純一観察査察担当参事官をリーダーとする調査団を中国へと派遣することが決定した。内閣の情報機関である内閣情報調査室も調査に乗り出し、国際部門のトップが密かに現地入りした。彼らは館員達の事情聴取と資料の調査を行い、事件の損害評価と実態解明を行った。その結果、館員の自殺は中国当局の脅迫に由来するものであるという結論が下された。この情報は外相、内閣情報官、官房副長官までは報告されたが、首相には報告されなかった。

悲惨な事件ですが、自殺するほど愛国心の強い人は滅多にいないでしょうから、メデイア界の人や文化人は水面下で何でも言われるままになっている人がいないとは思えません。
慰安婦騒動では根拠ない発表していたことが発覚するとあたかも事実であるかのように書いていた吉田氏が、フィクションを書いて何が悪いと言い張ったようですが、単なるフィクショであるならば、韓国にわざわざ謝罪行脚だったかな?行く必要があったでしょうか?
そこまで心底の悪人っているものでしょうか?
背後に何かがあったと思いたくなるのが人情でしょう。
出てくる重要人物の動きが怪しすぎると思う人が多いでしょうが、公務員でもないので、捜査対象にならないからこういう罠にハマる人が出ても日本社会はやられ放題という印象です。
韓国ももちろん中国スパイが暗躍する格好の舞台でしょうから、パク大統領が中国べったりから翻意・離反して慰安婦合意をし、サード配備を決めたことで、中国の恐ろしさを示すためにも目に見える報復を狙っていたところ、まんまと引っかかった筋が想定可能です。
今日の日経新聞9pには豪州のスパイ関連記事で、

高級車ディーラーが与党から(いつと書いていないのですが来年?)5月総選挙出馬に際して中国情報筋?から資金援助を持ちかけられたことについて昨年1月豪州の情報機関I(ASIO)に相談をしていたところ3月にモーテルで変死した事件が報道され、報道番組終了後ASIO長官はこれを否定せずに「放送された内容を我々は以前から把握しており捜査を続けていると発言した

と紹介されています。
また

「16年最大野党労働党国会議員が、中国人実業あっから多額の新援助を受けていたことが明らかになった」「この議員は南シナ海情勢で中国寄りの発言をしていたことが判明した」

との記事になっています。
日本ではそういう露骨な発言や政治活動をすると目立つので、もっと超間接的な安倍政権批判のアラ探ししか出来ないでしょうが・・。

外国人参政権運動の主役は中国?3

宮澤首相訪韓が平成4年のことで訪韓直前いきなり慰安婦騒動が盛り上がったので本来訪韓中止すべきだったのでしょうが、とっさの政治判断ミスででっち上げ報道の洪水の中で訪韓したために訪韓を穏便に済ますために事実調査すらせずに日本不利な謝罪せざるを得なくなり、これがのちに慰安婦騒動の動かし難い起点になっていきました。
昨日紹介した記事中平成4年とはこれを中国が仕掛けたという意味でしょう。
産経の報道によれば以下の政治日程です。https://www.sankei.com/affairs/news/140913/afr1409130007-n1.html

虚報を垂れ流して日本と日本人を国際社会で貶(おとし)めた朝日とともに見逃せないのは、自民党の宮沢喜一内閣による事なかれの“謝罪外交”の存在だ。

宮沢内閣が発足したのは平成3年11月だ。翌4年1月11日、朝日は朝刊1面トップで、「慰安所の軍関与を示す資料」が見つかったと報じ、そのわずか2日後に加藤紘一官房長官が記者会見で、十分な調べもしないまま軍の関与を認めて正式に謝罪した。朝日報道の影響を受けていたと勘ぐられても仕方あるまい。

中国は反日教育しながら側面から慰安婦騒動を煽り、盛り上がりを見て韓国と裏で示し合わせて日本攻撃に出たのが11年の尖閣諸島海域侵入と反日暴動だったのでしょう。
この時は同時にロシア空軍機が日本列島一周の威嚇飛行をはじめ、同時に韓国李大統領はいきなり竹島上陸の実力行使に出ると同時に天皇侮辱発言まで行いました。
続く朴政権発足と同時に世界規模で慰安婦像設置や日本批判運動を起こしました。
慰安婦問題激化が1912年(平成24年)であり、中国の反日暴動直後で中国がレアアース禁輸や尖閣諸島海域侵入等対日攻撃の激しい時期だったので、連携プレー説に一応の信憑性があります。
韓国歴代大統領が中国のそそのかしに幼稚対応したというよりも長年中国の指導に1も2もなく従って来たDNAによる面があるでしょう。
朝鮮戦争で国土蹂躙され米軍に追い払ってもらった記憶の強い間は、米国価値観に盲従する期間でしたので、中国の直接影響が遮断されていたのですが、冷戦終了後中韓の国交が開始(1992年)されるとあっという間に中国への親近感が焼け木杭に火がついたように(対中貿易の方が大きくなった面もあって)復活して行ったようです。
米国は自由主義陣営の勝利と思い当時ジャパンアズナンバーワンという本が米国で出版されるなど日本叩きしていた時期でもあり、対中包囲網を緩め中国を交際仲間に引き入れれば、中国は総本家米国になびくと見て、アジア諸国の対中交流促進を応援するものでした。
韓国は中朝関係に楔を打ちこむ意図もあって?中国接近したものの逆に中朝にいいように利用される一方です。
以来米国の制止を振り切ってしゃにむに中国傾斜に突き進むようになり、中国の日韓分断政略にのめり込むようになったのがこの20年前後の流れです。
中国の台頭を見て米国による韓国の中国傾斜に対する危機感がバネになったブレーキが日韓不可逆合意になったでしょうし、今回のGソミア破棄表明に対する米国の強硬態度に押し切られた文政権の破棄凍結でしょう。
いずれにせよ、韓国は米国をまだ振り切るところまで行く力関係ではないので、しぶしぶの慰安婦合意やGソミア凍結ですから政権が変わる都度一歩一歩中国に近づき、それに連れて反日行動を強めていく(中国は帰参の手土産を要求しているでしょうから)のは目に見えています。
この辺の流れの理解は以下論文に(16年論文ですので、パク大統領以降は出ていませんが)大きな流れの理解では私と同意見ですので、関心のある方は以下直接参照してください。
http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2010/2016-10_003.pdf?noprint

引用省略
中国は国際政治経験はないものの宮廷工作には経験豊富です。
その一種としてのハニトラは有名ですが、その他贈賄等で籠絡していく巧妙な手口は数日前に発生した豪州への中国人スパイの亡命申請での報道でも明らかになっているところです。
https://www.afpbb.com/articles/-/3256283

中国から亡命希望の元スパイ、豪に膨大な情報を提供 報道
2019年11月23日 12:43 発信地:シドニー/オーストラリア [ オーストラリア アジア・オセアニア 中国 中国・台湾 ]
【11月23日 AFP】香港と台湾、オーストラリアで中国のスパイ活動に関わっていた男性がオーストラリアへの亡命を希望し、中国の政治干渉活動に関する膨大な情報を豪当局に提供していたことが分かった。豪メディアが23日、伝えた。
王氏自身も、香港と台湾、オーストラリアのすべてで、潜入工作や妨害工作に関与していた。任務の中には、中国本土に移送され、反体制的な書籍を販売した容疑で尋問を受けた書店関係者5人のうち1人の拉致も含まれていたという。
ナインによると、王氏は有力紙のエイジ(The Age)とシドニー・モーニング・ヘラルド(Sydney Morning Herald)、報道番組「60ミニッツ(60 Minutes)」とのインタビューの中で、中国政府が複数の上場企業をひそかに支配し、反体制派の監視と調査分析、報道機関の取り込みを含む諜報(ちょうほう)活動の資金を出させていることについて、「微細にわたって」説明した。

こういう記事を読むと、日本メデイア関係者が中国から(もちろん中国人が初めから出てこないでしょうが)間接的に色んな便宜を計ってもらうようになっていて一定の関係まで持っていくと架空のストーリーを仕立てて物を書くように言われる・・あるいは政権弱体化のために政府スキャンダルなどありもしないことを頼まれる様になる・・断れない・断るとこれまでの資金提供をバラスという脅しが普通です。
こういう罠にメデイア・文化人の多くが引っかかっている可能性があります。

北朝鮮化3と脱出・自殺願望1

我が国でもメデイア界は中国・韓国系に乗っ取られているのではないかの疑問を呈する意見が多いですが、昨日紹介した対談意見によれば、日本のメデイア乗っ取りを仕掛けている筈の本家韓国では、自分たち自身すでに悲惨な状態になっているようです。
浸透を仕掛ける手始めに韓国に浸透し、日本にその余波が及んでいるということでしょうか?
北の浸透目的は日米韓に楔を打ち込むことですから、一定の浸透に成功すればそれを利用して慰安婦騒動その他次から次へと問題を創造しては、嫌韓・反日、反米に発展させてきたのでしょう。
この種騒動は、韓国側だけでは上手くいかないので日米内部に呼応する組織が必要です。
現在この完成課程にあって、韓国の政権自体を内部から浸蝕しついに我がものにしてしまう最終段階にあるのかもしれません。
こういう見立て・文政権は北の工作員指令のままに動く人形の役割として見ればいろいろな言動に合点の行く人が多いでしょう。
対談意見が事実であれば、韓国は従北系思想に染まったメデイアの一方的報道に世論が左右されこれに反する意見は報道されない・・その上従北派に狙われると犯罪がでっち上げられて投獄される怖るべき社会になっているか、なりつつあることになります。
ソ連の収容所列島や命がけで脱北しなければならない北朝鮮人民とは違い、北朝鮮に併合される前・・今の内なら韓国は香港住民民同様に出国や移民は自由ですから、今のうちに!と移民願望が急増しているのかもしれません。
香港の中国返還が決まる直前に、香港人の米国やカナダ等の国籍取得が流行ったのと同じです。
上記対談によればリーマンショック以降韓国の経済状態は着実に成長しているので生活水準向上が続いているが、従北系に支配されているメデイアによって格差拡大とか一握りの財閥が悪いとかの不満を煽る論調ばかり目にするので、ムード的にみんなが不満を抱き、セウオール号事件で知られるようにちょっとしたことをきっかけに感情的集会が勢いを得るストレス社会の根源が理解できる主張です。
2000年代以降公式データが良いのになぜ自殺や売春婦・移民願望が増えるのか不思議ですので、データにごまかしがあるのかの疑問・データが正しいならば格差社会が原因・庶民大衆が貧しいままかの観点でこれまで書いてきました。
しかし一方で庶民の海外旅行者が増えている実態もあり、庶民参加するには庶民にもゆとりがないとできませんので、その矛盾が理解困難でしたが、上記意見を見ればある程度合点が行く気持ちです。
日本でもアメリカの真似をして格差拡大をメデイアが熱心に拡散しようとしていましたが、このコラムでは、「アメリカの流行を持ち込んでも日本社会にあてはまらないでしょう」と言う趣旨の批判論を書いてきました。
幸い日本ではマスメデイアの煽り報道にそのまま反応する軽薄な人は少数でしたの今ではこの種のあり行為は下火になりましたが、韓国ではまともに影響を受ける人が多い・その違いこそが基礎になる民族性の違いでしょうか?
GDPが上がり18万の給与の人が20万〜21万円と毎年上がってもメガメデイアが、億万長者と比較した不満を煽っていて、これを真に受けて不満ばかりでイライラムシャクシャするような民族ですと、いくら企業家や政治家が頑張って生活水準引き上げに努力しても「上をみれば」キリがない感じです。
ほどほどで満足する知恵・「足るを知る」ことのない民族・生きる知恵のない人が多いから不満・扇動に共鳴する人が多くなるのでしょうか。
不満のタネを探し求めている民衆相手では、政治家が何をしても不満がなくならないので「聞き分けのない子供」の気持ちを逸らす母親のように、いつも「日本が悪い」と大合唱していないと持たない社会になっているのでしょうか?
不満の告げ口、陰口ばかりの話題しかない民族の行き着くところ、何かのきっかけがあると日頃の不満が爆発する社会になります。
ヘル朝鮮と自嘲するのが普通になっている社会ですが・・だれか他人が悪いのではなく、自分たちで不満や告げ口ばかり・ぐちや陰口ばかり言い合っているから、世界一生き難い社会にしているのです。
ウイキペデイアの解説です。

ヘル朝鮮(ヘルちょうせん/ヘルチョソン、朝鮮語: 헬조선)とは、英語地獄を意味する「ヘル(Hell)」と朝鮮を組み合わせた造語[1]韓国の主に20-30歳代の若者たちが[2]、受験戦争の激化や若者失業率の増加、自殺率の高さなど、韓国社会の生きづらさを「地獄のような朝鮮[3]」と自嘲して表現したスラングである。2015年にSNSから広がり[4][5]、その後メディアや文化人も頻繁に言及して、流行語となった[6]

日本人の処世術は以下の通りです。
高杉晋作の辞世の句と言われる以下の句が人口に膾炙しているように、日本人の多くが暗黙合意している生き方は心がけ次第です。

「おもしろき こともなく世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」

ただし晋作は「おもしろく」までを詠んでコト切れたので、下の「すみなすものは」以下は野村望東尼の付句というのが物語に出てくる筋です。
漱石の草枕冒頭

 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい

というのもよく知られた一節ですが、これに苦しみ通す人生を良しとしない、高みから見て達観した立場の描写であり国民多くの支持を受けて残っているのです。
このように考えると日本人は下々に至るまで、高僧の境地・・諦観というか悟りの境地に至っている人が多いように見えます。

戦前政党政治の終焉(政治家の自殺行為1)

政党は政策論で競うべきであって相手の揚げ足取りで大臣の解任要求を主目的にするのは邪道です。
本来やるべき政治論争をしない低レベルの政府攻撃の繰り返しで、国民が政治家を信用しなくなり、政党政治が死滅していった戦前の歴史を再現したいのでしょうか?
戦前せっかく始まった政党政治が(在野政治家のレベルが低すぎたために)国民の信を失い、「レベルの低すぎる政治家よりもエリートに委ねた方が良い」と国民が思うようになって、政党政治が根元から腐っていったことは歴史上周知のことですが、戦後野党政治家、マスコミ、文化人?にはこの反省がなく、一方的に軍部が弾圧した治安維持法が悪かったという被害者意識の教育をし、国民に虚偽のイメージを植え付けてきました。
日本は明治維新以降急速な近代化に成功したとは言え、(戦後の韓国民主化・・形だけ真似して苦しんでいる今の韓国や、現在中国同様)国民意識レベルの変化は・・文化は3代と言いますが・世代交代しないと簡単に行きません。
明治の農村で行きなり洋風建築を建てても居住者の意識(はある程度「器」に影響を受けますが)がその日から欧米風になりません。
明治以降産業近代化に合わせて急いで欧米法制度の取り入れに勤しみ約20年経過でようやく国会開設しましたが、ザンギリ頭にして洋服を着たり議事堂さえ作れば政治風土が変わるものではない・・まだ政党政治をするには早すぎた・・国民意識とそれを基礎にする在野政治家の人材が育っていなかったのです。
このコラムで繰り返し書いていますが、昭和40年代中頃までは、何かある都度欧米事情に通じた「識者」が出てきて「欧米では〇〇」と解説する時代が続いていましたが、戦前は国粋主義・排外的時代だから、留学組の権威がないかというとそうではなく、今では想像もつかないほど外国風潮に通じている人の権威が高かった時代です。
中韓の反日運動を見ればわかるように、排外主義とは言い換えれば対外コンプレックスの逆表現であることが多いのです。
明治初期の大隈重信や板垣退助植木枝盛など見ればわかるように戦前政治家とは超エリート・・欧米先進事情に通じた者の仕事でしたから、欧米留学組が最権威者で結果的に、各分野の競争に負けて(板垣や大隈重信も下野したときに在野で敗者復活戦を仕掛ける仕組み)有り体に言えば落ちこぼれた2〜3流の人材・・一般人に比べて元官僚等である程度政治を知っていることを鼻にかける点は今の野党も同じです。
今後日本は欧米並みの憲法が必要という明治初年の民権論はそれ自体正しかったし政府も追いつく必要を感じて必死に準備していったのですが、憲法の下位の刑事や民事の身近な法令整備→日常的法運用に慣れさせるには教育から始めないとうまくいかないので)国民意識を徐々に涵養していく期間が必要でした。
たとえば民法を見ればわかりますが、民法制定にはその前提になる不動産登記(その前提には地番や地籍など特定制度の創設・・・江戸時代までは大名や旗本の功績を愛でて加増した時の知行地の表示を見ると「何とか庄の宮前の何反何畝」程度の特定しかなかったのです)や戸籍制度が必須です。
これらの準備期間なしに、いきなり「全国民に普通選挙権を認めろ」といっても、まだ選挙権者特定自体に無理があったし仮に選挙権を与えても小学校へ行ったこともない人口が大多数の時代に(明治初年にはまだ小学校制度が始まったばかり)猫に小判で、結局は地域有力者意見に従うしかないし結果的に政治腐敗がはびこるばかりになります。
これが後進国に対して投票箱民主主義を押し付ける米国流民主主義強制が失敗した原因です。
中国アフリカ等の後進国で腐敗指数が高い原因ですし、韓国で政権交代がある都度前政権幹部の(汚職理由の)検挙(昨日あたりから李明博元大統領の逮捕が騒がれています)が繰り返される原因です。
日本戦前の政党政治が自壊作用を起こした大元の原因は、制度設計が実力より早すぎた点は同じでしょう。
明治22年まで時間かけてようやく憲法発布になりますが、(日常生活を律するルールである民法は10年遅れの明治31年施行)それでもまだ日本社会が庶民まで参加の民主主義を運用するにまだ無理があったことがわかります。
ウイキペデイアによると以下の通りです。

1896年、明治29年法律第89号により定められた民法第一編・第二編・第三編(総則、物権、債権)及び1898年6月21日の明治31年法律第9号により定められた民法第四編・第五編(親族、相続)で構成されており、また附属法例として6月15日、明治31年法律第11号民法施行令が設置され[3]、全体が7月16日から施行された。これによりいくつかのそれまでの法規が廃止された[4]。原案起草者は穂積陳重・富井政章・梅謙次郎の三名である。
この民法典は、社会情勢と価値観が大きく転換する明治維新の後に妥協的に成立したものであった
日露戦争講和条約時(1905年)にもしも普通選挙があったら、メデイアに煽られるだけの庶民が政治に直接口出しできていたら講和条約がどうなったかと思うとぞっとする人が多いでしょう。
逆の立場では、「情報を国民に知らせない方が悪い」ということでしょうが、戦争中に「日本はこれ以上継戦能力がない」と内外に明らかにするのは利敵行為ですし、軍部内で強硬論が採用されなかった不満者が一部だけメデイアにリークすることによりメデイアが極論だけ煽った結果です。
選挙でまともな判断ができる人かの基準として学歴がなくとも一定の商売等の成功者(サントリーや松下創業者のように)は相応の判断力があると見るのが普通ですから学歴で決めるよりは公平です)一定の納税者を基準にしていたのは簡単な能力の篩制度としてコストパフォーマンスもよく合理的です。
普通選挙に関するウイキペデイアの記事です。
1918年 イギリスで男子普通選挙が実施された。ただし居住地以外に財産を保有する者は複数選挙権を得る。
1919年 ドイツ共和政において、世界初の完全普通選挙が実施された。
1920年 アメリカで女性参政権を認めることが連邦憲法修正第19条により義務付けられる[3]。
1928年 日本で衆議院選挙(第16回総選挙)の際に男子25歳以上(最初の男子普通選挙)の者で実施された。(普選運動

やっと欧米並みの憲法を制定し対外的に格好をつけたのですが、(農民がいきなり背広を着たようなもので)・鹿鳴館時代がわかり良いので揶揄されますが、日本社会全体・・法制度も背伸びだったことが分かります。
文字さえ読めれば選挙民の能力があるわけではないですが、日本の江戸時代から明治にかけての識字率や就学率の研究をした論文が見つかったのでその中の表だけ紹介しておきます。
https://opac.tenri-u.ac.jp/opac/repository/metadata/3735/JNK001702.pdf

表1 学齢児童就学率
出典:文部省『学制八十年史』  『学制百年史』『学制百二十年史』
年度         就学率(%)    年度    就学率(%)
1875(明治08)    35 19     1935 (昭和10)    99.51
1880(明治13) 41.0 6 1940(昭和15)   99.64
1885(明治18) 49.62 1945(昭和20)    99.79
1890(明治23)  48.93 1950(昭和25)    99.64
1895(明治28)  61.24 1955(昭和30)    99.77
1900(明治33)   81.48 1960(昭和35)    99.82
1905(明治38) 95.62 1965(昭和40)    99.82
1910(明治43) 98.14 1970(昭和45)    99.83
1915(大正04) 98.47 1975(昭和50)    99.91
1920(大正09) 99.03 1980(昭和55) 99.98
1925(大正14) 99.43 1985(昭和60) 99.99
1930(昭和05)  99.51    1990(平成02)   99.99

上記の表はその年の就学率ですから、例えば明治5年の学校制度発足後3年経過時にこれだけ就学したと言うだけのことで、(実際にはたまにしか学校に行けなかった子供が多かったでしょうし)小学1年にあがったからといってすぐに複雑な政治判断などできるはずがありませんし、みんなが卒業したわけでもありません。
この子供が3年間の義務教育を終えて大人になる20年後といえば明治28年です。

自殺と美意識

高齢者介護や未熟児の育児ノイローゼ関係が(子育て支援センター等の充実で)解決に向かう中で、中高年男性向け精神ケアーが遅れている感じです。
我が国では、成人を含めて精神疾患が増える一方ですが、生産手段の合理化・・共同作業の縮小と比例して日常生活の場で共同体意識も同時進行で縮小して行った結果が大きな原因の1つでしょう。
生産手段の分離化と消費生活協同の必要性は場面が違うのですが、これも近代化の更なる進展で重工業等の発展に遅れて家庭用電化製品あるいはレトルトフードや離乳食等が普及して、独身のままでもあるいは若い母子が年長者の手助けなくとも物理的側面では生活が出来るような外見が整ってきました。
家庭での電子機器化や個食その他のサービス環境が進んでも、心の共有化のない生活に耐えられないので今や疑似共有・ペットブームになっているのでしょう。
ヒトは何故心の共有が必要なのかと言えば、一人では生きられなかった何万年の歴史がそういう心情をDNAに刻み込んでいるからだと思われます。
男性よりは女性の方が心情共有に優れているし、より必要としているのは、男性は食料調達・生産手段(ひいては戦闘防衛)のための共同作業で足りるのに対して、女性の方は、生活手段を男性に頼る外にその先の子育て・日常生活にまで助け合いが必須だったことによります。
男性が近代工業化に組み込まれて行くと職場の共同作業はなお必要ですので必死に赤提灯を含めておつきあいに励みますが、その分家庭維持・地域の連帯から外れて行きます。
農作業や都市でも一定規模以上の一戸建ての場合家庭内の男性の仕事が多いので、それなりの家庭内共同作業を通じての触れ合いがありますが、マンションやアパートあるいは4〜50坪以下の戸建ての場合、家庭内で家事育児の共同以外には男性にはすることがありませんから、家事に参加しない限り男性は家庭内で孤立する傾向になります。
平成に入ってから家事育児に参加する男性が増えて来たのは、家庭を顧みない猛烈型社員の弊害(家庭内孤立)を見てのことでしょう。
ただ男性も二極化して来て、仕事や趣味等で外部で仲間が沢山いれば、重たい家庭は要らないと言う外向きの男性は独身のままでいる男性が増えてきます。
独身に限らずある程度心の共有化に成功している「筈」の結婚している男性や、子供のいる男でもうつ病罹患やその他の理由による中年での自殺が後を絶ちません。
夫婦・家族があると言っても、心の共有化までは進んでいない家庭内孤立している人だけが押しつぶされてしまうのでしょうか?
自殺者の増加を防ぐには、男女の心情共有化・・・家庭がその一般的形態でしょうが、これに限らない男女関係の強化を図るのが有効かも知れません。
心の共有がない孤独な独身者や家庭内孤立に限らない・・それまで普通の家庭人だった筈の男性がいきなり自殺する例もありますので、実際にはもっと別の要因があるように思われます。
自殺者の心理は前途を悲観して・・と言うのが一般的な理解の相場ですが、不治の病その他助からないからと言って、命を縮めても助からないことには代わりがありません。
とすると論理的ではないのですが、別の角度から考えると蒸発者の心理に似ているようです。
蒸発者とはこれまでの浮き世のしがらみを一切断ってしまう現実からの逃避ですが、これはあの世に逃げる自殺との中間に留まる身の処し方に過ぎず自殺者と気の持ちようが変わらないと思えます。
出世競争に敗れて惨めな生活をするよりはやめて別の会社に行った方がまし、一定の地位にあった人が格下げされて惨めに生きて行くよりは、蒸発して誰も知らない世界でもっと格下の仕事(仮に日雇い労務者・路上生活者であっても)をした方がマシだと言う人が多いものです。
大関までやった人は、大関から陥落したら潔く隠退すべきだとか、スター選手の力量が落ちて来るとまだ並みの選手程度の打率を維持していても隠退するべきだとする美意識があるのも同じです。
このルーツを探れば、戦時中の「生きて虜囚の辱めを受けず」や古くは切腹の美学に通じるのでしょうか。
この美意識も小説などで読んでいる限りなかなか迫力がありますが、考えてみれば、自分中心にどちらが良いかを考えた結果であって、残された家族の嘆きに思い至らない面があるようです。
(ごく最近では「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」(校長メッセージ)と題する檄文?が反響を呼んでいますが、・・・これなども同じ美意識の系列でしょう)
この点では、家庭内の心情共有のレベルが高ければ防げるのかも知れません。
我が国の(世界に誇る?)男の美意識には、この限度で、家族愛の欠如があるのかも知れません・・・。
我が国で自殺者が多いのは、家庭不和や相談相手がいない・心情共有者が少ないからだけではなく、蒸発者心理に共通のところがあるからではないでしょうか?
ここ10〜15年ばかり大関陥落後も居座り続ける関脇が多くなりましたし、(伝統的美意識こそ大相撲のよって立つ基盤でしたが、これの喪失も大相撲人気の退潮に関係があるでしょう)相撲界に限らずいろんな分野で結構しぶとい人が多くなって来ている印象です。
菅総理もやめると言って不信任決議の危機を逃れながら、その場を凌げるといくらでも居座れるだけ居座ろうとする姿勢・・・「騙しても何でも勝ち残った方が勝ち」と言う美意識も何も頓着しない姿勢は、今までの美学から言えば「みっともない」の一言です。
(鳩山前総理はペテン師と罵っていましたが・・・)
菅総理を支えて来た執行部さえも「辞めると言った以上は潔く辞めるべきだ」と言う姿勢(政策に反対しているのではなく・・)で対立関係になっているのですが、世の中・美意識が変わりつつあるのに気がつかない・・気がついていても気がつかない振りをしている方が今のところ、得策だと計算してのことかも知れません。
我が国特有の美学・「潔さ」に価値を置く美意識が廃れれつつあるとすれば、行く行くは中高年男性の自殺率も諸外国並みになり、長寿化がもっと進む(目出たいのかな?)かも知れません。
菅さんは、せいぜいお遍路に行って来るくらいで直ぐに復帰するつもりで、恥の文化など気にしないのでしょうから、長生き出来るでしょう?

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