差異化社会2と多様な価値観の復権1

高齢者が自己の能力減退を見定めて生きているように、若者(中高年)も自分の将来の到達点を見定めて、老人並みに達観する能力を磨くことも重要です。
とは言うものの、若いときの特権で能力以上の遠大な夢があってこそ・・一見無謀な挑戦が成功することがあって、社会活力の源になるのであって「俺の将来こんなもの・・」と中学・高校時代から全員諦めている社会がどうなるかの心配もあります。
大方の若者が自分の能力に応じた選択して、たまに元気な若者が、夢に挑戦出来る社会・・・失敗すれば気を取り直して、別の方向へ転換出来るシステムが理想的かも知れません。
フランスその他の移民社会では、アラブ・アフリカ系移民2〜3世が将来の展望なく成人になって行く・・テロ予備軍になるリスクが、今になって重大問題になっています。
独仏等のアラブ系移民2〜3世のテロ予備軍は、本来能力(素質)がある子供もいるのに,移民したばかりの経済格差や言葉の壁などの外部要因でマトモな教育を受けられないことによる絶望的状況・・格差拡大・固定です。
難民の場合有能な人も交じっていますので、政策次第で何とかなる人もいますが、初めから現場労働目的で入って来る階層の場合、千年単位の文化継承が違う上に形式的知能指数基準でもいわゆる落ちこぼれ系中心になります。
代々の日本人でも社会の高度化について行けない人材が下から順に増える一方でこれをどうするかの問題に直面しているのに、日本語の通じない・家庭教育の習慣のない親に育てられた異民族2世の場合なお大変なことになります。
少年事件では(外国人)親が風俗系で働いていて朝方まで帰って来ない・・すぐに寝てしまうので弁護士の方から連絡出来るのは出勤直前の夕方しかない親がいます・・。
審判の結果自宅に帰れることになっても、親は寝ていて迎えに来られないと言う子もいて、その間事務所にいなさいと言うこともあります。
日本人の場合子供が事件を起こした審判となれば万難を排して親が出席するのが100%ですが、・朝起きられないからと言って、審判に立ち会いもしない・・行っても結果は同じと言えば同じ・・文化の違いに驚きますが、それは別として・・親が夕方からいない子供の家庭教育はどうなっていたのか?
最近学級に移民2世向け会話出来る教員配置の必要性などが言われていますが、社会にとって大変な負担になる割に大して効果のないことが明らかです。
私はこう言う結果になるのが分っているから、低賃金労働者受け入れの移民はやめた方が良いと言う意見を、古くは13年前の01/05/03「外国人労働力移入 2(人口減少賛成)」前後の連載で書いたのを手始めに、11/10/05「市場競争と脱落者のケア2(フランスの移民の暴動)」その他で繰り返し返し書いてきました。
目先労賃の安い労働力を利用すると、次の世代で膨大な負担と社会不安を引き起こし、大きな付け払うことになります。
独仏の移民政策の失敗・・目先の低賃金労働者確保目的でも移民導入政策間違っていたこと・・日本が人手不足代替のロボット大国になった成功を論じるべきで、ここまではっきりした段階で(独仏の移民受け入れ失敗→テロの恐怖に怯えているのを無視して)日本の難民受け入れが少ないとか、移民受入れ拡大主張を展開するおかしさには驚くばかりです。
ただし、日本では、偏差値その他で早くからスライスされ過ぎているので、早くから現実に目覚める・・夢を失った若者の続出は、(独仏等の移民2〜3世のように直ちにテロ予備軍にはならないでしょうが、)能力の低い若者が早くから閉塞感を抱くのをどうやってケアするかを検討する必要がある事は確かです。
人間に能力差がある限り優勝劣敗が起きるのは不可避ですが、これをいつどの時点で知るか,転換の容易さやどんな職業も尊敬する社会か否かによって、達観出来るか自暴自棄になるか、精神科医の世話になるか,原理主義宗教・テロ組織に入るかが分かれます。
自分の能力限界や適した方向性を早く知った方が不適性な方向へ間違って進まないで済むし、無駄な努力をしなくて良いので、1面では合理的です。
40歳まで挑戦し続けてやっぱり無理だったと諦めるのと、10台で諦める・・自分の限界を知るのとでは、効率性や衝撃度が大違いです。
教育界が多様な人材が必要と教研集会などのテーマにしながら、画一基準で選別教育していることについて、02/05/07「多様な人材の生きていける社会へ1」以下で批判した・・その他でも折に触れて批判してきました。
唯一神を基本とする社会・・画一的価値観の西洋から導入された学校基準に毒された(知育偏重基準のより上位を目指す)無理な挑戦にこだわらないで、出来れば早く方向転換した方が良い人が一杯いる筈ですので、早めに進路選択を決めた方が良いのは確かです。
進路選択が仮に早く決まるとしても、自分は東大や超1流大学は無理で、そこそこの大学しか行けないと分っても、その程度のことで人生に絶望し、自暴自棄になる人は少ない事は誰でも分ります。
ここで強調したいことは、偏差値基準の単線的上下格差を固定する進路選択ではなく、偏差値最低レベルの高校でさえもついて行けない子供でも、多様な価値観・・植木職人やトビ、ペンキ、基礎工事等々・・小さなものを終日根気よく磨き上げるのが好きな子供もいることです。
従来型ルートから外れてもアップルで有名なジョブスのように大成功する人がいる・・こう言う可能性を言うのではありません。
ジョブズの場合は、従来型単線的価値観の達成を前提にその目標に達するための別ルートに過ぎません・・。
私の言うのは到達点自体の多様性です・・路地の片隅の居職人のママまで、最後までこつこつとやって一生終わって行くことで満足する人が一杯いる・・日本では昔からこう言う生き方を尊敬する社会です。
日本古来からの伝統である多様な社会・・あらゆるものに神宿る・・多神教の社会を取り戻そうと言う意見です。
大きな神社も、寒村の祠も大切にする・・いろんな道具や物品・生き物まで◯◯の神様△の神様としてそれぞれ大切にお祭りする社会です。

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