アメリカの神道敵視政策10と政教分離4

神道とは言わば、日本で自然発生的に生じていた「万物・お互いを尊重しましょう・併存社会的習俗・道徳規範を別の角度から言い表したに過ぎないものです。
神社で手を合わすから、今後お寺に行かないという排他関係にはありません。
排他関係にある社会の政教分離と対立のない融合・共存関係にある社会の政教分離では、本来意味・濃淡が違って当然です。
日本は、古来どんなものが入って来ても暖かく受入れてきたという意見を2013年10月19日ころに書きましたが、日本古来からの神々も仏教が入ってからは、いがみ合うことなく神仏習合で一緒の敷地で同居して来たことは周知のとおりです。
聖徳太子のころの蘇我・物部氏の戦いを如何にも宗教戦争であったかのように描く歴史漫画が多いのですが、これは西洋流思想の受け売りが過ぎています。
背景にどちらの支持が多かったかの視点は意味がありますが、西洋流の宗教戦争であったかのように描くのは間違いです。
実際に、その後各地の神社が潰されてりしていませんし、その後大化改新で蘇我氏の勢力が壊滅的に退潮しても仏教は弾圧を受けていません。
大化の改新の功臣である中臣(後の藤原氏)氏は神官の出自ですが、それだけのことであって、藤原氏氏自体が現在に残る興福寺を氏寺としていることから見ても神仏の対立によるものではないことが明らかです。
興福寺は近くの春日大社と併存していますが、神社は飽くまで建物が質素で、藤原氏の財力が興福寺に集中していたことが分ります。
神道自体これと言った教義もないことから、キリスト教や回教のように、教義・戒律違反と言って懲戒することがあり得ません。
神罰を受けると畏れる心だけがよりどころです。
せいぜい「自然をや物を大事にしないと罰が当たる」という程度の話でしかなく、具体的な処罰規範は神社にはありません。
今回山本太郎参議院議員が天皇に手紙を差し出した行為は、恐れを知らぬ行為だというだけでこれを理由に現世的な処罰を受けるべきものではありません。
法的に政教分離かどうかではなく、国民がどのように支持するかで決まる関係でしかなく、信じないものに現世的不利益を与えるところまで神道は期待していません。
神道とは言うものの習俗の抽象化したもの過ぎないので、日本の民主化の進展その他現世的社会生活規範と抵触することがあり得ないので、敗戦前においても具体的に何らの実害も生じていなかったことになります。
これを、米国が戦争犯罪の根源の如くに目の敵にして規制をする関連性・必要がありませんでした。
2013年10月19〜20日に書いたように仁慈・和を原則とする社会・・征服された方の全国の神々を日枝神社等で祭る社会と、勝った方が何でも出来る・・相手を絶滅させても良い非寛容社会とでは、原則と例外が逆になっています。
非寛容社会を前提に出来上がっている政教分離の必要性・・アメリカの理想(周回遅れの制度)を日本に持ち込んでこれを強制するのは滑稽なことと言うより、もっと奥深い策略があったと見るべきです。
日本にも一神教的非寛容な主張をする日蓮宗一派の不受不施派が生まれていますが、これは、日本の寛容・仁慈の心にそぐわないということで、江戸時代から弾圧を受けています。
西洋で成立した政教分離以前に、日本では非寛容な主張自体許されない・・どんな意見を言っても良いが、相手を絶滅させようとする教義自体が許さないという思想→言論の自由を保障する社会でした。
欧米では非寛容社会を前提にした排他的宗教が基本として、その代わりどの宗教でも政治に強力な影響を及ぼさないようにしようというのですから、日本とは逆の価値観社会です。
あるいは信教の自由をわざわざ宣言しないと強い方が相手をやっつけ過ぎるので、放っておけないと漸く理解した段階の社会です。
明治憲法下の我が国では信教の自由がなかったかと言うと、神道が優遇されていたからその意味で信教の自由がなかったという憲法論が普通です。
しかし、自由がないと言う意味をそこまで拡大解釈する憲法学者の意見は無理があるでしょう。
世の中にはその程度の不公平・不平等は(金持ちの子と貧乏人の子供や、親が芸術家で子供のときから芸術に接するチャンスのある子とない子等々)無限と言えるほどありますが、それを全部憲法(法の下の平等)違反と言って裁判ばかりしていれば社会が成り立ちません。

アメリカの神道敵視政策9と政教分離3

2013/10/26「政教分離⒉』以来徐々に話題がズレていましたが、アメリカの政教分離・神道敵視政策政策に戻ります。
西洋の政教分離・信教の自由は、相手が絶滅するまで攻撃をやめられない・・際限のない殺し合い・戦争になることから生まれた経験による智恵ですから、これは排他的な一神教にこそ必要として生まれた政治原理です。
・・ドイツ宗教(30年)戦争では人口が3分の1にまで減ったとも言われています・・。
政教分離が必要と言っても、その政治思想が生まれた経緯から見れば、宗教論で激しく争い相手の宗教を絶滅させることに政府や軍が関与してはいけないと言うのが本旨でしょう。
政教分離の歴史を見れば、神社仏閣の前で公人が手を合わすこと程度まで禁止するようなものではありません。
そもそもアメリカ大統領自身が、大統領宣誓式でキリスト教方式の宣誓をしているのがテレビ報道されています。
他方で戦後日本では神社へ奉納する数百円の真榊料でさえ憲法違反かどうかが大問題になり,閣僚が参拝すると公人か私人かが厳しくマスコミで問題にされます。
佛教関係に比べて神道だけ特に厳しく政教分離が問題にされて来たのは、今にして思えば異常な感じですが、アメリカの神道・・日本の善良な心の根絶・破壊目的だったのではないかとうがち過ぎてみれば理解可能です。
アメリカの真意・意向をうけた知識人やマスコミ人が、こぞって自虐史観を展開し善良な日本精神破壊に精出して来たのが戦後政治だったように見えます。
学者が権力になびくのは19世紀までの有産階級の余技としての学問とは違い、彼らはどこかで職・収入を得ないと生きて行けないので、支配権力の意にそわないと就職・研究出来ないから仕方がない面があります・・。
憲法で思想学問の自由が保護されるようになってから、思想学問の自由は却って窒息している・・科学研究費の補助がないと研究出来なくなっている側面を古くは04/30/05「少子化と民度・学力低下3(年金未納問題2)学問の自由1(憲法108)」以来あちこちで書いていますので検索して下さい。
最近ではJuly 31, 2012「次世代の生き方4(過剰労働力1)」にも少し書きました。
アメリカ政府は日本人の心の本質を戦争中によく研究していたことにより、本当は良く知っていました。
ただ日本を戦争に引きずり込みたかったルーズベルト政府は、対日悪宣伝を国民にしていたので国民もその気になっていただけだったでしょう。
酷い政治をして朝鮮人や中国人が困っていると言う対日戦争を煽る政治プロパガンダに反するので、日本人の善良性を国民に隠していたのです。
言わば大量破壊兵器がないのを知っていて戦争をしかけたイラク戦争と同じですが、兵器と違って客観証拠・物証が要らないのが有利でした。
「勝てば官軍」と言いますが、どんなでっち上げでも負けた方は反論出来ないのですから気楽です。
慰安婦同様に被害を受けたと虚偽証言する協力者を見つけ出せば足ります。
これが極東軍事裁判でした。
また虚偽風説の流布に合わせるためには、占領政策の第一目的として日本の崇高な和の心を打ち砕いてしまうこと・・どんな悪いことでもする大量の日本人のイメージの拡散が必要だったでしょう。
アメリカ流の利己主義・飽くなき欲望追求・・これが現実化すると巨大格差社会が実現しますが、邪推すればこれを目指すどん欲な社会にしてしまうことに目的があったことになります。
日本は古代から現在に至るまで、権力者になってもさしたる物欲を示さず質素な生き方が尊敬される社会でしたから、アメリカの価値観と真反対の社会です。
排他独善的な1神教による異教徒弾圧・苛烈な宗教戦争を避けるためには、政教分離は重要な政治原理になりますが、我が国の場合、元々八百万(やおよろず)の神々を尊崇仲良く併存する社会ですから、神道が盛んになってもならなくとも、その他宗教の盛衰には本来関係ありません。

アメリカの神道敵視政策5(日本人奴隷化1)

日本民族が如何に酷い民族であったかの宣伝を徹底するには、日本人の気高い生き方自体を否定する必要がある・・そうすれば戦前のアメリカ政府の宣伝が正しかったことになります。
万物を慈しみ畏敬する神道の存在・・日本人の和の心が残っているのでは、日本人が植民地で人道的な政治をして来た証拠になり不都合だったでしょう。
神道の否定・・政教分離・日本人のモラルバックボーンの否定・破壊こそは、アメリカが日本に戦争をせざるを得ないように仕組んで引きずり込んだ大義の証明に必要でした。
戦後日本人を退廃化させるにはバックボーンになっている神道の破壊こそが有効と考えたのでしょう。
戦時中の研究の結果、日本人の強固な団結心が神道によると分ったので、彼らは神道を目の敵にしたのです。
米軍占領政策の一部を2013-10-27日現在の「連合国軍占領下の日本」と題するウイキペデイアから抜粋します。

「1946年11月、ポーレーは最終報告として「我々は日本の真珠湾攻撃を決して忘れない」と報復的性格を前文で明言し、「日本に対する許容工業力は、日本による被侵略国の生活水準以下を維持するに足るものとする。右水準以上の施設は撤去して有権国側に移す」とした。軍需産業と指定されたすべてと平和産業の約 30%が賠償施設に指定され、戦災をかろうじて免れた工業設備をも、中間賠償としてアジアへ次々と強制移転させた。」

これを見ると決して日本人民を奴隷化するものでははないとポツダム宣言では言いながら、(ポツダム宣言に技書かれてること自体が怪しい・・実質奴隷化が目的だったのではないかと以前コラムで書いたことがあります)イザ降伏すると相手に武器がなくなったことを良いことにして、日本を日本の非支配下人民レベル以下に落とす・・軽工業と農業しかさせないという基本方針が決められました。
そもそも日本の民主化と植民地以上の工業生産禁止とどう言う関係があるの?アメリカの邪悪な意思が明らかな決定です。
欧米の非植民地の東南アジア等で読み書きさえ自由に教育されない・何ら植民地人には近代工業力を着けさせないというレベルにしか、日本人に生活させないという決意がここで証明されます。
実際に爆撃から守り抜いて漸く国内に残った工業設備がドンドン中国等へ搬出されました・・。
朝鮮半島は無傷でしたから、そこへは運びませんでしたが日本は焼け野が原でしかも残った工業設備も重要なものは全部(当時の植民地のレベル以上のものを搬出するとなれば、ほぼ全部です))持って行かれてしまったのです。
中国等へ搬出用に梱包作業を命じられた当時の日本人は明日からその仕事ができなくなるのですから、その心を思うと涙が出ます。
日本には存在を許されない工業設備を中国へ持って行くということは、搬出された国・・中国以下の工業力によるしか生活しかさせないという近代的奴隷化の実現でした。
物を作る能力があるのにそれを禁止し、燃料その他必要ならば輸入させる・・輸入代金は農産物輸出で賄えというのです。
・元々食糧不足国ですから、そこから輸出に回せばしょっ中餓死者の出る国・ひいては文化活動に割くに余力がなくなり、文化的にもアフリカ並みの国に転落させるもくろみだったでしょう。
能力のあるものに能力を発揮さないほど残酷な仕打ちはありません。
優秀な子供に勉強させないで家事労働等で酷使するシンデレラの話を地でいくような目標をアメリカは立てていて、表向き奴隷化しないと主張していたのです。
マッカーサーが最高司令官に選任されたのは赴任直前だったと言われていますが、彼が日本軍に対する復讐心に燃えていたので適任と考えられたのでしょう。

アメリカの神道敵視政策4と政教分離2

アメリカのルーズベルト大統領は常々日本支配下の朝鮮等の奴隷解放をするための戦争と国内宣伝していたようですから、日本支配下ではアメリカの過去の黒人奴隷以上の非人道政治を演出する必要がありました。
元々アメリカ世論は対日開戦に消極的でしたが、中国や朝鮮での奴隷状態を虚偽宣伝することによって世論誘導し、最後は真珠湾攻撃におびき出すことんによって、世論が決定的支持に変わったのです。
このためには、彼らは占領後朝鮮人に(連合国人道用の警察権の及ばない)奴隷状態におかれた可哀想な人民と定義して特権を与えて、日本統治時代の批判・その反動としての違法行為は仕方がないとして放置するなどけしかけました。
彼らに対しては日本の警察権行使を禁じたので、これにまんまと乗る朝鮮人も朝鮮人ですが彼らはいつも強い方につけば良いという正義感しかないからこうなるのです。
ただし、現在の慰安婦問題も全員が主張しているのではないのと同様に全員が暴虐行為に走った訳ではありません。
日本人でも泥棒がいるように、結局は違法行為に走る比率の問題です。
アメリカにも学者がいるので、対外的あるいは米国内向けに日本の奴隷支配下にある人民解放戦争と虚偽宣伝していたものの、実際には平行してアメリカは日本人の心の本質を戦争中によく研究していたことにより、その虚偽性を知っていました。
そこで占領政策の第一目的として日本の崇高な和の心の基礎にある神道を目の敵にしていたのです。
そうでないと戦争終了後(イラク戦争で大量破壊兵器が出て来なかったのと同じで)嘘の言いがかりで戦争をしていたことがバレてしまいます。
これがでっち上げの極東軍事裁判の必要性であり、その後に起きる慰安婦問題や南京大虐殺のでっち上げに繋がります。
実際アメリカはいつも架空の犯罪をでっち上げて戦争を仕掛ける傾向があることは、イラク戦争で大量破壊兵器が出て来なかったことでも証明されています。
虚偽宣伝ばかりしているアメリカの信用が失われて来た結果、今回のシリアでの化学兵器使用を理由にする軍事介入が出来なくなったのは、アメリカの宣伝を国際世論が信用しなくなったからでした。
最近ではアメリカの盗聴行為が大きな問題になっていますが、アメリカは今や不正大国の汚名を着るところまで追いつめられてます。
占領政策の第一目標として謙虚な日本人を・・アメリカ流の利己主義・飽くなき欲望追求・・これが現在現実化している巨大格差社会の発現の根源です・・を目指すどん欲な社会にしてしまう・・ひいては犯罪多発社会にしてしまうことがあったと思われます。
日本は古代から現在に至るまで、権力者になってもさしたる物欲を示さず質素な生き方が尊敬される社会でしたし、メザシの土光さんが有名なように現在も大きくは変わっていません。
この辺は幕末に来日した多くの欧米人が一様に賞讃・指摘する点です。
排他独善的な1神教による異教徒弾圧・苛烈な宗教戦争を避けるためには、政教分離は重要な政治原理になりますが、我が国の場合、元々八百万の神々を尊崇する社会ですから、神道が盛んになってもならなくとも、その他宗教の盛衰には本来関係ありません。
神道とは言わば、日本で自然発生的に生じていた「お互いを尊重しましょう」と言う習俗・道徳規範を別の角度から言い表したに過ぎないものだからです。
神仏習合を不思議に思わないのは宗教心が薄いからではなく、元々同居しても良い共存関係・神社で手を合わすから、今後お寺に行かないという排他関係にはありません。
排他関係にある社会で必須とされている政教分離と死活的対立のない融合関係にある社会の政教分離は、本来意味・濃淡が違って当然です。
アメリカや中韓人民は自分が支配者になればこういうことをやった筈だという想像・・自分の行動原理を基準に、戦時中から戦後に掛けて日本がやってもいないことをやったやったやったと批判するのに躍起ですから、却って彼らの心根・・自分がやってきたのかと疑われるようになります。
両民族はアメリカの言い分に便乗して、でっち上げ主張を激しくすればするほど自分の卑しさが浮き彫りになることすら、理解出来ないほど道義心が退化してしまった民族のように見えます。
自分達の非人道的植民地支配を暴かれるのが怖くて、全て日本がやったとありもしない犯罪をなすり付けるのがアメリカや西洋の流儀ですし、強者の論理に乗っかって日本批判をし続けているのが中韓両政府です。
アメリカは残虐な過去の歴史を消せないために、(ホンの数十年前まで黒人には公民権さえなかったことは周知のとおりですから、日本征伐には日本がこれ以上に悪い国だという大義が欲しかったのです。)これを薄めるためには日本やナチスがもっと酷いことをしたと宣伝すれば良いと思いついたのでしょう。

アメリカの神道敵視政策3と政教分離1

アメリカや中韓人民は自分が支配者になればこういうことをやった筈だという空想・・自分の行動原理を基準に、戦時中から戦後に掛けて日本がやってもいないことをやったやったやったと批判するのに躍起ですから却って彼らの心根・・自分がやってきたのかと疑われるようになります。
中韓両民族はアメリカの言い分に便乗して、でっち上げ主張を激しくすればするほど自分の卑しさが浮き彫りになることすら、理解出来ないほど道義心が退化してしまった民族のように見えます。
自分達の非人道的植民地支配を暴かれるのが怖くて、全て日本がやったとありもしない犯罪をなすり付けるのがアメリカや西洋の流儀ですし、強者の論理に乗っかって日本批判をし続けているのが中韓両政府です。
アメリカは残虐な過去の歴史を消せないために、これを薄めるためには日本やナチスがもっと酷いことをしたと宣伝すれば良いと思いついたのではないでしょうか?
それには、万物を慈しみ畏敬する神道の存在・・日本人の和の心が残っているのでは、日本人が植民地で人道的な政治をして来た証拠になり、不都合だったようにみえます。
神道の否定・・政教分離・日本人のモラルバックボーンの否定・破壊し、欧米並みの残虐獰猛・・私利私欲の追及が正しいとする生き方に変えることこそが、戦後日本人を退廃化・レベルダウンさせる基本原理として有効ですので、日本を支配する重要・・根本指針に定めたと思われます。
ポツダム宣言受諾の可否の時点から戦後ずっと国体の護持とこの破壊が戦後政治の基本争点でしたが、国体と言うと古い神格化した日本・・偏狭なナショナリズムの権化みたいに教えられて来ました。
アメリカのすり替え政策に学者が協力したことによって我が国では、自虐史観が横行して来たことになります。
国体の護持は古来からの日本人の心を大切にしようという意味であれば、これをぶっつぶし・日本民族の強固なアイデンティを破壊しようというアメリカの陰謀に組する訳には行きません。
いわゆる政教分離・信教の自由は、相手が絶滅するまで攻撃をやめられない・・際限のない殺し合い・戦争になることから生まれた経験による後付けの智恵(メッキ)であって、これは排他独善的な一神教にこそ必要として生まれた政治原理です。
・・ドイツ宗教(30年)戦争では人口が3分の1にまで減ったとも言われています・・。
政教分離が必要と言っても、その政治思想が生まれた経緯から見れば、宗教論で激しく争い相手の宗教を絶滅させることに政府や軍が関与してはいけないと言うことに気が付いたのが本旨でしょう。
政教分離が西洋で重視されるようになったのは、排他的闘争が行けないことに気が付いたからであって、そもそも我が国のように万物同等の価値観の国では縄文時代から克服して来た智恵です。
この辺は無制限に弱者をいたぶる西洋その他の国で修正のために生まれた人権思想よりも前・・万年単位で日本では、そもそも強者が何をしても良いと言う論理が許されない社会が成立しています。
お金持ちがいくら贅沢をしても勝手というのではなく、権力者も質素な生活しかしていない点も思想の根拠が同根ですが、幕末日本を訪れた外国人が一様に驚いているとおりです。
神社仏閣の前で公人が手を合わすこと程度まで、禁止するようなものではありません。
そもそもアメリカ大統領自身が、大統領宣誓式でキリスト教方式の宣誓をしているのがテレビ報道されています。
他方で戦後日本では神社へ奉納する数百円の真榊料でさえ憲法違反かどうかが大問題になり,閣僚が参拝すると公人か私人かが厳しくマスコミで問題にされます。
佛教関係に比べて神道だけ特に厳しく問題にされて来たのは、今にして思えば異常な感じですが、アメリカの神道・・日本の善良な心の根絶・破壊目的だったのではないかとうがち過ぎてみれば理解可能です。
アメリカの真意・意向をうけた知識人やマスコミ人が、こぞって自虐史観を宣伝することによって善良な日本精神破壊し・・欧米・中韓並みに私利私欲に邁進する社会(市場原理の徹底)の実現に精出して来たのが戦後政治だったようです。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC