政治家は発言を抑制すべきか?2

施設利用の展示会の場合、一般的意味の権力行使者は、施設使用許可権利者=県知事・・県施設利用の場合〜権限委譲によって下位に移転しているでしょうし、下位職員からの積み上げがないと県知事が直に権限行使できないでしょうが・下位職員に対する任命権や決裁等を通じて法的影響力行使権限が保証されていますが、市長には県施設利用許可に対して(間接的にも)なんらの法的権限もありません。
・・だからこそ河村市長は現場で座り込みするしかなかったのです。
市長が県施設に対する権力行使できる立場でないこと明白ですが、いかにも権力があるかのような表現をするには、市長が、不自由展に関する特殊関係(これが外野の人間には不明です)で何らかの「権力行使」できる特別な立場にあったと言う内情に関するイメージが膨らむような表現です。
この重要部分の説明をしない・・どういう立場で関与していたかを曖昧にしたまま・・「よくわからないが権力構造に絡んでいるのか?」というイメージだけ増幅する発言の疑いがあります。
昨年の騒動時には、私も河村氏氏が不自由展にどのような関与しているか不明であるが県の権力構造関係者のようなイメージで読んでいましたが、その気で読んでみると
報道されているのは「知事が委員長で河村氏が実行員会委員長代行」というだけで、内部的発言力は別として許認可等の外部権力行使できる人としては何の権力も有していないことに気づいた次第です。
実行委員会の仕組みの解説がないまま、

「表現の自由に対して権力行使できる立場」

と表現されているので、そもそも実行委員会が県の組織なのか県組織内でどういう権力を持っていたかすぐ理解できる人がどの程度いたかです。
内部関係の権力関係では、実行委員会がトップでしょうが、芸術監督という中間管理職をおく以上は、具体的演出等については特段の問題が生じない限り芸術監督におおむね委ねるべきはその通りでしょう。
〇〇製作委員会の映画なども、映画の具体的演出内容は映画監督に委ねて細かく口出ししないのと同じです。
しかし本件では実行員会からのクレーム・内部論争ではなく、公費で補助すべき対象か否か・・外部からの批判論争ですので、ここで内部論争の力関係を持ち出しても意味がないはずです。
河村氏が実行員会員として委員会で発言しているのではなく、(実行委員会と芸術監督との対立ではなく)外部の一般政治家として発言しているように見えます。
権力構造の視点で分解してみると、市場相場より安い施設使用許可権(補助決定)・権力行為は、施設管理者が持つものであって実行員会は、施設利用者・主催側の内部組織の頂点に位置する企画・実行委員会のようなもので、具体的実行は監督に委ね報告を聞いて承認する程度の役回りのようです。
内部権限は実行員会の実力次第でどこまで具体的関与するかは決まってくるのでしょうが、何れにせよ施設利用の許可を求める側の内部組織ですから、公的補助を決める政治権力が実行員会にあるわけではありません。
ちなみに、「権力」というコトバも社内権力闘争などいろんな組織内力学をいう場合があります。
個人的感想ですが、私が素人的に知っている感じの意味・・権力の「権」とは「仮の」という意味で理解しています。
(素人の思い込みですが、権現様・・この世に仮に姿を現した神様、権大納言、権帥、権大僧正等々は正式官位でない、仮の地位を表す・今でいえば部課長待遇の〇〇のような官名に使われてきたものと理解しています。)
近代産業革命に並行して発達した物理学の力学概念に便乗して「仮に力学の関係に例えれば」・という意味で政治学で「力」関係に応用して「仮に」表現することになったに過ぎず、どこの分野に応用しても本来間違いではありません。
しかし、津田氏の発言は、不自由展に対する河村氏の批判論に対する反論として

「政治家は、表現の自由に対して権力を行使できる立場であり、もう少し発言は抑制的であるべきだと思います」

と反論した文脈で理解すべきです。
上記は内部発言力の意味ではなく、一見して外部からの政治権力介入を意味していることになりそうです。
しかも「政治家は・・」という無限定な表現でありながらも「表現の自由に対して権力を行使できる立場であり」という表現から、表現の自由に権力行使できる政治家限定の意味も含んでいます。
正確に言えば「・・権力行使できる政治家は・・」というべきところ「政治家であれば全員発言抑制すべき」のような逆張りの表現をしたところが味噌です。
「逆は必ずしも真ならず」と言いますので、政治家であれば権力行使できることにはならないので、訴訟での認定では、「良く読めば分かるはず」となるのでしょうが、ちらっと読む程度の大多数の人にとっては、政治家はこういう発言をしてはいけないのか?という印象を受けるのが普通でしょう。
争点は具体的な「不自由展」に対する論争なのに、「表現自由」という一般論に広げて焦点をボカし、しかも権力を持つ人だけに対する批判を政治家一般に広げた表現にして、いかにも河村氏が表現の自由に対する権力行使しているかのような印象を広める効果を狙ったように見えます。
河村氏が表現の自由展に対してどのような権力も有していないことを知っていたから「・・権力を持つ河村氏という正確な表現をしなかったのではないでしょうか?
組織内権力関係・・ついでに実行委員会な役割に戻しますと、展示方向などを決める委員会(その下に芸術監督という現場監督みたいなものがあるものの)実行委員会と名がつけば、展示会の運営実行企画組織であり許認可を受ける申請側の組織位置付けが普通でしょう。
この場合の権力行使者は施設管理者であり、施設許可権限行使→許可取り消し若しくは特定展示品に限っての使用許可取り消しというものでしょう。
これをやったのが東京都美術館の権限行使であり、今回は県知事(条例等で美術館館長等に権限委譲?)が許可権者を兼ねているので、(これの行使をすると県が許可していたこと自体が問題になるので)これをせずに借りる側の委員長として委員長専決・中断して世論の動きを見ようとしたようです。

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