クリスマス・イヴ

ことしもイヴになったので、日常世俗的意見からはなれた特別ブログです。
いつも書いていますが私はキリスト教徒でもないし、単なる日常のイベントとしての家族的行事の1つにして楽しみを増やして来ただけです。
キリスト教自体を悪くも善くも言うつもりはありませんが、この行事自体は我が国の冬至の行事を現在風にアレンジした楽しみとして我が国にも根付いているのは良いことです。
まして平成に入ってから、天皇誕生日と連続するのは、なお便利で目出たい運のよさと言うべきでしょう。
昨年あたりからイヴは、ウイークデーのために前日の天皇誕生日と合体して祝い・楽しむことにしています。
最近は午後3時ころからデパート地下での買い物をして、夕方からゆっくり楽しむようになったので、休日でないと困ります。
その内仕事を辞めればウイークデーでも何でも良いのですが、今のところ仕事を休んでまで・・とは行かないので、一日早く天皇誕生日のお祝いを兼ねて楽しんでおくことになります。
子宝と言う言葉がありますが、子供達の小さいころのクリスマスも良い思い出ですが、娘達が大人になってもやはり娘と買い物に行くのは楽しいものです。
これが年寄りだけで、華やかなデパ地下の買い物に行くようになるのでは、どこか侘しいような気がします。
よる年波に勝てないと言われるように、若いころのように目一杯おいしいものを食べる楽しみがなくなってきたのは少しばかり残念です。
とは言うもののまだ(あれも食べたいこれも食べたい・・)慾がありますが、実際には量を食べられなくなって来たのも自覚しているので、徐々に食べたい意欲が縮小して来ているので自然に適応して行けそうです。
高齢化は、こうして悟り(レベルの低い悟りですが・・)の境地に自然に変化して行くものなのでしょう。
若い人から見れば、「あれも出来ないこれも出来ない高齢者は可哀相だ」と思うでしょうが、実は日々体力・知力の衰えを自覚しながら生きているので、日々悟りの境地を切り開いて・・仏様に近づいているのが高齢者です。
出来ることがドンドン少なくなり、その都度体力の減退を悟っている内に、出来ることの方が少なくなって、最後は息を引き取るのが高齢化進行であって、言わば100%出来なくなる=100%の悟り・仏様に近づいていることになり・・有り難いことかも知れません。
自分が出来なくなったことを次々世代・・孫でなくとも他人の子供でも冷たい手で寒風の中を走り回っているの見るのが楽しみになって来るのが高齢者です。
自分の慾が細って行き、自分の若かったころの慾を代わって満たす存在、次世代に引き継いで行く精神になって行くのが高齢化の効能?といえるのでしょう。
とは言うものの、自分に関しては一定時間歩くと疲れ易くなったのを自覚する程度で、まだ出来ないことは殆どないと思っているのが現状ですから・・周りは言い難いだけでしょうが・・これが老害と言われるものかも知れません。
弁護士会では、若手弁護士の担当する委員会からは大分前から足を洗っていますし、それほど老害をまき散らしていないと思います。(まき散らすほど偉くない・・?)
自分で経営している事務所は、老害と思えば客が来なくなる・・市場チェックが働くので客が来る限りその評価によれば良いことで、出処進退を心配しなくとも良いのが有り難いことです。
ただ、味やセンスが悪いから客が来なくなるようなお店系とは違い、弁護士の場合は、弁護士能力低下に気がつかない客が来てくれるだけかも知れず、受任してミスが起きたら大変です。
この辺が資格に頼る業態の難点で、客が選んでくれるから客が来る限りいつまでもやっていて良いと言えない難点があります。
老害と言うのは言わば組織内に滞る弊害の問題ですが、個人の場合、老化に応じて飛んだり走ったりしないようにするのと同じで、自衛のために若手向きの仕事から徐々に手を引いて行くしかないのでしょう。
今年もいつものとおり賑やかなデパ地下での買い物を楽しみに午後から出かけましたが、近年牛肉は胃にもたれて困るようになったのですが、クリスマスは鶏肉中心ですから気楽です。
大混雑の中で多くの若者が買い物に並んでいる熱気に触れるのを楽しみに行くことになります。
今年はこれまで使っていたロウソクを近代的にしようと言うことで、LEDを利用した大型のロウソクみたいなものをネットで買い求めました。
ローソクの形になっていて炎が揺れるよう見える仕組みですが、内容はLEDなのでロウが垂れることもなく綺麗で、しかも長時間使えてオシャレです。
玄関ホールを暗くしておいてこれをおくと背後の壁に大きな炎の影がゆらゆらと映るので、クリスマス前から楽しんでいます。

クリスマス・イヴ(天皇誕生日)

今年もクリスマス・イヴになりました。
今年は24日夕方から東京地裁の事件が入っているので、24日夕方からのデパ地下での買い物の楽しみを享受出来ません。
そこで直前21〜23日の連休をクリスマス休暇になったつもりで先に楽しんでおくことにしました。
まして23日は天皇誕生日でもあります・・本来このための国民の祝日ですから、あわせて楽しむ?お祝いすることにしました。
日本ではキリスト教徒の宗教上の祭りではないことから、私にとって厳密に24日でなくとも何の支障もありません。
23日早めにデパ地下に行くとそれなりに客が多かったですが、例年の24日に比べると買うたびに並ぶ必要がなく、(品定めをして一巡してからイザ買おうとすると売り切れという心配もなく)落ち着いて買い物が出来て満足でした。
私も高齢化のせいで大量に食べる楽しみがなくなったので、準備等の過程を楽しむしかないようになっています。
デパ地下でみると、今年は小ぶりのケーキやオードブルが主流のようでした。
旅行や名所旧跡めぐりもそうですが、その道行きを楽しむのが日本文化の神髄ですからその延長と思えば良いことです。
街の造りも、西洋では道路は通過するための設備ですが、日本は昔から、歩きながら商家や塀の造りなどを眺めて楽しむ習慣です。
江戸時代から東海道53次の弥次喜多道中記や、広重の浮世絵などが版刷りで大量に売れて来た下地です。
伊勢神宮そのものよりも道中の楽しみを描いてヒットしているのです。
伊勢神宮も本殿自体は大した建物ではないのですが、参道を歩いて行くその道行きに価値があります。
各地のお祭りでも、約1年かけたお祭りの準備自体が楽しいというのも同じでしょう。
ココ⒉〜3週間のことですが、年齢の所為か風邪気味のせいか不明でしたが、かなり食欲というか胃の許容量・・消化能力が落ちて来たことを痛感するようになりました。
「見た目に若いだろう」という変な自己過信が身体の内部から異議申し立てを受けている感じです。
「年寄りの冷や水」と古来から言われていますが、私の場合、頑健なタイプではない御陰で身体が先に教えてくれるので、いつも年齢相応に生活スタイルを変えて来られてあり難いことです。
年齢相応に筋肉・スジが固くなっていることが(ホンの短時間でも庭先で草花の植えかえなどやっている直ぐに腰が痛くなって、しかも治るのに時間がかかる)よく分ります。
部分的に若者の真似をするとバランスが悪くて転んだり、つまづいたりいろんなリスクに直面しそうです。
駅に向かうときもスジが固くなっているから歩くスピードを落とした方が良いのかなと、早めに家を出て意識的に対応してみると直ぐにゆっくり歩くのが身に付いたのには驚きました。
秋の終わりころに都内青山で食事した後に娘の買い物のために麻布辺りのお店を探してやっと目当てのお店に着いたときに、歩いて疲れた感じがしたので、店の前に通りかかったバスに乗って新橋に出たことがあります。
高齢者優先席に取りあえず座って,「高齢者が来れば立てば良いか」と娘に言ったら、「お父さん立派な高齢者だよ!」と言われてしまい「そうか!」と自覚したばかりです。
自分では「年寄りではない」と無意識に思っていましたが、古稀を過ぎて年齢的・外形的にも立派な年寄りの仲間であることを自覚するようになりました。
以来、ちょっと歩いて疲れるということは、運動量のセーブ→エネルギー摂取量も少なくて良い筈・・食べるのも控え目にして胃に負担をかけないようにしていると、あっという間に胃がしぼんだらしく、(ココ数週間風邪気味になっているせいなのか原因不明ですが・・)食べたくとも多く食べられなくなりました。
身体がいろんな面での規模縮小を要求していたのに、気が付かなかっただけのようです。
今年からは、クリスマスのご馳走も(量を縮小し)準備を楽しみ、目で楽しむのを基本に変えました。
言わば今年末は高齢化仕様元年というところです。
私ごとはこのくらいにして天皇誕生日祝いとして一言書き添えます。
「戦時中から戦後廃墟からの復興〜平成と激動の80年間・・「価値観の変動する大変な時代を生きて来られたのだなあ!」という感慨・共感(私は80年も生きていませんが一部共感)がひとしおです。
お疲れさまでした。
我々庶民・下々は生きるための変化対応中心(・・無我夢中で対応していれば良かったの)ですが、陛下の場合は、食うのには困らない代わりに価値観の大変動にあわせるご苦労があったでしょう。
ご苦労を偲び、末永く御健康であらせられることを祈念する次第です。

クリスマス・イヴ

いろいろな政治・社会・文化問題について徒然なるままに書き連ねている内に今年もクリスマス・イブになりました。
慣例に従って今日は、世相から離れた話題になります。
今年は休日の並びが良くて22日(土)からの3連休でゆっくり出来ます。
子供の小さいころには季節を問わずに連休がありさえすれば、ほぼ毎回喜んで家族旅行に出掛けたものですが、今では3連休がある程度ではとこかへ旅行したいとは特に思わなくなってきました。
(ここ20年ほど夫婦だけでの旅行になった、・・子供の学校に縛られないことと、これまで充分に働いて来たこともあって、ウイークディに食い込んで旅行することに罪悪感を感じなくなったこともあります。)
当時(昭和50年代初頭に)はまだ土曜休日ではない時代でしたので、2連休があるだけで嬉しくて金曜日の夕方早めに仕事を終えて新幹線で京都まで行ったり、三河地方へ行ったりして連休さえあれば家族旅行していました。
年末年始や夏休み、ゴールデンウイークには1週間ほどまとめて九州・北海道・小笠原などの長距離旅行に当てていました。
(新造船・小笠原丸就航のニュースを見て、船に乗って小笠原に行ったのはまだ3人目の子供が生まれる数年前でした)
2〜3日の連休は、新幹線線沿線中心に(豊川・三河湾周辺での2泊旅行も何回かしましたし、延々と路線バスに乗って伊良湖岬まで行ってそこで2泊ほどして船で伊勢にわたるなど僻地もくまなく?)あちこちに行きました。
何回目に京都へ行ったときのことか思い出せませんが、(勤労感謝の日に関連する連休に)夕方3〜4時ころに事務所を出て京都につくと7時過ぎころで駅前に建設したばかりのセンチュリーホテルに泊まって明くる日には慌ただしく奈良へ向かったのも、よい思い出です。
(夕方に千葉を出るのでは、その日のうちに奈良まで行くのでは遅くなり過ぎるから京都で前泊しました)
法隆寺では塀の外で柿を売っていたので、隣の6角堂の縁に座って持って行った果物ナイフで柿をむいて子供達に「柿食えば・・」の俳句を教えながら食べさせたりしました。
このときはまだ3人目の子供が生まれる直前でしたから、幼児を抱えての旅行三昧だったことになります。
3人目の子供が生まれた後は、当時パンパースが出回り始めたこともあって、大きな紙袋に大量に詰めて上の子ら(小学生になっていたので)に持たせたりして種子島や屋久島方面に1週間単位で旅行したこともあります。
子育ての最中にいつも旅行ばかりで目が回るような忙しさだったと後になって妻に言われていますが、今になるとさすがにそう言う活力はありません。
何事もその場その場で目くじら立てずに10〜20年以上後にやんわりと言ってくれる懐の深い妻の気持ちは有り難いことです。
クリスマスは、結婚以来「自宅でゆっくり」と言うのが、始めっから我が家のパターンでした。
最近ではクリスマス特有の熱気の溢れるデパ地下で、自宅でのクリスマスパーティ用品を家族で買いそろえるのもまた楽しい行事です。
人混みはどうも・・という考えもありますが、大勢の人が集まる混雑そのものを楽しみたい気分が心の奥底にあるのでしょう。
人混みといえばこんな思いでもあります。
昭和54〜55年ころのことですが、静岡地裁で破産債権者集会があって、千葉地裁の裁判官や書記官と出掛けたことがあります。
私は家族を帯同していたので、債権者集会が終わった後に、日本平ホテルとかいう所に宿泊しました。
翌朝ホテルに隣接している遊園地に行ったところ、ウイークデイだったことから、まだ客が一人もいなくて、私の子供達が行くところに係員がついて来て、乗りたいと言うとその都度動かしてくれました。
貸し切りみたいな感じでしたが、あまり空いていると遊んだ気がしないものです。
今は正月よりもクリスマスの方が、子供達の幼いころを思い出し易い行事・状態です。
お正月行事よりはクリスマスの方が、子供向きの行事っぽいからでしょうか?
子育ては今考えると人生で一番大変で必死にやって来た・仕事も忙しい時期ですが、思い出・・「若いころの自分は二度と戻らない」ことの連想・・・・自分の若いころだけではなく子供の幼いころも二度と戻らない二重写しになるからか、今では一番懐かしい光景です。
そう言えば、今年は(今年もあと何日だなあと考えているヒマもなく)忙し過ぎたのでもありませんが、年末がいつの間にか来てしまった印象です。
ここ何十年かで生活様式が変わり正月・大晦日の持つ意味が、徐々に変わって来たからでしょうか。
忘年会の多くが、新年会に先送りされることも多くなってきました。
クリスマス前後の3連休が終わると、今年は数日働いて直ぐに正月休みに入るためにまとまった仕事の予定が入れられず残務整理っぽい時間になっているので、正月休みがその続きみたいな印象になっています。
       

クリスマス・イヴ

毎年クリスマス特別番組で書いていますので、いつもの連載を休憩です。
今年は年末の気分なく普段通り忙しく仕事をしてるうちにあっという間に20日になってしまいました。
21日には、午前中千葉で民事調停に出席して、午後は1時から日弁連修習委員会に出席です。
午後3時からは、弁修協と言って、日弁連と司法研修所教官との協議会があって、そこで1年の情報交換を行います。
研修所の卒業試験(我々の世界では2回試験と称しています)の不合格(12月14日発表)に関する説明も行われたりもします。
落第した修習生にとっては、のどから手が出るほど気になる情報ですので、「良く聞いて来て!」と期待されているので、居眠りなどしていられません。
今年は出席してみると司法研修所の講義内容に関するパワーポイントによる解説など盛り沢山で、試験内容の具体的な話題にまで行き着きませんでした。
委員会では昔千葉修習であった同期の人で今は熊本にいる弁護士と隣に座って、当時の千葉の修習仲間の消息について(多くは70歳を超えていますので)あれこれ聞かれてそれぞれ元気にやっているなどと話しながら委員会に参加していました。
分科会への場所移動時間に廊下で別の用務で来ていた同期同クラスの弁護士数人と久しぶりに出会って旧交を暖めましたが、こうしたことがあるのも多忙な時間を割いて日弁連の会議に出る楽しみの1つです。
この出会った級友の一人は、今年の3月11日の日弁連代議員会に出たときに、会議後偶然ロビーで顔を合わせた人の一人ですがちょうど来合わせた別の級友弁護士と3人で談笑した後、私はまっすぐ千葉に帰って、千葉駅を下りた数分後にあの大震災に遭遇しました。
3月11日の代議員会で彼は日弁連副会長に選任されたところでしたから、当然日弁連に居残っていたでしょうから、岡山までどうやって帰れたのか気になっていましたが、この日(12月21日)も部屋移動中に出会って時間がなかったのと別の元クラスメイトが近寄って来たので、これと言った会話も出来ずに別れました。
そんなことで、今年は年末に掛けて日弁連に行ったり(この外にも12月には選挙管理委員会でも日弁連に行きました)東京地裁に出かけたりが多く、年末ギリギリの26日にも、東京地裁に証人尋問が入っています。
(昨年はちょうど赤穂浪士の討ち入りの日に、午前中に東京地裁の事件があったのでその帰りに妻と一緒に国立劇場で仮名手本忠臣蔵の(松本幸四郎の由良之助)歌舞伎を見ましたが、今年は気に入った演し物ものがなかったので、12月始め頃に東京地裁の帰りに青山の根津美術館に出かけたりしましたが・・まだ庭園の紅葉は綺麗でした)
その合間に千葉にいても日常業務に追われるばかりで、年末を慌ただしく過ごしているうちにクリスマスを挟んだ3連休に入ってきました。
3連休中の1日がクリスマス・イヴですので、慣例のデパ地下でのクリスマス準備の買い物も家族そろってゆっくりやれます。
何となく今年は年末らしさを感じるヒマもなく年末が来てしまったので、何の感慨も乗らない平板なクリスマスを迎えそうな印象ですが、家族でデパ地下に行くとその熱気に感染して何となくこちらもお祭り気分になれるのが不思議です。
私の方は宗教意識もないのですが、ただ、子供達が幼い頃から子供らとともに楽しむ・生活にメリハリを付ける行事の1つとして我が家で定着している感じです。
まだ家族そろって元気に楽しめるうちが、華ですから、存分に楽しむ予定です。

クリスマス・イヴ

今年もクリスマス・イヴがやって来たので、恒例にしたがって今回と明日は特別番組です。
クリスマス・イヴは、若い人が幼い頃から慣れ親しんだ行事ですので、老夫婦だけよりは娘達参加の方が盛り上がります。
私に限らず、私たち世代は自分の時代は高度成長期でうまくやれたが、広く言えば日本の将来狭く言えば自分の子供など次世代の将来を心配している向きが多いと思いますが、目の前に複数の娘や息子がいて幸せな家庭団らんがあれば、それを素直に喜んでいれば良いのではないでしょうか?
子供ら次世代の職業不安、結婚していても子供がいないことを理由にする子供ら夫婦の将来不安等々、子供の将来を心配するのは、現実にはあり得ない杞憂かも知れません。
杞憂と言う言葉が生まれた意味を考えると実際にはあり得ない想定ですから、現にあった事柄と言うよりは人間は先々のことを心配してクヨクヨしがちだから、先のことを考えるのも程々にしなさいと言う教訓でしょう。
次世代には次世代の考えがあって生きているのでしょうから、6〜70代の世代の考え・自分の育って来た生き方を基準に彼らのことまでくよくよと心配してやる必要がありません。
クリスマス・イヴくらいは子供のことまで心配しないで、逆に子供たちがいることを最大限利用して楽しく過ごすのが良いでしょう。
次世代がしっかりしないのは心配と言えば心配ですが、先のことをくよくよ心配しないで考え直せば、私の場合身近に娘が2人もいるのは親にとっては幸せなことです。
何しろ、何だかだと言っても(今の若いもんは・・式の議論を良く聞きますが・・・)やはり世代が違う分新しいことには敏感ですし、パソコンがちょっとでも調子が悪いと、ちょっといじって直してくれるし(その分まるでコチラの実力がつきませんが・・・)いろんな分野(食事の嗜好なども違うので、食べたことのないものを食べさせてくれるし)にわたって便利です。
2世代相互関係は、将来のことは別として生活が便利であることが確かです。
若い方も親世代の智恵や財力を利用出来るし、多世代同居・身近にいることは賑やかで悪いことは殆どありません。
男女関係の将来をテーマにこの秋から書いて来ましたが、昔は力仕事の関係などで、一家に男手が必須だったこともあって同世代の男女関係維持が中心的テーマでした。
しかし今では、パソコン操作等軽作業が中心になって来てジェンダーが不要な時代ですから、ペアーを組むなら世代間協力関係よりは2世代相互助け合いの方が(高齢者と次世代の組み合わせを考えても・・介護問題はあらかた解決できます)当面の生活は(次世代の将来を心配しなければ)合理的でしかも便利です。
次世代と別居しているから、他人の訪問介護や買い物援助などが同居している場合に比してより多く必要になっているとも言えるでしょう。

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