日本人の心=日本教2(伊勢参り2)

日本列島では異人種・思想がきても反発するのではなく,暖かく迎え入れる懐の深い「和」の地域だという情報が秦漢の時代・古代から広く行き渡っていた可能性があります。
ちなみに我が国を古代において「大和のくに」と称したのは,まさに大きな「和の心」の集団という意味だったでしょう。
ちなみに,今で言う国概念ではありませんので「くに」とは地域・集団を意味する程度だったと思われます。
自民族以外を獣扁や鮮卑等の蔑称で侮辱したい漢民族の心は、これに長く精神的に属して来た今の韓国人の異様な歴史捏造熱・誇大妄想に繋っています。
日本以外の国々では、強者はどこまでも強く勝った以上は何をしても良いというのでは、最終的に社会が持たないのでキリスト教での宗教的修正が博愛精神の強調であり・・慈善事業・・アメリカで盛んな寄付の奨励となります。
今やアメリカでは寄付や善意に頼るだけでは、格差拡大の激しさを放置出来なくなって来てあらたな社会問題になってきました。
大革命以降は善意や宗教活動では補い切れないのが分って,法制度的には権利の章典・人権尊重ですが、これらはすべて内心の道徳律がないことを前提に外から矯正・押し付け・3権分立・外部控制(チェックアンドバランス)等で憲法等の法で強制する道徳です。
中国の儒教にはこの修正もないママできましたので、敗者・弱者は悲惨そのもので修正されないままできましたし、現在も似たようなものです。
政争に負けると(専制君主制の時代には政争に負けると罪九族に及ぶという大変な粛清が待っていました)大変なので,中国や朝鮮では古来から社会の発展あるいは正義が何かを考えるよりは、命がけで政争(讒訴等の打ち合いと、これから身を守る方法)に明け暮れて来ました。
専制君主制ではなくなった今も似たような独裁制ですから,いつ失脚するか分らないのでそのときの逃亡資金として私腹を肥やせるときに肥やせるだけ肥やしておく、同時に海外に妻子を前もって逃がしておく、裸官が盛んなのもこの流れの結果として理解すべきです。
古代から今に至っても中韓では賄賂政治やめられないのは、このような粛清・失脚制度に組み込まれている以上仕方がないでしょう。
世界中では日本人のように博愛・畏敬・和の精神が原則ではありませんから、原則として権力を握った方は苛斂誅求やりたい放題のとんでもない権力行使になりますので,人民・弱者の反抗や革命が必要になります。
中国の場合最後は流民の大量発生になって王朝滅亡することの繰り返しでしたが,今でもココから学ぼうとする気持ちにはなれないようです。
西洋では,フランス革命などを自慢して教科書に大々的に書かれますが,自慢出来たものではない・・為政者がそこまで国民を追い込んでいて気がつかないの?と日本で言えば恥ずかしい事件とすべきであったことをこのコラムで繰り返し書いてきました。
中韓がどんなに日本に対し、根拠のない非難をし続けていても、日本を頼って教えを請いに来れば日本人は誠心誠意、最新技術を研修生に教えて技術移転・近代思想移転に協力してきました。
彼らは学ぶだけ学んで後に「日本を追い越せば、日本に復讐したいと公言して已まないのにもかかわらず」です。
熊その他猛獣でも傷ついていれば、日本人はまず助けようとします。
その猛獣が元気になったら助けてくれた人を逃げ際に襲うかも知れませんが、そんなことに頓着しないで、苦しんでいればまず助けてやるのが日本人の心です。
実際日本で熊やイノシシが助けてくれた恩人を襲った話など、聞いたことがありません。
鶴の恩返しのテーマがいつまでも日本人の心を打つように猛獣でも恩を感じる筈というのが日本人の心ですが、中韓の人々は,猛獣よりも卑しい心根を持っているのでしょうか?
中韓では、時間の経過によって人智・道徳律が進歩するのではなく逆に退化・・人智は猛獣よりも狡猾な方向へ進んでいることになるのかも知れません。

日本人の心=日本教1(伊勢神宮1)

伊勢神宮参拝の話に戻ります。
私が30年ほど前に家族でお参りしたときには、寒いときでもあり人影もまばらで正宮付近には見渡す限り私たち家族だけの森閑としたものでしたが、今年の9月末に鳥羽で2泊して外宮から順にお参りしたときにはウイークデイにもかかわらず駅構内並みの雑踏でした。
私は郊外の森の散歩などが好きですから、雑踏の雰囲気は元々好きではありませんので今回は仕事を休んでウイークデイにしたのですが、平成に入ってから国民の神道回帰が進んでいる印象を受けました。
正確には戦後右肩上がりで推移していたのですが,平成に入ってから水面下を超えたので目立つようになったと言うべきでしょうか?
日本人は無宗教と言いますが、キリスト教のような非合理な教えには承服出来ないというだけです。
日本教と言うか日本人の基本姿勢は人智の及ばないのがこの世の基本であって、人智の及ぶ範囲はホンの僅かであると言う謙虚な姿勢です。
分らないのが基本であるから,自分以外のもの・・動植物含めて全て対する畏敬の念・・どんな動物も植物も人間同様に大切にする・・欧米のように万物の霊長・・山を征服するなどという観念はありません。
ましてや人間同士においてはタマタマ今自分が優位にあるからと言って、相手をいくらでも動物並み以下に貶めて良いという意識がおきません。
中国の歴史では勝てば相手に何をしても良いという無茶苦茶なおぞましい歴史のオンパレードですし、アメリカも動物と同視する奴隷制度やペスト菌を塗った毛布などバラ撒いて抵抗力のないインディアンをほぼ絶滅させた・・その残酷さは良く知られているところです。
アメリカに限らずマヤ文明やアステカ文明を滅ぼして殆ど跡形もなくしてしまったのも西洋人です。
我が民族にはそう言う歴史がなくどんな人でも動物でも家族同様に大事にする習性・・これこそが日本の和の心・・神道の基礎でしょう。
どこにも神がいまします・・八百万の神と言い、どこでも手を合わすのは、あらゆるものに畏敬の念を抱くからそうなるのです。
戦争に勝った相手の神も敬う心でやってきました。
あらゆるものがみな同じく尊敬の対象になる日本の社会で「和の心」が重視されるのは必然です。
これに対し日本以外の社会では異教徒かどうか同人種間でもエリートか否かの差別化が好きですから、(上層階級は働かないなど)そこには相手をそのまま受入れる方向よりは差別化→敵意が基本となります。
聖徳太子の言う「和」の心を随ではトンと理解出来なかったので、これを「倭」の国と貶めて呼称するようになったのでしょうか。
出土している「漢の倭の奴の国王」の金印は後漢時代ですから、聖徳太子よりはずっと古いので「和」を基本にする精神は聖徳太子よりもずっと前からの日本列島の基本ルールであったことによります。
私は元々和の精神は縄文時代からの精神だという意見ですが、これを対外的にも日本列島にいる人たちの特徴としていつから知られるようになっていたかのかまでは分りません。
縄文人と弥生人の争いを前提にした解釈が一般でしたが、(騎馬民族説もこの一種です)最近の研究では一定期間経過で折り合って、平和併存・・一緒に住むようになって行った様子が出て来ています。
政治的動機で作られた日本書記や古事記とは違う・・民衆の心を編纂した万葉集を見ても,諸外国に多い英雄を讃える詩文等とは違い、今の日本人同様の温かい「和」の心で満たされています。
日本では古来からの経験で渡来人がきて最新技術でも何でも入って来ると、そのまま懐深く受入れて従来の生き方と融合して行く智恵になっているのです。
佛教伝来や唐の律令制の導入や明治の和魂洋才(その間に鉄砲その他多種多様な文化の伝来を吸収してきました)もその応用でした。

用地取得とリゾート開発の心

避難用地取得のテーマで書いているうちに大分横にそれていましたが、仮に用地取得した場合を書いてきましょう。
予め土地取得して分譲予定の段階では、現実に住むようになるまで道路の形状の造成程度でとどめておくのが合理的です。
緊急時仮設住宅を建設する時に備えて道路造成と水(地下水のくみ上げ・濾過装置・水質検査など)や電気だけは予め引いておく必要がありますが・・・舗装までして何十年も放置していると駄目になるので、できるだけ陳腐化する投資はしない方が良いでしょう・・。
仮設住宅建設予定地あるいは生活利便設備建設予定地への進入道路予定地には、砂利を敷いて道路の形状だけ造っておけば、超期間経過で草ぼうぼうになっていてもイザとなった時にブルで地ならしをすれば、直ぐ仮設住宅・仮設店舗等の着工が出来ます。
自治体としては用地だけ確保しておいて、早めに別荘生活をしたい人は自分で好きな建物を建てて、順次移転を開始して行けば良いのです。
勿論一般商業的な分譲も拒まず、むしろその方面の客が来れば、その客向けの利便設備もそろい易いし、何かと便利です
政府から貰った巨額資金のうち約半分で用地取得や運営センターその他インフラ整備や管理費を賄うこととし、残り半分を個別分配資金として別荘建設・移転等補助金を出せば、(個人にとっては土地代がただですから、)のある程度(一般リゾート分譲地にあるグレード以上)の別荘向け木造家屋が建てられるでしょう。
こうして事故が起きる前から徐々に移転を促進しておけば、危険地域内住民自体が減少しているか、残っていた人でもイザとなっても自分の別荘に一時避難するだけで済みます。
事故発生時までに別荘用建物建築まで進まなかった人たちには、別荘村のセンター建物に(現在の体育館に寝泊まりする代わり)その他の施設に(林間学校用宿舎など)一時避難してもらい、その間に各戸あてに予定していた別荘用地に急いで仮設住宅を建設することになります。
(その費用は各戸あて分配すべき予定資金から控除となります)
徐々に別荘建築が進んでいる途中での放射能漏れ事故の場合、別荘村がある程度機能し始めて顧客向けのインフラ(コンビニ等各種設備)もある程度そろっているので、緊急避難者向けのちょっとした追加設備を造るだけで足りることになります。
私は20年以上前から八ヶ岳山麓の別荘村を開発しているリゾート会員になっていますが、(子供が大きくなってからは20年ほど別荘タイプのそこには行ってないので、今はどうなっているか不明ですが、そこでは長期滞在用に当初からミニスーパーも併設されていましたが、この姿をイメージして書いています。
放射能漏れ事故の場合、1〜2泊ではなく長期移転が前提ですから、避難先には食料品その他生活必需品の供給施設、教育施設(保育所から小中まで)や介護や医療、美容院、ドラグストアー、コンビにやスーパー等生活利便施設の併設が必須です。
現在のようにでたらめに空いている体育館へや廃校舍に避難し、仮設住宅を建てるにしても住宅だけ建てるのでは、そこに入居した人たちの生活が成り立ちません。
現在社会では何もかも(食料が自給出来ないだけではなく身の回りの世話さえ介護業者に頼る時代ですし、医師さえいれば良いのではなく薬局も必要です)外部供給に頼っているので、総合的な一括移転がないと生活が出来ないために、せっかく出来上がった仮設住宅の抽選にあたっても結果的に2割の入居辞退したとも言われています。
村全体でまとまって移転する計画があって、その用地を確保しておけば、原発周辺の人たちもかなり安心出来ますし、こうした予定地に関しては開発行為の特例として法的手続きも整備しておくことは可能です。
(今回はこうした手続き整備もなかったので、空き地があっても農地転用や開発行為の手続きが難しいなどの問題がありました。)
June 19, 2011事前準備6(移転奨励3)まで書いて来た巨額資金を活用すれば、村の機能・人のつながりを維持してそのまままとまって移転するような一定の準備をしておくことは可能です。
仮に事前に別荘建築する人がいなくとも、用地さえ取得しておいて各戸あての分譲予定地まで決まっていれば、残っている住民にとってもイザとなればそこへ行けば良いのだと言う安心感が違います。
まとまって行けば・・役場は言うまでもなくコンビニ(町の規模によっては小さなスーパー)や魚屋、八百屋、居酒屋、美容院、医療機関、介護事業所、学校や保育所その他の町や村の機能(ムラ社会で点在していたのを一カ所にまとめるだけです)もそのまま移転すれば、(ついて行けない農業・牧畜などの例外を除けば、)避難地での生活にも困りませんし、それぞれ元のお店や保育所などがそのまま移転すれば失業も少ないでしょう。
それぞれの仕入れ先・供給ルートに関しては「イザと言う時にはこうして下さい」などの事前協議である程度解決しておくことが可能です。
もしかしたら町内の零細工業所も取得用地内に一定の工業団地的な事業所用地が準備されていれば、人の避難・移転について、一緒に移転するかも知れません。
農業や牧畜自体の移転は難しいようですが、これも山間僻地の大規模用地取得のときには、過疎地で既に休耕・荒れ地になっている農地や採草地が多いので、予め借り上げる契約・・あるいは購入しておけば、イザとなれば牛や鶏なども連れて引っ越し出来ます。
各種事業所なども立地条件次第で、自治体の用意した土地あるいは近くの土地を手当てしたり、あるいは都会に出る個人同様に、まるで関係ないところに事業予定地を自分で手当する企業も出てくるでしょう。

©2002-2016 稲垣法律事務所 All Right Reserved. ©Designed By Pear Computing LLC