ジェンダー5

 

何事も完璧化し、いろんなことにその考えを及ぼし過ぎると例外に属する分野で不都合な部分が目立ってくるものです。
身分制の場合、養子・猶子制度等でこの不都合をカバーして来ましたが、ジェンダーの場合、女性は男勝りとかの言葉で(褒めているのか女性としてはマイナス評価か不明ですが)カバーするしかありません。
女性的な男子は、今では草食系と言って逆に時流に乗っていますが、これまでは単に柔弱・軟弱とマイナス評価されるだけでした。
ジェンダーが強化されて来た結果、女子は稼ぐことに責任がなくて楽な反面、(今でも社会能力の劣る女性は結婚に逃げてしまう傾向があります)男に逃げられると生きて行けないので(その分男は簡単に逃げられない道徳が成立しましたが・・男の自制心次第です)忍従の日々を送らねばならない(・・ひいては男尊女卑思想が確立しました)のは行き過ぎとして、ジェンダー批判が起きて来たのです。
夫婦がうまく言っている場合には、お互いに自分の至らない(ジェンダー以前にやはり男女の特質の差があることが多いでしょう)点を反省して相手に対する尊敬と弱点を慈しみあって幸せなカップルとなれるとても幸せな制度ですから、それ自体悪い制度はありません。
私などは元々いろんな分野に無能ですが、ジェンダーの御陰で、「男だから仕方がない・・・」と許されて来て得したことが多いように思えます。
その分、何でも器用にこなしてくれる女性は有り難いと心底から感謝し尊敬しているので、比較的男女関係はスムースです。
しかし、うまく行く夫婦ばかりではありませんのでその場合にもこの法則が固く適用されている社会ですと、お互いに自由になれず却って不都合なルールになります。
男は、離婚直後少し不自由でもその内に相手を見つければ良い(経済力さえあれば家政婦も頼めるしどうにかなる)のですが、女性の方は不自由どころか実家がしっかりしない限り死活問題ですから、結果的に大概のことは我慢するしかなくなります。
この役割分担・ジェンダーは女性に損な分業だとして女性の社会進出が盛んになり、更には男性も家庭内の仕事を分担すべきだとする風潮になって来ました。
女性が外で働く以上は男性にも分担してもらわないと時間的に無理があるので当然の結果ですが、この結果女性は経済的に自立出来る人が増え、男性は女性がいなければ何も出来ない状態から、家事能力や女性専売特許だった文化的能力も徐々について来たので、子を生み育てる一点を除いては結婚するメリットが双方で縮小して来たことは確かでしょう。

ジェンダー4

女性には何故経済力がなくなったかですが、これまで書いているように、長期に及ぶ子育てのためにオスを引き込んでいる・・その結果ジェンダーとしてメスは子育てに専念出来る性となり・・その分本来の実力以上に経済力がないようになったのですから、ジェンダー自体女性が男性を家庭に引きつけるために生み出した智恵であって別に異とするに足りません。
ジェンダーについては、05/03/10「ジェンダーの成立1」05/05/10「ジェンダーの成立3」まで書きましたので、今回はその続きNo.4なります。
ジェンダーが確立してくる過程で、子供がいなくとも女性と言うだけで経済・社会的弱者で良いとなってしまったので、子供の有無にかかわらず女性が一人で生きて行く経済力がない(制度的に経済力を持ち難い)社会になってしまっていたのが、問題=行き過ぎです。
女性であっても、子を産みたくない人や生めない人がいるのですから、子を産まない女性向きやカップルが壊れた場合の用意が必要だったと言えます。
大卒と言うだけで高卒より能力がなくとも高給で待遇されるのは不合理であると同じように、(あるいは人種差別その他すべて一定の格付けで決まってしまう社会は不合理を内包しています)その不合理分だけ、大卒あるいは特定人種、家柄相応の能力のない人は得しているのです。
子を産む性を強調して、子を生まなくとも女性であると言うだけで経済力・社会性が不要と言う楽な状態を作り出して来たのは女性自身だったと思われます。
この特別扱いを強制・強化して来た結果、特別な保護がある以上子を産まないで保護を受けるのは狡い→子を産まないのは一人前ではないとする思潮が強くなって、女性に子を産まねばならないような強迫観念が発達し、子供を産まない自由がなくなったと思われます。
ジェンダーは男女どちらが主導したのかは別として、(私は女性の発案により次第に強化されて来たと思っています)女性の社会能力を減じた分、女性の立場を守るために女性は家事や文化力を磨き(独占し)男性の家庭内能力を減じる方向に作用し、(男が台所に入ることすらタブーになるほど)男は男で家庭に女性がいないと何も出来ないように(男は外で稼ぐほかは無能力化)されていました。
ジェンダー制は、完全化しすぎると双方ともに男だけ女だけでは円滑な生活が出来ないように(言うならば男女個体では不完全化を強調)してしまい、それぞれが相手がいなくては成り立たないようにした制度だったのです。
私は子供の頃に「人と言う字は一人では生きて行けない・・支えあって出来ていることを表している」とまことしやかに教えられて育ったものです。
漢字の本来の成り立ちをみると、人の立った姿を描いた象形文字・・単に二本足で立つ動物と言う意味に過ぎず、助け合うような意味はありません。
「人はパンのみにて生きるにあらず」(女性文化力の必須性の強調)とかアダムとイブの話も同じ範疇でしょうが、ジェンダーの成立後に、「男女は一対でこそ一人前」とする思想が成立して行った後の解説だったのでしょう。
千年単位のジェンダー思想刷り込みによって、子を産まない高齢者でもカップルが必要とする本能に近いものが今でも残っているのです。

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